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第二章 絵麻
22.イタリアン
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買い物を終えて再び車に乗り込むと、レオから次の目的地を聞かれたため、イタリアンにすると答えた。
普段はフレンチや中華ばかりだが、たまに食べたくなる。
さすが影谷が教育したと宣言しただけあり、レオはたったそれだけで、絵麻がイタリアンを選んだときに訪れるレストランに車をつけた。
感心しかけたが、これくらいしてもらわなければ困るのだと思い、感謝の言葉だけに留めた。
店に入り、店員に予約をしていない旨を伝え、しばしその場で返答を待った。
その間店内に目を向けて混み具合を確認してみると、見覚えのある顔がちらと見えた。
「お席へご案内いたします」
見た目には満席のように見えたものの、一人客ならば空いた席があったらしい。しかし、絵麻はすでに心変わりをしていた。
「ご気分が変わられたのですか?」
店を出て、まだ待機していた車に乗り込んだ。
「とりあえず出して」
もし見られたら車種でバレる可能性がある。一刻も早く立ち去りたい。
「かしこまりました」
レオは何も聞かずに、命じたままに車を発進させた。
店内に清澄と清香の姿があった。
絵麻にとって、この世で最も苦手な人物だ。できる限り顔を合わせたくない。数日ぶりに夫の姿を目にしたと思えば、清香も一緒だったとは。
いや、予測しておくべきだった。あのレストランは会社から近い場所にあり、清澄はイタリアンが好きだ。二人が仲の良い姉弟で、共に役員をしていることを考えれば、遭遇する可能性は高い。
清澄の父と絵麻の父は大学で出会って意気投合し、共同で会社を設立した。
公私ともに評判になるほど仲が良く、その仲の良さは自分たちの子供に会社を継がせようと誓い合うまでに至った。そして清澄たち姉弟も、絵麻も会社の役員になり、次期経営者として両家のどちらかが優位にならないようにと、お互いの子供たちを結婚させたのだ。
しかし実際に業務をしているのは清澄たち姉弟ばかりで、絵麻は名前だけの役員だった。呼び出されたら会議に出席したり、書類に捺印やサインをするだけ。最初は意気込んで毎日出社していたが、遠回しに敬遠されるようになり、携わることを諦めた。
清香は顔を合わせるたびに「楽でいいわね」と、如何に自分たちが責任ある業務を任されていているかを嫌味たっぷりに話しかけてくるので、会いたくないのである。
レオは左折を繰り返し、どこへ行くでもなく車を走らせている。何も言わないが、目的地を告げて欲しいのだろう。
しかし清澄たちに遭遇したことで気力が萎え、考えること自体が億劫になった。
「どこか適当に美味しいところに行って。あ、でも一度も食べたことのない店がいい」
心気新たにという想いで無理難題をぶつけた。絵麻が訪れたことがなく、また舌に合う店など、これこそ影谷でなければわからないだろう。
そう思ったが、レオの能力は想像以上らしかった。
そこはビルの間にひっそりと影のようにして建ち、レトロな外観からも期待を誘うレストランだった。こじんまりとした雰囲気が隠れ家のようで、その点も絵麻の興味を引いた。
入店すると、外観から感じた印象よりも広く清潔で、落ち着いたボサノヴァが流れ、客はまばらながらも居心地の良い印象を受けた。
一番奥のテーブルが空いていたので、そこを選んで腰をおろすと、初老の男性が水を運んできてくれた。メニューを見て、ランチセットとコーヒーを頼んだ。
待っている間にスマホを開くと、サカ☆カササギからメールが届いていた。
サカ☆カササギ[おはようございます。昨夜は失礼しました。旦那がいると家事か読書くらいしかできなくて、勝手にスマホやタブレットをいじれないんですよ。自分はスマホばかりで、会話もろくにしてくれないのに]
EMA522[それはなかなかだね。自分は使ってるのに妻には使わせてくれないんだ。だったら会話したり、2人の時間として過ごしたいよね]
返信したらすぐに返ってきた。
サカ☆カササギ[2年もろくに会話してないと、むしろ会話になる方が面倒かもしれません。何を話したらいいかわからない。旦那が私に話しかける内容なんて、注意か叱責くらいで、怒られてばかりだからむしろ会話がない方がいいかも笑]
絵麻はどう返せばいいのか迷った。相手が大袈裟に話を盛っているのか事実なのかわからないからだ。
深読みをすれば、モラハラっぽいと考えられないでもないが、これだけでは判断はできないし、深入りすることも憚られる。おせっかいをしてもいいことはない。そう思って、愚痴にはあまり触れないように当たり障りのない返信をした。
そのとき店員がトレーを手にやってきた。ランチセットはパスタとサラダ、そしてコンソメスープだった。シンプルな見た目とは裏腹に、味には深みがあり、舌に合う。まさに絵麻が求めていたものと言え、レオを見直さざるを得なかった。
食事を終えて帰路につき、自邸へ戻って午後は散歩へ行く。残りの時間はディナーとバスタイム、合間にスマホをいじることだけだ。
絵麻の毎日はこのように過ぎていく。そのほとんどを一人だけで孤独に過ごしている。
夫と会社にそっぽ向かれたことを、友人たちに気取られたくなく、社交をするのが億劫になったからだ。
浪費する趣味もなく、また価値も見いだせず、淡々と生きるに必要な欲求を満たすだけ。
目的もない日々は無気力さを加速させ、無為な時間を費やすだけになった。やることと言えば、Xやインスタなどの各種SNSを巡回することくらいだ。
しかし、そんな生活を2年過ごしてきて、単調な毎日に飽きがきていた。
それが理由だったのかもしれない。普段はSNSでも積極的に誰かと関わろうとはせず、自身の発信も最小限だったのに、昨日はなんとなくだが、普段ならば送らないようなコメントをした。
それが端を発し、コメントを送った相手──サカ☆カササギとメールのやりとりをするようになった。
もともとツイキャスを視聴するのは楽しみの一つで、人気のある配信者ではなく、ほとんど誰にも見られていないような配信者が好きだった。まるで自分のようだ、という意識が少ながらずあったからかもしれない。
サカ☆カササギはおとなしく控えめで、純朴で、裏表のない、善良な人に思えた。視聴数も一桁台であることも気に入り、彼女のツイキャスをよく聞いていた。
メールをするようになっても、その印象は変わらず、むしろ会話のキャッチボールができるようになり、さらに好感度が上がった。
友人を敬遠し、家族ともまるで他人のような距離感の絵麻にとって、このやりとりは、二年ぶりに他人と親しく会話をする機会になったのだった。
普段はフレンチや中華ばかりだが、たまに食べたくなる。
さすが影谷が教育したと宣言しただけあり、レオはたったそれだけで、絵麻がイタリアンを選んだときに訪れるレストランに車をつけた。
感心しかけたが、これくらいしてもらわなければ困るのだと思い、感謝の言葉だけに留めた。
店に入り、店員に予約をしていない旨を伝え、しばしその場で返答を待った。
その間店内に目を向けて混み具合を確認してみると、見覚えのある顔がちらと見えた。
「お席へご案内いたします」
見た目には満席のように見えたものの、一人客ならば空いた席があったらしい。しかし、絵麻はすでに心変わりをしていた。
「ご気分が変わられたのですか?」
店を出て、まだ待機していた車に乗り込んだ。
「とりあえず出して」
もし見られたら車種でバレる可能性がある。一刻も早く立ち去りたい。
「かしこまりました」
レオは何も聞かずに、命じたままに車を発進させた。
店内に清澄と清香の姿があった。
絵麻にとって、この世で最も苦手な人物だ。できる限り顔を合わせたくない。数日ぶりに夫の姿を目にしたと思えば、清香も一緒だったとは。
いや、予測しておくべきだった。あのレストランは会社から近い場所にあり、清澄はイタリアンが好きだ。二人が仲の良い姉弟で、共に役員をしていることを考えれば、遭遇する可能性は高い。
清澄の父と絵麻の父は大学で出会って意気投合し、共同で会社を設立した。
公私ともに評判になるほど仲が良く、その仲の良さは自分たちの子供に会社を継がせようと誓い合うまでに至った。そして清澄たち姉弟も、絵麻も会社の役員になり、次期経営者として両家のどちらかが優位にならないようにと、お互いの子供たちを結婚させたのだ。
しかし実際に業務をしているのは清澄たち姉弟ばかりで、絵麻は名前だけの役員だった。呼び出されたら会議に出席したり、書類に捺印やサインをするだけ。最初は意気込んで毎日出社していたが、遠回しに敬遠されるようになり、携わることを諦めた。
清香は顔を合わせるたびに「楽でいいわね」と、如何に自分たちが責任ある業務を任されていているかを嫌味たっぷりに話しかけてくるので、会いたくないのである。
レオは左折を繰り返し、どこへ行くでもなく車を走らせている。何も言わないが、目的地を告げて欲しいのだろう。
しかし清澄たちに遭遇したことで気力が萎え、考えること自体が億劫になった。
「どこか適当に美味しいところに行って。あ、でも一度も食べたことのない店がいい」
心気新たにという想いで無理難題をぶつけた。絵麻が訪れたことがなく、また舌に合う店など、これこそ影谷でなければわからないだろう。
そう思ったが、レオの能力は想像以上らしかった。
そこはビルの間にひっそりと影のようにして建ち、レトロな外観からも期待を誘うレストランだった。こじんまりとした雰囲気が隠れ家のようで、その点も絵麻の興味を引いた。
入店すると、外観から感じた印象よりも広く清潔で、落ち着いたボサノヴァが流れ、客はまばらながらも居心地の良い印象を受けた。
一番奥のテーブルが空いていたので、そこを選んで腰をおろすと、初老の男性が水を運んできてくれた。メニューを見て、ランチセットとコーヒーを頼んだ。
待っている間にスマホを開くと、サカ☆カササギからメールが届いていた。
サカ☆カササギ[おはようございます。昨夜は失礼しました。旦那がいると家事か読書くらいしかできなくて、勝手にスマホやタブレットをいじれないんですよ。自分はスマホばかりで、会話もろくにしてくれないのに]
EMA522[それはなかなかだね。自分は使ってるのに妻には使わせてくれないんだ。だったら会話したり、2人の時間として過ごしたいよね]
返信したらすぐに返ってきた。
サカ☆カササギ[2年もろくに会話してないと、むしろ会話になる方が面倒かもしれません。何を話したらいいかわからない。旦那が私に話しかける内容なんて、注意か叱責くらいで、怒られてばかりだからむしろ会話がない方がいいかも笑]
絵麻はどう返せばいいのか迷った。相手が大袈裟に話を盛っているのか事実なのかわからないからだ。
深読みをすれば、モラハラっぽいと考えられないでもないが、これだけでは判断はできないし、深入りすることも憚られる。おせっかいをしてもいいことはない。そう思って、愚痴にはあまり触れないように当たり障りのない返信をした。
そのとき店員がトレーを手にやってきた。ランチセットはパスタとサラダ、そしてコンソメスープだった。シンプルな見た目とは裏腹に、味には深みがあり、舌に合う。まさに絵麻が求めていたものと言え、レオを見直さざるを得なかった。
食事を終えて帰路につき、自邸へ戻って午後は散歩へ行く。残りの時間はディナーとバスタイム、合間にスマホをいじることだけだ。
絵麻の毎日はこのように過ぎていく。そのほとんどを一人だけで孤独に過ごしている。
夫と会社にそっぽ向かれたことを、友人たちに気取られたくなく、社交をするのが億劫になったからだ。
浪費する趣味もなく、また価値も見いだせず、淡々と生きるに必要な欲求を満たすだけ。
目的もない日々は無気力さを加速させ、無為な時間を費やすだけになった。やることと言えば、Xやインスタなどの各種SNSを巡回することくらいだ。
しかし、そんな生活を2年過ごしてきて、単調な毎日に飽きがきていた。
それが理由だったのかもしれない。普段はSNSでも積極的に誰かと関わろうとはせず、自身の発信も最小限だったのに、昨日はなんとなくだが、普段ならば送らないようなコメントをした。
それが端を発し、コメントを送った相手──サカ☆カササギとメールのやりとりをするようになった。
もともとツイキャスを視聴するのは楽しみの一つで、人気のある配信者ではなく、ほとんど誰にも見られていないような配信者が好きだった。まるで自分のようだ、という意識が少ながらずあったからかもしれない。
サカ☆カササギはおとなしく控えめで、純朴で、裏表のない、善良な人に思えた。視聴数も一桁台であることも気に入り、彼女のツイキャスをよく聞いていた。
メールをするようになっても、その印象は変わらず、むしろ会話のキャッチボールができるようになり、さらに好感度が上がった。
友人を敬遠し、家族ともまるで他人のような距離感の絵麻にとって、このやりとりは、二年ぶりに他人と親しく会話をする機会になったのだった。
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