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20.殺意の反証≠愛の立証
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馬上から見下ろすイリスの目には苛立ちが感じ取れる。ナイフを取りに行って来たイリスはこれから俺を殺すつもりで、睨まれて恐怖を覚えるのは当然だ。しかし、それはそれとして、俺はなぜか他に喜びなる感情も覚えていた。
狂気的なあれを実行に移されるというのに、俺はなぜかイリスの顔を見てほっとしている。性奴隷かつパブロフの犬であった俺は、実際に殺されたあとでも奴隷根性が抜けきれていないというのか。
「毒はもう効かないらしいよ」
馬から降りたイリスは、俺のほうへと歩み寄りながらぶすっとした顔で言った。
「……そうですか」
「あれ? 知ってたの?」
「……いいえ」
「だよね……知ってたら刺したりなんてしないし。で、どこに行こうとしたの? 今のは誰?」
「どこということはありません。逃げていただけです。犯されながら刺されるのは勘弁願いたいですから」
俺は内心を複雑に乱されながらも、敢えて苛立ちあらわにして答えた。
毒針を刺しあった仲で今さら従者らしい態度をとっても意味がない。からだが、戸惑いを見破られるのも嫌だった。殺そうとする相手を見てほっとするなんて、サイコパスはどっちだと呆れる話だ。
「……それが理由?」
間近で威圧され、怯みそうになるも俺は一歩踏み出した。
「そうですよ。嫌に決まってます。誰が喜ぶんですか? 愉悦のためになぶり殺されるなんて、死んでも御免だ」
「だから、死ぬとわかっていながら逃げ出したってこと?」
「同じ死ぬにしてもわざわざ痛みを味わいたくありません。イリス様だってそうでしょう?」
「俺? 別に?」
「……斬られたことがなければぴんとこないでしょうけど、普通は嫌なんですよ」
「斬られたことならあるよ。戦争で」
とぼけやがって。確かにイリスは戦争の英雄だが、斬られていたら痛みがわかるはずだ。痛みを嬉々とするやつなんているわけがない。
おそらく。多分。……ドMとかじゃない限りは……もしかして、イリスってM……なの? どちらかといえばSな気が……
「本当だよ……背中や肩に跡が残ってる。足にもあるけど……毎晩抱いていて風呂にも一緒に入ってるのに、気づいてないの?」
「えっ……」
本気? Sじゃないの? って、性癖を追求している場合じゃない。
「痛みもまたぞくぞくとするから好きなんだ……医師に説明するのが面倒だから自分ではやらないけど……それより城に戻るから馬に乗って。撒いてきた騎士たちが騒ぎを起こすと面倒だし」
「いや……だから、死にたくないですから」
「死なないよ。毒の効力はないって言っただろ」
「毒じゃなくて、イリス様が俺のことを」
「俺は殺さないし、クリステルに対して攻撃されるようなことがあれば俺が守るよ」
いやいやサイコパスが何を言っているんだ? 毒云々以前に城へ戻った理由はナイフを取りに行くためであるはずだ。痛みと快楽は同じだからと言って俺を刺すために。
唖然と訝しむ俺に、イリスは真面目とも言える顔つきを崩さず覗き込んできた。
「クリステルに針を刺したあと、信じられないことにすごく後悔したんだ。殺さなければよかったって。だからエデュアルドの情婦のところへ行って、回復の手段がないか聞いてきたんだ」
「後悔? エデュアルド様の情婦ってカトリーナのことですか?」
「名は知らないけど、平民の女だよ」
「え……ていうか、ナイフを取りに行ったんじゃないんですか?」
「ナイフ? なくても口を割ってくれたよ」
まったく話が飲み込めない。俺の推測とイリスの話が噛み合っていない。イリスは俺を殺したことを後悔して、解毒方法がないかを知るためにカトリーナのもとへ行ったという。ナイフは持っていないとも。
もしもと願ったまさにのことだが……いやいや、そんなはずはない。
「……それで、効力が消えていたことを知ったんですか?」
「そうだよ。どれほど安堵したかわからない。おまえを失って、初めて気づいたんだ……俺はおまえのことを愛しているって」
ちょ……は? 今なんて言った?
「クリステルは?」
「……俺?」
「クリステルは、俺のこと愛してないの?」
なんだって? イリスの言葉を理解できない。俺はぱくぱくと魚みたいに口を閉じでは開き、アホ面を晒して呆然とした。
そんな俺を見て、イリスは悲しげに眉尻を下げた。頬に触れ、キスをするでもなくじっと見つめてくる。不安げにまつ毛を震わせ、涙でも滲んできそうなくらいに瞳が潤んでいる。
何これ、イリスは何をしてるの?
イリスのこの珍しくも奇怪な反応は、答えない俺に不安を感じているからのように見える。
本気なのか? 聞き間違いじゃないというなら嘘とか? いや、イリスは俺に一度も嘘をついたことがない。殺すとか犯すとか刺すとか絞めるとか、全部思ったまま口にされてきた。実行に移すかは別としても、するつもりのあることしか言わなかった。誤魔化したり反対の言葉など一度も言ったことがない。
「俺を刺したのは、俺がおまえを殺そうとしていたからなんだろ? 逃げるために仕方なくだったんじゃないの? でも、今日まで決行しようとしなかった。それは、俺を愛してくれていたからだと思ったんだけど」
単に人殺しをしたくなかっただけだ。
そして流されるままにイリスとのセックスに溺れてしまっていた。イリス以外の誰と交流がなくとも生活は充実していたし、なんなら前世をひっくるめて最も幸福と言える日々を送っていた。
イリスがサイコパスであることを忘れかけるくらい楽しくて、愛されているんじゃないかって錯覚するくらい離れられなくなっていた。
それは、愛していたからのか? そんなはずは……あるのか?
「もう俺に殺意はないって言ったら、安心してくれる? おまえのことは絶対に傷つけないし、痛い思いはさせないって約束したら、逃げないでいてくれる?」
耳を疑うことをまたも言われて開いた口が塞がらない。もうわけがわからない。けど、嘘はつかないはずで、本気で言ってるのだとしたら、ちょっと……いや、かなりぐっとくる。というか、涙腺がじわりと緩んできた。
イリスはここ最近毎日のように俺のことを好きという言葉を口にしていた。あれは俺を愛し始めていたからなのだろうか。針を刺して初めて気づいたというから、イリス自身も自覚がないまま口に出していたのかもしれない。
だとしたら。もし嘘でも聞き間違いでもなく、本気で愛しているというなら。
考えた俺は、毒の効力がなかったと知って喜んだ以上に、胸が熱くなった。
「クリステル?」
何も答えられずにいた俺を、イリスはそっと抱きしめてきた。少しずつ力が入り、背の高いイリスの胸あたりに顔がうずまっていく。いまやなによりも馴染んでいる匂いに包まれて、力が抜けそうなくらいにほっとした。俺はこの腕の中にあるべきで、なぜ離れたのかわからないなんて頭に浮かぶくらい心地よく感じた。
「俺の矜持にかけて約束するよ。おまえのことを愛している限り、絶対に傷つけない」
前置きが入ったのは引っかかるが、嘘や聞き間違いなんかじゃないことはわかった。
イリスは俺のことを愛してくれている。驚くことにどうやら事実であるらしい。
やばい。堪えようにも無理なほど、涙がせり上がってきている。イリスの服を濡らしてしまうくらい、滲んできた。
「……イリス様のそばにいたいです。殺さないでいていただけるのであれば、おそばにいて、これまでのように過ごせたら……嬉しいです」
俺がイリスを愛しているのかはわからない。考えたこともなかったし、イリスから告白されても寝耳に水すぎて思考が追いつかない。混乱する頭ではこれまでどおりと答えるだけで精一杯だった。
「うんうん。おまえは俺を愛してくれているんだよ。俺も愛しているみたいだからちょうどいいね」
もうそれでいいや。反論する気にならないってことは、俺も同じ気持ちなのかもしれない。
わからないけど、ぎゅっと抱き締めてくるイリスのことは純粋に愛おしく思う。
イリスは少し離れ、顎を持ち上げて軽いキスをしてきた。
「かわいい、クリステル。大好きだよ」
ちゅっちゅとついばまれて、くすぐったい。いつもなら深くするのに、愛情からしているように感じられて、じわじわと喜びが胸を満たしていく。
「じゃあ、馬に乗って。こんなところにいても先に進めないし、城に戻ってゆっくり楽しもうよ」
「……楽しむって、さっきしたばかりじゃないですか」
「うん。でも愛を確認したあとはまた別じゃない?」
そうかもしれないけど、だからこそ恥ずかしい。性欲だけなら乱れることに羞恥はなくとも、そこに感情があると知っては緊張してしまう。
イリスから肩を抱かれて額にキスをされたあと、おとなしく待機していてくれた馬に乗った。イリスが先で、後ろに俺だ。
イリスのお供で何回か乗せてもらったことはあるけど、いまだに慣れない。
「急ぐ必要もないけど、クリステルの喜ぶ顔が見たいから、なるべく急がせてもらうよ」
風を切りながら、俺の耳にも聞こえるくらいの声でイリスが叫んだ。
「喜ぶって、なにかあるんですか?」
確かにスピードは早めで、夜風がなおのこと身に冷える。でも、イリスは温かく、がっちりとした背中にくっついていると風も寒さも気にならない。
「クリステルを抱きながら、あの女の悲鳴を聞こうと思って……楽しそうじゃない?」
ん? 今おかしなことを聞いた気がするけど、きっと風のせいだ。悲鳴とか聞こえたのは聞き間違いに違いない。
「……すみません、もう一度言ってもらえますか?」
「今夜は俺たちにとって特別な日になったよね。ちょうどいいっていうか、あの女のせいなわけだけど、捕まえたタイミングだったのは天の采配だよね」
「捕まえた?」
「クリステルのことは傷つけられないってわかったから、別の人間の悲鳴を聞きながらクリステルとやればいいって思いついたんだ。クリステルの鳴き声と、平民の女の泣く声を合わせたらどうかなって」
なにやら浮き浮きとして楽しげなイリスだが、聞き間違いであるはずだ。そうに決まっている。
殊勝にも愛を告げてくれた口で残酷なことを言うはずがない。
サイコパスだったのは過去のことで、というか考え方が歪んでいただけであって、実際は誰のことも殺していない。戦争は別としてだが、ウルヤナのことは誤解だったし、俺やアウレリウスに関しても、傷をつけられただけで、とどめは刺されていない。
ちょっとあれな考えを持っているだけで、実行に移すほど愚かではない……まともな王子であるはずだ。
「今、罪人を収容する俺の秘密部屋に縛り付けてあるんだ。人によって気が違えてくる時間はまちまちだけど、勝ち気な性格のようだから、そろそろ兆候を見せているはずだよ」
楽しみだな、とひとりごちたイリスの言葉は風の音にまみれても俺の耳によくよく響いて聞こえた。
多分、幻聴だったからだろう。縛り付けてるとか、罪人用の秘密部屋とか、恐ろしげな言葉はすべて、サイコパスだった印象から俺がイメージした幻聴……であるはずだ。
多分。おそらく。きっと。
俺は自分に反論し、言い聞かせながら、俺を愛していると言ってくれた男の背中にしがみついていた。
狂気的なあれを実行に移されるというのに、俺はなぜかイリスの顔を見てほっとしている。性奴隷かつパブロフの犬であった俺は、実際に殺されたあとでも奴隷根性が抜けきれていないというのか。
「毒はもう効かないらしいよ」
馬から降りたイリスは、俺のほうへと歩み寄りながらぶすっとした顔で言った。
「……そうですか」
「あれ? 知ってたの?」
「……いいえ」
「だよね……知ってたら刺したりなんてしないし。で、どこに行こうとしたの? 今のは誰?」
「どこということはありません。逃げていただけです。犯されながら刺されるのは勘弁願いたいですから」
俺は内心を複雑に乱されながらも、敢えて苛立ちあらわにして答えた。
毒針を刺しあった仲で今さら従者らしい態度をとっても意味がない。からだが、戸惑いを見破られるのも嫌だった。殺そうとする相手を見てほっとするなんて、サイコパスはどっちだと呆れる話だ。
「……それが理由?」
間近で威圧され、怯みそうになるも俺は一歩踏み出した。
「そうですよ。嫌に決まってます。誰が喜ぶんですか? 愉悦のためになぶり殺されるなんて、死んでも御免だ」
「だから、死ぬとわかっていながら逃げ出したってこと?」
「同じ死ぬにしてもわざわざ痛みを味わいたくありません。イリス様だってそうでしょう?」
「俺? 別に?」
「……斬られたことがなければぴんとこないでしょうけど、普通は嫌なんですよ」
「斬られたことならあるよ。戦争で」
とぼけやがって。確かにイリスは戦争の英雄だが、斬られていたら痛みがわかるはずだ。痛みを嬉々とするやつなんているわけがない。
おそらく。多分。……ドMとかじゃない限りは……もしかして、イリスってM……なの? どちらかといえばSな気が……
「本当だよ……背中や肩に跡が残ってる。足にもあるけど……毎晩抱いていて風呂にも一緒に入ってるのに、気づいてないの?」
「えっ……」
本気? Sじゃないの? って、性癖を追求している場合じゃない。
「痛みもまたぞくぞくとするから好きなんだ……医師に説明するのが面倒だから自分ではやらないけど……それより城に戻るから馬に乗って。撒いてきた騎士たちが騒ぎを起こすと面倒だし」
「いや……だから、死にたくないですから」
「死なないよ。毒の効力はないって言っただろ」
「毒じゃなくて、イリス様が俺のことを」
「俺は殺さないし、クリステルに対して攻撃されるようなことがあれば俺が守るよ」
いやいやサイコパスが何を言っているんだ? 毒云々以前に城へ戻った理由はナイフを取りに行くためであるはずだ。痛みと快楽は同じだからと言って俺を刺すために。
唖然と訝しむ俺に、イリスは真面目とも言える顔つきを崩さず覗き込んできた。
「クリステルに針を刺したあと、信じられないことにすごく後悔したんだ。殺さなければよかったって。だからエデュアルドの情婦のところへ行って、回復の手段がないか聞いてきたんだ」
「後悔? エデュアルド様の情婦ってカトリーナのことですか?」
「名は知らないけど、平民の女だよ」
「え……ていうか、ナイフを取りに行ったんじゃないんですか?」
「ナイフ? なくても口を割ってくれたよ」
まったく話が飲み込めない。俺の推測とイリスの話が噛み合っていない。イリスは俺を殺したことを後悔して、解毒方法がないかを知るためにカトリーナのもとへ行ったという。ナイフは持っていないとも。
もしもと願ったまさにのことだが……いやいや、そんなはずはない。
「……それで、効力が消えていたことを知ったんですか?」
「そうだよ。どれほど安堵したかわからない。おまえを失って、初めて気づいたんだ……俺はおまえのことを愛しているって」
ちょ……は? 今なんて言った?
「クリステルは?」
「……俺?」
「クリステルは、俺のこと愛してないの?」
なんだって? イリスの言葉を理解できない。俺はぱくぱくと魚みたいに口を閉じでは開き、アホ面を晒して呆然とした。
そんな俺を見て、イリスは悲しげに眉尻を下げた。頬に触れ、キスをするでもなくじっと見つめてくる。不安げにまつ毛を震わせ、涙でも滲んできそうなくらいに瞳が潤んでいる。
何これ、イリスは何をしてるの?
イリスのこの珍しくも奇怪な反応は、答えない俺に不安を感じているからのように見える。
本気なのか? 聞き間違いじゃないというなら嘘とか? いや、イリスは俺に一度も嘘をついたことがない。殺すとか犯すとか刺すとか絞めるとか、全部思ったまま口にされてきた。実行に移すかは別としても、するつもりのあることしか言わなかった。誤魔化したり反対の言葉など一度も言ったことがない。
「俺を刺したのは、俺がおまえを殺そうとしていたからなんだろ? 逃げるために仕方なくだったんじゃないの? でも、今日まで決行しようとしなかった。それは、俺を愛してくれていたからだと思ったんだけど」
単に人殺しをしたくなかっただけだ。
そして流されるままにイリスとのセックスに溺れてしまっていた。イリス以外の誰と交流がなくとも生活は充実していたし、なんなら前世をひっくるめて最も幸福と言える日々を送っていた。
イリスがサイコパスであることを忘れかけるくらい楽しくて、愛されているんじゃないかって錯覚するくらい離れられなくなっていた。
それは、愛していたからのか? そんなはずは……あるのか?
「もう俺に殺意はないって言ったら、安心してくれる? おまえのことは絶対に傷つけないし、痛い思いはさせないって約束したら、逃げないでいてくれる?」
耳を疑うことをまたも言われて開いた口が塞がらない。もうわけがわからない。けど、嘘はつかないはずで、本気で言ってるのだとしたら、ちょっと……いや、かなりぐっとくる。というか、涙腺がじわりと緩んできた。
イリスはここ最近毎日のように俺のことを好きという言葉を口にしていた。あれは俺を愛し始めていたからなのだろうか。針を刺して初めて気づいたというから、イリス自身も自覚がないまま口に出していたのかもしれない。
だとしたら。もし嘘でも聞き間違いでもなく、本気で愛しているというなら。
考えた俺は、毒の効力がなかったと知って喜んだ以上に、胸が熱くなった。
「クリステル?」
何も答えられずにいた俺を、イリスはそっと抱きしめてきた。少しずつ力が入り、背の高いイリスの胸あたりに顔がうずまっていく。いまやなによりも馴染んでいる匂いに包まれて、力が抜けそうなくらいにほっとした。俺はこの腕の中にあるべきで、なぜ離れたのかわからないなんて頭に浮かぶくらい心地よく感じた。
「俺の矜持にかけて約束するよ。おまえのことを愛している限り、絶対に傷つけない」
前置きが入ったのは引っかかるが、嘘や聞き間違いなんかじゃないことはわかった。
イリスは俺のことを愛してくれている。驚くことにどうやら事実であるらしい。
やばい。堪えようにも無理なほど、涙がせり上がってきている。イリスの服を濡らしてしまうくらい、滲んできた。
「……イリス様のそばにいたいです。殺さないでいていただけるのであれば、おそばにいて、これまでのように過ごせたら……嬉しいです」
俺がイリスを愛しているのかはわからない。考えたこともなかったし、イリスから告白されても寝耳に水すぎて思考が追いつかない。混乱する頭ではこれまでどおりと答えるだけで精一杯だった。
「うんうん。おまえは俺を愛してくれているんだよ。俺も愛しているみたいだからちょうどいいね」
もうそれでいいや。反論する気にならないってことは、俺も同じ気持ちなのかもしれない。
わからないけど、ぎゅっと抱き締めてくるイリスのことは純粋に愛おしく思う。
イリスは少し離れ、顎を持ち上げて軽いキスをしてきた。
「かわいい、クリステル。大好きだよ」
ちゅっちゅとついばまれて、くすぐったい。いつもなら深くするのに、愛情からしているように感じられて、じわじわと喜びが胸を満たしていく。
「じゃあ、馬に乗って。こんなところにいても先に進めないし、城に戻ってゆっくり楽しもうよ」
「……楽しむって、さっきしたばかりじゃないですか」
「うん。でも愛を確認したあとはまた別じゃない?」
そうかもしれないけど、だからこそ恥ずかしい。性欲だけなら乱れることに羞恥はなくとも、そこに感情があると知っては緊張してしまう。
イリスから肩を抱かれて額にキスをされたあと、おとなしく待機していてくれた馬に乗った。イリスが先で、後ろに俺だ。
イリスのお供で何回か乗せてもらったことはあるけど、いまだに慣れない。
「急ぐ必要もないけど、クリステルの喜ぶ顔が見たいから、なるべく急がせてもらうよ」
風を切りながら、俺の耳にも聞こえるくらいの声でイリスが叫んだ。
「喜ぶって、なにかあるんですか?」
確かにスピードは早めで、夜風がなおのこと身に冷える。でも、イリスは温かく、がっちりとした背中にくっついていると風も寒さも気にならない。
「クリステルを抱きながら、あの女の悲鳴を聞こうと思って……楽しそうじゃない?」
ん? 今おかしなことを聞いた気がするけど、きっと風のせいだ。悲鳴とか聞こえたのは聞き間違いに違いない。
「……すみません、もう一度言ってもらえますか?」
「今夜は俺たちにとって特別な日になったよね。ちょうどいいっていうか、あの女のせいなわけだけど、捕まえたタイミングだったのは天の采配だよね」
「捕まえた?」
「クリステルのことは傷つけられないってわかったから、別の人間の悲鳴を聞きながらクリステルとやればいいって思いついたんだ。クリステルの鳴き声と、平民の女の泣く声を合わせたらどうかなって」
なにやら浮き浮きとして楽しげなイリスだが、聞き間違いであるはずだ。そうに決まっている。
殊勝にも愛を告げてくれた口で残酷なことを言うはずがない。
サイコパスだったのは過去のことで、というか考え方が歪んでいただけであって、実際は誰のことも殺していない。戦争は別としてだが、ウルヤナのことは誤解だったし、俺やアウレリウスに関しても、傷をつけられただけで、とどめは刺されていない。
ちょっとあれな考えを持っているだけで、実行に移すほど愚かではない……まともな王子であるはずだ。
「今、罪人を収容する俺の秘密部屋に縛り付けてあるんだ。人によって気が違えてくる時間はまちまちだけど、勝ち気な性格のようだから、そろそろ兆候を見せているはずだよ」
楽しみだな、とひとりごちたイリスの言葉は風の音にまみれても俺の耳によくよく響いて聞こえた。
多分、幻聴だったからだろう。縛り付けてるとか、罪人用の秘密部屋とか、恐ろしげな言葉はすべて、サイコパスだった印象から俺がイメージした幻聴……であるはずだ。
多分。おそらく。きっと。
俺は自分に反論し、言い聞かせながら、俺を愛していると言ってくれた男の背中にしがみついていた。
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