抱かれたいアルファの憂鬱なる辞令

七天八狂

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第二章 この天賦は誰が為

33.胸の痛みと渇望

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 アラムから聞いたフョードルの話は、聞くまでもない内容だった。
 ほとんどが俺の話で、母のことに関しても俺の知らない話は一つとしてなかった。
 がっかりしたが、考えてみれば当然ともいえることだ。俺でさえ知らない話を気安く他人に話すはずがない。
 頭に来たのは、エウゲニーのほうだった。
 俺の話したまんまを惜しげもなく話してくれたらしく、秘めていたはずの話をアラムの口から聞かされて目の前が暗くなった。
 文句の一つも言ってやらねば気が済まない。翌日の道中でたっぷり言い聞かせてやらなければと意気込み、ヒエスラ組とは別れて、俺だけ乗り込んだ動車にエウゲニーを引きずり込んだ。
 
「そんな怖い顔しないでよ。アラムに話したのは必要があってのことだよ? ロジーの恋人なんだから、嘘を鵜呑みにさせてちゃまずいでしょ?」
「限度ってものがあるだろ。話すにしても俺がするべきことだ。それにフョードルのあれは嘘ってわけじゃない」
「嘘じゃない? 僕を担がないでよ。アラムから聞いた話は、ロジーから聞いたのとはまるで違っていたよ」
「ああ。母はフョードルのまえでだけは、別人のように態度が変わる人だったんだ」
「……それってつまり、ケルンがいるところではロジーを虐待しなかったってこと?」
「虐待って……だからあれはそういうんじゃないんだって」
「そうやって庇うのは虐待の被害者だからだよ。死者を冒涜したくはないけど、ロジーの母上は酷い人だよ。過去に戻れるのならぶん殴ってやりたいくらいだ」

 十四年経ってもなお母の呪縛に縛られている。
 母の話題になるとエウゲニーは必ず指摘してくるのだが、なんと反論すればいいのか、俺自身がいまだ整理をしきれないせいで、上手く説明ができず困っていた。
 母の死後になってからにはなるが、虐待されていたことは理解できている。ただ俺自身が母を煽っていたというか、どんな行為でも母から向けられるものならと嬉々として享受していたため、頭ごなしに非難するものじゃないと考えていた。
 母の眼差しや言葉を思い出すと胸が痛む。母を責めているからではなく、憐れなる俺自身を直視できないせいだった。
 憎悪されていても母を求め、愛されたい想いに苛まれていた自分を思い出し、母のいない世界に生きている事実に直面できないからだった。

 ──おまえのせいで私は人生を失ったのよ。
 ──おまえさえいなければユートピアを享受できていたのに。

 母が俺にかけてくれた言葉は、ほとんどすべてが俺の存在を非難するものだった。会話らしい会話などしたことはなく、名前を呼ばれたこともなければ、抱きしめられたことはおろか、微笑みを向けられたこともいっさいない。
 幼い頃にあった体罰はなくなったが、痛みに耐える必要がなくなって安堵したのとは裏腹に、母から触れられなくなったことが悲しくてたまらなかった。
 母はフョードルにバレることを恐れていたようで、目に見えるような怪我を負わせることはなかった。けれど、俺は母が触れてくれるのなら、目を開けることができなくなるくらい瞼が腫れても、痛みが走るくらいの痣ができても構わなかった。
 なのに、いつものように強く首を絞められたとき、不甲斐なくも俺は思わず母の手を掴んでしまった。強くしたつもりはないのに、母は化け物にでも襲われたような怯えた目をして、過剰なまでに身体を震わせ、俺から離れた。
 それ以来だ。母は俺にいっさい近寄らなくなった。
 同じ空間にいることすら厭うようになり、ふいに近づくと母のほうから避けてしまうようになった。
 
 苦痛など耐えていれば済む。母を感じることができればなんてこともない。だからと享受していたのに、一度の過ちで苦労しなければならなくなった。こっそりと覗き見たり、スヴェトキンにせがんで母が一日どう過ごしていたかを訊ねるしかなくなってしまったのだ。
 
「母にとって、フョードルがすべてだったんだ。そのフョードルが俺を可愛がっていてくれていたから、母も目の前では無下にできなかったんだと思う。フョードルは俺に対する態度にはかなり敏感で、母だけでなく使用人たちにも目を光らせていた。たぶん同じ半魔だったから、差別的な態度を取られてトラウマにならないよう守ってくれていたんだろうね」

 母はフョードルがいるととたんに機嫌がよくなり、俺が同じ空間にいることを許容してくれていた。人格者であり清廉で実直なフョードルをへたに刺激したくなかったのだろう。示し合わせたわけじゃないだろうけど、使用人たちも俺が虐待されていたことをフョードルに話していた素振りはなかった。

「差別的な態度って……マルガリータ皇女のはそんなレベルじゃないだろ?」
「そうだね。母は俺を差別していたわけじゃない。未来を奪われたやるせない気持ちを俺にぶつけていただけだ」

 母にとっての俺は穢れたものであり、怒りと憎悪の象徴でしかなかった。それでも俺は構わず、母を狂おしいほどに欲して、触れることすらできないことに苦しんでいた。
 ともに暮らしていても家族とは言えない距離にいて、産み落としただけの関係でしかなくとも、母を求め続けていた。

「……父上の代わりに?」
「わからないけど……母から父の話は聞いたことがなかったから。でもやっぱ、似ていたせいで重ねてしまっていたんじゃないの? 陛下に会うまでこんなに似ているなんて知らなかったけど」
「でも、一度は愛した男だろ?」
「……だからそれもわからないよ。俺の知る限り、母が愛していたのはフョードルだけだったから……」

 愛していたなんて言葉じゃ表しきれないくらい、母はフョードルに執着していた。
 母はフョードルが所用で出かけるだけでも半狂乱になり、在宅していても少し姿が見えなくなると悲壮な顔で探し回っていた。
 俺にとってフョードルはとても大切な存在だったけど、同時に複雑な思いも抱いていた。
 母がフョードルに愛おしげな目を向けて寄り添い、彼を求めて探す姿を目の当たりにするたび、俺に対する感情とは正反対のものをフョードルに抱いているのだと突きつけられてしまうからだ。
 母がフョードルを必要とするほどに、俺の存在は母にとってなんの価値もないと思い知らされ、虐待されることよりもつらく、苦しかった。
 
「そのケルンが、なぜ屋敷を焼いて逃亡したんだ? マルガリータ皇女の死は病だったんだろう?」
「……うん。三ヶ月以上熱が出続けてね。当時かき集められるだけの医師に診てもらったけど、病因はわからずじまいだった。フョードルは治癒魔法が苦手だったから、なにもしてあげられなかった自分を責めたんじゃないのかな?」
「自責の念から爆発事故を起こしたっていうのか? まるで繋がらないけど」

 俺は当時十歳だったが、不思議なことにどのようにして爆発が起きたのかの記憶がまったくない。
 母が亡くなった当日だったから、悲しみに暮れ、周りに意識を向けている余裕などまったくなかったせいなのだろう。
 フョードルはアラムにもそのときのことは何も語らなかったと聞いた。
 アラムにとってのフョードルは、二十年前の地位のまま雲の上の存在のようだと言っていた。過去の話とはいえ宮廷魔術師だったフョードルに対して、とてもではないが質問することなどできないと緊張するばかりだったらしい。
 だから語られるまま、ただ俺の幼い頃の話を聞き、現在どうしているのかを訊ねられ、答えただけだったという。
 クジマなら聞いているかもしれない。
 だとしても、フョードルはいま姿を現し、カツフクにいるのだ。
 俺が自分で問いただすこともできる。
 知ったところでなんになるわけでもないけど、知りたくないことでもない。
 なぜ爆発事故を起こしたのかもそうだが、なぜ母を喪った俺を置いて消えてしまったのか。母からローギンのことについて少しでも話を聞いていなかったか。
 なぜ俺は父のいるリュミトロフへは送られず、ヒエスラに留まらなければならなかったのか。
 今さらのことばかりだが、喉の奥に支え続けている程度には、気にかかっていることではあった。
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