色街の鬼

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色街の鬼 

壱 鬼が来たりて…

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手が震えている。

人を斬ったのは初めてだ。


刃から零れ落ちる血飛沫と、手の震えで何度も刀を取り落としそうになる。




この侍、悪い人間では無いのだろう。

こんな夜道で道を尋ねた俺に、臆する事も嫌がる事も無く、ゆっくりと近付いて来た。

俺が右手を刀にかけている事にも気付かずに。




恨むなら、あんたを警護に雇ったあの業突く張りの商人を恨んでくれ。

あいつがあちこちで女を買い漁ったりしなければ、俺もあんたを斬らずに済んだんだ。



あいつが居る場所は分かってる。

すぐにあいつも、あんたと同じ所に送ってやるから。







「ごめんくださいな。」

女が俺の前に初めて現れたのは、雪がちらつく寒い日だった。




あれこれと店の中を見て回り、俺が店番をしていた呉服屋を、幼い禿を伴ってああでもない、こうでもないとやかましかった。



「この布で、羽織を仕立てて欲しいのだけど。」



女がにこにこと笑いながら指差した絹織りの布は、うちの店でも一番の上物。


燃えるような朱に金糸の刺繍が施してあり、その辺の町娘なら、端切れ一枚すら身に付けられない代物だ。


「構わんが、銭はあるのか。こいつはちいと値が張るぞ。」


「えぇ。好きな物を選んで良い、と言われておりますから。」


「あぁ、そうかい。だが、信用ならねぇな。」


「これで、如何でしょう。」



女が呼び寄せた禿が、手に持っていた大振りの巾着の口を開けると、まるで小槌でも叩いたかのように、小判がこんもりと溢れ出した。


「おぉ…すまんすまん。分かったから、ここでそんなもん広げないでくれ。疑って悪かった。」


「ふふ。」


女は悪戯をした子供のように笑う。



覗く八重歯と泣きぼくろ。


天女と娼婦が同居しているような、何とも言えない美しさと妖しさだった。


「この布で仕立てるとなると、すぐには出来んから二月ほど待ってもらわにゃならんぞ。」


「構いませんよ。」



女の表情が、火を落としたようにぷつりと暗くなる。

こんな上等な羽織を着られるというのに、嬉しくないのか。




「そうかい。じゃあ、あんたはこっちに来てくれ。あんたの背格好の寸法を測らせてもらわなきゃならねぇ。娘の方は、奥で茶でも飲んで待っててくれ。おおい。」


俺がぱんぱんと手を叩くと、現れた古株の女中が甲斐甲斐しく禿を奥へと連れて行く。



間竿を片手に俺が女を店の奥へと促すと、女は下駄をことりと脱ぎ捨て、するすると帯を解き始めた。

雪のように真っ白な肩口の肌が、俺の目に飛び込んで来た。


「おいおい!仕立てるのは羽織だろう!何故着物を脱ぐんだ!着たままで構わねえよ!」


「あぁ、そうなのですね。てっきり裸にならねばならないのかと思いまして。」



悪びれる事も恥ずかしがる事も無く、女は着物を着直す。


脱ぎ慣れている。

羽振りも良い。


そうか。

この女、遊女か。



「余計な事を言うつもりは無いがな。あまり人前で簡単に帯など解くんじゃないぞ。あんたみたいな別嬪、男が放っておくわけないんだからな。」


自分の頬が赤くなっているのが分かる。

女の裸を見たのは初めてでは無いが、肩口を少し覗いただけでこの有様だ。

この女の裸など見てしまっては、仕事どころではなくなってしまうだろう。



「旦那さんはお優しいですね。ですが、良い物が売れたのに、あまり嬉しそうには見えません。」


痛い所を突かれた。

俺は気分が顔に出る。

「商売には向かん」と、親父にも兄にも何度も言われた。


「『旦那さん』なんてよしてくれ。俺はただの番頭だ。しがない呉服屋の次男坊だよ。親父と兄は、今頃物見遊山で伊勢参りさ。」



冬場の呉服屋は客足が遠ざかる。

俺に店を任せて、一年の疲れを癒しに親父と兄は先月湯治がてら伊勢へと出かけた。

「お前も修行のつもりで、一人で店を切り盛りしてみせろ」だそうだ。

店を継ぐのは兄だというのに、随分と強引な言い訳だ。



「いくら上物が売れたところで、俺が店を継ぐ事になるわけじゃないからな。正直なところ、売れようが売れまいがどうだっていいのさ。」


「そう、なのですね。余計な事を言いました。」


「なに、あんたが謝る事はないさ。まぁ、俺達商売人は、伊勢より稲荷がお似合いだ。」


「稲荷は、あまり好きではありません…」




しまった…

俺は何やら、また余計な事を言ってしまったようだ。



女の顔がまた暗くなる。

これだから女は苦手だ。

さっきまで菩薩のように笑っていたかと思うと、今度は土砂降りの雨模様のような顔で泣いたり怒ったりする。

万華鏡を相手にしているようで、生きた心地がしない。



「さぁ、終わりだ。手間取らせたな。出来る限り早く仕上げちまうから、待っててくれ。」


「いえ…その…ゆっくりで、ゆっくりで構いませんから。」



不思議な事を言う女だ。

まるで、そんな羽織など着たくないと言うような顔付き。



「おおい。お客様のお帰りだ。」


俺がまた手を叩くと、にこやかに微笑みながら娘と手を繋いで女中が奥から現れる。


娘の顔は、大福の粉で口元が白くなっていた。


「おいおい。可愛がるのは構わんが、化粧までしてやったのか?」


俺の冗談で、女達はころころと笑う。



帰り際、店の前で頭を下げる女の隣で、満面の笑みを浮かべたまま、娘は腕が千切れそうなほど大きく手を振っていた。


俺の隣で、女中も嬉しそうに手を振り返す。

「良かったな、よねさん。あの娘、あんたの孫くらいの年頃だろう。」


「えぇ。流行り病で亡くしましたが、生きていればあのくらいだったでしょうね。」



しまった…

俺はまた一言余計な事を言ったようだ。


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