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色街の鬼
弍 名無しの鬼
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「ごめんくださいませ。」
数日経った頃、あの女がまた店に現れた。
あの時の可愛らしい禿を伴って。
「おぉ。あんたも気が早いな。まだ何も出来上がってねえってのに。」
「いいえ、今日はこの子が。どうしてもここへ来たいと言うので。」
女の隣で、禿がお日様のように微笑む。
あの日よねさんと過ごした時間が、余程楽しかったのだろう。
「なるほどな。構わねえよ。おおい。」
俺が手を鳴らすと、草履をぱたぱたといわせながらよねさんが小走りで現れる。
まるで、自分の孫娘が帰って来たような気持ちなのだろう。
「よねさん、こっちにも茶と茶菓子を頼むよ。その子は、あんたに任せる。」
よねさんは嬉しそうに娘の手を握り、店の奥へと引っ込んで行った。
「すみません。商いのお邪魔をしてしまって。」
「別に構わねえよ。どうせこの時期には滅多に客なんざ来ねえからな。あの娘、よねさんの亡くなった孫娘に似てるみたいでな。あの人の気晴らしになるなら、丁度良いさ。」
俺が笑うと、女もにこりと微笑んだ。
暖かい日が差し込む朝の縁側に、茶を挟んで並んで座る。
女房をもらうとこんな気分になるのか、なんて柄でも無い事を考えてしまう。
俺がふと女の方に顔を向けると、女は不思議そうな顔をして見つめ返し、にこりと微笑む。
こんな無垢な顔をする女が、遊女だなんて信じられねえ。
やはり、女は鬼か魔物だ。
「そういや、名を聞いていなかったな。あんた、名は?」
「ふふ。きちんと台帳に『鬼』と書いたでしょう。」
名を書かなかったのは、この女なりの『悪戯』のつもりなのだろう。
名を聞かなくても、こんな美しい女などそうそう居るものではない。
「ふざけるなよ。そんな恐ろしい名前の娘が居るかよ。」
俺は、返し方が分からずぽりぽりと頭を掻いた。
茶を取ろうと前屈みになった女の髪の上で、見事な金の花簪が揺れる。
「それ、見せてもらえるかい?」
「これですか?」
女が艶のある黒髪からするりと簪を引き抜き、俺の手のひらに乗せる。
一瞬触れた指先の感触が、何とも言えず温かかった。
「勿体ねえな。飾りが壊れてやがる。」
「あぁ…それは、以前一度人手に渡ってしまった事があるんです。その時壊れたのかもしれないんですが、何度直してもらっても気に入らなくて。両親の、形見なんです。」
しまった…
またやった…
「そうかい。悪い事聞いちまったな。」
「いいえ。昔の話ですから。」
「綺麗な女になって、親父さんもお袋さんも喜んでるさ。」
「…え?」
「あ、あぁ、すまねぇ。気にしないでくれ。」
「ふふ。」
「なんだよ。」
「いえ、そんな風に真っ直ぐに私の目を見て『綺麗だ』なんて言う男の人を、初めて見たものですから。」
「お、おいおい!からかうなよ!」
「ふふふ。」
耳から火が出そうだった。
鈴が鳴るような笑い声で、俺の心は溶けてしまいそうだった。
楽しい時間ほど、流れるのは早い。
そろそろ帰らねばと女が腰を上げ、俺はよねさんを呼び出す。
今度は砂糖菓子で口の周りが光っている娘の手を引いて、よねさんが現れた。
「よねさん。今度は紅でも引いてやったのかい。」
あの日のように女達は笑い、二人は帰って行った。
「若旦那。また、来てくれますかね?」
「さぁな。あの二人は、色街の人間だ。俺達とは住む世界が違う。あまり心を移さない事だ。別れが辛くなっちまう。」
俺に言われて、よねさんの顔が曇る。
俺は、よねさんに言っているふりをして、自分に言い聞かせていた。
数日経った頃、あの女がまた店に現れた。
あの時の可愛らしい禿を伴って。
「おぉ。あんたも気が早いな。まだ何も出来上がってねえってのに。」
「いいえ、今日はこの子が。どうしてもここへ来たいと言うので。」
女の隣で、禿がお日様のように微笑む。
あの日よねさんと過ごした時間が、余程楽しかったのだろう。
「なるほどな。構わねえよ。おおい。」
俺が手を鳴らすと、草履をぱたぱたといわせながらよねさんが小走りで現れる。
まるで、自分の孫娘が帰って来たような気持ちなのだろう。
「よねさん、こっちにも茶と茶菓子を頼むよ。その子は、あんたに任せる。」
よねさんは嬉しそうに娘の手を握り、店の奥へと引っ込んで行った。
「すみません。商いのお邪魔をしてしまって。」
「別に構わねえよ。どうせこの時期には滅多に客なんざ来ねえからな。あの娘、よねさんの亡くなった孫娘に似てるみたいでな。あの人の気晴らしになるなら、丁度良いさ。」
俺が笑うと、女もにこりと微笑んだ。
暖かい日が差し込む朝の縁側に、茶を挟んで並んで座る。
女房をもらうとこんな気分になるのか、なんて柄でも無い事を考えてしまう。
俺がふと女の方に顔を向けると、女は不思議そうな顔をして見つめ返し、にこりと微笑む。
こんな無垢な顔をする女が、遊女だなんて信じられねえ。
やはり、女は鬼か魔物だ。
「そういや、名を聞いていなかったな。あんた、名は?」
「ふふ。きちんと台帳に『鬼』と書いたでしょう。」
名を書かなかったのは、この女なりの『悪戯』のつもりなのだろう。
名を聞かなくても、こんな美しい女などそうそう居るものではない。
「ふざけるなよ。そんな恐ろしい名前の娘が居るかよ。」
俺は、返し方が分からずぽりぽりと頭を掻いた。
茶を取ろうと前屈みになった女の髪の上で、見事な金の花簪が揺れる。
「それ、見せてもらえるかい?」
「これですか?」
女が艶のある黒髪からするりと簪を引き抜き、俺の手のひらに乗せる。
一瞬触れた指先の感触が、何とも言えず温かかった。
「勿体ねえな。飾りが壊れてやがる。」
「あぁ…それは、以前一度人手に渡ってしまった事があるんです。その時壊れたのかもしれないんですが、何度直してもらっても気に入らなくて。両親の、形見なんです。」
しまった…
またやった…
「そうかい。悪い事聞いちまったな。」
「いいえ。昔の話ですから。」
「綺麗な女になって、親父さんもお袋さんも喜んでるさ。」
「…え?」
「あ、あぁ、すまねぇ。気にしないでくれ。」
「ふふ。」
「なんだよ。」
「いえ、そんな風に真っ直ぐに私の目を見て『綺麗だ』なんて言う男の人を、初めて見たものですから。」
「お、おいおい!からかうなよ!」
「ふふふ。」
耳から火が出そうだった。
鈴が鳴るような笑い声で、俺の心は溶けてしまいそうだった。
楽しい時間ほど、流れるのは早い。
そろそろ帰らねばと女が腰を上げ、俺はよねさんを呼び出す。
今度は砂糖菓子で口の周りが光っている娘の手を引いて、よねさんが現れた。
「よねさん。今度は紅でも引いてやったのかい。」
あの日のように女達は笑い、二人は帰って行った。
「若旦那。また、来てくれますかね?」
「さぁな。あの二人は、色街の人間だ。俺達とは住む世界が違う。あまり心を移さない事だ。別れが辛くなっちまう。」
俺に言われて、よねさんの顔が曇る。
俺は、よねさんに言っているふりをして、自分に言い聞かせていた。
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