少女は夜に道化師となる

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第3章

鬼とピエロ

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時は遡り9年前。
校舎3階の女子トイレに水音が響く。女生徒達の笑い声と走り去る足音。後に残ったのは水の滴り落ちる音だけ。

「寒っ…」

1人呟いたその声は虚空へ消えていった。少女は濡れた体のまま学校を後にした。家への道の途中、すれ違う人々が好奇の眼差しで少女を見てコソコソ話している様だが、気にする様子もなく家に帰りドアを開ける。
家の中は物音1つ無くシンとしている。少女は自室に向かい制服をハンガーに掛け、暖房をつける。そしてベッドへ倒れ込んだ。少女は目を閉じ、死んだように静かに闇へと沈んでいった。
部屋のドアを叩く音。少女は目覚めた。
重たい瞼を開くと部屋が暗くなっていた。
窓の外を見て少女は思った。

「(あぁ。夜が来たんだ)」

少女は立ち上がり一層強く叩かれるドアを開けた。目の前にはいつもと同じ鬼。肉体は死なない程度に壊し、精神へ毒矢や刃物で傷つけにくる。

「ちょっと!何寝てんのよ!あんたに休息なんて無いんだけど!ほら、早く飯作ってよ!」

鬼は醜い怒声を喚き散らし1階へ戻っていった。
少女は冷ややかで光の無い瞳と絶望し諦めた声で呟いた。

「私って…?」

そして少女は鬼の巣食う間に向かった。階段を降り、廊下を進むとリビングへ続くドアがあり、ドアノブに手をかける。
中から2人の声が聞こえドアを開けるのを止めた。

「おい。飯まだかよ」
「今起きたみたい」
「ったく、本当使えねぇガキだな。なんであんな使えねぇの産んだんだよ」
「中絶したらうちの親がうるさいの。私だって産みたくなかったわよ。あんな金がかかるだけでなんの役にも立たないガキ。でもしょうがないじゃん」
「チッ。…そうだ。ならあのガキ殺そうぜ」
「出来ることなら私もそうしたいけど難しいの。最近警察までも疑ってうろついてんの。児相も時々来るし」
「はぁ?なんでだよ」
「私にだってわかんないわよ」

少女は話が途切れたタイミングでドアノブに手をかけドアを開けた。二人の視線がチラッと向けられたがすぐ戻し別の話を始めた。少女はキッチンへ向かいエプロンを付け料理を始めた。リズム良く食材を切る音がし、香ばしい香りと鉄の上で踊る食材の軽やかな音がリビングに広がった。少女は機械人形の様に表情1つ変えず、ただ黙々と作業をこなしている。15分程で完成し、テーブルに料理が並んだ。

「おっ、ようやく出来たか。ったく、のろまだな。もっと早くしろよ。…亀かよ。テメェは」
「……ごめんなさい」
「はぁ。もうあんたは部屋に戻って頂戴。邪魔だし目障りなのよ」
「はい…」

少女はリビングを後にし、自室へ戻った。
戻った少女はベッドに寝ころびヘッドフォンを耳に着け音楽を聴きながらただ時間が過ぎるのを待った。
寝てしまったのだろうか。時計の針は夜中の1時を指していた。
少女はタンスから黒いフード付きのパーカーと黒ズボンを取り出し着替えた。そしてフードを被り階段を降りて行った。家の中は真っ暗になっていた。両親は既に眠っているのだろう。
そのまま玄関へ向かい履きなれた運動靴を履き、静かにドアを開け外へ出た。
普段は学生の声でうるさいこの通りも今は静寂に包まれている。等間隔に立っている街灯が夜の暗さをより不気味にさせる。
少女はポケットに手を突っ込み行き先を決めずプラプラと自由気ままに歩き出した。歩き始めて暫く経った頃路地裏から争う声が聞こえた。
そっと覗くと10人程の男が1人を殴り蹴りつけていた。やられている男は意識が無くなりそうなレベルにボロボロとなり反撃する余裕も無い様だった。少女はポケットから白マスクを取り出し着け、男達に近づいて行った。

「ねぇねぇ、お兄さん。楽しそうなことしてるね。僕も混ぜてよ」
「あぁ?見てわかんねぇのかよ。こいつと遊んでやってんだ。ってかてめぇ誰だよ」
「僕?んー。まぁ誰でもいいじゃん!それより、ねぇほら僕も混ぜてよ」
「んだと?邪魔するんじゃねえよ。こいつに用があんのは俺らなんだよとっとと帰れクソガキ!てめぇもボコボコにすんぞ!」
「それは嫌だなぁ。うーん」
「おら!さっさと消えろよ!」

1人が殴りかかろうとしてきた。
それを少女はスッとかわしドンッと音がした時には男は少女の下敷きになっていた。

「え…は?」

男は何が起こったのか理解できておらず、ただ困惑していた。

「な、なにしやがんだこの野郎!お、お前らやっちまえ!!」

男が叫んだ瞬間、狭く暗い路地裏にボキッという音が響いた。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「全く、理解力が無いんだから。お兄さんは僕にあっけなく倒されたの。なんでそれがわかんないかなぁ」

少女はニコニコと男の前にしゃがみ込んだ。

「せ、先輩!?」

男の部下であろう男が驚き声をあげる。

「お兄さん達それ以上僕の機嫌悪くさせないでよ。次はこっちの腕も折っちゃうよ?」
「ぐうう…っつう…」

男は呻き声をあげ悶えている。仲間は皆その場から動けないでいた。すると一人の男がスッと少女の前に出てきた。

「……すまない。そいつの失態はこっちで片付ける。だからそいつを放してやってくれ。…お前は最近噂になってるピエロとかいう奴だろ」
「あっ、僕の事知ってたんだ」

少女の名を聞いて何人かの男は気づいた様だが、それ以外の男は皆笑っている。

「先輩!ピエロってなんすか?超中二病みたいじゃん!ははっ!」
「ピエロ…最近、ここいらで暴れてる不良やクズ共を粛清してる奴がいるとかいう噂が立っていた。しかも1人で。噂だとそいつは、身長と声の感じから中坊だって言われてる」
「へー、でも中学生なんかのガキがこんなに強いなんてありえないっすよ。先輩はきっと油断してただけなんじゃないっすか?俺、本気でやったら流石に負ける気しないんすけど」
「馬鹿野郎。甘く見てんじゃねえ。あいつだって弱いわけじゃねえし、いくら油断してたからとはいえそこらのガキに腕折られるほど軟じゃねえよ」
「……」
「スピード、身のこなし、俊敏さ、パワー、技術。そのどれもが優れている。全部バランス良く力がついてて勝てるやつなんざ、余程な人間じゃねえ限り居ねえよ」
「まじっすかー?こんな女みてぇにひょろっちい奴が?噂じゃないんすか?たまたまこいつに負けためっちゃ弱い奴が言いふらしてるだけとか!」

男の1人が信じられないというように煽っている。
すると、暫く黙っていた少女が口を開いた。

「……ならお兄さん。僕とやる?」
「いいっすよ。先輩も見ててください!俺が倒して噂だって証明してやりますよ!」

少女はニヤリと不気味に笑った。
そして笑ってた男達が少女を囲み、それ以外の男達は路地の奥の方でため息を吐いていた。
男は全員が周りに付いたのを確認して

「行くぜ!!!」

男の合図と共に全員が動いた。
1人の男が少女の顔めがけて殴りかかろうとしたが軽く避けられてしまい、男は勢い余ったせいで避けることすら出来ず、少女に殴られ壁にぶつかった。そして立ち上がることも、呻くこともないまま意識を失った。
もう1人は2人で少女に向かって走りだした。両サイドから、1人は少女に殴りかかり、1人は蹴りかかろうとした。だが、少女は腕を掴み、蹴りを足で止め、ふわりと浮いたかとおもうと、もう片方の足で顔面に蹴りをくらわせた。男は衝撃で吹き飛んだ。
そして腕を掴んでいる方を自分側に引き、もう片方の手で殴った。拳は男の顎にクリーンヒットし、脳が揺れた事でフラフラと倒れてしまった。3人K.О.となり残り4人。
そのうち2人は怖くなり逃げ出し、残り2人。
2人は殴りかかるが、少女にひょいと避けられてしまい、勢いに乗っている2人のうち少し太っている男の頭を掴みそのまま壁に打ちつけた。男は額から血を出し倒れてしまった。そして残った1人。

「っ!…なんでこんなに強いんだよっ!俺のダチ皆やりやがって!」

逆上した男はポケットから何かを出し、ソレは月明りに照らされキラリと光った。
しかし少女は動じなかった。
男は少女へ向かい、ナイフを振った。
サッと少女は避けたと思われたが、マスクが切れ、白のマスクが赤く染まっていた。

「っしゃ!一発やってやったぜ!先輩ー!見てたっすか~?」

男は先輩と呼んでる者達に話しかけたが、顔を青くする者やため息を吐く者、隠れる者、皆それぞれの反応を示し、返事を返す者はいなかった。

「先輩?聞こえてます~?」

次の瞬間男の体が宙へ舞った。少女が男の顔を殴り、ふらついたところに腹を思いっきり蹴り上げたのだ。一瞬の出来事に皆目を見開いている。そして地面に落ちた男は苦しそうに呻き声を上げている。
その傍に近づき、少女は言った。

「お兄さん。何ナイフなんて出しちゃってんの?僕の顔傷ついちゃったじゃん。どう責任取ってくれるの?…あ、そうだ。お兄さんもやってあげるね!カッコよくしてあげるから安心して!」
「は!?な、なに言って――――!」

少女は男の手を引っ張り、落ちていたナイフを掌に振り下ろした。

「ぐうっ!あ゛ぁあああああ!!!」

男の悲鳴が路地裏に響き渡った。

「どうしたの?気に入らない?」
「な、なにすんだ!このクソガキ!!ふざけてんじゃねえぞ!!!」
「うーん。あ!もしかして違う場所の方が良かった?」

そう言うと今度は肩甲骨目掛け…

「あ゛あああああああ!」

男はさらに悲痛な悲鳴を上げている。
少女は光の無い瞳で男を見ていた。
月明りに照らされ、切れたマスクから微かに覗く口は笑っている。

「お兄さん。まだ終わってないよ?もう終わりなの?…でも僕の顔傷ついちゃったし、ほら。お兄さんの汚い血も僕の服に付いちゃった。どうしてくれるの?」
「う゛っ…く、くたば…れ…」
「フフッ、そっか~。了解!もっとカッコよくなりたいんだね!わかった!」

そして更に男の腕に向かってナイフを振り下ろした。
しかし

「……なに?お兄さん、邪魔するの?」

サングラスをかけ、全身スーツに身を包んだ1人の男が、少女の振り下ろした腕を掴んだ。

「すまない…ナイフを放してくれないか?」
「なんで?このお兄さんから僕に向かってきて、しかも僕を傷つけたんだよ?」
「そうだ。確かに話を聞かなかったコイツが悪い。後でコイツはこっちで片づけておく。俺たちの教育不足で調子に乗らせてお前にケガさせたことは謝る。すまなかった」

男は謝った。

「うーん。でもなんでお兄さんが謝るの?」
「俺のせいでもあるからだ。コイツを俺らのチームに入れて教育してるのは俺だ。下の者がやらかしたならその責任は上が取る。だからナイフを下ろしてくれ」
「…わかった。お兄さんに免じてこのお兄さん許してあげる」
「申し訳ない。ありがとう」
「じゃあさ、許す代わりと言っちゃ何だけど、お兄さんの名前教えてもらっていいー?あと年齢も教えてね!覚えておくからさ!」

少女は壁にもたれかかりナイフを投げ捨て、腕を組んだ。
やられた男は仲間によって運ばれ、路地裏の奥へ消えて行った。
残った少女と男。
先ほどの喧騒とした空気が変わり、涼やかなやわらかい風が路地に吹き込んでいる。
そして月明りに照らされ、闇夜に浮かんだ男はこう言った。

「桜慎太郎。19だ」
「そっ、桜さん。OK。今回は桜さんに免じてあのお兄さん見逃すけど、次また同じ事してたその時は…」
「次はない。もしやったら好きにしてくれて構わない」
「OK。じゃあね」

そういうと男は軽く頭を下げ路地裏に消えていき、少女は来た道を戻った。
そういえば、リンチされていた男がどうなったのかというと、少女が現れた時に逃げて行ったらしい。

血で汚れた顔と服を着て、街灯が細々と照らす暗夜を一人歩く少女は何を思う。
ピエロと呼ばれる少女の本当の顔はどれなのだろうか。
真実は少女にしかわからない。…いや、少女にもわからないのかもしれない。
家へ帰り、鍵をそっと開け中に入った少女は、そのまま風呂へ向かった。汚れた服と体、そして黒い心を洗い流す為に。
熱いシャワーを出し頭から浴びる。

「痛っ…」

シャワーが切られた頬に沁みる。

「(こんな痛みに負けるほど私は弱くない…。こんなのはもう慣れた。夜の奴らは半殺しにしてやった。昼は…いつか…いつか殺してやるって心に決めてんだ。それまではいくらでも我慢してやる…)」

温まり、綺麗になった体を拭き、パジャマに着替え、汚れた服を持って自室へと戻った。少女は服をハンガーに吊るし、クローゼットに戻して頬に小さな絆創膏を貼りベッドに倒れ込んだ。
そして数秒足らずで眠りに落ちた。
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