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1.決意の日と、始まりの人。
1#4 玉都
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そうと決まれば行動あるのみだ。俺は玉都へ母さんを尋ねに行く。
と、意気込んだのは良いものの、実は俺、母さんが玉都のどこにいるのか知らないんだよな。本家屋敷の場所は数度訪れたことがあるから知ってるんだけど、そこには母さんいなかったし……どこにいるんだろ。大人なら知ってるかな。
ということで俺は丁度目の前にいる大人に訪ねてみることにした。
「なあ、ヨーセフ、俺の母さんってさ、どこに住んでるか知ってる?」
「……はぁ、僕の話全然聞いてくれてないと思ったら、そんなこと考えてたんですか」
ニ十代前半くらいのヨーセフは気弱だしひ弱だしちょっと僻みっぽくて根に持つ奴だけど、俺の言葉遣いをたまにしか注意しない数少ない理解者だ。
少なくとも屋敷の中に住んでる人間――ルゥ婆とユールグは屋敷の外で暮らしてるから――じゃ一番信用出来る奴だろう。あんまり頼りにはならないが。
今は丁度そのヨーセフの授業の時間なのだ。夕食前の短い時間を利用した基礎教養のお勉強だ。
勉強のためだけに準備された小さな――とは言ってもルゥ婆の小屋と同じくらいの一室。
この部屋は歴代のティストの子供が勉強を教わった部屋とかで、行き届いた清掃の中にも隠しきれない年季が窺えた。
宗の時に通っていた小学校の教室に、広さは違えどよく似た雰囲気だ。おかげで勉強するのにも似たような気分にさせられて気が滅入るやら馴染むやら不思議な気持ちだ。
そんな教室の中央に俺用の豪奢な机が一脚、向かい合わせに教師用のそれなりの机が一脚並ぶ。
壁際には様々な用具や教科書替わりの書物をしまっておく棚や本棚が並んでいた。何よりこの部屋を教室めいたものにしているのは、正面の壁に据え付けられた大きな黒板だろう。そこには既にここ最近、とは言っても情報伝達手段が限られた時世故、年単位の国家間での出来事が半分ほどを使って板書されている。
俺の質問、「母さんの居場所を知ってるか?」って言葉に、ヨーセフがチョークを持つ手を止めて振り返った。
「勿論存じてはいますよ。ティスト家ほどの家格です、貴賓街も玉城がお側、内周に屋敷を構えておいでです」
貴賓街? 内周? よくわからんな……。
「詳しい場所は?」
「それは……ご存知の通り、貴賓街に入るのもある程度の身分が必要であれば、内周は約定を取り付けた人間しか訪(おとな)うことが許されておりません」
なるほど。貴賓街ってのは察するに貴族の街。内周ってのはその中でも更に警備の厳しい区画ってことか。
「僕みたいな平民では近づいただけで衛士に職務質問されちゃいます。無論、内周及び王城の詳細な見取り図も王家の極秘事項として取り扱われているので、僕なんかが目に通す機会は一生ありませんよ」
「つまり?」
「つまりですね、お嬢様の母君が住まうお屋敷の場所もまた、玉城並みに厳重な警備と入退管理がなされているということです」
「……要するに?」
「要すれば、如何なお嬢様と言えどもそう気安く母君を訪ねる事は出来かねるということですね。約定の取り付けもまずは玉都内の役所に届け出た後、貴賓街外周の面接所で――」
「俺は母さんの家の詳しい住所を聞いてんだ! 回りくどいし脱線してるわ! 結局ヨーセフは知らないってことだな!?」
「あー……」
俺に怒鳴られたヨーセフは手に持っていた教科書替わりの書物で口元を隠し、何かを探すように視線を彷徨(さまよ)わせた後、
「……はい」
と身を小さくして肯定した。
どーせ知らないって素直に答えるのも癪(しゃく)だからあれこれ言を左右にお茶を濁そうとしてたんだろうけど、そんなんが通用するのは十歳程度の子供までだぞ、ったく……!
……いやまて俺がそうか。中身が伴ってないだけで。
しかし、世事に一番詳しいヨーセフがこの有様か……ユールグは逃げ出すように昨日の内に旅に出ちゃったし、屋敷からあまり出ないルゥ婆はこうした細かい手続きみたいなのは知らないだろうしなぁ……。
そもそも子供だけでどうにかなるのか?
話を聞いてる限りだと、いくらティストの娘だからって、おいそれと通過させてくれる様子じゃないしなぁ……。
結局親父の許可が必要だってんじゃ、こっそり母さんに言いつけるって目論見そのものがパアになっちまう。はてさてどうにかならんものか。
「なあ、訪ねる相手がはっきりしてて、きちんと手続きをクリアしたなら、母さんの住所を教えて貰ったりできないかな?」
「それは……出来ると思いますよ。国外から訪れた客人の中には、名前だけで訪ねられる方も多いですから」
ヨーセフは気は小さいが結構タフだ。ちょっと怒られたくらいならすぐに復活してくれる。この辺の取り回しやすさもこいつの魅力だろうな。
「なるほど、そうなると問題はどうやって入門許可を取りつけるかってことだな。許可って申請してからどれくらいで降りるもんなんだ?」
「早くて一年ですかね」
「一年かぁ……って一年はねーだろ!?」
「貴賓街内周への訪問申請は玉城のそれと同格に扱われ、取り扱う部署も同じなのです。内周だけでも百家以上ある貴族への申請が、月に何件あると思います? そこへ玉城への登城申請、他にも処理する事案は山ほどあります。それこそ、青爵位当主並みの立場がないと、そこに割って入る事なんてできませんよ」
俺の立場は父親が青爵位の当主であるってだけののただの小娘。貴族としての知名度はないに等しいから立場とすら呼べない立場だ。
「つまり、正攻法じゃ母さんの顔も見れないってことか……」
「それが貴族という人種なんです」
人の上に立つために人が持つ当たり前のものを捨てたって感じだな……宗の人生で親に顧みられないってことに慣れてたから、今までシューレリアとして生きてきて親がそばにいなくても不都合は感じなかったけど……改めて考えてみれば異常だなぁ。
家族にちょっと会うだけで一年も待つ手続きを経なければいけないとか、正気の沙汰じゃないだろ。
「くそっ、明日にでも母さんに会って親父の横暴をなんとかしてもらいたいのに……」
「御館様(おやかたさま)の横暴? お嬢様は母君に御館様の行状を密告なさるおつもりですか」
この屋敷の人間は当主であるはずの親父を『御館様』と呼ぶ。理由はよくわからんが、習わしみたいなものだろう。
「悪いか」
「いえ、良いとか悪いとかではなくてですね……」
俺に睨まれたせいか、ヨーセフは奥歯にものが挟まったような物言いで口籠った。雇い主の娘だからって、十歳の女の子に睨まれて後込みするなよな……まあ、そこが扱いやすいんだけど。
「するもしないも、まずは母さんに会わなきゃな……」
黙りこくったヨーセフを無視して独りごちる。
親父の所業を訴えて、母さんに取り為してもらわないと、俺の今後の生活が危ういのだ。
確かにティスト家に生まれた俺にとっての幸せは、玉城の中に居場所を設ける事なのかもしれない。そうすれば青爵という後ろ盾と相まって、俺の人生は盤石だ。一生何不自由なく暮らせるだろう。
宗の生きていた時代、国とは比べ物にならないほど不安定で貧富の差もヒエラルキーも厳しいこの世界で、これはもう最大限の幸運と呼んで差し支えないものだろう。
アマル村のシューの人生で、底辺から天上人を羨んだ経験もある俺にとっては、わかりすぎるくらいわかる道理だった。
だが同時に、その太平楽に胸騒ぎを覚えているのも確かだった。
本当にそれで俺は幸せになれるのか? 貴族の娘としてもてはやされ、誰かの妻になり、母になり、子に看取られて死ぬことに俺は耐えられるんだろうか?
まだ女としても扱ってもらえない十歳の子供には、ましてや三十年以上男として生きてきた魂には、その答えが一向に見えてこない。
目先の幸せか、五里霧中の先にある不安か。利口な選択肢がどっちかなんて、わかり切っているのに、俺は選ぶことが出来ずにいる。
母さんに会いたいのだって、もしかしたら親父云々以前に、貴族の女の先輩としてその考えを聞きたくて会いたいだけなのかもしれない。
だとしても、会いたいってことに変わりはない。俺はどんな手立てを使ってでも、母さんに会うんだ。
その為にはどうしたらいいのか……。
「ヨーセフ、明日じゃなくてもいい。母さんとちょっとでいいから話せる機会を、近日中に準備する方法はないかな」
黙り込んだ俺を納得したものと見たのか、授業に戻ろうと背中を向けた身体で、首だけをこちらに巡らせる。
「難しいですね。さっきも申しました通り、何重にもある手続きを経なければ本来は叶わぬ面会ですから。しかしまぁ……ふむ……可能性がないわけでもないですが――」
わずかな希望を見出した俺が身を乗り出したその時だった。
控えめな音を立てて、教室の両開きの扉の片方がわずかに開いたのだ。
「あの~……シュー様は――」
少しだけ開いた扉の隙間から顔を覗かせたのは、リリカだった。
リリカの困惑した眼差しが、机の前の俺に留まる。
「あ、シュー様!」
その時の嬉しそうな声音と言ったら、普段であれば授業そっちのけでリリカに応じるとこなんだけど、今はそんな気分になれなかった。
母さんに会うために乗り越えなければいけない問題の大きさに辟易していたこともあったし、そもそもこんな面倒な気分に苛立っていたのもあってだ。
「リリカ……」
「シュー様、あのね~、私、今日、ルクレーツェ先生にね――」
ルクレーツェ先生とは修道士としてのリリカの面倒を見ている上級徒弟修道士の女性だ。
彼女の名前が出てくるってことは、今の俺の問題には直接関係ないだろう。
「ごめんリリカ、今はその話後にしてくれないか?」
扉の隙間のリリカの顔が、ふっと曇った。しかし、今はそんなこと気にしていられないんだ。
「夕食が終わったら話を聞くからさ、俺の部屋で待っててくれないか?」
「……はい、わかりましたぁ……」
リリカが聞きわけ良くて助かった。
小さな音を立てて扉が閉められるのを確認してから、俺はヨーセフに向き直る。
「いいんですか、リリカさん放っといて」
「へ? 大丈夫だろ。リリカだってもう小さな子供じゃあるまいし。俺の部屋だってよく知ってるし」
ヨーセフは何かを考え込むように眉根を寄せたまま黙り込む。
「そんな事よりさ、どうにかして母さんに会う方法を考えてくれよ!」
俺に促されて、ヨーセフは諦めたように大きな溜息を吐いたのだった。
と、意気込んだのは良いものの、実は俺、母さんが玉都のどこにいるのか知らないんだよな。本家屋敷の場所は数度訪れたことがあるから知ってるんだけど、そこには母さんいなかったし……どこにいるんだろ。大人なら知ってるかな。
ということで俺は丁度目の前にいる大人に訪ねてみることにした。
「なあ、ヨーセフ、俺の母さんってさ、どこに住んでるか知ってる?」
「……はぁ、僕の話全然聞いてくれてないと思ったら、そんなこと考えてたんですか」
ニ十代前半くらいのヨーセフは気弱だしひ弱だしちょっと僻みっぽくて根に持つ奴だけど、俺の言葉遣いをたまにしか注意しない数少ない理解者だ。
少なくとも屋敷の中に住んでる人間――ルゥ婆とユールグは屋敷の外で暮らしてるから――じゃ一番信用出来る奴だろう。あんまり頼りにはならないが。
今は丁度そのヨーセフの授業の時間なのだ。夕食前の短い時間を利用した基礎教養のお勉強だ。
勉強のためだけに準備された小さな――とは言ってもルゥ婆の小屋と同じくらいの一室。
この部屋は歴代のティストの子供が勉強を教わった部屋とかで、行き届いた清掃の中にも隠しきれない年季が窺えた。
宗の時に通っていた小学校の教室に、広さは違えどよく似た雰囲気だ。おかげで勉強するのにも似たような気分にさせられて気が滅入るやら馴染むやら不思議な気持ちだ。
そんな教室の中央に俺用の豪奢な机が一脚、向かい合わせに教師用のそれなりの机が一脚並ぶ。
壁際には様々な用具や教科書替わりの書物をしまっておく棚や本棚が並んでいた。何よりこの部屋を教室めいたものにしているのは、正面の壁に据え付けられた大きな黒板だろう。そこには既にここ最近、とは言っても情報伝達手段が限られた時世故、年単位の国家間での出来事が半分ほどを使って板書されている。
俺の質問、「母さんの居場所を知ってるか?」って言葉に、ヨーセフがチョークを持つ手を止めて振り返った。
「勿論存じてはいますよ。ティスト家ほどの家格です、貴賓街も玉城がお側、内周に屋敷を構えておいでです」
貴賓街? 内周? よくわからんな……。
「詳しい場所は?」
「それは……ご存知の通り、貴賓街に入るのもある程度の身分が必要であれば、内周は約定を取り付けた人間しか訪(おとな)うことが許されておりません」
なるほど。貴賓街ってのは察するに貴族の街。内周ってのはその中でも更に警備の厳しい区画ってことか。
「僕みたいな平民では近づいただけで衛士に職務質問されちゃいます。無論、内周及び王城の詳細な見取り図も王家の極秘事項として取り扱われているので、僕なんかが目に通す機会は一生ありませんよ」
「つまり?」
「つまりですね、お嬢様の母君が住まうお屋敷の場所もまた、玉城並みに厳重な警備と入退管理がなされているということです」
「……要するに?」
「要すれば、如何なお嬢様と言えどもそう気安く母君を訪ねる事は出来かねるということですね。約定の取り付けもまずは玉都内の役所に届け出た後、貴賓街外周の面接所で――」
「俺は母さんの家の詳しい住所を聞いてんだ! 回りくどいし脱線してるわ! 結局ヨーセフは知らないってことだな!?」
「あー……」
俺に怒鳴られたヨーセフは手に持っていた教科書替わりの書物で口元を隠し、何かを探すように視線を彷徨(さまよ)わせた後、
「……はい」
と身を小さくして肯定した。
どーせ知らないって素直に答えるのも癪(しゃく)だからあれこれ言を左右にお茶を濁そうとしてたんだろうけど、そんなんが通用するのは十歳程度の子供までだぞ、ったく……!
……いやまて俺がそうか。中身が伴ってないだけで。
しかし、世事に一番詳しいヨーセフがこの有様か……ユールグは逃げ出すように昨日の内に旅に出ちゃったし、屋敷からあまり出ないルゥ婆はこうした細かい手続きみたいなのは知らないだろうしなぁ……。
そもそも子供だけでどうにかなるのか?
話を聞いてる限りだと、いくらティストの娘だからって、おいそれと通過させてくれる様子じゃないしなぁ……。
結局親父の許可が必要だってんじゃ、こっそり母さんに言いつけるって目論見そのものがパアになっちまう。はてさてどうにかならんものか。
「なあ、訪ねる相手がはっきりしてて、きちんと手続きをクリアしたなら、母さんの住所を教えて貰ったりできないかな?」
「それは……出来ると思いますよ。国外から訪れた客人の中には、名前だけで訪ねられる方も多いですから」
ヨーセフは気は小さいが結構タフだ。ちょっと怒られたくらいならすぐに復活してくれる。この辺の取り回しやすさもこいつの魅力だろうな。
「なるほど、そうなると問題はどうやって入門許可を取りつけるかってことだな。許可って申請してからどれくらいで降りるもんなんだ?」
「早くて一年ですかね」
「一年かぁ……って一年はねーだろ!?」
「貴賓街内周への訪問申請は玉城のそれと同格に扱われ、取り扱う部署も同じなのです。内周だけでも百家以上ある貴族への申請が、月に何件あると思います? そこへ玉城への登城申請、他にも処理する事案は山ほどあります。それこそ、青爵位当主並みの立場がないと、そこに割って入る事なんてできませんよ」
俺の立場は父親が青爵位の当主であるってだけののただの小娘。貴族としての知名度はないに等しいから立場とすら呼べない立場だ。
「つまり、正攻法じゃ母さんの顔も見れないってことか……」
「それが貴族という人種なんです」
人の上に立つために人が持つ当たり前のものを捨てたって感じだな……宗の人生で親に顧みられないってことに慣れてたから、今までシューレリアとして生きてきて親がそばにいなくても不都合は感じなかったけど……改めて考えてみれば異常だなぁ。
家族にちょっと会うだけで一年も待つ手続きを経なければいけないとか、正気の沙汰じゃないだろ。
「くそっ、明日にでも母さんに会って親父の横暴をなんとかしてもらいたいのに……」
「御館様(おやかたさま)の横暴? お嬢様は母君に御館様の行状を密告なさるおつもりですか」
この屋敷の人間は当主であるはずの親父を『御館様』と呼ぶ。理由はよくわからんが、習わしみたいなものだろう。
「悪いか」
「いえ、良いとか悪いとかではなくてですね……」
俺に睨まれたせいか、ヨーセフは奥歯にものが挟まったような物言いで口籠った。雇い主の娘だからって、十歳の女の子に睨まれて後込みするなよな……まあ、そこが扱いやすいんだけど。
「するもしないも、まずは母さんに会わなきゃな……」
黙りこくったヨーセフを無視して独りごちる。
親父の所業を訴えて、母さんに取り為してもらわないと、俺の今後の生活が危ういのだ。
確かにティスト家に生まれた俺にとっての幸せは、玉城の中に居場所を設ける事なのかもしれない。そうすれば青爵という後ろ盾と相まって、俺の人生は盤石だ。一生何不自由なく暮らせるだろう。
宗の生きていた時代、国とは比べ物にならないほど不安定で貧富の差もヒエラルキーも厳しいこの世界で、これはもう最大限の幸運と呼んで差し支えないものだろう。
アマル村のシューの人生で、底辺から天上人を羨んだ経験もある俺にとっては、わかりすぎるくらいわかる道理だった。
だが同時に、その太平楽に胸騒ぎを覚えているのも確かだった。
本当にそれで俺は幸せになれるのか? 貴族の娘としてもてはやされ、誰かの妻になり、母になり、子に看取られて死ぬことに俺は耐えられるんだろうか?
まだ女としても扱ってもらえない十歳の子供には、ましてや三十年以上男として生きてきた魂には、その答えが一向に見えてこない。
目先の幸せか、五里霧中の先にある不安か。利口な選択肢がどっちかなんて、わかり切っているのに、俺は選ぶことが出来ずにいる。
母さんに会いたいのだって、もしかしたら親父云々以前に、貴族の女の先輩としてその考えを聞きたくて会いたいだけなのかもしれない。
だとしても、会いたいってことに変わりはない。俺はどんな手立てを使ってでも、母さんに会うんだ。
その為にはどうしたらいいのか……。
「ヨーセフ、明日じゃなくてもいい。母さんとちょっとでいいから話せる機会を、近日中に準備する方法はないかな」
黙り込んだ俺を納得したものと見たのか、授業に戻ろうと背中を向けた身体で、首だけをこちらに巡らせる。
「難しいですね。さっきも申しました通り、何重にもある手続きを経なければ本来は叶わぬ面会ですから。しかしまぁ……ふむ……可能性がないわけでもないですが――」
わずかな希望を見出した俺が身を乗り出したその時だった。
控えめな音を立てて、教室の両開きの扉の片方がわずかに開いたのだ。
「あの~……シュー様は――」
少しだけ開いた扉の隙間から顔を覗かせたのは、リリカだった。
リリカの困惑した眼差しが、机の前の俺に留まる。
「あ、シュー様!」
その時の嬉しそうな声音と言ったら、普段であれば授業そっちのけでリリカに応じるとこなんだけど、今はそんな気分になれなかった。
母さんに会うために乗り越えなければいけない問題の大きさに辟易していたこともあったし、そもそもこんな面倒な気分に苛立っていたのもあってだ。
「リリカ……」
「シュー様、あのね~、私、今日、ルクレーツェ先生にね――」
ルクレーツェ先生とは修道士としてのリリカの面倒を見ている上級徒弟修道士の女性だ。
彼女の名前が出てくるってことは、今の俺の問題には直接関係ないだろう。
「ごめんリリカ、今はその話後にしてくれないか?」
扉の隙間のリリカの顔が、ふっと曇った。しかし、今はそんなこと気にしていられないんだ。
「夕食が終わったら話を聞くからさ、俺の部屋で待っててくれないか?」
「……はい、わかりましたぁ……」
リリカが聞きわけ良くて助かった。
小さな音を立てて扉が閉められるのを確認してから、俺はヨーセフに向き直る。
「いいんですか、リリカさん放っといて」
「へ? 大丈夫だろ。リリカだってもう小さな子供じゃあるまいし。俺の部屋だってよく知ってるし」
ヨーセフは何かを考え込むように眉根を寄せたまま黙り込む。
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俺に促されて、ヨーセフは諦めたように大きな溜息を吐いたのだった。
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