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1.決意の日と、始まりの人。
1#10 帰還
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「その突き当りを右でございます」
「はいよー」
今、俺達はルゥ婆の案内で出口を目指して遺跡の通路を歩いている。
とにかくルゥ婆を見つけることだけを考えてなんの用意もしていなかった俺達と違い、ルゥ婆はちゃんと帰り道の準備も怠っていなかったのだ。
なんでも、道すがらにマーカーとなる金属の重しを置いておき、それを電気でトレースして自分の辿ってきた道筋を確認できる雷門晶術があるのだとか。
物の本には『雷属性は攻撃に傾倒し柔軟性に乏しく、野蛮で粗野な晶種である。』とか知った風に書いてあったけど、こんな便利なこともできるんじゃないか。あの本を書いた奴、本物の雷門晶術士に会ったことがなかったんだろうな。
実はこの話を聞いた時、俺はこっそり嬉しく思っていた。本の話じゃないぞ。道標を残していたこと――つまりルゥ婆が生きて帰るつもりでいてくれたことをだ。
ヨーセフの奴がルゥ婆は身を捨てて当主の命を果たす気だとか抜かしやがるから、ルゥ婆が俺とリリカを見捨てたのかとも勘繰っちまってた。でもそれが思い過ごしだったんだってわかってほっとしたのだ。
とまれ俺の心境はともかく、俺は背中に背負った高性能ナビの言う通りに歩くだけで、帰り道を求めて右往左する心配が全くなくなった。
……心配がないと心配がないでただ歩くのも手持ち無沙汰になってきた。
「なあ、ルゥ婆、いくつか聞いても大丈夫か?」
俺が背中のルゥ婆に声を掛けても返事はすぐになかった。
「なんなりと」
寝ちゃったかなと思い始めた頃に、ようやく落ち着いた優しい声が応えてくれた。
「なんでルゥ婆は、こんな……」
意図してかそれとも別の理由か、ルゥ婆の置いた間に肩透かしを食らったようで言い淀む。少し、頭の中が混乱していた。
ヨーセフの話が本当ならば、ルゥ婆は母さんの命令でここに殺されに来たって事になる。
だけどルゥ婆自身は決して生を諦めていなかった。これは紛れもない事実だ。ヨーセフが嘘をついたわけじゃないだろうけど何か勘違いしてたってことになる。
だからきっと、母さんのことも間違いなんだ。でもティスト家の当主が母さんだって言うのは、否定しきれないものがある。みんな親父の事を『御館様』としか呼ばない。それって親父が当主じゃないからなんじゃないか?
そう考えるとヨーセフの言にも一部信憑性のある部分が出てきて……ああもう、何が本当で何が嘘なんだ……なんでこんなに、不安なんだ……?
そもそも母さんってどんな人なんだろう。
俺は信じたい、信じたいと思い込んでるが、信じるに足るほど母親のことを知らない。
今回、ルゥ婆に下された命令の無理無茶無謀は否定のしようがない事だ。命令そのものに悪意があるとしか思えない。その命令を母さんが出した。
当主である母さんがルゥ婆をいらないものとしてゴミみたいに捨て去ろうとした。これも否定しきれる証拠がないから事実だろう。
俺にとってルゥ婆は、いつも穏やかに笑って俺のことを見守ってくれる母であり、のんびり余生を楽しみながら俺の成長を楽しんでくれる祖母なのだ。妄想の中の実母以上に、大切な人なんだ。
もし、母さんがルゥ婆に死んで欲しいと思っているようなら、俺は――。
「そうですね……もうすぐ障(さわ)りもなくなりますし、良いでしょう」
「そこは左でございます」と道案内を挟みつつ、沈黙を破ってルゥ婆が語り出す。
リリカも気になっていたのだろう、俺の横でルゥ婆にじっと視線を預けている。前を向かないと転ぶぞー。
「マスター――御当主様は、ルゥに御慈悲を施してくださったのです。この任務を果たし帰還が叶えば、改めてシューレリア様の御側仕えとして置いて頂けると、約定して頂いたのでございますよ」
俺は息を呑んだ。ルゥ婆が俺を見捨てようとしていたなんて、勘違いでも考えてしまった自分に恥じ入った。
やっぱルゥ婆の本心は逆なんだ。ちょっとでも雇い主の無下な命令に抗おうと、俺のそばにいようと、なんとかその取引を取りつけてくれたんだ。
そう実感した時、何かが胸に溢れてきて言葉に詰まった。
「じゃあ、ばばさまはこれでシュー様のそばにずっといられるのね~?」
リリカが朗らかに聞いた。ルゥ婆が俺の背中の上でゆっくりと首肯した気配があった。リリカが踊り出しそうなほど嬉しそうに顔をほころばせて、踊る代わりに足を早くして通路を行く。
俺もリリカと同じ気持ちだ。走り回って飛び跳ねたい気分だったが、そんな事をしたら重症のルゥ婆に余計な負担をかけてしまう。ここは我慢我慢……。
ふと、背中のルゥ婆が妙に静かで、心中に嫌な予感がもやっと生まれる。
俺は何げない風を装って、ルゥ婆に声を掛けた。
「なあ、ルゥ婆、さっきのレッサードラゴンとの戦いの時、すんごい機敏に動いてたけど、ルゥ婆って武術もこなせるのか?」
「……いえ、あれは身体能力を強化する門晶術ですよ。雷属性特有のものでしてね、ゲホっ……」
あ、大丈夫だった。急に静かになるもんだから、安心させておいて御臨終とか笑えないパターンかと思っちゃったじゃんかよ。
「人間の身体を司る部分を弱い電流にて操作し、通常以上の力を引き出す術なのですが……少しでも調節を間違えますと、一瞬にして肉体を破壊しかねない諸刃の刃なのでございます……ケフッ、ェホッ」
でも苦しそうなのは気掛かりだ。早く外に出て、他の修道士に見せないとな。
わずかな焦りを隠すように、俺は口で平然とした風を装う。
「そういう門晶術なのか。いいなあ、ルゥ婆の戦いを見てたら、俺も雷属性の門晶が良かったって思えてきたよ」
ふむ、言ってから気づいたけど、特に俺の剣術と合せれば肉体強化して目にも留まらぬ速さで敵を切り刻むとかそんなこともできそうだな。なんかそれって必殺技っぽくてかっこよくね? っていうかやりたいぞ、すごく。
「……うん、マジで羨ましくなってきた」
心の底からの俺の言葉に、ルゥ婆が上品に笑う。
「ほっほ、雷も良い事ばかりではございませんでな。少なくとも剣を振り回しながらでは無理でございますよ」
む、俺の考えはお見通しってか。
「雷属性の晶種は調整が難しいとか、範囲の広さから扱いが難しいとか、そもそも雷属性を扱える術士が少ない為に論理の開発が遅れているとか、いろいろと他の晶種に比べて制約が多いのでございます。それに引き換えシューお嬢様の『熱属性』はとても応用の利く、使いでのある晶種でございます。もしお嬢様にその気があれば、きっとルゥなんか足元にも及ばない使い手にご成長遊ばれますからに、ルゥは楽しみなんでございますよ」
「そうなのか? じゃあ、ルゥ婆の期待に応えないとな」
その期待がこそばゆいぜ。
俺とルゥ婆の遣り取りを控え目に訊いていたリリカの嬉しそうな笑顔も眩しい。
なんか、生き残れたんだって実感が幸せだな……。
「しかし、ルゥはこうも思うのですよ……」
物思いに耽る俺の耳を、ルゥ婆のそんな切出しがそばだたせた。
「シューお嬢様をこのままティストの家に縛り付けておいて良いのか、と」
その言葉は、俺の胸を抉った。
自分で思うよりも、他人に……ルゥ婆に言われたのが、何より堪えた。
「お嬢様は幼き頃より、じっと遠く遠くに視線を投げかけておられる時がございましたな。ルゥにはその視線が、何か遠い彼方に待ち受けるものを欲するように思えてなりませんでした。それに加えて、幼少時からの利発に過ぎるお人柄。ルゥはそれを見せつけられるたびに不安に思っていたものでございますよ」
滔々と、ルゥ婆の声は暗くはないが明るくもない遺跡の通路に流れていく。
「ルゥの不安とは即ち、お嬢様の身の丈の巨大さです。貴族は王族に次ぐ権威をお持ちではありますが、その代償に人であることを悉(ことごと)く否定されるお立場であることも事実です。貴族の世界とは全てを内包しているようで、とても狭い檻のような世界なのでございますよ……」
一気に喋って少し苦しそうに咽(むせ)た。
この歳まで貴族というものを身近に見て、その貴族の因縁に殺されようとしていただけあって、ルゥ婆の言葉は重く俺の心に圧し掛かってくる。
「お嬢様を待ち受けているもの……運命とでも呼ぶべきそれは、貴族の檻に身を置いたお嬢様では到底受け止められるものではないのではないかと、お嬢様はこの広い世界に飛び出して、見聞と絆を深めてその運命と対峙しなければいけないのではないかと、そう思わずにはいられないのでございます……」
言い終えたと思った瞬間、まるで出すべきものを全部出して萎んでいくかのようにルゥ婆の身体が小さく、軽くなっていく錯覚に襲われた。そんな事はあるはずがないのに、その錯覚に返すべき言葉を見失う。
そもそも俺は、ルゥ婆の想いをまっすぐに受け止めることが出来なかった。俺だって貴族になりたくないと思い始めた頃から、漠然と外の世界を意識することはあった。だけど、意識が向くだけでどうしてもその先を想像することが出来ない。
怖いのだ、敷かれたレールから飛び出して、自分の足で道を切り開くのが。二回も人生を賭けて失敗してるんだから、当然と言っちゃ当然、だろ?
なーんて……本気で当然なんて思ってりゃ、こんなに苦しくないんだろうな。でもやっぱり……決心がつかない……自分の不甲斐なさが申し訳なくなるぜ……。
「年寄りの愚痴でございますゆえ、御放念下さいましな」
そんな俺の気後れを察してかルゥ婆はあっけらかんとした声でそう言ってくれた。
その気遣いがむしろ重い。心なしかルゥ婆の身体も重くなったように感じる。
「さて、ここを直進して頂ければ……ケフッ……なんとか間に合いそうですな」
何の話だ? と、問う必要はなかった。
俺の耳にもそれが聞こえたからだ。
不穏な咆哮の唱和が。
大型バイクのエンジン音に似た、太く低い唸り声。こんなところに暴走族でもいるのか? なんて軽口は浮かびもしなかった。それがついさっきまで嫌というほど耳に流し込まれていた声だったから。
かたわらのリリカが不安気に俺の腕に寄り添ってくる。リリカも気づいたのだ、俺達の後を追って何が迫り来ているかを。
「ォホッ、ゲホッ……さ、お嬢様、ルゥはここで下ろしてくださいましな」
「下ろ、下ろすって……下ろしてどうすんだよ」
恐怖に舌がもつれた。
俺もリリカもついさっきまでの死闘がまだ身体の芯にこびり付いている。あんだけ恐ろしい目に遭いながら、十歳の女の子に怯えるなっていう方が無理な相談だろう。
しかし俺の背中から下りて自分の足で立ったルゥ婆は、貫禄たっぷりに落ち着き払っている。それはまるで何もかも諦めた人の冷静さを感じさせて――まさか。
「ルゥ婆は、一人でなんとかするつもりなのか!?」
俺が叫ぶのと同時に、俺達が曲ってきた辻からレッサードラゴンがベタベタと這いだしてきた。その数は一体、二体、三体と……やがて山脈の様に重なり合った巨体は、数える事の無益さを俺に押し付けてきた。俺とリリカは声にならない悲鳴を上げた。
あのレッサードラゴンが……一体でもあんなに苦戦させられたレッサードラゴンが……この決して広いとは言えない通路に何匹もひしめきあって突進してくる……なんでこんなことが……そうかさっきのあいつの咆哮、ただの断末魔かとも思ってたが、仲間を呼ぶ声だったのか……。
そんな気付きを得つつ、間抜けにも逃げる事を忘れて、俺の眼はただただ猛烈な死の怒涛を見詰める。
「大丈夫でございますよ」
レッサードラゴンが遺跡の壁を岩石みたいな体でガリガリと擦りつつ迫る中、ルゥ婆の優しい囁きはやけにはっきりと俺の耳に届いた。
「シューお嬢様とリリカは、どんな手を使ってでも守り通しますでな」
レッサードラゴン達と対峙したルゥ婆が言い切った時、大きな影が俺達の頭上を飛び越えてレッサードラゴン達との間に割って入った。
「ふんっ!」
俺の視界にくたびれた灰色のマントが翻り、耳朶を凛々しく野太い気合の声が叩く。
飛び込んできた男が幅広のロングソードを叩き落としに一閃させると、先頭にいたレッサードラゴンが頭から胴の半ばまで綺麗に両断された。続く横薙ぎで口から裂かれた死体がさらに二体量産される。後続のレッサードラゴン達はそれらが障害物となって怒涛を停止させられた。
「遅くなってすまない、ルゥロゥ殿」
「いえ、間に合いましてございますよ、ユールグ様」
そこには、旅立ったはずのユールグがいた。
幅三メートルほど、レッサードラゴンであれば二匹並ぶのがやっとの通路の中央に半身で佇み、さっきまでの大暴走の名残すら窺わせないレッサードラゴンの群れと静かに対峙している。
ルゥ婆ですら一匹とやりあうのがやっとだったレッサードラゴンに対して、ユールグの背中はこれっぽっちも後込みしている様子はない。
いろいろ聞きたいことはあったが、隙の無いその背中に油断をもたらしそうで、話しかけるのが躊躇(ためら)われた。
しかしその背中を見ていると、大量のレッサードラゴンを見て凍り付いていた心臓が徐々に平静を取り戻す。そうして解凍された心臓から新鮮な血液が送られ始めると、次第に頭も回ってきた。
とにもかくにも今の俺にわかることは、ユールグが一撃でレッサードラゴンを倒せるほど強くて、俺達が為す術なく食べられるような事態からは脱したってことだ。
隣で息を呑むリリカの手を握る。汗ばんでじっとりとした手の平から、リリカの体温が流れ込んでくる。あったかくて、柔らかい、生きている温もりだ。
っていうか、あれだ、ユーグルってこんな強かったのか……つーかこれ、ユーグルいれば普通に勝てんじゃね?
勝機を見出して顔が緩むのを感じる。見れば、リリカも同じタイミングで同じ考えに至ったのだろう、恐怖に青ざめた頬が少しだけ上気している。口元もちょっと笑んでるみたいだ。
「シューちゃん~……助かったの~?」
「多分、な」
俺がリリカの手を改めて握り直すと、リリカも強く俺の手を握り返す。
そうして顔を見合わせた俺たちは、レッサードラゴンの群れに立ちはだかるルゥ婆とユールグの背中に視線を移した。
「ケホッ……ユールグ様、わずかばかりで構いませぬ、しばし時を稼いでいただけませぬか」
「承知しました。全力でお応えしましょう」
ユールグはレッサードラゴンに向き合ったまま妙に硬い声で応答した。俺が大人二人の緊迫した気配に違和感を抱いた間にも、ユールグは愛用のロングソードを無造作な片手持ちにして、魔獣の群れへゆるゆると歩を進めた。
まず、先頭に陣取っていた数匹がユーグルの頭上からのしかかるように襲いかかる。
ユールグはその落ち掛かるレッサードラゴンの一匹の喉に、剣の柄を打ち付けた。と思ったら剣を支えに一瞬の時を稼ぐとレッサードラゴンの体の下から横に逸れ、流れるような動作で支えにしていた剣も引き寄せる。
支えを失って床に倒れ込んだレッサードラゴンが、ブチャリと気味の悪い音を立てた。たぶん、潰れて圧死した音だろう……なんせ、のしかかってきたレッサードラゴンは一匹じゃなく、五匹近くがその背後から同時に襲いかかっていたのだ。折り重なるレッサードラゴン達の下から、赤い汁がジワリと染み出す。
空間を圧する攻撃だと一瞬で判断したユールグは、迎え撃つのではなくギリギリまで引きつけて回避する手段を選んだ。結果、ユールグは労する事無く一匹を始末することが出来た訳か。おぬし、策士よのう。
いやそれにしても普通あの状態で支えにしていた剣を抜き取るのは無理だろ……なんか何気なくやってたけど、そんな事が可能なタイミングってほんの一瞬だけなんじゃねえの? それをいとも簡単に……すげえ勘働きだ。
俺が感嘆している間にも、ユールグの一方的な攻勢は続く。
ユールグ目掛けて殺到したレッサードラゴン達は短い手足が災いして冷静に対処することも叶わず、折り重なった状態でもがくままだ。そこにザックザックとロングソードを突き入れて、上の方で潰されずに助かった奴らを一匹また一匹と確実に仕留めていく。
命の遣り取りなんだから笑うもんじゃないんだろうけど、無表情に生き物を刺殺するユールグの姿がかなり怖い。的確にスピーディに機械的にひたすら同じ動作を繰り返しているからなおさらだ。そのくせ返り血は可能な限り浴びないように工夫しているのか、涼やかな細面には血汚れ一つついていない。
いや、マジでユールグって強かったんだな……これは十歳の女の子が太刀打ちできる相手じゃないわ……。
ユールグはさすがに体勢を立て直して襲い掛かってきた後続もあっさり返り討ちにして、また一体死骸を増やす。
その動きもまた玄妙だ。泰然と構えて応戦したかと思えば、突然機敏な動きで遺跡の壁を蹴り、三角跳びにレッサードラゴンを飛び越えて頭上から攻めかかったりと、ユールグの変幻自在な動きにレッサードラゴン達は翻弄されっぱなしだった。
これはいける。これなら倒しきれる。俺の中に確信と期待がムクムク膨らんでいく。
「シューお嬢様、もしかしたらと淡い期待を持ったりもいたしましたが、やはりここがお別れの時となってしまいました」
それまでじっと黙してユールグの健闘ぶりを眺めていたルゥ婆が、少し咽(むせ)た後にそんな言葉を投げかけてきた。
「お別れって……俺達を先に逃がして、ルゥ婆たちは後で合流するってことか?」
さすがに二人だけでこの遺跡を歩き回るのは恐ろしいが、ルゥ婆がこう言うってことはきっと出口はすぐそばなんだろう。まあ、その程度だったら俺でもリリカの面倒くらいは見れるわな。
俺は胸を張って任せておけと答えようとして、ルゥ婆の続く言葉に動きを止めた。
「半分正解です。シューお嬢様とリリカはユールグ様と共にお逃げください。後の始末はこのルゥめが着けますでな、お嬢様とはここが最後の別れとなります」
噛んで含めるようにゆっくりと語るその言葉を、俺の頭はすぐに理解できなかった。隣にリリカを見て、キョトンとしたその顔を確認してからゆっくりとルゥ婆の柔らかな表情を眺める。
その顔にはどこにも気負ったところがなくて、これからルゥ婆が言うような最後の別れ――死別を迎えるようにはとても感じられない。
「な、何言ってんだよ……」
だがルゥ婆の居住まいから醸し出される覚悟だけは、俺にもはっきりと感じ取れて、それ以上言葉が出なかった。
「どうしてばばさまが死ななきゃいけないのぉ、ユールグ様があんなに頑張って戦っているのにぃ」
ルゥ婆の言葉に抗しようとしてか子供でも見てわかる優勢をリリカは言い募る。だが口で反抗しながらも、前髪の下の瞳からは大粒の涙がボロボロと零れ落ちていた。リリカも、ルゥ婆の覚悟を察してしまっているのだろう。
どうしてルゥ婆がこんなことを言い出したのかはわからない。だがきっと、俺達には計り知れない何かが見えないところで繰り広げられているんだろう。四十年以上生きているはずの俺にもわからない、命の遣り取りの深淵が。
ルゥ婆は聞き分けのない子供をあやすようにリリカの頭を撫でた後、そっとその身体を抱き締めた。
「リリカ、あなたは一人寂しく死んでいくはずであったルゥに、神様が思し召しくださったまごうことなき家族ですよ。どうかそのことを忘れずに、このルゥの代わりにシューお嬢様をお助けしなさいな」
リリカの嗚咽(おえつ)が一際強くなり、抱き締めた時と同じようにゆっくりと身体を離したルゥ婆が、今度は困ったような微笑みを俺に向ける。
「シューお嬢様、あなたはルゥがお世話させていただいたティストの女性の中で、最も聡明で最も愚かでございました」
愚かって……。
その思いが顔に出ていたのか、ルゥ婆はとんがり帽子の下で顔の皺を深くした。
「貴族として、でございますよ。人としてはこれ以上好ましいものはないと、ルゥ婆は自信を持って申し上げられます。シューレリアお嬢様は、ルゥ婆の最愛の娘でございました」
「……俺も、ルゥ婆だけが本当の母親だと思ってるよ」
どうにかそれだけは伝える。それ以上の事は、伝えられなかった。伝えるのが怖かった。口に出してしまったら、取り返しのつかないことが起きそうな気がしたんだ。
ルゥ婆は穏やかな表情をいよいよ皺の中に埋没させる。これが唯一、しっかりと二人の気持ちが通じ合った瞬間だった。悲しいのか嬉しいのかわからない涙が、俺の双眸からポタポタと流れ落ちた。
「リリカを宜しくお願いします。この子は芯は強いのに臆病ですから、誰かが手を引いてあげなければ道を誤るかもしれませぬでな」
リリカの肩をルゥ婆が押しやるが、リリカはその力に抗って身を翻すと、ルゥ婆にしがみつく。
「いやだよぅ! 私もばばさまと一緒にいるぅ! お別れなんて嫌だよぅっ!」
リリカの気持ちは俺の気持ちでもある。
他に何か可能性はないのかよ。皆で笑って帰れる方法は……もう少し何か考えられないかと俺が口にしようとした時、戦いの場からユールグが弾きだされてくる。
「ルゥロゥ殿、なるべく手早く……」
それだけ告げて、ユールグは再び戦線に戻って行く。その息は少し見ていない間に深く荒れており、激戦の負担を感じさせた。
疾風のように駆けるユールグを目で追えば、そこにはおびただしい数のレッサードラゴンの死骸と、屍肉と、血溜まりで通路が塞がれていた。それらを乗り越えながら、まだなおレッサードラゴンは増え続けている。
これが、この遺跡の調査を妨害していた本当の障害なのだと、俺はここに来てようやく理解した。ここに至るまでの魔獣なんて前哨戦ですらなかったのだ。ルゥ婆はあの化け物の群れを一人で片付けるべく、ここに死を覚悟して参じたのだ。
まともにやって勝てるわけがないと思った。そしてもう、逃げたとしても逃げきれないとも思った。そう思ってしまった時点で、足が竦んで全力で走れなくなる。それでも逃げなきゃいけない……そう分かっていても、怖いものは怖いんだ……あの牙に生きながら磨り潰されるところを想像して、もう立ち向かう気力すら失せた。
「ルゥには秘策がございます。しかしそれにはこのルゥが独りでいることが必要なのでございます。この門晶術を使えば、間違いなくあのレッサードラゴンの群れとて殲滅できますが、お嬢様とリリカとユールグ様も巻き添えにしてしまいます。ルゥの門晶術で焼き殺されるのは、レッサードラゴンだけで十分でございますでな……お二人にはここを早々に立ち去っていただきたいのでございますよ」
「やだぁ……ばばさまとお別れなんていやぁあ~……」
それでルゥ婆は無事で済むのかと聞こうとして、口を噤む。済まないから、お別れなんだよな……。
そこまでして、俺達を生かしたいのかよ……。
きっとルゥ婆はあの断末魔を聞いた瞬間から悟ってたんだ。すぐにレッサードラゴンの群体が来て、あっという間に取り囲まれるって。だから俺達を不安にさせないように本当のことを隠して、理由はわからないけど助勢に来たユールグと最短で合流できる道を選んで、そして今、ユールグに俺達を託して本懐を遂げようとしている。
俺とリリカを助けるために。
ルゥ婆の死は、多分俺達が来なくても変わらなかったのだろう。ルゥ婆の口振りだと、その門晶術はルゥ婆もろとも全てを攻撃する術なんだ。そしてそうまでしないとこのレッサードラゴンの群れは倒しきれないとわかっていた。ルゥ婆も、ルゥ婆にこの命令を出した奴も。
俺達がここに来たのは、何か意味があったのかな……ルゥ婆に余計な気遣いをさせただけだったのかな……。
いや、ちゃんとお別れできただけでも、その意味はあったよな……そう思わないと、このやるせなさに殺されそうだよ……。
「いやだぁっ、ばばさまぁっ!」
リリカはまだルゥ婆にしっかりしがみついて、ルゥ婆の着る黒いローブを離そうとしない。ルゥ婆も笑んではいるが困り果てている様子だ。
ユールグの方も間断なく攻め続けているが、明らかに動きが鈍ってきている。あの俊敏な攻撃は伊達じゃなく、ああやって動き回っていないと数に圧倒されるからなんだ。少しでも攻撃が緩んだ時には足を止めて呼吸を整えているようだが、そもそも人間一人でどうこうできる物量じゃないからこの遺跡は何年も放置されていたんだろう。きっともうユールグの限界は……覚悟を決めなきゃいけない刻は近い。
「わかった」
低く響いた俺の声に、ルゥ婆とリリカが俺を見る。
俺は見せつけるように顔を上げて、ルゥ婆を睨みつけた。
「わかったよ、ルゥ婆。こうなりゃ、意地でも死ぬもんか。生きて生きて生きて、あの世でルゥ婆に『どうだ、俺はこんなに立派に生きたぞ!』って胸を張れるまで生き抜いてやる!」
口の中がしょっぱい。涙と鼻水の味だ。
それにも構わず、俺は大口を上げて叫ぶ。自分を鼓舞するために。
「だからリリカ! 頼むからルゥ婆のいうことを聞いてくれ! 聞き分けてくれよっ! でないと……でないとっ……!」
俺までわがままを言いたくなっちまう。
「頼むよ……リリカ……」
俯く。歯を食いしばっていないと声をあげて泣いちゃいそうで、顔を上げていられなかった。
それでも堪えきれなくて、身体の横で硬く握り締めていた俺の手が、温かいものに包まれる。
目を開けてみれば、目の前にリリカがいた。リリカが、俺の手を取っていた。
視線が絡み合った瞬間、俺とリリカは顔をクシャリと歪めて大声で泣き出した。恥も外聞もなく泣いた。
だってもう……俺には泣く以外に出来る事なんて思いつかないんだ……弱い俺には、何も出来ない……。
「ルゥロゥ殿、限界だ」
ユールグが大きく飛び退ってきて、深く息を吐き、そう告げる。
「ゲホッゲホッ、お疲れ様でした、ユールグ様。別れは済みましたでな、お二人をくれぐれもよろしくお願いいたします」
「ああ……ルゥロゥ殿……」
ユールグはルゥ婆を振り返り見て、少し躊躇(ためら)った後、首を振って口にしかけた何かを出さなかった。
「お疲れ様でした、ルゥロゥ殿」
深々と頭を下げたユールグに、ルゥロゥは穏やかな笑みで頷き返し、ノソノソと迫り来るレッサードラゴンの群に向き直る。
まだ、あんなにいるのか……五年前のツケを、どうしてルゥ婆が払わなきゃいけないんだよ……納得はいかないけど、ルゥ婆の覚悟の前にそれは口に出来ない。
「お姫様方、急ぐんでね、少しばかり失礼するよ」
言うが早いか、ユールグは涙をしゃくりあげる俺とリリカをヒョイッと小脇に抱え上げて、脱兎の如く走り出す。
「ルゥ婆ーっ! 約束だからな! 俺、ルゥ婆の分まで必死に生きるから! だから、だからぁぁあっ!」
ユールグに抱えられたまま叫ぶ俺に、ルゥ婆は振り返らない。やがて通路の角を曲がり、ルゥ婆の姿も見えなくなった。
いくつの角と辻を曲った頃合いだったか。見覚えの場所まで戻ってきたその時、遺跡全体が鳴動するように揺れた。
ユールグが足を止めて、俯いた。グッと奥歯を噛み締めているのか、硬質な頬の線がより際立って見えた。
「ふぐ……ふえぇええええっ、うええぇぇぇええっ――!」
反対の腕に抱えられていたリリカが、再び声をあげて泣き出した。
その直後、爆発するような雷鳴が轟き、遺跡の奥からイオン臭を含んだ熱風がふわっと俺達を包み込む。
魂を揺さぶる鳴動だった。それもそうだろう、この鳴動はルゥ婆の魂の音だ。俺は絶対に、この鳴動を生涯忘れることなく背負って生きていくんだ。
「はいよー」
今、俺達はルゥ婆の案内で出口を目指して遺跡の通路を歩いている。
とにかくルゥ婆を見つけることだけを考えてなんの用意もしていなかった俺達と違い、ルゥ婆はちゃんと帰り道の準備も怠っていなかったのだ。
なんでも、道すがらにマーカーとなる金属の重しを置いておき、それを電気でトレースして自分の辿ってきた道筋を確認できる雷門晶術があるのだとか。
物の本には『雷属性は攻撃に傾倒し柔軟性に乏しく、野蛮で粗野な晶種である。』とか知った風に書いてあったけど、こんな便利なこともできるんじゃないか。あの本を書いた奴、本物の雷門晶術士に会ったことがなかったんだろうな。
実はこの話を聞いた時、俺はこっそり嬉しく思っていた。本の話じゃないぞ。道標を残していたこと――つまりルゥ婆が生きて帰るつもりでいてくれたことをだ。
ヨーセフの奴がルゥ婆は身を捨てて当主の命を果たす気だとか抜かしやがるから、ルゥ婆が俺とリリカを見捨てたのかとも勘繰っちまってた。でもそれが思い過ごしだったんだってわかってほっとしたのだ。
とまれ俺の心境はともかく、俺は背中に背負った高性能ナビの言う通りに歩くだけで、帰り道を求めて右往左する心配が全くなくなった。
……心配がないと心配がないでただ歩くのも手持ち無沙汰になってきた。
「なあ、ルゥ婆、いくつか聞いても大丈夫か?」
俺が背中のルゥ婆に声を掛けても返事はすぐになかった。
「なんなりと」
寝ちゃったかなと思い始めた頃に、ようやく落ち着いた優しい声が応えてくれた。
「なんでルゥ婆は、こんな……」
意図してかそれとも別の理由か、ルゥ婆の置いた間に肩透かしを食らったようで言い淀む。少し、頭の中が混乱していた。
ヨーセフの話が本当ならば、ルゥ婆は母さんの命令でここに殺されに来たって事になる。
だけどルゥ婆自身は決して生を諦めていなかった。これは紛れもない事実だ。ヨーセフが嘘をついたわけじゃないだろうけど何か勘違いしてたってことになる。
だからきっと、母さんのことも間違いなんだ。でもティスト家の当主が母さんだって言うのは、否定しきれないものがある。みんな親父の事を『御館様』としか呼ばない。それって親父が当主じゃないからなんじゃないか?
そう考えるとヨーセフの言にも一部信憑性のある部分が出てきて……ああもう、何が本当で何が嘘なんだ……なんでこんなに、不安なんだ……?
そもそも母さんってどんな人なんだろう。
俺は信じたい、信じたいと思い込んでるが、信じるに足るほど母親のことを知らない。
今回、ルゥ婆に下された命令の無理無茶無謀は否定のしようがない事だ。命令そのものに悪意があるとしか思えない。その命令を母さんが出した。
当主である母さんがルゥ婆をいらないものとしてゴミみたいに捨て去ろうとした。これも否定しきれる証拠がないから事実だろう。
俺にとってルゥ婆は、いつも穏やかに笑って俺のことを見守ってくれる母であり、のんびり余生を楽しみながら俺の成長を楽しんでくれる祖母なのだ。妄想の中の実母以上に、大切な人なんだ。
もし、母さんがルゥ婆に死んで欲しいと思っているようなら、俺は――。
「そうですね……もうすぐ障(さわ)りもなくなりますし、良いでしょう」
「そこは左でございます」と道案内を挟みつつ、沈黙を破ってルゥ婆が語り出す。
リリカも気になっていたのだろう、俺の横でルゥ婆にじっと視線を預けている。前を向かないと転ぶぞー。
「マスター――御当主様は、ルゥに御慈悲を施してくださったのです。この任務を果たし帰還が叶えば、改めてシューレリア様の御側仕えとして置いて頂けると、約定して頂いたのでございますよ」
俺は息を呑んだ。ルゥ婆が俺を見捨てようとしていたなんて、勘違いでも考えてしまった自分に恥じ入った。
やっぱルゥ婆の本心は逆なんだ。ちょっとでも雇い主の無下な命令に抗おうと、俺のそばにいようと、なんとかその取引を取りつけてくれたんだ。
そう実感した時、何かが胸に溢れてきて言葉に詰まった。
「じゃあ、ばばさまはこれでシュー様のそばにずっといられるのね~?」
リリカが朗らかに聞いた。ルゥ婆が俺の背中の上でゆっくりと首肯した気配があった。リリカが踊り出しそうなほど嬉しそうに顔をほころばせて、踊る代わりに足を早くして通路を行く。
俺もリリカと同じ気持ちだ。走り回って飛び跳ねたい気分だったが、そんな事をしたら重症のルゥ婆に余計な負担をかけてしまう。ここは我慢我慢……。
ふと、背中のルゥ婆が妙に静かで、心中に嫌な予感がもやっと生まれる。
俺は何げない風を装って、ルゥ婆に声を掛けた。
「なあ、ルゥ婆、さっきのレッサードラゴンとの戦いの時、すんごい機敏に動いてたけど、ルゥ婆って武術もこなせるのか?」
「……いえ、あれは身体能力を強化する門晶術ですよ。雷属性特有のものでしてね、ゲホっ……」
あ、大丈夫だった。急に静かになるもんだから、安心させておいて御臨終とか笑えないパターンかと思っちゃったじゃんかよ。
「人間の身体を司る部分を弱い電流にて操作し、通常以上の力を引き出す術なのですが……少しでも調節を間違えますと、一瞬にして肉体を破壊しかねない諸刃の刃なのでございます……ケフッ、ェホッ」
でも苦しそうなのは気掛かりだ。早く外に出て、他の修道士に見せないとな。
わずかな焦りを隠すように、俺は口で平然とした風を装う。
「そういう門晶術なのか。いいなあ、ルゥ婆の戦いを見てたら、俺も雷属性の門晶が良かったって思えてきたよ」
ふむ、言ってから気づいたけど、特に俺の剣術と合せれば肉体強化して目にも留まらぬ速さで敵を切り刻むとかそんなこともできそうだな。なんかそれって必殺技っぽくてかっこよくね? っていうかやりたいぞ、すごく。
「……うん、マジで羨ましくなってきた」
心の底からの俺の言葉に、ルゥ婆が上品に笑う。
「ほっほ、雷も良い事ばかりではございませんでな。少なくとも剣を振り回しながらでは無理でございますよ」
む、俺の考えはお見通しってか。
「雷属性の晶種は調整が難しいとか、範囲の広さから扱いが難しいとか、そもそも雷属性を扱える術士が少ない為に論理の開発が遅れているとか、いろいろと他の晶種に比べて制約が多いのでございます。それに引き換えシューお嬢様の『熱属性』はとても応用の利く、使いでのある晶種でございます。もしお嬢様にその気があれば、きっとルゥなんか足元にも及ばない使い手にご成長遊ばれますからに、ルゥは楽しみなんでございますよ」
「そうなのか? じゃあ、ルゥ婆の期待に応えないとな」
その期待がこそばゆいぜ。
俺とルゥ婆の遣り取りを控え目に訊いていたリリカの嬉しそうな笑顔も眩しい。
なんか、生き残れたんだって実感が幸せだな……。
「しかし、ルゥはこうも思うのですよ……」
物思いに耽る俺の耳を、ルゥ婆のそんな切出しがそばだたせた。
「シューお嬢様をこのままティストの家に縛り付けておいて良いのか、と」
その言葉は、俺の胸を抉った。
自分で思うよりも、他人に……ルゥ婆に言われたのが、何より堪えた。
「お嬢様は幼き頃より、じっと遠く遠くに視線を投げかけておられる時がございましたな。ルゥにはその視線が、何か遠い彼方に待ち受けるものを欲するように思えてなりませんでした。それに加えて、幼少時からの利発に過ぎるお人柄。ルゥはそれを見せつけられるたびに不安に思っていたものでございますよ」
滔々と、ルゥ婆の声は暗くはないが明るくもない遺跡の通路に流れていく。
「ルゥの不安とは即ち、お嬢様の身の丈の巨大さです。貴族は王族に次ぐ権威をお持ちではありますが、その代償に人であることを悉(ことごと)く否定されるお立場であることも事実です。貴族の世界とは全てを内包しているようで、とても狭い檻のような世界なのでございますよ……」
一気に喋って少し苦しそうに咽(むせ)た。
この歳まで貴族というものを身近に見て、その貴族の因縁に殺されようとしていただけあって、ルゥ婆の言葉は重く俺の心に圧し掛かってくる。
「お嬢様を待ち受けているもの……運命とでも呼ぶべきそれは、貴族の檻に身を置いたお嬢様では到底受け止められるものではないのではないかと、お嬢様はこの広い世界に飛び出して、見聞と絆を深めてその運命と対峙しなければいけないのではないかと、そう思わずにはいられないのでございます……」
言い終えたと思った瞬間、まるで出すべきものを全部出して萎んでいくかのようにルゥ婆の身体が小さく、軽くなっていく錯覚に襲われた。そんな事はあるはずがないのに、その錯覚に返すべき言葉を見失う。
そもそも俺は、ルゥ婆の想いをまっすぐに受け止めることが出来なかった。俺だって貴族になりたくないと思い始めた頃から、漠然と外の世界を意識することはあった。だけど、意識が向くだけでどうしてもその先を想像することが出来ない。
怖いのだ、敷かれたレールから飛び出して、自分の足で道を切り開くのが。二回も人生を賭けて失敗してるんだから、当然と言っちゃ当然、だろ?
なーんて……本気で当然なんて思ってりゃ、こんなに苦しくないんだろうな。でもやっぱり……決心がつかない……自分の不甲斐なさが申し訳なくなるぜ……。
「年寄りの愚痴でございますゆえ、御放念下さいましな」
そんな俺の気後れを察してかルゥ婆はあっけらかんとした声でそう言ってくれた。
その気遣いがむしろ重い。心なしかルゥ婆の身体も重くなったように感じる。
「さて、ここを直進して頂ければ……ケフッ……なんとか間に合いそうですな」
何の話だ? と、問う必要はなかった。
俺の耳にもそれが聞こえたからだ。
不穏な咆哮の唱和が。
大型バイクのエンジン音に似た、太く低い唸り声。こんなところに暴走族でもいるのか? なんて軽口は浮かびもしなかった。それがついさっきまで嫌というほど耳に流し込まれていた声だったから。
かたわらのリリカが不安気に俺の腕に寄り添ってくる。リリカも気づいたのだ、俺達の後を追って何が迫り来ているかを。
「ォホッ、ゲホッ……さ、お嬢様、ルゥはここで下ろしてくださいましな」
「下ろ、下ろすって……下ろしてどうすんだよ」
恐怖に舌がもつれた。
俺もリリカもついさっきまでの死闘がまだ身体の芯にこびり付いている。あんだけ恐ろしい目に遭いながら、十歳の女の子に怯えるなっていう方が無理な相談だろう。
しかし俺の背中から下りて自分の足で立ったルゥ婆は、貫禄たっぷりに落ち着き払っている。それはまるで何もかも諦めた人の冷静さを感じさせて――まさか。
「ルゥ婆は、一人でなんとかするつもりなのか!?」
俺が叫ぶのと同時に、俺達が曲ってきた辻からレッサードラゴンがベタベタと這いだしてきた。その数は一体、二体、三体と……やがて山脈の様に重なり合った巨体は、数える事の無益さを俺に押し付けてきた。俺とリリカは声にならない悲鳴を上げた。
あのレッサードラゴンが……一体でもあんなに苦戦させられたレッサードラゴンが……この決して広いとは言えない通路に何匹もひしめきあって突進してくる……なんでこんなことが……そうかさっきのあいつの咆哮、ただの断末魔かとも思ってたが、仲間を呼ぶ声だったのか……。
そんな気付きを得つつ、間抜けにも逃げる事を忘れて、俺の眼はただただ猛烈な死の怒涛を見詰める。
「大丈夫でございますよ」
レッサードラゴンが遺跡の壁を岩石みたいな体でガリガリと擦りつつ迫る中、ルゥ婆の優しい囁きはやけにはっきりと俺の耳に届いた。
「シューお嬢様とリリカは、どんな手を使ってでも守り通しますでな」
レッサードラゴン達と対峙したルゥ婆が言い切った時、大きな影が俺達の頭上を飛び越えてレッサードラゴン達との間に割って入った。
「ふんっ!」
俺の視界にくたびれた灰色のマントが翻り、耳朶を凛々しく野太い気合の声が叩く。
飛び込んできた男が幅広のロングソードを叩き落としに一閃させると、先頭にいたレッサードラゴンが頭から胴の半ばまで綺麗に両断された。続く横薙ぎで口から裂かれた死体がさらに二体量産される。後続のレッサードラゴン達はそれらが障害物となって怒涛を停止させられた。
「遅くなってすまない、ルゥロゥ殿」
「いえ、間に合いましてございますよ、ユールグ様」
そこには、旅立ったはずのユールグがいた。
幅三メートルほど、レッサードラゴンであれば二匹並ぶのがやっとの通路の中央に半身で佇み、さっきまでの大暴走の名残すら窺わせないレッサードラゴンの群れと静かに対峙している。
ルゥ婆ですら一匹とやりあうのがやっとだったレッサードラゴンに対して、ユールグの背中はこれっぽっちも後込みしている様子はない。
いろいろ聞きたいことはあったが、隙の無いその背中に油断をもたらしそうで、話しかけるのが躊躇(ためら)われた。
しかしその背中を見ていると、大量のレッサードラゴンを見て凍り付いていた心臓が徐々に平静を取り戻す。そうして解凍された心臓から新鮮な血液が送られ始めると、次第に頭も回ってきた。
とにもかくにも今の俺にわかることは、ユールグが一撃でレッサードラゴンを倒せるほど強くて、俺達が為す術なく食べられるような事態からは脱したってことだ。
隣で息を呑むリリカの手を握る。汗ばんでじっとりとした手の平から、リリカの体温が流れ込んでくる。あったかくて、柔らかい、生きている温もりだ。
っていうか、あれだ、ユーグルってこんな強かったのか……つーかこれ、ユーグルいれば普通に勝てんじゃね?
勝機を見出して顔が緩むのを感じる。見れば、リリカも同じタイミングで同じ考えに至ったのだろう、恐怖に青ざめた頬が少しだけ上気している。口元もちょっと笑んでるみたいだ。
「シューちゃん~……助かったの~?」
「多分、な」
俺がリリカの手を改めて握り直すと、リリカも強く俺の手を握り返す。
そうして顔を見合わせた俺たちは、レッサードラゴンの群れに立ちはだかるルゥ婆とユールグの背中に視線を移した。
「ケホッ……ユールグ様、わずかばかりで構いませぬ、しばし時を稼いでいただけませぬか」
「承知しました。全力でお応えしましょう」
ユールグはレッサードラゴンに向き合ったまま妙に硬い声で応答した。俺が大人二人の緊迫した気配に違和感を抱いた間にも、ユールグは愛用のロングソードを無造作な片手持ちにして、魔獣の群れへゆるゆると歩を進めた。
まず、先頭に陣取っていた数匹がユーグルの頭上からのしかかるように襲いかかる。
ユールグはその落ち掛かるレッサードラゴンの一匹の喉に、剣の柄を打ち付けた。と思ったら剣を支えに一瞬の時を稼ぐとレッサードラゴンの体の下から横に逸れ、流れるような動作で支えにしていた剣も引き寄せる。
支えを失って床に倒れ込んだレッサードラゴンが、ブチャリと気味の悪い音を立てた。たぶん、潰れて圧死した音だろう……なんせ、のしかかってきたレッサードラゴンは一匹じゃなく、五匹近くがその背後から同時に襲いかかっていたのだ。折り重なるレッサードラゴン達の下から、赤い汁がジワリと染み出す。
空間を圧する攻撃だと一瞬で判断したユールグは、迎え撃つのではなくギリギリまで引きつけて回避する手段を選んだ。結果、ユールグは労する事無く一匹を始末することが出来た訳か。おぬし、策士よのう。
いやそれにしても普通あの状態で支えにしていた剣を抜き取るのは無理だろ……なんか何気なくやってたけど、そんな事が可能なタイミングってほんの一瞬だけなんじゃねえの? それをいとも簡単に……すげえ勘働きだ。
俺が感嘆している間にも、ユールグの一方的な攻勢は続く。
ユールグ目掛けて殺到したレッサードラゴン達は短い手足が災いして冷静に対処することも叶わず、折り重なった状態でもがくままだ。そこにザックザックとロングソードを突き入れて、上の方で潰されずに助かった奴らを一匹また一匹と確実に仕留めていく。
命の遣り取りなんだから笑うもんじゃないんだろうけど、無表情に生き物を刺殺するユールグの姿がかなり怖い。的確にスピーディに機械的にひたすら同じ動作を繰り返しているからなおさらだ。そのくせ返り血は可能な限り浴びないように工夫しているのか、涼やかな細面には血汚れ一つついていない。
いや、マジでユールグって強かったんだな……これは十歳の女の子が太刀打ちできる相手じゃないわ……。
ユールグはさすがに体勢を立て直して襲い掛かってきた後続もあっさり返り討ちにして、また一体死骸を増やす。
その動きもまた玄妙だ。泰然と構えて応戦したかと思えば、突然機敏な動きで遺跡の壁を蹴り、三角跳びにレッサードラゴンを飛び越えて頭上から攻めかかったりと、ユールグの変幻自在な動きにレッサードラゴン達は翻弄されっぱなしだった。
これはいける。これなら倒しきれる。俺の中に確信と期待がムクムク膨らんでいく。
「シューお嬢様、もしかしたらと淡い期待を持ったりもいたしましたが、やはりここがお別れの時となってしまいました」
それまでじっと黙してユールグの健闘ぶりを眺めていたルゥ婆が、少し咽(むせ)た後にそんな言葉を投げかけてきた。
「お別れって……俺達を先に逃がして、ルゥ婆たちは後で合流するってことか?」
さすがに二人だけでこの遺跡を歩き回るのは恐ろしいが、ルゥ婆がこう言うってことはきっと出口はすぐそばなんだろう。まあ、その程度だったら俺でもリリカの面倒くらいは見れるわな。
俺は胸を張って任せておけと答えようとして、ルゥ婆の続く言葉に動きを止めた。
「半分正解です。シューお嬢様とリリカはユールグ様と共にお逃げください。後の始末はこのルゥめが着けますでな、お嬢様とはここが最後の別れとなります」
噛んで含めるようにゆっくりと語るその言葉を、俺の頭はすぐに理解できなかった。隣にリリカを見て、キョトンとしたその顔を確認してからゆっくりとルゥ婆の柔らかな表情を眺める。
その顔にはどこにも気負ったところがなくて、これからルゥ婆が言うような最後の別れ――死別を迎えるようにはとても感じられない。
「な、何言ってんだよ……」
だがルゥ婆の居住まいから醸し出される覚悟だけは、俺にもはっきりと感じ取れて、それ以上言葉が出なかった。
「どうしてばばさまが死ななきゃいけないのぉ、ユールグ様があんなに頑張って戦っているのにぃ」
ルゥ婆の言葉に抗しようとしてか子供でも見てわかる優勢をリリカは言い募る。だが口で反抗しながらも、前髪の下の瞳からは大粒の涙がボロボロと零れ落ちていた。リリカも、ルゥ婆の覚悟を察してしまっているのだろう。
どうしてルゥ婆がこんなことを言い出したのかはわからない。だがきっと、俺達には計り知れない何かが見えないところで繰り広げられているんだろう。四十年以上生きているはずの俺にもわからない、命の遣り取りの深淵が。
ルゥ婆は聞き分けのない子供をあやすようにリリカの頭を撫でた後、そっとその身体を抱き締めた。
「リリカ、あなたは一人寂しく死んでいくはずであったルゥに、神様が思し召しくださったまごうことなき家族ですよ。どうかそのことを忘れずに、このルゥの代わりにシューお嬢様をお助けしなさいな」
リリカの嗚咽(おえつ)が一際強くなり、抱き締めた時と同じようにゆっくりと身体を離したルゥ婆が、今度は困ったような微笑みを俺に向ける。
「シューお嬢様、あなたはルゥがお世話させていただいたティストの女性の中で、最も聡明で最も愚かでございました」
愚かって……。
その思いが顔に出ていたのか、ルゥ婆はとんがり帽子の下で顔の皺を深くした。
「貴族として、でございますよ。人としてはこれ以上好ましいものはないと、ルゥ婆は自信を持って申し上げられます。シューレリアお嬢様は、ルゥ婆の最愛の娘でございました」
「……俺も、ルゥ婆だけが本当の母親だと思ってるよ」
どうにかそれだけは伝える。それ以上の事は、伝えられなかった。伝えるのが怖かった。口に出してしまったら、取り返しのつかないことが起きそうな気がしたんだ。
ルゥ婆は穏やかな表情をいよいよ皺の中に埋没させる。これが唯一、しっかりと二人の気持ちが通じ合った瞬間だった。悲しいのか嬉しいのかわからない涙が、俺の双眸からポタポタと流れ落ちた。
「リリカを宜しくお願いします。この子は芯は強いのに臆病ですから、誰かが手を引いてあげなければ道を誤るかもしれませぬでな」
リリカの肩をルゥ婆が押しやるが、リリカはその力に抗って身を翻すと、ルゥ婆にしがみつく。
「いやだよぅ! 私もばばさまと一緒にいるぅ! お別れなんて嫌だよぅっ!」
リリカの気持ちは俺の気持ちでもある。
他に何か可能性はないのかよ。皆で笑って帰れる方法は……もう少し何か考えられないかと俺が口にしようとした時、戦いの場からユールグが弾きだされてくる。
「ルゥロゥ殿、なるべく手早く……」
それだけ告げて、ユールグは再び戦線に戻って行く。その息は少し見ていない間に深く荒れており、激戦の負担を感じさせた。
疾風のように駆けるユールグを目で追えば、そこにはおびただしい数のレッサードラゴンの死骸と、屍肉と、血溜まりで通路が塞がれていた。それらを乗り越えながら、まだなおレッサードラゴンは増え続けている。
これが、この遺跡の調査を妨害していた本当の障害なのだと、俺はここに来てようやく理解した。ここに至るまでの魔獣なんて前哨戦ですらなかったのだ。ルゥ婆はあの化け物の群れを一人で片付けるべく、ここに死を覚悟して参じたのだ。
まともにやって勝てるわけがないと思った。そしてもう、逃げたとしても逃げきれないとも思った。そう思ってしまった時点で、足が竦んで全力で走れなくなる。それでも逃げなきゃいけない……そう分かっていても、怖いものは怖いんだ……あの牙に生きながら磨り潰されるところを想像して、もう立ち向かう気力すら失せた。
「ルゥには秘策がございます。しかしそれにはこのルゥが独りでいることが必要なのでございます。この門晶術を使えば、間違いなくあのレッサードラゴンの群れとて殲滅できますが、お嬢様とリリカとユールグ様も巻き添えにしてしまいます。ルゥの門晶術で焼き殺されるのは、レッサードラゴンだけで十分でございますでな……お二人にはここを早々に立ち去っていただきたいのでございますよ」
「やだぁ……ばばさまとお別れなんていやぁあ~……」
それでルゥ婆は無事で済むのかと聞こうとして、口を噤む。済まないから、お別れなんだよな……。
そこまでして、俺達を生かしたいのかよ……。
きっとルゥ婆はあの断末魔を聞いた瞬間から悟ってたんだ。すぐにレッサードラゴンの群体が来て、あっという間に取り囲まれるって。だから俺達を不安にさせないように本当のことを隠して、理由はわからないけど助勢に来たユールグと最短で合流できる道を選んで、そして今、ユールグに俺達を託して本懐を遂げようとしている。
俺とリリカを助けるために。
ルゥ婆の死は、多分俺達が来なくても変わらなかったのだろう。ルゥ婆の口振りだと、その門晶術はルゥ婆もろとも全てを攻撃する術なんだ。そしてそうまでしないとこのレッサードラゴンの群れは倒しきれないとわかっていた。ルゥ婆も、ルゥ婆にこの命令を出した奴も。
俺達がここに来たのは、何か意味があったのかな……ルゥ婆に余計な気遣いをさせただけだったのかな……。
いや、ちゃんとお別れできただけでも、その意味はあったよな……そう思わないと、このやるせなさに殺されそうだよ……。
「いやだぁっ、ばばさまぁっ!」
リリカはまだルゥ婆にしっかりしがみついて、ルゥ婆の着る黒いローブを離そうとしない。ルゥ婆も笑んではいるが困り果てている様子だ。
ユールグの方も間断なく攻め続けているが、明らかに動きが鈍ってきている。あの俊敏な攻撃は伊達じゃなく、ああやって動き回っていないと数に圧倒されるからなんだ。少しでも攻撃が緩んだ時には足を止めて呼吸を整えているようだが、そもそも人間一人でどうこうできる物量じゃないからこの遺跡は何年も放置されていたんだろう。きっともうユールグの限界は……覚悟を決めなきゃいけない刻は近い。
「わかった」
低く響いた俺の声に、ルゥ婆とリリカが俺を見る。
俺は見せつけるように顔を上げて、ルゥ婆を睨みつけた。
「わかったよ、ルゥ婆。こうなりゃ、意地でも死ぬもんか。生きて生きて生きて、あの世でルゥ婆に『どうだ、俺はこんなに立派に生きたぞ!』って胸を張れるまで生き抜いてやる!」
口の中がしょっぱい。涙と鼻水の味だ。
それにも構わず、俺は大口を上げて叫ぶ。自分を鼓舞するために。
「だからリリカ! 頼むからルゥ婆のいうことを聞いてくれ! 聞き分けてくれよっ! でないと……でないとっ……!」
俺までわがままを言いたくなっちまう。
「頼むよ……リリカ……」
俯く。歯を食いしばっていないと声をあげて泣いちゃいそうで、顔を上げていられなかった。
それでも堪えきれなくて、身体の横で硬く握り締めていた俺の手が、温かいものに包まれる。
目を開けてみれば、目の前にリリカがいた。リリカが、俺の手を取っていた。
視線が絡み合った瞬間、俺とリリカは顔をクシャリと歪めて大声で泣き出した。恥も外聞もなく泣いた。
だってもう……俺には泣く以外に出来る事なんて思いつかないんだ……弱い俺には、何も出来ない……。
「ルゥロゥ殿、限界だ」
ユールグが大きく飛び退ってきて、深く息を吐き、そう告げる。
「ゲホッゲホッ、お疲れ様でした、ユールグ様。別れは済みましたでな、お二人をくれぐれもよろしくお願いいたします」
「ああ……ルゥロゥ殿……」
ユールグはルゥ婆を振り返り見て、少し躊躇(ためら)った後、首を振って口にしかけた何かを出さなかった。
「お疲れ様でした、ルゥロゥ殿」
深々と頭を下げたユールグに、ルゥロゥは穏やかな笑みで頷き返し、ノソノソと迫り来るレッサードラゴンの群に向き直る。
まだ、あんなにいるのか……五年前のツケを、どうしてルゥ婆が払わなきゃいけないんだよ……納得はいかないけど、ルゥ婆の覚悟の前にそれは口に出来ない。
「お姫様方、急ぐんでね、少しばかり失礼するよ」
言うが早いか、ユールグは涙をしゃくりあげる俺とリリカをヒョイッと小脇に抱え上げて、脱兎の如く走り出す。
「ルゥ婆ーっ! 約束だからな! 俺、ルゥ婆の分まで必死に生きるから! だから、だからぁぁあっ!」
ユールグに抱えられたまま叫ぶ俺に、ルゥ婆は振り返らない。やがて通路の角を曲がり、ルゥ婆の姿も見えなくなった。
いくつの角と辻を曲った頃合いだったか。見覚えの場所まで戻ってきたその時、遺跡全体が鳴動するように揺れた。
ユールグが足を止めて、俯いた。グッと奥歯を噛み締めているのか、硬質な頬の線がより際立って見えた。
「ふぐ……ふえぇええええっ、うええぇぇぇええっ――!」
反対の腕に抱えられていたリリカが、再び声をあげて泣き出した。
その直後、爆発するような雷鳴が轟き、遺跡の奥からイオン臭を含んだ熱風がふわっと俺達を包み込む。
魂を揺さぶる鳴動だった。それもそうだろう、この鳴動はルゥ婆の魂の音だ。俺は絶対に、この鳴動を生涯忘れることなく背負って生きていくんだ。
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