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8. 雨の日のパンケーキ
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放課後ちょうどノートを買いに行く予定があったので、クレアには先に帰ってくれるようにと断って私は一人徒歩で街に向かった。クレアが店まで乗せて行ってもいいと言ってくれたけれど、今日は何だか歩きたい気分だった。
途中雨が降ってきた。まずい、傘を学校に置きっぱなしてきた。悔やんでも遅い。どこかで雨宿りしようかと思っていた私の横からすっと差し出された、水色のカラフルなトンボ模様の描かれた傘に驚く。
「お疲れ様、エイヴェリー」
隣に立っていたのは、髪の長いブレザーを着た生徒ーーシエルだった。
「シエル! あなたも街に行くの?」
「ええ、ちょっとペンを買いに」
「奇遇ね、私もノートを買いに行くところだったの」
「傘忘れたの?」
「学校に忘れて来ちゃったみたい」
「あらら」
「だけど良かったわ、あなたがいて」
「救世主ね、私は」
彼女のこの軽やかな口調と優しい笑顔が、何故だか凄く心地よかった。私たちは同じ傘の下、肩を並べて歩き出した。傘が雨を弾くポツポツという音が響く。私よりも5センチほど背の低いシエルの傘の持ち手を、代わりに私が持つ。
「あなた背高いわよね。羨ましい」
「だけど163センチくらいのものよ」
「私は157センチ。あと3センチ伸ばすのが目標なの」
「牛乳を飲むと身長が伸びるって本当なのかしら?」
「怪しいわよね。子供の頃から毎日牛乳を一日250m飲んでるのに大きくならないもの」
シエルはその後で、「今日はね、珍しく放課後の練習が休みになったの。こんな日は滅多に無いわ」と曇天に似合わない晴れやかな笑顔を見せた。
「せっかくだから、買い物の後どこかでお茶しましょうよ」
私もちょうど何か温かい飲み物と甘い物を一緒に摂りたいと思っていたところだったので、シエルのこの嬉しい提案に即座に頷いた。
「新しくできたパンケーキ屋さんはどう?」
「いいわね。前にオーシャンを誘ったんだけど、甘いものが嫌いだって断られたの」
「私は大好きよ、毎日でも食べてたい」
「私もそう。気が合うわね」
今日の交流会に出たデザートは梨のコンポートやフルーツの入ったジュレばかりで、全く食べた気がしなかった。パンケーキのスポンジのようなふわふわの食感と味を想像するだけで涎が出てきそうだ。
間もなく街に到着し、雑貨屋や骨董品屋の並ぶ古めかしい煉瓦造りの建物の並ぶ通りにある文房具屋に入った。シエルはこれこれ、とほとんど迷う様子もなく黒いインキの0.8mmのペンを一本手に取った。私は前に使っていたノートとは色違いの黄色のA4のノートを買うことにした。
文房具屋を出た後、隣の雑貨屋に入った。猫の柄の赤いカードケースを見ていると、隣からシエルが「可愛いわね」と声をかけた。
「ええ、好きなのよ。猫」
「私も好きなんだけど、ママが猫アレルギーで飼えないの」
10分ほど雑貨屋にいたあと、何も買わずに外に出た。間も無くシエルも店から出てきて、パンケーキを食べに行こうと言った。私たちはそこから裏の路地に入り、5分ほど歩いたところにある洋装の二階建ての小さなパンケーキ屋に入った。
中にはシエルと同じグランストーンの制服を着た生徒が数人いて、奥の方の席でお喋りをしていた。シエルは彼女らとクラスメイトなのだと言って、声をかけに行き、しばらく楽しそうに話をしていた。シエルの言ったことに女生徒たちが大きな声で笑っているのを見ると、案外彼女はムードメーカーだったりするのかもしれない。
シエルが話をしている間、私は2階席で本を読んでいた。ロマンに前に勧められた、『草笛』という小説だった。エリザベス・ミュラーというフランス在住の20歳の作家が描いた、フランスの田舎町を舞台にした青春群像劇テイストの小説なのだが、主人公のクロエという17歳の少女と、その友人のイライザの友情、そして悲しい別れを描いている。私は悲しいエンディングが苦手だ。『嵐が丘』はとても明るい小説とはいえない。シエルに言わせれば「クレイジーな人ばかり出てくる」し、終始暗いムードで物語が進行する。だけど、個人的にラストはバッドエンディングだとは思っていない。
「また本を読んでるのね?」
学友たちとの談笑を終え、席にやって来たシエルが声をかけてくる。彼女は私の向かいに腰掛け、何を読んでいるのかと尋ねた。私が本の表紙を見せると、ああ、と彼女は頷いた。
「それ読んだことあるわ。最後があんまり悲しすぎて、好きではないけど」
「実写化されるらしいわね」
「小説を実写化したのって、大体微妙よね」
さらりと言ったあとで、シエルは尋ねた。
「知ってる? 『ティファニーで朝食を』の作者のカポーティは、本当はオードリーじゃなくてマリリンを映画の主役にしたかったって話」
「そうなの? 知らなかったわ」
「だけど、マリリンが『娼婦の役はできない』って断ったんですって」
「物知りね、あなた」
シエルと話していると話題が尽きなかった。彼女は私の知らないことを沢山知っていた。音楽のこと、映画のこと、美術のことーー。話していると新鮮で、違う世界が見えるみたいだった。
途中雨が降ってきた。まずい、傘を学校に置きっぱなしてきた。悔やんでも遅い。どこかで雨宿りしようかと思っていた私の横からすっと差し出された、水色のカラフルなトンボ模様の描かれた傘に驚く。
「お疲れ様、エイヴェリー」
隣に立っていたのは、髪の長いブレザーを着た生徒ーーシエルだった。
「シエル! あなたも街に行くの?」
「ええ、ちょっとペンを買いに」
「奇遇ね、私もノートを買いに行くところだったの」
「傘忘れたの?」
「学校に忘れて来ちゃったみたい」
「あらら」
「だけど良かったわ、あなたがいて」
「救世主ね、私は」
彼女のこの軽やかな口調と優しい笑顔が、何故だか凄く心地よかった。私たちは同じ傘の下、肩を並べて歩き出した。傘が雨を弾くポツポツという音が響く。私よりも5センチほど背の低いシエルの傘の持ち手を、代わりに私が持つ。
「あなた背高いわよね。羨ましい」
「だけど163センチくらいのものよ」
「私は157センチ。あと3センチ伸ばすのが目標なの」
「牛乳を飲むと身長が伸びるって本当なのかしら?」
「怪しいわよね。子供の頃から毎日牛乳を一日250m飲んでるのに大きくならないもの」
シエルはその後で、「今日はね、珍しく放課後の練習が休みになったの。こんな日は滅多に無いわ」と曇天に似合わない晴れやかな笑顔を見せた。
「せっかくだから、買い物の後どこかでお茶しましょうよ」
私もちょうど何か温かい飲み物と甘い物を一緒に摂りたいと思っていたところだったので、シエルのこの嬉しい提案に即座に頷いた。
「新しくできたパンケーキ屋さんはどう?」
「いいわね。前にオーシャンを誘ったんだけど、甘いものが嫌いだって断られたの」
「私は大好きよ、毎日でも食べてたい」
「私もそう。気が合うわね」
今日の交流会に出たデザートは梨のコンポートやフルーツの入ったジュレばかりで、全く食べた気がしなかった。パンケーキのスポンジのようなふわふわの食感と味を想像するだけで涎が出てきそうだ。
間もなく街に到着し、雑貨屋や骨董品屋の並ぶ古めかしい煉瓦造りの建物の並ぶ通りにある文房具屋に入った。シエルはこれこれ、とほとんど迷う様子もなく黒いインキの0.8mmのペンを一本手に取った。私は前に使っていたノートとは色違いの黄色のA4のノートを買うことにした。
文房具屋を出た後、隣の雑貨屋に入った。猫の柄の赤いカードケースを見ていると、隣からシエルが「可愛いわね」と声をかけた。
「ええ、好きなのよ。猫」
「私も好きなんだけど、ママが猫アレルギーで飼えないの」
10分ほど雑貨屋にいたあと、何も買わずに外に出た。間も無くシエルも店から出てきて、パンケーキを食べに行こうと言った。私たちはそこから裏の路地に入り、5分ほど歩いたところにある洋装の二階建ての小さなパンケーキ屋に入った。
中にはシエルと同じグランストーンの制服を着た生徒が数人いて、奥の方の席でお喋りをしていた。シエルは彼女らとクラスメイトなのだと言って、声をかけに行き、しばらく楽しそうに話をしていた。シエルの言ったことに女生徒たちが大きな声で笑っているのを見ると、案外彼女はムードメーカーだったりするのかもしれない。
シエルが話をしている間、私は2階席で本を読んでいた。ロマンに前に勧められた、『草笛』という小説だった。エリザベス・ミュラーというフランス在住の20歳の作家が描いた、フランスの田舎町を舞台にした青春群像劇テイストの小説なのだが、主人公のクロエという17歳の少女と、その友人のイライザの友情、そして悲しい別れを描いている。私は悲しいエンディングが苦手だ。『嵐が丘』はとても明るい小説とはいえない。シエルに言わせれば「クレイジーな人ばかり出てくる」し、終始暗いムードで物語が進行する。だけど、個人的にラストはバッドエンディングだとは思っていない。
「また本を読んでるのね?」
学友たちとの談笑を終え、席にやって来たシエルが声をかけてくる。彼女は私の向かいに腰掛け、何を読んでいるのかと尋ねた。私が本の表紙を見せると、ああ、と彼女は頷いた。
「それ読んだことあるわ。最後があんまり悲しすぎて、好きではないけど」
「実写化されるらしいわね」
「小説を実写化したのって、大体微妙よね」
さらりと言ったあとで、シエルは尋ねた。
「知ってる? 『ティファニーで朝食を』の作者のカポーティは、本当はオードリーじゃなくてマリリンを映画の主役にしたかったって話」
「そうなの? 知らなかったわ」
「だけど、マリリンが『娼婦の役はできない』って断ったんですって」
「物知りね、あなた」
シエルと話していると話題が尽きなかった。彼女は私の知らないことを沢山知っていた。音楽のこと、映画のこと、美術のことーー。話していると新鮮で、違う世界が見えるみたいだった。
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