白狼は森で恋を知る

かてきん

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第1章 白狼は恋を知る

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「ふぁ~ぁ。…結構寝ちゃったな。」

体を起こし、伸びをしながら、腕輪についた赤い石で時間を確認するミア。

(そろそろ帰らないと、イリヤに怒られるな…。もう少し剣を振ってから帰りたかったけど。)

口うるさい従者の小言が増えることを考えると、さっさと帰ってしまった方がいいな、と判断し石に触れる。
目を瞑り『自室に帰る』と強く念じた。

ザザッと木が揺れ葉が音を立てるのと同時に、ミアの姿はその森から消えた。


走って湖へ向かっていたガイアスは、さっきの白い狼のことばかり考えていた。

寝ていた顔は子どものようでありながら、しなやかな手足は滑らかで思わず手を伸ばしそうになったほどだ。
その目は何色なのか、どんな声なのか、考えるとさらに気持ちが昂る。

(一目見ただけなのに…。)

こんなに誰かに心を奪われたのは初めてだった。

先ほどと同じく、光の差し込む場所へ着いたが、そこにあの狼の姿は無かった。
茂った草が倒れており、つい先程までそこに彼がいたのは明らかだ。

可愛らしいリボンの付いたバスケットを片手に、肩で息をしながら、彼がさっきまでいた場所をじっと見つめる。

白い光が反射し揺れる水面を横目に、ガイアスはしばらくその場に立ちつくしていた。





・・・・・

「おかえりなさいませ。ガイアス様。」

出かけて1時間も経ってないうちに帰ってきた主人に深く礼をとったメイドは、その手にあったバスケットを受け取る。

中身が減った様子はなく、どうしたものかと見つめると「誰か食べてもらえるか?」と残し、主人は自室へと歩いて行った。

先程の現場にいた老執事と話を既に聞いているメイド長を交互に見るメイド。
しかし2人にも主人に何が起こったのか分からない。
3人は首を傾げて、考えを巡らせた。



(彼は何者だ?なぜあの森にいたんだ…)

自室のソファにもたれかかりながら、ガイアスは今日見た狼について考える。

(彼とまた会うことはできるだろうか。)

はぁ、とため息をつくと、静かに目を瞑った。





・・・・・

「いないか…。」

それから数週間、ガイアスは毎日あの森へ行った。
森はいつも静かで、彼が来た気配はない。

彼がまたお腹を空かせていたらいけないと、いつもバスケットに1人分のお菓子を用意してもらい、そのまま持ち帰っては、「すまない。誰か食べてくれないか?」と言って自室に戻る。

日に日に落ち込んでいく様子の主人を、使用人達は心配しつつ見守っていた。





・・・・・

ガイアスは人間国サバルの自衛隊に所属しており、24歳と若くして、そこの第7隊隊長を務めている。

狼の出現で争いのなくなった人間国では、他国を攻撃する可能性のある騎士という存在はなくなり、今では自国を守るための自衛隊を置いている。

10隊から成る組織の活動は、王の護衛や国の防衛、地方整備の指揮など多岐にわたる。
才能のある者は何歳からでも役職に就くことができることから、若者にとっては夢の仕事であり隊員達は国民の憧れの的だ。

そして隊に入った者が役職に就いた場合、それから10年以内に2年間の長期遠征に行くことが決まりとなっている。
遠征先では、国内であれば各地の意見や問題を聞き王へ伝える、他国では新しい情報を仕入れてくる、といった目的がある。

野宿も当たり前、体力勝負の遠征は隊員達から『地獄の2年』と呼ばれている。

ガイアスが森であの白い狼と出会ったのも、遠征を終えてすぐの出来事だった。
それから2か月が過ぎたが、彼とは一度も会えていない。



ガイアスはあの白い狼を探すことに決めた。



「狼の知り合いっスか?うーん、俺はもちろん、知り合いにもいないっスね~。」

「俺も知らないです。何かあったんですか?」

自衛隊の内部で狼の知り合いがいないか、第7隊の隊員であるマックスとケニーに尋ねてみるが、2人とも王家の情報なら噂程度知ってはいるが、それ以外は知らないとのことだった。

(仕事終わりによく飲みに行ってる社交性の高い2人でそれなら、他は期待できないな…。)

小さく溜息をつく。

「いや、いいんだ。ちょっと聞いてみただけだ。」

狼は基本的に人間や人間国に興味の無い者が多い。
そのため、ほとんどが狼同士で結婚する。
まれに人間と結ばれる狼もいるものの、その子どもは狼国で18歳まで暮らさなければならない決まりがあるため、狼を人間国で見ることは少ない。

「え!仕事以外で隊長が気にかけることがあるなんて!気になります!」

興奮した様子で机に身を乗り出して言うケニー。

「狼と何かあったんっスか?!」

さらにその頭を押さえながらガイアスに詰め寄るマックス。

日頃はシンとしている執務室で盛り上がる部下達を軽くあしらい、ガイアスは手元にある仕事の資料に目を通す。

狼は、16歳から人間国を訪れることができ、18歳からは住むことが可能だ。

(あの森にいたということは、彼は16歳を過ぎているのか。)

平民の狼ですら人間国にはめったにない。
あんな森の中に1人で寝ていたなど、まさか王家の者ではないだろう。
しかし狼の、ましてや平民の情報など誰に聞けばいいのか…ガイアスは頭を抱えた。

(…どこにいるんだ。)

ガイアスは、自分が途方もない探しものをしているのだと、改めて気づいたのだった。





・・・・・

それからさらに数か月が過ぎ、ガイアスと部下のケニーは街でのパトロールを終え、交差点で立ち止まった。

「では、俺は事務室に報告あるんでここで。隊長は今日、直帰ですよね?」

「ああ。」

「お疲れさまでした~!」

まだまだ元気の有り余る部下を見送り、ガイアスは近くの露店を見て回る。

見回りは終わったものの、狭い路地も見て帰ろうと回り道をする。
路地に入ってすぐ、小さな赤いリアカーが目に入り立ち止まった。
店主は絵描きのようで、小さな絵が所せましと並べてある。

そして、その台に飾ってある1枚の絵にガイアスは目を奪われた。
その絵は、はがきのサイズにも関わらず大げさな銀縁の額物に入れられている。
伏し目がちに目を瞑ったその顔は、まさしくガイアスが数カ月前に見た狼だった。

ガイアスは思わず店主と思われる男に話しかける。

「これはッ…誰ですか?!この人を知っているんですか?!」

「お!この絵かい?これはねぇ~…」

「会ったんですかッ?!」

「おいおい、会えるわけないだろう。狼の王子様だぞ。」

「王子…なんですか?」

「ああ、これは数年前に行われた王女様のお披露目式で見たミア様だ。」

「ミアと言うのかッ?!」

「呼び捨てなんて、失礼な奴だな。」

「…まさか王族だったとは。」

それから凄い勢いで質問攻めにあった店の主人は、この絵の説明を始めた。

「私は旅をしながら絵を売っているんだが、リアンナ国であった狼国の王女様のお披露目式の時にそれを描いたんだ。」

「王女様の?」

「ミア様は参列してたんだよ。王家は全員参加するからな。俺を贔屓にしてくれてるリアンナの王族に、特別に良い席用意してもらってさ。結構前で見れたんだよ。」

男は得意げに話す。

「その場で絵は描けねぇから、目に焼き付けて、帰ってすぐに描いたんだ。」

望遠鏡でしっかりと見たので、そっくりだと豪語する男は「他の絵もあるぞ」とリアカー内に付いた棚の中をゴソゴソと探っている。

「今年はこの国でミア様のお披露目式があるからな~。奮発して良い額に入れて飾ってみたんだ。」

店主はそう言いながら、棚から箱を取り出し、何枚か見繕って台の上に広げる。

「王族の絵を勝手に売って金を貰うわけにはいかねぇし、これは売りもんじゃねぇけどな。…ほら、こっちのは販売用だ。」

美しい狼の絵の数々をズイッと前に出し、男がガイアスに絵を勧める。

「王子の絵を買わせてください。いくらでも構いません。」

「…おい、人の話聞いてたか?」


店主は、目の前の男のあまりに真剣な表情に、「こりゃ説得が長くなりそうだな。」とため息をついた。
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