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9.ひとりぼっちの舞踏会
しおりを挟む多少高そうなドレスを着て、髪の毛を整えていたところで、所詮ルシアは伯爵家の娘かどうかも怪しい26歳の嫁ぎ遅れである。
身代金を要求するにしても、売り飛ばすにしても微妙すぎるルシアを誘拐したがる人間はそう多いはずもなく、誘拐犯はルシアが予想していた通りの人物だった。
次にルシアが目を覚ますとそこは伯爵家の昔ルシアの私室だった、小さく日当たりの悪い小部屋だった。
父親の指示で金のなる木であるルシアを逃がさないために攫われたのであろうことはすぐにわかった。
ルシアを監禁するなんて強硬手段に出るほどこの家は困窮しているのかと思ったが同情する気持ちはもう湧かなかった。
こんな家どうなってしまってもいい。ここにルシアの居場所はない。
気分が悪くてルシアはベッドの中に潜り込んだ。
馬車でずっと変な体勢で横になっていたからか身体中が軋み頭は割れそうに痛かった。疲れているはずなのに落ちつかなくて、気が休まらない。
ディランの作ってくれた檻の中はあんなにも甘美で心地よかったのに、ここは吐きそうなほど居心地が悪かった。
これからどうなるのだろうとルシアは不安になった。
ルシアは多少魔法が使える。魔法とは炎や水、そのほかにも自然界にあるものを自分の意のままに操る力だ。魔法を使えばこの屋敷から逃げ出すことができるかもしれないと思ったが、首に魔力封じのチョーカーが巻かれていて諦めた。伯爵家の人間もそこまで馬鹿ではないらしい。
魔力が使えないとなると貧弱なルシアがここを逃げ出す手段はない。このまま息絶えるまでこの居心地の悪い場所で虚無な時間を過ごしていくことになるのかと思うと胸がずっしりと重くなった。
ディランには伯爵家のことを何にも話さずに来た。家事は全てディランに任せていたが、屋敷の管理や伯爵家とのやりとりは全てルシアがしていた。ディランの元に手がかりはほとんどないはずだ。
夜に話すなんて言わず、あの場で話していればよかった。もっと早く伯爵家のことを話していれば、もしかしたらディランが救い出しにきてくれたかもしれないのに。
少し後悔したが、まだ16歳の成人もしてない子に助けを求めるなんて情けなさすぎて悲しくなった。
どうせディランと離れないといけなかったのだ。
もういっそのこと、手紙を書く許可だけ父親にもらって、ルシアの心配はいらない自由に生きろとでも書いた手紙をディランに送りつけるべきだろうかと真剣に考えているとノックもなしに扉が開いた。
起き上がると父親が部屋に入ってきた。マナーも何もないことにもはや怒る気にもなれず呆れて黙っていると、父親はとんでもないことを告げた。
「国主催の舞踏会に参加してもらう」
どう言う風の吹き回しだと身構えたが、話を聞くと舞踏会とは例の帝国とのお見合いパーティのことだった。
ナタリアが参加予定だったが、帝国の竜人族は体が大きく野蛮そうな見た目をしており、寿命も200歳程度まで生きると言われていて化け物みたいで嫌だと騒ぎ立てたらしい。
パーティは各家門から一人は絶対参加のため、代わりにルシアを出すことになったようだ。
確かに竜人族は体も大きく200歳前後まで生きるのは事実だが、彼らは穏やか性格をしており理知的で理由もなく暴力を振るうなんて話は聞いたことがないし、年齢も少し長寿なだけで化物でもなんでもない同じ人間であることをルシアはよく知っていた。
自分勝手で偏見に塗れたナタリアにも呆れたが、今更出て行くと言った人間を連れ戻して娘として舞踏会に参加させようとしている都合のいい父親にも呆れていた。
いつまでも、どこまでも彼らに振り回されて生きて行くのだと思うと、ディランによって浄化された心がまた真っ黒く澱んできて、ルシアは空に輝く星を見つめた。
舞踏会までは思いの他時間がなく、次の日の夜に行われた。
とても急なスケジュールで化粧を施されドレスに着替えさせられ、高いヒールを穿かされた。どれもこれも一級品ばかりでどう言うつもりかと不気味に思っていたが、出来上がったルシアを鏡で見て納得がいった。
鏡の中のルシアは美しかった。
母親がとても美人だったと聞いていたが、それが嘘ではなかったのだと思うような美女が鏡の中にいた。
ただ美しいは美しいのだが、化粧は派手で、ドレスも襟ぐりと背中が大きく開いた色っぽいデザインで、ヒールも転びそうなほど高い。ルシアをいい女に見せるものばかりのものだった。
よく言うとあだっぽく女性らしいのだが、悪く言うと男ウケに特化した性的な視線をたくさん集めそうな格好だった。
26歳という熟れたとても甘い果実のような顔や体が合わさって、見ている自分でもくらりとしそうなほど色っぽい女性に仕上がっていた。
意外と派手な格好も似合うのだと思いつつ、ディランが見たら露出しすぎではしたないと卒倒しそうだと思った。
舞踏会に行く準備を終えると伯爵家の人間がどう言う魂胆でルシアを無理やり舞踏会に連れて行こうとしているのかも大体理解した。
ナタリアが参加するのを拒んだのは事実だろう。
だが、ルシアが舞踏会に参加する羽目になったのはそれだけではなくて、こうして男の目を引く格好をさせて、帝国の適当な竜人族と結婚させてルシアを帝国に厄介払いするつもりだったのだ。
ルシアに魔草薬の特許を持ち逃げされる前に帝国の貴族の嫁にして権利を破棄させたいのだろう。
家同士の結びつきはルシアの一個人ではなく家長の意思で全てが決まる。
結婚する相手の家と結婚の条件を決める時にルシアの権利を全て伯爵家に譲ると相手方が認めればルシアの意思とは関係なくルシアの持つ魔草薬の権利は伯爵家に移るのだ。
人目を引く格好も、このお見合いパーティで絶対に都合のいい帝国の貴族の男を釣るための罠だ。
ルシアはズボラで何事にもあまり執着しないタチだが、魔草薬に対する思いだけは人一倍強かった。考案した魔草薬の特許を伯爵家に譲るつもりは一切なかった。
そのためにはひとまずお見合いパーティでは誰とも仲良くならず何事もなく終えなくてはならなかった。
誰かに求婚でもされた日にはルシアの意志など関係なく結婚させられ、全ての権利が剥奪されてしまう。
ルシアは鏡越しの普段緩みきっている無気力そうな自身の顔を見ながら口角を上げた。
目を見開き背筋をしゃんと伸ばすと先ほどよりも気の強そうな女性に見える。そのままきびきびと歩けばもっと近寄り難い雰囲気が出た。
準備の整ったルシアは戦場に赴くような気持ちで伯爵家を出た。
会場となる王宮のダンスホールはとても賑わっていた。
国をあげた若者向けのイベントとして楽しみにしていた人が多いようだった。色とりどりのドレスがダンスホールを彩り、美味しそうな食事、一流の音楽隊が会場を盛り上げていた。
ルシアは会場にこっそりと入ると目立たないように壁際に立ってその様子を見ていた。
もちろん近寄られてもそれとなく逃げれるように立っていたのだが、ルシアは驚くほど声をかけられることはなかった。
ルシアは一応26歳だが、竜人族の男性にとっては人族の26歳も16歳もほとんど同じように認識される。
人族の間では18歳から21歳が結婚適齢期と言われているため、26歳のルシアは嫁ぎ遅れのレッテルを貼られるのだが、竜人族の場合は番いになった相手に変移と呼ばれる体質変化を促し、竜人族とほとんど同じ体になる。
もちろん体は丈夫になるし、寿命も竜人族と同じくらいまで伸びる。たとえ26歳だったとしても変移を終えると竜族での26歳の姿になるため若返り、16歳とそこまで見た目に差異が出ないのだ。
そのような理由があって、ルシアの国貴族たちは未婚の16歳から40歳と年齢が絞られている。
ちなみに16歳で変移をしてもほとんど若返ったりはしない。もともと竜族は16歳以降の青年期が長いだけであって16歳前後までの成長は人族とほとんど変わらないためだ。
だからこそこの国の男性貴族から声をかけられることはなかったとしても、帝国の竜人族の男性からはそこそこ声がかかるかもしれないと恐れていたのだが、本当に驚くくらい誰も声をかけられなかった。
たまたま目があったり、肩がぶつかりそうになったりしてもみんな綺麗にルシアを避けて行く。試しに彼らと目線を合わせようとしても面白いくらいに焦った様子で目線を逸らされた。
ルシアは自惚れていたのだなと思った。自分の姿を鏡で確認して、それなりに見れるくらいになったと思ったが、自意識過剰だったようだ。竜人族の殿方の食指がルシアに全く伸びないのが良い証拠だ。
安心したルシアは壁際から移動して美味しそうなスイーツの山に向かった。特に問題なく舞踏会が終わりそうだとわかると楽しまなくては損な気がしてきたのだ。
流石に誰かと話すのは怖いため避けたが、一人で王宮の美味しい食べ物に舌鼓することくらいは問題ないだろうと、食べたいものを皿によそってはもぐもぐと食べ始めた。
我ながら図太いなと思いながらも王宮のパティシエが作るスイーツは絶品で、なかなか手が止められない。
あと一個、もう一個と黙々とスイーツを口の中に放り込んでいると近くにいた竜人族の男性の話し声が聞こえてきた。
彼らの話によると今日の舞踏会には竜人族の中でもかなり珍しい始祖竜の血を引く竜人族も舞踏会に参加しているとのことだった。
始祖竜の血を引く竜人族は普通の竜人族と違って少し特殊な存在だった。
始祖竜と呼ばれる、竜の中でも全ての竜のルーツとなる力の強い竜の血を食らって猿から人へと成長した竜人族であるため、竜人族の中でも特別五感が優れており、腕っ節も強く、知能も高い、竜人族を引っ張って行くような地位の高い、それこそ帝国の王族や公爵家にしか存在しない血筋だった。
そんな高い地位の令息や令嬢もこのパーティに参加しているのかと思いながらも興味のないルシアはまたぱくぱくとお菓子を食べていると、急に気配のないところからぬっと人影が現れた。
ルシアはすぐにお皿を置いてその場を離れようとした。
あたりに気を配って誰か近づいてきたら逃げる準備はしっかりとしていた。それなのにその人は突然背後からルシアの前に現れたのだ。
お菓子を喉に詰まらせそうになりながらもルシアは素早く逃げようとしたが、無駄のない動きで見事に正面に回り込まれ、ルシアの逃げようとした方向に手を出してテーブルに寄りかかると逃げ道を塞いでしまった。
「へぇ、あいつの匂いがぷんぷんすると思ったらすごい美人さんだ」
ルシアの前に現れたのは茶髪に青い瞳を持つ絵本に出てくる様なやさしげな顔の青年だった。
「どうしてこんなところに迷い込んでしまったんだい。ここは君のくる場所ではないのに。そんな可愛い格好して、もしかして怒られるの待ちかな。そういうプレイ?気を引くのはいいけど、あまりやり過ぎるとちょこまか動かないように、その美味しそうな足、噛みちぎられちゃうよ?」
何を言っているのかルシアには全くわからなかった。
だが悪い人ではない気がした。
見た目も口調も性格も全てディランとは違うのに、ルシアのことを見て心配そうにする素振りはどこか少し似ている気がした。
ルシアが何のことかわからないと返すと、青年もなぜルシアがわからないのかわからない様子で2人で噛み合わない会話を続けた。
「そんなはずはないんだけどな。どうしてこうも鈍感なんだろうね」
「鈍感って」
「本当に君は誰のことかわからないのかい」
「わかりません」
「そんなことはないはずだよ。ほら、君の後ろにいる鬼みたいな顔した人のこと、君は何も知らないの?」
そう言われてルシアが振り返ると、ルシアの背後に立っていたのは髪型を整えて、髪と同じ黒のタキシードを完璧に着こなしたディランが立っていた。
「ディ、ラン?」
「帰りますよ」
その時のディランは言葉にするのも恐ろしい形相だった。
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