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8.新居に行く

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 新居への移動と婚姻届提出は1週間後だということで、私は必要なもちものを纏め、身の回りの環境の整理整頓をしておくことにした。
 
 まずは劇団関係のことや、仕事ーーアルバイト先に伝えなければいけなかった。さすがに劇団だけの仕事では食べていくことが出来ず近場の飲食店でアルバイトをしていたため、店長にそのことを伝えた。そして環境が整うまでの間は当分お休みをいただくことをお願いした。

 結婚することは最低限の人にだけ伝えることにした。無理に騒がせたくなかったし、なにより契約結婚のために言いづらいというのもあった。
 母、いつきにはメールだけは送っておいたが、筆不詳な彼女から返信が届くのはいつになるかわからない。そもそも忙しすぎて、返信している余裕もないかもしれない。

 元々住んでいるアパートに関しては、とりあえず借りたままにしておくことに決めた。これからなにがあるかわからないからだ。家賃に関しても今までアルバイトで貯めた貯金もあるし、どうにかなるだろう。

 そして、1週間が経ったその日。
 以前と同じように玲二は白い高級車で迎えにきた。

「……こはる、お前の荷物こんだけか? たしかに部屋に物も少なかったが……」

「持っていくものは最低限でいいかなって思って。どうせアパートも借りたままにーー」

「はあ? お前、まだ借りたままなのか! 速攻契約解除解除しろ! ほら、すぐにだ!」

 玲二は突如鬼の如く怒りだし、私は思わず目を目を剥いた。私をおいて「アパートの管理人はどこだ!」と騒ぎ立てるので、腕を掴んで言う。

「違約金もかかるし、私がこのままでもいいって言ってるんだから……」

「俺が良くねえんだよ。なんだ、月ノ島のーー俺の妻がいつまでもこんなボロアパートに住んでるなんてこっちが気に食わねえんだ。違約金? そんなの俺が即金で払うから、早く管理人の場所を吐け」

 あまりの剣幕に管理人が住んでいる部屋を教えてしまうと、玲二はその足ですたすたと歩いて行った。呆気に取られていると5分後には戻ってきて、はっとした私は思わず身を乗り出して尋ねる。

「管理人さんに変なことしてないでしょうね」

「なにも。ただ、金を置いてきただけだ」

 その言葉に思わず「お金!?」と繰り返す私に対し、玲二は「100万ほどな」とあっけらかんに答える。

「ひ、100万円……」

 それをぽんと即金で出せる玲二も相当だが、まず一般庶民にほいほいとお金を渡す金銭感覚に眩暈を覚える。
 正直、なぜ私のアパート契約に関してそこまでこだわるのか分からない。契約妻の元家がそんなに気に食わないのかと呆れてものが言えなかった。
 呆然と佇む私に居心地の悪さを覚えたのか、玲二は視線を逸らしながら口走る。

「元の家があるといつでも帰れるようになるだろ。……俺はそういうのは嫌なんだよ」

「……だからといって100万円を置いてくるなんて、いったいなにを考えているんですか。というか自分で言うのもなんですけど、このアパートの違約金がそんなにするはずなんてないですよ……もうお金を置いてきてしまったのなら、私が働いてお返しします」

「はあ? いらねえよ、そんなの。そもそも俺たちはこれから夫婦になるんだ。そういうのはもう必要ない」

 まるで拗ねた子供のように顔を背けた玲二に大きくため息をつく。これから彼と暮らしていくことに一抹の不安を覚えるのは致し方ないことだろう。
 
 そんなこんなでひと騒動あり。
 その後、私たちは無事に婚姻届を役所に提出し、晴れて夫婦となった。

 これからは花宮姓でなく、月ノ島姓を名乗るのだと考えると少しだけくすぐったく感じる自分がいた。
 私は玲二との結婚を不本意だと思ってないのだろう。普通に笑うことが出来ているのが何よりの証拠だった。

 最初は嫌々ながらという気持ちが大きかったはずなのに。
 どこか単純な自分に嫌気がさすが、後悔しても仕方がないことだ。

「こはる、荷解きは終わったか?」

 先程までのスーツとは打って変わって、ラフな格好に着替えた玲二が話しかけてくる。私がちょうど家から持参した荷物の入っている段ボールを開封しているところだった。

「大体は。あと、この段ボールだけです」

 そう言いつつ、ガムテープを剥がして中身を取り出す。何冊かの雑誌や週刊誌など、芸能関連に関するものが入っているものだった。

「…………お前……この男のファンなのか? さっきからこいつの表紙の雑誌ばかり載ってるよな」

「え、あ、それは……」

「名前、なんだったか……たしか遠藤、なんちゃらだ。遠藤……そう、遠藤朝陽だ」

 玲二はそう言ってどこか苛立ちながら眉を顰める。腕を組み、不愉快そうな面持ちで私に鋭い視線を寄越した。
 言葉に詰まり、目を彷徨わせる私は側からみれば相当落ち着きのない様子だろう。玲二の言っていることは当たってはいないが、そうなる理由があった。

「えっと、ファンとかではなくて……この人、遠藤朝陽は私の所属しているあの劇団出身なの。だから顔見知りの応援、みたいな」

「それにしても量が量だがな。……そうか、最近テレビでよく見るこいつはあの劇団から引き抜かれたのか」

 どこか納得していないような面持ちで気が立っている様子の玲二は私の方を一瞥することなく部屋を出て行った。
 その後ろ姿を見て安堵のため息をつく。
 
 先程、玲二に言ったことは半分本当で半分嘘だった。

 実のところを言えばーー遠藤朝陽は私の元カレである。
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