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触れる指先2
しおりを挟むヘドヴィカは生まれてこのかた一度も酒を口にしたことがなかった。けれども今は彼の誘いが有難いとさえ思った。
(お酒は全てを忘れられるっていうわよね。これを飲めば少しは気が楽になる?)
この部屋に入った瞬間から体の震えが止まらなかった。
ボジェクはじっとヘドヴィカに視線を送っていた。その視線に見つめられていると息が止まりそうになり、ヘドヴィカはボトルの中身をグラスに注ぐ。そして少しだけ躊躇いったあと、監視するように視線から逃げるように口に含んだ。
(……お酒ってこんな味なのね)
アルコールというからには何かしらの刺激を感じるかと思っていたが、まるで水のようにするする飲み込むことができた。不思議に思いながらグラスをテーブルへと戻す。すると突然。
「……?」
視界がぐらりと傾いた。体の力が程よく抜け、頭に靄がかかったようにぼんやりとした。震えがぴたりと止まったのだが、ヘドヴィカはそのことにすら気づかない。
その場に座り込みそうになった彼女を支えたのは椅子から立ち上がったボジェクだった。
最初からこうなることでも予想していたかのような動きにヘドヴィカは疑念を抱く。けれどぼやけた頭ではうまく考えることが出来なかった。
「なぜこんな風になったのか分かるか?」
ヘドヴィカの腰を抱き、顔を近づけるボジェク。
その時初めて彼女は夫となった男に触れられていることを自覚した。けれど不思議と抵抗する気力もなかった。それほどまでものを考えられなくなっていた。
男は何故か皮肉げに苦笑する。
「酒だと思っただろ、これ」
視線の先にあるのはヘドヴィカが先ほど飲み込んだばかりのボトルだった。
「これは体と頭をほんの少し麻痺させる薬だ。処女の花嫁にも重宝される身体を楽にさせるらしい。お前は俺に触れられたらあの時みたいに気絶するだろう? 初めて使うが、ここまで効能が高いとは思わなかったが……俺は気を失った女を抱く趣味は微塵もないんだ」
ボジェクが何かを言っている。
(ボジェ、ク……あれ、それって誰だっけ)
自分が何を考えているのから分からない。
判断力が落ち、朦朧とした中で全てが夢のように思える。全身が鉛のように重く、思考が働かない。
ヘドヴィカはとろんとした目で自分を支える男を見上げた。彼は一体どんな表情をしているのだろうか。
背中がシーツに触れ、自分が寝具に寝かされたことだけがなんとなく分かった。
「これで身体を重ねれば、正気に戻ったとき、きっと俺を恐れて一層嫌うだろうな。薬を持って犯す男なんてクズ中のクズだ」
男が見下ろしてくる。
陰になって表情が読み取れない。
声色はひどく落ち着いていた。
ヘドヴィカは自分が何をしているのか、これから何をされるのかすらわからない。脱力したままだった。
「嫌うなら、誰よりも嫌えよ。俺はお前なんかに嫌われても何とも思わねぇ……そう、思うわけねぇんだ」
とん、と耳の横に腕が降りてくる。
吐息が重なり、顔がぐっと近づく。
それでもヘドヴィカは薬の影響で避けることも錯乱することもなかった。
そんな彼女を見下ろしたボジェクの眉間には深い皺が刻まれ、憎々しげに寝そべる花嫁を睨みつけていた。「くそっ」とつぶやいた後、赤い瞳を揺らしてさらに顔を近づける。
ほのかな温もりが唇を伝った。
ヘドヴィカとしては薄いカーテン越しから向こう側を見ているような感覚だった。薬のせいで不快だとか恐怖だとかを感じず、人間の本能としての『唇が温かい』くらいしか思えない。これも催淫剤とも異なる薬の影響だった。
ボジェクはヘドヴィカの唇をこじ開け、自身の舌を捩じ込んだ。女の口内の全てを舐めとるように舌を動かす。
(息が……しにくいわ)
なされるままに舌を絡めとられるも人形のように身体はぴくりとも動かない。ボジェクはようやく唇を離した。
「……っはぁ」
ボジェクはヘドヴィカの口端から垂れた唾液を指でぬぐった。熱い吐息を吐き出しながら、手元を胸へと移動させた。湿気の帯びた眼差しで肌を見つめ、白い柔肌に口付ける。そして一通り撫で回したあと、ふと顔を上げた。
そして自身の骨ばった指先が微かに震えていることに気がつき、舌打ちをした。
「……っ、これ以上ないってくらい嫌われてるくせに、何怖気付いてるんだ……俺はこいつに憎まれるんだろ?」
自問自答しているのか、か細い声でつぶやくボジェク。
少し胸に触れただけなのに、ボジェクの身体は熱を帯びている。
「ははっ、まるで人形を抱いてるみたいだな。……くそっ」
から笑いが静寂にとける。
苛立ち紛れにシーツを叩いた。瞳を揺らし、その奥には怯えがあった。
ヘドヴィカは微動だにしない。
ヴァイオレットの瞳は薄く開いているが、視線は一切重なることがなかった。
「何やってんだ……俺は何がしたいんだ? ヘドヴィカ、教えてくれよ」
縋るような声を上げたボジェクは頭をがくりと下げた。
しばらく微動だにしなかったが、ようやく動き始めたかと思えば寝台から降り、肩を落とす。
寝かされたヘドヴィカをチラリと見て苦々しく歯を食いしばり、ぽつりとこぼす。
「お前にこれ以上嫌われるなんて──」
最後までいうことなく、そのまま足を引きずるようにして部屋を出ていってしまった。
残されたヘドヴィカは薬が完全に抜けるまでの間、朦朧とした意識の中、天井を眺め続けた。
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