56 / 83
ボジェク8
しおりを挟むボジェクがつけた傷が深く刻まれ、見るたびに思い出してくれればきっとなにより満たされることだろう。
何も知らずのうのうと自分の前に立つ彼女が疎ましいのに、離れられない。離れようと思わない自分がひどく不快だった。
自分が知らないところで勝手に男を好きになっている事実が不快すぎて吐きたくなった。
きっと今の己の顔はおぞましいほど歪んでいるだろう。
ボジェクは傷つけるつもりで言葉を発した。
「ヘドヴィカ。お前はブスでデブだって自分で分かってないのか? ──将来きっとどんな男にも愛されることなんてねぇだろうな」
けらけらと笑っているのに、心は空っぽだった。
はっと目を見開くヘドヴィカの視線とかち合う。
涙で濡れる瞳が自分を貫いた。
瞬間、理性が囁いてくる。
自分は今とんでもない間違いをしているのではないかと。
そのときはっきりと感じたのは罪悪感だった。
ヴァイオレットの瞳はボジェクの感情を見通すかのように澄んでいた。
ふと、初めてヘドヴィカに会った日のことを思い出す。
その頃はまだお互いに言いたいことが言い合える関係だった。
それを今、自らの手で壊してしまった。
ようやくそれに気がついた。
ヘドヴィカの瞳が宿す絶望を目にしたとき、あの日々には戻れないのだと悟った。
その場でわなわなと震えた彼女が顔を青褪めさせ、足元をふらつかせる。
倒れそうなヘドヴィカを支えるため、ボジェクは一歩踏み出し、手を伸ばしかけた。
けれど。
「ヘドヴィ───」
自分よりもそばにいたアダムが桃色のドレスを身に纏う柔らかな体を受け止める。
アダムの腕の中で瞼を閉じるヘドヴィカ。
顔色の悪い彼女はまるで死んでしまっているようにも見えた。
周囲が騒がしくなっていたが、それすら耳に届かない。
(……お、俺は)
こんなことをしたかったんじゃない。
倒れるなんて思わなかった。
いくら言い訳を並び立てたとしても意味はない。
すべては後の祭りですでに終わったことだった。
急に怖くなった。
起きたヘドヴィカがなんで言うのか。
どんな反応をするのか。
先刻までは怒りに狂り、傷つけたいと思っていたはずなのに、今は身震いするほど彼女のことが心配だった。
相反する感情が、ヘドヴィカの言動によって左右され続ける現状。
きっとそういうのをこういうのだろう、恋と。
認める他なかった。
本当は少し前から気がついていた。
それなのに目を逸らし、あり得ないのだと否定し続けてきた。
自分には縁遠いことだと突き放し、わざわざ意地悪をし続けるというパフォーマンスをしていた。
山のように育った自尊心を優先した結果がこれだ。
ボジェクはヘドヴィカのことが好きだったのだ。
今更自覚してももう遅いのに、なぜ今になって気づいたしまうのだろう。
目の前で運ばれていくヘドヴィカを目で追いながら、ボジェクはその場に立ち尽くしていた。
知らぬうちに屋敷に戻ってきていた。
自分がどうやって帰ってきたのかも記憶にすらない。
侍従やアダムがなにやら言っていた気がするが、頭に入るわけがなかった。
食事を摂る気分でもなく、バルコニーに出た。
手元に握りしめているのは結局渡さなかった紫の石のついたブローチだ。
無意識のうちに手に取っていたらしい。
(……ヘドヴィカの瞳みたいだ。月に翳すと透き通って見えて、余計にそう見えるな)
脱力と罪悪感をその身に宿し、ぼんやりとブローチを眺める。
胸を締めていたのは強烈な後悔だった。
彼女を倒れるまで追い詰めた事実。
傷つけるつもりで言ったのだから、きっと一生ヘドヴィカの胸に刻まれることになるだろう。
今まで自分がどのように接してきたのかを考えるだけで、罪悪感と後悔が不可避の高波のように迫ってくる。
こんな自分が『お前が好きだ』などと──どの口がいうのか。
ボジェクはその晩から眠ることが出来なくなった。
173
あなたにおすすめの小説
私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。
小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。
「マリアが熱を出したらしい」
駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。
「また裏切られた……」
いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。
「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」
離婚する気持ちが固まっていく。
大嫌いな幼馴染の皇太子殿下と婚姻させられたので、白い結婚をお願いいたしました
柴野
恋愛
「これは白い結婚ということにいたしましょう」
結婚初夜、そうお願いしたジェシカに、夫となる人は眉を顰めて答えた。
「……ああ、お前の好きにしろ」
婚約者だった隣国の王弟に別れを切り出され嫁ぎ先を失った公爵令嬢ジェシカ・スタンナードは、幼馴染でありながら、たいへん仲の悪かった皇太子ヒューパートと王命で婚姻させられた。
ヒューパート皇太子には陰ながら想っていた令嬢がいたのに、彼女は第二王子の婚約者になってしまったので長年婚約者を作っていなかったという噂がある。それだというのに王命で大嫌いなジェシカを娶ることになったのだ。
いくら政略結婚とはいえ、ヒューパートに抱かれるのは嫌だ。子供ができないという理由があれば離縁できると考えたジェシカは白い結婚を望み、ヒューパートもそれを受け入れた。
そのはず、だったのだが……?
離縁を望みながらも徐々に絆されていく公爵令嬢と、実は彼女のことが大好きで仕方ないツンデレ皇太子によるじれじれラブストーリー。
※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。
あなたへの愛を捨てた日
柴田はつみ
恋愛
公爵夫人エステルは、冷徹な夫レオニスを心から愛していた。彼の好みを調べ、帰宅を待ちわび、献身的に尽くす毎日。
しかし、ある夜会の回廊で、エステルは残酷な真実を知る。
レオニスが、未亡人クラリスの手を取り囁いていたのだ。
「君のような(自立した)女性が、私の隣にいるべきだった」
エステルは悟る。自分の愛は彼にとって「重荷」であり、自分という人間は彼にとって「不足」だったのだと。その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて砕け散る。
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】
ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る――
※他サイトでも投稿中
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
婚姻契約には愛情は含まれていません。 旦那様には愛人がいるのですから十分でしょう?
すもも
恋愛
伯爵令嬢エーファの最も嫌いなものは善人……そう思っていた。
人を救う事に生き甲斐を感じていた両親が、陥った罠によって借金まみれとなった我が家。
これでは領民が冬を越せない!!
善良で善人で、人に尽くすのが好きな両親は何の迷いもなくこう言った。
『エーファ、君の結婚が決まったんだよ!! 君が嫁ぐなら、お金をくれるそうだ!! 領民のために尽くすのは領主として当然の事。 多くの命が救えるなんて最高の幸福だろう。 それに公爵家に嫁げばお前も幸福になるに違いない。 これは全員が幸福になれる機会なんだ、当然嫁いでくれるよな?』
と……。
そして、夫となる男の屋敷にいたのは……三人の愛人だった。
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫」と笑った夫。~王宮から私が去ったあと「愛していた」と泣きついても、もう手遅れです~
水上
恋愛
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫だ」
夫である王太子はそう笑い、泣き真似が得意な見習い令嬢ばかりを優先した。
王太子妃セシリアは、怒り狂うこともなく、静かに心を閉ざす。
「左様でございますか」
彼女は夫への期待というノイズを遮断し、離縁の準備を始めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる