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椿かもめ

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ボジェク8

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 ボジェクがつけた傷が深く刻まれ、見るたびに思い出してくれればきっとなにより満たされることだろう。

 何も知らずのうのうと自分の前に立つ彼女が疎ましいのに、離れられない。離れようと思わない自分がひどく不快だった。
 自分が知らないところで勝手に男を好きになっている事実が不快すぎて吐きたくなった。
 きっと今の己の顔はおぞましいほど歪んでいるだろう。

 ボジェクは傷つけるつもりで言葉を発した。

「ヘドヴィカ。お前はブスでデブだって自分で分かってないのか? ──将来きっとどんな男にも愛されることなんてねぇだろうな」

 けらけらと笑っているのに、心は空っぽだった。

 はっと目を見開くヘドヴィカの視線とかち合う。
 涙で濡れる瞳が自分を貫いた。

 瞬間、理性が囁いてくる。
 自分は今とんでもない間違いをしているのではないかと。

 そのときはっきりと感じたのは罪悪感だった。
 ヴァイオレットの瞳はボジェクの感情を見通すかのように澄んでいた。
  
 ふと、初めてヘドヴィカに会った日のことを思い出す。
 その頃はまだお互いに言いたいことが言い合える関係だった。

 それを今、自らの手で壊してしまった。
 ようやくそれに気がついた。

 ヘドヴィカの瞳が宿す絶望を目にしたとき、あの日々には戻れないのだと悟った。

 その場でわなわなと震えた彼女が顔を青褪めさせ、足元をふらつかせる。
 倒れそうなヘドヴィカを支えるため、ボジェクは一歩踏み出し、手を伸ばしかけた。
 けれど。

「ヘドヴィ───」

 自分よりもそばにいたアダムが桃色のドレスを身に纏う柔らかな体を受け止める。

 アダムの腕の中で瞼を閉じるヘドヴィカ。
 顔色の悪い彼女はまるで死んでしまっているようにも見えた。
 周囲が騒がしくなっていたが、それすら耳に届かない。

(……お、俺は)

 こんなことをしたかったんじゃない。
 倒れるなんて思わなかった。

 いくら言い訳を並び立てたとしても意味はない。
 すべては後の祭りですでに終わったことだった。
 
 急に怖くなった。
 起きたヘドヴィカがなんで言うのか。
 どんな反応をするのか。

 先刻までは怒りに狂り、傷つけたいと思っていたはずなのに、今は身震いするほど彼女のことが心配だった。
 相反する感情が、ヘドヴィカの言動によって左右され続ける現状。

 きっとそういうのをこういうのだろう、恋と。

 認める他なかった。
 本当は少し前から気がついていた。
 それなのに目を逸らし、あり得ないのだと否定し続けてきた。
 自分には縁遠いことだと突き放し、わざわざ意地悪をし続けるというパフォーマンスをしていた。

 山のように育った自尊心を優先した結果がこれだ。

 ボジェクはヘドヴィカのことが好きだったのだ。

 今更自覚してももう遅いのに、なぜ今になって気づいたしまうのだろう。

 目の前で運ばれていくヘドヴィカを目で追いながら、ボジェクはその場に立ち尽くしていた。

 知らぬうちに屋敷に戻ってきていた。
 自分がどうやって帰ってきたのかも記憶にすらない。

 侍従やアダムがなにやら言っていた気がするが、頭に入るわけがなかった。

 食事を摂る気分でもなく、バルコニーに出た。
 手元に握りしめているのは結局渡さなかった紫の石のついたブローチだ。
 無意識のうちに手に取っていたらしい。

(……ヘドヴィカの瞳みたいだ。月に翳すと透き通って見えて、余計にそう見えるな)

 脱力と罪悪感をその身に宿し、ぼんやりとブローチを眺める。
 胸を締めていたのは強烈な後悔だった。

 彼女を倒れるまで追い詰めた事実。
 傷つけるつもりで言ったのだから、きっと一生ヘドヴィカの胸に刻まれることになるだろう。
 今まで自分がどのように接してきたのかを考えるだけで、罪悪感と後悔が不可避の高波のように迫ってくる。

 こんな自分が『お前が好きだ』などと──どの口がいうのか。

 ボジェクはその晩から眠ることが出来なくなった。
 
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