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5章-裏 ~姫と候息~
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わたくしが産まれた日は、春の花薫る、麗しい午後の昼下がり。爽やかなそよ風と、舞う蝶の美しさが、長閑な春の日をより潤していた、とお父様はよく、おっしゃっていた。天の使いが空から降りてくるような日に産まれたわたくしが、美しくないはずがない、と。
わたくしを一目見て、お父様は『アイリーン』と命名された。お母様ですら、わたくしが男の赤子だとは思えず、そのままわたくしを女としてお育てになった。わたくしには、お兄様がお二人と、お姉様がお二人、既にいらっしゃったが、3歳年上のアイリーンお姉様はお体が弱く、20歳まで生きれない、と田舎の別荘でお暮らしになっていたので、わたくしは長い間、同じ名前を持つお姉様には会った事がなかった。大層お美しく、儚くあられる、というお姉様のことをわたくしは心の理想としていて、自分なりに美しくある努力をしていた。・・・今も、わたくしの大切な、理想のお方だけれど。
わたくしには、この州を統括される州候の伯父がおり、伯父の館には、よく遊びに出かけた。伯父は、わたくしにとてもお優しく、お二つ歳が上の従兄、ファナケイル様のお遊び相手として、楽しい時間を過ごすことが多かった。光輝く幼い頃の思い出は、今もわたくしに優しく微笑みかける。
「どうして、アイリは女の子の格好なの?」
ある日、ファナケイル様に何気なく訊かれた。わたくしが本当は男だと言うことは、本当に一部の方しかご存知無かったのだけれども。ファナケイル様とは、水遊びもした仲だったので、自然と分かってしまわれたようだった。
「おかしいですか?」
「別に、おかしくないけど。でも、僕はそんな格好したことないよ?」
純粋な疑問。その時、わたくしも初めてその疑問を抱いたので、伯父様に早速その事を申し上げると。
「ん~・・・そうだねぇ・・・。じゃあ、男の子の服を着てみるかい・・・?」
お父様さえ、当時わたくしが男だとはご存知無かったのに、伯父様はこの時既に、その事をご存知だった。わたくしは、伯父様からお借りした、恐らくファナケイル様の物と思われる服を着せて頂いた。最初の印象は、『走りやすい服』でしか無かったけれども、歩いているうちに、何だか別人のような気がしてきて、楽しくなってしまった。
わたくしは、そのまま伯父様ご自慢の中庭に一人で入り込んでしまい・・・・。
そこで、彼に出会ってしまった。
それは、忘れる事の出来ない、わたくしが変わった、日。
中庭のお花は、様々な色を付けていた。わたくしの名を持つ花、アイリーンを探しながら―――お父様のお庭には咲いていたので―――その花の匂いに浸っていた時。白亜の渡り廊下のほうから、明るい声が聞こえてきた。
この館では、初めて拝見するお顔だった。明るい茶色の髪。似た色の瞳。楽しそうな笑顔。日に焼けた肌と、きちんと肉のついた身体。片手に槍をお持ちになっている所をみると、お庭のほうで練習でもなさっておられたのか。わたくしのお兄様くらいのお歳のように見えたけれども、お兄様方よりもずっと逞しく、わたくしは目が離せなかった。
どなたなのか、後から伯父様に訊いてみよう、と思いながら見送っていると、ふとその方は、こちらへ目をお向けになった。
目が、合う。
それまでの楽しげな表情が一変し、真面目な顔でわたくしを御覧になる。そして、お隣の従者らしき方に何かを指示され、わたくしのいる中庭へとお降りになった。わたくしは、その場を一歩を動けず、その方がいらっしゃるまで両手を胸元で握り締めて待つより他、なかった。
お傍までいらっしゃると、そのお方は、わたくしが思っていたよりも大分大柄な方で、わたくしへと、手を差し伸べられた。
「君は、初めて見る顏だな。使用人には見えないが・・・・名前は?」
「ア・・アイリーンと申します。・・・ファナケイル様の、いとこに当たります」
「ファナケイルの従弟か。どうりで、可愛い顔をしている」
突然、わたくしの身体が浮かんだ。よく理解できないうちにわたくしは、そのお方の逞しい片腕に座るようにして、抱きかかえられていた。
「歳は、いくつだ?」
「8つになりました」
「ははは。まだ少し若すぎるな。このまま攫って行きたい所だが、候に叱られるな。もう少し大きくなったら、俺と来るか?」
それがどういう意味を持つ事なのか、わたくしには全く分からなかったけれども。ただ、このお方のお誘いは。わたくしの中でもう、かけがえの無い物となっていた。
「はい。ご一緒させてください」
「いい子だ。お前は大層な美人になるのだろうな。成長が楽しみだ」
「ありがとうございます」
「後、5年か6年経ったら、迎えに来よう。それまで、誰の物にもなるなよ」(←ショタだったのか・・・。)
名も知らないその方を、わたくしは、一生を捧げるお方と心に決めた。ただその方のために、わたくしは自分を磨こうと思い、尚一層、女らしくとあらゆる事を学び、迎えに来て下さる日を待ち望んだ。
わたくしは、物心ついた時から女として育ち、女として生きていた。そのために、わたくしは全く気付かなかった。
初めて会ったその日。わたくしは男物の服を着ており、男の子供だと思われていた、ということ。今思えば当たり前のような事に、わたくしは長い間気付かなかった。
5年経って、6年経っても、わたくしにお迎えは無かった。
ある日、いつものようにわたくしは、伯父様のお屋敷へ遊びに出かけ、ファナケイル様にお相手して頂こうと部屋を訪れ・・・そして。そこに、忘れもしなかったお方がいらっしゃるのを、見つけてしまった。
もうすっかり、大人の男性になっておられたその方に、わたくしは声をおかけしようとして・・・はしたないこと、と自らを戒め、そっと見守った。楽しそうにファナケイル様とお話なさるそのお姿。優しくファナケイル様を見つめ、手を取り、その唇に接吻するまでを、わたくしは見てしまった。それがどういう事なのか。もう幼くはない。
わたくしはその場を逃げるように去り、お部屋のベッドで枯れるまで泣いた。
そして、気付く。わたくしは女として、あの方のお迎えを待っていた。けれども、わたくしの身体は男。そして、あの方は、ファナケイル様を愛しておられる。けれども、わたくしの外見は女なのだ。どちらにせよ、あの方の愛を得る事は、出来ないのだ、と。
あの時の子供がわたくしだ、と申し上げる勇気は、無かった。
代わりにわたくしは、皆に褒め称えられるような女としての美しさを追求するのは止め、退廃的な美しさに溺れて行った。一度溺れると、今までの努力が馬鹿馬鹿しく思え、わたくしは、自分も他人も冷静に観察できるようになった。あらゆる書物を読み漁り、政治的な事までお父様に進言申し上げるような、女としては可愛らしさの欠片もない姿となった。成長するにつれ、皆がわたくしを恐れ、怖がり、世話をすることさえ厭うた。けれども、皆に恐れられることが、わたくしの新たな快感となり、ますますわたくしを闇の美へと駆り立てた。
それでも、伯父様だけは、変わらずわたくしを想ってくださった。わたくしのために、ご自分のお屋敷にお部屋をご用意してくださり、お父様の代わりに、様々な物を与えてくださる。
「君が、どうして変わったのか・・・。原因は、私にもあるような気がしてならなくてねぇ・・・」
わたくしは誰にもその話をする事なく、胸に秘めていたのだけれども。伯父様はなんとなくご存知のご様子だった。それでも、決してそれ以上をお尋ねにならないその優しさに、わたくしはとても感謝していた。わたくしに出来ることがあれば、何でも致します、と伯父様に約束をする程に。
ただ、わたくしは、変わった事に対してはむしろ喜んでいさえした。
わたくしは、どれほど努力しようとも、身体は男。決して、女としての幸福を得る事は叶わないのだから。女としての美しさを極めたところで、何になると言うのか。けれども、男として生きる事は出来ない。お父様は、わたくしが男だということを、まだご存知なかった。わたくしは一生、お父様の館で飼われるのだ。変化した娘を気味が悪い、と思いながら、どこの貴族の嫁入りに出すことも出来ず、ただ、わたくしは腐って行く。
それでも良い、とわたくしは思う。今のわたくしは、自分にとても正直だ。それはとても喜ばしいこと。
けれども。わたくしが変わらずとも、世界は変わる。
それからわずか2年後。ファナケイル様が戦いに出かけて、戻らなくなってしまわれたのだ。
2年。その年月は、長いようで、短い。
伯父様からわたくし宛てに使者の方がお見えになったのは初めての事だったので、わたくしはすぐにお屋敷をお訪ねした。ファナケイル様の行方が知れ無くなって2年。その間、わたくしは変わらずこちらにお邪魔をし、使用人の人たちとまで仲良くさせて頂いたけれども、時折見かけるあの方のお姿は、目に入れないようにしていた。勿論、もう何年も前に、その方のお名前もお噂も聞いて、知ってはいたのだけれど、もう、わたくしとは違う世界の方だと、心に念じていたので。
それでも、時はわたくしにも、変われ、と囁きにやって来る。
2年ぶりに拝見したファナケイル様は、随分と明るくおなりだった。本当に顔も体形も良く似ておいでだったけれども、あの方にはない、溌剌とした明るさに満ちていた。お屋敷の中も皆の表情は明るく、この方お一人が来たというだけで、変わってしまった、ということに気付く。新しいファナケイル様は、本当に面白い。感情を隠そうともせず、顔の表情をくるくると変える。わたくしに対しての恐れも実にはっきりとしていて、こちらを楽しい気分にさせて下さる。
何よりも、暗い楽しみを感じたのは、わたくしの呼ばれた理由。わたくしの中の仄暗い感情に火が灯る。それを喜びと言わずに何と言うのか。わたくしの事をすっかり忘れ、ファナケイル様に激しい情愛を叩きつけるあの方を、わたくしの手で陥れる。
恐れるがいい、わたくしを。
あの日、初めてお会いした中庭で、お二人は話し合っていた。むしろ、ファナケイル様に対して、感情をぶつけているように見える。
貴方に対して、正当な理由で。思う存分貴方を痛めつける事が出来る事。それは、純粋なわたくしの思い。忘却の代償を、初めて貴方に償って頂く事・・・。気持ちを抑えようとしても、抑えきれない。後悔なさいな。わたくしに、あの日約束なさった事を・・・。
★ ★ ★
地下室は、いつもよりも暗い炎に包まれているように見えた。わたくしは、持っていた真紅の薔薇を扉口に刺して、わたくしの待ち望んでいた犠牲者を、部屋の中へ招いた。扉にしっかりと閂をかけ、鍵を回す。そして、ゆっくりと振り返った。
「わたくしのお部屋は、いかがですか?」
「・・・大した部屋だ。こんな悪趣味な寝所は、今まで見た事がない」
「ふふふ。皆様、そうおっしゃいますわ」
もう10年。このように、間近でこの方と向き合ったことは無かった。それだけに、高揚感を抑えきれない。
アランダル様は、不快そうな表情でわたくしを見たけれども、すぐに壁の飾りなどに目を移された。
「それで、私をこのような部屋まで連れてきたのは、何の目論見あってのことだ?」
「あら。先ほど申しましたでしょう?真実をお確かめになりたいのならば、と・・・」
「このような部屋で、一体何を語るつもりだ?」
「そうですわね・・・。恨み言、とか」
ゆっくりと近づくと、アランダル様は同じように後退された。
「近づくな」
「女はお嫌い?」
「お前のような女は、特にいけ好かん。どろどろと腐った沼のようだ」
「威勢はよろしいですけれど。逃げ腰ですわよ・・・・」
アランダル様は、狭いこの部屋の壁に当たって、立ち止まった。
「貴方は、男にしか興味がないようですわね。そのようなお年になってもご結婚なさらないなんて。おかしいですわよ」
「黙れ。この魔女め」
「あの日。もう10年も前のことですわ・・・・。わたくしは、このお屋敷に遊びに参っておりました」
台の鞭を手にとり、さらに近づくと、アランダル様は剣の柄に手をかけられた。
「来るな。それ以上近づけば斬る」
「ファナケイル様と遊んだ後、わたくしは一人で中庭の花を見ておりました」
「来るなっ、魔女め。その鞭を捨てろっ」
「あの美しい渡り廊下を、二人の男性が歩いて来られた。その中のお一人と、わたくしは目が合った」
「・・・・来るな」
「その方はわたくしに近づいて、不意にわたくしをその腕にお抱きになった。そして、おっしゃいました」
「・・・・斬るぞ」
「大きくなったら、共に来るか?と。5年か6年経ったら、迎えに来よう、と」
「そんな事は言っていない。貴様のような魔女には、決して」
「わたくしは、6年待った。貴方の言葉を信じて」
「言っていない!」
「あの時、わたくしはまだ8つ。男が、男に対して愛を感じる事など、到底知らない無垢な子供。貴方のあの言葉が、わたくしを女に変えた」
「・・・・ば、ばかな・・・。そんな事など、あるはずがない!」
「貴方が、わたくしを女だと思っての事だと、わたくしは信じた。そして6年が過ぎて、貴方はファナケイル様と恋に落ちた。あのとき、無垢な少年を騙したことも忘れて」
「ち・・・違うっ!私は忘れてはいなかった。だが、アイリーンと言う名の男など存在しなかったのだ!」
「いいえ。存在していたわ・・・。貴方が、探さなかっただけ・・・」
その胸に指を這わせると、びくりと大きく体が震えた。
「お前が女になったと言うなら、見つかるはずがない!触るな。俺は女は・・・・」
構わず、服の留め金を外すと、アランダル様は、再び剣の柄に手をかけた。
「本当に斬るぞ・・・」
「ふふ・・・手が、震えてますわよ・・・」
「震えていようとも、斬ることはできる・・・・」
「そうやって、貴方は自らが犯した罪を消し去るおつもりなのね・・・。一人の子供が、貴方の気まぐれで道を踏み外した。貴族の男子でありながら女の格好をし、その果てにはこのような玩具に囲まれる事に快感を憶えた。将来有望な子供を一人、貴方は殺してしまった。俗世という世界から。・・・そうね。貴方は、ファナケイル様をも、一度は殺してしまったのだもの・・・。その位は、平気でなさるわよね・・・・」
「・・・・ど、どういう意味だ・・・・」
「貴方がけしかけたのでしょう・・・?自らの武勲を誇り、お前も男なら、武勲のひとつも挙げてこい、とおっしゃったのでしょう・・・。あの、お優しい、武術などとは到底無縁の、わたくしの大切な従兄君を・・・。2年も・・・この世界から消した。そして、今もまだ、何も取り返しておられない・・・。貴方がどんな言い訳をしても、わたくしだけは決して忘れない・・・。わたくしを殺しても、永遠に・・・・」
「・・・・それが、目的か・・・。貴様の・・・」
「・・・・何が・・・?」
「俺を、殺すつもりか・・・・。同じ様に、世間から俺の存在を消すつもりなんだな!この牢獄で!」
わたくしは、微笑む。自然と笑みは零れた。本当に、この部屋で飼ってもいいかもしれない。飼いならして、腐らせて、そして・・・。
「・・・それで・・・?貴方は、どうなさるおつもり・・・?」
仰け反りながら、まだ目は闘志を失っていない。本当に頑固な御方。
「決まっている!貴様のような魔女をこのまま容認するわけにはいかん。貴様を叩き斬り、候にも責任を追及せねば・・・」
「そうして、貴方は自らの罪を認めない・・・」
服の紐を緩め、直接肌に触れると、面白いようにアランダル様は硬直し、小さく息を漏らした。
「それほどまでに罪の証が欲しいのならば、罰を与えて差し上げますわ。・・・針がよろしい?刃物がよろしい?鎖、鉄、それから鞭。何でも揃っておりますわよ・・・」
「・・・闇と契約を交わした化け物め・・・・」
「闇は、心地よいもの。悪しき物ではありませんわよ・・・」
鞭を近くの台へ置き、わたくしはアランダル様に密着したまま、決して一人では脱いだ事の無いドレスに手をかけた。到底一人で着替えたり出来るものではないので、わたくしは、それをどうすれば綺麗に脱げるのか、全く知らずにいる。いつもメイドがいて、ばあやがいて、わたくしが一人で何かを行う必要も無く、ただ、飼われているだけに過ぎないわたくし。男として育っていればこの男のように、自由に武術の訓練を行い、勉学に励み、知人を作り、恋をしたのだろうかと思うと・・・わたくしには、本当に何ひとつ、自由になる物がない事に気付かされる。男としての自由も、女としての自由も無いわたくしに、何を望まれることがあるだろう。必要とされることがあるだろう。わたくしが在るという事を認めて頂くために、他に何が出来たというだろう。このように生きる事でしか、他人に見てもらう事が無いわたくしは、皆から向けられる恐怖で、自らが生きていることを感じていた。誰が悪いのか。誰を恨んで良いのか。そうする事で、わたくしが生きると言うならば、喜んでそうしよう。誰かを憎んでわたくしの生が皆に認められるのならば、進んでそうしよう。けれども、わたくしが何を思っても、世の中は全く変わらない。飼われているだけのわたくしが、何をしても誰も変わらない。
本当は、認めて欲しい。わたくしが、ここに生きている、という事。男としても、女としても、生きる事の出来ない者が、ここにいる、ということを。
わたくしはナイフを手にした。アランダル様は緊張した表情で、剣の柄に手をやる。けれどもわたくしは全く気にせず、思い切り良くナイフをドレスの胸元に刺した。そのまま胴のほうへと力を込めて切り裂き、黒の下着にもナイフを入れようとして。
その手を、止められた。
「・・・・よく・・・分かった・・・・」
低い、声だった。顔を下げ、表情は見えない。けれども、わたくしの腕とは違う太い手でつかまれ、全くナイフを動かすことは出来なかった。
「もう、いい・・・」
「いいえ。貴方は、罪をお認めにならない。認めて頂かなくては、ここにお連れした意味がありませんわ。よく、御覧になって」
ゆっくり顔を上げ、アランダル様はわたくしを見つめた。下着を脱がなくても、もう十分に分かったような表情だったけれども。
「・・・そうか。お前が言ったことは全て、真実だったのだな・・・。俺が、お前を・・・・変えてしまったのか」
「えぇ。それが全ての始まり」
「そうか。・・・お前の好きにするといい」
アランダル様の身体から、力が抜けた。目を閉じ、壁にもたれかかる。
余りにも呆気なく手に入ってしまって。少し、戸惑う。あっさりと認めて、弁解ももう、一言もなさらずに。ただ、覚悟を決めたような顔でわたくしに、その身体をゆだねてしまわれた。
「・・・・おかしな方・・・」
思わず呟くと、アランダル様は僅かに目を開けて、眉をしかめる。
「何がおかしい。お前の望む罰を、俺に与えるといい。それが、お前の望みだったんだろう。お前の10年を俺の為に無駄にしてしまったと言うならば、責を咎められるのは当然だ」
「10年だけではありませんわ。これからも、ずっと・・・。わたくしは、男でも無く、女でも無く、生き続ける」
「・・・・お前は男だ」
低い、低い、聞こえない位の声。
どうして、そんなに簡単に。
「本当に、貴方は・・・分かっておられない。男としての教育も受けていないわたくしが、お父様にすら女だと思われているわたくしが。どうして簡単に男になれる、と?」
「身体が男で、女であることを嫌だと思うのならば、お前は男だ。簡単に男になれないなら・・・俺が何とかしてやる」
「・・・また簡単に、そのような約束などなさって・・・。本当に困った方・・・・」
アランダル様をベッドに寝かせて、鎖で手と足を拘束し、ベッドに固定する。
「2度も約束を破れば・・・ここに一生閉じ込めますわよ・・・」
「1度目も破る気は無かった。本当に俺は・・・・」
言いかけたその口から、声にならない吐息が漏れる。身体を縛りあげた長い鞭は、持ち手を動かすと身体を締め付けるようになっている。そのように作られている。まだ、少し苦しいくらいで、痛いということは無いけれども、その反応は意外と・・・。
「感じていらっしゃるの・・・。このようにされたことがお有り?」
「あるわけ・・・ないだろう・・・」
「ふふ・・・ご自分が奴隷に鞭打っても、まさか打たれることは無いでしょうからね・・・。新しい発見ですわね・・・。アランダル様?」
「・・・・何がだ」
逞しい身体を上から下まで眺めて、まだ隠されている部分を露わにすると、既にその部分は知らない、と言った風では無かった。とても可笑しくなって、思わず笑ってしまいながら、わたくしはそこに口付けた。
「・・・何を、する気だ・・・」
「あら。させた事はありませんの・・・?」
「・・・・お前は、経験が有るとでも言うのか・・・。その格好と身体で」
「ありませんわよ。一通りのお勉強は致しましたけれど」
「・・・手馴れている・・・」
「予行練習はいろいろと」
実験台は、それなりに居たけれども、わたくしの気持ちをそれほど高ぶらせることはなかった。恋しいと思う相手は、こうも違うなんて。わたくしの行為ひとつひとつに反応するその姿が、意識せずともわたくしを熱くさせる。意外と過敏な方だったらしい。それとも、この状況がそうさせているのか。今まで、自分の好きなように相手を反応させて来たであろうこの方の今を考えるだけで、わたくしは笑いが込みあげてしまう。そのまま隠されている部分を広げると、アランダル様は目に見えて反応した。
「まっ・・・待て。お前、本当に経験」
「わたくしの物を入れても、余り楽しくありませんわね・・・。何を突き刺そうかしら・・・」
「・・・な・・・何を・・・」
わざとらしく辺りを見回し、ゆっくりと目の前の壁に掛かっている斧のほうへ歩み寄る。
「ここに、丁度良いものがありますわね・・・」
「そ、そんなものをっ・・・やめろ。絶対やめろ。そもそも俺は、そういった経験は一切無」
「ですから、面白いのですわ。どのような罰を受けるおつもりでしたの?まさか、奴隷と同じような鞭叩きで済ませるおつもりでしたの?」
もうアランダル様は何も言わなかった。きっと心の中で激しく後悔なさっているのでしょうけれど。・・・本当に、遊び甲斐のあるお方。
わたくしは、思うよりも軽いその斧を壁から外して、アランダル様によく見えるように側に持って行った。
「思ったよりも、柄は太くありませんわね。今日は、これで勘弁してさしあげますわ」
「・・・・・」
目を閉じて、見ないようにしている。わたくしはその身体の上に乗って、斧をそっと床に下ろし、そのままわたくしの身体をアランダル様へと沈めた。想像していたよりも遥かに強い痛みがわたくしを襲う。
「アッ・・・アイリーン・・・・?!」
アランダル様は身じろぎなされたが、身動きは取れないのでそれ以上どうすることも出来ず、わたくしを見つめた。
「お前はっ・・・馬鹿かっ・・・・!」
「・・・馬鹿では・・・ありませんわ・・・」
「すぐに降りろ。何も使わず、何の愛撫も無しに入れて、我慢できるはずがないだろうっ・・・!どけっ」
「・・・貴方は・・・罰を受けているのです・・・。貴方からの要望には・・・応えません・・・」
「・・・お前は、間違っている。お前も良くならなければ、意味が無い。・・・そんな顏をして、自分も罰を受けているつもりか」
そうかもしれない・・・。わたくしは、アランダル様を見つめた。
あの日。思い切って、アランダル様に想いを告げていれば。こんな形でしか想いを告げることができない身にはならなかった。けれども、わたくしはただ純粋に、この方とひとつになりたいと思っただけ。その結果、思うより苦痛だった、というだけで・・・。
このように、怒られるつもりは無かった。怒られるとは、思ってもみなくて。
また、少し笑ってしまう。
「・・・これは、罰ではありませんわ・・・」
動くたびに痛みが響くけれども。
「わたくしが、こうしたい、と思っただけですもの・・・」
そして、貴方はわたくしを気遣って下さった。
それが、どのような理由であれ、幸せではない、と思えるだろうか。わたくしの望みは、叶ったのだ。
★ ★ ★
「・・・お前には、明るい色の服が似合う」
戒めを解いた後、ぽつりとアランダル様はおっしゃった。
「初めて会った時、淡い青の服を着ていたな。お前の黒髪と、紫の瞳によく似合っていた。・・・今まで、見た事も無いような子供だと思った。神殿に仕える聖職者でも、ああはなるまい。派手ではないが、ひっそりと輝く月のような姿に、俺は目を奪われた」
ベッドに腰掛け、わたくしに語りかける。
「だが、他所の州の、それも候の血筋の者だ。簡単に連れて行けるものではない。だが、13か4にでもなれば、一人前になるための苦学だとでも言って、連れ歩くことが出来ると思った。俺は数年経ってから候に、その子供の正体を尋ねたが、全く相手にされなかった。アイリーンと言う名の女の子供なら、田舎で養生している、と。ただそれだけだった」
「・・・それは、わたくしの姉です」
「・・・そうか。だが、交流もない屋敷には、さすがに出向くこともできん。ましてや、女と聞かされたのではな。長い間、俺はいろいろと当たって探したが、お前は見つからなかった。勿論、女の格好をしているとは、思いもしなかった」
わたくしの中で、ただ見つめているだけの頃の事が思い起こされた。
「だが、お前は言ったな。父上にも、女と思われている、と。だが、確かお前は8歳までは男として育って・・・。いや、病弱な、同じ名前の姉、か・・・。まさか、お前はその姉だと父上に思われているのか」
「・・・わたくしが、この部屋にアランダル様をお連れしたのは、どのような考えだったと思われますか?」
「・・・・何をいまさら・・・」
「聞いたら怒ってしまわれるかも。・・・・わたくし、貴方を騙したのです」
「・・・・・」
アランダル様は、とても複雑そうな表情になった。
「本当は、産まれた時から、女として育てられていたのです。あの日は、偶然伯父様から、あの服を貸して頂いただけですわ」
「・・・なに・・・」
「ですから、わたくしは、貴方に望まれているのは女としての事だ、と思いました。・・・子供には、男が男を求めることもある、など分かるはずもありませんし。・・・怒りました?」
「・・・・・風邪をひく」
低く呟き、アランダル様は奥の間の扉を開けた。その扉は、こちらからは自由に出入りできないように、台で塞いであったけれども、アランダル様は乱暴にそれをどけて、奥へと入って行く。そして、そこに控えていたわたくしのばあやに、何かをおっしゃって、ばあやがやって来た。その手には、わたくしが決して着ようとしなかった、淡い色のドレスが。
「お前には、明るい色が似合う。もう、そんな暗い色のドレスは着るな。化粧もだ。この部屋も」
「この趣味は、譲れませんわ。わたくしが、わたくしで在る為でもありますし、この鞭などもとても使い勝手が良くて」
「お前は、この異様な部屋を、俺の屋敷にも作ろうと言うのか」
呆れたような声だった。・・・けれども。
「・・・アランダル様の・・・お屋敷・・・?」
「約束は果たそう。お前を迎え入れる。そして、お前は女でも男でも無いと言ったな。簡単に男にはなれない、と」
あっさりと、言って。そして。
「それは、お前がこの場所にいるからだ。お前を、女であり、男でもあるようにしてやる。その方が体面的にも良いからな」
「どのように?」
「簡単な事だ。お前を俺が、娶る」
それは。
女として生きて来たわたくしでも、全く想像もしなかった言葉で・・・。むしろ、一生縁のない言葉として、記憶していた事。
「・・・ですが、子供が・・・。わたくしでは」
「俺が、自分の子供を持てると、お前は思うのか?女など、一生側に置くつもりはない。それは、俺の父上もご存知の事だ」
「でも・・・」
「お前は、少なくともその辺の女よりも女らしい。俺が結婚することは、我が州にとっても大きな利益だ。後継ぎを産め、と多少うるさいかもしれんが、その程度は何と言うことはないだろう?」
「でも、わたくしが女らしいと言うのは、貴方は嫌なのでは。それに、わたくしで本当によろしいのですか?」
「お前以外に、俺の花嫁にふさわしい男がいると思うのか?見た目も申し分無く、女としての嗜みも心得、上品で、尚且つ体は男だ。勿論、女の臭いのする香水やドレスは気に食わんが、体外的な物だからな。俺の前では、男の格好をしていればいい。こっそり外に遊びに行く時とかな。・・・面白いぞ」
あっさりと。こんなにあっさりと、どうしてわたくしの望みを遥かに通り越して、約束してしまわれるのか。わたくしには、想像もつかなかった事を、本当に簡単に、わたくしにとっても最善の事を、決めてしまわれた。もしも、そうなるのならば、お父様にもわたくしが男だとは気付かれず、又、わたくしは女でもあり、男でもある存在となり。そして。皆が、わたくしが生きていることを、知ってくださるのだ。皆には女として。この方には、男として。
生きても良いのだ。この世の喜びを背負って、皆の前に姿を現し、堂々と自分が何者であるのか、さらけだしても。
「・・・おい。泣くな・・・。お前は、女か・・・」
嫌そうな声。けれども、女でなくとも、この喜びの前に平常心でいられるはずがない。ただ、将来を約束された求愛だけではない。わたくし自身の将来が、全てその言葉で変わってしまった奇跡は。感謝だけでは収まり切れない。
「・・・有難う御座います。アランダル様」
「ありがとうでは分からん。俺の求愛を受けるのか、否か」
「せっかちな方ですわね」
「又、妙な誤解をされるのは困るからな」
「・・・ファナケイル様は、よろしいの?」
「・・・お前を好いているファナケイルには悪いが、お前は俺が貰う」
そういえば、と思い出し、再び笑ってしまう。
「実は、演技をして頂いたのです。ファナケイル様にも」
「・・・何だと?」
「記憶を取り戻しておられないのは事実ですけれども、だから、わたくしが妨害したのですわ。貴方が余りにファナケイル様と懇意になさろうとするから。あの方は、今は貴方の事を特に想っているわけではありませんし、2度も目の前で盗られてしまっては、わたくし、本当に何をするか分かりませんもの・・・」
「・・・随分と、俺は騙されたようだが・・・・。あのような事までされて、お前に相当けなされて・・・・俺のほうこそ言いたい所だな。ただで済むとは思うなよ」
「あら。では、ファナケイル様のことはもう、何とも思っておられないの?」
じわじわと怒りの気配を漂わせていたアランダル様は、急におとなしくなられた。
「・・・・今のお前よりは、数段ファナケイルのほうが好みだが・・・」
・・・本当に、素直な方。
「正直すぎると、刺されますわよ?」
「だったら早く、俺に男の姿を見せてくれ」
「外見だけ重視なさるのね」
「お前は女か!ねちねちと嫌味ばかり言いやがって」
「18年、女として生きていれば、そうなりますわ」
わたくしの衣装変えは終わり、ばあやは髪型を直している。一言もばあやが口を出さずに微笑んでいるのが、今のわたくしには、嬉しい。
「・・アイリーン。俺は素直な奴が好きだが、お前はかなりクセがある。変な趣味もあるし、女みたいだし、実際お前がファナケイルに勝っているのは、その美貌だけだと思っている」
「随分な言いようですわね」
「それでも、俺はお前のほうが良いと思っている。・・・10年以上前から俺はファナケイルを見て来たが、10年前のあの時は、本当にファナケイルの事は何とも思っていなかった。月よりも霞んで見えた。・・・今は、ファナケイルの事を何とも思わなくなったわけではないが、お前が、何とかしてしまうのだろう・・・?お前はそういう奴だ」
「そうでしたわね」
笑いながら、わたくしはアランダル様を見上げた。わたくしの事を、男としても、女としても扱って欲しいと願っている。それは、少し前までは、全く考えもしなかった事。次々に欲望は大きくなって行ってしまう。・・・でも。もう押さえ込まなくても良い事だから。少し素直になって、何でも言う事が出来るのだから。そのために。
「・・・アランダル様。わたくし、貴方の妻になります。貴方からの求愛。謹んでお受け致します」
ふわり、と抱きしめられた。わたくしも、背中に手を回して、胸に顔をうずめる。
「やっと、俺の物になったな・・・」
とても優しい声が、わたくしの上から降り注ぐ。
「・・・いいえ。わたくしの物、ですわ・・・」
呟くと、苦笑のような声がした。
これからの将来に期待で胸がいっぱいになる。何もかもが愛おしく思える。この方の全てが。わたくし自身すら。どれだけ、貴方を想っただろう。どれだけ、貴方の傍にいたい、と願っただろう。どれだけ、本当はわたくしを見て欲しいのだ、と叫びかけただろう。全てをあきらめていたわたくしが、望んでいたものを全て手に入れた。
やっと、わたくしの時間が動き出す。これからは忙しくなるけれども、むしろ喜ばしい事だ。
この世に、変わらない物などない。
わたくしの人生は、ようやく輝き出す。
<おわり>
わたくしを一目見て、お父様は『アイリーン』と命名された。お母様ですら、わたくしが男の赤子だとは思えず、そのままわたくしを女としてお育てになった。わたくしには、お兄様がお二人と、お姉様がお二人、既にいらっしゃったが、3歳年上のアイリーンお姉様はお体が弱く、20歳まで生きれない、と田舎の別荘でお暮らしになっていたので、わたくしは長い間、同じ名前を持つお姉様には会った事がなかった。大層お美しく、儚くあられる、というお姉様のことをわたくしは心の理想としていて、自分なりに美しくある努力をしていた。・・・今も、わたくしの大切な、理想のお方だけれど。
わたくしには、この州を統括される州候の伯父がおり、伯父の館には、よく遊びに出かけた。伯父は、わたくしにとてもお優しく、お二つ歳が上の従兄、ファナケイル様のお遊び相手として、楽しい時間を過ごすことが多かった。光輝く幼い頃の思い出は、今もわたくしに優しく微笑みかける。
「どうして、アイリは女の子の格好なの?」
ある日、ファナケイル様に何気なく訊かれた。わたくしが本当は男だと言うことは、本当に一部の方しかご存知無かったのだけれども。ファナケイル様とは、水遊びもした仲だったので、自然と分かってしまわれたようだった。
「おかしいですか?」
「別に、おかしくないけど。でも、僕はそんな格好したことないよ?」
純粋な疑問。その時、わたくしも初めてその疑問を抱いたので、伯父様に早速その事を申し上げると。
「ん~・・・そうだねぇ・・・。じゃあ、男の子の服を着てみるかい・・・?」
お父様さえ、当時わたくしが男だとはご存知無かったのに、伯父様はこの時既に、その事をご存知だった。わたくしは、伯父様からお借りした、恐らくファナケイル様の物と思われる服を着せて頂いた。最初の印象は、『走りやすい服』でしか無かったけれども、歩いているうちに、何だか別人のような気がしてきて、楽しくなってしまった。
わたくしは、そのまま伯父様ご自慢の中庭に一人で入り込んでしまい・・・・。
そこで、彼に出会ってしまった。
それは、忘れる事の出来ない、わたくしが変わった、日。
中庭のお花は、様々な色を付けていた。わたくしの名を持つ花、アイリーンを探しながら―――お父様のお庭には咲いていたので―――その花の匂いに浸っていた時。白亜の渡り廊下のほうから、明るい声が聞こえてきた。
この館では、初めて拝見するお顔だった。明るい茶色の髪。似た色の瞳。楽しそうな笑顔。日に焼けた肌と、きちんと肉のついた身体。片手に槍をお持ちになっている所をみると、お庭のほうで練習でもなさっておられたのか。わたくしのお兄様くらいのお歳のように見えたけれども、お兄様方よりもずっと逞しく、わたくしは目が離せなかった。
どなたなのか、後から伯父様に訊いてみよう、と思いながら見送っていると、ふとその方は、こちらへ目をお向けになった。
目が、合う。
それまでの楽しげな表情が一変し、真面目な顔でわたくしを御覧になる。そして、お隣の従者らしき方に何かを指示され、わたくしのいる中庭へとお降りになった。わたくしは、その場を一歩を動けず、その方がいらっしゃるまで両手を胸元で握り締めて待つより他、なかった。
お傍までいらっしゃると、そのお方は、わたくしが思っていたよりも大分大柄な方で、わたくしへと、手を差し伸べられた。
「君は、初めて見る顏だな。使用人には見えないが・・・・名前は?」
「ア・・アイリーンと申します。・・・ファナケイル様の、いとこに当たります」
「ファナケイルの従弟か。どうりで、可愛い顔をしている」
突然、わたくしの身体が浮かんだ。よく理解できないうちにわたくしは、そのお方の逞しい片腕に座るようにして、抱きかかえられていた。
「歳は、いくつだ?」
「8つになりました」
「ははは。まだ少し若すぎるな。このまま攫って行きたい所だが、候に叱られるな。もう少し大きくなったら、俺と来るか?」
それがどういう意味を持つ事なのか、わたくしには全く分からなかったけれども。ただ、このお方のお誘いは。わたくしの中でもう、かけがえの無い物となっていた。
「はい。ご一緒させてください」
「いい子だ。お前は大層な美人になるのだろうな。成長が楽しみだ」
「ありがとうございます」
「後、5年か6年経ったら、迎えに来よう。それまで、誰の物にもなるなよ」(←ショタだったのか・・・。)
名も知らないその方を、わたくしは、一生を捧げるお方と心に決めた。ただその方のために、わたくしは自分を磨こうと思い、尚一層、女らしくとあらゆる事を学び、迎えに来て下さる日を待ち望んだ。
わたくしは、物心ついた時から女として育ち、女として生きていた。そのために、わたくしは全く気付かなかった。
初めて会ったその日。わたくしは男物の服を着ており、男の子供だと思われていた、ということ。今思えば当たり前のような事に、わたくしは長い間気付かなかった。
5年経って、6年経っても、わたくしにお迎えは無かった。
ある日、いつものようにわたくしは、伯父様のお屋敷へ遊びに出かけ、ファナケイル様にお相手して頂こうと部屋を訪れ・・・そして。そこに、忘れもしなかったお方がいらっしゃるのを、見つけてしまった。
もうすっかり、大人の男性になっておられたその方に、わたくしは声をおかけしようとして・・・はしたないこと、と自らを戒め、そっと見守った。楽しそうにファナケイル様とお話なさるそのお姿。優しくファナケイル様を見つめ、手を取り、その唇に接吻するまでを、わたくしは見てしまった。それがどういう事なのか。もう幼くはない。
わたくしはその場を逃げるように去り、お部屋のベッドで枯れるまで泣いた。
そして、気付く。わたくしは女として、あの方のお迎えを待っていた。けれども、わたくしの身体は男。そして、あの方は、ファナケイル様を愛しておられる。けれども、わたくしの外見は女なのだ。どちらにせよ、あの方の愛を得る事は、出来ないのだ、と。
あの時の子供がわたくしだ、と申し上げる勇気は、無かった。
代わりにわたくしは、皆に褒め称えられるような女としての美しさを追求するのは止め、退廃的な美しさに溺れて行った。一度溺れると、今までの努力が馬鹿馬鹿しく思え、わたくしは、自分も他人も冷静に観察できるようになった。あらゆる書物を読み漁り、政治的な事までお父様に進言申し上げるような、女としては可愛らしさの欠片もない姿となった。成長するにつれ、皆がわたくしを恐れ、怖がり、世話をすることさえ厭うた。けれども、皆に恐れられることが、わたくしの新たな快感となり、ますますわたくしを闇の美へと駆り立てた。
それでも、伯父様だけは、変わらずわたくしを想ってくださった。わたくしのために、ご自分のお屋敷にお部屋をご用意してくださり、お父様の代わりに、様々な物を与えてくださる。
「君が、どうして変わったのか・・・。原因は、私にもあるような気がしてならなくてねぇ・・・」
わたくしは誰にもその話をする事なく、胸に秘めていたのだけれども。伯父様はなんとなくご存知のご様子だった。それでも、決してそれ以上をお尋ねにならないその優しさに、わたくしはとても感謝していた。わたくしに出来ることがあれば、何でも致します、と伯父様に約束をする程に。
ただ、わたくしは、変わった事に対してはむしろ喜んでいさえした。
わたくしは、どれほど努力しようとも、身体は男。決して、女としての幸福を得る事は叶わないのだから。女としての美しさを極めたところで、何になると言うのか。けれども、男として生きる事は出来ない。お父様は、わたくしが男だということを、まだご存知なかった。わたくしは一生、お父様の館で飼われるのだ。変化した娘を気味が悪い、と思いながら、どこの貴族の嫁入りに出すことも出来ず、ただ、わたくしは腐って行く。
それでも良い、とわたくしは思う。今のわたくしは、自分にとても正直だ。それはとても喜ばしいこと。
けれども。わたくしが変わらずとも、世界は変わる。
それからわずか2年後。ファナケイル様が戦いに出かけて、戻らなくなってしまわれたのだ。
2年。その年月は、長いようで、短い。
伯父様からわたくし宛てに使者の方がお見えになったのは初めての事だったので、わたくしはすぐにお屋敷をお訪ねした。ファナケイル様の行方が知れ無くなって2年。その間、わたくしは変わらずこちらにお邪魔をし、使用人の人たちとまで仲良くさせて頂いたけれども、時折見かけるあの方のお姿は、目に入れないようにしていた。勿論、もう何年も前に、その方のお名前もお噂も聞いて、知ってはいたのだけれど、もう、わたくしとは違う世界の方だと、心に念じていたので。
それでも、時はわたくしにも、変われ、と囁きにやって来る。
2年ぶりに拝見したファナケイル様は、随分と明るくおなりだった。本当に顔も体形も良く似ておいでだったけれども、あの方にはない、溌剌とした明るさに満ちていた。お屋敷の中も皆の表情は明るく、この方お一人が来たというだけで、変わってしまった、ということに気付く。新しいファナケイル様は、本当に面白い。感情を隠そうともせず、顔の表情をくるくると変える。わたくしに対しての恐れも実にはっきりとしていて、こちらを楽しい気分にさせて下さる。
何よりも、暗い楽しみを感じたのは、わたくしの呼ばれた理由。わたくしの中の仄暗い感情に火が灯る。それを喜びと言わずに何と言うのか。わたくしの事をすっかり忘れ、ファナケイル様に激しい情愛を叩きつけるあの方を、わたくしの手で陥れる。
恐れるがいい、わたくしを。
あの日、初めてお会いした中庭で、お二人は話し合っていた。むしろ、ファナケイル様に対して、感情をぶつけているように見える。
貴方に対して、正当な理由で。思う存分貴方を痛めつける事が出来る事。それは、純粋なわたくしの思い。忘却の代償を、初めて貴方に償って頂く事・・・。気持ちを抑えようとしても、抑えきれない。後悔なさいな。わたくしに、あの日約束なさった事を・・・。
★ ★ ★
地下室は、いつもよりも暗い炎に包まれているように見えた。わたくしは、持っていた真紅の薔薇を扉口に刺して、わたくしの待ち望んでいた犠牲者を、部屋の中へ招いた。扉にしっかりと閂をかけ、鍵を回す。そして、ゆっくりと振り返った。
「わたくしのお部屋は、いかがですか?」
「・・・大した部屋だ。こんな悪趣味な寝所は、今まで見た事がない」
「ふふふ。皆様、そうおっしゃいますわ」
もう10年。このように、間近でこの方と向き合ったことは無かった。それだけに、高揚感を抑えきれない。
アランダル様は、不快そうな表情でわたくしを見たけれども、すぐに壁の飾りなどに目を移された。
「それで、私をこのような部屋まで連れてきたのは、何の目論見あってのことだ?」
「あら。先ほど申しましたでしょう?真実をお確かめになりたいのならば、と・・・」
「このような部屋で、一体何を語るつもりだ?」
「そうですわね・・・。恨み言、とか」
ゆっくりと近づくと、アランダル様は同じように後退された。
「近づくな」
「女はお嫌い?」
「お前のような女は、特にいけ好かん。どろどろと腐った沼のようだ」
「威勢はよろしいですけれど。逃げ腰ですわよ・・・・」
アランダル様は、狭いこの部屋の壁に当たって、立ち止まった。
「貴方は、男にしか興味がないようですわね。そのようなお年になってもご結婚なさらないなんて。おかしいですわよ」
「黙れ。この魔女め」
「あの日。もう10年も前のことですわ・・・・。わたくしは、このお屋敷に遊びに参っておりました」
台の鞭を手にとり、さらに近づくと、アランダル様は剣の柄に手をかけられた。
「来るな。それ以上近づけば斬る」
「ファナケイル様と遊んだ後、わたくしは一人で中庭の花を見ておりました」
「来るなっ、魔女め。その鞭を捨てろっ」
「あの美しい渡り廊下を、二人の男性が歩いて来られた。その中のお一人と、わたくしは目が合った」
「・・・・来るな」
「その方はわたくしに近づいて、不意にわたくしをその腕にお抱きになった。そして、おっしゃいました」
「・・・・斬るぞ」
「大きくなったら、共に来るか?と。5年か6年経ったら、迎えに来よう、と」
「そんな事は言っていない。貴様のような魔女には、決して」
「わたくしは、6年待った。貴方の言葉を信じて」
「言っていない!」
「あの時、わたくしはまだ8つ。男が、男に対して愛を感じる事など、到底知らない無垢な子供。貴方のあの言葉が、わたくしを女に変えた」
「・・・・ば、ばかな・・・。そんな事など、あるはずがない!」
「貴方が、わたくしを女だと思っての事だと、わたくしは信じた。そして6年が過ぎて、貴方はファナケイル様と恋に落ちた。あのとき、無垢な少年を騙したことも忘れて」
「ち・・・違うっ!私は忘れてはいなかった。だが、アイリーンと言う名の男など存在しなかったのだ!」
「いいえ。存在していたわ・・・。貴方が、探さなかっただけ・・・」
その胸に指を這わせると、びくりと大きく体が震えた。
「お前が女になったと言うなら、見つかるはずがない!触るな。俺は女は・・・・」
構わず、服の留め金を外すと、アランダル様は、再び剣の柄に手をかけた。
「本当に斬るぞ・・・」
「ふふ・・・手が、震えてますわよ・・・」
「震えていようとも、斬ることはできる・・・・」
「そうやって、貴方は自らが犯した罪を消し去るおつもりなのね・・・。一人の子供が、貴方の気まぐれで道を踏み外した。貴族の男子でありながら女の格好をし、その果てにはこのような玩具に囲まれる事に快感を憶えた。将来有望な子供を一人、貴方は殺してしまった。俗世という世界から。・・・そうね。貴方は、ファナケイル様をも、一度は殺してしまったのだもの・・・。その位は、平気でなさるわよね・・・・」
「・・・・ど、どういう意味だ・・・・」
「貴方がけしかけたのでしょう・・・?自らの武勲を誇り、お前も男なら、武勲のひとつも挙げてこい、とおっしゃったのでしょう・・・。あの、お優しい、武術などとは到底無縁の、わたくしの大切な従兄君を・・・。2年も・・・この世界から消した。そして、今もまだ、何も取り返しておられない・・・。貴方がどんな言い訳をしても、わたくしだけは決して忘れない・・・。わたくしを殺しても、永遠に・・・・」
「・・・・それが、目的か・・・。貴様の・・・」
「・・・・何が・・・?」
「俺を、殺すつもりか・・・・。同じ様に、世間から俺の存在を消すつもりなんだな!この牢獄で!」
わたくしは、微笑む。自然と笑みは零れた。本当に、この部屋で飼ってもいいかもしれない。飼いならして、腐らせて、そして・・・。
「・・・それで・・・?貴方は、どうなさるおつもり・・・?」
仰け反りながら、まだ目は闘志を失っていない。本当に頑固な御方。
「決まっている!貴様のような魔女をこのまま容認するわけにはいかん。貴様を叩き斬り、候にも責任を追及せねば・・・」
「そうして、貴方は自らの罪を認めない・・・」
服の紐を緩め、直接肌に触れると、面白いようにアランダル様は硬直し、小さく息を漏らした。
「それほどまでに罪の証が欲しいのならば、罰を与えて差し上げますわ。・・・針がよろしい?刃物がよろしい?鎖、鉄、それから鞭。何でも揃っておりますわよ・・・」
「・・・闇と契約を交わした化け物め・・・・」
「闇は、心地よいもの。悪しき物ではありませんわよ・・・」
鞭を近くの台へ置き、わたくしはアランダル様に密着したまま、決して一人では脱いだ事の無いドレスに手をかけた。到底一人で着替えたり出来るものではないので、わたくしは、それをどうすれば綺麗に脱げるのか、全く知らずにいる。いつもメイドがいて、ばあやがいて、わたくしが一人で何かを行う必要も無く、ただ、飼われているだけに過ぎないわたくし。男として育っていればこの男のように、自由に武術の訓練を行い、勉学に励み、知人を作り、恋をしたのだろうかと思うと・・・わたくしには、本当に何ひとつ、自由になる物がない事に気付かされる。男としての自由も、女としての自由も無いわたくしに、何を望まれることがあるだろう。必要とされることがあるだろう。わたくしが在るという事を認めて頂くために、他に何が出来たというだろう。このように生きる事でしか、他人に見てもらう事が無いわたくしは、皆から向けられる恐怖で、自らが生きていることを感じていた。誰が悪いのか。誰を恨んで良いのか。そうする事で、わたくしが生きると言うならば、喜んでそうしよう。誰かを憎んでわたくしの生が皆に認められるのならば、進んでそうしよう。けれども、わたくしが何を思っても、世の中は全く変わらない。飼われているだけのわたくしが、何をしても誰も変わらない。
本当は、認めて欲しい。わたくしが、ここに生きている、という事。男としても、女としても、生きる事の出来ない者が、ここにいる、ということを。
わたくしはナイフを手にした。アランダル様は緊張した表情で、剣の柄に手をやる。けれどもわたくしは全く気にせず、思い切り良くナイフをドレスの胸元に刺した。そのまま胴のほうへと力を込めて切り裂き、黒の下着にもナイフを入れようとして。
その手を、止められた。
「・・・・よく・・・分かった・・・・」
低い、声だった。顔を下げ、表情は見えない。けれども、わたくしの腕とは違う太い手でつかまれ、全くナイフを動かすことは出来なかった。
「もう、いい・・・」
「いいえ。貴方は、罪をお認めにならない。認めて頂かなくては、ここにお連れした意味がありませんわ。よく、御覧になって」
ゆっくり顔を上げ、アランダル様はわたくしを見つめた。下着を脱がなくても、もう十分に分かったような表情だったけれども。
「・・・そうか。お前が言ったことは全て、真実だったのだな・・・。俺が、お前を・・・・変えてしまったのか」
「えぇ。それが全ての始まり」
「そうか。・・・お前の好きにするといい」
アランダル様の身体から、力が抜けた。目を閉じ、壁にもたれかかる。
余りにも呆気なく手に入ってしまって。少し、戸惑う。あっさりと認めて、弁解ももう、一言もなさらずに。ただ、覚悟を決めたような顔でわたくしに、その身体をゆだねてしまわれた。
「・・・・おかしな方・・・」
思わず呟くと、アランダル様は僅かに目を開けて、眉をしかめる。
「何がおかしい。お前の望む罰を、俺に与えるといい。それが、お前の望みだったんだろう。お前の10年を俺の為に無駄にしてしまったと言うならば、責を咎められるのは当然だ」
「10年だけではありませんわ。これからも、ずっと・・・。わたくしは、男でも無く、女でも無く、生き続ける」
「・・・・お前は男だ」
低い、低い、聞こえない位の声。
どうして、そんなに簡単に。
「本当に、貴方は・・・分かっておられない。男としての教育も受けていないわたくしが、お父様にすら女だと思われているわたくしが。どうして簡単に男になれる、と?」
「身体が男で、女であることを嫌だと思うのならば、お前は男だ。簡単に男になれないなら・・・俺が何とかしてやる」
「・・・また簡単に、そのような約束などなさって・・・。本当に困った方・・・・」
アランダル様をベッドに寝かせて、鎖で手と足を拘束し、ベッドに固定する。
「2度も約束を破れば・・・ここに一生閉じ込めますわよ・・・」
「1度目も破る気は無かった。本当に俺は・・・・」
言いかけたその口から、声にならない吐息が漏れる。身体を縛りあげた長い鞭は、持ち手を動かすと身体を締め付けるようになっている。そのように作られている。まだ、少し苦しいくらいで、痛いということは無いけれども、その反応は意外と・・・。
「感じていらっしゃるの・・・。このようにされたことがお有り?」
「あるわけ・・・ないだろう・・・」
「ふふ・・・ご自分が奴隷に鞭打っても、まさか打たれることは無いでしょうからね・・・。新しい発見ですわね・・・。アランダル様?」
「・・・・何がだ」
逞しい身体を上から下まで眺めて、まだ隠されている部分を露わにすると、既にその部分は知らない、と言った風では無かった。とても可笑しくなって、思わず笑ってしまいながら、わたくしはそこに口付けた。
「・・・何を、する気だ・・・」
「あら。させた事はありませんの・・・?」
「・・・・お前は、経験が有るとでも言うのか・・・。その格好と身体で」
「ありませんわよ。一通りのお勉強は致しましたけれど」
「・・・手馴れている・・・」
「予行練習はいろいろと」
実験台は、それなりに居たけれども、わたくしの気持ちをそれほど高ぶらせることはなかった。恋しいと思う相手は、こうも違うなんて。わたくしの行為ひとつひとつに反応するその姿が、意識せずともわたくしを熱くさせる。意外と過敏な方だったらしい。それとも、この状況がそうさせているのか。今まで、自分の好きなように相手を反応させて来たであろうこの方の今を考えるだけで、わたくしは笑いが込みあげてしまう。そのまま隠されている部分を広げると、アランダル様は目に見えて反応した。
「まっ・・・待て。お前、本当に経験」
「わたくしの物を入れても、余り楽しくありませんわね・・・。何を突き刺そうかしら・・・」
「・・・な・・・何を・・・」
わざとらしく辺りを見回し、ゆっくりと目の前の壁に掛かっている斧のほうへ歩み寄る。
「ここに、丁度良いものがありますわね・・・」
「そ、そんなものをっ・・・やめろ。絶対やめろ。そもそも俺は、そういった経験は一切無」
「ですから、面白いのですわ。どのような罰を受けるおつもりでしたの?まさか、奴隷と同じような鞭叩きで済ませるおつもりでしたの?」
もうアランダル様は何も言わなかった。きっと心の中で激しく後悔なさっているのでしょうけれど。・・・本当に、遊び甲斐のあるお方。
わたくしは、思うよりも軽いその斧を壁から外して、アランダル様によく見えるように側に持って行った。
「思ったよりも、柄は太くありませんわね。今日は、これで勘弁してさしあげますわ」
「・・・・・」
目を閉じて、見ないようにしている。わたくしはその身体の上に乗って、斧をそっと床に下ろし、そのままわたくしの身体をアランダル様へと沈めた。想像していたよりも遥かに強い痛みがわたくしを襲う。
「アッ・・・アイリーン・・・・?!」
アランダル様は身じろぎなされたが、身動きは取れないのでそれ以上どうすることも出来ず、わたくしを見つめた。
「お前はっ・・・馬鹿かっ・・・・!」
「・・・馬鹿では・・・ありませんわ・・・」
「すぐに降りろ。何も使わず、何の愛撫も無しに入れて、我慢できるはずがないだろうっ・・・!どけっ」
「・・・貴方は・・・罰を受けているのです・・・。貴方からの要望には・・・応えません・・・」
「・・・お前は、間違っている。お前も良くならなければ、意味が無い。・・・そんな顏をして、自分も罰を受けているつもりか」
そうかもしれない・・・。わたくしは、アランダル様を見つめた。
あの日。思い切って、アランダル様に想いを告げていれば。こんな形でしか想いを告げることができない身にはならなかった。けれども、わたくしはただ純粋に、この方とひとつになりたいと思っただけ。その結果、思うより苦痛だった、というだけで・・・。
このように、怒られるつもりは無かった。怒られるとは、思ってもみなくて。
また、少し笑ってしまう。
「・・・これは、罰ではありませんわ・・・」
動くたびに痛みが響くけれども。
「わたくしが、こうしたい、と思っただけですもの・・・」
そして、貴方はわたくしを気遣って下さった。
それが、どのような理由であれ、幸せではない、と思えるだろうか。わたくしの望みは、叶ったのだ。
★ ★ ★
「・・・お前には、明るい色の服が似合う」
戒めを解いた後、ぽつりとアランダル様はおっしゃった。
「初めて会った時、淡い青の服を着ていたな。お前の黒髪と、紫の瞳によく似合っていた。・・・今まで、見た事も無いような子供だと思った。神殿に仕える聖職者でも、ああはなるまい。派手ではないが、ひっそりと輝く月のような姿に、俺は目を奪われた」
ベッドに腰掛け、わたくしに語りかける。
「だが、他所の州の、それも候の血筋の者だ。簡単に連れて行けるものではない。だが、13か4にでもなれば、一人前になるための苦学だとでも言って、連れ歩くことが出来ると思った。俺は数年経ってから候に、その子供の正体を尋ねたが、全く相手にされなかった。アイリーンと言う名の女の子供なら、田舎で養生している、と。ただそれだけだった」
「・・・それは、わたくしの姉です」
「・・・そうか。だが、交流もない屋敷には、さすがに出向くこともできん。ましてや、女と聞かされたのではな。長い間、俺はいろいろと当たって探したが、お前は見つからなかった。勿論、女の格好をしているとは、思いもしなかった」
わたくしの中で、ただ見つめているだけの頃の事が思い起こされた。
「だが、お前は言ったな。父上にも、女と思われている、と。だが、確かお前は8歳までは男として育って・・・。いや、病弱な、同じ名前の姉、か・・・。まさか、お前はその姉だと父上に思われているのか」
「・・・わたくしが、この部屋にアランダル様をお連れしたのは、どのような考えだったと思われますか?」
「・・・・何をいまさら・・・」
「聞いたら怒ってしまわれるかも。・・・・わたくし、貴方を騙したのです」
「・・・・・」
アランダル様は、とても複雑そうな表情になった。
「本当は、産まれた時から、女として育てられていたのです。あの日は、偶然伯父様から、あの服を貸して頂いただけですわ」
「・・・なに・・・」
「ですから、わたくしは、貴方に望まれているのは女としての事だ、と思いました。・・・子供には、男が男を求めることもある、など分かるはずもありませんし。・・・怒りました?」
「・・・・・風邪をひく」
低く呟き、アランダル様は奥の間の扉を開けた。その扉は、こちらからは自由に出入りできないように、台で塞いであったけれども、アランダル様は乱暴にそれをどけて、奥へと入って行く。そして、そこに控えていたわたくしのばあやに、何かをおっしゃって、ばあやがやって来た。その手には、わたくしが決して着ようとしなかった、淡い色のドレスが。
「お前には、明るい色が似合う。もう、そんな暗い色のドレスは着るな。化粧もだ。この部屋も」
「この趣味は、譲れませんわ。わたくしが、わたくしで在る為でもありますし、この鞭などもとても使い勝手が良くて」
「お前は、この異様な部屋を、俺の屋敷にも作ろうと言うのか」
呆れたような声だった。・・・けれども。
「・・・アランダル様の・・・お屋敷・・・?」
「約束は果たそう。お前を迎え入れる。そして、お前は女でも男でも無いと言ったな。簡単に男にはなれない、と」
あっさりと、言って。そして。
「それは、お前がこの場所にいるからだ。お前を、女であり、男でもあるようにしてやる。その方が体面的にも良いからな」
「どのように?」
「簡単な事だ。お前を俺が、娶る」
それは。
女として生きて来たわたくしでも、全く想像もしなかった言葉で・・・。むしろ、一生縁のない言葉として、記憶していた事。
「・・・ですが、子供が・・・。わたくしでは」
「俺が、自分の子供を持てると、お前は思うのか?女など、一生側に置くつもりはない。それは、俺の父上もご存知の事だ」
「でも・・・」
「お前は、少なくともその辺の女よりも女らしい。俺が結婚することは、我が州にとっても大きな利益だ。後継ぎを産め、と多少うるさいかもしれんが、その程度は何と言うことはないだろう?」
「でも、わたくしが女らしいと言うのは、貴方は嫌なのでは。それに、わたくしで本当によろしいのですか?」
「お前以外に、俺の花嫁にふさわしい男がいると思うのか?見た目も申し分無く、女としての嗜みも心得、上品で、尚且つ体は男だ。勿論、女の臭いのする香水やドレスは気に食わんが、体外的な物だからな。俺の前では、男の格好をしていればいい。こっそり外に遊びに行く時とかな。・・・面白いぞ」
あっさりと。こんなにあっさりと、どうしてわたくしの望みを遥かに通り越して、約束してしまわれるのか。わたくしには、想像もつかなかった事を、本当に簡単に、わたくしにとっても最善の事を、決めてしまわれた。もしも、そうなるのならば、お父様にもわたくしが男だとは気付かれず、又、わたくしは女でもあり、男でもある存在となり。そして。皆が、わたくしが生きていることを、知ってくださるのだ。皆には女として。この方には、男として。
生きても良いのだ。この世の喜びを背負って、皆の前に姿を現し、堂々と自分が何者であるのか、さらけだしても。
「・・・おい。泣くな・・・。お前は、女か・・・」
嫌そうな声。けれども、女でなくとも、この喜びの前に平常心でいられるはずがない。ただ、将来を約束された求愛だけではない。わたくし自身の将来が、全てその言葉で変わってしまった奇跡は。感謝だけでは収まり切れない。
「・・・有難う御座います。アランダル様」
「ありがとうでは分からん。俺の求愛を受けるのか、否か」
「せっかちな方ですわね」
「又、妙な誤解をされるのは困るからな」
「・・・ファナケイル様は、よろしいの?」
「・・・お前を好いているファナケイルには悪いが、お前は俺が貰う」
そういえば、と思い出し、再び笑ってしまう。
「実は、演技をして頂いたのです。ファナケイル様にも」
「・・・何だと?」
「記憶を取り戻しておられないのは事実ですけれども、だから、わたくしが妨害したのですわ。貴方が余りにファナケイル様と懇意になさろうとするから。あの方は、今は貴方の事を特に想っているわけではありませんし、2度も目の前で盗られてしまっては、わたくし、本当に何をするか分かりませんもの・・・」
「・・・随分と、俺は騙されたようだが・・・・。あのような事までされて、お前に相当けなされて・・・・俺のほうこそ言いたい所だな。ただで済むとは思うなよ」
「あら。では、ファナケイル様のことはもう、何とも思っておられないの?」
じわじわと怒りの気配を漂わせていたアランダル様は、急におとなしくなられた。
「・・・・今のお前よりは、数段ファナケイルのほうが好みだが・・・」
・・・本当に、素直な方。
「正直すぎると、刺されますわよ?」
「だったら早く、俺に男の姿を見せてくれ」
「外見だけ重視なさるのね」
「お前は女か!ねちねちと嫌味ばかり言いやがって」
「18年、女として生きていれば、そうなりますわ」
わたくしの衣装変えは終わり、ばあやは髪型を直している。一言もばあやが口を出さずに微笑んでいるのが、今のわたくしには、嬉しい。
「・・アイリーン。俺は素直な奴が好きだが、お前はかなりクセがある。変な趣味もあるし、女みたいだし、実際お前がファナケイルに勝っているのは、その美貌だけだと思っている」
「随分な言いようですわね」
「それでも、俺はお前のほうが良いと思っている。・・・10年以上前から俺はファナケイルを見て来たが、10年前のあの時は、本当にファナケイルの事は何とも思っていなかった。月よりも霞んで見えた。・・・今は、ファナケイルの事を何とも思わなくなったわけではないが、お前が、何とかしてしまうのだろう・・・?お前はそういう奴だ」
「そうでしたわね」
笑いながら、わたくしはアランダル様を見上げた。わたくしの事を、男としても、女としても扱って欲しいと願っている。それは、少し前までは、全く考えもしなかった事。次々に欲望は大きくなって行ってしまう。・・・でも。もう押さえ込まなくても良い事だから。少し素直になって、何でも言う事が出来るのだから。そのために。
「・・・アランダル様。わたくし、貴方の妻になります。貴方からの求愛。謹んでお受け致します」
ふわり、と抱きしめられた。わたくしも、背中に手を回して、胸に顔をうずめる。
「やっと、俺の物になったな・・・」
とても優しい声が、わたくしの上から降り注ぐ。
「・・・いいえ。わたくしの物、ですわ・・・」
呟くと、苦笑のような声がした。
これからの将来に期待で胸がいっぱいになる。何もかもが愛おしく思える。この方の全てが。わたくし自身すら。どれだけ、貴方を想っただろう。どれだけ、貴方の傍にいたい、と願っただろう。どれだけ、本当はわたくしを見て欲しいのだ、と叫びかけただろう。全てをあきらめていたわたくしが、望んでいたものを全て手に入れた。
やっと、わたくしの時間が動き出す。これからは忙しくなるけれども、むしろ喜ばしい事だ。
この世に、変わらない物などない。
わたくしの人生は、ようやく輝き出す。
<おわり>
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