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僕の半分<sound of WAVES>

僕の半分<sound of WAVES> 3

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それからすぐにハソプのマンションビルに空室が出て、ジユルは迷わず引っ越しをした。これでもう完全に送迎を頼めるので、どんどんタイトになるスケジュールの睡眠不足解消にもなるだろうし、何よりハソプの側に居れる事が一番の安心材料だった。
余りにも帰宅が深夜になる時はメッセージだけ入れて自室に帰ったが、朝目覚めると簡単な朝食の弁当が置いてある事で、寝ている間にハソプがキスをしに来てくれた事を知る喜びは、ジユルの活力源となった。
その逆も又然りで、ハソプが深夜に帰宅してジユルがベッドを温めて待っていてくれる事もあり、ハソプの大きな癒しになっていた。
撮影は順調に進み、プレスリリースの日が訪れた。
ネットに記事が上がると、キャスト一覧の中の見慣れない人物に、特に注目が集まった。
当然、ジユルのプロフィールには載っていない情報が真偽問わずに大量に溢れ出して来た。事務所の社長はネット監視の為のスタッフを何人か用意し、24時間交代制で巡視を怠らなかった。
これから事務所の大黒柱にならんとするジユルを、正式に世に送り出す前に傷者にしてはならない。そこは伝手を駆使して大手の芸能事務所の対策マニュアルの指南を受け、徹底して倣った。経費も弾んだ。
プレスリリースの一週間後、大きな爆弾をネット掲示板に見付けたスタッフは、すぐに撮影現場に同行している社長に連絡を取った。暴露には違いないが、ヘイトとも思えないキャンプションが付いていて、そこから憶測や悪意やが溢れ、立てられたスレッドが伸びに伸びているとのことだった。
「スクショして、その部分だけ送って。」
社長はスタッフに指示し、すぐに送られてきたメールを確認した。
シーツで局部含めた体半分は隠れているが、ジユルの寝顔が写された写真だった。添えられたキャンプションには「この子の身体、いつ見ても綺麗だったなあ」であり、その寝顔はうつ伏せで顔が半分隠れているとは言え、ジユルだと分かるものだった。
「これはまずいぞ・・・」
まだ寒い時期なのに、社長は全身から汗が吹き出すのを下着が貼り付く気持ち悪さで悟った。じりじりとしながらジユルの撮影が終わるのを待っている間に、スタッフに何度も連絡を入れ、この程度なら掲示板プロバイダー開示請求は対応拒否するだろうから、偽装している可能性もあるがIP追跡を掛け、高額で契約をしているホワイトハットハッカーに連絡を入れるように指示した。
漸くジユルの撮影が終了したので社長は周囲に挨拶を済ませ、その部屋を出るまでは平素を装った。一歩出るなりジユルの腕を掴み
「駐車場まで猛ダッシュ。」
と告げて走り出した。
送迎用のワゴン車に乗り込んだ所で、社長もジユルの定位置の後部座席に移った。
「事務所からさっき連絡があって・・・これ、君だよね?」
社長は自分のスマホ画面をジユルに見せた。ジユルは暫く見詰めるだけだったが、少し首を傾げていた。
「君なんだろ?」
「・・・そう、でしょうかね・・・」
「なんで曖昧なんだよ?君、俺に童貞だって言ったよね?これ、この感じ、どう見ても事後じゃん?違うの?」
「事後・・・ううん、分かりません。僕の写真なんか撮る人、今まで誰も居ません。」
「本当に?心当たり無いの?これ、君の、そっくりさん?」
ジユルは画面を指で拡大させた。
「僕ですね。ここ、ホクロあります。」
鎖骨の当たりを指差してジユルは社長の顔を見た。顔面は蒼白で額に脂汗を浮かべ、そこで何か重大な事が起きたのだとジユルは初めて気付いた。
「何が・・・起きたんですか?」
「ネットの掲示板にね、この写真が上がった途端、物凄い勢いでスレッドが伸び出して・・・偽探偵が君だと断定して色んな事書かれてる。」
「・・・僕、炎上したんですか?」
「ネット社会はデジタルタトゥーだらけだ。一度出てしまえば、真偽なんか関係ない。永遠に残るんだよ。それを君は今後ずっと背負っていかなきゃならない。これがどういう写真かなんて関係無いんだ。今後、これをどう切り抜け上手く生かしていくかなんだ。それは俺の仕事でもある。でも、君は、俺には隠し事をしちゃダメだ。君が俺に嘘を吐いたら、その嘘まで含めて切り抜けるのが余計に困難になる。結果、君の不利益、俺らの不利益になるんだ。分かるかい?君は、俺に、本当の事を言っておかなきゃならない。」
間近に覗き込む社長の目が真剣で、ジユルは逸らす事が出来ずにいた。
「まだ始まったばかりなのに・・・ご迷惑をお掛けしたんですね・・・」
「今の君がしでかした事じゃない。謝らなくていい。でも、今から先の事は一緒によく考えて、ストップさせなきゃならない。分かるね?」
「はい・・・時間勝負なんですよね?でも、一時間で結構ですので、考える時間を下さい。」
「分かった。このまま事務所に一緒に行こう。」
「はい・・・」
その時、窓ガラスをコンコンとノックする音が響いて、社長は飛び上がらんばかりに驚き、慌ててドアを開け周囲を見渡した。
「どう・・・されましたか、先輩?」
「なんだ・・・おまえか・・・」
社長はノックした人物の正体を確認するや否や、冷たい地面に座り込んでしまった。
「え?どうしたんです?」
「なんでお前がここに居るの?」
「現場に居て・・・先輩に用事があったから声を掛けようかと思ったら、物凄い勢いでジユル君と走って行っちゃったから・・・車を探して駐車場をさ迷ってました。見付かって良かった。」
「ハソプさん・・・」
二人の元に降りて来たジユルは、ハソプを頼ろうか迷った。
「どうしたの?顔色悪いな。社長もこんなだし、何かあったの?」
ジユルはハソプをじっと見上げて、一度固く目を閉じた。
「ハソプさん、この後まだお仕事残っていますか?」
「うん?切り上げようと思えば出来るけど、どうした?」
「助けて下さい。」
ハソプは地面に居る社長と目前のジユルを何度か交互に見た後、頷いた。
「社長、事務所じゃなくて、僕の部屋に来て下さい。申し訳ありませんが、僕は先にハソプさんにご相談します。」
「ん?なんで、ハソプに?」
「一刻を争うんですよね?すぐに行きましょう。社長、僕の部屋に来て下さい。ハソプさん、車に乗せて下さい。」
返事を待たずに、ジユルはハソプの腕を掴んで歩き出した。ハソプの車に乗車してすぐに事務所へ電話を掛け、スタッフに「先程社長に送った画像と同じものを僕にも送って下さい。」と伝えた。すぐにメッセージに添付されて届いた。
「車を出す前に先にこれを見て下さい。」
スマホ画面を見たハソプは、口を開けて驚きを隠さなかった。
「これがネット掲示板に上がって、炎上仕掛かっているそうです。僕には全く覚えがありませんが、これは僕です。そして、撮ってネットに上げたのは、唯一人しか思いつきません。」
「・・・分かった。車を出すよ。」
「こういう事に成りかねないから、ハソプさんは最初に心配してくれていたんですね。」
「よくある話なんだよ。」
「甘く見ていました。先輩が・・・僕の写った画像を僕の目の前でわざと消したりしていたから、わざわざ撮って持っているだなんて思わなくて・・・」
「一度でも君を好きになって、そういう関係になったんだろ?君を貶める為じゃなくて、自分の好きな気持ちの為に撮らないわけないんだよ。離れている時も、気持ちでは側に居たいって恋仲なら誰もが思うものだよ。」
「どうして、今更・・・」
「君が世の中に、自分の目に映る範囲に出て来たからだよ。その奥底の気持ちは、本人じゃないから分からない。よりを戻したいのか、有名人と関係のあった自分の承認欲求か。でも、ネットに上げた瞬間からそんな真意なんか誰も興味持たないよ。叩いて埃が出ない人間なんか居やしないのに、何の関係も無い人たちが君を叩いて出る埃の量を見て、比較して自分の幸福度を測るつまらないゲームみたいなものだから。」
「先輩は、僕を置き去りにしたのに、どうして・・・」
「ジユル君、冷たいようだけど、今考えなきゃならないのはそこじゃない。理由を追求するより、対処をどうするか考えるんだよ。その先輩の性格を踏まえて、君がどう対応したら引き下がってくれるのか。君の今の仕事に関わる人たちに、作品に、被害が少なくて済む方法を考えるんだ。君の憤りや悲しみは少し別な場所に置いておいて、冷静によく考えるんだよ。俺に助けを求めてくれたんだ、勿論一緒に考えよう。社長も一緒にだよ。」
「僕は、社長に、本当の事を言わなきゃならないんですね。」
「こうなってしまっては、そうだね。」
「ハソプさんとの事も?」
「君がいいなら、俺は言うよ?社長は、今の君の一番の味方になる人だ。」
「・・・はい。」
「先輩って人の事、よく思い出して。刺激しないで、大人しく引き下がってくれる方法を考えてみて。」
そこからジユルの部屋に到着するまで、二人は寡黙なままだった。ジユルは嫌な記憶が多すぎて封印していた筈の過去を呼び起こさねばならず、ハソプは様々なトラブルケースを思い出して対処法を探っていた。
ほぼ同時にジユルの部屋に到着した社長は、部屋に入ったあと何度か電話連絡を重ねていた。
「ジユル君、写真の持ち主と思われる人の生年月日、出身校、実家、名前、何でもいいから情報を教えて。それを俺のスマホに送って。」
電話が途切れた途端、社長は早口でそれを伝え、ジユルがスマホに打ち込んでいる間にもまた電話が掛かってきた。
「送りました。」
「ええ、今転送しますので、また分かったら連絡下さい。はい、お願いします。」
社長は、ジユルのメッセージを何処かへ転送してから溜息をひとつ吐いた。
「社長、申し訳ございませんでした。話していない事があります。」
「うん。何となく察しはつく。正直に言ってね。」
「はい。僕、童貞は嘘じゃないんですけど、バージンじゃないです。」
「・・・・・・」
「ぷっ」
ハソプが吹き出したのを、二人は無表情で見詰めていた。
「あ、ごめん、だって、言い方。」
「うん、分った。」
「え?分かったんだ?」
またしてもハソプが驚いて空気を読まないような事を言ってしまい、二人は半開きの目でハソプを見詰めていた。
「ちょっと、お前、黙ってて。」
社長に静かに言われて、ハソプは大目玉を食らったような顔付をして俯いた。
「大学の時に、前にお話しした彼女とお付き合いした後に、男の先輩に告白されて恋人みたいになりました。でも、先輩は僕の身体ばかり・・・で、恋人と呼べるか分からない関係が続いて・・・先輩が卒業した後は音信不通になって、僕が捨てられたんだと気付いたのはつい最近でした。先輩が、捨てた筈の僕の写真を持っているだなんて、夢にも思いませんでした。」
「今まで一度も連絡は無かったんだね?今回みたいな事も、脅迫みたいな事も?」
「はい。大学の頃も、先輩はずっと隠し通していて、僕と二人きりにならないようにいつも気を付けていました。友達が撮った写真でさえ、僕が写っていたら消していたほどでした。」
「そうか。でも、あの写真があるって事は、他にも持っている可能性があるよね?君達がその・・・ベッドに一緒に居る時に、写真や動画は撮られていない?」
「僕の知る限りは、ありません。隠しカメラとかあったなら・・・分かりませんけれど・・・先輩はいつも、自分がしたい時に僕で解消出来ればそれで良かっただけだから・・・一緒に泊まった事も無かったですし、密室に長時間一緒に居たことが無いんです。先輩の目の前で・・・写真みたいに眠ってしまう事も・・・覚えて居る限りは一度もありません。」
「でも、現実に、あの写真があったじゃない。」
「いつも僕の部屋で会っていたけど、いつなのか全く思い付きません。先輩はいつも、終わるとすぐに帰ってしまうから・・・」
社長のスマホがテーブルの上を振動で滑って行った。社長はジユルに手を広げてみせて、一旦話の中断を知らせ電話対応した。
「はい。早いですね。もう、分ったんだ。ありがとうございます。じゃあ、送って下さい。」
電話は手短に切れた。
「契約してたホワイトハットハッカーの友人て人が、グレーハットハッカー。その人に頼んでくれたんだってさ。ものの5分で今の居場所まで分かるんだから、グレーなんかじゃないよなあ。」
そこで再び社長のスマホに通知音が鳴って、開いたメッセージ画面をジユルに見せた。
「今、その先輩とやらはここに勤務してて、家はここ。電話番号もある。これで交渉出来るぞ。」
「交渉・・・ですか?」
「こういう流れは、怨恨なら出来る範囲で気が済むように話を聞くとか、最終的には和解と言う名の金の無心だ。弁護士入れて、反故にした際に厳しいペナルティー込みの念書を取るんだよ。でも、いい企業に勤めてるよなあ。金の無心じゃなさそうだ・・・」
「僕、その掲示板を全部読んでみてもいいでしょうか?今夜中には、どう対処したら良いのか、僕の考えを社長にお話しします。そこから先は、社長にお任せしたいです。よろしいでしょうか?」
「ああ、今夜中ってあと何時間も無いけど、明日の撮影もあるし・・・大丈夫か?」
「はい。すぐに閲覧して考えを纏めます。僕、会社に電話してURL送って貰いますね。寝室に居ますので、何かあったら呼んで下さい。」
ジユルはすぐにリビングを後にした。取り残された二人が顔を見合わせ、重い空気を払拭するようにハソプが立ち上がり、冷蔵庫の中からドリンクを運んで社長に差し出した。
「あのさ、なんでお前が此処に同席して、人の家の冷蔵庫勝手に開けて、飲み物を俺に振舞ってるわけ?」
「ああ・・・えっと、その、先輩がジユル君に隠し事はいけないって言うから・・・」
「なに、お前が代わりに何か告白でもするのか?」
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