Irregular

neko-aroma(ねこ)

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Irregular 1

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「あれ?合宿は?」
自室ベルが鳴って玄関で出迎えたSは、突然の訪問者に意外だ、という顔付をしていた。
Sは大学卒業後に就職した出版社のデザイン課に配属されていたが、過酷労働に身体が着いて行かず、療養の申請では無く退職願を出した。
今年の春で25才になった。療養しながら疑似ニートをして、街の〇〇教室に通ったり、だらだらしたりと再就職活動は1年間だけ棚上げすると決めていた。
「メッセにスケジュール送っておいただろ?今日が打ち上げ、明後日から遠征。日付感覚、ずれてないか?」
「ああ・・・曜日間違えてたかも。ごめんなさい。」
Nは社会人野球の選手だ。
チームは大手企業でその業界では国のTOP3に入る。クラブチームでは無く企業チームなので、選手たちはプロ野球選手に引けを取らない程の実力者揃いだ。オリンピックなどの国際試合があれば、毎回複数名の選手が選出されていく。
大学卒業時のドラフト漏れをしてすぐにこのチームに入ったので、今年5年目で秋の誕生日が来れば28才になる外野手だ。選手としては中堅からベテランに差し掛かるキャリアだ。
「僕が勘違いしてなければ、ご馳走を用意していたのにな・・・ごめんなさい。荷物は・・・一度部屋に帰ったの?」
「うん。置いて来てシャワー済ませてきた。明日丸一日オフだから、今日は泊っていく。明日、気晴らしに出掛けたい。付き合ってくれるよな?」
「勿論。夕飯は、どうする?」
「ウーバーか何かでいいよ。その前に・・・」
NはSをバックハグして、首筋の匂いを胸一杯に吸い込んだ・・・ら、嗅ぎ慣れない匂いに咳き込んだ。
「なんだ?煙草吸ったのか?」
Nは胸を拳で叩きながら涙目になるまで咳き込み続けた。Sは首を振りながら手を伸ばしてその固い背をずっと擦り続けた。
「吸わないよ。知ってるでしょう?」
「じゃあ、なんでおまえの首や髪が煙草臭いんだよ?」
「そんなわけ・・・・」
無い、と言えない出来事がSの脳裏に蘇っていた。
昼間通った陶芸教室での、出来事。
「全然気付かなかったのに、言われてみたら匂いしてきた。シャワー浴びてくる。ウーバーに頼むの、探しておいてね。」
まるでNの腕から逃げるようにしてSは浴室に駆け込んだ。
シャワーの温かい湯気が、日中どう過ごしたかを匂いで嗅覚に知らせて来る。Sは深い溜息を吐いてシャンプーボトルに手を伸ばした。
念入りに身体の準備をして、髪をドライヤーで乾かし、念の為に掌を首筋に擦り付けて匂いを確かめもした。
「良かった・・・煙草の匂い、消えてた。」
Nに言っても良かったが、言わない方が良い気もしていた。


午後一番の陶芸教室に、5人定員の筈が何故か生徒がS一人きりだった。定刻通りにいつもの講師Kが部屋に入って来て、にっこりとSに微笑んだ。
「キャンセル続きでね、今日はS君一人になりましたのでマンツーマン指導します。この機会に何でも聞いてね。」
身長が高く華奢な印象だが、ろくろを回す際に腕まくりをすると意外に太く筋肉質で逞しい。だからと言って、全身をみてみたいなどの興味や欲求は生れて来ない。何故なら、今の恋人がたまたま男性なのであって、Sには異性だから同性だからがセクシュアルに直結するわけでは無かった。
信頼関係が愛情関係に呼び名が変わるだけ、言わば衝動的な欲求を経験した事が無いせいで、自分の性癖が定まらないのだ。愛情さえあれば、こだわりが無いとも言える。
講師Kの涼しい顔付に長い髪を無造作に後ろで束ねたスタイルは、洗練された芸術家のようで目の保養には感じていた。つまりは、好意的に思っていた。
「力加減が上手くクレイに伝わらなくて・・・薄くしたいのに太くなったり、逆も。何かコツがあるんでしょうけど・・・」
「感覚の問題だから、身体で覚えるしかないんだけど・・・今日は出来上がりを乾燥機に入れないで、ろくろ作業だけ時間一杯やろう。どう?」
「はい。」
Sが電動ろくろ機の前に座ると、講師Kも側で椅子に座り肩が重なる程の距離で背後から作業を見詰めていた。
「ああ、指かな~親指だけ力入れすぎかも。掌全部使うようにして、ここはね・・・」
小柄で華奢なSの身体を両腕の中にすっぽり納めて、背後から腕に腕を重ねて手の指全てに指を被せた。背後から抱かれるようにされて、Sは何故か鼓動が跳ね上がった。何だか、頬まで熱くなった気がした。
「どう?」
邪念と集中との狭間で揺れていた所に不意に声を掛けられ、驚いたSは咄嗟に声のする方へ顔を向け、間近にあった講師Kの頬、正確には頬と口端に自分の唇を着けてしまっていた。
「あ!ごめんなさい!」
手が汚れているのも忘れ、講師Kの頬を手で拭おうとしてべったりとクレイを塗り付ける羽目になった。
「あ!手・・・」
慌ててSは自分の腕まくりした袖の端で講師Kの頬を拭おうと肘打ちのような姿勢を取ってしまい、Kはそれを躱す為に咄嗟に腕より早く顔を割り込ませた。結果、Kの頬に着いたクレイはSの頬に塗り返されていた。二人の顔が息が掛かる程、側にあった。
マウスウォッシュでもしているのかミントの香りがするのに、髪や肌から嗅ぎ慣れない燻し臭さが薄く漂って来た。服にも染み付いているのだろうか。喫煙をした事が無いSには、異世界の匂いを嗅いでいるかのようだった。
「あの・・・ごめんなさい・・・クレイが・・・・」
何となく何か喋らないと居たたまれない気分が、Sの心拍数を益々上げていた。
「君の頬にも、着いたでしょ。後で洗えば済むよ。あ~型崩れしちゃったね。作り直そうか。」
「はい・・・あの・・・顔が近い・・・です。」
「ああ、ごめん。S君が凄くいい匂いするから、なんか、懐いちゃって。」
笑いながら講師Kはそっと顔を離した。それでも、その距離間でSを見詰めたままだ。それを横目で感じながら、Sは自分の耳が熱くなるのを感じていた。
でも、その理由が気まずさ以外には分からなかった。
「あの・・・どうすれば・・・」
「うん?水引いて、捏ね直してさ・・・いつも通りだよ?」
講師Kは再びSの両手に手を重ねてきた。鼓動の高鳴りが密着した背中から響いて漏れてしまいそうだ。たらっと一筋顔から汗が流れ落ちたのは、冷や汗なのか別の熱からなのか、分からなかった。
「・・・先生、他の生徒さんにも・・・・?」
掠れたSの声に、Kはぱっと手を離した。
「ごめんごめん。くっ付きすぎだったね。普段はセクハラになるから気を付けてたのにな・・・気色悪かったかな?ごめん。」
「い・・・いいえ、そんな風に思っていません。こういうのが先生の流儀なのか・・・気になったので・・・」
どぎまぎとして目線を別な方向に泳がせるのが精一杯だった。
「普段は、S君がいつも見ている光景のままだよ。指導しても、こんな風にした事無いの、知ってるでしょ?ごめんね・・・」
「いいえ・・・続きを・・・」
「・・・一人でやってみる?」
「・・・・」
何故か、Sは首を振っていた。
鼻先でくすりと笑うのが聞こえて、その後も講義中は背中から抱かれるようにして過ごしていた。習った筈の力加減など、Sの記憶に残る筈も無かった。
定時のアラームが鳴って、Sは黙々と片付けをして帰り支度を始めた。バッグを背負ってドアを開けようとした時、Kからすっと温かな濡れタオルを差し出され、顔にクレイを着けたままだったのを思い出した。
「一か所じゃないね。拭いてあげようか。」



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