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Irregular 35
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嘱託社員とは言え社会人復帰した日から、不慣れなルーティンを日常化するまでに神経を張り詰めて、Sは始めの三日ほど朝寝坊をしてしまった。
しかも、部活動講師を終えて帰宅出来るのが終電ギリギリで午前様を避けられなかった。Nの待つ家に帰宅したら急いでシャワーを浴び、既にベッドで眠っているNを起こさぬようにそろりとベッドに上がっては身を横たえる日々だった。
すれ違いばかりでたった三日間で既に限界を感じ始めてしまったが、Nの口利きで辿り着けた再就職だ。Nの顔に泥を塗る分けにもいかず、重圧感はSの食欲を奪っていた。
「んぁっ?」
うとうとと寝入りばなにうなじがこそばゆく、寝惚けたNは後ろ手にうなじを触ろうとした。が、手に掴んだのはSの少し濡れた髪だった。
「なんだ、髪、乾かさないで・・・」
Nはくるりと身を翻して、Sの身体を懐に抱き入れた。
「ごめん、起こしちゃった。」
「ううん。お帰り。遅くまでご苦労様。明日は休みだろ?ゆっくり寝てろよ?」
「ありがとう。さぼってばっかりで、ごめんなさい。」
「大丈夫。いつかは慣れるから。それより、痩せたか?」
そう言いながらNはSの背から尻に手を往復させた。
「ちょっとまだタイミングを掴めなくて・・・抱き心地、悪くなっちゃった?」
「それは平気。おまえの身体を心配してるんだ。そんなに丈夫じゃないから。」
「うん。ごめん。明日、一杯食べるから。」
「おやすみ。」
NはSの額にちゅっと音を発ててキスをして、更に胸に深くSを抱き、二人はすぐに寝息を発て始めた。
翌朝は定時に起床出来たSが久々にNに朝食を作り、頬にキスで目覚めさせ、玄関で見送りのキスをする事が出来た。午前中のうちにさぼっていた家事のあれこれを済ませ、簡単な昼食を取ったところで眠くなり、ソファーの背に首を預けて寝入ってしまった。
テーブルの上で震えるスマホの音で目覚め、窓に目をやれば少し赤く染まり始めた空が見えた。
「・・・あ、先生ですか?Sです。ごめんなさい、電話頂いたのに出なくて・・・」
「もしかして、会社だったかな?」
「いいえ、初めての休みで・・・昼寝しちゃってました。」
「ああ、起こしちゃったかな、ごめん。」
「丁度良い目覚ましでした。ご飯の支度しなきゃだし・・・どうしたんですか?」
「そろそろ会社に慣れた頃かなあ~と思ってさ。お願いしてたモデル、何時頃平気そう?」
「そうでしたね、ごめんなさい。後で、僕の休みをメッセしますから先生のご都合の良い日を教えて下さい。」
「こっちこそ、急かしてごめんね。つい先日までほぼ毎日S君と会ってたからさ・・・なんだか、寂しくなっちゃって。」
「ええ~?先生でも寂しいとか、あるんですか?」
「君は?そういうの、無いの?」
「・・・僕、通勤し出してから何も考えられなくて・・・寝たらすぐに朝で・・・ごめんなさい。」
「なにも謝る事じゃないよ?頑張ってるんだね。モデルの件は急いでないから。君に電話掛ける口実だからさ。本当にいつでもいいからね。休日は家でゆっくり休んでさ。またメッセ入れるから。仕事、頑張って。」
「ありがとうございます。僕もメッセ入れますね。電話、ありがとうございました。じゃ、また・・・」
電話を切って余韻に浸る間も無く、スマホの画面に出た時刻に慌てて立ち上がった。
今日こそは、Nの為に食事を作りたい。Sはキッチンに向かった。
そこから一か月があっという間に過ぎた。
Sは朝一旦起きてNの朝食を作り、起こすのと入れ替わりで二度寝をして、昼前に家事と講義の準備をし、Nの夕食を冷蔵庫に仕舞って夕方に家を出る。帰宅はだいたい日付が変わる間際頃で、寝る直前のNと挨拶が交わせればラッキーだと思える程のすれ違いな日々のままだった。
それでも、同じベッドで馴染んだ匂いに包まれて目を閉じる瞬間、安心感に疲れが溶ける感覚があった。まるで元気をチャージしているかのようだった。
「Sさあ、誕生日のお祝いも延期にしてるんだからさあ、次の休みは頑張って何処かへ行こうぜ?」
Sの誕生日は桜舞う頃だ。今はもう新緑どころでは無い、日によっては夏日にさえなる時もある。Sは不慣れな生活に忙殺されて、季節の移り変わりさえ見逃していた。
Sの遅い帰宅を待っていたのか、ソファーに座っていたNに空いた箇所をポンポンと手で叩かれ、Sは隣に腰掛けて肩に頭をもたれかけさせた。
「Nさん、ごめんね。僕、器用じゃないからいつまでも慣れなくて・・・」
「謝るところじゃないだろ?Sはそれだけひとつひとつ丁寧に向き合ってるんだ。すぐに慣れるのは器用ってのと少し違うんじゃないか?手抜きも時には必要だけどさ、お前の場合は相手が人だからな・・・一生懸命過ぎて、知らないだろ?」
Sは顔を傾けてNを見上げた。
「目、充血してるな。早く寝かせなきゃだな。」
「ん?僕が目が赤い事を知らないって事?」
「違うよ。社内掲示板、知らないだろ?アプリとパスワード渡されただろ?」
「うん。ある事さえ忘れてた。」
「そこでさ・・・面白い事が起きててさ・・・」
NはSを片手で抱きながら自分のスマホを取り出し、画面を見せた。
「雑談カテゴリーなんだけど・・・部活のスレッド、おまえのスレがあるんだぞ?」
「え!クレーム!?」
Sは身を乗り出してNの手からスマホを奪い取った。
「管理室からはログから社員ID丸見えなのに、やたらな事書かないだろ?」
「え?え?じゃあ、何?僕の何が書いてあるの?」
Nは意味深に笑って、Sの手からスマホを取り上げた。
「ヒントだけやるよ。後は自分のスマホで確認しなよ。」
「え~意地悪だなあ~」
「ふふっ。こういうのはさ、自分の目で確かめた方が面白いって。ヒントはね・・・Sにとっては嬉しい事かな。さ、早く風呂行っておいで。」
「・・・寝るの、待っててくれるの?」
「うん。Sを疲れさせない程度に・・・抱きたい。」
Sは驚いたように目を丸くして顔を引いた。
「あ・・・Nさん、僕の誕生日会して下さるって・・・さっきの話だけど・・・どうしても外出しなきゃダメ?」
「Sの思う通りでいいんだよ。ただ、気分転換も必要だろうなあって。」
「じゃあ、リクエストしてもいいですか?」
「いいよ。どんと来い。」
「・・・Nさんと僕の休みが重なった日、だらしない感じで、一日中ベッドで過ごしたいです。」
Nは一瞬目を丸くさせて眉を上げたが、すぐに笑顔でSを抱き締めた。
「なんだよ、それ。俺へのプレゼントになっちゃってるじゃん。」
「そうでもないですよ?今一番欲しいのは・・・Nさんとゆっくり出来る時間と・・・Nさんそのものだから。」
Sが再就職してからの一か月超の間、Nの配慮で二人は身体を結ばせていなかった。
「考えてみたら・・・よく浮気しないで我慢出来ましたね?」
「なんだと?俺がそんなに軽い男だと思うのか?」
Nはわざと怒った素振りでSを抱き締める腕に思い切り力を込めた。
「ぐ・・・ぐるしいっ・・・しんじゃう・・・」
絞り出すようなSの声に慌てて両腕を離し、改めてそっとSを抱き締めた。
「実はさ、そういう意味のストレスは限界値まで来てた。明日、おまえの休みに合わせて有給取るわ。いい匂いのする花束買って、ベッドの脇に飾ろう。」
「いいですね。ありがとうございます。お風呂行ってきますね。」
SはNの頬にキスをして、笑顔でバスルームに向かった。
約束通り、Sの次の公休日にNも有給休暇を取り、その前夜は二人でワインと小さなケーキを分け合い、Sの二か月遅れの誕生日を祝った。
Nが花屋で「とにかくリラックス出来る香りの花束を作って下さい」とオーダーしたものを、寝室の部屋に分けて置いた。花瓶はSの手作りのものがひとつしか無いので、やはりNのプロテインの空きボトルに挿しこんで飾った。
ほろ酔い加減で二人が寝室のドアを開けると、花の温室かと思う程の良い香りが二人を出迎えた。
「凄いや、Nさん!見た目も香りも、花って凄いんだね!」
「閉め切ってたら、香りがこんなに充満するんだなあ~入浴剤なんか目じゃないな。」
「その比較はちょっと・・・」
Sは満面の笑みでNの手を引いて花瓶に近付いた。
「花の種類、聞いてきたの?」
「確か包装フィルムに説明メモを貼ってくれたんじゃなかったかな。明日、確認しよう?」
「うん。アジサイとスズランは僕にも分かるけど、あとは知らない花・・・何となく紫?青?で揃えたの?」
「う~ん、分からん。心身ともに疲れてるから、それを癒してくれるようなのを寝室に置きたいって言ったんだ。」
「・・・寝室ってNさんが言ったから、花屋さんは気を利かせたのかもね?」
「ん?」
「ほら。」
Sは握ったままのNの手を自分の下腹部にそっと当てた。
「珍しい!何もしてないのに!」
本気で驚いているNに、Sは苦笑してから唇を尖らせた。
「僕だって男だもん。脳と直結してるんだよ?」
NはニヤニヤしてSの顔を覗き込んだ。
「何想像したんだ?」
「・・・あんな事やそんな事!」
Sが赤面しているのが薄明りの元でも十分確認出来た。NはSを背後から抱き締めて、耳たぶをそっと噛んだ。くすぐったさに肩をすくめるSの顔を片手で押さえ、長いキスをしたのが二人の小さなパーティーの始まりの合図だった。
「こんなにいい匂い、花なのかおまえからなのか、分からないな。遅れちゃったけど、誕生日おめでとう。」
「ありがとうございます。Nさん、来年も再来年もずっとずっと・・・お祝いしてね。」
そう言って微笑んだのに、Nの口から香りの話題が出てほんの一瞬だけSの脳裏にKの煙草の匂いが掠めた。
『匂いが記憶を呼び起こす事をプルースト効果って言うんだよ。』
耳の奥で、ラジオアナウンサーのようなKの口調が微かに聞こえた気がした。
Sはそれを振り払うかのように、ただただ強くNに抱き縋っていた。
しかも、部活動講師を終えて帰宅出来るのが終電ギリギリで午前様を避けられなかった。Nの待つ家に帰宅したら急いでシャワーを浴び、既にベッドで眠っているNを起こさぬようにそろりとベッドに上がっては身を横たえる日々だった。
すれ違いばかりでたった三日間で既に限界を感じ始めてしまったが、Nの口利きで辿り着けた再就職だ。Nの顔に泥を塗る分けにもいかず、重圧感はSの食欲を奪っていた。
「んぁっ?」
うとうとと寝入りばなにうなじがこそばゆく、寝惚けたNは後ろ手にうなじを触ろうとした。が、手に掴んだのはSの少し濡れた髪だった。
「なんだ、髪、乾かさないで・・・」
Nはくるりと身を翻して、Sの身体を懐に抱き入れた。
「ごめん、起こしちゃった。」
「ううん。お帰り。遅くまでご苦労様。明日は休みだろ?ゆっくり寝てろよ?」
「ありがとう。さぼってばっかりで、ごめんなさい。」
「大丈夫。いつかは慣れるから。それより、痩せたか?」
そう言いながらNはSの背から尻に手を往復させた。
「ちょっとまだタイミングを掴めなくて・・・抱き心地、悪くなっちゃった?」
「それは平気。おまえの身体を心配してるんだ。そんなに丈夫じゃないから。」
「うん。ごめん。明日、一杯食べるから。」
「おやすみ。」
NはSの額にちゅっと音を発ててキスをして、更に胸に深くSを抱き、二人はすぐに寝息を発て始めた。
翌朝は定時に起床出来たSが久々にNに朝食を作り、頬にキスで目覚めさせ、玄関で見送りのキスをする事が出来た。午前中のうちにさぼっていた家事のあれこれを済ませ、簡単な昼食を取ったところで眠くなり、ソファーの背に首を預けて寝入ってしまった。
テーブルの上で震えるスマホの音で目覚め、窓に目をやれば少し赤く染まり始めた空が見えた。
「・・・あ、先生ですか?Sです。ごめんなさい、電話頂いたのに出なくて・・・」
「もしかして、会社だったかな?」
「いいえ、初めての休みで・・・昼寝しちゃってました。」
「ああ、起こしちゃったかな、ごめん。」
「丁度良い目覚ましでした。ご飯の支度しなきゃだし・・・どうしたんですか?」
「そろそろ会社に慣れた頃かなあ~と思ってさ。お願いしてたモデル、何時頃平気そう?」
「そうでしたね、ごめんなさい。後で、僕の休みをメッセしますから先生のご都合の良い日を教えて下さい。」
「こっちこそ、急かしてごめんね。つい先日までほぼ毎日S君と会ってたからさ・・・なんだか、寂しくなっちゃって。」
「ええ~?先生でも寂しいとか、あるんですか?」
「君は?そういうの、無いの?」
「・・・僕、通勤し出してから何も考えられなくて・・・寝たらすぐに朝で・・・ごめんなさい。」
「なにも謝る事じゃないよ?頑張ってるんだね。モデルの件は急いでないから。君に電話掛ける口実だからさ。本当にいつでもいいからね。休日は家でゆっくり休んでさ。またメッセ入れるから。仕事、頑張って。」
「ありがとうございます。僕もメッセ入れますね。電話、ありがとうございました。じゃ、また・・・」
電話を切って余韻に浸る間も無く、スマホの画面に出た時刻に慌てて立ち上がった。
今日こそは、Nの為に食事を作りたい。Sはキッチンに向かった。
そこから一か月があっという間に過ぎた。
Sは朝一旦起きてNの朝食を作り、起こすのと入れ替わりで二度寝をして、昼前に家事と講義の準備をし、Nの夕食を冷蔵庫に仕舞って夕方に家を出る。帰宅はだいたい日付が変わる間際頃で、寝る直前のNと挨拶が交わせればラッキーだと思える程のすれ違いな日々のままだった。
それでも、同じベッドで馴染んだ匂いに包まれて目を閉じる瞬間、安心感に疲れが溶ける感覚があった。まるで元気をチャージしているかのようだった。
「Sさあ、誕生日のお祝いも延期にしてるんだからさあ、次の休みは頑張って何処かへ行こうぜ?」
Sの誕生日は桜舞う頃だ。今はもう新緑どころでは無い、日によっては夏日にさえなる時もある。Sは不慣れな生活に忙殺されて、季節の移り変わりさえ見逃していた。
Sの遅い帰宅を待っていたのか、ソファーに座っていたNに空いた箇所をポンポンと手で叩かれ、Sは隣に腰掛けて肩に頭をもたれかけさせた。
「Nさん、ごめんね。僕、器用じゃないからいつまでも慣れなくて・・・」
「謝るところじゃないだろ?Sはそれだけひとつひとつ丁寧に向き合ってるんだ。すぐに慣れるのは器用ってのと少し違うんじゃないか?手抜きも時には必要だけどさ、お前の場合は相手が人だからな・・・一生懸命過ぎて、知らないだろ?」
Sは顔を傾けてNを見上げた。
「目、充血してるな。早く寝かせなきゃだな。」
「ん?僕が目が赤い事を知らないって事?」
「違うよ。社内掲示板、知らないだろ?アプリとパスワード渡されただろ?」
「うん。ある事さえ忘れてた。」
「そこでさ・・・面白い事が起きててさ・・・」
NはSを片手で抱きながら自分のスマホを取り出し、画面を見せた。
「雑談カテゴリーなんだけど・・・部活のスレッド、おまえのスレがあるんだぞ?」
「え!クレーム!?」
Sは身を乗り出してNの手からスマホを奪い取った。
「管理室からはログから社員ID丸見えなのに、やたらな事書かないだろ?」
「え?え?じゃあ、何?僕の何が書いてあるの?」
Nは意味深に笑って、Sの手からスマホを取り上げた。
「ヒントだけやるよ。後は自分のスマホで確認しなよ。」
「え~意地悪だなあ~」
「ふふっ。こういうのはさ、自分の目で確かめた方が面白いって。ヒントはね・・・Sにとっては嬉しい事かな。さ、早く風呂行っておいで。」
「・・・寝るの、待っててくれるの?」
「うん。Sを疲れさせない程度に・・・抱きたい。」
Sは驚いたように目を丸くして顔を引いた。
「あ・・・Nさん、僕の誕生日会して下さるって・・・さっきの話だけど・・・どうしても外出しなきゃダメ?」
「Sの思う通りでいいんだよ。ただ、気分転換も必要だろうなあって。」
「じゃあ、リクエストしてもいいですか?」
「いいよ。どんと来い。」
「・・・Nさんと僕の休みが重なった日、だらしない感じで、一日中ベッドで過ごしたいです。」
Nは一瞬目を丸くさせて眉を上げたが、すぐに笑顔でSを抱き締めた。
「なんだよ、それ。俺へのプレゼントになっちゃってるじゃん。」
「そうでもないですよ?今一番欲しいのは・・・Nさんとゆっくり出来る時間と・・・Nさんそのものだから。」
Sが再就職してからの一か月超の間、Nの配慮で二人は身体を結ばせていなかった。
「考えてみたら・・・よく浮気しないで我慢出来ましたね?」
「なんだと?俺がそんなに軽い男だと思うのか?」
Nはわざと怒った素振りでSを抱き締める腕に思い切り力を込めた。
「ぐ・・・ぐるしいっ・・・しんじゃう・・・」
絞り出すようなSの声に慌てて両腕を離し、改めてそっとSを抱き締めた。
「実はさ、そういう意味のストレスは限界値まで来てた。明日、おまえの休みに合わせて有給取るわ。いい匂いのする花束買って、ベッドの脇に飾ろう。」
「いいですね。ありがとうございます。お風呂行ってきますね。」
SはNの頬にキスをして、笑顔でバスルームに向かった。
約束通り、Sの次の公休日にNも有給休暇を取り、その前夜は二人でワインと小さなケーキを分け合い、Sの二か月遅れの誕生日を祝った。
Nが花屋で「とにかくリラックス出来る香りの花束を作って下さい」とオーダーしたものを、寝室の部屋に分けて置いた。花瓶はSの手作りのものがひとつしか無いので、やはりNのプロテインの空きボトルに挿しこんで飾った。
ほろ酔い加減で二人が寝室のドアを開けると、花の温室かと思う程の良い香りが二人を出迎えた。
「凄いや、Nさん!見た目も香りも、花って凄いんだね!」
「閉め切ってたら、香りがこんなに充満するんだなあ~入浴剤なんか目じゃないな。」
「その比較はちょっと・・・」
Sは満面の笑みでNの手を引いて花瓶に近付いた。
「花の種類、聞いてきたの?」
「確か包装フィルムに説明メモを貼ってくれたんじゃなかったかな。明日、確認しよう?」
「うん。アジサイとスズランは僕にも分かるけど、あとは知らない花・・・何となく紫?青?で揃えたの?」
「う~ん、分からん。心身ともに疲れてるから、それを癒してくれるようなのを寝室に置きたいって言ったんだ。」
「・・・寝室ってNさんが言ったから、花屋さんは気を利かせたのかもね?」
「ん?」
「ほら。」
Sは握ったままのNの手を自分の下腹部にそっと当てた。
「珍しい!何もしてないのに!」
本気で驚いているNに、Sは苦笑してから唇を尖らせた。
「僕だって男だもん。脳と直結してるんだよ?」
NはニヤニヤしてSの顔を覗き込んだ。
「何想像したんだ?」
「・・・あんな事やそんな事!」
Sが赤面しているのが薄明りの元でも十分確認出来た。NはSを背後から抱き締めて、耳たぶをそっと噛んだ。くすぐったさに肩をすくめるSの顔を片手で押さえ、長いキスをしたのが二人の小さなパーティーの始まりの合図だった。
「こんなにいい匂い、花なのかおまえからなのか、分からないな。遅れちゃったけど、誕生日おめでとう。」
「ありがとうございます。Nさん、来年も再来年もずっとずっと・・・お祝いしてね。」
そう言って微笑んだのに、Nの口から香りの話題が出てほんの一瞬だけSの脳裏にKの煙草の匂いが掠めた。
『匂いが記憶を呼び起こす事をプルースト効果って言うんだよ。』
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