Irregular

neko-aroma(ねこ)

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Irregular 34

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「今日も迎えに来てくれてありがとう・・・別の心配もあったからだよね?」
マンションの駐車場から自室に戻るエレベーターの中で、Nの大きな手にそっと指を這わせてSは小さく呟いた。
「いいんだ。確認出来たから。」
Nは前を向いたままそう答えた。
「S、シャワー済ませてベッドに行こう。」
Nは急いでいるのか、上着を脱ぎかけた姿勢のSの背を押して二人でバスルームに直行した。
「平日だから・・・最後まではしない。でも、抱く。」
服を脱ぎながら顔も見ずにそう告げたNは、少し怒りを含んでいるかにSには聞こえていた。
「うん。」
Sはただ頷いて、この夜をどう過ごせばNの疑いを晴らせるのか、頭がいっぱいになっていた。
Sは思い違いをしている。Nが確認したと言ったのは、Sの浮気心の有る無しでは無い。KがSをどんな目で見詰めているのか確かめたかったのだ。
その夜、二人は指と唇だけで抱き合い、昴かめ合い果てた。いつもなら抱き合いながらNがしきりに何か話しかけるのだが、その夜はSの言葉にただ頷くだけだった。SはNが好きだとかNの愛戯が好いとか、意識して普段より多く口にしていた。頭の片隅で「ドラマでよく見る浮気を言い訳する代わりに媚びを売るみたいだな」と思いながらも、口にするのを止めなかった。
事が済んでいつものようにSがNの胸に抱かれて目を閉じた時、Nがぽつりと呟いた。
「Sの世界に俺は干渉しない。しちゃいけないと思ってる。でも、隠さないで欲しい。」
多分、抱き合う最中も言葉を選ぶのを繰り返していただろうNの気持ちが分かるから、Sは素直に頷いた。
「うん。話を聞いてね?」
「何でも聞ききたいよ。」
SはNの腰に回していた腕に力を込め、身体をより密着させた。二人は眠るには息苦しくなる程に身を寄せて目を閉じた。


翌日、Sは予定通りNの勤務先でSは最終面接を行い、嘱託社員の打診を受けたので需要に合わせて年毎の更新を前提に一年契約を交わした。陶芸展示会に出品する作成期間を余裕を持って取り、初出社は2週間後になった。
とんとん拍子過ぎて、Sは今の自分が信じられなかった。身体を壊すまでに手応えの無い仕事に追われていたのが、たった一年とちょっと前。それが随分遠い昔に思えてしまう程だ。
それはきっと、絶対的な安心感を与えてくれるNが側で見守っていてくれたからだ。それ以外は、Nが運気の流れを呼び込んで乗せてくれた感しか無かった。Nの存在が、何の取り柄も無い自分を愛してくれる存在が、これ程までに生きる勇気と活力を与えてくれるとは、Sにとっては夢のようだった。
そして、こんなにも心を預けていられる自分にも驚いていた。絶対に裏切らない、裏切ってはならない家族のような存在なのだと改めて知った。
SはNの連絡を待って、その日は会社から一緒に家路に着いた。Nの車に乗ってすぐ、Nはエンジンを掛ける前にSの手を握った。
「S、再就職おめでとう。金曜の夜にでも外で美味しいもの食べてお祝いしようか?」
「ありがとうございます。金曜って・・・次の日Nさんは試合じゃん?ダメだよ、前日はなるべく普通に過ごさなきゃ。」
「え!今週は土曜日に試合だったのか!なんだ・・・すっかり忘れてた。」
「もうっ!Nさんには個人マネージャー付いてないと危なっかしくてダメだね?」
「だな。先生に報告は?」
Nの口から先にKの事が出て、Sは少し驚いた。昨夜は嫉妬している様子だったのに、自分の傲慢な思い違いだったか?とSはNを不思議そうに見上げていた。
「どうした?これから忙しくなるんだ、予め伝えておかないと迷惑掛けるかもだろ?」
「うん・・・心配してくれて、ありがとう。」
「ここに居ない人の話をするとさ・・・なんだか陰口や噂話みたいになっちゃうからアレだけど・・・Kさんて何だか掴みどころが無くて不思議だな。芸術家って皆そうなのか?」
「僕も芸術家の人と親しくなったのは先生が初めてだから、よく分からないや。不思議な感じがするから、生徒さん達からも人気があるんだと思うよ?知りたいなあって気持ちが沸いてくるんじゃない?」
「・・・Sも、そうなのか?」
真顔で問うNにSは僅かに視線を反らしていた。疚しさが無いと言ったら噓になる。だからNの強い視線に耐え切れないのだ。
「そう・・・かな?よく分からないや。そろそろ出ようよ。ご飯の時間がずれこんじゃう。」
アスリートであるNには試合に向けてなるべくルーティンを崩してほしくないSは、握られたNの手をぽんぽんと叩いて外した。
Nは頷いてエンジンを掛けたが、その横顔に少し翳りがあるようにも見えた。


翌日、翌々日とSはほぼ一日中Kの工房で講師の助手をしながら、出品する花瓶を作り直していた。出品する予定だったものは既に焼き上がっている。しかし、今更になってSの感性と微妙に異なるような気がして、一から作り直したくなったのだ。
一日中Kと共に居るので、教室の合間合間に再就職の報告をして、今後の日程の調整を話し合った。
「じゃあ、来週いっぱいでS君とこうして長く一緒に居られるのはお終いかぁ~寂しいなあ~」
普段は自分の感情など語りもしないKが”寂しい”などと言い出すものだから、Sは驚いて土捏ね作業の手を止めKの顔に見入ってしまった。
「え?なに?なんかおかしな事言った?」
「いいえ。普段クールなのに”寂しい”なんて・・・らしくないなぁ~って。」
Sはお道化たように微笑んで、再び土を捏ね始めた。
Kは含み笑いのような顔でSの側に椅子を置き、腰掛け頬杖を突きSを見詰めた。
「クールなのはね、振りだよ振り。俺がどんだけ胸の中で騒いでるか、見えないようにしてるの。」
意外な言葉にKをちらと見てSは口元だけ微笑んでみせた。
「先生程の方が、何をそんなに騒いでるんですか?」
「・・・こないだご挨拶したT(Nの苗字)さん、俺の事、何か言ってた?」
質問返しをしたKに違和感を覚えたが、Sは下を向いたまま土を捏ねる手を止めなかった。
「ご迷惑が掛からないように、気を付けなさいって。」
「ふう~ん。それだけ?」
「そうです。」
「余裕があるんだなぁ~」
小声で漏らしたKの呟きは、Sの耳に届いたのか否か。Sはふぅと溜息を吐き、捏ね上げた土を空気抜きの為に回転台に叩きつけた。
「ねえS君、作品は出来上がっているのに、どうしてまた作り直そうとしたの?」
「再就職先でスケジュール調整して頂いている時、僕にはまだチャンスが一回残されていたと気付いたんです。」
「チャンス?やり直しの?」
「う~ん、やり直しと言うより、時間的にあと一回チャレンジ出来ると分かったから。」
「そっか。」
「なので、どれを出品するかはこれを仕上げてみないと分からないです。いずれにしても、先生と出会わなかったら、自分からこうして”結果”を出す事は出来ませんでした。本当に感謝しています。」
Sは椅子から立ち上がって、Kに頭を下げた。
「そんな堅苦しい・・・結果って、展示会はまだ開催前じゃない?」
「いいえ。僕が自分で何かをやり遂げられたという”結果”です。これまでずっと中途半端ばかりだったから。」
「そうか・・・世の中ってさ、全部が白黒つけられないし、結果も出せないで時間に押し流されちゃう事の方が多いものだよ?君だけじゃないんだ。俺だって、結果までたどり着けない事沢山あるし。」
「はい。それでも、先生と出会って、教えて頂いて、形に出来て・・・僕に足らないのは”自信”だから、これで一つ階段を昇れた気分なんです。」
「で、最後にチャレンジするデザインは?」
「一番シンプルなものにします。先生が前に仰ってた”土と上手く会話が出来たかどうか”を僕も知りたいし。」
「そう。じゃ、俺はもう口出し手出ししない方がいいんだね?」
「はい。これに関しては。先生の教えがどれ位僕に体現出来るか、見守って下さい。」
「いつでも見てるよ。君を、見てる。」
Sは口を横に引いて笑顔を見せると、ろくろの電源スイッチを入れた。
形成を仕上げて乾燥窯に作品を入れ、Sが教室の壁掛け時計に目をやると既に帰宅ラッシュに差し掛かる時間帯だった。
生徒が帰った教室で急いで後片付けを済ませ帰り支度をしていると、Kに声を掛けられた。
「S君、今日は講師助手までしてくれてありがとう。お疲れ様。明日で教室は最後になるんだね?」
「はい。来週は、作品の仕上げに来ますけど毎日じゃないかも・・・」
「前倒しで打ち上げしようよ。」
「ありがとうございます。でも、明日は早く帰らなきゃだから・・・」
「じゃあ、今夜は?」
「・・・はい。すいません、電話を・・・」
会釈しながら教室の外へ慌てて出て行くSの後ろ姿を見ながら、Kは眉を上げて溜息を吐いた。
「生真面目なのが良い所でもあるけど、いちいちお伺い立てるのは・・・」
二人の間に取り決めがあるのだろうが、何だかNが癪に障った。
「過保護なのか、独占欲が強いのか・・・」
二人のやり取りを見ていて苛立つのは、羨望なのか嫉妬なのか、Kにはまだ分別が曖昧だ。
とにかく・・・Nの存在が気に入らなかった。


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