とある護衛の業務日記

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とある主人の語り――家出

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「これから、この人がお前を護衛することになる。専属従者としてね」

 ある日、父が珍しく自分を書斎に呼んだ。滅多に入ったことがない部屋に、自分の住んでいる家なのに居心地の悪さがひとしおで。それは、父そのものに対してもそうだった。

(なんだよ、それ。いつもおれに勝手に全部決めて)

 いつだって。いらないものばかり与えられて、本当にほしいものは何一つとして貰えない。
 むしゃくしゃしてたまらなかった。……加えて、だ。
 闇に紛れるような黒い髪と深い緑の瞳を持つ、軽薄な雰囲気を身に纏い、酷薄な笑みを浮かべた傲岸不遜な男。そんな、何もかもがいけ好かない男が――護衛?専属の従者?

 キレて暴言を吐いたら殴られるどころか馬鹿にされてますます嫌いになった。






 大体これまで放置してきたくせにどんな風の吹き回しだ、と内心で愚痴りつつ斜め後ろに立つ男を睨む。紅茶を飲みながら菓子をつまみ、読書のフリを続けながら、たまにふつふつとやり場のない思いが沸き起こるのを持て余した。
 男と目が合うと、すばやく目を目の前の文字に向けるが、どうも読み滑って内容が頭に入らない。
 最近ずっとこうだ。じっくり考えたいのに、考えられない。人目が気になる。側にいるという気配が落ち着きを奪う。思考はいつも逸れるだけ逸れて、何も生まず疲れるだけ。
 荷物を押し付けた父親はまた仕事の日々に帰っていき、相談もできない。……本当に何なんだいったい。

(あの人は、おれをどうしたいんだ……)

 ぱらりぱらりと一応読んでいるフリをしながら、今度は窓の外を盗み見た。この陰鬱な心を嘲笑うかのような穏やかな陽気。思わず溜息がこぼれた。かちゃりとティーカップをソーサーに戻す。そんな、自分の音しかこの部屋に響いていないことが苛立ちを増加させる。沈黙が苦ではない性格なのか、いるならいるなりに存在を主張すればいいものを、無言で、物音も立てず、本当に生きているのか不安になるほど。まるでおれの影になってしまったよう。なのにその存在を無視することが、どうしてもできなかった。
 こっちは部屋に漂う沈黙が嫌でしょうがないのに。
 出会ったときの雰囲気とは違いすぎて、どうすればいいのかわからない。

「……そうだ」

 口に出ていたことに気づいてぎくりと固まった。恐る恐る男を窺うと、窓の外を暇そうに見やっており、気づいていないようだ。この時ばかりは男の不遜な態度も許せるというものだ。

(どうせなら目にものを見せてやる)

 あくまで従者に徹するつもりなら、こっちもそれに応えればいいんだ。
 そこから数日かけての観察が始まった。熱心に、しかし気取られないように様子を窺うのは骨のいる作業だった。それでも気詰まりだった以前よりは楽だ。
 そうしてわかったことは、おれの目の前から滅多に姿を消さない男だが、時たまふらりと部屋から消え失せていること。気づけば日付はまちまちでも時間は同じ。定期的に退出し、なにか仕事でもしているのか。執事長に聞いてみると、彼の息抜きの時間ですと言われた。こっちは監視されて息苦しいのに何様だよあいつ。

(でも、そうか。息抜きか)

 つまり一定時間はこの部屋に戻らないというわけだ。 
 暫しの脱走の始まりである。











「くっそーなんだよあいつ……!」

 やっぱりいつもの監視の姿勢はおれの気のせいだ。おれが消えて慌てた姿を拝もうと思ってたのに、反対にこちらが嘲笑われている。しかも散々に煽ってくるのがムカつく。あの人でなし。子ども相手に情けも容赦もかけないとか。

「…………」

 ひとしきり悶絶したあと、一人きりの寝室で、抱きしめていた枕の下に手をやった。かさり、と固い感触に笑みがこぼれる。
 起き上がって、カーテンを捲って月明かりにその紙片を照らす。白く光る紙に青い文字が黒く鮮明に見えて、読み終わったあと、それしかよすががないとでもいうように、大事に、大事に懐に抱きしめた。
 
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