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Ⅳ
企み他眩む
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王家の宝物庫には、歴史家垂涎の逸品が数多く遺されている。
出土した当時から現在に至るまで最大の名を冠する宝玉や、いくつもの国境を破り世界を切り拓いた英雄王の横顔を象った銀貨、神話の一幕を精緻に描いた亡国のシルクのタペストリーなど、国内外問わず様々な由来と伝説に彩られたそれらは、値すらつけられない。
中には、王冠や王笏の他、古くの女王の遺髪と懐剣が豪奢な金の細工箱に並べて収められていたりと、王家所縁のものももちろん収蔵されている。アイザック王が今まさに下賜せんとしている剣も、その一つだ。
「おれの大叔父が愛すべき国、守るべき者のためにとり、幾度も戦禍を打ち払った剣だ」
戦塵の名残そのままの、鞘から柄に至るまで無骨に尽きる剣だった。細身で無駄な装飾が一切ないどころか、黒ずんだ革の鞘は、きらびやかな宝物庫には似つかわしくない見すぼらしさを持っている。この、王侯貴族が列席する宴の場ではなおさらだ。
だがその価値を察する者は数知れない。抑えようとも抑えきれないどよめきが沸き起こったのが、その証明だ。
「お前ほどの腕前であれば、使いこなせるだろう。存分に振るえ」
国王はぞんざいな言い方しかしていないが、王家の剣だ。加えて、王自らの下賜。ましてこの衆人環視の場で。
(ずいぶんな大盤振る舞いね……)
ヒルダは目を細めて、遠くに跪き、今まさに剣を頂戴している兄の姿を見守った。側の侍従が剣帯を持っており、手が塞がっている兄の腰に巻き付けている。
ちなみにただの侍従ではなく、政治に明るく顔が広く、国王の信頼厚いため、こと王城に限ればその権力は強大だ。その彼が手ずから補助をする。恐れ多いし手厚すぎて怖い。しかしそれ以上に、晴れがましい。この光景を見られただけで、ヒルダは夜会の目的を達成した気分になった。
「スートライトの特権が一つ増えたな」
「遅すぎるくらいです」
独り言のつもりだったジュストは、ヒルダの囁き声の返答に呆れた目を向けた。
特権の一つは言わずとと知れた社交の際のアデルの護衛で、城に招かれた今日も、ニーナが護衛として側にいる。そして今夜増えた、もう一つ。
王家の剣を王自らが授けたならば、取り上げることも、王にしかできない。
武器携帯が許されない内宮だろうと、この国のどこの貴族家だろうと、夜会や会議やその他どんな状況であろうとも。いつでもどこでも、セシルは帯剣のまま闊歩できるようになる。国軍に所属しているわけでもない、いかに優秀だと一目置かれようと地方貴族の身分しか持ち得ない青年が、だ。さらにはその剣において、「存分に振るえ」と、独自の判断で王を守ることを義務付けられた――つまり。
(有事に一軍の指揮も可能)
どよめきが今なお収まらないのも当然と言える。しかし誰もが盗み見る近衛の長や軍務卿からはその感情が計り知れない。二人とも、あくまでも品行方正に見守り、なんなら清々しく拍手の音を鳴らしていた。ヒルダももちろん痛いほど手を叩いたし、ジュストも呆れた顔で、他の人々も様々な思いがありつつ祝福と賛辞に手を打ち鳴らしている。さすがに名誉にしては大きすぎるが、表立って非難できる強者はこの場には存在しないようだった。
何しろセシルのこれほどまでの功績は、無手で王子たちの暗殺者に対峙したことがきっかけなのだ。その報奨がこれとは、皮肉が利いているというか、物凄くわかりやすいというか。
(……兄上にそこまでの権限を与えてくれるほど取り立ててくださるのはいいけれど、やっぱり油断はできないわね。これで、王家は兄上をますます使い立てしやすくなった)
一連の事件の始末を見ていて思った。王家が兄に向けるのは、信頼ではなく、凍りつくような冷たい期待だ。兄としても心から忠誠を誓っているわけではないのでお互い様だが、ヒルダの胸には不安が波紋を広げていた。一滴一滴、落ちては広がり、消えたと思ったらまた落ちてゆく。ぽたりぽたりと、絶え間なく。
人知れぬ小屋の中、闇に閃く刃。あのとき、王家はどこまでを勘定に入れていた?
ただのヒルダでは手が届かないところ。望んで捨てておいて、今さら欲しいと思うのはわがままかもしれない。けれど、つまらない意地よりあってないような体面より、二人が大事だった。
有能だが万能ではないとヒルダが誰よりも知っている、二人が。
拍手がまばらになってきた頃、兄が剣帯に剣を差し、鞘を押さえて刃を引き抜いた。何をと数人が身構える中、兄はま白い剣身を寝かせて両手で捧げ持ち、改めて跪いた。抜き身の捧剣。王の過剰な程の期待を、そのまま許容するという返礼だ。あまりにも堂々としすぎて、己を上手に使ってみろと、挑発めいた意味すら読み取れそうだ。
実際に、王はどう受け取ったのか。軽い一声をかけると、兄は立ち上がり剣を収め、踵を揃え胸に片手を当て騎士の礼を取った。
不安も心配もあるヒルダだが、これは別だった。
「兄上かっこいい……!」
興奮した声が漏れ聞こえたジュストがまた呆れた目でヒルダを見たが、ヒルダは一切気にしなかった。
颯爽と下がってゆくセシルは戦闘が本職という体つきはしていない。佇まいも文官然としている。なのに、剣は明らかに腰に馴染んでいるし、所作に肩肘張るところもない。そもそもの服だって詰め襟の上衣に短いマント。剣が腰にあって完成する騎士風の装いで、嫌みなほど似合っている。
総合的に、あくまでも、どこまでも自然体。一周回って傲慢極まりない後ろ姿を、王妃リーシャンは王から一段低い椅子に腰かけて見送っていた。身内贔屓の激しい妹二人は「かっこいい」とか言って大喜びだろうなと、その顔を探さなくてもわかる。
(……ヒルダちゃんがせっかく出てくれるなら、ドレスは贈らせてほしかったわ)
一度だけちらりと流し見た姿を脳裏に描く。大勢の中のただの一人、されど見逃すには難い。最近伸びてきたとはいえ、他の貴婦人よりも圧倒的に短い髪を、ごまかしも隠しもせず晒す。楚々というより堂々とした居住まい。ジュスト・バルメルクの社交界への顔出しは稀で目立つのに、さらにその隣にあって視線を奪う……。
「妃よ」
仕切り直しに音楽が流れ始めた。夫の手を取ったリーシャンは共に少ない段を下り、夫と向き合って腕を組んだ。もう十年とこうして組み合っていれば、合わない息も合うようになるというものだ。そもそものはじめから醜態を晒した覚えはないが。
夫の足取りが誘って、リーシャンもドレスの裾を揺らし、ダンスが始まった。夫も己も、表情は自然な笑みのような仮面をつけている。いや夫はわりかし素で微笑んでいるだろう。妻とのダンスだけではなく、諸々の状況を楽しんでいる。
「家臣に剣を寄越すなら、順序としては私からではありません?」
「そろそろ言うと思ってたんだが、今か?やらないぞ」
「じゃあ後で髪を切りますね」
「なぜその二択。駄目に決まってるだろ。お前の息子と弟が泣くぞ」
「つまりませんわね」
間近な距離で、口をほとんど動かさず、途切れ途切れに声を交わす。
「剣のかわりに薔薇をやろうか。棘付きだ」
「けっこうです。無理に摘めばあなたの手が血だらけになりますよ」
「心配してくれるとは、優しい妻だな」
「血まみれの花をもらって喜ぶ女が入れば知りたいものですわね。棘は落としてしまわないと、怪我が怖くて触れられません。ですが棘がなくば手に入れる意味がない。となれば、眺めるくらいがほどよいものです」
「欲しいくせに?臆病な妃だ」
「優しく謙虚で聡明な王妃ですわよ」
「一つ増えたな」
「いいですか。必要はないのです」
「仕方ないか。だが剣はやらないし、髪も切らせないから、諦めろ」
一曲が終わり、一人分の隙間を空けたまま裾をつまんで頭を下げたリーシャンの結い上げた髪に、何かが触れた。顔を上げると、距離が埋まっていた。頬を口付けが掠める。耳元に熱い吐息混じりの囁きが触れた。
「妻の髪を解くのは夫の特権だ」
一部黄色い悲鳴が飛んだが、リーシャンの表情は一毫たりとも変じなかった。いや、表面上は夫の愛を王妃らしくおおらかに受け止め、にこりと微笑んだ――アイザックからしか見えない角度では盛大にせせら笑った。
「妻のおねだりを叶えられるようになってから出直していらして?」
アイザックは目を瞬かせたあと、クッと喉を鳴らした。ここでご機嫌になるのがリーシャンには理解できない。反対側の頬にまた口付け、リーシャンの手を取って席へ戻る。
次に、あらかじめ選ばれた数組がダンスを披露した。そこには国王の側近夫妻や王妃の弟とその婚約者、はたまたスートライトの兄妹や新レーウェンディア夫妻の姿があった。
それが終われば、儀典としては仕舞いだ。アイザックが侍従から受け取ったグラスを掲げたのがその合図。
列席者は、身分で分けられた位置から放たれ泳ぐ魚のように、広間を移動し始めた。
「父上、セシルに挨拶に行ってきてもいいですか」
寄ってきた息子二人の表情にリーシャンは笑いが込み上げた。アーロンは可愛い弟の頼みを無下にできず、というぶすくれた顔で、オルトスは若干の興奮と緊張で頬が赤い。
アイザックもにやりと笑って、「行って来い」と送り出した。
小さな二人の影は、階下に下りるとすぐに人波に揉まれるように見えにくくなった。それでも二人一緒にいるはずだ。兄弟仲が歪む前に側仕えを刷新できたのは、先の事件の収穫の一つ。それをこの場で派閥や国内外を問わず、様々な人間に見せつけられていることも。
「おれたちも行くぞ、リサ」
先ほどと違う小声で粗雑な呼びかけに、リーシャンはそうねと返した。
半年前から予定していたパーティーだ。来賓には周辺国の名も連ねられている。先の事件の発端となったルーデルの者も当然のごとく、何食わぬ顔だ。アイザックもリーシャンも同じ顔で応じる。簡単な腹の探り合いをしている間に他の国の外交官もやってきて輪を広げる。当たり障りない話題に昇りやすいのは、やはり、今日の儀典のトリを飾ったセシルの存在だった。妹のアデル共々とうに名を知られてはいただろうが、今日アイザックが取り上げた意味は大きい。
「なかなか見どころのある若者ですな。こんなことならば娘を連れてくるべきでした」
「レスコー卿、あなたのご息女はまだ六歳ではなかったかな?」
「旅をさせるにはまだまだ幼いでしょう」
「おや、ばれてしまいましたか。ですが惜しいですな。これから縁談が殺到するでしょうに、出遅れてしまう」
「それよりは、あの歳でもいまだ結婚していないことが不思議ですね」
「確かに。内々に縁付いているのかな?」
ルーデルのレスコー卿、エルレイドのサルナルグ伯爵、デカリアのセラム男爵の視線がアイザックに向いた。もう消滅したオルトスと旧レーウェンディアの内約を察していての質問だとは考えなくてもわかる。揶揄混じりに王に問いかける胆力は、さすが一国の名を背負う外交官だ。
アイザックはすぐには答えず、リーシャンに振った。
「どうだ、妃よ」
「わたくしにはなんとも。ですが、あの器量ですもの。案外、言い交わした者がいたとて不自然ではありませんわ」
「確かにな。それを今公表できないということは、案外あいつも奥手なのか。困った時には相談するように言っておこう。下手な出歯亀は野暮でしかないからな」
アイザックの茶目っ気ある発言に、三人は笑った。ただし目は冷たい。なにをどう計算しているのか、アイザックはその思考の道筋を読みながら静かに笑みを湛えている。
王子と同等に扱おうとするまでにセシル・スートライトを重宝している、または親しんでいる。そこに、結婚政策では必ず無視できない父親の意志は皆無。かといって頭越しに強引に縁付かせようとはしない――旧レーウェンディアと同じように、スートライト侯爵も切られる運命だと、はっきり悟ったようだ。そしてセシル自身がそれを承知していることも。
(王家の血を引いているわけでもない、一貴族の若者にここまで注目が集まるのも、本来ならおかしな話だけど)
とはいえ、そうやって意識を誘導しているのはアイザックだ。
国内外の情勢を見極めるのに、今一番都合のいい餌がセシルなのだった。
セシルは王国の後継者を巡る派閥争いにおいてまだ旗色は明らかにしてはいないが、王家と領地貴族の対立では、アイザックがこうしてわかりやすくセシルを取り込もうとしていると示してみせた。同時に、レーウェンディアも懲罰的な形で王家に降ったと見せつけた。
滅多に社交界に現れないバルメルク家の問題児が出てきたことは完全な偶然だが、これらだけでも浮き足立ち、多くの憶測が飛び交う。
その騒ぎに隠して細くやわく糸を張り、望む結果をひっそりと手繰り寄せていく。
(公子と違って、ヒルダちゃんは偶然じゃないんだけど)
アイザックが嬉々として情報戦に繰り出しているのは、さらにここで公式の場に出てきたヒルダの存在が、状況を引っ掻き回すのを楽しみにしているからだ。
リーシャンとしてもその気持ちはある。信頼と期待のため。けれども、それよりも心配が先に立った。
ヒルダは、スートライトの名を捨てて初めて、今日、「ヒルディア・スートライト」として――「至宝」のきょうだいとして認識される。
ヒルダは兄妹を守るために表舞台に立つと決めたのだろうが、覚悟は足りているのだろうか。
逃げ出した場所に戻ってきても、向けられる視線の意味も、接触しようとする意図も、過去とは大きく異なると、本当の意味で理解しているだろうか。
王都に出てきて一年にも満たないのに、「至宝」の付属ではなく、並び立つ「秘宝」として、ヒルダはとっくに己の価値を示した後。
今さら後戻りはできない。
(こちら側の私が心配なんて、余計なお世話だろうけど)
兄妹だけではなく、自らにも絡みつかんと手を伸ばしてくる数多の欲と思惑が、薔薇の色をくすませやしないか。無性に気がかりだった。
ーーー
ジュストの言葉は斜め方向にヒルダの胸に突き刺さってた。
出土した当時から現在に至るまで最大の名を冠する宝玉や、いくつもの国境を破り世界を切り拓いた英雄王の横顔を象った銀貨、神話の一幕を精緻に描いた亡国のシルクのタペストリーなど、国内外問わず様々な由来と伝説に彩られたそれらは、値すらつけられない。
中には、王冠や王笏の他、古くの女王の遺髪と懐剣が豪奢な金の細工箱に並べて収められていたりと、王家所縁のものももちろん収蔵されている。アイザック王が今まさに下賜せんとしている剣も、その一つだ。
「おれの大叔父が愛すべき国、守るべき者のためにとり、幾度も戦禍を打ち払った剣だ」
戦塵の名残そのままの、鞘から柄に至るまで無骨に尽きる剣だった。細身で無駄な装飾が一切ないどころか、黒ずんだ革の鞘は、きらびやかな宝物庫には似つかわしくない見すぼらしさを持っている。この、王侯貴族が列席する宴の場ではなおさらだ。
だがその価値を察する者は数知れない。抑えようとも抑えきれないどよめきが沸き起こったのが、その証明だ。
「お前ほどの腕前であれば、使いこなせるだろう。存分に振るえ」
国王はぞんざいな言い方しかしていないが、王家の剣だ。加えて、王自らの下賜。ましてこの衆人環視の場で。
(ずいぶんな大盤振る舞いね……)
ヒルダは目を細めて、遠くに跪き、今まさに剣を頂戴している兄の姿を見守った。側の侍従が剣帯を持っており、手が塞がっている兄の腰に巻き付けている。
ちなみにただの侍従ではなく、政治に明るく顔が広く、国王の信頼厚いため、こと王城に限ればその権力は強大だ。その彼が手ずから補助をする。恐れ多いし手厚すぎて怖い。しかしそれ以上に、晴れがましい。この光景を見られただけで、ヒルダは夜会の目的を達成した気分になった。
「スートライトの特権が一つ増えたな」
「遅すぎるくらいです」
独り言のつもりだったジュストは、ヒルダの囁き声の返答に呆れた目を向けた。
特権の一つは言わずとと知れた社交の際のアデルの護衛で、城に招かれた今日も、ニーナが護衛として側にいる。そして今夜増えた、もう一つ。
王家の剣を王自らが授けたならば、取り上げることも、王にしかできない。
武器携帯が許されない内宮だろうと、この国のどこの貴族家だろうと、夜会や会議やその他どんな状況であろうとも。いつでもどこでも、セシルは帯剣のまま闊歩できるようになる。国軍に所属しているわけでもない、いかに優秀だと一目置かれようと地方貴族の身分しか持ち得ない青年が、だ。さらにはその剣において、「存分に振るえ」と、独自の判断で王を守ることを義務付けられた――つまり。
(有事に一軍の指揮も可能)
どよめきが今なお収まらないのも当然と言える。しかし誰もが盗み見る近衛の長や軍務卿からはその感情が計り知れない。二人とも、あくまでも品行方正に見守り、なんなら清々しく拍手の音を鳴らしていた。ヒルダももちろん痛いほど手を叩いたし、ジュストも呆れた顔で、他の人々も様々な思いがありつつ祝福と賛辞に手を打ち鳴らしている。さすがに名誉にしては大きすぎるが、表立って非難できる強者はこの場には存在しないようだった。
何しろセシルのこれほどまでの功績は、無手で王子たちの暗殺者に対峙したことがきっかけなのだ。その報奨がこれとは、皮肉が利いているというか、物凄くわかりやすいというか。
(……兄上にそこまでの権限を与えてくれるほど取り立ててくださるのはいいけれど、やっぱり油断はできないわね。これで、王家は兄上をますます使い立てしやすくなった)
一連の事件の始末を見ていて思った。王家が兄に向けるのは、信頼ではなく、凍りつくような冷たい期待だ。兄としても心から忠誠を誓っているわけではないのでお互い様だが、ヒルダの胸には不安が波紋を広げていた。一滴一滴、落ちては広がり、消えたと思ったらまた落ちてゆく。ぽたりぽたりと、絶え間なく。
人知れぬ小屋の中、闇に閃く刃。あのとき、王家はどこまでを勘定に入れていた?
ただのヒルダでは手が届かないところ。望んで捨てておいて、今さら欲しいと思うのはわがままかもしれない。けれど、つまらない意地よりあってないような体面より、二人が大事だった。
有能だが万能ではないとヒルダが誰よりも知っている、二人が。
拍手がまばらになってきた頃、兄が剣帯に剣を差し、鞘を押さえて刃を引き抜いた。何をと数人が身構える中、兄はま白い剣身を寝かせて両手で捧げ持ち、改めて跪いた。抜き身の捧剣。王の過剰な程の期待を、そのまま許容するという返礼だ。あまりにも堂々としすぎて、己を上手に使ってみろと、挑発めいた意味すら読み取れそうだ。
実際に、王はどう受け取ったのか。軽い一声をかけると、兄は立ち上がり剣を収め、踵を揃え胸に片手を当て騎士の礼を取った。
不安も心配もあるヒルダだが、これは別だった。
「兄上かっこいい……!」
興奮した声が漏れ聞こえたジュストがまた呆れた目でヒルダを見たが、ヒルダは一切気にしなかった。
颯爽と下がってゆくセシルは戦闘が本職という体つきはしていない。佇まいも文官然としている。なのに、剣は明らかに腰に馴染んでいるし、所作に肩肘張るところもない。そもそもの服だって詰め襟の上衣に短いマント。剣が腰にあって完成する騎士風の装いで、嫌みなほど似合っている。
総合的に、あくまでも、どこまでも自然体。一周回って傲慢極まりない後ろ姿を、王妃リーシャンは王から一段低い椅子に腰かけて見送っていた。身内贔屓の激しい妹二人は「かっこいい」とか言って大喜びだろうなと、その顔を探さなくてもわかる。
(……ヒルダちゃんがせっかく出てくれるなら、ドレスは贈らせてほしかったわ)
一度だけちらりと流し見た姿を脳裏に描く。大勢の中のただの一人、されど見逃すには難い。最近伸びてきたとはいえ、他の貴婦人よりも圧倒的に短い髪を、ごまかしも隠しもせず晒す。楚々というより堂々とした居住まい。ジュスト・バルメルクの社交界への顔出しは稀で目立つのに、さらにその隣にあって視線を奪う……。
「妃よ」
仕切り直しに音楽が流れ始めた。夫の手を取ったリーシャンは共に少ない段を下り、夫と向き合って腕を組んだ。もう十年とこうして組み合っていれば、合わない息も合うようになるというものだ。そもそものはじめから醜態を晒した覚えはないが。
夫の足取りが誘って、リーシャンもドレスの裾を揺らし、ダンスが始まった。夫も己も、表情は自然な笑みのような仮面をつけている。いや夫はわりかし素で微笑んでいるだろう。妻とのダンスだけではなく、諸々の状況を楽しんでいる。
「家臣に剣を寄越すなら、順序としては私からではありません?」
「そろそろ言うと思ってたんだが、今か?やらないぞ」
「じゃあ後で髪を切りますね」
「なぜその二択。駄目に決まってるだろ。お前の息子と弟が泣くぞ」
「つまりませんわね」
間近な距離で、口をほとんど動かさず、途切れ途切れに声を交わす。
「剣のかわりに薔薇をやろうか。棘付きだ」
「けっこうです。無理に摘めばあなたの手が血だらけになりますよ」
「心配してくれるとは、優しい妻だな」
「血まみれの花をもらって喜ぶ女が入れば知りたいものですわね。棘は落としてしまわないと、怪我が怖くて触れられません。ですが棘がなくば手に入れる意味がない。となれば、眺めるくらいがほどよいものです」
「欲しいくせに?臆病な妃だ」
「優しく謙虚で聡明な王妃ですわよ」
「一つ増えたな」
「いいですか。必要はないのです」
「仕方ないか。だが剣はやらないし、髪も切らせないから、諦めろ」
一曲が終わり、一人分の隙間を空けたまま裾をつまんで頭を下げたリーシャンの結い上げた髪に、何かが触れた。顔を上げると、距離が埋まっていた。頬を口付けが掠める。耳元に熱い吐息混じりの囁きが触れた。
「妻の髪を解くのは夫の特権だ」
一部黄色い悲鳴が飛んだが、リーシャンの表情は一毫たりとも変じなかった。いや、表面上は夫の愛を王妃らしくおおらかに受け止め、にこりと微笑んだ――アイザックからしか見えない角度では盛大にせせら笑った。
「妻のおねだりを叶えられるようになってから出直していらして?」
アイザックは目を瞬かせたあと、クッと喉を鳴らした。ここでご機嫌になるのがリーシャンには理解できない。反対側の頬にまた口付け、リーシャンの手を取って席へ戻る。
次に、あらかじめ選ばれた数組がダンスを披露した。そこには国王の側近夫妻や王妃の弟とその婚約者、はたまたスートライトの兄妹や新レーウェンディア夫妻の姿があった。
それが終われば、儀典としては仕舞いだ。アイザックが侍従から受け取ったグラスを掲げたのがその合図。
列席者は、身分で分けられた位置から放たれ泳ぐ魚のように、広間を移動し始めた。
「父上、セシルに挨拶に行ってきてもいいですか」
寄ってきた息子二人の表情にリーシャンは笑いが込み上げた。アーロンは可愛い弟の頼みを無下にできず、というぶすくれた顔で、オルトスは若干の興奮と緊張で頬が赤い。
アイザックもにやりと笑って、「行って来い」と送り出した。
小さな二人の影は、階下に下りるとすぐに人波に揉まれるように見えにくくなった。それでも二人一緒にいるはずだ。兄弟仲が歪む前に側仕えを刷新できたのは、先の事件の収穫の一つ。それをこの場で派閥や国内外を問わず、様々な人間に見せつけられていることも。
「おれたちも行くぞ、リサ」
先ほどと違う小声で粗雑な呼びかけに、リーシャンはそうねと返した。
半年前から予定していたパーティーだ。来賓には周辺国の名も連ねられている。先の事件の発端となったルーデルの者も当然のごとく、何食わぬ顔だ。アイザックもリーシャンも同じ顔で応じる。簡単な腹の探り合いをしている間に他の国の外交官もやってきて輪を広げる。当たり障りない話題に昇りやすいのは、やはり、今日の儀典のトリを飾ったセシルの存在だった。妹のアデル共々とうに名を知られてはいただろうが、今日アイザックが取り上げた意味は大きい。
「なかなか見どころのある若者ですな。こんなことならば娘を連れてくるべきでした」
「レスコー卿、あなたのご息女はまだ六歳ではなかったかな?」
「旅をさせるにはまだまだ幼いでしょう」
「おや、ばれてしまいましたか。ですが惜しいですな。これから縁談が殺到するでしょうに、出遅れてしまう」
「それよりは、あの歳でもいまだ結婚していないことが不思議ですね」
「確かに。内々に縁付いているのかな?」
ルーデルのレスコー卿、エルレイドのサルナルグ伯爵、デカリアのセラム男爵の視線がアイザックに向いた。もう消滅したオルトスと旧レーウェンディアの内約を察していての質問だとは考えなくてもわかる。揶揄混じりに王に問いかける胆力は、さすが一国の名を背負う外交官だ。
アイザックはすぐには答えず、リーシャンに振った。
「どうだ、妃よ」
「わたくしにはなんとも。ですが、あの器量ですもの。案外、言い交わした者がいたとて不自然ではありませんわ」
「確かにな。それを今公表できないということは、案外あいつも奥手なのか。困った時には相談するように言っておこう。下手な出歯亀は野暮でしかないからな」
アイザックの茶目っ気ある発言に、三人は笑った。ただし目は冷たい。なにをどう計算しているのか、アイザックはその思考の道筋を読みながら静かに笑みを湛えている。
王子と同等に扱おうとするまでにセシル・スートライトを重宝している、または親しんでいる。そこに、結婚政策では必ず無視できない父親の意志は皆無。かといって頭越しに強引に縁付かせようとはしない――旧レーウェンディアと同じように、スートライト侯爵も切られる運命だと、はっきり悟ったようだ。そしてセシル自身がそれを承知していることも。
(王家の血を引いているわけでもない、一貴族の若者にここまで注目が集まるのも、本来ならおかしな話だけど)
とはいえ、そうやって意識を誘導しているのはアイザックだ。
国内外の情勢を見極めるのに、今一番都合のいい餌がセシルなのだった。
セシルは王国の後継者を巡る派閥争いにおいてまだ旗色は明らかにしてはいないが、王家と領地貴族の対立では、アイザックがこうしてわかりやすくセシルを取り込もうとしていると示してみせた。同時に、レーウェンディアも懲罰的な形で王家に降ったと見せつけた。
滅多に社交界に現れないバルメルク家の問題児が出てきたことは完全な偶然だが、これらだけでも浮き足立ち、多くの憶測が飛び交う。
その騒ぎに隠して細くやわく糸を張り、望む結果をひっそりと手繰り寄せていく。
(公子と違って、ヒルダちゃんは偶然じゃないんだけど)
アイザックが嬉々として情報戦に繰り出しているのは、さらにここで公式の場に出てきたヒルダの存在が、状況を引っ掻き回すのを楽しみにしているからだ。
リーシャンとしてもその気持ちはある。信頼と期待のため。けれども、それよりも心配が先に立った。
ヒルダは、スートライトの名を捨てて初めて、今日、「ヒルディア・スートライト」として――「至宝」のきょうだいとして認識される。
ヒルダは兄妹を守るために表舞台に立つと決めたのだろうが、覚悟は足りているのだろうか。
逃げ出した場所に戻ってきても、向けられる視線の意味も、接触しようとする意図も、過去とは大きく異なると、本当の意味で理解しているだろうか。
王都に出てきて一年にも満たないのに、「至宝」の付属ではなく、並び立つ「秘宝」として、ヒルダはとっくに己の価値を示した後。
今さら後戻りはできない。
(こちら側の私が心配なんて、余計なお世話だろうけど)
兄妹だけではなく、自らにも絡みつかんと手を伸ばしてくる数多の欲と思惑が、薔薇の色をくすませやしないか。無性に気がかりだった。
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ジュストの言葉は斜め方向にヒルダの胸に突き刺さってた。
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