どーでもいいからさっさと勘当して

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粟を掴む前に手を濡らせ

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 しばらく固まっていたジュストがやっと解凍されて、口元に手を当てた。

「うぉっほん!」

 ヒルダはこんな仰々しい咳払いの声を初めて聞いた。逆に喉に空気が絡まりそうな気がする。

「私のことは横に置いておくぞ。それで……」
「ジュストさまが養子に関して、ドルフさまの意向を重く信託なさっているのはこれで理解しました」
「当主は父だ。私が差し出口を挟むことではないというだけのことだぞ」
「それならそういうことにさせていただきます」

 ハルトが歪む口元をお茶を飲むふりで隠した。ジュストが横目にそれを睨んで、じとっとヒルダに向き直った。

「話を戻すぞ。なぜ養子なのかという問いだったな」
「はい。あたしの能力を買ってくださるのはありがたいのですが、公式の場に立つこととは向きが違うと思うんです。それに、勘当された他家他派閥の人間を養子にするなんて前代未聞です」
「前代未聞は百年後には前例になっているかもしれんぞ。まあ、そうありそうにはないが」

 あってはたまらないのでヒルダは重々しく頷いた。ヒルダの場合は別としても、もって生まれた血筋を否定する勘当とは、基本重罰なのだ。貴族家は家名の存続が最優先なのでめったにされない措置で、つまりそこまでしないと釣り合いがとれないなにかをしでかした者ということになる。そんな厄介者に輪をかけて不穏極まりない存在を、まず他家が拾うわけがない。あったとしても勘当した家、おいては派閥を刺激することになる――つまりは内戦一直線だ。
 今の時代、そしてあの両親なので内戦にはならないと踏んでいるが、それはそれとして、後世に輝ける「前例」にも、ヒルダはなりにくい。
 ドルフも以前言っていた。ヒルダの功績は兄セシルに自然と隠されてしまうと。ヒルダも、華やかな舞台向きの才覚でないと自覚している。これが、たとえばジュストが前に出た上で、養子として使える権力で影を奔走するならまだわかる。しかしジュストはそんなつもりは一切ないようだし、ドルフからもそんな思惑が読み取れない。
 となると、ヒルダがわざわざ養子となる利点が、さっぱりわからない。

「単にアホな息子よりも賢い娘が欲しかったからではないか?」
「またずいぶんと適当におっしゃいますね……」

 とうとう呆れを隠さずに言うと、ジュストも呆れたように眉を捻った。

「父の意図を知りたいなら、君が直接尋ねるべきだ。私がとやかく言ったところで、私は父ではないからな。全て的外れかもしれん」
「ジュストさまがあたしにお尋ねになったんですが?」
「父がどうだろうと、ぜひとも養子手続きを受けてもらいたいからな。君がどう捉えているかを知りたかった。その結果を踏まえて、本題はここからだ」
「……本題?」
「しごく嫌そうな顔をするな。それは淑女としてどうなんだ?」
「まっすぐそれをあげつらうジュストさまこそ、紳士としていかがなんです?」

 実にどっちもどっちな応酬の後、ジュストがやっと茶に口をつけた。ヒルダも表情を繕いがてら二口目を飲む。

「――君が養子を断るのはなぜだ?」

 お互いまだカップに口がついている状態で、抜き打ちの要領で言葉が飛んできた。ヒルダは視線をジュストに固定しつつ、手元のソーサーにカップを戻した。

「……先ほど申し上げたと思いますが?」
「ほぼ口実だろう。君が『養子申し込みを受けずに済む』理由といった程度だ。拒否には弱い」
「……どういう意味かわかりかねます」
「うむ、ハルト、こういう場合はどういう言葉がふさわしい?」
「ここで私に振りますか」
「そのためにお前を呼んだんだ」
「そういうことだと思っていましたけど、まあ、そうですね……。色々な都合は置いておいて、ヒルディアお嬢さまのご意志を確認したいということですかね」
「それだ」
「そういうことらしいです」

 そういうことらしい。ヒルダは三口目を飲んだ。

「なぜジュストさまがそのようなことを気にかけるのですか?」
「未来の義妹と親睦を深めようと思っている――というのは待て冗談だすまなかった。座ってくれ」
「本題がこれかと思ってしまうところでした」
「それほど、自分が選んだあの兄妹以外を家族と呼ぶのは嫌か」

 ヒルダの笑顔の種類が完全に切り替わった。口角に無駄に力が入り、目がすうっと細くなる。
 四口目は止めた。
 ジュストがまどろっこしい言い方をようやくに止めてくれたのはいい。しかし――どうしてここでいきなり二人を引き合いに出してきやがった。

「選んだ、とはお口が悪いですね。血縁とは切れぬものでしょう」
「先日、元婚約者に捨てられたと言っていたが、その件が君から自信を奪ったか」
「なんのことだかさっぱりわかりません」
「父なりに君が養子を断る理由に当たりをつけて、長期戦を覚悟していた様子だったが、その判断は正しかったようだな。だがまあ、私のやり方ではない」
「あたしの声聞こえてます?」
「聞こえているぞ。そこでだ。次の王家主催の夜会、父に強制的に出席されるのだが、君に私の付き添いをしてもらいたい」

 ヒルダは聞く気がないんですねとぼそっと言ったが、これは聞こえなかったらしい。

「まあ、父が後見の女性というだけでも価値は充分にあるから、今すぐ養子にというわけではない」
「論外です。滅多に社交界に現れないバルメルク公爵家のご嫡男が、当主が後援する研修生を帯同していた、と。これでなにごともなく済むと、本当に思っているんですか?」
「よくて私の嫁、悪くて愛人といったところだが、また別の見方もある。君がスートライトの縁者だと気づく者はそろそろ増えているだろうな。学園での二度の騒動、話は王家が絡むほどにまで大きくなった」
「……その波紋にわざわざ関係者のあたしを飛び込ませて、ジュストさまはなにをお望みですか?」
「君がいてもいなくても私の仕事に変わりはない。ただせっかくなので誘ってみただけだ。君の実力がどれほどのものか、この目で見られるものなら見ておきたいというのもある」
「あたしはお仕事の余興にされるわけですね」
「私には君を『使う』権限はない。唯一その資格を持つ父は、君の意志を尊重するため私に釘を刺してきた。となれば君と直接交渉するしかないというわけだ」

 ジュストが再びカップに口をつけた。間を持たせるためではなく、一段落の区切りがついたからだ。
 前座は終わり、本題も言い終えた。となれば後は交渉だけ。

「君は、私の提案に、自身の利が一つもないと思うのか?」

 ヒルダは異様なほど静かにジュストを見返した。

「あの二人に、なにをするつもりですか」
「財宝を首輪にぶら下げるような物言いも私の趣味ではない」
「どう信じろと?」
「私は君一人の話をしている。家名と義務を捨てた、ただの娘、ヒルディア。君は肩書きがなくとも有能だ。だが、有能と万能は違う。肩書きがなければ果たせない物事は、この世には往々として存在する」
「……」
「君は今でこそ付かず離れずの距離を保っているようだが、どうせなら、君が我が家の利益を選び取り、自分の手でもたらせばいい。学園でそうしたようにだ。選ぶ基準が君個人の利であれ、結果は結果だ。父が養子として望むことと食い違おうと、文句を言わせぬだけの働きさえあれば、人は目を瞑るものだ。私はそうしているぞ」

 父親の足下を見る発想がひどすぎる上に、それをしっかり実現しているらしい思いきりのよさ、そして堂々と宣言して胸を張るえげつなさ。親泣かせにもほどがある。
 極めつけに、ジュストは黙り込んだヒルダを見て、とても不思議そうに首をかしげた。

「君がそこまで潔癖とは思えないんだがな。それとも、単にできないだけか?」

 数秒の沈黙を妙に長く感じた。
 ゆっくり立ち上がったハルトが、ジュストの頭をひっぱたいた。そのまま鷲掴みにして頭を下げさせる。

「む、なにをする、ハルト!」
「誰が、上げていいと申し上げました?」

 押さえつける手をどかそうとするジュストの動きがぴたりと止まった。その顔から一気に血の気が引いていく。

「全く懲りない方ですね。反省したと、昨日耳にしたような気がしましたが、やはり気のせいだったようです」
「ま、待てハルト。首が」
「たった一日二日で誠意を忘れてしまうようなおつむを飾っておくのもなんでしょう。このままもげておしまいなさい。ああ、それともすっぱり切り落とされることをお望みで?あいにく私にはそのような腕はないので大変見苦しいことになりますが、どちらがよろしいですか?」

 きれいに整った笑顔と慇懃口調とは裏腹に、腕には相当な力がこもっていた。ジュストは膝に腕を立てて必死に堪えているようだが、めりめりと頭が押し下げられていく。
 がっしり掴まれた後頭部がヒルダにも見えるようになってきた。このままだと額がテーブルに衝突するのもすぐだろう。大惨事になる前にお茶をどけようかと悩んだのは軽い現実逃避だ。なんか気づいたらすごい状況になってるけどなにこれ。

「――わ、悪かった、ヒルディア嬢!」

 力が弛んだのか、ジュストはハルトの手を振り払ってがばっと上体を起こした。ぜいはあ喘ぐ顔は真っ赤だ。

「挑発、したかっただけで、君を追い込むつもりはなかった。本当にすまない」
「ジュストさま?」
「いや間違えた!潔癖というのは言葉の綾でだな!ええいハルト離れろ頭が回らん!」
「言い訳にすらなってませんよ。常日頃こんなものでしょうあなたは」
「前向きに考えてもらいたかっただけだ!」
「発奮と恥をすすぐのとでは全く意味が異なりますが?女性に対してなんなんですあの物言いは。女性遍歴とは一切関係ない品性の問題ですよ」
「そ、そこはお前に繕ってもらうつもりでな」
「私にパスする前に大暴投なさっておいで、どの口がそうおっしゃいますかね」

 ねちねちぐさぐさ苛めているハルトは、これでもまだ足りないと判断してまたもやジュストの頭に手を伸ばした。
 今度は顔面鷲掴みだ。
 呆気に取られていたヒルダが「ひゃっ」と悲鳴を飲み込むと、ハルトが済まなそうに笑いかけてきた。

「申し訳ありません、ヒルディアお嬢さま。大変お見苦しいところをお見せしております。あともう少しかかりますから、楽になさっていてください――ジュストさまあんまり暴れるようでしたらちょっと外でお話の続きをしましょうか」
「むがむがむがー!」

 ジュストの全身全霊の抗議も、今のハルトの前では無意味である。一応笑っているものの、目尻が吊り上がって垂れ目が垂れ目ではなくなっている。
 それもこれも、ヒルダのために怒ってくれているからだ。閃くようにそう理解したとたん、ふっと肩の力が抜けた。

 ――それほど、自分が選んだあの兄妹以外を家族と呼ぶのは嫌か。

「できないのか」という問いの時点でハルトが止めてくれなかったら、ヒルダはなんと言い返しただろう。

「……ライゼン先生、大丈夫です」
「ヒルディアお嬢さま?」

 気づけばジュストの体が半分ドアの向こうに追いやられていた。へりを掴んでなんとか踏ん張っているが、上体があれだけ反っているので時間の問題だ。
 諸々の所感はともかく、怒ったハルトの恐ろしさは胸に刻んでおこうと思う。

「怒ってくださってありがとうございます。でも、あたしに、自分の恥を自分ですすがせてください。お願いします」
「お嬢さま……」

 ハルトが驚いた顔をして、へにゃりと表情を崩した。色々均衡が崩れてジュストがべちゃっと床に転んだがそれも放置して、「出すぎたことをしましたね」と謝ってきた。

「いいえ、嬉しかったです。けど、どうせなら、少しは見栄を張りたいと思って……」

 部屋と廊下の境界で半分伸びているジュストのところまで近寄り、手を差し伸べた。訝しげにその手を辿ってヒルダを見上げてくる男に微笑む。

「ジュストさま、失言をしてしまうほどあたしを買ってくださるなら、もちろんご支援に期待させていただいてもいいですよね?」
「し……支援?」
「どうやらお試しの機会をくださるようですが、さすがに場が場であるだけに、いきなり踏み切るには責任が過大だと思っていたのです。ジュストさまがそこまでおっしゃるのであれば、喜んで胸を借りさせていただきます」
「いや、思っていたとか、君、そもそも否定的だっただろう」
「もちろん、あたしが必要ないというならお話はここまでですが……」

 引きかけた手をジュストががっと掴んだ。ヒルダに発破をかけるにしても、やたらと強引だなと思っていたが、どうやらジュストがヒルダの手を欲しているという推測は当たっていたらしい。ジュストはゆっくり自力で立ち上がったが、手は取られたままだ。顔がものすごく苦々しげなのは、ヒルダが気づいたことに気づいたからだろう。ついでに言えば、上位に立てる機会と見るやいなやすかさず恩着せがましく乗っかってきたことに呆れている。

「さすが父が気に入るだけあるな。抜け目なく、豪胆だ」
「お褒めに預り、大変恐縮です」
「その表情はちっとも恐縮してないぞ。それで、突然やる気になった理由は」
「……」

 あれだけ人の弱いところをザックザック切り刻んでおいて無自覚とは恐れ入る。
 ヒルダはジュストが悲鳴を上げるまで、無言の笑みで握手に力を込め続けた。

















 その日、ヒルダがドルフとの時間を取れたのは昼食前だった。息子に先を譲って待ち構えていた感があるが、まあ早いほうがいいだろうと、家出中の報告をし、ついでのようにジュストと手を組むことも告げた。ドルフからすれば突然の翻意に気になるところはあるはずだが、真っ先に尋ねたのはこれだった。

「支度はどうするつもりかな?」

 単にジュストの企みに乗るだけならともかく、その舞台は王家主催の夜会である。そしてその日まではもう一ヶ月を切っている。
 飛び入り参加のヒルダは、ジュストのパートナー扱いなので、ジュストの招待状さえあれば入場は可能だ。招待状そのものは、ドルフが元から風来坊の息子にいつ行うかわからない教育的指導嫌がらせのために確保していた分で間に合う。しかし、参加資格以外は準備も何もない。

「お金を前借りさせて頂けませんか?分割で返済します」

 王城の格に見合うドレスに宝石に化粧品。特に衣装はこれから仕立て人に急いでもらうから割増料金も取られる。これまでこつこつ貯金してきた金額でも、かかる費用に比べれば雀の涙である。
 この場で借用書まで書く勢いで頭を下げたヒルダに、ドルフは苦笑した。

「貸し借りなどなくても、いくらでも支度金を用意しよう、と言いたいところだが、あなたは納得がいかないんだろう。となれば、貸与はどうだろう。我が家には今でこそ貴婦人はいないけれども、物だけはそれなりに残っていてね」

 ドルフの視線を向けた年配の従僕が頷き、ケイティ、シャロル、マーリーと、バルメルク邸に勤める侍女の名を挙げた。

「一室にお品を運ばせて頂き、彼女たちとご検討なさいますとよろしいかと」
「というわけだ、ヒルディア嬢。一度必要なものを確認した上でまたこの話をしよう」

 ドルフと従僕の息が合いすぎていて、ヒルダは反応が遅れた。ヒルダがドルフと会うときは必ずルフマンが側に控えていたが、接近禁止令が出ているのでこの男性と交代しているのだろうが、こちらはさすが本職という感じだった。応答に一切の無駄がないお陰で、ひょいっと話を戻されたヒルダの方が飲み込むのに時間がかかった。

「待ってください。貸与ですか?」
「そうだ。わざわざ借金をして買い物をせずとも、うちの物を借りて、返してくれたらいい」
「ですけど、それだとドレスは仕立て直しになります」
「体格に合わせるくらいならうちの針子たちで間に合うだろう?」
「バルメルク家に久しい貴婦人の装いですから、喜んで腕を奮うでしょうね」
「で、でも、靴とか!」
「ふむ、確かにそれはあなたに合ったものの方がいい。新調すべきだな」
「後ほど職人の方へ話を通しておきましょう。明日には採寸に来られるかと」
「いや、あの、せめて靴はお支払いさせてくださいね!?」
「ああ、わかったよ。じゃあこの通りに決定だね」

 ドルフが案外素直に頷いたのでほっとしたヒルダだが、退室したとたん、つまり靴以外はドルフの意のままと気づいて崩れ落ちたくなった。
 結局損をしないのだから喜べばいいはずだが、そうもいかない。踏ん切りがついたので、今さら借りを作りたくないとかそういうのじゃないが、決めたことをあっさり転換されると悔しい。負けず嫌いの性分ゆえだろうか。せめてもうちょっと粘りたかった。

(……あたし、時々弱いわよね)

 圧には強い自信があったのだが、時々押し負けてしまうのはなんなんだろう。
 むーんと腕を組んで首を捻るヒルダの背後、扉を隔てた向こう側で、ドルフが「厚意に弱いうちの子可愛いなあ」と従僕に惚気けて、「仕事に戻ってください」と窘められていた。
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