どーでもいいからさっさと勘当して

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くず籠よりアイを込めて

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ほんのり戦闘シーンあり。
ーーー




 二ヶ月半ぶりくらいで面と向かい合った少年は、出し抜けに訪ねてきたヒルダの行動に怯んで、戸惑っていた。視線がおろおろとさ迷っている。

「一緒にお茶を飲まないかと思って。ヨランドさんから、あなたの好みって教えてもらったんだけど」
「え、あの……お、応接室に」
「遅い時間だし、あなたは飲んだらすぐ寝た方がいいでしょう。お部屋に入らせてもらっても?」
「それは、でも、ヒルダさんは……」
「なに?」

 片手にトレーを持って首を傾げてルフマンの言葉を待つ。アデルに微笑むようにルフマンに微笑みながら。
 ルフマンはヒルダの顔を見て、ヒルダの持つトレーを見て、部屋を振り返ったりあちこち視線を飛ばして、最後に俯いた。
 少なくとも、ここで調子に乗らないくらいには反省しているらしい。
 シャツの裾をもじもじといじって沈黙に耐えていたが、ヒルダがずっとでも待ち続けると気づいたのだろう、恐る恐る見上げてきた。あざとさはない。叱られて落ち込む子どもそのままの姿だった。こうしていればただの可愛い少年なのに。
 実際のところ、悪知恵が働くし、図々しい性格もしている、食えない少年だ。
 ルフマンは本来、血筋も身分も優れているはずなのに、生まれついて持っている権利なんてたかが知れていて、将来得られるものすら自分の手で及ぶかどうかもわからない。そんな不安定な環境で、多少性格が歪んでしまったのだろう。多分。
 けれどドルフやジュスト、この屋敷の使用人はみんなルフマンを大切にしている。その前でくらい、存分に子どもらしくしていていいのにと思った。ヒルダが兄妹には甘えきっているように。
 ヒルダが今夜、自分から歩み寄ろうと思ったのは、この哀れな子どもを、とことんまで子ども扱いしてやろうと決めたからだ。ヒルダよりよっぽど難儀な生まれでも、ちょっとだけならヒルダもその気持ちがわかるから。

「……あの……」

 とはいえ、一線はルフマン自身に引き直してもらわなくては。自分で引いた線だ。曖昧にぶれまくってどっちつかずな場所に、これ以上ヒルダを置くことは許さない。

「……酷いことして、ごめんなさい。二度とあんなことはしません」
「はい、許します」

 ルフマンがおずおずと下げた頭を、以前やっていたように撫でた。

「今はまだ検討してる段階だけど、これからあなたの義姉になるかもしれないから、よろしくね」
「……え?」
「さ、入りましょ。夜更かしは成長を阻害するわ。お茶も冷めてしまうし」
「え?」
「でも少し見ないうちに背が伸びてるわね。奉仕活動って聞いていたけど、どんなことをしたの?」
「ヒルダさん?」
「姉上って呼んでもいいわよ」

 やんわり押し進むと、ルフマンは戸惑いながらもされるがままにされた。家族がすることとはあとはなんだろう。寝る前にはおやすみの挨拶をして、明日はおはようから始めようか。
 屋敷にいる間は毎朝毎晩顔を合わせるようにして。

 追い詰めないよう、追い詰められないよう。
 ドルフは色んな場面で様々に情報を散りばめる。反対に、ジュストは謝罪の時を除いて、一切ルフマンの名前を出さなかった。だからこそ見えてきたものがあって。

(……ルフマンに継がせられなくて、自分も嫌だからって、あたしに後継をぶん投げてくるのはさすがにどうかと思うけど。ルフマンがバルメルク家の遠縁でも、あたしは遠縁どころじゃないわよ)

 何よりも愛する兄妹と、自由と――その次に選ぶとしたら。
 ヒルダが投げ捨てたようには逃げ出せないこの子のために、ヒルダは何ができるだろう。









☆☆☆










 通されたのは広い客室だった。ジュストが座るよう促されているソファの対面の座席はまだ空白のまま。その空白の椅子の横で、ヒルダはようやく荷物扱いを脱したと思ったら、その場に膝をつけさせられた。さらに肩を押さえられて尻もちをつく。

(これ貸り物だから困るんだけど。汚損の請求してやる)

 内心で毒づいていると、肩を押さえていた手がふっとヒルダの視界を横切った。
 じゃらりと首飾りが落ちる。腕輪も髪飾りも強引にむしり取られた。髪が抜けちぎれる音が耳元で鳴るのはいいものではない。その流れで両耳を覆った手に、ぞわりと生理的嫌悪が走った。すぐに引かれていったのは耳飾りを付けていないと分かったからだろうが、それなら目視で済んだはずだ。
 ……もし付けていたら耳たぶごと持っていかれたかもしれないと、ちらりと思った。
 どうやら敵は、交渉の前にジュストの精神を追い込む予定らしい。常にジュストの視界に収まる場所に置かれているヒルダの役目は人質と見せしめだ。手足を拘束しながら猿ぐつわを噛ませていないのは、悲鳴すら刺激になるからだろう。ヒルダは意地でも一声も発していないが。
 拉致してきたときの状況も考えると、実に嫌らしい手を使う。そして効果的だ。
 ジュストがうつむきがちに憤怒を噛み締めているのが、ヒルダの場所からはよく見えた。

「お待たせしました」

 ジュストの前に茶が出されたが、手を付けずにしばらく経った頃、やっと敵が訪れた。扉を背に座るジュストは振り向かず、腕を組んでいる。かわりにヒルダは、従僕が開けた扉から入ってくる男を見……二度見した。
 仮面をつけるのはまだいいが、なぜ道化師ピエロを選んだ。服装が至って紳士的なのでなおさら首から上が浮いている。いや、やっぱり仮面はよくない。汚損と宝飾品窃盗の請求先はきっちり特定しておかないと。郊外か王都の端に屋敷を構える家、というだけでは足りない。

「ずいぶんと待たせたな。人を呼び出しておいて悠長に着替えでもしていたのか?それとも酔い醒ましにあくせくしたのか」

 開口一番からこの舌鋒だ。ピエロは一瞬固まり、すぐにまた歩き出し、ヒルダの前を通って空いた椅子に腰かけた。ふわりと香水が鼻腔を掠めた。
 ジュストもさすがに仮面には驚いたようだが、それだけ。侮蔑を隠しもせずせせら笑った。

素面しらふには程遠い有様だな。下の者が下の者なら、主とて礼儀のれの字も知らないと見える」
「……お言葉を慎みください」

 ピエロが若干震える声で答えた。ここで怒りを見せるとは忍耐力もないとヒルダが思っていると、背後からがしりと顎を掴まれた。

「私どもにとってこの娘に価値はありはしません。ですが、公子にとっては違うのでしょう」

 露骨に人質を見せびらかしたところで、ジュストは、我に返るという意味ではずっと冷静だ。その目には相変わらず怒りが燃えているが、やっていることは夜会の有象無象相手と変わらない。

「所詮ははした者だな。誰に言われたか知らないが、この娘の素性を卑しいの一言で切って捨てただけで丸分かりだ。お前では話にならん。いや、こんな蛮行を働くくらいだ。そもそも会話など成立しようもなかったな」

 ただ言葉がキレッキレなだけだ。

「明日の昼前には知人の宅を訪問する予定があるし、今夜、私はともかくこの娘の帰りが遅いと、父がまたうるさくなる。そろそろ帰らせてもらうぞ」

 ジュストは立ち上がって、仮面が無駄に衝撃を与えるだけの男や従僕、ずっと背後に立っていた男、ヒルダを押さえつける男……つまり全員の存在をまるでないものとしているように、実に悠然とヒルダへ歩み寄った。必然的にピエロにも近付くことになり、ピエロは仰け反って何事か言っているようだが、当然のごとくジュストは一切を無視した。
 眼の前に跪いたジュストが、ヒルダの顎を掴む手をぺいっと放り捨てた。

「お前もナイフかなにか持っているだろう。縄を切れ」

 まるで己が主かのごとく命じた姿は、堂に入っているの一言に尽きる。ヒルダの背後の男は喚くピエロとジュストを見比べ、戸惑いながらも服の下に吊り下げていた短剣で、肌を切りつけることなく足の縄だけを切った。ここまで来ると、その傲慢さは称賛にも値する。
 これを身近で見てきただろうルフマンが、ジュストに似なくてよかった。ヒルダは心底安堵した。血筋が血筋なだけに、むやみやたらに驕り高ぶっていれば余計な火種をジュスト以上にばら撒いていたことだろう。ちょっと歪んでいても可愛げがある分まだましだ。どうかあのまま成長していってほしい。

「手首もだ。もたもたするな」

 とはいえ、今はジュストが無造作にばら撒いた火種の一つが問題だ。ヒルダが火消ししそびれてもいたのだが。
 ジュストが言った通り、ピエロは端者、つまり小物だ。ヒルダを人質としてしか扱わないのは、見たものからしか判断していないから。
 バルメルク公爵庇護下の平民で、商会に雇われ、研修生として学園にも所属している……それだけの認識に、今夜、ジュストがバルメルク公爵家の後継者候補であると仄めかした。もしくはジュストの嫁候補か。だからこそジュスト、ひいてはバルメルク公爵家に対する効果的な人質になりうるのだ。
 しかし、ヒルダが、勘当されたとはいえスートライト家の直系だと、そして至宝の二人の寵愛深いと知っていたら、こんな風に扱うことは絶対にありえない。
 きっと今夜兄妹と会話していたところは、セシルの商会の部下だからという安直な思考で解決させたのだろう。その点ではヒルダの仕込みは成功だ。でも正直、こんな結果は歓迎していなかった。兄妹へ期待負担となる注目を分かち集めるために出席を選んだが、仕込みそのものは、バルメルク家の問題に大事な兄妹を関わらせたくなかったので引いた予防線のはずだったのだ。なんで相手が今日の今日でこんな風に喧嘩を売ってくると思えるか。

「ヒルディア嬢、立てるか」

 ヒルダが周囲を確認しながら考えを巡らせているうちにも、拘束は解かれていた。ジュストの差し出す手に手を載せ、目に入った縄の痕に少しだけ顔をしかめた。縄自体が薄汚れていたのか、繻子織りの白手袋の上にくっきりついている。ジュストも眉を寄せながら「すまない」と小声で言った。

「痛くはないか」
「多少違和感があるくらいです」

 指先が少し痺れているのを手を振ってごまかし、さてとジュストの顔を見上げた。このまま帰らせてもらえるとはヒルダは思っていないし、ジュストも同じだろう。
 ジュストにあしらわれて二の句も告げない程度の端者が公爵家嫡男の拉致なんて分不相応極まりないことを目論む場合、誰かが背後についていると考えるのが常道だ。しかもその誰かは、こうした小物が公爵家に喧嘩を売っても助けてもらえると思っている程度の身分もしくは肩書きがある。
 黒幕としては、別に失敗したところで切り捨てればいいという考えだろうが、こんな開幕早々、交渉のこの字もなく手駒が撃沈されるとは思ってもみないだろう。いやほんとに。呆気なく瞬殺だった。
 今回の成果なんて公爵家嫡男の拉致そのものにしかなく、それを踏まえて今後なにか仕掛けようとしても、カードが足りなさすぎる。加えてジュストの普段の拠点は国外だ。こんな使えない小物を使嗾する時点で、そこにまで手は届かないだろう。となれば、せめてもこの機会を無駄にすることは、悪手のさらに上の悪手だ。

(このピエロがあたしたちを無理やりにでも抑えにかかるか、黒幕が直々にお出でに、なる、か……)

 止めようと従僕が駆け寄ってきているので身構えたヒルダだが、思考から体の動きまで、一瞬で凍りつかせた。
 全身から血の気が引く音が聞こえるようだった。

「ヒルディア嬢?」
「……時間稼ぎもまともにできないとは思いませんでした」

 ヒルダを担いだりなんだりした男が、短剣を鞘に収めて立ち上がった。
 大柄な体でのそのそ動いていたのが嘘のようにしなやかな動作で、事実、演技だったのだろう。ジュストが異変を感じてヒルダを庇うように体を割り込ませようとして、背後から肩を掴まれて動けなくなった。ジュストの縄を解いたナイフの男だ。

「困りますよ。こちらはまだ支度も整っていないのです。お嬢さまをお貸しできる間にそちらのことは済ませてほしかったのに」
「な、なんだ、お前たち、急になにを?」
「まさか、単なる雇われの人足と、本当に思っていたんですか?」

 大男は「仕方がありませんね」と肩を竦め、無造作に――ピエロの仮面を片手で薙ぎ払った。乾いた打撃音が高らかに響き、仮面が壁まで吹っ飛んで、からんと落ちた。
 その仮面の下には、今日の夜会でちらりと見覚えがある男の顔があった。ジュストが「お前か」と呟いている。

「バルメルク公子、お家の名を汚されたお怒りはこちらの方でぜひ晴らしていってください」
「なにを勝手なことを!」

 従僕が叫んだが、誰も聞いていない。ピエロもそうだが、キィキィがなっても誰もこの部屋に駆けつけない異常さを、今さらながらにヒルダは感じていた。
 ヒルダの腕が木箱から出されたときのようにがしりと掴まれたのを見て、ジュストの目がいっそう冷たく閃いた。

「どんな内情があれ、これに使われる程度の者が、この私に、この程度で満足しろと?ヒルディア嬢を改めて人質に取って、随分な口を叩くではないか」
「この方があなたを侮辱したのですから、満足もなにもないでしょう?」
「抜かせ。ヒルディア嬢をどこへ連れて行くつもりだ」
「連れて行くもなにも、返していただくだけです」
「……なに?」
「勘当されたとはいえ、その身に流れる血はスートライトのもの。スートライトのためにこそ尽くして然るべきなのです。バルメルク公爵家には申し訳ありませんが……」

 ヒルダの凍りついた心臓が強い鼓動に負けてひび割れた。ばりばりと割れてゆく音、ぼたぼた溢れる血の音が耳鳴りのように響き、ジュストたちの話す声はその音よりも遠くから聞こえている。

「……スートライトの名も堕ちたものだな。いや、家臣が婦女誘拐を働こうとしたのだ。上も上というわけか。セシル殿は苦労するだろうな」
「……いくら公子といえど、お言葉にはお気をつけいただきたい」
「黙れよ拉致犯風情が。彼女を離せ」

 一触即発の空気を破ったのは、大男の驚愕の声だった。

「なにっ!?」

 大男もジュストを抑える男も、揃ってジュストに怒りを向けて、それ以外の警戒はお留守だったのだ。
 愚かにも、世界に名だたる傭兵隊「落星」から護身を、剣を学んだヒルダを、単に片腕を捕まえただけで取るに足りないと断じたのだ。

 大男はその報いを受けた。

 目を瞬かせたジュストは、不意に後ろに引っ張られてよろめいた。とっさに飛び出した影が短剣と切り結び、わずかもしないうちに短く悲鳴を上げた。それでも果敢に攻める影だが、その隙を逃さない一閃が走り、一拍おいて、ジュストを抑えていた男はくずおれた。

「ジュストさま、申し訳ありませんが、クラバットをお貸しいただけますか」

 赤い髪の先から、白い顎から、ぽたりぽたりと毒々しい赤い雫が滴り落ちていく。
 男の首の付け根を踏みながら、ヒルダは淡々と言った。

「あんまりもがくと、盆の窪にヒールが刺さるわよ。あなたもそこの人のように死にたい?」

 さすがのジュストも唖然としていたが、ヒルダは立ち直るまでのんびり待つ気はなかったのだろう。すぐに方針を変えた。

「別にあなたを生かさなくても、まだ喋る口はいくらでもありそうだし、もういいか」

 独り言のように呟いて足を振り下ろすと、ヒルダは動かなくなった男の上着を半分脱がせて、その袖を絞って胴体を拘束した。一応呼吸の確認をしてみると、運が良かったのか、生きている。下に着込んだ皮鎧は、傭兵が使うような、見た目が粗末でも実用的なものだった。
 ナイフや目につく武器を全部取り上げ、クラバットで拘束するかわりに両足の筋を切ってからやっと体を起こしたヒルダは、こちらを凝視する三人の視線に気づいて、自分が被った血に気づいた。
 苦笑しようとして、できなかった。頬を撫でるとぬるりと感触がする。
 もう笑えない。まだ笑えない。派手な色に染まったドレスの汚損の弁償はやっぱりヒルダ持ちになってしまうだろうか。そんなことを考えても、まだ、どうしても、どうしようもなく。

(笑顔ってどう作るんだっけ?)

 は今、どんな顔をしてるんだろう。
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