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第一部
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さて、ローナやシュカはほとんど荒事専門の場所で働いているので、その実力はある程度察せられるが、学園でほぼずっと首席を取り続けたルースはというと、かなりそちら方面の能力は低かった。
剣は振れる。走れもする。乗馬はかろうじて。
ひたすら悪いという訳ではない。ただ、すべての能力が平均以下というだけである。
本人だって、当初は改善しようと考えていた。勝手にライバル視していたローナが意外に動けるのが癪だったというのもあって、執念で取り組んだが、結果はどう頑張ってもさっぱりだった。そこからは開き直って勉学だけに集中したが、相変わらずローナの張り合いがなさすぎて、無駄に気を張り続けた学生時代だった。
そんなルースは、上級役人を多く排出するラスマリア伯爵家の跡取りである。本来なら護衛もつけずに街をぶらぶらと歩ける身分ではないのだが、道行きを共にするのはティリベル警備部の二人であった。
ルースは家を出る際に護衛は必要ないと考えていたし、最初は渋っていた父も、ハヴィンとアボットの名を出せば、なぜか苦笑して許してくれたという経緯がある。
ルースとしては、「む、父上がご存知であらせられるほど二人は有能で名が通っているのか」とわずかに不機嫌になったが、そのお父上としては、「あの偏屈な息子が学生時代に頻繁に名前を挙げていた二人だ。友だち水入らずで過ごしたいのだろう」と変に気を使った結果だった。実はこっそり影から見守っている。
伯爵家として必要最低限以外は人間と交流をもたなかった息子に対し、伯爵も夫人もかなり心配していたので、例外であったその二人には、会ったことがないながらもとても感謝していたのである。ましてやシュカについては、つい最近、息子が初めて個人的に酒を飲み交わしたのまで伯爵家に広まっており、親密な仲だと思われている。
(それに、ローナ・ハヴィンか)
伯爵の耳にも、彼がティリベル副長官たる第一王女の従者の名を略称で呼ぶことが許されていることも、王妃の弟たる若き大公爵とも名を呼び合う親しい仲だと届いている。そして、彼の伯父は知る人ぞ知る先の大戦の綺羅星の一人。見た目がほんわかしていることや功績の地味さからも脚光を浴びることは少ないし、ルーリィの史官などというほぼ閑職に勤めているのもあって、大戦に参加した者でも知らない人間は多いのだった。
ずいぶんと後光が眩しい少年がうちの息子の友だちになったものだ、と考える。本人は全くそれらの権威を気にしている素振りはないが。なぜそんなツテを持っているのかは疑問だが、深入りするのは危険だと勘が告げている。
アボットの方もそれなりに有名だ。子沢山な家系で、あちこちの有力者と縁戚関係がある。そのツテの広さが彼らの商売を支えているのだ。その中でもシュカ・アボットは、しまいっ子だけに甘やかされて育ったが、これからは軍部よりもその必要性が増してくるティリベルに所属することになった点では先見の明があるとも言えるだろう。そこで新たなツテを得られれば、アボット商会は一気に拡大できる。本人も開けっ広げな性格で愛嬌があり、人の輪にするりと溶け込めるので、敵が少ないと聞いている。
「そこまで心配せずともよかったかも知れませんね、旦那さま」
「ああ、そうだな」
ラスマリア伯爵夫妻は、意気揚々と出かけていく息子を見送りながら、何だかんだで息子も上手くやっていっているようだと安堵の息をこぼした。
ちなみにシュカとルースが犬猿の仲であるとかいうのは本人たちの主観であり、周りはみんな「喧嘩するほど仲がいい」と思っているので、悪い話が夫妻の耳に入ってきていないだけだった。
そんな若者三人の向かう先には、彼らが長いときを過ごした学園がそびえている。今日の外出の目的は、そこで行われる学生の剣術大会であった。
「こうして見ると、久しぶりだなあ。懐かしい」
ローナは学園を見上げてほうっと息をついた。何だかんだで八年過ごした場所だ。締まりが悪い学園生活だったが、愛着はある。
「お前、実家に帰ってそれきり戻ってこなかったもんな。報せもなくな」
「うっ、そ、それは悪かったって。忙しくて……」
ローナは首をすくめたが、ルースまでうんうんと頷いているのは疑問だった。
そもそも、今回のお誘いもローナには不思議だ。
「どこで学長に会ったんだ?」
たまたま出会った、とのこと。そこでローナについて聞かれ、じゃあ久しぶりに会いたいとのことで今回の剣術大会に合わせ訪問となったのだが。
シュカとルースはさっと顔を背けた。まさか王都下町の飲み屋で、侯爵位をもつ学長と出くわすとは思わない。しかも二人仲良くぶちまけまくったローナの愚痴もばっちり聞かれた上で初めて声をかけられ、卒業生として一度顔を見せに来なさいと言われたのだ。気まずい。
しかし、出迎えた学長は全く後ろ暗いところを見せない爽やかな出で立ちであった。
「よく来たね、三人とも。今日は後輩たちの勇姿をぜひ見守ってくれ。それと、ローナ君。君のティリベルでの功績は聞いている。頑張っているね」
「あ……ありがとうございます」
握手まで交わしたローナは照れ顔だが、学長はどこまでも嬉しそうだった。教育者として、国で最も尊敬されている人だ。あの大公爵ですら敬意を払うのは、この温かで朗らかな人柄のためだ。ローナの恵まれている点は、ここにもあったのだ。
「ルース君も、ルーリィきっての新進気鋭の新人だと評判だよ。首席を取り続けた君なら、すぐに上に上れるだろうね」
「ありがとうございます」
「シュカ君もね」
「……えっおれも!?……ですか?」
優等生への賛辞を聞き流していた元平凡学生シュカは飛び上がった。学長はしかし、にっこり笑ったままだ。
「そう、君もだ。いざというときの行動力とそれを支える君の信念は素晴らしいものだ。大切なことは絶対に見逃さない。ティリベル警備部にこの人あり、と言われる日が来ることを心待ちにしているよ」
シュカはそのあとずっと照れていた。学園の奥の奥に武術用の訓練場がある。来賓を迎えにいく学長と別れて、三人だけで歩いていく。
「学長っておれみたいなゴマ粒認識してないかと思ってたぜ」
「おれの肩書き利用して学長室まで乗り込んだことへの皮肉じゃないのか?」
「え、なにそれ。二人とも、そんなことしてたのか?」
純粋なローナの疑問に、再び二人は仲良く渋面を作った。……一体誰のせいだと。一気に微妙な空気になったのをごまかすように、ルースは鼻で笑った。
「まあ、お前に誇るところがあるとすれば、その逆に頭が足りないところか。勘だけで生きる猿は楽でいいな」
「はあー?頭でっかちで腰が重いよりよっぽどましだろ、どー考えても。ルーリィの奴らは手続きがどーのこーのといっつもうるせえんだから。それで無駄にかけなくてもいい時間がかかるんだ」
「それこそお前らのように後で始末書を書けば全て許されると勘違いしている馬鹿がいるからだ!後始末もできないくせに図々しい」
(おお……仕事人の会話って感じだな)
ローナはやっぱり仲裁せずぼんやりと聞き流した。学生の頃より成長したな、と他人事に思っている。
(でも、学長がシュカを認めてくれてたのは、嬉しいかも)
なにしろ、学園で初めてできた友だちだ。確かに学業に関しては誉めるところは見つからないが、学長が褒めそやしたように、シュカの魅力は誰にでも目を配れるところだ。ローナもそれに救われたのだから。
――警備部にこの人あり、と言われる日が来ることを、心待ちにしているよ。
シュカは出世をそこまで意識していない。単純思考らしく、体を自由に動かせればそれでいいやーな奴なのだ。
そして、そんなシュカだから、今日の剣術大会はいい暇潰しになるのだった。既に開催間近、訓練場のあちこちで少年たちが準備運動がてらに剣を振るっている。
「――あ!あの人って!」
そんな声が聞こえてきた。気づいたときにはローナもシュカも囲まれていた。ちなみにルースはさっと退避していた。この時ばかりは素早い人間だ。
「お、なんだ?誰だこいつら」
「おれも知らないなぁ……」
「あの!ティリベルの方たちですよね!よく街を巡回してる!」
「え、うん、そうだけど……」
「いつぞやはお世話になりました!」
「ありがとうございました!」
ぺこぺこ頭を下げられて、警備部の二人は困惑するしかない。全然見覚えのない顔だった。こちらをきらきらと見上げてくる少年たちは一様に同じ格好をしていたが、遠くから、ルースが奨学生か、と言う声が聞こえてきた。
「奨学生?」
「ってことは平民か?」
「いや、おれみたいなのもいるはずだからな。……でも、そっか。街を歩いてたら、たまたま出くわしたりしたのかな?」
「出くわすもなにも!即位式のお祭りの時に助けてもらいました!知らない内に故郷の家族を泊めた宿から火が出て……助けてもらわなければ、ぼくはここにいませんでした」
「そっか……あの火事の」
どこの宿も満杯で、その中でも臨時開業した安宿ならではか、ならず者たちの溜まり場にもなっていたらしいところでまさかの武力衝突。駆り出されたことは記憶に新しい。何しろシュカが頭が燃えるー!うおー!と叫びながら赤ん坊を抱えて走り回っていたので。簡単に忘れられない奇狂な一幕だった。頭が燃える前に隊服が燃えてるから。そっち気にしろよ。そう突っ込んで近くの水路に赤ん坊を救出した上で蹴りこんでやったのがローナだ。シュカの馬鹿さに慣れてきていたルーク先輩ですら呆れ返っていた。
「あの時の赤ん坊、ぼくの歳の離れた弟なんです!本当に……感謝してもしきれません!」
「いや、仕事だったからさ。大したことじゃねぇよ。それより、そろそろ大会はじまんぞ。応援するからがんばれ」
「あ、ありがとうございます!観戦されるってことは、来賓の方だったんですか?」
「いや、卒業生だから遊びに来たんだ」
「卒業生!」
「去年のな。――ほら、行けって」
シュカは満更でもなさそうにふんぞり返り、年上ぶって子どもを見送った。そして、ローナに向けて宣言した。
「おれ、もっと警備部でかんばる!」
子どもの決意表明かと思いつつも、ローナも笑顔でがんばれと頷いた。
「ナジカー!買い物行きましょ!」
今日のルアはかなり気分が高揚していた。理由はローナからもたらされた一報である。朝からナジカを抱きしめて頰ずりまでしてのけ、ナジカに救援を求められたローナに引き剥がされるまで、泣いて喜んだ。昨晩はナジカの睡眠の妨げにならないように遠慮していただけだった。
ナジカも比較的明るくなった表情で、うん、と言って、いつものようにルアと手を繋いで家を出発した。
もう、必要以上に帽子は被らない。ローナの同僚たちに配慮するのとは別に、ナジカにも、それくらいの自信がついてきたのだった。
街の賑わいも、いつもより増している気がした。迷子になりやすいナジカはともかく、慎重な性格のルアがここまで足取りが軽いのは珍しい。スキップでもしそうな勢いで出店に突撃し、仲良くなった店主と談笑しながら今日も値切り交渉に圧勝し、さらに上機嫌だ。
「今日はご馳走よ」
ルアの作るごはんは、エルフィズの郷土料理なのか薄味でもふんだんに肉と野菜が使われた煮込み料理をはじめとして、ナジカにとって大好物なものばかりだった。なんでもかんでも美味しいので、最近体も太ってきた気がする。でもルアが嬉しそうに笑うので、ナジカは胃袋が許す限りたらふく食べるようにしている。クラウスやローナからもちゃんと食べろと言われているのもある。
「楽しみ」
ふわっと微笑んで、ルアと手を繋ぎ直して人混みの中を歩く。なんだか世界が一変して見えた。寒々しい冬が終わり、春になったような――既に現実世界初夏に突入しかけているが――そんな、気分。
だから、幻聴が聞こえたのかもしれない。思わず立ち止まると、ルアが振り返った。
「ナジカ?」
「……ルア、さっき名前呼んだ?」
「え?」
ナジカは雑踏に首を巡らせた。誰かに名前を呼ばれた気がしたのに、知ってる顔はどこにもいない。
(……誰かに?)
いや、懐かしい声で呼ばれたのだ。しかしその声の持ち主はもういない。ならやっぱり聞き間違いか……。
「……どうしたの?」
「……なんでもない。行こう」
ぐるっと見渡して諦めたナジカは、再び歩き始めた。昨日見た夢が幸せだったから、それを思い出しただけかもしれない。気づかない内に、くすりと笑っていた。
「…………まじかよ……」
とっさに逃げ込んだ路地裏で、男が頭を抱えてずるずるとへたり込んでいた。ぼろぼろの外套を纏った、かなり汚れた姿である。無精髭を生やし、日に焼けた肌のあちこちに生傷の痕が残っている。目を引くのは、顔半分を覆う大きい眼帯。
男はしばらくうずくまっていたが、やがて、立ち上がった。杖がわりにしていた鞘つきの槍を、とん、と石畳に突く。男にとっては十年ぶりの王都だった。そこで、まさか二度と生きて会えると思っていなかった顔と出くわした。
立ち上がると、意外に大柄なことがわかる。髪も瞳も黒々とし、精悍な顔立ちに陰影を刻んでいる。しかし、今の男の容貌は、先ほどまでより明るくなっていた。
「よかった。生きて、いい人間に拾われたんだな……」
野獣のような笑みが、口に刻まれた。
「――なら、おれがちゃんと終止符打って、あいつがもっと生きやすいようにしよう」
本当は逃がすつもりはなかったのだ。男は失態を拭うように王都まで一人の人間を追いかけていたが、今、理由が増えた。
目映い銀髪を見つけて、とっさに名前を口走ってしまった。振り返った少女は、会えなかった年月分、成長していて……笑っていた。
あいつが、笑っていた。
男は、今ならなんでもできる気がした。
「殺して殺して死んでくかと思ったけど……生き残ってくれてたんなら……ああ、嬉しいなぁ。夢じゃないんだよなぁ」
ならばお前に安寧を。たった一人になってしまった家族――妹分に、兄として、最後の役割を果たそう。
「ナジカ。生きててくれて、ありがとう」
目的を果たせばすぐに死にゆく男にとって、幸福の邂逅だった。
剣は振れる。走れもする。乗馬はかろうじて。
ひたすら悪いという訳ではない。ただ、すべての能力が平均以下というだけである。
本人だって、当初は改善しようと考えていた。勝手にライバル視していたローナが意外に動けるのが癪だったというのもあって、執念で取り組んだが、結果はどう頑張ってもさっぱりだった。そこからは開き直って勉学だけに集中したが、相変わらずローナの張り合いがなさすぎて、無駄に気を張り続けた学生時代だった。
そんなルースは、上級役人を多く排出するラスマリア伯爵家の跡取りである。本来なら護衛もつけずに街をぶらぶらと歩ける身分ではないのだが、道行きを共にするのはティリベル警備部の二人であった。
ルースは家を出る際に護衛は必要ないと考えていたし、最初は渋っていた父も、ハヴィンとアボットの名を出せば、なぜか苦笑して許してくれたという経緯がある。
ルースとしては、「む、父上がご存知であらせられるほど二人は有能で名が通っているのか」とわずかに不機嫌になったが、そのお父上としては、「あの偏屈な息子が学生時代に頻繁に名前を挙げていた二人だ。友だち水入らずで過ごしたいのだろう」と変に気を使った結果だった。実はこっそり影から見守っている。
伯爵家として必要最低限以外は人間と交流をもたなかった息子に対し、伯爵も夫人もかなり心配していたので、例外であったその二人には、会ったことがないながらもとても感謝していたのである。ましてやシュカについては、つい最近、息子が初めて個人的に酒を飲み交わしたのまで伯爵家に広まっており、親密な仲だと思われている。
(それに、ローナ・ハヴィンか)
伯爵の耳にも、彼がティリベル副長官たる第一王女の従者の名を略称で呼ぶことが許されていることも、王妃の弟たる若き大公爵とも名を呼び合う親しい仲だと届いている。そして、彼の伯父は知る人ぞ知る先の大戦の綺羅星の一人。見た目がほんわかしていることや功績の地味さからも脚光を浴びることは少ないし、ルーリィの史官などというほぼ閑職に勤めているのもあって、大戦に参加した者でも知らない人間は多いのだった。
ずいぶんと後光が眩しい少年がうちの息子の友だちになったものだ、と考える。本人は全くそれらの権威を気にしている素振りはないが。なぜそんなツテを持っているのかは疑問だが、深入りするのは危険だと勘が告げている。
アボットの方もそれなりに有名だ。子沢山な家系で、あちこちの有力者と縁戚関係がある。そのツテの広さが彼らの商売を支えているのだ。その中でもシュカ・アボットは、しまいっ子だけに甘やかされて育ったが、これからは軍部よりもその必要性が増してくるティリベルに所属することになった点では先見の明があるとも言えるだろう。そこで新たなツテを得られれば、アボット商会は一気に拡大できる。本人も開けっ広げな性格で愛嬌があり、人の輪にするりと溶け込めるので、敵が少ないと聞いている。
「そこまで心配せずともよかったかも知れませんね、旦那さま」
「ああ、そうだな」
ラスマリア伯爵夫妻は、意気揚々と出かけていく息子を見送りながら、何だかんだで息子も上手くやっていっているようだと安堵の息をこぼした。
ちなみにシュカとルースが犬猿の仲であるとかいうのは本人たちの主観であり、周りはみんな「喧嘩するほど仲がいい」と思っているので、悪い話が夫妻の耳に入ってきていないだけだった。
そんな若者三人の向かう先には、彼らが長いときを過ごした学園がそびえている。今日の外出の目的は、そこで行われる学生の剣術大会であった。
「こうして見ると、久しぶりだなあ。懐かしい」
ローナは学園を見上げてほうっと息をついた。何だかんだで八年過ごした場所だ。締まりが悪い学園生活だったが、愛着はある。
「お前、実家に帰ってそれきり戻ってこなかったもんな。報せもなくな」
「うっ、そ、それは悪かったって。忙しくて……」
ローナは首をすくめたが、ルースまでうんうんと頷いているのは疑問だった。
そもそも、今回のお誘いもローナには不思議だ。
「どこで学長に会ったんだ?」
たまたま出会った、とのこと。そこでローナについて聞かれ、じゃあ久しぶりに会いたいとのことで今回の剣術大会に合わせ訪問となったのだが。
シュカとルースはさっと顔を背けた。まさか王都下町の飲み屋で、侯爵位をもつ学長と出くわすとは思わない。しかも二人仲良くぶちまけまくったローナの愚痴もばっちり聞かれた上で初めて声をかけられ、卒業生として一度顔を見せに来なさいと言われたのだ。気まずい。
しかし、出迎えた学長は全く後ろ暗いところを見せない爽やかな出で立ちであった。
「よく来たね、三人とも。今日は後輩たちの勇姿をぜひ見守ってくれ。それと、ローナ君。君のティリベルでの功績は聞いている。頑張っているね」
「あ……ありがとうございます」
握手まで交わしたローナは照れ顔だが、学長はどこまでも嬉しそうだった。教育者として、国で最も尊敬されている人だ。あの大公爵ですら敬意を払うのは、この温かで朗らかな人柄のためだ。ローナの恵まれている点は、ここにもあったのだ。
「ルース君も、ルーリィきっての新進気鋭の新人だと評判だよ。首席を取り続けた君なら、すぐに上に上れるだろうね」
「ありがとうございます」
「シュカ君もね」
「……えっおれも!?……ですか?」
優等生への賛辞を聞き流していた元平凡学生シュカは飛び上がった。学長はしかし、にっこり笑ったままだ。
「そう、君もだ。いざというときの行動力とそれを支える君の信念は素晴らしいものだ。大切なことは絶対に見逃さない。ティリベル警備部にこの人あり、と言われる日が来ることを心待ちにしているよ」
シュカはそのあとずっと照れていた。学園の奥の奥に武術用の訓練場がある。来賓を迎えにいく学長と別れて、三人だけで歩いていく。
「学長っておれみたいなゴマ粒認識してないかと思ってたぜ」
「おれの肩書き利用して学長室まで乗り込んだことへの皮肉じゃないのか?」
「え、なにそれ。二人とも、そんなことしてたのか?」
純粋なローナの疑問に、再び二人は仲良く渋面を作った。……一体誰のせいだと。一気に微妙な空気になったのをごまかすように、ルースは鼻で笑った。
「まあ、お前に誇るところがあるとすれば、その逆に頭が足りないところか。勘だけで生きる猿は楽でいいな」
「はあー?頭でっかちで腰が重いよりよっぽどましだろ、どー考えても。ルーリィの奴らは手続きがどーのこーのといっつもうるせえんだから。それで無駄にかけなくてもいい時間がかかるんだ」
「それこそお前らのように後で始末書を書けば全て許されると勘違いしている馬鹿がいるからだ!後始末もできないくせに図々しい」
(おお……仕事人の会話って感じだな)
ローナはやっぱり仲裁せずぼんやりと聞き流した。学生の頃より成長したな、と他人事に思っている。
(でも、学長がシュカを認めてくれてたのは、嬉しいかも)
なにしろ、学園で初めてできた友だちだ。確かに学業に関しては誉めるところは見つからないが、学長が褒めそやしたように、シュカの魅力は誰にでも目を配れるところだ。ローナもそれに救われたのだから。
――警備部にこの人あり、と言われる日が来ることを、心待ちにしているよ。
シュカは出世をそこまで意識していない。単純思考らしく、体を自由に動かせればそれでいいやーな奴なのだ。
そして、そんなシュカだから、今日の剣術大会はいい暇潰しになるのだった。既に開催間近、訓練場のあちこちで少年たちが準備運動がてらに剣を振るっている。
「――あ!あの人って!」
そんな声が聞こえてきた。気づいたときにはローナもシュカも囲まれていた。ちなみにルースはさっと退避していた。この時ばかりは素早い人間だ。
「お、なんだ?誰だこいつら」
「おれも知らないなぁ……」
「あの!ティリベルの方たちですよね!よく街を巡回してる!」
「え、うん、そうだけど……」
「いつぞやはお世話になりました!」
「ありがとうございました!」
ぺこぺこ頭を下げられて、警備部の二人は困惑するしかない。全然見覚えのない顔だった。こちらをきらきらと見上げてくる少年たちは一様に同じ格好をしていたが、遠くから、ルースが奨学生か、と言う声が聞こえてきた。
「奨学生?」
「ってことは平民か?」
「いや、おれみたいなのもいるはずだからな。……でも、そっか。街を歩いてたら、たまたま出くわしたりしたのかな?」
「出くわすもなにも!即位式のお祭りの時に助けてもらいました!知らない内に故郷の家族を泊めた宿から火が出て……助けてもらわなければ、ぼくはここにいませんでした」
「そっか……あの火事の」
どこの宿も満杯で、その中でも臨時開業した安宿ならではか、ならず者たちの溜まり場にもなっていたらしいところでまさかの武力衝突。駆り出されたことは記憶に新しい。何しろシュカが頭が燃えるー!うおー!と叫びながら赤ん坊を抱えて走り回っていたので。簡単に忘れられない奇狂な一幕だった。頭が燃える前に隊服が燃えてるから。そっち気にしろよ。そう突っ込んで近くの水路に赤ん坊を救出した上で蹴りこんでやったのがローナだ。シュカの馬鹿さに慣れてきていたルーク先輩ですら呆れ返っていた。
「あの時の赤ん坊、ぼくの歳の離れた弟なんです!本当に……感謝してもしきれません!」
「いや、仕事だったからさ。大したことじゃねぇよ。それより、そろそろ大会はじまんぞ。応援するからがんばれ」
「あ、ありがとうございます!観戦されるってことは、来賓の方だったんですか?」
「いや、卒業生だから遊びに来たんだ」
「卒業生!」
「去年のな。――ほら、行けって」
シュカは満更でもなさそうにふんぞり返り、年上ぶって子どもを見送った。そして、ローナに向けて宣言した。
「おれ、もっと警備部でかんばる!」
子どもの決意表明かと思いつつも、ローナも笑顔でがんばれと頷いた。
「ナジカー!買い物行きましょ!」
今日のルアはかなり気分が高揚していた。理由はローナからもたらされた一報である。朝からナジカを抱きしめて頰ずりまでしてのけ、ナジカに救援を求められたローナに引き剥がされるまで、泣いて喜んだ。昨晩はナジカの睡眠の妨げにならないように遠慮していただけだった。
ナジカも比較的明るくなった表情で、うん、と言って、いつものようにルアと手を繋いで家を出発した。
もう、必要以上に帽子は被らない。ローナの同僚たちに配慮するのとは別に、ナジカにも、それくらいの自信がついてきたのだった。
街の賑わいも、いつもより増している気がした。迷子になりやすいナジカはともかく、慎重な性格のルアがここまで足取りが軽いのは珍しい。スキップでもしそうな勢いで出店に突撃し、仲良くなった店主と談笑しながら今日も値切り交渉に圧勝し、さらに上機嫌だ。
「今日はご馳走よ」
ルアの作るごはんは、エルフィズの郷土料理なのか薄味でもふんだんに肉と野菜が使われた煮込み料理をはじめとして、ナジカにとって大好物なものばかりだった。なんでもかんでも美味しいので、最近体も太ってきた気がする。でもルアが嬉しそうに笑うので、ナジカは胃袋が許す限りたらふく食べるようにしている。クラウスやローナからもちゃんと食べろと言われているのもある。
「楽しみ」
ふわっと微笑んで、ルアと手を繋ぎ直して人混みの中を歩く。なんだか世界が一変して見えた。寒々しい冬が終わり、春になったような――既に現実世界初夏に突入しかけているが――そんな、気分。
だから、幻聴が聞こえたのかもしれない。思わず立ち止まると、ルアが振り返った。
「ナジカ?」
「……ルア、さっき名前呼んだ?」
「え?」
ナジカは雑踏に首を巡らせた。誰かに名前を呼ばれた気がしたのに、知ってる顔はどこにもいない。
(……誰かに?)
いや、懐かしい声で呼ばれたのだ。しかしその声の持ち主はもういない。ならやっぱり聞き間違いか……。
「……どうしたの?」
「……なんでもない。行こう」
ぐるっと見渡して諦めたナジカは、再び歩き始めた。昨日見た夢が幸せだったから、それを思い出しただけかもしれない。気づかない内に、くすりと笑っていた。
「…………まじかよ……」
とっさに逃げ込んだ路地裏で、男が頭を抱えてずるずるとへたり込んでいた。ぼろぼろの外套を纏った、かなり汚れた姿である。無精髭を生やし、日に焼けた肌のあちこちに生傷の痕が残っている。目を引くのは、顔半分を覆う大きい眼帯。
男はしばらくうずくまっていたが、やがて、立ち上がった。杖がわりにしていた鞘つきの槍を、とん、と石畳に突く。男にとっては十年ぶりの王都だった。そこで、まさか二度と生きて会えると思っていなかった顔と出くわした。
立ち上がると、意外に大柄なことがわかる。髪も瞳も黒々とし、精悍な顔立ちに陰影を刻んでいる。しかし、今の男の容貌は、先ほどまでより明るくなっていた。
「よかった。生きて、いい人間に拾われたんだな……」
野獣のような笑みが、口に刻まれた。
「――なら、おれがちゃんと終止符打って、あいつがもっと生きやすいようにしよう」
本当は逃がすつもりはなかったのだ。男は失態を拭うように王都まで一人の人間を追いかけていたが、今、理由が増えた。
目映い銀髪を見つけて、とっさに名前を口走ってしまった。振り返った少女は、会えなかった年月分、成長していて……笑っていた。
あいつが、笑っていた。
男は、今ならなんでもできる気がした。
「殺して殺して死んでくかと思ったけど……生き残ってくれてたんなら……ああ、嬉しいなぁ。夢じゃないんだよなぁ」
ならばお前に安寧を。たった一人になってしまった家族――妹分に、兄として、最後の役割を果たそう。
「ナジカ。生きててくれて、ありがとう」
目的を果たせばすぐに死にゆく男にとって、幸福の邂逅だった。
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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