少年の行く先は

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第一部

3-5

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 学園での剣術大会には、筆頭公爵家の新当主としてカイト・セレノクールも来賓に名を連ねた。学長に誘われたことがきっかけであり、カイトにとっては名を知らしめるいい機会になると思っていた。何せ、まだ位を継いだばかりなのだ。
 それから、ハルジアの職務として、ヘーゼルの残党処理が捗ってない分の息抜きも兼ねている。
「おお……わっかいねぇ」
「きらきらしてるね」
 表向きは公爵家の私兵であり、ハルジアではカイトの部下であるケイトとセナトも、捜索を中断して護衛としてカイトの両脇に立っていた。
 三人とも休暇気分で、訓練場に集まっている十代半ばの少年たちを見下ろす。なにも言わなくても、自分達の殺伐としていた十代を思い出して、全員が揃って遠い目になっていた。……あんなに眩しかった覚えがない。どぶの底をはい回っていた頃だ。そこで、ケイトが細い目をくるりと回した。
「……お、なんだ、あいつも来てたのか」
「誰?」
「あそこの私服のやつ」
 ケイトが指した場所に、学生に群がられている少年たちの姿が見えた。カイトの表情はほとんど変わらなかったが、初めて見たセナトは「へえ」と呟いていた。
「あれがサレンディア――『夕立』の一族っていう子?二人が散々に怒ったっていう」
「そうそう。何でいるんだ、あいつ。他の金銀はいないみたいだが」
「……仕事じゃなくても、いつも一緒にいるわけではないだろう。近くにいるのはラスマリア伯爵の跡継ぎと、アボット商会の次男……学生時代の友人たちか」
 カイトはローナが消えたあとの学園に一度だけ踏み込んだことがあるので、二人の顔も確認していた。何しろ彼を心配して学長室まで乗り込んだ二人だった。あのとき、カイトは学長室の隣の部屋にて彼らの会話を聞いていた。ずいぶんといい友人を得ていたらしい。
「へぇ。二人とも有名人じゃないの」
「そうなのか?」
「どっちも新進気鋭の若手だよ」
 しばらく上から見下ろしていると、ぴり、と少しばかり肌が焼けついた。視線だけ向ければ、さすが凄腕と言うべきか、ケイトとセナトも変な顔をしていた。腰を落としていつでも服の下に隠した武器を抜けるようにしている。腰の剣を抜こうとしないのは、単純に暗器の方が不意打ちに対応しやすいからだ。それも、殺気だけは感じないので抜いていないだけだった。
「……なに?今の」
「ラートムのへぼ呪術師のまじないっぽかったな」
「でも一瞬で消えた」
「……ローナ・ハヴィンだ。こちらに気づいたようだ」
 一斉に集まった六つの目は、一対の茶色の瞳とぶつかった。遠くだが、尋常ではない視力をもつ彼らは、その瞳の力が静かに空気を圧しているのがわかる。目の色が異様に赤みがかっているのも。
 ローナ少年はぺこりと会釈をし、友人との会話に戻った。
「あいつ今何した?雨降らせたり呪ったりしたわけじゃねえだろ」
「『見られた』という感覚が強かったから、それだけだろう。体に負荷がかかっている様子もない。そもそもろくに修練を積んでない彼に、そんな大技は無理だ」
「ははあ……そんな使い道もあるんだねぇ。報告には聞いてたけど、実に便利だ」
「五感の過敏化な。銀のガキを救出しに行ったのを聞いたときは犬かよとか思ったけどな」
「聴覚を使えば諜報にも使えるよね。彼、私たち寄りじゃない?」
 これも聞かれているかもしれないのに、堂々と言うものだ。しかし三人ともそんな心配はしていなかった。彼らには彼らの誇りがある。なんなればそこらの術者など簡単に出し抜ける。ましてや、全くの日向の人間を無闇に暗部に引き込むのも、沽券に関わることなのだった。

 そうして、彼らは大会で誰が勝つかだのの予想をしたり他の来賓の相手をしたり、一回だけ一人で訪れたローナ少年と挨拶以上の会話をしたり、純粋に子どもたちの努力の披露を楽しみ、休暇を終えたのだった。

















 久しぶりに穏やかな日を過ごし帰途についた彼らだが、まだ一日は終わらなかった。馬車の中で、カイトは馬が足を止めたことを鋭敏に察知した。まだセレノクール公爵邸の敷地内には入っていないはずである。小さな窓から御者席の部下二人に尋ねようとすると、先に扉が開いた。
 扉を開けたセナトの奥に、同じように御者席から下りているケイトの姿が見える。背中をこちらに向けて、屋敷の塀に向かって歩いている。
「何があった」
「浮浪者っぽいのがいる。公爵さまとしてはどうしたい?」
「……ここで茶化すな」
 カイトが地に足をつけた頃、ケイトは塀に寄りかかっている浮浪者の方にずかずかと歩いていった。ずいぶんとくたびれ、汚れきっているが、エルさんなら放り出さずに「どうしたの」と聞くのだ。昔だったらためらわずさっくり処分していたはずのケイトも、ずいぶん感化されていた。
 死んでいるようにぴくりともしない浮浪者をしばらく見下ろした。服は上着からズボンから厚手のブーツまで全部ずたぼろだ。顔はうつむけてあり、長く伸びた髪のお陰でよく見えない。肩に革の穂袋をつけた槍を抱え、胡座を掻いている。体格は大柄で、見る限りではかなり鍛えられているようだ、と当たりをつけた。
「おい、生きてるか……――!」
 瞬間、ケイトは喉に迫った一撃を飛びずさってかわし、無意識に袖から暗器を出した。ほぼ同時に前に飛びだしたが、それを襟首をつかんで止めたのがカイトだった。背中は全くの無警戒だったので、ぐえ、と本気でえずいた。
「セナトも待て」
「なんでさ?」
 まだ冷静に護衛「らしく」剣を抜いたセナトも、ごほごほと咳き込むケイトも疑惑の目をカイトに向けたが、カイトの目は、その奥で不利な態勢から、ケイトであってもかわすのが間一髪だったほどのまるで雷のように鋭い槍のひと突きを繰り出した浮浪者の姿を捉えていた。
「……あれ?」
 浮浪者はひとつしかない目を大きく見開き、すぐに気まずそうな顔になった。槍を引っ込め、がしっと髪を掻き上げて立ち上がる。セナトとも張る長身でありながら、重さを感じない軽やかな動作だった。
 三人は、若さが残る風貌に似合わぬ眼帯と、老成した黒い瞳に釘付けになった。
「や、すんません。寝ぼけてケルシュと勘違いしたのと、気配なかったんで思わず……」
 少年から脱したばかりのような男は、大きい体躯を精一杯縮こまらせた。卑屈に見えないのは、それでも、目はまっすぐに三人を向いているからだ。――その中でも、カイトに対して、彼は何か懐かしげな色を見せた。
「待ってたんです。セレノクール公爵家の人たちですよね。そんで、当代の『玄』」
「……その名を知っている、君は一体何の用向きで?」
 裏の名前まで知られているとは、ただ者ではない。カイトの慎重な問いかけに、男は笑った。野獣のような笑みだった。

「おれはトーサ・ハーバルト。滅ぼされた侯爵家の最後の生き残りで、エーラの家に一時期世話になった者で、……ヘーゼルの残党をここまで追っかけて来ました。でもおれだけじゃ埒があかないので、協力を要請しに」

 まるで獲物を狩るような獰猛な笑顔が、驚愕した三人に向けられた。


























 ヘーゼルの崩壊の一報は、王族姉妹たちをも喜ばせた。はじめに知ったのはリエラであり、そこからミアーシャの知るところとなった。
 単純に一国を預かる王族として喜び安堵したことよりも、たった一人の少女を思って飛び上がって喜んだ。
 二人はそれほどナジカのことを気に入っていたのだった。
 ナジカの過去は最初は伏せられていたが、リエラは自力で、ミアーシャはランファロードに教えてもらい、それぞれ二年前の「エーラの悲劇」に辿り着いた。必要以上に傷つけないようにするためナジカにはそうと知られていないが、今にも二人は街へ突撃しそうになり、これを止めたのが女官長のライナ・ロレンシアだった。単純に、国王やランファロード、国王の義弟となったカイトなどが忙しく、止められる人間が限られたからだ。
 しかし、ライナはこれ幸いと二人を王妃に押し付けた。

 王妃であるエレノアは、異例尽くしの女性であった。
 十六の時に弟カイトを押し退けセレノクール公爵家当主となり、彼を成年まで、他の親族たちから守ったことがひとつ。
 二つ目は、彼女はそんな欲にまみれた親族たちを一網打尽にするために、一旦公爵家を解体し、一時家名は伯爵位にまで落とされた。それでも甘いくらいには一族は腐敗しきっており、困窮も厳しかった。公爵家令嬢としてはあり得ない、使用人たちもいないまま自活をし、カイトもそんな姉のために料理を覚えたほどだ。
 そこから公爵位にまで戻ったのは、当時の国王がエレノアに求婚していた第三王子に配慮した結果でないことは、明らか。
 あろうことか、彼女は女性には門戸が広げられていなかった官僚の職を、あの恐ろしい国王からもぎ取ったのである。
 エレノア・セレノクールは伯爵家当主として仕事をこなしながらも、ティリベルでめきめきと頭角を示した。家の当主となるのも官僚となるのも、ひどい女性蔑視と戦うことになる。いや、それで済めば幸い、迫害まがいのことはしょっちゅうだった。
 しかし、彼女は数々の苦難を乗り越え、多くの功績を上げたことで公爵位を取り戻し、官僚としてはこれ以上ないほどの大抜擢によって、ティリベル副長官にまで登り詰めたのである。
 ちなみに第三王子はその間何度も求婚を突っぱねられ、異母兄たちが死んで第一王子に繰り上がっても拒絶されまくり、粘って粘って、彼女が二十三歳の時にようやく婚約までこぎつけた、忍耐の人である。そのエレノアが折れた理由がカイトの成人だったのだから、もはや夢も希望もない話だった。
 しかし、二人に愛がなかったわけではない。まずエレノアが求婚を退けたのは、中途半端に地位が築けていないエレノアでは、立場が弱い王子にとっては重みにしかならず、セレノクール家の建て直しも王族の力を借りたことで他家から侮られる、というのが理由だったのだ。
 婚約まで退けたのはやりすぎだったが。

 さて、そんな波乱万丈な人生を歩んできた王妃は、実に勤勉である。実際の王妃の仕事はほとんど社交界に限定され、視察などの公務はほとんど存在しない。
 しかし、彼女は仕事を見つけ出す達人だった。
 公爵家を立て直したように、官僚として出世しまくったように、いまだに王妃の椅子に馴染んでいないどころか、国王の膨大な仕事の陰からこっそりと全国を見渡し、友人たちに手紙を送る風でいながら実際のところの指示書を出していたのである。もちろん実権はないが、城内の調査や貴族たちとのやり取りによって情報収集も怠らない。
 もちろん女官長としては、やめてほしいところである。何しろ新妻。そして王妃は自分のことになると全く手加減できず不眠不休は当たり前。
 国王とも王妃とも親しい彼女ではあるが、それだけではのめり込みやすい王妃を止めるに至らない。そうなれば、妨害要員を押し付ければいいのである。

 知らないところで白羽の矢がたった義理の妹たちを見て、王妃は苦笑するしかなかったが、とうとう筆を置いた。
 ライナの勝利である。     
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