少年の行く先は

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第一部

閑話:染まらぬ蒼碧②

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 はっきりと意識を取り戻してから、ランファロードは自分が死んでいなかったことに気がついた。
 自分が寝かされていた寝台から起き上がれば、全身がばきばき悲鳴を上げる。しかし気絶直前までに負った手酷い傷はおおよそ治りかけているようで、動けないほどではない。
 部屋はそう広くはなく、壁は漆喰と板張り。木窓が片方開いていて、柔らかい光が差し込んでいる。その向こうから歓声のようなものが遠く聞こえてきて、ランファロードかぼんやりと耳を澄ませていると、真逆の方から床板の軋む音がした。
「……あっ」
 ランファロードは振り返ると同時に立ち上がった。
「おきた!?」
「ネイシャ」
 膝をついて思いきり小さな体を抱きしめると、ネイシャの体がびくりと震えたのが伝わった。その時思い出した。ランファロードは、ネイシャを血塗れの道の途中に手放したのだ。恐れられても、侮蔑を受けても、仕方がない……。
「にぃさま!生きてる!」
 ネイシャの短い腕が伸びて、ランファロードの脇の下をむぎゅっと掴んだ。離れかけた一瞬の空白を頭から突っ込んで埋めていく。
 そしてネイシャは堰を切ったように泣いた。王弟の元で自分より小さな赤ん坊と一緒に育てられたためか、年々しっかりした性格になっていったはずだが、ランファロードに蝉のごとくしがみついてぎゃんぎゃん泣き喚く姿はまるっきり赤ん坊のそれである。
 ランファロードは、もちろん自分の鼓膜を犠牲にしてでも、弟を引き剥がすつもりはなかった。二度と得られるはずのなかった温もりに顔を埋めて、喉奥からこみ上げる幸福を噛みしめた。















 ……が。
 それでめでたしめでたしになるほど、世の中は甘くない。

 よりにもよって国王のお膝元である王都の孤児院に、ランファロードとネイシャは預けられていた。
 ランファロードが意識不明の間、ネイシャは孤児院の子どもたちに構われながら兄の目覚めを待っていたのだという。眠り姫が起きたぞと子どもたちに喝采されたランファロードは、表情筋が全く動かなかったかわりに死んだ目になった。顔がいいのを褒めてる!と力説されてもどうしろというのか。
 どうやら、ランファロードとネイシャはいいところの出の戦災孤児ということになっているようだった。ランファロードの大怪我も弟をたった一人で守ろうとしてのことだと。間違ってはいないが正しくもない。しかしランファロードは真実を伝える気にはならなかった。本当なら、ランファロードは王弟の大逆に従った重罪人なのだ。捕まっていないし殺されてもいないのでまだ無事ではあるが、それから一年、鈍った体を鍛え直して戦闘感覚を研ぎ澄ませつつ、いつ身の上がバレるかと警戒し、誰がなんのためにランファロードとネイシャを助けた上で引き合わせたのかと疑う日々だった。
 そこら辺、身近な情報源から確かめようと思ったりもしたが、孤児院に勤める大人たちは妙に口が固い者が揃っていたので失敗に終わった。
 そんなこんなであれこれ気にしすぎて、表面上はともかく、内心穏やかな療養生活とは言いがたかったが、ネイシャや他の子どもたちは伸びやかで健やかに日々を送るので、それに付き合う形でゆっくりと傷を癒やし、気持ちを整えていった――ところで、「救世主」ご本人さまが現れた。

「あんたたちのことは、正直、どうでもよかったわ。私が手助けしようと思ったのは乳母の方。だけどいらないってフラレて、あんたたちの方を助けろって言われたのよね。癪だからぎりぎりまで様子見てから拾ってやったわ」

 あけすけに事情を話す淡い色彩の美女は、目の前に立っていてさえランファロードに現実味というものを与えてくれなかった。今さら自分の生きている実感がないとかいうものではなく。
 この美女の存在が、正体を疑うとかでなしに、全て胡散臭かった。……まるで人の形をした煙を相手にしているような。人が持つにしては淡すぎる色彩であったり、飄々を通り越して超然としている有り様ゆえかもしれなかった。
「だから、助けてやったから恩に着ろ、とは言わないわよ」
「……助けた本人が一年も姿すら見せず、孤児院に投げっぱなしでほったらかしなら納得するしかない」
 つい、ランファロードの口から皮肉がこぼれた。
 シェリアとしか名乗らなかった美女の本来の身分や思惑がわからないので、感謝の言葉を素直に言うことはできなかった。わかっているのは、あの乳母とそれなりに親しいらしいということだけ。
「乳母殿は……」
「それ尋ねたらあんたとあんたの弟、死ぬわよ」
 シェリアが面白そうに言う。しかし本気なのはわかった。
 王弟の大逆は、とっくに「終わった」ことにされた。王弟という存在が根こそぎ殺し尽くされて、それでも一切国に揺らぎがないことだけは、孤児院という狭い世界にいるランファロードにも感じられていた。だからこそ大罪人ながら安穏としていられたわけでもある。
 雉も鳴かずば撃たれまい……おそらく、自分たちの口さえ閉じていれば、ランファロードとネイシャはこの先を問題なく暮らせるだろう。シェリアの答えはその予感を確信付けるものだった。それならそれで、とランファロードはすぐに切り替えた。
「それじゃあ、今さら私の存在を思い出したのはなぜだ」
 平穏を掻き乱す波乱の使者だと隠す気もない相手だからこそ、目下の懸念を放置できない。
 シェリアはにんまりと笑った。
「王が手頃な人間を欲しがっているのよ。あんたが一番。三日後に迎えに来るからそれまでに支度も調えてあげるわ。あんたの身分も含めてね」
「……は?」
 王と言ったか、この女。
 よりにもよって。
 王弟の側に付き、王弟と直接言葉を交わせるほど近くに控え、国王の配下を山ほど斬り捨ててきたランファロードを、王に手駒として差し出すと?
「王にはこれからあんたの素性含め話してくるけど、すぐには殺されないから安心しなさいな。ああ、もし逃げたらあんたの弟殺すから」
 どんなときでもランファロードを現実に連れ戻す魔法の言葉を、シェリアは心得ていた。ランファロードの青い目に怒りが燃えたが、すぐに諦観に隠された。
「……私になにをしろと?」
「そこら辺は王に会ってからのお楽しみね。あんたはそのまま城住みになるけど、弟はこの孤児院でこのまま面倒を見てもらえばいいわ。私の友人が環境を整えただけあって、なかなかいいところよ、ここ。ちなみに私設じゃなく国営の孤児院ね。職員も手強かったでしょ?」
「……私が目を離した隙に弟に難事が降りかかる可能性は?」
「交渉したいなら王に直接なさい」
「逃げても断っても殺そうとする相手に、交渉の余地は存在するのか」
 シェリアがちょっとだけ目を丸くして、艶やかに微笑んだ。「よくわかってるじゃない」と歌うように言う。
 ランファロードは湧き上がった猛烈な殺意を丸ごと嚥下した。
 この女の意志が国王の意志と同然だと明かされた以上、シェリアの存在を命の恩人というだけでおしまいにするわけにはいかなくなった。
「だけど、あんたが弟を連れて城に入ったら、間違いなく弟は即死よ。あんたは乗り越えられるだろうけど、弟はそうじゃないし、なにより幼すぎる。あっさり餌食にされるわ」
「誰の」
「城の悪意は王だけが持ってるものじゃないわよ。あんただってヴィタレス殿下のとこにいたなら知ってるでしょうに。最後の戦場だけじゃなく、いくつも修羅場はあったでしょう」
「……」
 ランファロードは色々なことを考えた。シェリアの脅迫――忠告は確かに否定できないもので、王弟の側で弟が無事だったのは、王弟の子と一緒に隠され、王弟の妻と乳母が守ってくれたからだ。弟のためなら命をなげうつことも厭わないランファロードだが、一人でできることなど高が知れている。
 王弟がそうしてネイシャの守りを整えたのは、王弟にとってはネイシャこそが必要だったからだ。
『ちょうどいい』。波乱をもたらす不吉な言葉が指すものは、前回はネイシャで、今回はランファロードだった。
「……国王は『おまけ』は不要と切り捨てる人間か」
「いいえ?まあある程度選定はしてるけど、あんたたち兄弟ぐらい利口なら、生かしていたぶって遊ぶわよ。あんたがヴィタレス殿下にそうされたようにね。飽きたらおしまいだけど」
「……見ていた?あの城にいたのか?」
「昔から知ってるもの、見なくてもそのくらい予想がつくわ」
「昔?」
 シェリアはどう見ても二十代半ば。王弟は四十前後だったはず。それで国王や王弟の昔を見たように語るのが妙に気になった。
(いや、はじめからおかしかった。逃亡中の乳母殿に会って、私とネイシャを追った?)
 足跡を残すよう動いていたランファロードはともかく、隠していたネイシャをどうやって見つけられたのか。時間も手段も限られていたはずで……「ぎりぎりまで」と、全部見ていたように。
 そのようなことができる者の心当たりが一つあった。
「――呪術師?」
 王弟の元で一度見たことがあり、不審者として排除した後に王弟からその存在を教えられた。人の成せる業に収まらないはみ出し者だとかなんとか。
「残念、はずれ。サレンディアとも違うわ。そういうもんだと思っときなさい」
「胡散臭い」
「にしても呪術師とも対峙済みね、『玄』にもやたら適性あるわねぇ。あっちも後継がまだ見つかってないし、言うだけ言っとこうかしら」
「冗談じゃない!」
 はじめて声を荒げたランファロードに、シェリアは「これも知ってるの」と感心したように呟いた。
 ヴィタレスは相当この少年を可愛がっていたらしい。この血相の変え具合からしても、淡々としているように見えて、それなりに懐いていたよう。のわりに最期はあっさり野に放ったところ、さすが鬼畜兄弟の片割れである。敵味方関係なく人の心を踏みにじることに、彼らは躊躇というものをしない。
「殿下やその妃を殺したのは、玄とは違うわよ。王はあの人が二人を殺したがらないのを見越して、余計なことをしないよう、戦場にも出させず別の仕事を回していたから」
 ランファロードは痛烈な舌打ちをこぼした。ランファロードが気にするべきは故人ではなく生きている弟だというのに、死因などどうでもいいと言えない自分に腹が立つ。
 あの王弟にしては杜撰な反乱にどのような真実があったとしても、相手は死体だ。蘇りなどしないし、下手に此岸から彼岸に身を乗り出せばまた川に落ちる羽目になる。あんな無様は二度とごめんだ。
「ま、そんなに慌てなくても、あの人は断るわ。適性がありすぎても今の時代だと持て余すばかりだし、本人に後継を作る気がないから。あとは王の仕事があんたには優先されるし、そうなると顔が売れすぎて暗部に移るのも一苦労……いや、あんたの顔だと倍以上は面倒か。――それで、肚は決まった?」

 ランファロードはひっそりと深呼吸をした。
 むやみに玄に関わるよりましだと思ってしまったのが最悪だった。
 それでも、血さえも黒く染め上げる王の影、最凶最悪の殺戮集団に、絶対にネイシャを関わらせるわけにはいかない。
「……剣を、一振り」
 求めるものは自衛の手段であり、裏腹に己の敵を確実に葬るためのものだった。
 誰が敵かを決めるのはランファロードで、手駒に飼おうとする国王ではないという反抗心の表れでもある。国王へ刃を向ける可能性すら視野に入れている。
 殺される前に殺せ。それがランファロードの方針だ。
 王弟に性格が似ているらしい虐殺王は、この交渉お遊びに乗るかどうか。
 
「用意しとくわ、国宝」
 果たして王の使者はにっこり笑ってそう抜かしたのだった。
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