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クルガ編
じうきゅう
「クルガ兄のことは、一応、信じてるから。今のところはこれで許してあげる」
ミルカはそう言い置いて、一足先に納屋を出ていった。
ところどころはぐらかしたのはバレているようだが、今のところは見逃してくれるらしい。引き下がった理由が、おれがウミを今すぐ放り出しはしない、という信頼ゆえなのは、従兄への評価として最低値すぎてなんとも言えない気持ちになるが。……あいつが族長になったら強制的になんやかやされそうな恐ろしい予感は見て見ぬふりだ。
納屋から出て、眩しいほどの明るさに目を細めた。暑い日差しが濃い影を作り、熱を裂くように吹く風は橘の匂いをさせている。日陰を縫うように屋内に入り、ついでにウミの様子を見に行くことにした。
「入るぞ」
おれの部屋の戸を叩いて声をかけると、「はい」と返事があった。寝ていないとは珍しい。箸の練習でもしているのかと思ったら、ウミは布団の上に戸口を向いて正座して、背筋を伸ばしていた。戸を開けたおれと目が合う。
「……何してるんだ?」
「考え事をしていました」
「考え事?」
「それで、クルガさまにお伺いしたいことがあります。一つだけなのでお時間いいですか」
アルザとミルカに続き、こいつもか。朝にはそんな様子じゃなかったものを、いきなりどうしたというのか。
こうまで畏まった態度は初日以来だが、布団の上なので地味に怠惰の痕跡が残っていた。火鉢は雨の後すぐに片付けて、今は木窓を大きく開けている。風が吹き込んでも、ここには橘の香りはしなかった。
「ああ。聞こうか」
ウミの前に腰を下ろすと、ウミはやたら真剣な眼差しでおれを見つめてきた。
「クルガさま、おいくつですか」
聞き間違えたかと思った。
「……」
「……」
無言で見つめ合うことしばし。やっと言葉が脳内に浸透して、がくりと肩の力が抜けた。族長相談室のやる気まで半減した。あぐらに頬杖をついて、恨めしくウミを見返す。
「逆に問うが、おれがいくつに見える?」
「いくつなんですか?」
「お前、はぐらかしが強引なんだよ」
つんつくと人差し指で軽く額をつつく。正直に邪魔そうな顔をしてくれるので、ますますぶすくれたくなってきた。
「次の秋で二十一。セリカの一つ下だ。……そんなに驚くってことは、お前、相当高く見積もってたな?」
「……相当と言うほどでは。私より少し上くらいかと……」
「老け顔で悪かったな」
「その、頼もしいお顔ですから、ええと、貫禄?がおありです」
「そのまま下手な言い訳を続けるか、素直に謝罪するか、どっちがいい」
「申し訳ありませんでした」
おれの指を額に当てられたままぐいっと頭を下げてきたので、「おう」と答えてつむじを撫でた。
「……そういうことをするからでは」
「なんつった?」
「いえなにも」
わっしわっしと雑に撫でる手をウミがそっと掴んだ。相変わらず小さい体に見合う小さい手だ。両手を使って、興味深そうにおれの手を握ったり指の先を撫でたりしている。片手が暇なので乱したウミの髪を整えることに使うことにした。顔にかかる髪を横に流し、髪の束を軽くつまんで指を差し込んで梳くと、指の腹が耳に触れた。耳にかけるように後ろに流してやり、細い首の周りも手の甲で髪との隙間を作る。
ウミの肩がぴくりと揺れ、おれの手で遊ぶ手がぴたりと止まった。薄い皮を張ったような無表情で、視線は頑として上がらない。
襟のあわせを覆う髪をつまんでせっせと後ろに払ってやっても、ウミは微動だにしなかった。ひそひそという呼吸音がやけに響いた。窓の外から聞こえる喧騒が遠い。世界からこの部屋だけ切り離されたように。
狭い鳥籠に、二人きり……。
ウミの両手を片手でまとめて掴んだ。逃げるなというように。
俯きがちの頬にもう片方の手を添える。縛り付けるように。
おれの体なのに、まるで他人事のような気分だった。ウミの肌触りも体温も、砂漠に水を一滴二滴垂らした程度。ちっとも満たされた気分にはならない。
――いっそ飛び方すら忘れてしまえば、籠が空にならずに済むと思ってる?
ミルカもアルザも、他の誰もが常に開きっぱなしの鳥籠に迷い込んできても、翼は折らないし足輪も付けない。居座るのも出ていくのも、各々の自由だった。
だが、出ない限りはおれのものだ。守ると決めたこと、譲らない願い、果たすべき誓いによって。最後には全部出ていって籠が空っぽになるとわかっていても、扉は閉めない。いつかの自分は、空になった中身を見て満足気に笑うだろう。
(忘れたんなら、思い出させてやるに決まってる)
それがレィミヤ族のクルガの誇りだと、そうアルザに言おうと思っていたはずだが。
籠の出入り口を閉じるように、覆いかぶさるように身を乗り出した。こうまでしてもはりつけにしたように動かない姿を見下ろして、やっと渇きが潤った気分になった。
「……」
呼べない名前でウミを呼ぶ。情けとも言えない情けだと心のどこかでわかっていながら。
閉めた扉に鍵をかけないのは、鍵の在り処を知らないから。それだけの理由だった。
おれの吐く息がウミの前髪を揺らした。頬に当てた手をずらして、指先で耳を撫でながら、顔の向きを変えさせる。
「クルガさま……」
やっと目が合った。瞳におれの顔が一杯に映っている。ひたり、また満ちる。いっそ、溺れてしまえたら、もっと最高な気分になれそう……だった。
過去形。
「お疲れなのですか?眠たそうです」
ごつんと、頭がウミの肩に不時着した。
ーーー
ごつんはクルガの頭の中で鳴った音です。本当にごつんとする勢いでウミの肩に頭ぶつけたら、神罰頼りの頑丈さしかなかったウミの肩が死にます。
ミルカはそう言い置いて、一足先に納屋を出ていった。
ところどころはぐらかしたのはバレているようだが、今のところは見逃してくれるらしい。引き下がった理由が、おれがウミを今すぐ放り出しはしない、という信頼ゆえなのは、従兄への評価として最低値すぎてなんとも言えない気持ちになるが。……あいつが族長になったら強制的になんやかやされそうな恐ろしい予感は見て見ぬふりだ。
納屋から出て、眩しいほどの明るさに目を細めた。暑い日差しが濃い影を作り、熱を裂くように吹く風は橘の匂いをさせている。日陰を縫うように屋内に入り、ついでにウミの様子を見に行くことにした。
「入るぞ」
おれの部屋の戸を叩いて声をかけると、「はい」と返事があった。寝ていないとは珍しい。箸の練習でもしているのかと思ったら、ウミは布団の上に戸口を向いて正座して、背筋を伸ばしていた。戸を開けたおれと目が合う。
「……何してるんだ?」
「考え事をしていました」
「考え事?」
「それで、クルガさまにお伺いしたいことがあります。一つだけなのでお時間いいですか」
アルザとミルカに続き、こいつもか。朝にはそんな様子じゃなかったものを、いきなりどうしたというのか。
こうまで畏まった態度は初日以来だが、布団の上なので地味に怠惰の痕跡が残っていた。火鉢は雨の後すぐに片付けて、今は木窓を大きく開けている。風が吹き込んでも、ここには橘の香りはしなかった。
「ああ。聞こうか」
ウミの前に腰を下ろすと、ウミはやたら真剣な眼差しでおれを見つめてきた。
「クルガさま、おいくつですか」
聞き間違えたかと思った。
「……」
「……」
無言で見つめ合うことしばし。やっと言葉が脳内に浸透して、がくりと肩の力が抜けた。族長相談室のやる気まで半減した。あぐらに頬杖をついて、恨めしくウミを見返す。
「逆に問うが、おれがいくつに見える?」
「いくつなんですか?」
「お前、はぐらかしが強引なんだよ」
つんつくと人差し指で軽く額をつつく。正直に邪魔そうな顔をしてくれるので、ますますぶすくれたくなってきた。
「次の秋で二十一。セリカの一つ下だ。……そんなに驚くってことは、お前、相当高く見積もってたな?」
「……相当と言うほどでは。私より少し上くらいかと……」
「老け顔で悪かったな」
「その、頼もしいお顔ですから、ええと、貫禄?がおありです」
「そのまま下手な言い訳を続けるか、素直に謝罪するか、どっちがいい」
「申し訳ありませんでした」
おれの指を額に当てられたままぐいっと頭を下げてきたので、「おう」と答えてつむじを撫でた。
「……そういうことをするからでは」
「なんつった?」
「いえなにも」
わっしわっしと雑に撫でる手をウミがそっと掴んだ。相変わらず小さい体に見合う小さい手だ。両手を使って、興味深そうにおれの手を握ったり指の先を撫でたりしている。片手が暇なので乱したウミの髪を整えることに使うことにした。顔にかかる髪を横に流し、髪の束を軽くつまんで指を差し込んで梳くと、指の腹が耳に触れた。耳にかけるように後ろに流してやり、細い首の周りも手の甲で髪との隙間を作る。
ウミの肩がぴくりと揺れ、おれの手で遊ぶ手がぴたりと止まった。薄い皮を張ったような無表情で、視線は頑として上がらない。
襟のあわせを覆う髪をつまんでせっせと後ろに払ってやっても、ウミは微動だにしなかった。ひそひそという呼吸音がやけに響いた。窓の外から聞こえる喧騒が遠い。世界からこの部屋だけ切り離されたように。
狭い鳥籠に、二人きり……。
ウミの両手を片手でまとめて掴んだ。逃げるなというように。
俯きがちの頬にもう片方の手を添える。縛り付けるように。
おれの体なのに、まるで他人事のような気分だった。ウミの肌触りも体温も、砂漠に水を一滴二滴垂らした程度。ちっとも満たされた気分にはならない。
――いっそ飛び方すら忘れてしまえば、籠が空にならずに済むと思ってる?
ミルカもアルザも、他の誰もが常に開きっぱなしの鳥籠に迷い込んできても、翼は折らないし足輪も付けない。居座るのも出ていくのも、各々の自由だった。
だが、出ない限りはおれのものだ。守ると決めたこと、譲らない願い、果たすべき誓いによって。最後には全部出ていって籠が空っぽになるとわかっていても、扉は閉めない。いつかの自分は、空になった中身を見て満足気に笑うだろう。
(忘れたんなら、思い出させてやるに決まってる)
それがレィミヤ族のクルガの誇りだと、そうアルザに言おうと思っていたはずだが。
籠の出入り口を閉じるように、覆いかぶさるように身を乗り出した。こうまでしてもはりつけにしたように動かない姿を見下ろして、やっと渇きが潤った気分になった。
「……」
呼べない名前でウミを呼ぶ。情けとも言えない情けだと心のどこかでわかっていながら。
閉めた扉に鍵をかけないのは、鍵の在り処を知らないから。それだけの理由だった。
おれの吐く息がウミの前髪を揺らした。頬に当てた手をずらして、指先で耳を撫でながら、顔の向きを変えさせる。
「クルガさま……」
やっと目が合った。瞳におれの顔が一杯に映っている。ひたり、また満ちる。いっそ、溺れてしまえたら、もっと最高な気分になれそう……だった。
過去形。
「お疲れなのですか?眠たそうです」
ごつんと、頭がウミの肩に不時着した。
ーーー
ごつんはクルガの頭の中で鳴った音です。本当にごつんとする勢いでウミの肩に頭ぶつけたら、神罰頼りの頑丈さしかなかったウミの肩が死にます。
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