孤独な王女

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一旦立ち止まって振り返る

仮面舞踏会①

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 リエンが図書館に通って「巫」について調べものをし、ヴィオレットがアルビオン領を視察に行っている間、その引率として帰省を果たしたネフィルはといえば……連日両親に呼び出されては、お見合い攻撃を受けていた。

「いつまでも独身貴族を気取るな。跡取りはどうするんだ。養子?またお前は。結婚してから言え」
「あなた、もう三十四なのよ?立派な中年よ?さっさと腹を括ってちょうだい。リーナが関わらないと、昔からあなたはヘタレてるんだから」

 好き放題言われ、釣書の山を渡され、あえて置いて帰ったら公爵邸にその山がそっくり移動してきていた。これぞ「影」の無駄使い。

(……そうだ。その件もあったな……)

 結局見なかったふりをして現実逃避しながら邸内を彷徨いていると、エドガーと行き合った。この時間なら普段は領主館にいるだろうに、珍しい。
 しかし驚いたのはエドガーも同様のようだった。緑の瞳を精一杯丸くして尋ねたのだ。

「どうした?元気なさそうだけど、伯父上のところに行ってたんじゃないのか?」
「……別に」
「寝不足?足取り危ないんだから、大人しく部屋で寝とけよ」
「違うし部屋には戻りたくない」
「何で?」
「見たくないものが……」

 エドガーはそれだけで察して、ああ、と頷いた。彼も伯父夫婦がやきもきしているのを知っていたし、なんなら一枚以上噛んでいる。「頑張れ」と肩を叩くと、ネフィルがものすごく疲れたため息をついた。荒んだ目で睨まれてもエドガーは気にしない。自業自得だ。

「なら、お前の執務室にでも行こう。ちょうどお前に話したいことがあったんだ」

 そうして公爵家当主の執務室へ向かった二人は、エドガーの従者が開けてくれた扉の奥の風景に少なからず絶句した。

「これ……用人たちの仕事か?」
「また見事に雑だな……」

 執務机の前にある来客用のテーブルに、湯気の立つお茶とお茶菓子が二人分用意されている。ここまで徹底されると、主のネフィルも呆れることしかできなかった。

「……もしかしてとは思ってたんだよ」

 反対に、エドガーは危機感に顔を強張らせ、呻くように尋ねた。

「ネフィル。お前、今、全く護衛がついていないだろう」

 ネフィルは何でもない顔で肩を竦めただけだった。全くの痛痒もなく、確信めいた言葉に驚きもなく。こんな風に時々己に無頓着なネフィルが、昔からエドガーは気に入らないのだ。そりゃあ、リーナは一族の誰からも愛される姫だった。でもお前だって、その弟で、一族の直系で、もう公爵位だって継いだのに。

「ネフィル!」
「……単に今、アルビオン領にいるからだろう。ここは安全圏だ。護衛の必要はない」
「姫殿下が心配していてもか」

 ネフィルの眉が跳ね上がった。息を深く吸ったエドガーは、そんな彼にようやくぎこちなく笑いかけた。

「羨ましいか。お前がお見合い攻撃を受けてる間、あの方に呼ばれてな。おいしいお菓子と一緒にのんびり雑談してきた」
「エドガー……」
「あの方が伯父上を嫌ってるのはあの晩餐会の時からわかってた。如才ない伯父上が嫌われるようなことが、その前に何かあったんだろ。……リーナの墓参りにでも行った時に出くわしたか?」
「…………」
「図星か」
「……心配して、なぜお前だ」
「頼りにしてもらえてとても嬉しかったよ。いい加減座ろう。お前の意見はちゃんと聞いてやる」

 二人はいまだ入り口に立ったままなのだった。エドガーの従者には扉の外に残ってもらい、部屋には二人だけになった。
 この時には、二人とも雰囲気が固かった。それを嘲笑うように湯気がくゆるティーカップに、エドガーがまず口をつける。眉を寄せたのは、不味かったからではなく……多少冷めても味が変わらない茶葉が選ばれていたことに気づいたからだ。文句をつけられないギリギリを狙った厚かましさには苛立つしかない。ネフィルも一口飲んで、こちらは苦笑した。

「……姫の心配はともかく、私は別に困っていない」
「おれたちが困るんだよ」
「そう悪いものでもない。姿が見えないだけで、インクが切れればいつの間にか補充されているし、紙も余分に置いてある。冷えれば暖炉に膝掛け、小腹が空いたら軽食が……といった具合だ。徹底的に私の前に顔を出したくないらしいが、最近それが面白い」
「面白がるなってば」
「護衛も、見えないだけでこっそり対処でもしてるだろう」

 さすがのネフィルも護衛なしで外を彷徨くのは慣れていない。しかし、気楽なのは気楽だ。サームが姫の従者に襲いかかったあのときの衝撃は忘れられないが――実際、今もネフィルはそれを許すつもりはないが、自分の命令が受け付けられなかったこと自体は、仕方ないとすら思えていた。
 今でも一族が最優先するのはリーナばかり。ネフィルは常についでだったり、リーナ本人の意志で守られてきただけ。しかし、それでも最低限はこなす意志はあるらしい。

「なんだろうな。リーナの読んでいた……あれはかなり西方の伝承だったか……働き者の妖精の話があっただろう」
「――ぶはっ!?」

 思わず、羽を生やして衣服もそれなりのものを、サームで想像したエドガーは悪くない。何気なく呟いていたネフィルも悪気はない。
 あえて言うなら、ひたすらにタイミングが悪かった。

 紅茶を噴出したエドガーもされたネフィルも、二人の間を突然トレーらしきもので遮った用人を呆然と見つめていた。初老の用人もネフィルを庇ったこと自体は無意識だったのか、半ば唖然とした様子で彼の主を見下ろしている。
 トレーから、ぽたりぽたりと滴が滴っていった。

「……出たな」
「『出たな』じゃなくて!化けて出たみたいな言い方やめろ!」
「似たようなものだろう。どこから入ってきた?」
「……失礼をいたしました」

 用人はさっと礼をし、胸元から取り出した布巾で汚れたテーブルを拭き清め、ティーポットから二人分新たに注ぎ直し、扉から自然に――ネフィルからはそそくさと見える――退出しようとした。これまでほぼ一瞬の流れる動作であるが、それをネフィルが呼び止めた。なにか、と用人は振り返ると、彼らの「至宝」によく似た表情が向けられ、硬直した。

「庇ってくれて助かった。――それだけだ。いいぞ、出ても」

 硬直は三秒ほど続いただろうか。用人は深く深く頭を下げて今度こそ扉から出た。そこで外で取り次ぎや警護のために立っていたエドガーの従者を仰天させ、それも立礼でやりすごし、廊下の奥へふっつりと消えていった。
 まさに妖精、とネフィルは一人頷いて、いまだに使い物にならないエドガーの従者が覗いてくるのに片手を振って応えた。ぱたり、と再び扉が閉まる。礼儀に厳しく教育されているはずの用人がとびらを閉め忘れていたところも彼の動揺を表していたようで、喉の奥で笑いをこぼした。

「まあ、今のは私の意図したものではないが……ちゃんといただろう?私たちには見えない場所に」
「……いや、うん。噴き出して悪かった……けどさぁ……けどさあ?」
「なんだ」
「…………なんでも、ない」

 まだ納得がいかなそうな顔をしていたエドガーは、無理やり自分を納得させた。「影」への不安が消えたわけでも、ネフィルの無頓着さを諦めたわけでもない。……ただ、ネフィルの成長を目の当たりにしたことは確かだ。 

 ネフィルが帰還当初から変わってきていたことを、エドガーは察していた。だから再会直後に頭を撫でようとしたし、ナキアにそれを止められた。それでも、ここまで決定的だとは思っていなかったのだ。
 エドガーは珍しく視線を彷徨かせ、そわそわと体を揺すった。撫でたい。成長が目覚ましすぎるのに本人が無自覚なところは減点だが、それをわからせる上でも撫でたい。でも一瞬で払い落とされるとわかってる。切ない。

「伯父上がどんな思惑でお前を孤立させようとしてるのかは、知らない。あの方だって、お前が当主になるのに課題は与えても反対はしてこなかったから……むしろ喜んでたし、疑うつもりはないよ。でも……そうだよなぁ。お前はそうだよなぁ」
「なんだ。意味がわからん」
「クラトスに、お前、会ったか?」
「……いや。その事についてサームから聞こうとしたら父上に遮られた」
「……そっか」

 ということは、ネフィルもさすがにこんな状態の用人たちを放置し続けるつもりはなかったのだろう。サームの息子クラトスは現在、サームに代わってジーウェンの王城に入っているが、二人はそんなことを知らない。その事すら異常だった。「影」といえどもクラトスはサームに次ぐ存在なのだ。
 少なくとも、本来届くべき情報が遮断されている。それも、領内の序列が二位であり、人柄もお墨付きのエドガーが不信感を抱くほどに。

(『サームは本当は誰のものなの』って、聞かれてようやく思い出したおれもかなり馬鹿だった)

 姫殿下は見抜いていた。見抜かれるような行動を、前当主もサームもとっていた、ということだ。
 本来ならサームの息子クラトスが、ネフィルの左腕ものになるはずだった。しかしリーナが死んで王都から引き揚げたあと、悪魔の城に戻ったネフィルにつけられたのは、レーヴの側近のサームの方だった。クラトスはその間領地を中心に研鑽を積み――見事、エドガーと一緒に取り残された。
 ネフィルが政変の後始末を恃みにしたのはサームだけで、クラトスもエドガーもお呼びではなかったのだ。

 ネフィル自身が、一族を当てにしなくなっていた。
 当てにしない理由も、やり方も、王都にいた十数年間で身につけてきたのだった。
 そして、その変化に置いていかれたクラトスの心情がどう波打っているか、わからない。

「呼べばいいと思うが……ここまで徹底していると、報せも満足に行われないだろうな。もしくは真っ向から反対してくるだろう。クラトスは私に対して遠慮という言葉を忘れるから」
「うーん……どっちも否定できないなぁ……」
「……冗談のつもりだったんだが、本当に変わってないのか」
「多分。おれも最近会ってないけど、まあ、あいつが辛辣なのは気に入ってる証拠だろ」

 苦笑いしながらこっそり感激したエドガーだった。ネフィルでも冗談をいうことができたのかというわりと失礼な理由だ。

「……今のお前を見てると、あまり心配しなくてもよかったかもしれないな。てなわけで、はい、これ」
「……なんだこれは」
「見ての通り、招待状」

 脈絡なくエドガーの懐から現れた一通の手紙に、ネフィルが険悪な顔になった。そこに印された家紋がアルビオンのものだからだ。全く関知していなかったのを考えると、当主ネフィルの存在が丸っと無視された得体の知れない招待状だ。――いや、大仰な手紙の様式と、家紋の隣に見慣れた父の筆跡で花押がされている時点で、察しはできる。
 お見合い代わりの、なんらかの誘いで間違いない。
 まさか手を変え品まで変えてくるとは。受け取りたくすらなかったが、エドガーが「読め読め」と言ってネフィルの手を掴んでそれを押し付けてきた。
 ネフィルは、渋々便箋を開いたが、一瞬後にぱたりと閉じた。見なかったことにしよう。「そろそろ休憩も終わりだろう」と、手紙をテーブルに置いて立ち上がる。
 それを、すかさず両肩を掴んで留めたのがエドガーだ。
 いつの間に立ち上がり、やけにいい笑顔でネフィルを見下ろしていた。

「諦めろ」
「嫌だ」
「お前が悪いんだよ」
「後継が心配なら養子を取ればいい」
「お前、それ伯父上にも言ったらしいけど、外聞って知ってるか?」
「面倒だ。煩わしい。夜会にかかずらう暇があるなら仕事をしたい」
「姫殿下も参加するのにお前がしなくてどうするんだよ」

 その言葉にはネフィルも面食らって、一瞬口ごもった。一方エドガーはかかった、とほくそ笑み、「さっき会ったって言ったろ」と続けた。リーナが死んでから被っていた無表情の仮面が、たった一人の少女が絡めばたやすく粉砕される。この成長もあの方のお陰だというのがわかっているので、エドガーもまた、レーヴたちと同じような懸念はしていたのだ。
 なので、先ほどそれを雑談程度に殿下に婉曲に確認してみると、寂しげな笑顔を返された。

『……セーラさまにも言ったけど、私じゃないよ』
『それにね、もう、いないの。どこにも』
『隠してるわけでも嘘でもないわ。だって……私だって会いたい人なんだもの。私を……助けて、くれた人だから』

 だから、とあの方は急に瞳に強い光を宿した。

『責任とって、私もネフィルのお嫁さんを探すわ』

 なぜそうなった。

 しかしその流れのままネフィルのお見合い話をし、過去のネフィルの女性遍歴や対女性スキルを打ち明け(真っ白すぎて盛大に呆れられ)、最後にこの招待状まで到達したのだった。

「姫は社交疲れでここに静養に来たんだ。なぜ夜会に出席する」
「もう大分治ったから構わないってさ。王子殿下の方はヘリオスから招待状をお預かりしてもらう手筈になってる。あの方も手柄のためにご出席なさるだろうな」
「…………」
「ここは慣れない場所だ。お二人だけを放り込むのは、心配じゃないか?」
「…………」

 勝敗は決した。 


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