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18 中島峯吉
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歳三は、新八と別れると、甲州道中から北に逸れ、山道を下原刀に抜けた。
山道といっても、一般の旅人が通るような整備された道ではない。
地元の猟師や杣人(木こりの意味)だけが知る、杣道である。
場所によっては、獣道とかわらぬ、道とも呼べない険路だが、歳三がこの道を選択したのは、高尾山口まで回りこむよりも、近いからにすぎない。
途中、木の幹に、まだ真新しい熊の爪の研ぎ跡を見つけたが、少しも恐ろしいとは思わなかった。
下原刀は、現在の八王子市下恩方。地名が示すとおり、刀や槍を作る鍛冶の村である。
武州下原住康重などの名工で知られ、後北条氏の室町末期から江戸後期にいたるまで、御用鍛冶として重きをなし、幕府から租税が免除されていた。
十家ある刀鍛冶の棟梁・山本満次郎は、天然理心流の師範として、豪壮な屋敷に道場を構えていた。
歳三の目的は、その山本の道場を訪ねることだ。
近藤周助に剣術を習っていた歳三は、本来、増田蔵六系の道場には、出入りできないはずだが、周助に正式に入門したわけではないので、黙認されていたのだ。
歳三にとって剣術とは、ひとつの技術にすぎず、派閥争いには興味がなかった。
目録以上の腕がありながら、周助に誓紙をたてて正式入門しない理由は、こうして派閥の違う道場にも出入りするためであった。
というのは、石田散薬の行商をせねばならかったので、自分の都合に合わせて稽古をするには、ひとつの道場に通うのは、合理的ではないと、考えたからである。
そのことを裏付けるかのように、天然理心流の分布と、石田散薬の販売圏を示した『村順帳』は、かなりの部分が一致している。
歳三が山本の道場に入ると、ちょうど満次郎が若い弟子に、稽古をつけているところだった。
「おおっ、トシさん。久しぶりじゃないか。甲州からの帰りかい?」
満次郎が、満面の笑みを浮かべながら言った。
「ご無沙汰しておりました。
ええ……今日は、こちらにご厄介になり、明日は、青梅の方に回ろうかと思いまして……」
「あんたなら、いつでも歓迎だ。稽古していくんだろ?」
「はい。お世話になります」
「そうだ。石田散薬の追加もたのむ」
「ありがとうございます」
歳三が、殊勝に頭を下げた。
稽古をつけてもらっていた若い弟子が、やりとりする歳三を見て、相好を崩した。
「トシさん。久しぶり! 勝太さんは、元気にしてるかい?」
「おお、峯吉か。かっちゃんは、相変わらずさ……おめえ、山本師範に、正式に入門したんだってなあ」
この若い男は、中島峯吉。すなわち、後の新選組隊士・中島登である。
峯吉は、近藤勇の遠縁にあたり、歳三の不良仲間でもあり、以前は、いっしょになって暴れまわったた間柄だった。
「山本師範や、蔵六大先生からなら、棒術や柔術も習えるしね」
「蔵六大先生といえば、さっき小仏峠の茶屋で、大先生譲りの龍尾剣を使う男に会ったぜ」
「えっ、それは、もしかしたら永倉さんじゃないのか?」
山本が、驚きの声をあげた。
「ええ、そうですが……山本師範の知り合いでしたか」
「永倉さんは、ふた月ばかり、大先生の道場に居候していて、俺がいる間は、毎日いっしょに稽古していた仲だよ」
「なるほど……新八つぁん、どおりで本格的なわけだ」
「ところでトシさん。龍尾剣って……まさか喧嘩したのか?」
「まさか……ふたりで仲良く、甲州の田舎ヤクザを、叩きのめしただけですよ。まあ、いわば、世直しってやつです」
「おいおい、それを喧嘩っていうんだよ。まったくトシさんは、相変わらずだなあ……」
満次郎が呆れ、峯吉は腹を抱えて笑った。
「で、トシさん。当然勝ったんだよね?」
峯吉が、目を輝かせながらきいた。
「あたりめえだ。俺が田舎ヤクザごときに負けるかよ。やつら、安っぽくダンビラなんか振り回しやがるから、竹刀で全員のしてやった」
「そうこなくちゃ!」
峯吉が手をたたく。
「おまえら、相変わらずバラガキ気分が抜けないようだな……よし。今日は、みっちりしごいてやるから、覚悟しておけ」
満次郎が不敵な笑みを浮かべた。
「ちょ、師範……それは勘弁してくださいよ。喧嘩したのは、トシさんで、俺は関係ないじゃないですか」
「おい、峯吉……おまえ今度、嫁さんをもらうんだから、もう少し大人になれよ」
中島峯吉は、千人同心の嫡男である。やがて家を継げば徳川の家臣になる。それなのに、いつまでも不良気分が抜けない息子を心配して、父親又吉は、同じ千人同心の娘、安藤ますとの婚儀をすすめていた。
やがて父親と満次郎の心配は的中し、峯吉は、一児をもうけた翌、文久元年、同じ千人同心の同僚と喧嘩になり、斬殺して出奔することになるが、それはまだ先の話である。
この男、そういう意味では、歳三よりも、よほどバラガキであった。
そして、元治元年、伊東甲子太郎が入隊した、勇東下にともなう新選組隊士募集のときに、入隊を志願するが、幼子がいるためと、嫡男であることを理由に、勇から入隊を断られてしまう。
しかし、武州における調査任務を任され、地理調査、渡世人や、非人などに混じり、その実態調査を行ったと言われている。
峯吉は、この調査のため、賭場などの悪所に通いつめたため、家族や親類から非難されて辛かったと、後に書き残している。
そのためか、峯吉が正式に入隊したのは、じつに五年後の、慶応三年のことであった。
このとき、峯吉が入隊を体よく断られたのか、あるいは、近藤の密命を帯び、一種の密偵として、武州の情勢を探っていたのかは、議論の分かれるところだろう。
しかし、正式な隊士になると、すぐに近藤付きとなり、その後、すぐ伍長に就いている。この異例の出世の早さから、他の隊士とは、ちがう扱いをされていたものと推測できる。
歳三が峯吉とともに、満次郎にみっちり稽古をつけてもらうと、いつの間にか陽が暮れて、あたりは薄暗くなっていた。
途中から百匁蝋燭に火を灯し、ふたりが稽古を終えたのは、もう夜四つだった。
この時代、夜明けとともに目覚め、陽が暮れると眠るのが、生活の基本である。
江戸のような大都会ならともかく、武州の田舎では、特にその傾向は強く、峯吉の家に泊まるため、道場を出たころには、村は、すっかり寝静まっていた。
ふたりは、下原刀にある満次郎の道場をあとにすると、陣場道から浅川をわたり川原宿を抜けて、小田野の峯吉の家に向かう。
幸い月明かりで、提灯がなくても歩けるが、真っ暗な田舎道なので、曇っていたら、それこそ、鼻をつままれても見えない夜道である。
しばらく歩いていると、ふたりの前方から、なにやら大勢のひとがやってくる気配を感じた。
東海道のような往還ですら、夜道を旅するようなものは、めったにいない。
村の入り口の常夜灯に、何人かの人影が浮かびあがる。
歳三は、峯吉の袖を引くと、道ばたにある庚申塔の後ろに身をひそめ、人差し指を口にあてて、静かに……と、合図を送った。
峯吉は、一瞬、戸惑いを見せたが、うなずくと、歳三にならって、身を縮めるように、庚申塔の陰に隠れた。
息を殺すふたりの前を、荷物を背負った、尻っ端折りの商人ふうの男たちが、走るような速さで通りすぎてゆく。
男たちは、六人。
先頭は、小男。いちばんしんがりをゆくのは、頭巾で顔を隠した、浪人体のたくましい男だった。
男たちが、通り抜けても、ふたりは、しばらくじっとしたまま、身動ぎもしなかった。
しばらくすると、痺れを切らせた峯吉が口をひらいた。
「トシさん。あいつら、いったい……」
「ありゃあ、駒木野関が閉じたから、しかたなく……って雰囲気じゃあねえな。間違いなく後ろ暗い連中だろう」
「後ろ暗いって……」
「陣場道は、駒木野関をかわして甲州道中にぶつかるが……朝を待たずに抜けるなんて、堅気の人間なら、考えもしねえだろう」
「それって、もしかして、例の……」
「ああ……おそらく近ごろ話題の盗賊だろう。いくら八州廻りが血眼になっても、尻尾がつかめねえわけだ……連中は、甲州を根城に、武州(こっち)を荒らしてやがったのさ」
「ちえっ、ふざけた連中だ! 追っかけて、叩っ斬っちまいましょうよ!」
峯吉が憤って立ちあがる。
「待て! やめておけ……六人対ふたり。しかも、先頭のやつとしんがりは、かなり遣う。勝ち目はねえ」
「なんで、わかるんですか?」
峯吉の疑問は、もっともだった。
「そのふたりだけ、あれだけ速足なのに、腰の高さがかわらず、身体が左右に揺れてなかった。つまり……何らかの武芸の心得があるってことだ。
残りのやつらは、そこまでじゃあねえが、灯りもないのに、歩みに迷いが一切なかった。素人じゃない」
「あんな短い間に、そこまで見てたんですか……」
峯吉が呆れた。自分は、せいぜい人数を数えたぐらいで、とてもそこまで詳しくは、見てはいなかったからだ。
「峯吉。喧嘩は、相手をよく見て、確実に勝てるときにするもんだぜ」
「じゃあ、代官所か、名主さんに知らせないと……」
「やめておけ。怪しいってのは、俺の勘だけで、証拠があるわけじゃない。無駄だ」
「でも、なんか、癪じゃないですか」
「まあ、仮にやつらが盗賊でも、こんな村を襲う心配はねえから安心しろ。やつらの狙いは、大金持ちだからな……
いいか。このことは、誰にもしゃべるんじゃねえぞ」
「わかったから……トシさん、そんな怖い顔しないでくれよ」
「もし、おまえの口から、このことが広がったら、おまえが危なくなるんだからな」
「そいつは、勘弁だ。盗賊なんかに目をつけられたら、わりにあわねえ」
「そういうことだ……それに十手持ちや、八州廻りなんぞは、名主や豪商に金をねだるだけで、ちっとも役に立ちゃあしねえさ」
歳三が毒づいた。しかし、これは根拠のない悪口ではなかった。
八州廻りは、三十俵二人扶持の収入では、到底不可能な贅沢な暮らしをして、巡回する各地に、妾を囲う者が少なくなかったのだ。
「まあ、いずれにしても、俺らの家が盗賊に狙われるなんて、あり得ねえから心配するな」
「でも、なんか腹が立つんですよね……」
「ふふふ……おめえは、相変わらず血の気が多いな」
歳三が笑う。峯吉は、不満げに頬をふくらませた。
歳三と峯吉が、庚申塔に身をひそめたのと同じころ、不忍池の畔にある、池之端仲町の料理屋『はなぶさ』の離れでは、清河八郎が、三人の男と酒を酌み交わしていた。
ひとりは、薩摩藩の益満休之介。もうひとりは、同じく薩摩の伊牟田尚平、残るひとりは、水戸藩の吉恒常次郎である。
中庭をはさんだ、向かいの座敷からは、粋な三味線の音と端唄がきこえてくる。間に庭をはさんでいるので、端唄の内容までは伝わってこないが、薩摩藩士とはいえ、江戸が長い益満には、それが『木遣りくずし』だということがわかった。
伊牟田は、清河からきいた話の内容を反芻するかのように、一文字に口を結び、むすっとした表情を浮かべている。
「清河さん……幕閣は、この期に及んで、まだ、そんな腑抜けたことを……」
益満が、苦々しげに言うと、清河がうなずく。
嘉永七年。アメリカを最恵国待遇とする、不平等な日米和親条約が、強引に締結された。
この際、日米各国において、必要に応じてどちらかが総領事を置くことが決定されたが、幕府側は、あくまでもどちらかがという解釈だった。
しかし、アメリカ側は、それを総領事をアメリカがと、解釈した。
これは、幕府にとって寝耳に水の出来事であったが、アメリカ側は、総領事タウンゼント・ハリスを派遣して、下田に強引に総領事を定めてしまった。
そして、この六月、日米和親条約を補足する、下田条約が締結されようとしていた。
「幕閣は、決定権のない、かたちだけの下田奉行なるものをでっち上げて、のらりくらりと、かわそうとしているようだが……
メリケンには、そんな子ども騙しは、通用せんでしょうな。ハリスは、至急将軍に目通りさせろ……と、ごねているらしい」
清河が、苦々しい顔で一同を眺め回す。
「ふん。幕閣のやることは、一事が万事それだ!」
伊牟田が吐き捨てるように言った。
「こうなっては、やはり実力行使あるのみでしょう。百の論議よりも、ただひとつ。――天誅あるのみです!」
攘夷に凝り固まった水戸人らしく、吉恒が過激な台詞を吐いた。
「まあ、待ちたまえ。機はまだ熟しておらん。いま暴発しても、その後はどうなりますか」
「しかし、清河先生……」
「せっかく、こうしてあなたがたを引き合わせたのです。じっくりと計画を練って、やるときは、確実に夷狄奴らに、鉄槌を下そうではありませんか」
清河が、昂然と言いきった。
その言動は、相変わらず自信にあふれ、こうしたときの清河は、冒し難い威厳に充ちていた。
清河が散会を告げると、三人は、朝まで飲み続けるのだと、意気軒昂と座敷をあとにした。
誰もいなくなった部屋で、清河がちびちびと杯を傾けていると、離れの扉の開く気配がして、駒下駄の、からんころんという音がきこえた。
清河は杯を置き、刀に手をかけたが、襖をあけた男を見ると、緊張をとき、口元に微かな笑みを浮かべた。
「もう戻ったのですか……やけに早かったですね」
「歩くのが億劫になってな……横山宿から早駕籠を仕立てた」
入ってきたのは、でっぷりとした身体つきの、傲慢な態度の男だった。
新八と歳三が、小仏峠で出会った、あの浪人である。
飲んでいるのか、うっすらと赤い顔に、楽しげな笑みを浮かべると、清河の前に、どっかりと腰をおろした。
「あちらの様子は、どうでしたか?」
清河が酒を勧めながらきく。
「こないだのしくじりは、上手くかたがついたようだ」
「それは祝着……では、まだしばらくは、この仕事を続けることが、できそうですね」
「予定まで、半分も集まっておらん。続ける以外に道はなかろう」
「それでは貴兄に、引き続き連絡役を、お願いできますか? 新家や平山の手綱を締められるのは、貴兄を置いてほかにない」
「うむ。これも大義のためだ」
「ええ。皇国の存亡と、攘夷の実現のために……」
そう言うと清河は、ゆっくり酒を飲み干した。
山道といっても、一般の旅人が通るような整備された道ではない。
地元の猟師や杣人(木こりの意味)だけが知る、杣道である。
場所によっては、獣道とかわらぬ、道とも呼べない険路だが、歳三がこの道を選択したのは、高尾山口まで回りこむよりも、近いからにすぎない。
途中、木の幹に、まだ真新しい熊の爪の研ぎ跡を見つけたが、少しも恐ろしいとは思わなかった。
下原刀は、現在の八王子市下恩方。地名が示すとおり、刀や槍を作る鍛冶の村である。
武州下原住康重などの名工で知られ、後北条氏の室町末期から江戸後期にいたるまで、御用鍛冶として重きをなし、幕府から租税が免除されていた。
十家ある刀鍛冶の棟梁・山本満次郎は、天然理心流の師範として、豪壮な屋敷に道場を構えていた。
歳三の目的は、その山本の道場を訪ねることだ。
近藤周助に剣術を習っていた歳三は、本来、増田蔵六系の道場には、出入りできないはずだが、周助に正式に入門したわけではないので、黙認されていたのだ。
歳三にとって剣術とは、ひとつの技術にすぎず、派閥争いには興味がなかった。
目録以上の腕がありながら、周助に誓紙をたてて正式入門しない理由は、こうして派閥の違う道場にも出入りするためであった。
というのは、石田散薬の行商をせねばならかったので、自分の都合に合わせて稽古をするには、ひとつの道場に通うのは、合理的ではないと、考えたからである。
そのことを裏付けるかのように、天然理心流の分布と、石田散薬の販売圏を示した『村順帳』は、かなりの部分が一致している。
歳三が山本の道場に入ると、ちょうど満次郎が若い弟子に、稽古をつけているところだった。
「おおっ、トシさん。久しぶりじゃないか。甲州からの帰りかい?」
満次郎が、満面の笑みを浮かべながら言った。
「ご無沙汰しておりました。
ええ……今日は、こちらにご厄介になり、明日は、青梅の方に回ろうかと思いまして……」
「あんたなら、いつでも歓迎だ。稽古していくんだろ?」
「はい。お世話になります」
「そうだ。石田散薬の追加もたのむ」
「ありがとうございます」
歳三が、殊勝に頭を下げた。
稽古をつけてもらっていた若い弟子が、やりとりする歳三を見て、相好を崩した。
「トシさん。久しぶり! 勝太さんは、元気にしてるかい?」
「おお、峯吉か。かっちゃんは、相変わらずさ……おめえ、山本師範に、正式に入門したんだってなあ」
この若い男は、中島峯吉。すなわち、後の新選組隊士・中島登である。
峯吉は、近藤勇の遠縁にあたり、歳三の不良仲間でもあり、以前は、いっしょになって暴れまわったた間柄だった。
「山本師範や、蔵六大先生からなら、棒術や柔術も習えるしね」
「蔵六大先生といえば、さっき小仏峠の茶屋で、大先生譲りの龍尾剣を使う男に会ったぜ」
「えっ、それは、もしかしたら永倉さんじゃないのか?」
山本が、驚きの声をあげた。
「ええ、そうですが……山本師範の知り合いでしたか」
「永倉さんは、ふた月ばかり、大先生の道場に居候していて、俺がいる間は、毎日いっしょに稽古していた仲だよ」
「なるほど……新八つぁん、どおりで本格的なわけだ」
「ところでトシさん。龍尾剣って……まさか喧嘩したのか?」
「まさか……ふたりで仲良く、甲州の田舎ヤクザを、叩きのめしただけですよ。まあ、いわば、世直しってやつです」
「おいおい、それを喧嘩っていうんだよ。まったくトシさんは、相変わらずだなあ……」
満次郎が呆れ、峯吉は腹を抱えて笑った。
「で、トシさん。当然勝ったんだよね?」
峯吉が、目を輝かせながらきいた。
「あたりめえだ。俺が田舎ヤクザごときに負けるかよ。やつら、安っぽくダンビラなんか振り回しやがるから、竹刀で全員のしてやった」
「そうこなくちゃ!」
峯吉が手をたたく。
「おまえら、相変わらずバラガキ気分が抜けないようだな……よし。今日は、みっちりしごいてやるから、覚悟しておけ」
満次郎が不敵な笑みを浮かべた。
「ちょ、師範……それは勘弁してくださいよ。喧嘩したのは、トシさんで、俺は関係ないじゃないですか」
「おい、峯吉……おまえ今度、嫁さんをもらうんだから、もう少し大人になれよ」
中島峯吉は、千人同心の嫡男である。やがて家を継げば徳川の家臣になる。それなのに、いつまでも不良気分が抜けない息子を心配して、父親又吉は、同じ千人同心の娘、安藤ますとの婚儀をすすめていた。
やがて父親と満次郎の心配は的中し、峯吉は、一児をもうけた翌、文久元年、同じ千人同心の同僚と喧嘩になり、斬殺して出奔することになるが、それはまだ先の話である。
この男、そういう意味では、歳三よりも、よほどバラガキであった。
そして、元治元年、伊東甲子太郎が入隊した、勇東下にともなう新選組隊士募集のときに、入隊を志願するが、幼子がいるためと、嫡男であることを理由に、勇から入隊を断られてしまう。
しかし、武州における調査任務を任され、地理調査、渡世人や、非人などに混じり、その実態調査を行ったと言われている。
峯吉は、この調査のため、賭場などの悪所に通いつめたため、家族や親類から非難されて辛かったと、後に書き残している。
そのためか、峯吉が正式に入隊したのは、じつに五年後の、慶応三年のことであった。
このとき、峯吉が入隊を体よく断られたのか、あるいは、近藤の密命を帯び、一種の密偵として、武州の情勢を探っていたのかは、議論の分かれるところだろう。
しかし、正式な隊士になると、すぐに近藤付きとなり、その後、すぐ伍長に就いている。この異例の出世の早さから、他の隊士とは、ちがう扱いをされていたものと推測できる。
歳三が峯吉とともに、満次郎にみっちり稽古をつけてもらうと、いつの間にか陽が暮れて、あたりは薄暗くなっていた。
途中から百匁蝋燭に火を灯し、ふたりが稽古を終えたのは、もう夜四つだった。
この時代、夜明けとともに目覚め、陽が暮れると眠るのが、生活の基本である。
江戸のような大都会ならともかく、武州の田舎では、特にその傾向は強く、峯吉の家に泊まるため、道場を出たころには、村は、すっかり寝静まっていた。
ふたりは、下原刀にある満次郎の道場をあとにすると、陣場道から浅川をわたり川原宿を抜けて、小田野の峯吉の家に向かう。
幸い月明かりで、提灯がなくても歩けるが、真っ暗な田舎道なので、曇っていたら、それこそ、鼻をつままれても見えない夜道である。
しばらく歩いていると、ふたりの前方から、なにやら大勢のひとがやってくる気配を感じた。
東海道のような往還ですら、夜道を旅するようなものは、めったにいない。
村の入り口の常夜灯に、何人かの人影が浮かびあがる。
歳三は、峯吉の袖を引くと、道ばたにある庚申塔の後ろに身をひそめ、人差し指を口にあてて、静かに……と、合図を送った。
峯吉は、一瞬、戸惑いを見せたが、うなずくと、歳三にならって、身を縮めるように、庚申塔の陰に隠れた。
息を殺すふたりの前を、荷物を背負った、尻っ端折りの商人ふうの男たちが、走るような速さで通りすぎてゆく。
男たちは、六人。
先頭は、小男。いちばんしんがりをゆくのは、頭巾で顔を隠した、浪人体のたくましい男だった。
男たちが、通り抜けても、ふたりは、しばらくじっとしたまま、身動ぎもしなかった。
しばらくすると、痺れを切らせた峯吉が口をひらいた。
「トシさん。あいつら、いったい……」
「ありゃあ、駒木野関が閉じたから、しかたなく……って雰囲気じゃあねえな。間違いなく後ろ暗い連中だろう」
「後ろ暗いって……」
「陣場道は、駒木野関をかわして甲州道中にぶつかるが……朝を待たずに抜けるなんて、堅気の人間なら、考えもしねえだろう」
「それって、もしかして、例の……」
「ああ……おそらく近ごろ話題の盗賊だろう。いくら八州廻りが血眼になっても、尻尾がつかめねえわけだ……連中は、甲州を根城に、武州(こっち)を荒らしてやがったのさ」
「ちえっ、ふざけた連中だ! 追っかけて、叩っ斬っちまいましょうよ!」
峯吉が憤って立ちあがる。
「待て! やめておけ……六人対ふたり。しかも、先頭のやつとしんがりは、かなり遣う。勝ち目はねえ」
「なんで、わかるんですか?」
峯吉の疑問は、もっともだった。
「そのふたりだけ、あれだけ速足なのに、腰の高さがかわらず、身体が左右に揺れてなかった。つまり……何らかの武芸の心得があるってことだ。
残りのやつらは、そこまでじゃあねえが、灯りもないのに、歩みに迷いが一切なかった。素人じゃない」
「あんな短い間に、そこまで見てたんですか……」
峯吉が呆れた。自分は、せいぜい人数を数えたぐらいで、とてもそこまで詳しくは、見てはいなかったからだ。
「峯吉。喧嘩は、相手をよく見て、確実に勝てるときにするもんだぜ」
「じゃあ、代官所か、名主さんに知らせないと……」
「やめておけ。怪しいってのは、俺の勘だけで、証拠があるわけじゃない。無駄だ」
「でも、なんか、癪じゃないですか」
「まあ、仮にやつらが盗賊でも、こんな村を襲う心配はねえから安心しろ。やつらの狙いは、大金持ちだからな……
いいか。このことは、誰にもしゃべるんじゃねえぞ」
「わかったから……トシさん、そんな怖い顔しないでくれよ」
「もし、おまえの口から、このことが広がったら、おまえが危なくなるんだからな」
「そいつは、勘弁だ。盗賊なんかに目をつけられたら、わりにあわねえ」
「そういうことだ……それに十手持ちや、八州廻りなんぞは、名主や豪商に金をねだるだけで、ちっとも役に立ちゃあしねえさ」
歳三が毒づいた。しかし、これは根拠のない悪口ではなかった。
八州廻りは、三十俵二人扶持の収入では、到底不可能な贅沢な暮らしをして、巡回する各地に、妾を囲う者が少なくなかったのだ。
「まあ、いずれにしても、俺らの家が盗賊に狙われるなんて、あり得ねえから心配するな」
「でも、なんか腹が立つんですよね……」
「ふふふ……おめえは、相変わらず血の気が多いな」
歳三が笑う。峯吉は、不満げに頬をふくらませた。
歳三と峯吉が、庚申塔に身をひそめたのと同じころ、不忍池の畔にある、池之端仲町の料理屋『はなぶさ』の離れでは、清河八郎が、三人の男と酒を酌み交わしていた。
ひとりは、薩摩藩の益満休之介。もうひとりは、同じく薩摩の伊牟田尚平、残るひとりは、水戸藩の吉恒常次郎である。
中庭をはさんだ、向かいの座敷からは、粋な三味線の音と端唄がきこえてくる。間に庭をはさんでいるので、端唄の内容までは伝わってこないが、薩摩藩士とはいえ、江戸が長い益満には、それが『木遣りくずし』だということがわかった。
伊牟田は、清河からきいた話の内容を反芻するかのように、一文字に口を結び、むすっとした表情を浮かべている。
「清河さん……幕閣は、この期に及んで、まだ、そんな腑抜けたことを……」
益満が、苦々しげに言うと、清河がうなずく。
嘉永七年。アメリカを最恵国待遇とする、不平等な日米和親条約が、強引に締結された。
この際、日米各国において、必要に応じてどちらかが総領事を置くことが決定されたが、幕府側は、あくまでもどちらかがという解釈だった。
しかし、アメリカ側は、それを総領事をアメリカがと、解釈した。
これは、幕府にとって寝耳に水の出来事であったが、アメリカ側は、総領事タウンゼント・ハリスを派遣して、下田に強引に総領事を定めてしまった。
そして、この六月、日米和親条約を補足する、下田条約が締結されようとしていた。
「幕閣は、決定権のない、かたちだけの下田奉行なるものをでっち上げて、のらりくらりと、かわそうとしているようだが……
メリケンには、そんな子ども騙しは、通用せんでしょうな。ハリスは、至急将軍に目通りさせろ……と、ごねているらしい」
清河が、苦々しい顔で一同を眺め回す。
「ふん。幕閣のやることは、一事が万事それだ!」
伊牟田が吐き捨てるように言った。
「こうなっては、やはり実力行使あるのみでしょう。百の論議よりも、ただひとつ。――天誅あるのみです!」
攘夷に凝り固まった水戸人らしく、吉恒が過激な台詞を吐いた。
「まあ、待ちたまえ。機はまだ熟しておらん。いま暴発しても、その後はどうなりますか」
「しかし、清河先生……」
「せっかく、こうしてあなたがたを引き合わせたのです。じっくりと計画を練って、やるときは、確実に夷狄奴らに、鉄槌を下そうではありませんか」
清河が、昂然と言いきった。
その言動は、相変わらず自信にあふれ、こうしたときの清河は、冒し難い威厳に充ちていた。
清河が散会を告げると、三人は、朝まで飲み続けるのだと、意気軒昂と座敷をあとにした。
誰もいなくなった部屋で、清河がちびちびと杯を傾けていると、離れの扉の開く気配がして、駒下駄の、からんころんという音がきこえた。
清河は杯を置き、刀に手をかけたが、襖をあけた男を見ると、緊張をとき、口元に微かな笑みを浮かべた。
「もう戻ったのですか……やけに早かったですね」
「歩くのが億劫になってな……横山宿から早駕籠を仕立てた」
入ってきたのは、でっぷりとした身体つきの、傲慢な態度の男だった。
新八と歳三が、小仏峠で出会った、あの浪人である。
飲んでいるのか、うっすらと赤い顔に、楽しげな笑みを浮かべると、清河の前に、どっかりと腰をおろした。
「あちらの様子は、どうでしたか?」
清河が酒を勧めながらきく。
「こないだのしくじりは、上手くかたがついたようだ」
「それは祝着……では、まだしばらくは、この仕事を続けることが、できそうですね」
「予定まで、半分も集まっておらん。続ける以外に道はなかろう」
「それでは貴兄に、引き続き連絡役を、お願いできますか? 新家や平山の手綱を締められるのは、貴兄を置いてほかにない」
「うむ。これも大義のためだ」
「ええ。皇国の存亡と、攘夷の実現のために……」
そう言うと清河は、ゆっくり酒を飲み干した。
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歴史・時代
江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。
そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。
秋田藩での仕事は勘定方である。
仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。
ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。
そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。
娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。
さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。
この風習は広く日本で行われている。
「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。
「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
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物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
江戸の夕映え
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歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。
「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三)
そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。
同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。
しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。
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