MISERABLE SINNERS

ひゃっぽ

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IDEA of IDENTITY

エス 四章六節

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                   ♰

 ジュリアは飛び起きた。
 手の平の感触。肌をくすぐる吐息――感覚が残っている。痛いわけでも苦しいわけでもないのに、苦痛だった。目の奥が重い。視線が定まらない。しばしの間、ジュリアは我を忘れていた。
 どこにいたわけでもないのに。
 追い出されたと――思った。
 夢。
 夢か。
 求めるあまり、勝手に記憶を継ぎ合わせてしまったと。
 それも、なんて淫らな――ジュリアは自身の体を抱いた。よく見れば、自分の部屋だった。薄くなった掛布の先から爪先がはみ出ている。指の先から一つ一つ、自分のものだということを再認識していく。記憶は――曖昧だ。自分はいつの間にベッドに入ったのだろう。
 肌寒さを感じた。
 まるで彼がそこにいたようなリアルさ。
 下半身には生々しい浮遊感が纏わりついている。
 ――嫌な夢だった。本当に。
 もぞ、と隣で気配が動いた。どきりとしたが、なんてことはない、イシャーがまたベッドに潜り込んでいたのだった。瞼は閉じている。健やかな寝息を聞いていたら、乱れた心が僅か落ち着いた。と、同時に、否応なしに意識してしまう熱がある。情けない情けないと涙目になりながら、ジュリアはこっそりと下着の中を覗いた。夢精はしていないようだが、どうにも――。
 最悪だ。
 もうしばらくしていないから。
 神父様は問題ないのだろうか。彼は性行為を食餌しょくじと言う。三日で腹が減るのなら、飢餓に苦しんでいてもいいはずだ。淡白なようですることはする彼が申告してこないのであれば、今すぐどうこうなるものでもないのだとは思うが。
 ――抜くか。
 手洗いで済ましてしまおうと思った。風呂場でもいい。神父様が、もし起きているなら――いや。イシャーがいる手前、それも気が引けた。少女は察しがいいから、二人の様子から何か勘付いてしまうかもしれない。無用なトラウマを植え付けるのは避けたかった。ジュリアにはわからない感覚だが、一般的に幼少期の性的なショックは人格形成に大きな影響を及ぼすと言う。それはもしかしたら、長じたとしても変わらないのかもしれないけど。
 自分もきっと、どこかおかしいんだ。
 何が変なのかわからないから、おかしいのだと思う。
 それは例えば、自己主張ができないとか、口下手だとか、頭が悪いとか、そういうことではなくて。そんなのは皆、少なからず抱えている問題で、自覚があるなしに関わらず、完全なコミュニケーションを取れる人間など存在しない。ジュリアが問題とするのは、世界とのずれだ。
 乖離かいりして感じることがある。
 自分と、それ以外が。
 本来なら地続きのはずのそれらは、ばらばらに解けて、内側と外側の区別がつかなくなる。繋がっているからこそはっきりとする個々の確立が、分離することによって混ざり合ってしまう。天井の結露も壁の飛沫も染みは染みなのに、汚れ方や成分を細かく分けた挙句、何が汚れて何が原因なのか、自分を含めてごちゃまぜになってしまう。花瓶の花一つとっても物語はあるのだろうが、そんなもの一々思考していたら時間がいくらあっても足りない。
 それらの混乱は総じてジュリアに孤独をもたらす。
 溶けあったはずなのに、ますます独りに思える。
 ――やっぱり。
 神父様、起こそうかな。
 なんだか無性に抱きしめたい気分だ。
 静かに毛布から抜け出したところだった。じゅりあ、と幼い声に呼び止められる。身が竦んだ。恐る恐る振り返ると、少女が上半身を起こし、寝ぼけまなこを擦っていた。その仕草は彼女のもう一人によく似ていた。
 柔らかい体がしなだれかかってくる。
 甘えるように腕を回し、イシャーはジュリアの腹の前で手を組んだ。ずり落ちる手の甲を慌てて抑える。これはまずい。まずいぞ……血の気が引いたおかげで少し萎えたが、以前、身動きが取れない状態に変わりはない。
「どこ行くの」
「お、お手洗いだよ。すぐ戻る」
「わたしもいっしょに行く」
「え!?」ジュリアは狼狽ろうばいした。「トイレ、行きたいの?」
 ううん、とイシャーは否定する。
「じゃあ、待っててよ。その……ちょっと、時間かかるし……」
「うんち?」
「……ああ、うん。そんな感じ」
「いや。いっしょがいい」
「ええ……」
 弱ったなあ。
 逡巡しゅんじゅんした末、ジュリアは諦めることに決めた。どうしようもないほど性欲が強いたちでもないし、気力で押し通そう。寝起きのこれは特に生理現象である。眠ってしまえば誤魔化されるほかない。
 しょうがないなあとぼやきながら、ジュリアはベッドに戻った。こちらの気も知らないで、イシャーは正面から抱き着いてくる。咄嗟とっさに腰を引いた。逃げた分だけ、脚が絡まってきた。ぎゅっと目をつむり心頭滅却を図る。駄目だ。落ち着け。眠るんだ、俺は――ところが、眠れと念じるほど目は冴えていく。何しろ据わりが悪いのかイシャーは身じろぎするし、ジュリアの右足は完全に彼女の太腿に挟まれているのだ。
 ぐ、と深く差し込まれた腿の付け根が、ジュリアの股座をかすった。
 かっと腹の奥が熱くなる。
 少女のうなじから立ち昇る香りに頭がくらくらした。
 ――あの人の匂いだ。
 ジュリアは信じたくなかった。
 夢のせいだ、生理的作用だと、目を逸らしているけれど。
 まさか、この右も左もわからない、子供らしい純真さを持った少女に、自分が――欲を覚えているだなんて。
 ありえないことではない。彼女はイッシュ様と同質なのだ。あの人の全てがこの体に染みついている。目が耳が鼻が肌が舌が。ことごとく彼という成分に反応するよう刷り込まれているのである。イシャーはイッシュ様とは違うと、頭で考えたところで、本能は正確に読み取っているのだ。
 であれば、尚更、ジュリアはこの劣情を認めることができなかった。少女への感情は、そのままイッシュ様の否定に繋がってしまう気がした。ジュリアはたまらず彼女の肩を押した。
 暗闇に金色の瞳が光る。
「どうしたの」
「……いつも、言ってるだろ。ほんとは一人で寝なきゃいけないんだよ」
「どうして?」
「どうしてって……」
「わからない。わたし、じゅりあといっしょがいい。なんで、ダメなの?」
「それは――」
 男と、女だから。
 それこそ意識をしているということに他ならないのではないか。ジュリアはこの子の少女性に惹かれるあまり、よこしまな想いだと抑圧しようとしているのではないか――。
 ジュリアは答えられなかった。
 沈黙を了承と捉えたらしい。少女は暗がりの中で満足そうに微笑んで、ジュリアの上腕に頭を預けた。抗う気力は失せていた。
 少女のなだらかな下腹部が、ジュリアの中心に触れる。
 イシャーは不思議そうな様子で掛布の中を覗き込み。
 手の甲を、そこに押し当てた。
「わっ」
「これ……なに?」
「イ、イシャー」
 固くなったそれを下から上へと擦る。ひゅっと冷たい感触が走り、腰から力が抜けた。羞恥で頭の中が真っ白になる。少女の緩い愛撫に、体が期待するのがわかった。ジュリアは彼女の体を押した。
「やめて、イシャー……や、め」
「可愛い」少女は目を細めたようだった。「気持ちいいのね」
「は――」
 突然――あどけない少女の声が、女のそれへと変貌した。平坦だった音色がにわかにつやを増す。
 こわかった。
 今、隣で寝ているのが、何か得体の知れない生き物に思えた。
 彼女とは、まだ出会って数日でしかないのだ。初めて見る一面など、それこそ瞬間瞬間に訪れるはずなのに、今回ばかりは――何かが違う。豹変。変貌。そんな生温い表現では足りない。変わったのではないのだ。表れたのだ――女はいつの間にか、ジュリアの膝に馬乗りになっている。手が下履きにかかった時、ジュリアの混乱は頂点に達した。
「や――やめてよ」
 やめて、とジュリアは訴える。
「おか、おかしいよ、こんな」
「おかしい」少女はせせら笑った。「どうおかしいの?」
 服の上から股座を往復する手の、いやらしいこと。背筋がぞくぞくする。ジュリアは口元を覆った。
「だ、だって、君は」
「わたしはわたしよ。あなたはイシャーと呼ぶわね。エハヴ司祭はお前とかあれとか言う。でも頭の中ではあいつだと思ってる。それだけのものよ。それ以上でも以下でもない」
「あいつ?」
 ――イッシュ様のことだ。
 女の口振りは明確だ。彼女は自分とイッシュ様を区別している。
 ジュリアは暗闇に目を眇め、女の瞳を凝視した。
「あなたは――一体――」
「じっとしてて」
「へ、あ……う、うそ――」
 女は慣れた手つきでジュリアの下着をずらすと、愚かにも張り詰めたそれを――小さな口に含んだ。
「あ」
 背筋が震えた。
 長くて細い舌が、裏筋を移動する。先端を挟み、根元を熱い手がしごく。丸めた唇と自身の境目を目の当たりにし、ジュリアは眩暈を感じた。甘い痺れが鳥肌を誘発する。
 んあ、と情けない声が、自分の口から飛び出した。
 泣きたかった。
「あっ、あ……く……イシャー、やめ、やめて」
 緩い抵抗だ。口では制止しながらも、強行に彼女を追いやるようなことはしない。湧き上がる快楽と征服欲が、ジュリアの心をほだしてしまう。どう、と女は上目遣いに訊いた。わたし、上手にできてる? ジュリアは頷き、彼女の長い髪の先に指を絡めた。汗で張りついた横の髪を払ってやる。彼女もまた興奮しているようだった。
「ふ……っ、はぁ、あ、ぅ」
「ん、ふ……ふぅ……」
 尿道の周りを吸われた時、痛いくらいの刺激に腰が跳ねた。咄嗟に下腹に力を込める。危ない。何がどうとはうまく説明できない。ジュリアは性のメカニズムにそれほど詳しくはない。ここは気持ちいいとか、意識が飛びそうになるとか、経験的知識しか持っていない。だからこそ今のはやばかったと断言できる。もうやめようと、ジュリアは必死に懇願した。
「も、もう、離、ぁ、して、イシャー……ねえ、お願い……」
 彼女は聞き入れなかった。より苛烈かれつにジュリアをしごいた。カウパー線液が女の口周りを汚している。愛らしい瞳は潤んでいる。
「出ちゃう……ねえ、で……出ちゃう、から……っ」
 ジュリアは――果てた。
「あ、う……!」
 肉が痙攣する。数度に分けて放たれた白濁した欲を、イシャーは余すことなく喉の奥で受け止めた。
 ごくり、と嚥下えんかする。
 ――や。
 やって――しまった。
 ジュリアは青褪あおざめた。襲い来るのは満足でも爽快でもなく、恐怖と罪悪感だった。自分は彼女になんてことをさせてしまったのだろう。零れた唾液が細いあごを伝った。ジュリアは半べそをかきながら体を起こし、濁ったそれを拭った。
「ご、ごめ。ごめん、俺」
「いいのよ」
「良くないよ。善くない……」
「わたし、嬉しいんだから。本当よ」
 イシャーはジュリアの手を取り、頬に当てた。うっとりと微笑む。
「ねえ、ジュリア……」
 吐息混じりの声。
 それだけで、彼女が何を求めているのか、ジュリアにはわかってしまった。
 イシャーはジュリアの手を彼女の大切な場所へと誘導した。導かれるままそこへ触れる。服の上からでもわかるほど、しっとりと濡れていた。
「あつくて、たまらないの……触ってくれる……?」
 縋るようにねだられては――無碍むげにもできないと。
 反射のようにジュリアはそう考えた。本音のところはわからない。自分はこの子に劣情をもよおしていたのかもしれない。
 これは裏切りだ。
 イッシュ様のことも。
 ――エハヴ様のことも。
 ごめんなさい、と口の中で呟いて、ジュリアは彼女の背に腕を回した。寝間着の中に手を差し入れる。細やかなレース飾りを押しのけ、毛の流れに沿って、濡れた割れ目へと指を滑らせた。
「あん」
 絡めた愛液でもって、小さな突起を摩る。甲高い嬌声は馴染みのないものだ。すごく――興奮した。自分がこの子を支配しているのだと思った。くだらない独占欲が、むくむくと湧き上がった。閉じた肉をほぐし、奥へと進んでいく。後から後から蜜は溢れてくる。ひだの刻まれた彼女の内側は、ジュリアの指をきゅうきゅうと締め付けた。想像した。
 この女の味を。
 声は一際高くなり、イシャーは背をらせた。ジュリアは手を休めず、中を刺激し続けた。彼女はいつまでも震えていた。苦しそうにしかめられた眉が愛おしかった。
 俺は。
 おかしくなってしまったんだ。
 きっと。
 ――狂ってしまった。
 荒い呼吸を繰り返すイシャーの髪を撫でる。何かの間違いだ、誤解だと、必死に自分自身に言い聞かせた。冷える頭と反比例して、再び膨張する肉の芯を非常に汚らわしく思った。おそるおそる抜いた指はふやけていて、空気にさらされると凍るようだった。沈黙のとばりが下りたが、二人の乱れた吐息までは隠してくれなかった。
 イシャーは勃ち上がるジュリアを見た。
 ジュリアは頭を振った。
「駄目だ」
「どうして」
「これは、いけないことなんだ。こんなこと、ほんとはしちゃいけなかった」
「わたしが望んだのよ」
「でも君は理解してないだろ」
「してるわ。わかっているわ、わたし。だって――イシャー(女)だもの」
 彼女の言う通りだった。
 少女に階段を上るきっかけを与えたのは。
 ――俺じゃないか。
「……駄目なのね」
 彼女は諦めたように微笑んだ。
「イッシュでないと」
「――――……」
 二の句が継げない。
 よく似た顔。よく似た仕草。だけど何もかもが違う。
 二人は別の生き物だ。
 それがわかっていて、俺は手を出したのに。
「わたし達は同じものよ。それでも、あの子は良くて、わたしはいけないのね。ジュリア。どうしても、だめ? わたしのことは愛せない? わたしの愛は、受け入れられない?」
 白雪の肌を涙が伝う。しゃくりあげる女の雫を、ジュリアは呆然と見ていた。水の上を歩くように軽やかな泣き声を、ひたすらに聞いていた。
「一人は嫌よ。あそこは冷たくて寂しいわ。もう戻りたくない。お願い。わたしを一人にしないで。わたしを、愛して……」
 哀れだった。さめざめと泣く姿に、胸を締め付けられた。ジュリアの脳裏に、ぼんやりとした像が結ばれる。夢で見た地下牢。暗くて、黴臭かびくさい、陰湿な牢獄。あそこに閉じ込められていたのは、この子だったのか? なら独房で出会ったイッシュ様は誰だ? 目の前の女の子は? 俺は誰に抱かれ、誰を抱こうとしているんだ……? ジュリアはわからなくなっていた。イッシュ様を求めることは、イシャーの否定に繋がるのだろうか。それとも、この子の幸せは、あの人の幸福に重なっているのだろうか。同じなのか? 別なのか? 同じものと同じは違うのか? 違うとしたらどう違うというのだ。なぜ両方はダメなのだ。男か女か、選ばなければならないのか。泣きじゃくるこの子を、ジュリアはなんとか慰めてやりたかった。おぼろな口付けを与えた。触れては離れ、離れては触れる。嗚咽おえつする彼女をジュリアはうやうやしく横たえ、潤った性器に自身を宛がった。最初、彼女は苦しそうだった。いつもしてもらうように、キスで誤魔化した。纏わりつく肉壁と、その熱さの前に、理性は無力だった。ジュリアはひたすらに奥を突いた。女の嬌声は艶やかなものに変わっていた。夢中になるあまり、ジュリアはこの先のことを考えていなかった。避妊はいけないと女は言った。大丈夫だから、抜かないで。何が大丈夫なのか毛ほども知れなかったが、正常な思考を失っていたジュリアは、赦されるままに彼女の中へ精子をそそぎ込んだ。好きよ、好きよと彼女は慰めてくれた。好きよ、ジュリア。愛しているわ。自分も何か返さなければと口を開いたけれど、どんなに努力しても、愛してるの一言だけは言えなかった。



 イシャーは眠った。眼球の動きが落ち着いたのを見計らって、ジュリアは風呂場へとおもむいた。べたついた汗を流したかった。浮ついた頭も冷やしたかった。服を適当に脱ぎ捨てると、冷水を頭から浴びた。次第におかしな衝動が湧き上がってきた。股座にぶら下がる間抜けなこいつを切り落としてしまいたいと思った。どうしたって纏わりつく性。人間に、いや動物に生まれたからには、逃れることはできないのだろうか。
 愛。
 欲。
 この二つが結びつかない行為は、虚しく、空っぽだった。そんなこと身に染みていたはずなのに、この一年間ですっかり忘れ去っていた。美しい日々だった。もう戻ってこないのだと思った。ジュリアの浅はかな行いによって。
 壊れてしまった。
「最低だ、最低だ、最低だ……」
 涙はすぐに水流に呑まれて消える。
 ノックの音がした。
 横目で見ると、入り口に司祭が立っていた。手の甲でタイルを叩いたらしい。呆れた顔をしている。
「風邪をひくぞ」
「いいんです。冷やしてるんで」
「やめろ。オレにお前をののしれと言うか?」
 彼はジュリアの隣までやってきて、蛇口をめた。馬鹿、と小さく呟く。ぽた、ぽた、と雫が落ちる。排水溝に吸い込まれていく水と一緒に、ジュリアも消えてしまいたかった。
 神父様、と乾いた笑いを持ち上げる。
「えっちしましょうか」
「……何?」
「ほら、しばらくできてないし。お腹すいたんじゃないですか? 大丈夫かなって、ずっと気がかりだったんです。イシャーなら寝てるし。ここなら汚す心配もないし。好きにしていいですよ。時間かけたくなければ、全然適当でいいんで――」
 早口にまくし立てるジュリアの頬を、手の平が打った。
 唖然とした。
「満足か」
「……」顔が、歪む。「いいえ……全然……」
 何もかも知れている。ジュリアの愚行も、愚考も、全部。隠し立てはできない――。
 ジュリアは声を殺して泣いた。万が一にも、階上で寝ている少女に聞かれてはならないと思った。これでも男だ。意地はある。情けないのは生まれた時からだ、半ば諦めているけれど、そのせいで誰かを傷付けるのは嫌だった。
 濡れてしまうというのに、神父様はジュリアの頭を抱きしめてくれた。
 言葉を失う癖はまだ残っている。酷く気持ちがたかぶると、口が回らなくなり、思ったように喋れなくなる。ジュリアは言い訳めいたちぐはぐな主張を喚くように吐露した。神父様はその一つ一つに頷いてくれた。この肯定がどれだけ心の支えになるか、きっと普通の人達にはわからない。ジュリアのような人間にとって、否定と拒絶は何よりも恐ろしいものなのだ。
「あ、ああ、謝ら、ないと。誰か、俺、お、俺、俺、酷い、酷いです、酷いんです、うう、ごめ、ごめなさ、ごめ」
「いい。いいさ。誰も悪くないんだ。お前もだ」
「神父様、許して、許して」
「赦すよ。大丈夫だ。な」
「うう、ううううう」
 ジュリアはえずいた。司祭は背中をさすった。いつの間にかジュリアは全身で彼にしがみついていて、水分を彼の服がほとんど吸ってくれていた。そのおかげで寒くはなかった。
 愛しています、とジュリアは口走った。
「好きです、神父様、本当です、しん、信じてくださ、俺、俺」
「わかってるよ。ちゃんとわかってる」
「嘘じゃ、ない、です、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。神父様」
 イッシュ様。
 あなた達への感謝は、愛は、何をもってしてもすり替えなど不可能なのに。
 それを俺は。
 穢してしまった。
 あの子にだって失礼だ。あんな行為は同情でも何でもない。慰みだ。誰も幸せにならない、最悪な方法をジュリアは採った。ありえない。酷い話だ。地獄に堕ちるべきだ。こんな自分は。
「うあああああ……ああああああん――」
「――――……」
 手遅れだったか、と。
 彼は一言、呟いた。
 落ち着いてから居間へ移動した。服を着た覚えはなかったから、神父様が全てやってくれたのだと思う。彼の淹れてくれた紅茶は薄かった。何か違うよなあと零す。ジュリアは笑って、違いますねと応えた。でもおいしいですよ。居間には紫煙の香りが残っていて、もしかしたらこの人も眠れぬ夜を誤魔化していたのかもしれないと思った。少ししてから、ソファで互いに寄りかかりながら眠った。久方ぶりの、心から安らげる時間だった。

 一部始終を明るい琥珀こはくの瞳が見つめていたことを、ジュリア達は知らない。
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