MISERABLE SINNERS

ひゃっぽ

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「Ask, and it will be given to you」

「Where no wood is, there the fire goes out 木がなければ火は消える」

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 ぼくは光の中では生きられないそうだ。
 ぼくは色を見たことがない。
 目の前に広がるのは、やみ、やみ、やみ――。
 闇だけだ。
 だけどその人は、ぼくに言った。黒はすべての色をまぜあわせたものなのだ。つまり、おまえは今、すべての色をたずさえているわけだ。色などしょせん光のパターンでしかないふめいりょうなものだ。のうの作どうの仕方によっては、その色味のとらえ方さえこじんにゆだねられてしまう。しかし、黒はぜったいだ。しっ黒こそしじょう。人もけものも鳥も魚も、あまねくびょうどうにそそぐのが闇なのだ。
 黒はやさしいんだね、とぼくは言った。
 そうだ、とその人はうなずく。闇は万ぶつのこんげんである。おまえはそんなやさしさの中につつまれているのだ。うらやましいことだ。
 そうなの?
 それなら――。
「エハヴも、ずっとここにいればいいのに」
 ぼくの呟きに、彼は答えなかった。

 うらやましい、とは、そうなれたら、とねがうことなのだという。ということは、エハヴはぼくになりたいとおもっていたのだろうか。ぼくはすぐに、自分の考えをちがうとおもった。だって、エハヴはぼくを、かわいそうだとおもってる。そのしょうこに、かれはぼくに色々な話をきかせてくれた。外の世界のこと。光ある世界のこと。
 神さまのいる世界のこと。
 神様のつくった世界のこと。
 本当に、ぼくを羨んでいると言うのなら、同情したりはしないだろう。
 ぼくの首を絞め、みっともなく涙しながら、この温かだという闇を辞したりはしなかったはずだ。
 ぼくは思い出す。
 今日は空の話をしよう、と謳った彼の声を。
 今日は星の起源に触れよう、と語った彼の声を。

「海ばかりなのに、どうして地球と言うの?」
「元々は溶けた岩石からなる地殻だったからだ」
「世界でいっちばん速い動物は?」
「ハヤブサかな。時速三百キロ以上は出たはずだ」
「神様はどこにいるの?」
 彼は少し考えた後、ぼくの額を指でつついた。
「ここだ」

 あなたの額の奥には、誰がいるの。
 ぼくは最後まで訊ねることができなかった。
 世界の成り立ちを語る彼は、彼自身のことについては、一つだって教えてくれなかったから。
 でも、ぼくはずっと知りたかった。
 世界も、人も、勿論だけれど。
 あなたのことを。
 何よりも。
 ――愛していたんだ。

 これはくだらない回想。
 消える間際に巡る走馬灯のようなもの。
 ぼくは夢を見ている。
 とても美しく、手放しがたい日々への追想だ。

「海は、水でできてる?」
「そうだ。大きな水溜まりを海と呼ぶ。質や規模で湖や沼になるが、皆、根源は神の生み出した水にある」
「じゃあ、透明?」
「ああ。それがどんな色だったか覚えているか?」
「向こう側が透けて見える!」
「正解だ。偉いぞ」
「うふふ。でも、あんまり想像できないの」
「仕方がない。そればかりは」
「覚えたよ。海は、透明」
「ああ。そして深い。内に闇を秘めている。青く見えるのは、青い光だけが水の中を進んでいけるからなんだ。青を薄めたものが水色と呼ばれるが、とはいえ空もまた青いから、必ずしも水にばかり適用されるものでもない」
「空は水溜まりじゃないの?」
「ないな。なのにどうして青いかといえば、これには太陽の光が関係している。白色光、というんだがね、これには虹の六色、つまりは赤、橙、黄、緑、青、紫が点在しているんだ。これらの光は大気中の分子に触れると散乱して広がるんだが、青い光はとりわけ多く拡散する。その光が目に届いているというわけだ」
「んー……むつかしい。もっと簡単に言って?」
「空には色がたくさん散らばっているが、青が一番多いから、オレ達には青く見える。どうだ?」
「わかった。空も海も、青がいっぱい」
「うん。それでいい」
「じゃあ、繋がってる?」
「ん?」
「海と空」
「……もう少し詳しく」
「海は、深いんでしょう? それって、奥行きがあるってことでしょう? 進んでも進んでも、海なんでしょう? それで、青いんでしょう。それでそれで、空も、青いから、そしたらきっと、海の先は空に繋がってるんだよ。だから両方、青い世界なんだ。海を抜けたら空に出るの。……違った?」
「いいや――あながち間違いとは言えないぞ。きっと、誰も成功したことがないだけさ」
「そうでしょう!? やっぱり、そうだと思った! いいなあ、ぼく、行ってみたい。海にも、空にも、入ってみたい。海は魚が泳ぐし、空は鳥が飛ぶんでしょ。ぼく、ちゃんと覚えてるよ。エハヴが教えてくれたこと、ぜーんぶ、覚えてる……エハヴは、行ったこと、ある?」
「――空なら」
「空!」
「でも性に合わなかった。地の底のほうがよっぽど落ち着くよ。ここはいい。何も視なくてすむ」
「ぼくも好きだよ。エハヴが来てくれるから」
「……そうか」
「ぼくね、でもね、いつか、お外、行ってみたいの。あ、あのね、ぼく、ちゃんとわかってるよ。ぼくはここを出ちゃいけないんでしょ。わかってる。でもね、ちょっとだけ、見てみたいの。海も、空も、あとあと、お花、見たい! この前、持ってきてくれたでしょう? 百合の花、とっても甘い匂いがしたよ。だからきっと、とっても甘い色をしてるんだ。ひらひらして、すべすべして、綺麗で、可愛いの」
「うん。そうだな」
「エハヴは、何色なの?」
「オレ?」
「うん。ぼく、エハヴの色も、知りたいな」
「……ここと変わりはしないよ」
「真っ黒なの? かっこいいねえ」
 ぼくは彼の体を探り当てた。
 手の平の感触を確かめる。ひんやりとしている。冷たいのだ。エハヴはいつも、冷えているのだ。そうして、ぼくのことを温かいと言う。ぼくはあたたたかくて、エハヴはつめたい。それってとても、ぴったりだと思う。
 このまま闇に溶けてしまえたらいいのにと、ぼくは何度も考えた。
 二人一緒に黒に混じり合う。
 そうしたら、寂しくなくなるのに。
「もう行くの」
「ああ。すまないな」
「平気だよ。ぼく、お留守番できるもん。ちゃんと……いいこに、してるから。また来てね。ぼく、待ってるからね」
「わかった。約束しよう」
「絶対だよ。ね……」
 両腕を広げたぼくを、彼は極自然な動作で抱きすくめた。頬がくすぐったいのは、髪が触れているからだ。長くてくしゃくしゃの髪。ぼくは彼の顔に手を這わせた。そうして、指先から得た情報を駆使し、脳裏に像を結んでいく。きっと、これはエハヴそのものではないのだろう。しかし、それでいいのだと彼は言う。真実を視ることなど誰にもできはしないのだ、と。
 なすがままにされる彼の額に、ぼくは口付けた。
 ねえ、と呼びかける。
「おとうさんて、呼んでもいい……」
 育てるものを母親と。
 護るものを父親と。
 呼ぶのだとぼくは教わった。慈しまれるのが子供だと。ならぼくは、この人の子でありたい。
 羨ましいと思った。
 この人に愛される誰かを。
 ぼくはその人に――なりたい。
 長い沈黙であった。こうして触れていなければ、いなくなってしまったのかと思うほど。怒ったのか、それとも戸惑っているのか。そのどちらでもなかった。
 彼は呵々と笑ったのである。
 笑いながら――泣いたのだ。
「やめておけ。こんなのを頭上に戴いては、お前のためにならないよ」

 そう言って、ぼくの首に手をかけた。
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