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08-003 完全孤立
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富士川に架かる橋は、横倒しになっていた。この橋をギリギリの高度でかわすと、薬師昌子は落ちると感じるほど一気に高度を下げる。 真藤瑛太は、今回も「ウニャ~!」と意味不明の盛大な叫び声を上げた。
だが、昌子の曲芸初体験だった鬼丸莉子は、あまりの恐怖で叫び声さえ出せなかった。
瑛太と莉子を降ろした昌子は、すぐに離陸する予定だった。
しかし、滑走予定の前方に2台のATVが現れる。想定外の展開に昌子は慌て、瑛太と莉子が警戒する。
莉子がミニミ軽機関銃を構え、瑛太はモスバーグM500のポンプをスライドさせる。
7人は明らかに怯えていた。
「悪いヒトたちが近くにいるの!」
持田緑里の悲鳴は、切迫していた。
富士川右岸にオフロードバイクに乗る一団が現れる。護岸の上から着陸したセスナ170Bを見詰めている。
「お願いです!
私たちを飛行機に乗せてください!」
持田緑里はパニックに近かった。
瑛太が即断する。
「3人だけ。
子供2人とあなた」
持田緑里を指名し、相沢紗綾を残すことにする。落ち着いているからだ。
「あなたは、2人の子供を守るんだ。
俺に約束しろ!」
持田緑里は条件反射的に頷いた。
瑛太がセスナ170Bの乗降ドアを開ける。ヘッドセットを着ける。
「3人乗せる!」
「えっ!
どういうこと?」
「3人を先行して避難させる!
女性1人と子供2人だ!」
「予定にないよ!」
「予定通りはない!」
瑛太が後部座席に百合と桜子を乗せ、前席に持田緑里を乗せる。
「行け!
飛べ!」
そう叫んでから、ヘッドセットを持田緑里に渡す。
相沢義郎と安達聡史は、セスナ170Bの離陸を妨げる意志はなかった。夢中で飛び出しただけ。離陸阻止は結果だった。
莉子が2台の停止位置を変えさせる。どちらも離陸を邪魔しているとは考えていなかった。
セスナ170Bは完全に予定重量を超えていた。昌子はやや困惑していたが、滑走距離を伸ばすことで対応する。それでも滑走距離は25メートルほどだった。
セスナ170Bが離陸した3分後、富士山が噴火する。
真藤瑛太は首をすくめた。鬼丸莉子はしゃがみ込んだ。
護岸上にいるオフロードバイクの集団も明らかに狼狽えている。
この隙を逃すことはできない。瑛太と莉子が、4輪ATVに乗り込み、安達聡史に「川を渡るんだ。左岸で隠れ家を探す」と伝える。
薬師昌子は、噴煙の方向を見ていた。海に向かっている。
セスナ170Bは方向を変え、予定とは違う内陸ルートを選ぶ。ひどく怯えている持田緑里にヘッドセットを着けるよう身振りで知らせ、どうにか着けさせる。
「噴煙を避けるため、群馬方向に飛び、福島に向かいます」
「富士山、爆発しちゃった」
「えぇ、火山ですから。
江戸時代にも噴火しているでしょ」
昌子自身、狼狽えている。だが、落ち着いた素振りをしなければ、パニックになりそうだ。
昌子が上空から発した無線は、全拠点が受信した。茨城県沖を南下していた棚田彩葉たちの船“ブルーホエール”も受信していた。
富士市沖まで、あと19時間から21時間。富士山の噴煙次第では、引き返さなければならない。
14時間後には伊豆半島沖に達する。富士山噴火の影響がわかる。
富士山の噴火は、無線通信の状態を悪化させた。安達聡史は娘たちがスカイパークに着いたことは知ることができたが、それ以上の情報は得られなかった。
娘たちに対する彼の不安は、極限に達していた。
真藤瑛太たち6人は、JR身延緯線井出駅から遠くない集落に身を隠している。
民家はすべて倒壊。動けなくなっている死人を何体か見る。
歪んではいるが崩れてはいない車庫があったので、その下に隠れた。
「富士山の噴火で、空からの救助は無理になった」
瑛太の説明に莉子が小首をかしげる。
「どうして?」
「エンジンは火山灰を吸い込むと、平たく言えば壊れるんだ。
だから、飛行機は飛べない。
レシプロ機ならどうにかなるかもしれないが、それでもやめておいたほうがいい」
「じゃぁ、どうやって脱出するのよ?」
「船だ」
「船?」
「あぁ、ブルーホエールが向かっている」
「それ、何?」
「フィールドが装備している船だ」
「フィールド?」
「スカイパークの拠点だ。
分屯地と同じだよ。
椋木さんの支配下にある」
「えっ、陽人の?」
「あぁ、俺たちが離陸すると同時に、バックアップとして出港した。
今晩一晩頑張れば、明日は海の上だ」
高原の基本は立て籠もりだが、スカイパークは違う。基本、行動範囲を拡大してきた。
それを鬼丸莉子はあまり理解していない。
相沢紗綾が瑛太に話しかける。
「あなたが、真藤さん?」
「そうだ。
とりあえずは接触と考えていたけれど、そんな余裕はなかったね」
地面が揺れる。余震なのか、富士山の活動なのかわからない。それと、大地震と富士山の関係も不明だ。
「でも、助けに来てくれてありがとう」
「助けになるかどうか?
みなさん、武器は?」
拳銃が1挺だけと知り、莉子がため息をつく。もう1挺は持田緑里が持って行ってしまった。
船舶によるバックアップがあることを知らなかった時点で、莉子は主導権を失っている。
実質的な指揮権は、瑛太が掌握する。
スカイパークは、フィールドの存在と棚田彩葉たちの高速船“ソードフィッシュ”の存在は知っていた。
だが、全長48メートルの貨客兼フェリーがあることはまったく知らなかった。
椋木陽人がスカイパークに召喚され、榊原杏奈に厳しく尋問された。
だが、この事態では、ブルーホエールに期待するしかなかった。そうなると、杏奈はプンプン、陽人はニタニタという異様な雰囲気の尋問になってしまった。
この一件でスカイパークにおける陽人の存在感がさらに上昇し、フィールドの活動を知った八丈島グループの数人が参加を七美に打診してきた。
七美はフィールドの存在を知っていたし、陽人のサポートとして何度も飛んでいた。当然、ブルーホエールの存在も知っている。
それどころか、3隻目“オルカ”についても相談を受けていた。
花山百花と俊介は、父親がどこかに行ってしまったことに激しく動揺する。
自動小銃を持つ物騒なグループが現れ、2人はキャンプ場を離れ、夜間に富士川を胸まで水につかりながら徒歩で渡った。
同時に飛行機が飛来したことを知っていて、持田夫妻、安達家族、相沢兄妹と関係がありそうなことも察知していた。
「お姉ちゃん、お父さんはどうするの?」
「お父さんは、大人だから……」
「お父さん、普通じゃないよ」
それは百花も数年前から察知していた。現状と発言が一致しないのだ。注意していないとわからないが、百花と俊介は察知していた。
「お父さんを探すことは無理。
銃を持っているヒトたちがいる」
彼らに姉がつかまれば、何をされるのかは弟にも何となくわかる。父を探すことは、姉を危険にさらすことと同義。
それに、父が向かった先はどこだかわかる。ゲレンデヴァーゲンをとりに行った。
だが、橋が落ちている。数十メートルか数百メートルしか走れない。
現状を理解できないので、彼に残った最後の財産であるクルマにこだわってしまう。知ってはいても、生人が活動し、死人が活性化している地域で武器を持たずに動き回るなど、あり得ない行為だ。
弟を生き残らせるには、他の家族と合流するしかなかった。
16歳の姉は12歳の弟の手を引いて、集落内をくまなく探す。徒歩で……。
姉は弟に無言を強いた。見つかる前に見つけること。百花は、それが生き残りの極意だと信じていた。
弟は空腹で「もう動けないよ」と姉を困らせる。朝、茹でておいたジャガイモを食べている。動けないほどの空腹ではない。
ヒトの声を莉子は聞き逃さなかった。日没まで30分を切っていて、明るいうちに要救援者たちにレーションを食べさせた。
メニューは豊富。スカイパークで製造しているレトルトパックだ。レトルト食品を作るための機材と素材を保有している。
「近くに誰かいる」
莉子の言葉に瑛太が即反応する。
「ここにいて、彼らを守ってくれ。
俺が見てくる」
「気を付けて」
「あぁ」
自然石を積んだ石垣のカーブを曲がると、若い女性と男の子がいた。男の子はしゃがんでいて、女性は立っている。
瑛太は一瞬、対応を迷う。声をかけるか、やり過ごすか。
女性は体格に合わない大きなザックを背負っている。
ここは危険。死人が活性化していて、生人が侵入していて、地震が頻発していて、火山が噴火した。
放っておいたら、数日で生命を落とすだろう。
瑛太は人道的ではないが、見殺しにするほど非人道的でもない。
「おい、そこの2人」
瑛太が姿を見せずに声をかける。女性がしゃがみ、男の子が立ち上がる。
「武器は持っているか?」
男の子は勇敢だった。果物ナイフをポケットから出し、鞘を払う。
「勇気があるな。
だけど、そいつは仕舞うんだ。
ここで何をしている?」
男の子が答える。
「弁護士のおじさんとおばさんを探している」
瑛太が姿を見せる。
「腹、へっているか?」
問いながら、フルーツバーを投げる。ドライフルーツを練り込んだ棒状堅焼きクッキーだ。
男の子が包装を破って、食べる。
「俺の前を歩け」
姉は絶望的な気持ちになった。
同時に、これからされることを覚悟する。
「百花さん?」
「相沢さん……?
よかった会えた」
相沢紗綾の問いに答え、同時に泣き出した。
「お父さんは?」
「わからない……。
どこかに行ってしまったの」
莉子が心配する。
「2人増えたよ。
船は大丈夫?」
「あぁ、ブルーホエールは80人は乗れる」
「えっ!
そんな大きな船なの?」
「全長48メートルある」
「小型のクルーザーみたいなものだと思ってた」
「いや、貨客船兼フェリーだ。大型トラックなら、4台載せられる。
高速複合艇やヒギンズボートも装備している」
「ウソでしょ。
そんな船、どうやって……。
その何とかボートって何?」
「ヒギンズボート。
小型の上陸用舟艇だ」
「そんなものまで……」
「河口付近は、地上も海上も瓦礫だらけ。海からは簡単には近付けない。
どうするか、考えないと……」
俊介は、ハンバーグとタケノコご飯を食べて少し落ち着いた。姉を守ろうと勇気を絞り出し、かなり興奮していた。
興奮が冷めると、ドッと疲れが押し寄せる。彼は4輪ATVの後席で寝てしまった。
「う~ん」
安川恭三は、フィールドとその周辺、南2.5キロにある漁港の動画を榊原杏奈に見せながら唸ってしまう。場所は、代表事務室。
杏奈は、目が点。
「いまのは、彩葉さんたちのソードフィッシュよね。
じゃぁ、この船……?」
「3隻目だろうね」
「ソードフィッシュの3倍はあるわよぉ~」
この曲者女性と話していると、世捨て人を自称する男性でも浮き世に引き戻されてしまう。
「目測だけど、全長50メートル以上はあるね。
55メートルってところかな。
たぶん、フェリーだ。船体後部と前部両舷にランプドアがある。
船体が細いから、意外と速いかもね。エンジンのパワー次第だけど……。このクラスの船でも、100人弱は乗せられる。大型車なら8台はいけるだろう。
船の構造によるけどね」
「それって……」
「我々が保有する装甲車と物資を載せて、遠隔地に行けるってことさ。
超大型輸送機、ルスラーン(アントノフAn-124)やグローブマスター(マクドネル・ダグラスC-17)なんてものを持っていない我々に長距離機動力を与えてくれる」
「……。
で、何が足りないと思う?
安川さんのお立場で?」
ここが杏奈の厄介なところ。常に次の一手を考える。
「整備設備だろうねぇ。
ドックか船台がいる」
「それは厄介ねぇ。
でも、この先のことを考えたら、どうにかしないとねぇ」
「椋木さんをもう一度締め上げたら。
まだ、ここにいるんだろ。
彼の思考は、かなり緻密だよ。フィールドの弱点に気付いていないわけがない」
「まぁ、ねぇ、国分さんも緻密だけど、頭を使う方向がかなり違うし……」
「彼をどうにかして、引き込まないと。
国分さんは大物だよ。
どちらにしても、椋木さんからもっと情報を引き出してくれ」
「わかった」
「満月か?」
真藤瑛太の言葉に百花はどう答えればいいのか戸惑う。年上の男性ではあるが、10歳以上離れていないことはわかる。
「河原を走って行くしかないが、橋の倒壊をどうかわすかだね。
隙間があれば潜れるけど……。
手間取ると、時間が過ぎる」
百花はタメ口がいいか、敬語にするか迷う。
「どんな船なの。
大きい船?」
「大きくはないね。
だけど、この世界で動いている物体としては、最大級かもね。
陽が昇るまで3時間ある。
少し寝たほうがいい」
寝ろと言われても、寝られるわけがない。運命の朝が迫っている。緊張で、ウトウトする程度。しかし、それが大事だ。
「眠れない?」
莉子が起きてきた。陽が昇る1時間前。
「少し寝たよ。
散歩してくる」
「危険だぞ」
「死人には気を付ける。
生人にもね。
役に立ちそうなものを見つけたら、持って帰る」
「30分以内に限ってくれ」
「了解した。
命令に従う」
陽が昇る30分前に、全員が起きてきた。昨夜は寒かった。寒さと緊張で、誰もがほとんど寝れなかった。
「準備をしてくれ。
スープとクッキーだけだが。朝食を用意した。
ここを出た瞬間から、止まることはない。トイレもナシだ。覚悟してほしい」
「バイクの音!」
百花の声に全員が緊張する。
莉子だった。
「いいもの見つけたよ」
瑛太が呆れる。
「ハンターカブか?
カーキ色で、この場に合ってるな」
瑛太の嫌味を莉子が受け流す。
「私が殿〈しんがり〉で援護する」
「生人が襲ってくる?」
「間違いなく」
「1人でできるか?」
「やるしかない」
「無線は常時開けてくれ」
「わかった」
「ガソリンは?」
「満タンにしてきたよ。
こういったこと、なれているんだ。
私は10分後に出発する」
「集合場所は、ブルーホエールと相談して伝える」
ブルーホエールは、海岸から8キロ沖に停泊している。
棚田彩葉は、海上に漂う瓦礫に戸惑っている。
「これ以上は近付けないね」
土谷健介も同感。
「あぁ、これ以上は危険だ。
ドローンを飛ばして、ルートを探る。進めそうならヒギンズボートを出す」
「こりゃダメだな。
上流で雨が降ったんだな」
瑛太の呟きは、誰が見ても同じ意見。富士川の水かさが昨日とは異なり、明らかに増していた。
薬師昌子が着陸した河原は、昨日の半分しか面積がない。大増水ではないが、河原を走る作戦は実行できない。
道路を進むしかない。
「偵察してくる」
莉子の提案は、瑛太は歓迎だった。
「そうしてくれ」
「彩葉さん、河口から2キロくらい沖あたりから、瓦礫があまりないんですよ。
川の流れで押し分けられたような……」
戻ってきた複合艇の報告を聞きながら、彩葉は考える。
「富士川の河口付近は?」
「見てください。
河口にも瓦礫はあります。上流から流れてきたみたいです。ですけど、ある程度水深があるので、遡上できます。ヒギンズボートなら楽勝ですよ」
「橋は?」
「1国、東名、新東名、新幹線、東海道線、富士川橋、全部倒壊しています。だけど、川幅と水量があるのでどこかでかわせます。
第一発電所までは堰がないので、そこまでは遡上できる可能性があります」
彩葉は判断に迷う。
健介に助けを求める。
「どう思う?」
「行けるところまで遡る、方針でいいと思う。
最終目標は、第一発電所。たどり着けないこともある、でいいんじゃないかな。
俺が遡上部隊を指揮するよ」
浅谷陸翔が即断する。
「俺も行く。
物騒なことになったら、健介じゃ心配だ」
ヒギンズボートに乗る遡上部隊は、人員不足からたった4人だった。
銃器も極端に少ない。鮎原この実から篠原七美経由で供給されたホーワM300カービン4挺だけ。
そのうち、遡上部隊には2挺が装備された。
「擁壁はほとんど崩落しているけど、乗り越えていくことはできると思う」
「発電所の下までは行ける?」
「行けるよ。
発電所は3キロくらい下流。
どうして?」
「ブルーホエールから連絡があった。
川を遡るそうだ。増水しているからできるらしい」
「そう?
私たちは?」
「発電所より上流には行けないから、身延線の稲子駅付近の河原で合流したいって……」
全員が2人の会話を聞いている。
外洋を航海するような船が富士川を遡上できるわけがない。それは、莉子にもわかるし、相沢紗綾たちにもわかる。
「遡るって、救命艇とかで……」
莉子の問いにどう答えるか考える。
「ブルーホエールには高速複合艇が積まれている。だけど、富士川の遡上には向かない。プロペラを損傷する可能性が高いから。
ヒギンズボートを使うんだと思う。あれは、ウォータージェット推進の平底船だから」
「その船がなければ、私たちは孤立したってこと?」
「そうだな。
まさか、こんなに早く役に立つとは思わなかったよ。木造の激安船だけど……」
「木造船?」
「そうだよ。
工事現場に放置されていた厚さ20ミリの防水合板で作ったんだ。骨組みはアルミの角形パイプだけどね。接着剤とボルトで組み上げた」
「その防水合板って、集落に運び込まれた……」
「あぁ、それだよ」
「まだあるの?」
「100回空輸しても、減ったことを気付かないくらいね。
見つけたときは雨ざらしだったんだけど、いまは近くの倉庫に移した。でかい貨物輸送機があれば、もっと運べる。
カリブーを回収できなかったことが悔やまれるよ」
「カリブー?」
「カナダ製の双発輸送機。
青森空港にあった」
「そんなところまで、行ってたの?」
「いや、航空偵察だけだ。
さて、行こうか。
鬼丸さん、先導してくれる?」
莉子が頷く。
莉子のハンターカブを先頭に、相沢兄妹の水陸両用8輪バギー、安達聡史、持田太朗、花山百花・俊介姉弟、真藤瑛太が乗る4輪バギーが続く。
身延線に沿っている県道は、身延線が土砂に埋もれていても、県道は無事。だが、県道が崩落している部分があり、埋没している鉄道の上を走ることもあった。電柱は川の方向にすべて倒れている。
鉄道の架線を支えるコンクリート製の柱は西側の道路上に倒れた。この柱は、電柱と比べると半分ほどの太さ。バギーで乗り越えられる。
歩くほどの速さだが、それでも確実に前進している。
生人の動きは見られない。この状況では、掠奪は無理だ。死人は多くない。多くは、倒壊した建物に挟まれていたり、腰まで土砂に埋まっているなど、身動きできない。
1時間30分かけて7キロ進み、発電所に至る。発電所よりも下流に至る行程の多くは、土砂に埋まった身延線上を走った。
河原側にあるコンクリート工場の敷地内に入ると、河原に出るルートがあった。荒れてはいるが、人工的なものだ。発電所の下流2キロ。
ここで、ヒギンズボートを待つことにする。
邂逅地点をブルーホエールに伝える。
遡上部隊は富士川に入ってから、苦闘していた。すべての橋が倒壊しており、倒壊した橋をすり抜けるのに手間取っていた。崩れた橋の残骸に行く手を遮られたり、倒壊した橋桁と川面との隙間が狭いなど、橋に至るたびに足止めされた。
遡上がうまくいかないことは、ブルーホエールを介して、瑛太たちに知らされる。
「待つのは止めだ。
河原を進む。川から離れず下流に向かう。
遡上部隊との合流を早める」
莉子は、瑛太と同じ判断をしていた。
しばらく川岸を走ると、公道ではない未舗装路を見つける。
未舗装路、川岸、公道、河原、未舗装路、公道と進んだが、釜口峡付近で行き止まった。左岸の県道は身延線とともに崩落している。
だが、身延線東側の住宅地の道は使うことができた。芝川との合流部付近で、河原に降りた。河原の未舗装路を走り、崩落している橋の手前で左岸に上がる。
莉子が止まる。理由はわかる。安達聡史が莉子のとなりにバギーを止める。
莉子が呟く。
「新東名が落ちてる……」
進路を塞ぐように横倒している。
莉子が「通れるか見てくる」とハンターカブのスロットルを開ける。
瑛太が時計を見る。ここまで進むのに4時間以上かかっている。生人にも、死人の群にも出くわしていないが、この付近は、まだ津波の影響を感じない。しかし、1キロ下れば様相が一変する。
土谷健介たち遡上部隊は、ようやく新東名の橋梁崩落現場に近付いていた。
橋桁の間をすり抜けた莉子が、近付いてくる箱型のボートを見つける。
ボート側も莉子を見つける。
両者がにらみ合う。
莉子からの無線を受けた瑛太が、彼女が通過したルートをたどって追いかけてきた。
「土谷さ~ん」
「真藤さん、ですかぁ~」
ヒギンズボートが河原に接岸する。
ランプドアが下り、土谷健介が微笑む。
「会えてよかった」
「そうだね。
来てくれて、助かったよ」
「早く乗ってください」
健介の誘導で、すべての車輌をヒギンズボートに載せる。
瑛太は便利だとは聞いていたが、この小艇の意義を改めて認識する。
相沢紗綾は、ブルーホエールに乗船してからパニックに近い恐怖に陥った。
それも、個室に案内され、シャワールームで汗と泥を流してからだった。
突然の妹の変化に、兄である義郎が慌てる。
紗綾は「こんなのおかしい。こんなにうまくいくなんておかしい。これから悪いことが起こる」と泣き叫ぶ。
持田太朗は、妻が心配。だが、極度の緊張か解け、放心状態だった。
花山俊介は、操舵室に案内されはしゃいでいる。
百花は父を心配するが、同時に罪悪感にさいなまれる。
安達聡史は娘たちのことだけを考えている。
だが、昌子の曲芸初体験だった鬼丸莉子は、あまりの恐怖で叫び声さえ出せなかった。
瑛太と莉子を降ろした昌子は、すぐに離陸する予定だった。
しかし、滑走予定の前方に2台のATVが現れる。想定外の展開に昌子は慌て、瑛太と莉子が警戒する。
莉子がミニミ軽機関銃を構え、瑛太はモスバーグM500のポンプをスライドさせる。
7人は明らかに怯えていた。
「悪いヒトたちが近くにいるの!」
持田緑里の悲鳴は、切迫していた。
富士川右岸にオフロードバイクに乗る一団が現れる。護岸の上から着陸したセスナ170Bを見詰めている。
「お願いです!
私たちを飛行機に乗せてください!」
持田緑里はパニックに近かった。
瑛太が即断する。
「3人だけ。
子供2人とあなた」
持田緑里を指名し、相沢紗綾を残すことにする。落ち着いているからだ。
「あなたは、2人の子供を守るんだ。
俺に約束しろ!」
持田緑里は条件反射的に頷いた。
瑛太がセスナ170Bの乗降ドアを開ける。ヘッドセットを着ける。
「3人乗せる!」
「えっ!
どういうこと?」
「3人を先行して避難させる!
女性1人と子供2人だ!」
「予定にないよ!」
「予定通りはない!」
瑛太が後部座席に百合と桜子を乗せ、前席に持田緑里を乗せる。
「行け!
飛べ!」
そう叫んでから、ヘッドセットを持田緑里に渡す。
相沢義郎と安達聡史は、セスナ170Bの離陸を妨げる意志はなかった。夢中で飛び出しただけ。離陸阻止は結果だった。
莉子が2台の停止位置を変えさせる。どちらも離陸を邪魔しているとは考えていなかった。
セスナ170Bは完全に予定重量を超えていた。昌子はやや困惑していたが、滑走距離を伸ばすことで対応する。それでも滑走距離は25メートルほどだった。
セスナ170Bが離陸した3分後、富士山が噴火する。
真藤瑛太は首をすくめた。鬼丸莉子はしゃがみ込んだ。
護岸上にいるオフロードバイクの集団も明らかに狼狽えている。
この隙を逃すことはできない。瑛太と莉子が、4輪ATVに乗り込み、安達聡史に「川を渡るんだ。左岸で隠れ家を探す」と伝える。
薬師昌子は、噴煙の方向を見ていた。海に向かっている。
セスナ170Bは方向を変え、予定とは違う内陸ルートを選ぶ。ひどく怯えている持田緑里にヘッドセットを着けるよう身振りで知らせ、どうにか着けさせる。
「噴煙を避けるため、群馬方向に飛び、福島に向かいます」
「富士山、爆発しちゃった」
「えぇ、火山ですから。
江戸時代にも噴火しているでしょ」
昌子自身、狼狽えている。だが、落ち着いた素振りをしなければ、パニックになりそうだ。
昌子が上空から発した無線は、全拠点が受信した。茨城県沖を南下していた棚田彩葉たちの船“ブルーホエール”も受信していた。
富士市沖まで、あと19時間から21時間。富士山の噴煙次第では、引き返さなければならない。
14時間後には伊豆半島沖に達する。富士山噴火の影響がわかる。
富士山の噴火は、無線通信の状態を悪化させた。安達聡史は娘たちがスカイパークに着いたことは知ることができたが、それ以上の情報は得られなかった。
娘たちに対する彼の不安は、極限に達していた。
真藤瑛太たち6人は、JR身延緯線井出駅から遠くない集落に身を隠している。
民家はすべて倒壊。動けなくなっている死人を何体か見る。
歪んではいるが崩れてはいない車庫があったので、その下に隠れた。
「富士山の噴火で、空からの救助は無理になった」
瑛太の説明に莉子が小首をかしげる。
「どうして?」
「エンジンは火山灰を吸い込むと、平たく言えば壊れるんだ。
だから、飛行機は飛べない。
レシプロ機ならどうにかなるかもしれないが、それでもやめておいたほうがいい」
「じゃぁ、どうやって脱出するのよ?」
「船だ」
「船?」
「あぁ、ブルーホエールが向かっている」
「それ、何?」
「フィールドが装備している船だ」
「フィールド?」
「スカイパークの拠点だ。
分屯地と同じだよ。
椋木さんの支配下にある」
「えっ、陽人の?」
「あぁ、俺たちが離陸すると同時に、バックアップとして出港した。
今晩一晩頑張れば、明日は海の上だ」
高原の基本は立て籠もりだが、スカイパークは違う。基本、行動範囲を拡大してきた。
それを鬼丸莉子はあまり理解していない。
相沢紗綾が瑛太に話しかける。
「あなたが、真藤さん?」
「そうだ。
とりあえずは接触と考えていたけれど、そんな余裕はなかったね」
地面が揺れる。余震なのか、富士山の活動なのかわからない。それと、大地震と富士山の関係も不明だ。
「でも、助けに来てくれてありがとう」
「助けになるかどうか?
みなさん、武器は?」
拳銃が1挺だけと知り、莉子がため息をつく。もう1挺は持田緑里が持って行ってしまった。
船舶によるバックアップがあることを知らなかった時点で、莉子は主導権を失っている。
実質的な指揮権は、瑛太が掌握する。
スカイパークは、フィールドの存在と棚田彩葉たちの高速船“ソードフィッシュ”の存在は知っていた。
だが、全長48メートルの貨客兼フェリーがあることはまったく知らなかった。
椋木陽人がスカイパークに召喚され、榊原杏奈に厳しく尋問された。
だが、この事態では、ブルーホエールに期待するしかなかった。そうなると、杏奈はプンプン、陽人はニタニタという異様な雰囲気の尋問になってしまった。
この一件でスカイパークにおける陽人の存在感がさらに上昇し、フィールドの活動を知った八丈島グループの数人が参加を七美に打診してきた。
七美はフィールドの存在を知っていたし、陽人のサポートとして何度も飛んでいた。当然、ブルーホエールの存在も知っている。
それどころか、3隻目“オルカ”についても相談を受けていた。
花山百花と俊介は、父親がどこかに行ってしまったことに激しく動揺する。
自動小銃を持つ物騒なグループが現れ、2人はキャンプ場を離れ、夜間に富士川を胸まで水につかりながら徒歩で渡った。
同時に飛行機が飛来したことを知っていて、持田夫妻、安達家族、相沢兄妹と関係がありそうなことも察知していた。
「お姉ちゃん、お父さんはどうするの?」
「お父さんは、大人だから……」
「お父さん、普通じゃないよ」
それは百花も数年前から察知していた。現状と発言が一致しないのだ。注意していないとわからないが、百花と俊介は察知していた。
「お父さんを探すことは無理。
銃を持っているヒトたちがいる」
彼らに姉がつかまれば、何をされるのかは弟にも何となくわかる。父を探すことは、姉を危険にさらすことと同義。
それに、父が向かった先はどこだかわかる。ゲレンデヴァーゲンをとりに行った。
だが、橋が落ちている。数十メートルか数百メートルしか走れない。
現状を理解できないので、彼に残った最後の財産であるクルマにこだわってしまう。知ってはいても、生人が活動し、死人が活性化している地域で武器を持たずに動き回るなど、あり得ない行為だ。
弟を生き残らせるには、他の家族と合流するしかなかった。
16歳の姉は12歳の弟の手を引いて、集落内をくまなく探す。徒歩で……。
姉は弟に無言を強いた。見つかる前に見つけること。百花は、それが生き残りの極意だと信じていた。
弟は空腹で「もう動けないよ」と姉を困らせる。朝、茹でておいたジャガイモを食べている。動けないほどの空腹ではない。
ヒトの声を莉子は聞き逃さなかった。日没まで30分を切っていて、明るいうちに要救援者たちにレーションを食べさせた。
メニューは豊富。スカイパークで製造しているレトルトパックだ。レトルト食品を作るための機材と素材を保有している。
「近くに誰かいる」
莉子の言葉に瑛太が即反応する。
「ここにいて、彼らを守ってくれ。
俺が見てくる」
「気を付けて」
「あぁ」
自然石を積んだ石垣のカーブを曲がると、若い女性と男の子がいた。男の子はしゃがんでいて、女性は立っている。
瑛太は一瞬、対応を迷う。声をかけるか、やり過ごすか。
女性は体格に合わない大きなザックを背負っている。
ここは危険。死人が活性化していて、生人が侵入していて、地震が頻発していて、火山が噴火した。
放っておいたら、数日で生命を落とすだろう。
瑛太は人道的ではないが、見殺しにするほど非人道的でもない。
「おい、そこの2人」
瑛太が姿を見せずに声をかける。女性がしゃがみ、男の子が立ち上がる。
「武器は持っているか?」
男の子は勇敢だった。果物ナイフをポケットから出し、鞘を払う。
「勇気があるな。
だけど、そいつは仕舞うんだ。
ここで何をしている?」
男の子が答える。
「弁護士のおじさんとおばさんを探している」
瑛太が姿を見せる。
「腹、へっているか?」
問いながら、フルーツバーを投げる。ドライフルーツを練り込んだ棒状堅焼きクッキーだ。
男の子が包装を破って、食べる。
「俺の前を歩け」
姉は絶望的な気持ちになった。
同時に、これからされることを覚悟する。
「百花さん?」
「相沢さん……?
よかった会えた」
相沢紗綾の問いに答え、同時に泣き出した。
「お父さんは?」
「わからない……。
どこかに行ってしまったの」
莉子が心配する。
「2人増えたよ。
船は大丈夫?」
「あぁ、ブルーホエールは80人は乗れる」
「えっ!
そんな大きな船なの?」
「全長48メートルある」
「小型のクルーザーみたいなものだと思ってた」
「いや、貨客船兼フェリーだ。大型トラックなら、4台載せられる。
高速複合艇やヒギンズボートも装備している」
「ウソでしょ。
そんな船、どうやって……。
その何とかボートって何?」
「ヒギンズボート。
小型の上陸用舟艇だ」
「そんなものまで……」
「河口付近は、地上も海上も瓦礫だらけ。海からは簡単には近付けない。
どうするか、考えないと……」
俊介は、ハンバーグとタケノコご飯を食べて少し落ち着いた。姉を守ろうと勇気を絞り出し、かなり興奮していた。
興奮が冷めると、ドッと疲れが押し寄せる。彼は4輪ATVの後席で寝てしまった。
「う~ん」
安川恭三は、フィールドとその周辺、南2.5キロにある漁港の動画を榊原杏奈に見せながら唸ってしまう。場所は、代表事務室。
杏奈は、目が点。
「いまのは、彩葉さんたちのソードフィッシュよね。
じゃぁ、この船……?」
「3隻目だろうね」
「ソードフィッシュの3倍はあるわよぉ~」
この曲者女性と話していると、世捨て人を自称する男性でも浮き世に引き戻されてしまう。
「目測だけど、全長50メートル以上はあるね。
55メートルってところかな。
たぶん、フェリーだ。船体後部と前部両舷にランプドアがある。
船体が細いから、意外と速いかもね。エンジンのパワー次第だけど……。このクラスの船でも、100人弱は乗せられる。大型車なら8台はいけるだろう。
船の構造によるけどね」
「それって……」
「我々が保有する装甲車と物資を載せて、遠隔地に行けるってことさ。
超大型輸送機、ルスラーン(アントノフAn-124)やグローブマスター(マクドネル・ダグラスC-17)なんてものを持っていない我々に長距離機動力を与えてくれる」
「……。
で、何が足りないと思う?
安川さんのお立場で?」
ここが杏奈の厄介なところ。常に次の一手を考える。
「整備設備だろうねぇ。
ドックか船台がいる」
「それは厄介ねぇ。
でも、この先のことを考えたら、どうにかしないとねぇ」
「椋木さんをもう一度締め上げたら。
まだ、ここにいるんだろ。
彼の思考は、かなり緻密だよ。フィールドの弱点に気付いていないわけがない」
「まぁ、ねぇ、国分さんも緻密だけど、頭を使う方向がかなり違うし……」
「彼をどうにかして、引き込まないと。
国分さんは大物だよ。
どちらにしても、椋木さんからもっと情報を引き出してくれ」
「わかった」
「満月か?」
真藤瑛太の言葉に百花はどう答えればいいのか戸惑う。年上の男性ではあるが、10歳以上離れていないことはわかる。
「河原を走って行くしかないが、橋の倒壊をどうかわすかだね。
隙間があれば潜れるけど……。
手間取ると、時間が過ぎる」
百花はタメ口がいいか、敬語にするか迷う。
「どんな船なの。
大きい船?」
「大きくはないね。
だけど、この世界で動いている物体としては、最大級かもね。
陽が昇るまで3時間ある。
少し寝たほうがいい」
寝ろと言われても、寝られるわけがない。運命の朝が迫っている。緊張で、ウトウトする程度。しかし、それが大事だ。
「眠れない?」
莉子が起きてきた。陽が昇る1時間前。
「少し寝たよ。
散歩してくる」
「危険だぞ」
「死人には気を付ける。
生人にもね。
役に立ちそうなものを見つけたら、持って帰る」
「30分以内に限ってくれ」
「了解した。
命令に従う」
陽が昇る30分前に、全員が起きてきた。昨夜は寒かった。寒さと緊張で、誰もがほとんど寝れなかった。
「準備をしてくれ。
スープとクッキーだけだが。朝食を用意した。
ここを出た瞬間から、止まることはない。トイレもナシだ。覚悟してほしい」
「バイクの音!」
百花の声に全員が緊張する。
莉子だった。
「いいもの見つけたよ」
瑛太が呆れる。
「ハンターカブか?
カーキ色で、この場に合ってるな」
瑛太の嫌味を莉子が受け流す。
「私が殿〈しんがり〉で援護する」
「生人が襲ってくる?」
「間違いなく」
「1人でできるか?」
「やるしかない」
「無線は常時開けてくれ」
「わかった」
「ガソリンは?」
「満タンにしてきたよ。
こういったこと、なれているんだ。
私は10分後に出発する」
「集合場所は、ブルーホエールと相談して伝える」
ブルーホエールは、海岸から8キロ沖に停泊している。
棚田彩葉は、海上に漂う瓦礫に戸惑っている。
「これ以上は近付けないね」
土谷健介も同感。
「あぁ、これ以上は危険だ。
ドローンを飛ばして、ルートを探る。進めそうならヒギンズボートを出す」
「こりゃダメだな。
上流で雨が降ったんだな」
瑛太の呟きは、誰が見ても同じ意見。富士川の水かさが昨日とは異なり、明らかに増していた。
薬師昌子が着陸した河原は、昨日の半分しか面積がない。大増水ではないが、河原を走る作戦は実行できない。
道路を進むしかない。
「偵察してくる」
莉子の提案は、瑛太は歓迎だった。
「そうしてくれ」
「彩葉さん、河口から2キロくらい沖あたりから、瓦礫があまりないんですよ。
川の流れで押し分けられたような……」
戻ってきた複合艇の報告を聞きながら、彩葉は考える。
「富士川の河口付近は?」
「見てください。
河口にも瓦礫はあります。上流から流れてきたみたいです。ですけど、ある程度水深があるので、遡上できます。ヒギンズボートなら楽勝ですよ」
「橋は?」
「1国、東名、新東名、新幹線、東海道線、富士川橋、全部倒壊しています。だけど、川幅と水量があるのでどこかでかわせます。
第一発電所までは堰がないので、そこまでは遡上できる可能性があります」
彩葉は判断に迷う。
健介に助けを求める。
「どう思う?」
「行けるところまで遡る、方針でいいと思う。
最終目標は、第一発電所。たどり着けないこともある、でいいんじゃないかな。
俺が遡上部隊を指揮するよ」
浅谷陸翔が即断する。
「俺も行く。
物騒なことになったら、健介じゃ心配だ」
ヒギンズボートに乗る遡上部隊は、人員不足からたった4人だった。
銃器も極端に少ない。鮎原この実から篠原七美経由で供給されたホーワM300カービン4挺だけ。
そのうち、遡上部隊には2挺が装備された。
「擁壁はほとんど崩落しているけど、乗り越えていくことはできると思う」
「発電所の下までは行ける?」
「行けるよ。
発電所は3キロくらい下流。
どうして?」
「ブルーホエールから連絡があった。
川を遡るそうだ。増水しているからできるらしい」
「そう?
私たちは?」
「発電所より上流には行けないから、身延線の稲子駅付近の河原で合流したいって……」
全員が2人の会話を聞いている。
外洋を航海するような船が富士川を遡上できるわけがない。それは、莉子にもわかるし、相沢紗綾たちにもわかる。
「遡るって、救命艇とかで……」
莉子の問いにどう答えるか考える。
「ブルーホエールには高速複合艇が積まれている。だけど、富士川の遡上には向かない。プロペラを損傷する可能性が高いから。
ヒギンズボートを使うんだと思う。あれは、ウォータージェット推進の平底船だから」
「その船がなければ、私たちは孤立したってこと?」
「そうだな。
まさか、こんなに早く役に立つとは思わなかったよ。木造の激安船だけど……」
「木造船?」
「そうだよ。
工事現場に放置されていた厚さ20ミリの防水合板で作ったんだ。骨組みはアルミの角形パイプだけどね。接着剤とボルトで組み上げた」
「その防水合板って、集落に運び込まれた……」
「あぁ、それだよ」
「まだあるの?」
「100回空輸しても、減ったことを気付かないくらいね。
見つけたときは雨ざらしだったんだけど、いまは近くの倉庫に移した。でかい貨物輸送機があれば、もっと運べる。
カリブーを回収できなかったことが悔やまれるよ」
「カリブー?」
「カナダ製の双発輸送機。
青森空港にあった」
「そんなところまで、行ってたの?」
「いや、航空偵察だけだ。
さて、行こうか。
鬼丸さん、先導してくれる?」
莉子が頷く。
莉子のハンターカブを先頭に、相沢兄妹の水陸両用8輪バギー、安達聡史、持田太朗、花山百花・俊介姉弟、真藤瑛太が乗る4輪バギーが続く。
身延線に沿っている県道は、身延線が土砂に埋もれていても、県道は無事。だが、県道が崩落している部分があり、埋没している鉄道の上を走ることもあった。電柱は川の方向にすべて倒れている。
鉄道の架線を支えるコンクリート製の柱は西側の道路上に倒れた。この柱は、電柱と比べると半分ほどの太さ。バギーで乗り越えられる。
歩くほどの速さだが、それでも確実に前進している。
生人の動きは見られない。この状況では、掠奪は無理だ。死人は多くない。多くは、倒壊した建物に挟まれていたり、腰まで土砂に埋まっているなど、身動きできない。
1時間30分かけて7キロ進み、発電所に至る。発電所よりも下流に至る行程の多くは、土砂に埋まった身延線上を走った。
河原側にあるコンクリート工場の敷地内に入ると、河原に出るルートがあった。荒れてはいるが、人工的なものだ。発電所の下流2キロ。
ここで、ヒギンズボートを待つことにする。
邂逅地点をブルーホエールに伝える。
遡上部隊は富士川に入ってから、苦闘していた。すべての橋が倒壊しており、倒壊した橋をすり抜けるのに手間取っていた。崩れた橋の残骸に行く手を遮られたり、倒壊した橋桁と川面との隙間が狭いなど、橋に至るたびに足止めされた。
遡上がうまくいかないことは、ブルーホエールを介して、瑛太たちに知らされる。
「待つのは止めだ。
河原を進む。川から離れず下流に向かう。
遡上部隊との合流を早める」
莉子は、瑛太と同じ判断をしていた。
しばらく川岸を走ると、公道ではない未舗装路を見つける。
未舗装路、川岸、公道、河原、未舗装路、公道と進んだが、釜口峡付近で行き止まった。左岸の県道は身延線とともに崩落している。
だが、身延線東側の住宅地の道は使うことができた。芝川との合流部付近で、河原に降りた。河原の未舗装路を走り、崩落している橋の手前で左岸に上がる。
莉子が止まる。理由はわかる。安達聡史が莉子のとなりにバギーを止める。
莉子が呟く。
「新東名が落ちてる……」
進路を塞ぐように横倒している。
莉子が「通れるか見てくる」とハンターカブのスロットルを開ける。
瑛太が時計を見る。ここまで進むのに4時間以上かかっている。生人にも、死人の群にも出くわしていないが、この付近は、まだ津波の影響を感じない。しかし、1キロ下れば様相が一変する。
土谷健介たち遡上部隊は、ようやく新東名の橋梁崩落現場に近付いていた。
橋桁の間をすり抜けた莉子が、近付いてくる箱型のボートを見つける。
ボート側も莉子を見つける。
両者がにらみ合う。
莉子からの無線を受けた瑛太が、彼女が通過したルートをたどって追いかけてきた。
「土谷さ~ん」
「真藤さん、ですかぁ~」
ヒギンズボートが河原に接岸する。
ランプドアが下り、土谷健介が微笑む。
「会えてよかった」
「そうだね。
来てくれて、助かったよ」
「早く乗ってください」
健介の誘導で、すべての車輌をヒギンズボートに載せる。
瑛太は便利だとは聞いていたが、この小艇の意義を改めて認識する。
相沢紗綾は、ブルーホエールに乗船してからパニックに近い恐怖に陥った。
それも、個室に案内され、シャワールームで汗と泥を流してからだった。
突然の妹の変化に、兄である義郎が慌てる。
紗綾は「こんなのおかしい。こんなにうまくいくなんておかしい。これから悪いことが起こる」と泣き叫ぶ。
持田太朗は、妻が心配。だが、極度の緊張か解け、放心状態だった。
花山俊介は、操舵室に案内されはしゃいでいる。
百花は父を心配するが、同時に罪悪感にさいなまれる。
安達聡史は娘たちのことだけを考えている。
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