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Capture08
08-002 直線で350キロ
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薬師昌子と篠原七美による富士市航空偵察は、地震発生の3日後に行われた。
ゾンビ事変発生から5年が経過する頃には、都市部でも自然に回帰する様子が上空からでもわかるようになってくる。
台風や豪雨があると、道路や鉄道が被害を受けるが、復旧されることはない。幹線道路であっても寸断されている。
今回は地震で、駿河湾沿岸に甚大な被害があった。
地震発生から6日目。昨夕から降り始めた雨は、翌夕になっても止まない。
地震被害の当事者である3家族7人は、この時期の主な食糧である山菜を探しに行くことができない。
山中の隠れ家で、屋根の雨音に怯えている。7人全員が2つのテーブルに集まり、雨音に邪魔されながら、無線を聴いている。
[七美、富士山を越えたんだろ?]
[正式な報告が回ると思うけど、正直、すごかったよ]
[七美と昌子さんは、どこまで飛んだの?]
[昌子さんは命令から逸脱することはないからね。って言うより、命令の出所が昌子さんの可能性がある。
昌子さんが提案して、杏奈さんが発しているんじゃないかな]
[あのネェちゃん怖いからな]
[未来は苦手?
昌子さんのこと]
[苦手だね]
[昌子さん、彼氏いないよ。
未来も彼女いないでしょ。
付き合っちゃえば]
[やだね]
[まぁ、いいけど。
沼津市から富士市まで。ランドマークとしては、狩野川から富士川の西岸まで、かな]
[紙の地図を見ているよ。
Googlemapなくなっちゃったからね。
で、どうだった?]
[壊滅だね。倒壊していない建造物は何もない、感じ。
家は潰れ、ビルは倒壊し、橋は落ちちゃっている。東名は古い方も新しい方も、どっちも倒れていた]
[地震で?]
[地震で半分、津波で半分、かもしれない。
地震でどうなったか、津波はどうだったかがわからないから……]
[陸は移動できそう?]
[道は、市道や県道、国道に限らず、崩落、陥没、亀裂がひどいから、連続した道としては使えないと思う]
[そんな状態なんだ]
[津波は死人を海に連れていった。
だから、死人の姿を見なかった。数は少なくなったかも……]
[いなくなった?]
[死人はどこにでもいるよ。
地域の死人がいなくなっても、どこからかやってくる。一時的に少なくなっただけ]
[そっちのこれからの方針は?]
[生存者がいて望まれれば、保護する方針だけど……]
[生人を拾うと面倒だぞ]
[確かに。
現実は厳しくて、付近には飛行機を着陸させる場所がないの。
静岡空港は大井川の西だし、富士川滑空場に降りられないか上空から見たけど、津波の影響だと思うけど、瓦礫がひどくて無理ね]
[降りる場所がないの?]
[そう。
昌子さんは、富士川の砂州か河川敷に着陸できるって言ってるけど……]
[あのネェちゃん、狂ってるって話だし。
あの真藤さんがチビッちまったことがあったみたいだ。
本人から聞いた]
[砂州に着陸するなんて、杏奈さんが許可しないよ]
[そうだよな]
[だけど、昌子さん、セスナ170Bを回送したんだよ]
[何が違うの?
普通のセスナと?]
[尾輪式なの。タイヤを大型化して、不整地でも着陸できるようにするって。
この機のエンジンは、コンチネンタルの6気筒からライカミングの4気筒に変更されていた]
[ヘリは?]
[ロビンソンじゃ無理。
ベルは飛べるかも。整備の進み具合次第ね]
[現実は?]
[飛べるとしたら、オッターとセスナ170Bだけかな]
[やるとしても、危険な任務になるな]
[超危険な任務ね]
[七美は?]
[実施するなら、私は志願する]
その後、無線が途絶えた。最後までは聞けなかったし、所々わからない部分があった。
持田緑里が「助けに来てくれないかな」と呟くと、百合が「そこって、学校があるんでしょ」と。
ホワイトベースのことは、安達聡史も知っていた。百合と桜子に希望を持たせたくて、おとぎ話の世界のように話したことがある。「連絡を取って、救助をお願いできればいいんだけど……」
持田夫妻は、ホワイトベースのことはまったく知らなかった。
そして、通信を聴いても懐疑的だった。職業柄、ヒトの悪意に敏感。武器もあるし、戦う覚悟もある。
だが、食糧探しに苦戦していて、先行きに希望がなかった。
大きなグループへの参加は魅力であり、同時に恐怖だった。
安達聡史は、2人の娘のために大きなグループに合流したかった。盛岡のサンクチュアリを目指していたが、あまりにも遠かった。
ホワイトベースの所在地は不明で、向かいようがなかった。
相沢兄妹は、1年ほど前からホワイトベースを気にしていた。ただ、実態がわからず、連絡を躊躇っていた。無線を聴いていると荒唐無稽なほどの巨大グループに感じるからだ。
百合が「学校に行きたい!」と叫ぶ。桜子が「私も!」と。
安達聡史は、躊躇うときは過ぎたと決意している。
「無線機はバギーに積んである。
私たちは明日の夜、ホワイトベースに連絡するつもりだ」
相沢義郎が「では、私たちも一緒に」と言い、紗綾が頷く。
持田夫妻は顔を見合わせ、どう判断するか迷っている。今夜、初めてホワイトベースの名を知ったばかりだからだ。
「明日の夜までに決めます。
もし、ホワイトベースが信じられないとなった場合、私と紗綾はここを去ることにします。
そのときは、駐車場に残っている軽自動車を使ってもいいですか?」
その軽自動車は、外見からは動かないと判断するしかない代物だった。
どちらにしても、クルマでは遠くに行けない。川にあたれば橋が落ちているから、クルマを捨てるしかない。
橋の多い日本では、基本徒歩での移動になる。5年間放置されているクルマは、簡単には動かない。
ホワイトベースに連絡をしようとするが、無線機の出力不足なのか応答がなかった。
応答はないが、相沢紗綾が用件を伝えた。
[私は相沢紗綾です。
駿河湾沿岸からかなり離れた山の中に避難しています。
地震で何もかも失いました。建物はすべて倒壊しました。
ホワイトベースのみなさん、どうか私たちを助けてください。
お願いします]
この無線は、スカイパークと分屯地が受信する。規則により、救援を求める連絡には原則として、その場では応答しない。
生人の罠である可能性が残るからだ。
宗教系や政治系は、粗暴系の生人よりも悪質でなかなか見破れない。粗暴系は状況描写が巧妙だが、上手くつながりすぎて違和感を感じる。
だが、宗教系や政治系は、受信者に心理的な同調を求めてくる傾向があり、受信者の経験が浅いと簡単に欺される。
だから、即応答はせず、録音を聞き直して、精密な分析を行うことになっている。
真藤瑛太は、今回の地震にともなう救援隊員に選抜されていた。
彼は鮎原この実に「こき使いやがって!」と気持ちを語っているが、彼女以外には愚痴を伝えていない。
一方、篠原七美は外れた。危険な任務なので、子育て中の母親は不適とされた。
彼女は椋木陽人に「何でよ!」とキレていた。しかし、対外的には不満は一切伝えなかった。
救援隊は5人で編制された。空港グループで元警察官の吾妻風子、高原グループで最初期メンバーの鬼丸莉子、街グループの指導者である安西琢磨、分屯地から向田未来、スカイパークから真藤瑛太が参加する。
分屯地から向田未来が派遣されることから、臨時にスカイパークから椋木陽人が出向くことになった。
真藤瑛太は向田未来を除くと、他の救援隊員とはほぼ初見。名前と顔が一致する程度。
しかし、彼がスカイパークにおける“大物”であることは誰もが知っている。
瑛太はスカイパークの代表である榊原杏奈を格納庫前で捕まえ、人選の基準を質した。
「代表、うちからの隊員は何で俺なの?」
「当然でしょ。
ここの幹部なんだから!」
瑛太はそうは思わない。
「いやぁ、ただの酷使要員でしょ」
救援隊の初会議では、吾妻風子から「連絡があった救援希望者の事情を伺ってみましょう。真藤さん、今夜、呼びかけてください」と決まった。
決定事項はこれだけだった。
[相沢紗綾さん、応答願います。
こちらは、ホワイトベース。
相沢紗綾さん、応答願います。
こちらは、ホワイトベース]
相沢義郎は狼狽えた。無線に飛びつきたいが、紗綾でなくていいのかと躊躇う。
だけど、安達聡史が「出たほうがいいよ」と促す。紗綾は身体を拭いている。すぐには出られない。
[私は、紗綾の兄の義郎です。
紗綾は近くにいますが、すぐには出られません]
[安達義郎さん、私はホワイトベースのレッドフォックスです。申し訳ありませんが、本名は名乗れません。
容赦してください]
[アカキツネさん、あなたは本当にホワイトベースの方ですか?]
[証明はできません。
信じていただくしか……]
[助けていただけますか?]
[その方向で検討していますが、直線で350キロの距離があることと、あなたたちが悪しき生存者である可能性があるので、簡単には結論が出せません]
[それは、お互い様で……]
[そこで、2人を派遣します。
みなさんの様子を拝見します。その上で、判断します]
[私たちはどうすれば……?]
[私たちがみなさんの近くまで行きます。
待ち合わせの場所まで、迎えに来てください]
[わかりました……]
[最初にお伝えしておきますが、私たちは相当に大きい戦力を持っています。
お忘れなく]
[脅しですか?]
[その通りです。
今後も連絡を取り合うか、ここでやめるか検討してください。
明日また、同じ時間に連絡します]
[いや、1時間後にしてください。
食べるものは山菜しかないんです。小さな子もいます。再交信は、1時間後にお願いできませんか?]
[了解しました。
では、1時間後に]
1時間後の打ち合わせ相手は、相沢紗綾だった。スカイパークからの救援隊員2名の受け入れを了承したことと、天候次第だが明日の日の出とともに接触を実施することも決まった。
生人に傍受されることを恐れ、待ち合わせ場所は南部町福士付近の富士川の右岸とだけ決めた。
この場所は、偵察の結果によるスカイパークからの要求だった。
薬師昌子が操縦するセスナ170Bは、主輪と尾輪を大きな直径のバルーンタイヤに換装している。主脚柱には強力なショックアブソーバーを取り付けた。尾輪については、支柱を延長する改造を行った。
滑走路ではない不整地・荒れ地に着陸するためだ。
救援希望者との最初の接触は、極めて危険。相手のことがわからないからだ。近くなら、陸路で圧倒的な戦力を送れるのだが、今回は空路。しかも、大型ヘリコプターは整備・再生途中で使えないので、固定翼機に頼るしかない。しかも、近くにある唯一の滑走路は地震と津波で使用不能。
富士川の河原に着陸するしかない。
パイロットは自動的に薬師昌子に決まる。偵察隊員には、鬼丸莉子、向田未来、安西琢磨が志願する。
もちろん、真藤瑛太は志願なんてしない。
だが、指揮官の吾妻風子は、鬼丸莉子と真藤瑛太に偵察を命じる。
瑛太は「チッ」と声を出し、不満を表現したがそれ以上は何も言わなかった。
「真藤さんは、横須賀から福島まで陸路でやって来た。
この付近をウロウロしている私たちよりも、はるかに経験豊富。
最適任」
瑛太が「いやいや、国分さんのほうが適任でしょ。富山から来たんだから」と矛盾を突く。
「国分兼広さんは、スカイパークの正規住民ではないから……」
「それに、国分さんはイチゴ狩り農園で忙しいしね。
あのヒト、イチゴをエサにおネェさんを集める気だったみたいだけど、小さなお客さんばかりで完全にあてが外れたみたいだし……。
面白いヒトよね」
鬼丸莉子が「凄腕のライフルマンらしいよ」と。
それは事実で、物資確保の作業中に死人に囲まれてしまい、中長距離、近接戦闘のどちらでも高い戦闘力を見せつけた。
そのときは、瑛太も一緒だったので、よく知っている。
瑛太がいない間は、国分兼広がフォローしてくれる。それだけの実力がある人物だ。
使命感や責任感に関しては、かなり疑問だが……。
瑛太は昌子が操縦する飛行機を何度か乗っている。そのたびに「死ぬぅ~」と叫んでいる。
今回は道路ではなく、河原に着陸する。本当に死ぬかもしれない。
昌子の操縦技量が高いことは知っているが、河原に着陸なんてあり得ない。
昨年の篠原七美の誕生日に、椋木陽人は宝飾店で手に入れた値札が340万円のネックレスをプレゼントするつもりだった。
もちろん、物資調達中に見つけたもで、そこそこの危険を冒している。
だが、七美は「私は飛行機がほしい!」と言った。陽人に「絶対手に入れてね」とも。
無理に決まっているが、無理とは言えない。見つけたとしても、個人所有機なんてあり得ない。榊原杏奈が許すはずがない。安川恭三たちのDHC-3オッターでさえ、スカイパークのために使われている。
それでも、プレゼントを確保した事実は七美に示さなければならない。
陽人は個人的に棚田彩葉たちを支援している。スカイパーク上層部は、近・中距離移動は回転翼機、長距離偵察は固定翼機に傾注している。
岩手沖などで魚を捕る活動は、副次的と考えている。実際、ダムでの魚の養殖は上々の成果を出している。
食材の拡大としては意味があるが、食糧確保の主力ではない。空輸以外の方法がないので、大量に水揚げしても輸送方法がない。
船舶グループの棚田彩葉、土谷健介、浅谷陸翔、今里瑠理の4人に、礼文グループの伏見陽太、小宮良一を加えた6人は、太平洋岸に“フィールド”と呼ばれる非公式の拠点を確保していた。
フィールドの確保後、メンバーが増え、現在は14人になっている。
全員が何かしら海や船と関係がある。
確保している船舶は、船外機付き25フィート(7.62メートル)以下の小型艇5、最大船速35ノット(時速65キロ)の70フィート(21メートル)高速遊漁船1。これは、棚田彩葉と今里利里が乗ってきた船。
そして、全長48メートル、全幅12メートル、貨客船兼フェリーという特異な船を確保していた。
船橋は船体のほぼ中央にあり、前部にクレーンを備え貨物を積載できる。船速は15ノット(時速25キロ)と遅い。最後部と船体前部両舷にランプドアを備え、12メートルトラックなら4台を載せられる。
2隻の救命艇のうち1隻を、高速複合艇に交換。貨物デッキには、10メートルの平底木造船が積まれている。合板で囲まれた簡潔な船で、2基の300馬力ウォータージェット船外機によって推進される。
独自設計・建造だが、部品の多くはプレジャーボートからもらった。
フィールドは、分屯地の電力安定化のために蓄電池を探していて偶然見つけた。
フェンスに囲まれていて、フェンス内に400メートルの滑走路と格納庫がある。何かの研究施設らしいが、よくわからない。
400メートルという短い滑走路では、よほどのSTOL(短距離離着陸)性能がなければ離着陸できない。
滑走路上にセスナ208Bスーパーカーゴマスター単発貨物機が、滑走路から離れてデ・ハビランド・カナダDHC-6ツインオッターが放棄されていた。
ツインオッターは前脚が損傷していたが、修理可能だった。
格納庫内には、海上自衛隊のスバルT-5単発4座練習機が残置されていた。ターボプロップの小型機で、多発大型機のパイロット養成用練習機だ。
陽人は、これを七美へのプレゼントにするつもりだった。もちろん、不可能は承知。
陽人は七美に「誕生日のプレゼントを見つけたよ」と、日の丸を描いた白い機体のT-5練習機の画像を見せる。
スマートフォンを見詰める七美は、疑いの目で「えぇ~、こんな素敵な飛行機、絶対に取られちゃうよ。だけど、陽人の努力は認めて、あ・げ・る」と言ってくくれた。
七美に対しては腑抜け同然の陽人だが、彼はスカイパークにおいて一定の発言力を有している。
榊原杏奈でも彼の意見は無視できない。
だから、非公式ながらフィールドはスカイパークによって維持されている。
棚田彩葉がセスナ172Sで飛来した椋木陽人に詰め寄る。
「真藤さんが、富士川の西に行くんでしょ。誰かを助けに行くんでしょ。
飛行機じゃ無理な場合もあるよ。
飛行機は天気に弱いから。
船も使えば作戦の援護にもなる」
「わかっている。
昌子さんのパイロットとしての腕は信じている。だけど、何があるかわからない。350キロも離れているんだ。何かあっても助けは来ない。
そのできない役目は、きみたちしかできない」
「じゃぁ?」
「準備して。
責任は俺が持つ」
「それは気になるね」
昌子の報告に杏奈の顔が曇る。
昌子も心配している。
「宝永第3火口からの煙が水蒸気なのか、噴煙なのか……」
「白いのよね。
煙は?」
「はい……。
地震の影響でしょうか?
噴火したら……」
「飛行機は使えないわね。
作戦を早めましょう」
「明日の朝、離陸します」
鮎原この実は今回の作戦を心配するが、可奈、沙奈、美佐の3人はそうでもない。死人に噛まれても転移しなかった瑛太を、不死身だと信じている。
この実が「誰かを助けることはいいことだけど、何かあっても誰も瑛太を助けられないんだよ。
私じゃ、河原に着陸なんてできない」と泣き出しそうな顔をする。
瑛太はこの実以上に心配だった。
「あぁ、あの鬼丸っておネェさん、エッチに飢えてそう」
「えぇ~?」
「バカじゃないの?
そういうことしたら、殺しちゃうから」
「俺を?」
「うぅん、鬼丸莉子。
私のほうが強いと思う」
瑛太はすでに、相沢紗綾に向けて「明日、9時、ローソン南福士店付近で待つ。天候悪化の場合は中止」と一方的に伝えた。
分屯地に戻っていた椋木陽人に「救援作戦発起」の連絡が入る。
同時に陽人は、棚田彩葉に秘密支援作戦発起を命じた。問題が起こらなければ、燃料を消費するだけだ。その燃料も簿外で手に入れている。
日の出とともに離陸。
薬師昌子と鬼丸莉子は、離陸と同時に世間話を始め、しゃべりっぱなし。
真藤瑛太は、景色を眺めている。
富士山に異変を感じる。ヘッドセットを着けて、昌子に話しかける。
「富士山、ヘンじゃないか?」
「水蒸気のような真っ白の噴煙だったんだけどね。
今日は、ちょっと灰色」
「噴火してんのか?
そんなこと聞いてねぇぞ」
「噴火かどうかわからなかったんだよ。
だけど、噴火っぽい」
「富士山が噴火したらどうなるんだ?」
「噴火のレベルによるよ。
だけど、不安があったから作戦発起を早めたんだ」
「チッ!
そういうことはちゃんと説明しろよ」
莉子が少し怒る。
「文句が多いね」
「悪かったなぁ~」
昌子の着陸は、いつにも増してすごかった。着陸滑走距離は20メートルほど。
前席の莉子が降り、後席の瑛太が続く。予定では、そのまま昌子は離陸するはずだった。
相沢紗綾は飛行機が飛んでくると聞いて、相談の結果、全員が一緒に脱出することに決した。地震によって活性化した死人が、隠れ家付近に現れたことと、自動小銃らしい武器を持つグループが現れたからだ。
生人を目撃した持田緑里は、この隠れ家は早晩見つかると判断。彼女の判断は、誰も反対しなかった。
死人は怖いが、生人はもっと怖い。法がない世界だから、どんな残虐なことでもあり得る。
「富士川まで、何時間かかるかわからない」
相沢義郎の推測は正しい。5キロほどの道のりだが、橋はすべて落ちているし、道は陥没、亀裂、土砂崩れで寸断されている。
「このルートなら、橋は1カ所だけ」
持田太朗が紙の地図を示す。民家で見つけた貴重な付近の住宅地図だ。
「そのルートをとるにしても、障害物は橋だけじゃない。道もかなりやられているはず。
土砂崩れの可能性がある場所がいくつもある」
相沢義郎には私案があった。だが、彼自身確信がない。
「自信はないんだが、福士川の川底を走る。私たちのATVなら走れるんじゃないかな?」
安達聡史が同意。
「私もそれを考えていたんだ。
福士川は川幅があるし、大きな岩を避けて走れば、何とかなると思う。
河原に降りる道がいくつかあるし、護岸が崩れていたら、そこから降りてもいい」
持田夫妻は無言。
問題は、唯一の橋をどうやって渡るかだった。
持田太朗がもう一度地図をなぞる。
「ここルートだと、福士川まで橋を渡らない」 右岸ではなく左岸のルートだ。
相沢義郎が賛成する。
「確かに。
福士川に出たら河床を走って、富士川に出よう」
倒壊していない建物は、ごく例外。そのため、富士川に出ても長時間隠れていられる場所がない。
その点が、3家族7人の不安だった。
5キロの道のりなら、登山道でもない限り大人なら1時間ほどで歩ける。
到着が早すぎても不安だし、遅すぎると飛行機は離陸してしまうかもしれない。
だから、約束の4時間前に出発する。
歩くよりも遅い速度で、山を下る。百合と桜子は、後席でおとなしい。持田緑里が2人を抱いている。
安達聡史の隣は持田太朗。
先行は、8輪水陸両用ATVに乗る相沢兄妹。
橋がないとして選んだルートにも橋があった。ただ、東西方向の橋は全部落ちているが、南北方向の場合はズレているだけの状態もあった。
橋がないとして選んだルートの橋は南北方向で、落ちそうではあるが落ちてはいなかった。
相沢車から渡り、安達車が続く。安達車が渡り終え、数秒後に西側に大きく傾く。
橋が発した音に驚き、振り向く。全員が肝を冷やす。
地震以前から土砂崩れはあった。路肩が崩れている場所もあった。だが、地震によって、そういった被災カ所がさらにひどくなっている。
また、倒木よりも倒れた電柱のほうが多い。民家の庭や畑跡を通って、前進する。
途中で擁壁が大きく崩れていて、道が完全に埋まっていた。
やむなく側道に入ると、河原に出る。護岸がなく、自然の川岸だが、崩れていた。川の水量は多くない。
ここから、川に入った。
想定していたよりも簡単に、福士川に至ることができた。
それでも、2時間かかっていた。
邂逅予定まで残り2時間。
福士川の河床は、相対的比較だが走りにくくはなかった。実際、河床に降りてから1時間ほどで富士川との合流部に至る。
河原に覆い被さる木枝の下で、彼らは飛行機を待った。
ゾンビ事変発生から5年が経過する頃には、都市部でも自然に回帰する様子が上空からでもわかるようになってくる。
台風や豪雨があると、道路や鉄道が被害を受けるが、復旧されることはない。幹線道路であっても寸断されている。
今回は地震で、駿河湾沿岸に甚大な被害があった。
地震発生から6日目。昨夕から降り始めた雨は、翌夕になっても止まない。
地震被害の当事者である3家族7人は、この時期の主な食糧である山菜を探しに行くことができない。
山中の隠れ家で、屋根の雨音に怯えている。7人全員が2つのテーブルに集まり、雨音に邪魔されながら、無線を聴いている。
[七美、富士山を越えたんだろ?]
[正式な報告が回ると思うけど、正直、すごかったよ]
[七美と昌子さんは、どこまで飛んだの?]
[昌子さんは命令から逸脱することはないからね。って言うより、命令の出所が昌子さんの可能性がある。
昌子さんが提案して、杏奈さんが発しているんじゃないかな]
[あのネェちゃん怖いからな]
[未来は苦手?
昌子さんのこと]
[苦手だね]
[昌子さん、彼氏いないよ。
未来も彼女いないでしょ。
付き合っちゃえば]
[やだね]
[まぁ、いいけど。
沼津市から富士市まで。ランドマークとしては、狩野川から富士川の西岸まで、かな]
[紙の地図を見ているよ。
Googlemapなくなっちゃったからね。
で、どうだった?]
[壊滅だね。倒壊していない建造物は何もない、感じ。
家は潰れ、ビルは倒壊し、橋は落ちちゃっている。東名は古い方も新しい方も、どっちも倒れていた]
[地震で?]
[地震で半分、津波で半分、かもしれない。
地震でどうなったか、津波はどうだったかがわからないから……]
[陸は移動できそう?]
[道は、市道や県道、国道に限らず、崩落、陥没、亀裂がひどいから、連続した道としては使えないと思う]
[そんな状態なんだ]
[津波は死人を海に連れていった。
だから、死人の姿を見なかった。数は少なくなったかも……]
[いなくなった?]
[死人はどこにでもいるよ。
地域の死人がいなくなっても、どこからかやってくる。一時的に少なくなっただけ]
[そっちのこれからの方針は?]
[生存者がいて望まれれば、保護する方針だけど……]
[生人を拾うと面倒だぞ]
[確かに。
現実は厳しくて、付近には飛行機を着陸させる場所がないの。
静岡空港は大井川の西だし、富士川滑空場に降りられないか上空から見たけど、津波の影響だと思うけど、瓦礫がひどくて無理ね]
[降りる場所がないの?]
[そう。
昌子さんは、富士川の砂州か河川敷に着陸できるって言ってるけど……]
[あのネェちゃん、狂ってるって話だし。
あの真藤さんがチビッちまったことがあったみたいだ。
本人から聞いた]
[砂州に着陸するなんて、杏奈さんが許可しないよ]
[そうだよな]
[だけど、昌子さん、セスナ170Bを回送したんだよ]
[何が違うの?
普通のセスナと?]
[尾輪式なの。タイヤを大型化して、不整地でも着陸できるようにするって。
この機のエンジンは、コンチネンタルの6気筒からライカミングの4気筒に変更されていた]
[ヘリは?]
[ロビンソンじゃ無理。
ベルは飛べるかも。整備の進み具合次第ね]
[現実は?]
[飛べるとしたら、オッターとセスナ170Bだけかな]
[やるとしても、危険な任務になるな]
[超危険な任務ね]
[七美は?]
[実施するなら、私は志願する]
その後、無線が途絶えた。最後までは聞けなかったし、所々わからない部分があった。
持田緑里が「助けに来てくれないかな」と呟くと、百合が「そこって、学校があるんでしょ」と。
ホワイトベースのことは、安達聡史も知っていた。百合と桜子に希望を持たせたくて、おとぎ話の世界のように話したことがある。「連絡を取って、救助をお願いできればいいんだけど……」
持田夫妻は、ホワイトベースのことはまったく知らなかった。
そして、通信を聴いても懐疑的だった。職業柄、ヒトの悪意に敏感。武器もあるし、戦う覚悟もある。
だが、食糧探しに苦戦していて、先行きに希望がなかった。
大きなグループへの参加は魅力であり、同時に恐怖だった。
安達聡史は、2人の娘のために大きなグループに合流したかった。盛岡のサンクチュアリを目指していたが、あまりにも遠かった。
ホワイトベースの所在地は不明で、向かいようがなかった。
相沢兄妹は、1年ほど前からホワイトベースを気にしていた。ただ、実態がわからず、連絡を躊躇っていた。無線を聴いていると荒唐無稽なほどの巨大グループに感じるからだ。
百合が「学校に行きたい!」と叫ぶ。桜子が「私も!」と。
安達聡史は、躊躇うときは過ぎたと決意している。
「無線機はバギーに積んである。
私たちは明日の夜、ホワイトベースに連絡するつもりだ」
相沢義郎が「では、私たちも一緒に」と言い、紗綾が頷く。
持田夫妻は顔を見合わせ、どう判断するか迷っている。今夜、初めてホワイトベースの名を知ったばかりだからだ。
「明日の夜までに決めます。
もし、ホワイトベースが信じられないとなった場合、私と紗綾はここを去ることにします。
そのときは、駐車場に残っている軽自動車を使ってもいいですか?」
その軽自動車は、外見からは動かないと判断するしかない代物だった。
どちらにしても、クルマでは遠くに行けない。川にあたれば橋が落ちているから、クルマを捨てるしかない。
橋の多い日本では、基本徒歩での移動になる。5年間放置されているクルマは、簡単には動かない。
ホワイトベースに連絡をしようとするが、無線機の出力不足なのか応答がなかった。
応答はないが、相沢紗綾が用件を伝えた。
[私は相沢紗綾です。
駿河湾沿岸からかなり離れた山の中に避難しています。
地震で何もかも失いました。建物はすべて倒壊しました。
ホワイトベースのみなさん、どうか私たちを助けてください。
お願いします]
この無線は、スカイパークと分屯地が受信する。規則により、救援を求める連絡には原則として、その場では応答しない。
生人の罠である可能性が残るからだ。
宗教系や政治系は、粗暴系の生人よりも悪質でなかなか見破れない。粗暴系は状況描写が巧妙だが、上手くつながりすぎて違和感を感じる。
だが、宗教系や政治系は、受信者に心理的な同調を求めてくる傾向があり、受信者の経験が浅いと簡単に欺される。
だから、即応答はせず、録音を聞き直して、精密な分析を行うことになっている。
真藤瑛太は、今回の地震にともなう救援隊員に選抜されていた。
彼は鮎原この実に「こき使いやがって!」と気持ちを語っているが、彼女以外には愚痴を伝えていない。
一方、篠原七美は外れた。危険な任務なので、子育て中の母親は不適とされた。
彼女は椋木陽人に「何でよ!」とキレていた。しかし、対外的には不満は一切伝えなかった。
救援隊は5人で編制された。空港グループで元警察官の吾妻風子、高原グループで最初期メンバーの鬼丸莉子、街グループの指導者である安西琢磨、分屯地から向田未来、スカイパークから真藤瑛太が参加する。
分屯地から向田未来が派遣されることから、臨時にスカイパークから椋木陽人が出向くことになった。
真藤瑛太は向田未来を除くと、他の救援隊員とはほぼ初見。名前と顔が一致する程度。
しかし、彼がスカイパークにおける“大物”であることは誰もが知っている。
瑛太はスカイパークの代表である榊原杏奈を格納庫前で捕まえ、人選の基準を質した。
「代表、うちからの隊員は何で俺なの?」
「当然でしょ。
ここの幹部なんだから!」
瑛太はそうは思わない。
「いやぁ、ただの酷使要員でしょ」
救援隊の初会議では、吾妻風子から「連絡があった救援希望者の事情を伺ってみましょう。真藤さん、今夜、呼びかけてください」と決まった。
決定事項はこれだけだった。
[相沢紗綾さん、応答願います。
こちらは、ホワイトベース。
相沢紗綾さん、応答願います。
こちらは、ホワイトベース]
相沢義郎は狼狽えた。無線に飛びつきたいが、紗綾でなくていいのかと躊躇う。
だけど、安達聡史が「出たほうがいいよ」と促す。紗綾は身体を拭いている。すぐには出られない。
[私は、紗綾の兄の義郎です。
紗綾は近くにいますが、すぐには出られません]
[安達義郎さん、私はホワイトベースのレッドフォックスです。申し訳ありませんが、本名は名乗れません。
容赦してください]
[アカキツネさん、あなたは本当にホワイトベースの方ですか?]
[証明はできません。
信じていただくしか……]
[助けていただけますか?]
[その方向で検討していますが、直線で350キロの距離があることと、あなたたちが悪しき生存者である可能性があるので、簡単には結論が出せません]
[それは、お互い様で……]
[そこで、2人を派遣します。
みなさんの様子を拝見します。その上で、判断します]
[私たちはどうすれば……?]
[私たちがみなさんの近くまで行きます。
待ち合わせの場所まで、迎えに来てください]
[わかりました……]
[最初にお伝えしておきますが、私たちは相当に大きい戦力を持っています。
お忘れなく]
[脅しですか?]
[その通りです。
今後も連絡を取り合うか、ここでやめるか検討してください。
明日また、同じ時間に連絡します]
[いや、1時間後にしてください。
食べるものは山菜しかないんです。小さな子もいます。再交信は、1時間後にお願いできませんか?]
[了解しました。
では、1時間後に]
1時間後の打ち合わせ相手は、相沢紗綾だった。スカイパークからの救援隊員2名の受け入れを了承したことと、天候次第だが明日の日の出とともに接触を実施することも決まった。
生人に傍受されることを恐れ、待ち合わせ場所は南部町福士付近の富士川の右岸とだけ決めた。
この場所は、偵察の結果によるスカイパークからの要求だった。
薬師昌子が操縦するセスナ170Bは、主輪と尾輪を大きな直径のバルーンタイヤに換装している。主脚柱には強力なショックアブソーバーを取り付けた。尾輪については、支柱を延長する改造を行った。
滑走路ではない不整地・荒れ地に着陸するためだ。
救援希望者との最初の接触は、極めて危険。相手のことがわからないからだ。近くなら、陸路で圧倒的な戦力を送れるのだが、今回は空路。しかも、大型ヘリコプターは整備・再生途中で使えないので、固定翼機に頼るしかない。しかも、近くにある唯一の滑走路は地震と津波で使用不能。
富士川の河原に着陸するしかない。
パイロットは自動的に薬師昌子に決まる。偵察隊員には、鬼丸莉子、向田未来、安西琢磨が志願する。
もちろん、真藤瑛太は志願なんてしない。
だが、指揮官の吾妻風子は、鬼丸莉子と真藤瑛太に偵察を命じる。
瑛太は「チッ」と声を出し、不満を表現したがそれ以上は何も言わなかった。
「真藤さんは、横須賀から福島まで陸路でやって来た。
この付近をウロウロしている私たちよりも、はるかに経験豊富。
最適任」
瑛太が「いやいや、国分さんのほうが適任でしょ。富山から来たんだから」と矛盾を突く。
「国分兼広さんは、スカイパークの正規住民ではないから……」
「それに、国分さんはイチゴ狩り農園で忙しいしね。
あのヒト、イチゴをエサにおネェさんを集める気だったみたいだけど、小さなお客さんばかりで完全にあてが外れたみたいだし……。
面白いヒトよね」
鬼丸莉子が「凄腕のライフルマンらしいよ」と。
それは事実で、物資確保の作業中に死人に囲まれてしまい、中長距離、近接戦闘のどちらでも高い戦闘力を見せつけた。
そのときは、瑛太も一緒だったので、よく知っている。
瑛太がいない間は、国分兼広がフォローしてくれる。それだけの実力がある人物だ。
使命感や責任感に関しては、かなり疑問だが……。
瑛太は昌子が操縦する飛行機を何度か乗っている。そのたびに「死ぬぅ~」と叫んでいる。
今回は道路ではなく、河原に着陸する。本当に死ぬかもしれない。
昌子の操縦技量が高いことは知っているが、河原に着陸なんてあり得ない。
昨年の篠原七美の誕生日に、椋木陽人は宝飾店で手に入れた値札が340万円のネックレスをプレゼントするつもりだった。
もちろん、物資調達中に見つけたもで、そこそこの危険を冒している。
だが、七美は「私は飛行機がほしい!」と言った。陽人に「絶対手に入れてね」とも。
無理に決まっているが、無理とは言えない。見つけたとしても、個人所有機なんてあり得ない。榊原杏奈が許すはずがない。安川恭三たちのDHC-3オッターでさえ、スカイパークのために使われている。
それでも、プレゼントを確保した事実は七美に示さなければならない。
陽人は個人的に棚田彩葉たちを支援している。スカイパーク上層部は、近・中距離移動は回転翼機、長距離偵察は固定翼機に傾注している。
岩手沖などで魚を捕る活動は、副次的と考えている。実際、ダムでの魚の養殖は上々の成果を出している。
食材の拡大としては意味があるが、食糧確保の主力ではない。空輸以外の方法がないので、大量に水揚げしても輸送方法がない。
船舶グループの棚田彩葉、土谷健介、浅谷陸翔、今里瑠理の4人に、礼文グループの伏見陽太、小宮良一を加えた6人は、太平洋岸に“フィールド”と呼ばれる非公式の拠点を確保していた。
フィールドの確保後、メンバーが増え、現在は14人になっている。
全員が何かしら海や船と関係がある。
確保している船舶は、船外機付き25フィート(7.62メートル)以下の小型艇5、最大船速35ノット(時速65キロ)の70フィート(21メートル)高速遊漁船1。これは、棚田彩葉と今里利里が乗ってきた船。
そして、全長48メートル、全幅12メートル、貨客船兼フェリーという特異な船を確保していた。
船橋は船体のほぼ中央にあり、前部にクレーンを備え貨物を積載できる。船速は15ノット(時速25キロ)と遅い。最後部と船体前部両舷にランプドアを備え、12メートルトラックなら4台を載せられる。
2隻の救命艇のうち1隻を、高速複合艇に交換。貨物デッキには、10メートルの平底木造船が積まれている。合板で囲まれた簡潔な船で、2基の300馬力ウォータージェット船外機によって推進される。
独自設計・建造だが、部品の多くはプレジャーボートからもらった。
フィールドは、分屯地の電力安定化のために蓄電池を探していて偶然見つけた。
フェンスに囲まれていて、フェンス内に400メートルの滑走路と格納庫がある。何かの研究施設らしいが、よくわからない。
400メートルという短い滑走路では、よほどのSTOL(短距離離着陸)性能がなければ離着陸できない。
滑走路上にセスナ208Bスーパーカーゴマスター単発貨物機が、滑走路から離れてデ・ハビランド・カナダDHC-6ツインオッターが放棄されていた。
ツインオッターは前脚が損傷していたが、修理可能だった。
格納庫内には、海上自衛隊のスバルT-5単発4座練習機が残置されていた。ターボプロップの小型機で、多発大型機のパイロット養成用練習機だ。
陽人は、これを七美へのプレゼントにするつもりだった。もちろん、不可能は承知。
陽人は七美に「誕生日のプレゼントを見つけたよ」と、日の丸を描いた白い機体のT-5練習機の画像を見せる。
スマートフォンを見詰める七美は、疑いの目で「えぇ~、こんな素敵な飛行機、絶対に取られちゃうよ。だけど、陽人の努力は認めて、あ・げ・る」と言ってくくれた。
七美に対しては腑抜け同然の陽人だが、彼はスカイパークにおいて一定の発言力を有している。
榊原杏奈でも彼の意見は無視できない。
だから、非公式ながらフィールドはスカイパークによって維持されている。
棚田彩葉がセスナ172Sで飛来した椋木陽人に詰め寄る。
「真藤さんが、富士川の西に行くんでしょ。誰かを助けに行くんでしょ。
飛行機じゃ無理な場合もあるよ。
飛行機は天気に弱いから。
船も使えば作戦の援護にもなる」
「わかっている。
昌子さんのパイロットとしての腕は信じている。だけど、何があるかわからない。350キロも離れているんだ。何かあっても助けは来ない。
そのできない役目は、きみたちしかできない」
「じゃぁ?」
「準備して。
責任は俺が持つ」
「それは気になるね」
昌子の報告に杏奈の顔が曇る。
昌子も心配している。
「宝永第3火口からの煙が水蒸気なのか、噴煙なのか……」
「白いのよね。
煙は?」
「はい……。
地震の影響でしょうか?
噴火したら……」
「飛行機は使えないわね。
作戦を早めましょう」
「明日の朝、離陸します」
鮎原この実は今回の作戦を心配するが、可奈、沙奈、美佐の3人はそうでもない。死人に噛まれても転移しなかった瑛太を、不死身だと信じている。
この実が「誰かを助けることはいいことだけど、何かあっても誰も瑛太を助けられないんだよ。
私じゃ、河原に着陸なんてできない」と泣き出しそうな顔をする。
瑛太はこの実以上に心配だった。
「あぁ、あの鬼丸っておネェさん、エッチに飢えてそう」
「えぇ~?」
「バカじゃないの?
そういうことしたら、殺しちゃうから」
「俺を?」
「うぅん、鬼丸莉子。
私のほうが強いと思う」
瑛太はすでに、相沢紗綾に向けて「明日、9時、ローソン南福士店付近で待つ。天候悪化の場合は中止」と一方的に伝えた。
分屯地に戻っていた椋木陽人に「救援作戦発起」の連絡が入る。
同時に陽人は、棚田彩葉に秘密支援作戦発起を命じた。問題が起こらなければ、燃料を消費するだけだ。その燃料も簿外で手に入れている。
日の出とともに離陸。
薬師昌子と鬼丸莉子は、離陸と同時に世間話を始め、しゃべりっぱなし。
真藤瑛太は、景色を眺めている。
富士山に異変を感じる。ヘッドセットを着けて、昌子に話しかける。
「富士山、ヘンじゃないか?」
「水蒸気のような真っ白の噴煙だったんだけどね。
今日は、ちょっと灰色」
「噴火してんのか?
そんなこと聞いてねぇぞ」
「噴火かどうかわからなかったんだよ。
だけど、噴火っぽい」
「富士山が噴火したらどうなるんだ?」
「噴火のレベルによるよ。
だけど、不安があったから作戦発起を早めたんだ」
「チッ!
そういうことはちゃんと説明しろよ」
莉子が少し怒る。
「文句が多いね」
「悪かったなぁ~」
昌子の着陸は、いつにも増してすごかった。着陸滑走距離は20メートルほど。
前席の莉子が降り、後席の瑛太が続く。予定では、そのまま昌子は離陸するはずだった。
相沢紗綾は飛行機が飛んでくると聞いて、相談の結果、全員が一緒に脱出することに決した。地震によって活性化した死人が、隠れ家付近に現れたことと、自動小銃らしい武器を持つグループが現れたからだ。
生人を目撃した持田緑里は、この隠れ家は早晩見つかると判断。彼女の判断は、誰も反対しなかった。
死人は怖いが、生人はもっと怖い。法がない世界だから、どんな残虐なことでもあり得る。
「富士川まで、何時間かかるかわからない」
相沢義郎の推測は正しい。5キロほどの道のりだが、橋はすべて落ちているし、道は陥没、亀裂、土砂崩れで寸断されている。
「このルートなら、橋は1カ所だけ」
持田太朗が紙の地図を示す。民家で見つけた貴重な付近の住宅地図だ。
「そのルートをとるにしても、障害物は橋だけじゃない。道もかなりやられているはず。
土砂崩れの可能性がある場所がいくつもある」
相沢義郎には私案があった。だが、彼自身確信がない。
「自信はないんだが、福士川の川底を走る。私たちのATVなら走れるんじゃないかな?」
安達聡史が同意。
「私もそれを考えていたんだ。
福士川は川幅があるし、大きな岩を避けて走れば、何とかなると思う。
河原に降りる道がいくつかあるし、護岸が崩れていたら、そこから降りてもいい」
持田夫妻は無言。
問題は、唯一の橋をどうやって渡るかだった。
持田太朗がもう一度地図をなぞる。
「ここルートだと、福士川まで橋を渡らない」 右岸ではなく左岸のルートだ。
相沢義郎が賛成する。
「確かに。
福士川に出たら河床を走って、富士川に出よう」
倒壊していない建物は、ごく例外。そのため、富士川に出ても長時間隠れていられる場所がない。
その点が、3家族7人の不安だった。
5キロの道のりなら、登山道でもない限り大人なら1時間ほどで歩ける。
到着が早すぎても不安だし、遅すぎると飛行機は離陸してしまうかもしれない。
だから、約束の4時間前に出発する。
歩くよりも遅い速度で、山を下る。百合と桜子は、後席でおとなしい。持田緑里が2人を抱いている。
安達聡史の隣は持田太朗。
先行は、8輪水陸両用ATVに乗る相沢兄妹。
橋がないとして選んだルートにも橋があった。ただ、東西方向の橋は全部落ちているが、南北方向の場合はズレているだけの状態もあった。
橋がないとして選んだルートの橋は南北方向で、落ちそうではあるが落ちてはいなかった。
相沢車から渡り、安達車が続く。安達車が渡り終え、数秒後に西側に大きく傾く。
橋が発した音に驚き、振り向く。全員が肝を冷やす。
地震以前から土砂崩れはあった。路肩が崩れている場所もあった。だが、地震によって、そういった被災カ所がさらにひどくなっている。
また、倒木よりも倒れた電柱のほうが多い。民家の庭や畑跡を通って、前進する。
途中で擁壁が大きく崩れていて、道が完全に埋まっていた。
やむなく側道に入ると、河原に出る。護岸がなく、自然の川岸だが、崩れていた。川の水量は多くない。
ここから、川に入った。
想定していたよりも簡単に、福士川に至ることができた。
それでも、2時間かかっていた。
邂逅予定まで残り2時間。
福士川の河床は、相対的比較だが走りにくくはなかった。実際、河床に降りてから1時間ほどで富士川との合流部に至る。
河原に覆い被さる木枝の下で、彼らは飛行機を待った。
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