大絶滅 2億年後 -原付でエルフの村にやって来た勇者たち-

半道海豚

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第2章 東エルフィニア

02-011 モモの実

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 耕介と健吾は、たびたびフェミ川北岸の探査を行っていた。
 North46の水混じりの原油は必要なくなっていた。低オクタン価だがガソリンはドワーフから入手できる。オクタン価を上げるために、使用の直前にエタノールを混合している。
 推定オクタン価は87。2億年前のレギュラーガソリン89よりは低いが、使える。
 燃料の成分変更のため、排気ガスを浄化する三元触媒は撤去するしかなかった。

 予測の通り、モモは3年目で実を付けた。収穫はわずかな量だったが、キャンプの全員分にはどうにか足りた。
 秋になれば、ナシが実る。

 耕介と健吾はこの付近のエルフ社会について、重要な事柄に気付いている。
 エルフは論理的な思考をする。それゆえか、宗教的観念がない。フェミ川北岸を恐れていて、魔獣を妖怪のように考えているのだが、妖怪は実在しないが魔獣は存在する。
 生態がわからないので、ある種の神秘性を感じているだけだ。
 エルフには神の概念がない。自然を超越する存在を認めていない。当然だが、宗教が存在しない。宗教を根源とする対立軸もない。宗教に根ざした倫理観もない。
 それが原因か否かは不明だが、根拠のない差別が存在しない。
 世俗的以外の対立軸がないからなのか、争い事が少ない。ヒトから進化したエルフは多分にヒト的要素を残しており、世俗的な対立である利益の争奪や欲望の追求はあるのだから、言論と暴力の両方で争議はある。しかし、全体としては少ない。
 エルフ社会における階級は存在するが、それは霊長類によく見られるもの。やや複雑なだけ。
 耕介と健吾は、ヒトであることでエルフから見下されたことはない。
 耕介は「乱暴者」と避けられ、健吾は「女ったらし」と蔑まれるが、それは亜子や彩華が意図的に広めた情報。
 ヒトとか、エルフとか、ドワーフとか、種に関わることとは無関係。

 ヒトが望んで、手に入れられなかった差別のない社会がエルフの世界だ。
 だから、耕介と健吾にとって、2億年後はそれなりに快適だった。

 心美とレスティは、健吾と彩華と一緒に住んでいる。
 耕介はフィオラと共に生活し、亜子はシルカと母屋に住んでいる。耕介は不本意だが、彼はシルカにふられたことになっている。
 男性が女性戦士に刃物を送る行為は、求愛行動と同じらしい。耕介は使っていないサバイバルナイフをシルカに渡したが、彼には愛の告白の意志などなかった。
 習慣を知らなかっただけ。
 にもかかわらず、シルカに「こっぴどく袖にされた」ことになっている。

 この頃、健吾は「無線を使うヒトはいない」と結論し、無線封止は完全に解除していた。
 そして、短波は使っていないが、ごく近距離の無線通信は頻繁に使用している。

 物資の回収は、驚くほどの成果はないが、必要以上の結果は得られていた。
 2輪車では、排気量125ccのオフロードバイクとモンキー125を確保。50ccのスクーターであるズーマーも手に入れた。
 4輪では、リズのジムニーシエラと同型・同塗色だが、ボルトオンターボ付きの別車を回収している。

 救助したのは4人。オーストリア出身の父と双子の姉弟。そして、金髪碧眼だが、日本国籍の男性1人。
 佐内フリッツは、見かけとは異なりコテコテの関西人で、看護師であり、救急救命士だった。
 キャンプでの生活にもすぐに適応し、言葉の習得に苦労しながらもモンテス少佐の診療所で働いている。
 彼は、キャンプのメンバーが発する無線を頼りに北岸にやって来た。そして、対岸から救助を求める赤い発煙弾を打ち上げた。
 それに気付いた耕介が、健吾とともに向かった。
 彼は5年間、1人で生きてきたという。偶然無線を拾い、意を決して発信源を求めてフェミ川北岸までやって来た。
 彼の無線は送信機が壊れており、受信しかできなかった。
 一緒に2億年後に来た愛犬とは1年前に死に別れており、それ以後は正真正銘の独りぼっちだったという。
 彼の移動手段は、旧型ジムニーシエラの1300ccエンジンを同型1600ccに載せ替えた改造車だった。
 このクルマがなければ、フェミ川以北での行動は不可能だっただろう。

 問題はオーストリア出身の親子で、父親の思考には差別的傾向が強く、差別という概念が乏しいエルフ社会にはまったく馴染まなかった。
 フリッツとは異なり、さほどの苦労をしておらず、偶然出会った耕介と健吾の誘いに乗って同行しただけだった。

 耕介と健吾は親子を救助したと考えていたが、父親はそうは思っていなかった。
 キャンプのメンバーとの折り合いが悪く、同時にエルフに対する態度もひどかった。

 キャンプの実質的なリーダーである亜子は、耕介に「早く追い出せ」と迫っていた。
 健吾はヒマワリの採油が終わったら、ホルテレンまで連れていきヒトの油商にでも引き渡そうと画策していた。
 だが、事態は日々悪化しており、それまで待てそうになかった。

 キャンプの誰もが、この金融アナリストだという男に対して腹を立てていたからだ。
 ただ、娘のエルマは心美たちと仲がよかった。エルマがレスティと楽しそうにしていると、父親は露骨に不愉快な態度を見せた。
 また、双子の姉弟に手を上げることがあった。キャンプの面々は虐待の臭いを感じていた。

 キャンプは、相変わらずキャンプのままで、恒久的な建造物は、シルカの両親が残した母屋だけだった。
 この頃、モンテス少佐はフィオラの父親から木造の物置小屋を借り、そこを掃除して診療所にしていた。
 この小屋は、キャンプからだと徒歩で15分くらいの距離だった。
 その理由だが、エルフの4つの国のうち、東側のトレウェリとメルディがシンガザリに抗う姿勢を見せ始めていたからだ。
 抵抗の象徴とも言える建国したばかりの東エルフィニアは不安定だった。
 少佐は「ヒトは少数派。まとまっていたほうが安全」と。それに、旧診療所の家主から立ち退きを迫られていた。

 穏やかだった3年間は終わろうとしていた。また、争いの季節が始まりかけている。
 だから、耕介と健吾の北岸探査は、真夏の外気よりも熱を帯びていた。

「どう思う?」
 健吾の問いに、耕介は正面から答えなかった。
「あれは、1990年代後期のデリカトラックだ」
 そんなことは、健吾にもわかる。聞きたいのはそこじゃない。だが、健吾も曲者で、質問を変える。
「この状況で、スカートってどうよ」
 魔獣、聖獣、妖獣、神獣がいる物騒な土地で、スカートで生活するとはいささか場違い。
 ここは、フェミ川北岸。魔境と呼ばれる恐ろしい場所。
 双眼鏡のレンズの先にいる女性は、この地の特性をよく理解しているように感じる。耕介や健吾よりも、精通しているかもしれない。
 それゆえの余裕なのか、膝丈のスカートを履き、モコモコのジャケットを羽織り、キャンプの用意をしている。
 彼女は森を背にせず、周辺では最も広い草原の中央で、しかも周囲よりも若干高い、近くに水場がない場所を選んでいた。
 つまり、魔境に棲む動物の行動様式をよく知っているのだ。
 耕介はデリカトラックの荷台に興味があった。
「荷台のテントだが……」
「確かに立派なテントだ。
 あれは、キャンピングカーじゃない。
 少々デカイがバグトラックというやつか?」
 快適そうに見えるそのテントには、オーニングシェードがあり、手動で展張されると、広い面積を覆った。
 スカート姿の女性は、その下でキャンプの準備をしている。

 耕介と健吾は、女性に声をかけるべきか否か迷っていた。
 距離があるので聞こえないが、女性はラジオのような機械で何かを聞いている。ハンドトーキーにしては大きすぎる装置は、アンテナが立てられていて、ラジオを聴いているように感じるのだ。
 もちろん、ラジオ放送なんてないから、雰囲気を楽しんでいるだけだろう。あるいは、本物の放送を録音してあり、それを再生しているのかもしれない。

 声がけを迷う理由の1つが、彼女が1人であること。1人で生き抜くことは容易ではない。ほぼ不可能。
 ならば、声をかけるべき。
 だが、女性は非常に落ち着いており、何かを恐れている様子がない。現在の状況に適応していることは明らか。
 ことさら声がけして、不安を煽る必要はない。
 それに、耕介や健吾たちにもリスクがある。彼女が善人とは限らない。
 耕介は声がけせず立ち去ることに傾いているが、健吾は本能的に声をかけるべきではないかと感じていた。

 ナナリコは、身体はキャンプの支度に集中しているが、耳だけは無線に向かっていた。
 ときどき聞こえてくる無線からの声に誘われて、東に向かいながら、電波が強くなる南へと進路を転じて4日目だった。
 無線の声は、最初は空電との聞き分けができないほどの状態だった。だが、大気の状態か、あるいは電離層の状態か、理由は不明だが、一瞬だが、はっきりと聞こえた。
 それは、信じがたいことだが日本語だった。
 ベース・ワンとクルーザー間との通信だったが、それは夫婦の会話のようでもあった。
 2人の名も覚えてしまった。
 ケンゴとアヤカ。アヤカが上位にあり、ケンゴは下位。無線の様子から、そのように感じている。

 健吾は、彩華からの呼びかけに脊髄反社的に応じた。
「ベース・ワン、クルーザー、応答を乞う」
「クルーザー」
「状況は?」
「俺も耕介も無事だ。
 いま、観察している」
「何を?」
「チェックのスカートを履いた、お姉さん」
「え?
 バカなの?
 バカだとは思っているけどね」

 ナナリコは、無線からの声に驚く。ケンゴとアヤカは、日本語を解する誰かがいないことを前提に通信している。
 いつもそうだ。
 だから、何でも話す。
 そして、チェックのスカートを履く誰かをケンゴが見ている。
 それは、自分だと確信する。
 こんな物騒な場所で、スカートを履いているなんて、彼女しかいない。
 いるはずがない。
 と、思うと同時に動いていた。

「あれ、お姉さんが急に動いたぞ。
 金属バットを構えている」
 健吾の声に彩華が呆れる。
「どういうこと?
 どこかの家を覗いているの?」
「いや、北岸にいる。
 川岸から35キロ北。
 草原のど真ん中に、煙突が生えた幌トラがキャンプの支度をしているんだ」

 ナナリコは泣き出したかった。
 自分が誰かに見られていて、その相手がどこにいるのかわからない。
 恐怖でパニックに陥りそうだ。

 耕介は、彼女の行動が健吾と彩華との会話と同期しているように感じた。
「まさか?」
 耕介の呟きに健吾が反応する。
「何が?」
「健吾と彩華の通信に、彼女が反応している」

 ナナリコはオーニングシェードをたたみ、物資の多くを残して北に退避する決意を固めた。
 撤収で一番手間取るオーニングシェードには、問題があると認識していたが、それが現実となってしまった。
 オーニングシェードを格納しなければ、クルマを動かせない。

「健吾、行くぞ」
「あぁ、逃げられちまう」
「捕まえる気か?」
「そうじゃない。
 声をかけるだけ」
「ナンパじゃないいぞ」
「わかっているさ」

 距離は300メートル以上離れている。
 耕介と健吾は立ち上がり、草丈1メートルを超える草原に身をさらす。狙撃される危険を冒す覚悟をしている。
 もちろん、ボディアーマーとヘルメットを装着した完全装備だ。
 銃だけは対魔獣を想定して、猟銃を使っている。銃を手放すことはない。それは、死ぬときだけ。

 ナナリコには、武器らしいものはほとんどなかった。
 シャベル、斧、金属バット。
 2人の男が近付いてくる。
 彼女は恐ろしかった。その恐怖から、金属バットを構える。

 耕介と錦吾は、50メートルの距離をおいて止まる。
「俺は耕介。
 こいつは健吾。
 言葉はわかるか?」
 耕介は、迷わず日本語で話しかける。彼女が日本語を解すらしいことは、行動でわかっていた。

「何?
 何の用?」
 ナナリコは自分の声が震えていることを十分に理解していた。奇妙な動物は怖くない。習性がわかれば避けられる。
 しかし、ヒトは違う。ヒトは根源的に恐ろしい生き物。ヒトにも、動物にも。

 体格のいい耕介では、威圧がありすぎるので、健吾が変わる。
「1人のようだけど、大丈夫か?
 食べ物はあるか?」
 健吾がザックを背から下ろし、モモを取り出す。

 ナナリコは、モモを見て泣き出してしまった。サバイバルの知識は十分に養ってきたが、2億年後はそんな知識が役に立たない世界だった。
 動植物は2億年前とまったく異なり、食用になる植物がまったく識別できない。
 実のなる樹木はなく、既知の食用になる草本は存在しない。
 例外は、サケ・マスに似た魚だけ。
 彼女も動物性タンパクを魚に頼っていた。だが、食糧確保は限界に達しつつあった。だから、3年間すごした安全な住処を離れて、危険を冒して、無線に誘われて発信源を探す旅に出た。

 そして、発信者と邂逅し、モモを受け取った。

 ナナリコは怯えているが、パニックになってはいなかった。落ち着いてはいないが、思考は正常な状態にある。
 物騒な体格の男と、優男風の人物はあまりにも対照的。油断はできない。

 耕介がランクル・ピックアップを運んできた。
 今夜は、ここでキャンプする。それ以外の選択肢はない。
 魔獣は夜行性ではないが、夜間でも行動する。チャンスがあれば、捕食行動を躊躇わない。
 昼夜警戒すべき対象だが、相対的に夜間は安全。

 耕介と健吾は、ナナリコにパンとスープを渡したが、それ以上は関与しようとしなかった。
 近接してキャンプしているが、それ以上の関係は持たないようにしている。
 理由は、ナナリコの警戒と恐怖にあった。

 助手席の健吾がバックミラーで、後方を確認する。
「ついてきている」
「あぁ」
「怯えようが尋常じゃない」
 健吾の意見に耕介は完全同意だった。
「誰かに何かをされたのだろう」
「そうだな。
 では、なぜついてくる?」
 当然の答えを健吾が求めるので、耕介はややイラついた。
「決まってるだろ。
 限界なんだ。
 1人じゃ生き残れない」
「死の恐怖、孤独の恐怖、殺される恐怖。
 どんな恐怖が一番怖いかだ。
 彼女は、危害を加えられて殺される可能性よりも、1人で死んでいくことのほうが怖いということか?」
 健吾の結論に耕介は答えなかった。

 ナナリコは、油断していない。もし、前方を走るランクルが不審な行動に出たら、逃げるつもりだし、路外だが逃げ切る自信がある。
 クルマの運転なら誰にも負けない。

 ナナリコは、いままで見たことがない大河の畔にいた。
「大きな川ね」
 彼女から発した初めての言葉だった。
 震えていたナナリコの声がやや落ち着いていることに、健吾は少しだけ安心した。しかし、その声音には不自然さが残っている。
「この川を渡る。俺は先に徒歩で渡る。
 耕介に続いてくれ。
 ルートを間違うと水没する。完全にトレースするんだ。
 できるか?」
「大丈夫」

 ナナリコは、無限に広がるヒマワリ畑に驚き、広大なムギ畑に目を見張った。
 フェミ川北岸とはまったく違う風景は、別世界だと感じる。
 そして、ヒトに似ているがヒトではない別種の村。
 ランクルには、途中の村で2人が便乗し、別の村でその2人が降りた。
 ナナリコは、耕介と健吾が地域に馴染んでいるように感じる。
 少しだが、警戒心が緩んでいくことに、彼女は危機感を感じた。

 キャンプは大騒ぎになっていた。
 フィオラの父親は、村役に就任していた。村役は3年の任期となり、最長2期までと決まっている。
 村役の選び方は地域・集落によって異なるが、キャンプを含む地域では、住民の推挙で選ばれていた。
 フィオラの父親は、村役を押し付けられて迷惑に感じていたが、反抗的な娘に村役として命じることができるので、その点は満足している。
 だが、今日は頼み事だ。
 村長補佐がモンテス少佐に頼み込む。
「頼む。治療師殿。
 村の中心、村役場近くの空き家に診療所を作るから、そこで治療をしてくれないか。
 村はずれじゃ、村民が不便なんだ」
 モンテス少佐にも言い分がある。
「前の診療所は、追い出された。
 理由は知らないけど……」
 これはフィオラの父親が知っていた。
「理由なんだが、貸し主に悪気はなかった。
 あの家は、借金のカタに取られたんだ。
 治療師殿を追い出そうとしたんじゃなくて……。
 我々も最近知ったんだが、借金をした相手が悪かった。都の両替商で、その両替商はこの村の支配を狙っているようだ。
 で、邪魔そうな連中を排除しようと。その1人が近隣にまで知られた治療師殿だった」
 シルカが怪訝な顔をする。
「村を狙う両替商?
 辻褄が合わないな。
 都の大商人が、こんな辺境の村を欲しがる理由がない。手に入れたとしても、管理しきれないはず」
 フィオラの父親も当初はシルカと同じ考えだった。
「私も同じように考えたんだが、都の商人たちはシンガザリを支持しているようなんだ。
 全部じゃないだろうけど。
 都はシンガザリに下ると決めた恭順派の軍人とシンガザリとの取り引きで利益を上げている商人たちが支配しているんだ。
 心ある官吏は地方に逃れ、シンガザリの支配を受け入れたくない都の民も各地に下っていった。
 で、結果として、都を除くトレウェリ全土が反シンガザリになってしまった。
 この村もそうだけどね。
 最初は徴税に応じていたけど、この村を含めていまじゃ無視している。
 もちろん、村を運営するには税がいる。だけど、シンガザリの王様にくれてやる銀貨は1枚もない。銀貨がほしければ、自分で稼げってことだ。
 しかし、それではシンガザリの取り引きで利益を上げている都の商人が困る。
 シンガザリ軍が武力で村々を支配できないなら、商人たちは銀貨で押さえ込む算段にでたんだ。
 村の家々、村の農地の一部はすでに都の商人の手に落ちているんだ。
 連中は最初、低利で銀貨を用立てし、すぐに高利にして土地や家を奪い取るんだ。細かい契約条項なんて、商人は違うが農民は読まないからね」
 シルカの目が怖くなる。
「欺すのか?」
 フィオラの父親が頷く。
「結果的にね」
 シルカが黙る。対抗手段が思い付かないからだ。
 フィオラの父親が続ける。
「で、村役が対策を協議した。
 都の商人が買い取った農地や家屋は、あえて放置することにした。
 雑草が生え放題の農地は野火の危険がある。都の商人に対処を要求する一方で、村の民には都の商人からの仕事はしないよう徹底したんだ。
 結果、都の商人はどうにもできなくなる。村は非管理農地の拡大を問題視し、管理の要求に3回応じない農地は問答無用で没収する法を定めた。
 草刈りしろという要求に応じないのだから、仕方ない。要求に応じず野火を出したら、死罪とする法も定めた。
 クルナ村の方式は他村でも採用し、都の商人は大損害を被ったんだ。
 空き家の件は簡単じゃなくてね。
 だけど、村内のかなりの数の家屋が空き家になってしまったんだ。治療師殿の前の治療院も同じでね。いまは空き家だ。
 で、今回、空き家対策の法を定めることにした。放置家屋からの出火はよくあること。火災防止のために、管理されていない空き家は村が土地ごと没収する法を定めたんだ」
 彩華が異論を挟む。
「その法律だけど、危険すぎない。
 例えば、村民が病気で何カ月も畑に出られないことだってあるでしょ。悪用する村長が現れたら、没収祭りになるよ」
 フィオラの父親が頷く。
「さすが、ヒトの賢者の奥方だ。
 この法は村の住民には適応されない。村の土地や家を所有する村外住民に対してだけに適用される。法にも明文化してある。
 賢者の奥方が、以前、法は二律背反だと。有利か不利かはそのときどきだと言っていたので、我々もいろいろ考えたんだ。
 で、ここからが本題。
 飯屋の前に雑貨屋があったんだ。ずいぶん前に店を閉じた。店主は亡くなったが、その息子は存命で村に住んでいる。
 この法のことを知って、家のことを気にしたんだ。村の中心に空き家があるのも外聞が悪いから、村が買い取ることになった。
 買い取って何に使うかが問題になった。
 衆議は、治療師殿に治療院を開いてもらうことだった。
 無料で貸し出したとしても、村民に異論はなかろうってね。
 どうだろう。
 考えてくれないかな」

 ナナリコは言葉はわからないが、言い争いではないことは様子から理解する。
 健吾が通訳してくれた。
「あそこに小屋があるだろう?
 あの小屋が診療所なんだ。村唯一のね。
 で、村役が村の中心に診療所を開設してくれって申し入れてきた。
 あのおばちゃんはモンテス少佐。スペイン陸軍の衛生兵だ。
 あの金髪兄ちゃんはフリッツ。見かけと違いコテコテの関西人で、看護師で救急救命士だった。
 俺たちの無線をたどって、ここまで来たんだ。
 あっちのおっちゃんはオーストリア出身の金融屋らしいが、役立たずだ」

 フィオラの父親が離れて立つ健吾を認め、健吾に向かって叫ぶ。
「賢者殿、たまには役に立ってくれ。
 アヤカを説得するんだ。そのくらいできるだろう?」
 健吾が動揺する。
「俺は反対だ。
 村の中心はここからだと遠すぎる」
 彩華が即断する。
「村役様。
 私が責任をもって、少佐たちを説得しましょう。ですが、条件があるかもしれません。
 まずは、キャンプの意志をとりまとめます」
 フィオラの父親と他の村役、村長補佐は了承する。
「あいわかった。
 賢者の奥方の返答を待とう」

 ナナリコは、泣き出しそうだった。
 昆布だしの天つゆ。次々に出てくる野菜天。薩摩芋天、玉葱天、茄子天、明日葉天、南瓜天、椎茸天。
 村役と村長補佐は、昼間だというのに大酒を食らっている。
 ここに来た目的は、天ぷらと酒かと錯覚するほどだ。
 見かけの悪い椎茸だが、味は脳が記憶している通り。
 ナナリコは泣き出したいが、なぜか泣けなかった。

 村長補佐が叫ぶ。
「治療院だけではダメだ。
 パン屋と天ぷら屋も村の中心に作らないと」

 村役たちが去ったあと、ナナリコは自己紹介していた。
「木下奈々。
 きのしたと書いてきおろしと読みます。
 ナナリコと呼んでください。
 かつては住宅専門の建築士でした」

 ナナリコは、クルナ村の中心部にいた。
 長期間使われていなかった雑貨屋の店内を調べている。掃除をすれば使える状態ではあるのだが、屋根の葺き直しや、柱の補強までリフォームの限度を超えて改築したほうがいい状態だった。
 彼女にはすべきことが多かった。
 建材の調査、作業員の確保、発電設備の導入、建設機械の確保もしなければならない。
 まったりと旅をしてきたナナリコは、一気に現実世界に没入しなければならなくなった。
 その対価は、孤独からの解放だった。

 耕介は、ナナリコの目撃情報から、亜子とシルカを伴ってフェミ川北岸に渡った。
 ナナリコは、北西200キロ付近で2トンショートボディのユニック車を見たという。荷台には物資が満載されていたとか。
 彼女は食料を中心に一部を拝借した。
 そのクルマを探しに北岸に渡る。

 健吾は、金融屋親子の希望に従って、ヒトの領域に連れていく。
 ヒトの領域に入ったことは、健吾はもちろんキャンプの誰も経験がない。ただ、いい噂は聞いていない。ヒトは12の国に分かれて、たびたび争うらしい。
 それに、12国のほとんどは王が支配する封建制らしい。住みやすい土地とは思えないが、唯一、スチームランドには議会があるとされる。この国は蒸気機関を多用していて、空気には煤が混ざり、水は汚染されているとか。
 そのスチームランドまで金融屋親子を連れていくことが、健吾の任務だった。
 差別野郎がトラブルを起こす前に、厄介払いをしたいのだ。
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