アークティカの商人(AP版)

半道海豚

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第1章 脱出

第6話 燃料調達

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 あの若い領主は、とんだ食わせ物だ。
「領内の安全を保障する」と言ったが、東に一時間走っただけで領外に出てしまった。
 あの戦いの後、日没まで走り続け、路外の丘陵地で野営をした。
 全員が疲れていたが、ミーナを除いて目が冴えて眠れない。

 私とヴェルンドが見張りをし、マーリンとリシュリンが最初に眠る。
 ロロは夕暮れとともにどこかに行ったが、一時間ほどで戻ってきた。
 リシュリンは体調が悪いようで、そのまま眠り続け、明け方はマーリン一人で見張りをした。
 まだ、街から四〇キロほどしか離れていない。ここは危険だ。

 夜が開けると同時に、移動の準備を始める。
車体側面の盾を外し、兵員室に運び込み、運転席上の盾を改造した屋根は、その場に捨てた。土嚢は砂を出し、袋は対人地雷ラックに押し込んだ。シートを張る三本の幌骨を戻して、ルイス軽機を巻いていたシートを張った。日陰ができ、風通しがいい。
 銃は拳銃以外、すべて木箱に仕舞った。

 東に向かって走っていくと、蒸気車の通行量が歴然と多くなる。装甲車よりも大きいクルマが多く、豪華なキャビンを牽引しているトラクターや、乗用車風のリアボイラー車など、車体デザインも多様化してくる。装甲車が特別目立つわけではない。

 それでも、街に近付くと路外に出て、街道を迂回して進んだ。二日目は六〇キロ走行し、通算一〇〇キロ離れた。
 路外走行を強いられるため、燃費が悪く、残りの燃料を考えると、あと五〇キロ、次の街までが限界かもしれない。
 燃料の残りは一〇〇キロ分あるが、使い切るわけにはいかない。

 リシュリンは、次の街がマランジュという名で、教会の影響圏にあることを知っていた。ただ、西方の辺境でもあり、しばらくならば安全だろうとの意見だ。
 どちらにしてもマランジュに行かなくてはならない。

 リシュリンの体調が思わしくない。発熱しており、喉が痛むようだ。大して薬を持っているわけではないが、市販の風邪薬と下痢止め程度は持っている。
 風邪薬と抗生剤を飲ませ、兵員室に寝かせた。ミーナにはリシュリンに近付かないように言い聞かせ、彼女が回復するまで、この地に留まることにした。
 起伏の激しい丘陵地帯が延々と広がり、実に寂しい場所だ。草が生い茂っているが、水はなく、樽の中身だけが頼りだ。
 それも、半分以下に減っている。ミーナまで遠慮して、「お水飲みたい」と言わなくなっている。
 リシュリンには充分な毛布をかけ、寒くないようにした。

 私はただの風邪と判断していたが、マーリンとヴェルンドは深刻に受け取っており、悲痛な表情だ。
 ヴェルンドによると、高熱が一〇日ほど続く場合、衰弱し、回復せず死に至ることが多いと言う。また、現在の熱の様子は何日も高熱が続く典型的な症状だと。
 喉が痛いというのだからインフルエンザではないだろうし、絶対にただの風邪だと、信じたかった。

 翌朝、リシュリンの熱は下がっていた。毛布を被ったリシュリンが、自分で装甲車から降りてきた。
 その姿を見て、マーリンが「大丈夫か?」と尋ねると、「あぁ、熱が下がったようだ。不思議だが……」と言いながら、鼻をすすった。
 やっぱり、ただの風邪だ。解熱、鎮痛、鼻水、鼻づまり、一日一錠の効能書きがある風邪薬を、もう一錠飲ませた。
 その日、一日、リシュリンは鼻水に苦しみ、いい女が台無しになっていた。
 三日目の朝、喉の痛みを除いて、ほぼ回復した。よく食べるし、よくしゃべる。
 マーリンとヴェルンドは薬の効き目に驚いて、いろいろと質問するのだが、薬学、創薬はまったくの無知なので答えようがない。
 ただ、医者が処方したものではなく、「街の薬屋に売っているものだ」と伝えるとたいへん驚き、「高価なのか」と問うので、「誰でも買える値段だ」と答えると、さらに驚いていた。

 その日の夕方、一人で夕陽を見ていた。リシュリンが隣に来て、「マーリンから主殿に礼をするように言われた。命の恩人だ。この礼は必ずしよう。主殿の子を産もう」と伝えて、去っていった。
 激しく動揺した。眼前の夕陽が点滅している。リシュリンは、何を考えているんだ。子どもを産むって、そういうことではないだろう!
 風邪薬を何錠か飲ませただけで、いちいち子どもを生まれたら、人生破滅じゃないか。
 平常心、平常心、何事もなかったように平常心。
 そう念仏を唱えて、装甲車に戻った。

 その夜は、リシュリンが回復したので、明るい夕食だった。食料は節約しているが、ベーコンと豆のスープを腹いっぱい食べた。ミーナがはしゃぎ、何度もおかわりをした。

 翌朝、移動することにする。
 ロロに与える食べ物が尽き、我々も生鮮品を何日も食べていない。水も不足している。
 今日中にマランジュの街の近くまで、行くつもりだ。

 マランジュの街は、街道の南側の緩斜面にあった。城壁や城門、関所のような施設はなく、開けた雰囲気の街だ。街道に沿って、西から東に流れる大河があり、川に沿って南北に畑が広がっている。
 街の東西に川を渡る立派なアーチの石橋がある。川の北側には建屋はないが、南側は広範囲に人家が点在している。
 家屋五〇〇、人口二〇〇〇程度だろう。この街でも、街道沿いでは中規模以下のようだ。

 リシュリンから「いきなり街に乗り込み、うろつくのは目立ちすぎる。街の様子を偵察し、できれば居所を定めてから、人目を避けて入るほうがいい」と提案があり、全員が同意した。
 私は土地に不案内、ヴェルンドの格好は裕福には見えず、ミーナは子ども。
 街の偵察は、マーリンかリシュリン以外の選択肢はなかった。リシュリンの身体を心配して、マーリンが名乗り出たが、それをリシュリンが制した。
 その理由は、マーリンよりもこの地方の事情に通じていること、教会の動向を探る必要があること、こういった任務に慣れていること、であった。
 
 装甲車は、街の北東五キロの丘陵地帯の頂上付近に停めている。街からは死角になるように稜線の北側にいる。
 リシュリンは、ここから徒歩で街に向かう。マーリンの黒のズボンを借り、何の変哲もないこの地方の白いシャツを着て、濃紺の布をマントのように羽織った。
 マーリンが行程の半分まで、護衛として同行する。
 リシュリンに金貨一〇枚を渡した。リシュリンは、それを巾着袋に入れ、「行ってきます」と言って私にハグした。
 私は少しだけ抱き返し、彼女が離れると、FNブローニングM1910自動拳銃を渡した。三二口径の小型拳銃で、ボディにはほとんど突起がない。服の中に隠しやすく、突起がないので服から出す際に引っかかりにくい。日本軍の将校が好んで自弁した拳銃で、彼らの間では最も人気があった。
 また、映画007のジェームズ・ボンドが愛用した拳銃でもある。
 遊底をスライドして、弾を込めること。撃鉄が露出していないので、薬室に弾が装填されているかが確認しにくいこと、などを説明した。そして、予備の弾倉三つを渡す。
 ミーナが小ぶりのボンサックを渡す。この地方では、ありふれた布製のショルダーバッグだ。
 リシュリンは拳銃をズボンの右のポケットに、弾倉と金貨をボンサックに入れた。ボンサックの中には、ミーナが入れた、ビスケットとフルーツバーが入っていた。
 リシュリンはミーナの頭を撫で、ヴェルンドと握手し、マーリンと歩いていく。
 マーリンは、人に見咎められても構わないように肩にフリントロック銃をかけている。

 マーリンとリシュリンが去ると、寂しくなった。ミーナがリシュリンの話ばかりする。
 そのとき、遠くで銃声がした。私は双眼鏡を持って、稜線に向かって駆け出した。
 ヴェルンドがミーナの手を引き、ボルトアクション小銃を持ち追って来た。
 銃声はマーリンとリシュリンに向けたものではないことが、すぐにわかった。
 北側のブドウ畑の東の端で、巨大な生物が侵入しようとしており、それを農民らしい集団が銃撃で追い払おうとしている。
 この銃声は二人も聞いているはずで、状況を把握できているのか、心配だ。
 ヴェルンドが心配そうに、「どうしました?」と尋ねてきた。
「二人への銃声ではない。見えるか、畑の東側にでかい鳥がいる」
「本当だ。鳥と戦っている。あの化物は何でしょうか」
「恐鳥、だと思う。書物で読んだことがあるのだが、巨大な飛べない肉食の鳥がいるという。凶暴で、すべての動物が獲物だそうだ」
「いわゆる闇の獣ですか」
「そんなものではない。ただの鳥だ。でかくて、獰猛なだけで、中身はただの鳥だ」
「食べたら美味いですかね?」
「そいつで一匹仕留めてみろ」と、笑いながらヴェルンドに言うと、喜んで丘の北側斜面を駆け下る。
 ミーナが心配そうに見るので、「今日は焼き鳥かな」と言うと、「ヤキトリ?」と日本語で返してきた。
 二人で手をつなぎ、装甲車に戻った。

 ヴェルンドが装甲車を離れると、それをロロが追った。
 ミーナを装甲車に乗せ、しばらく様子を見ていた。
 恐鳥の姿は見えない。ヴェルンドとロロは、二〇〇メートルほど離れた丘の斜面に、身を低くして周囲を見ている。
 突然、東の丘の稜線から牛のような動物が走り出てきた。かなり大きな動物で、体格は犀に近い。
 それを、人間の身長の二倍以上もある鳥の群が、凄まじい速度で追う。群は一〇羽ぐらい。動物は子どもを連れている。こちらに向かっている。用心のため、ガーランド小銃を手にした。
 鳥の速度は登り斜面なのに時速五〇キロを軽く超えている。動物に逃げ場はなく、鳥の巨大な足で踏みつけられようとした瞬間、ヴェルンドが撃った。
 恐鳥は撃たれても、斜面を登っていく。驚異的な脚力で、信じがたい速度で走る。
 恐鳥の群は二発目の銃声とともに、急ブレーキをかけ、恐ろしい鳴き声を発したが、反転して走り去った。動物の親子は、逃げ切った。
 ロロは完全に怖気付き、頭と尻尾を垂れて、装甲車に歩いて戻ってくる。その姿は、本当に情けなかった。闇の獣と恐れられる、そんな神秘性は欠片もない。
 ミーナに「ここにいなさい」と言い聞かせ、装甲車が装備する斧と僧兵が持っていた、よく切れそうなナイフを持って、ヴェルンドの元に走った。
 体長五メートルはある巨大な鳥で、頭が大きく、鋭い嘴がある。弾は頭を貫いており、即死したようだ。
 猟をしたことはないし、鶏肉は食べても、仕留めた鳥のさばき方など知らない。
 その点、ヴェルンドは慣れていた。斧で足先を切り落とし、腿の部分の羽を抜き、腿の部分だけを解体した。二人で苦労して、巨鳥を裏返し、反対の腿も切り離す。
 それを引きずって、装甲車に戻った。肉を切り落としてロロに与えると、大喜びで食らいつく。
 草原では滅多に見つからない大き目の石を集めて炉を作り、その上に僧兵の盾を載せて、バーベキューの準備ができた。

 それから一時間後、一三時を過ぎた頃、マーリンが戻ってきた。
 巨大な鳥腿を見て驚き、ヴェルンドが狩ったことを告げると、「銃声がしたので、心配していた」と呆れた。
 マーリンとリシュリンは、ブドウ畑の北端に達したとき住民に会い、街に行きたいと告げると、道を教えてくれたそうだ。その時点で、マーリンは戻り、リシュリンは街に向かった。
 恐鳥の肉は意外なほど柔らかく美味かったが、四人とロロでも片足全部は食べ切れない。
 もう一方の足はロロの分を残して、骨を外し、肉を細かく切ってスープにした。

 翌朝の出来事は、心胆を寒くした。
 昨日狩った恐鳥の死体がないのだ。痕跡は、切り落とした二本の足だけ。
 何かの動物が、くわえていったとしか考えられない。恐鳥の死体は他の動物を呼ぶ可能性が高かったが、それはロロが探知すると信じていた。
 しかし、ロロは反応しなかった。ロロに気付かれず、音もなく、痕跡も残さず、消え去ったのだ。
 ヴェルンドは「未知の獣でしょうか」と言って怯えた。
「いや、蹄のある動物だ。それも巨大な蹄だ。草に深く食い込んでいる。どんな動物なのだろう?」とマーリンが反論する。ミーナは怯えきっている。
 私はミーナを心配して、「この仕業の犯人かはわからないが、蹄のある巨大な肉食獣を知っている。
 アンドリューサルクスという名の陸に棲む史上最大の肉食獣だ。身体の長さは装甲車と同じくらいある」
 アンドリューサルクスは、四五〇〇万年前に実在した巨獣で、体長四メートル、体重四〇〇キロに達した。巨大な頭を持つ哺乳動物で、史上最大の陸生肉食獣といわれる。
 ミーナが恐ろしくて、マーリンの足にしがみつく。だが、得体の知れない何かを恐れるより、正体がわかっているものを警戒するほうが、人間の精神にはいい。
 ミーナを励ましたかった。「大丈夫だよ、どんな恐ろしい獣でも、ヴェルンドのライフルでやっつけてもらうから」
 ミーナがヴェルンドを見る。ヴェルンドはミーナを見る。ミーナはヴェルンドを信頼した。

 昼間は車外に出るが、夜は車内で眠った。三人で交代で見張りをし、リシュリンの帰りを待つ。
 三日目、ミーナがリシュリンの話をしなくなった。全員が心配している。
 退屈で、不安な、三日間が過ぎた。三日目の夜、マーリンはリシュリンが心配で、一人で街に行くと言い出した。

 太陽が真上に達し、マーリンが出発の準備を始めたとき、遠くから手を振りながら近付く、馬上の人影が見えた。
 リシュリンだ。全員が直感でわかった。
 ロロが走り出す。
 ミーナが「リシュリン!」と大きな声で呼ぶ。
 装甲車に全員が乗り、リシュリンに向かって走った。
 丘の中腹で出会い、ミーナがリシュリンに抱きつく。リシュリンとマーリンが抱き合う。ヴェルンドがリシュリンが乗ってきた馬を宥める。
「主殿、ただいま戻りました」
 リシュリンの言葉を聞いて、不覚にも涙を流してしまった。

 リシュリンの報告は、詳細なものだった。
「マランジュは、交易で栄えており、さらに街の人口を支えるだけの食糧自給力もあり、強力な軍隊を有しています。
 教会も簡単には手を出せないでしょう。
 街は旅人を受け入れますが、決して野放しと言うわけではありません。治安がよく、盗人は少なく、喧嘩の類は厳しく取り締まられています。
 私が街に入るとすぐに尾行が付きました。最初は教会の追っ手と思いましたが、マランジュの官憲でした。
 まる一日尾行されましたが、翌日は何事もなく、以後は滞在場所を探して、訪ね歩きました。
 二日目の夕方、官憲に同行を求められ、大人しく付いていくと、『宿を探しているのか』と聞かれたので、咄嗟に『旅の途中、子どもが病気で、一月ほど養生のための家を借りたい』と言うと、ある男を紹介してくれました。
  その男には、なかなか会えなかったのですが、面談叶うと気持ちよく、三年前に閉鎖されたブドウ園跡に残る家と土地を貸してくれました」
 マーリンが「大丈夫か?」と心配する。
 誰かが決断しなければならない。
「リシュリン、ご苦労様。これから、その家に行こう。
 さぁ、出発だ」
 リシュリンが馬に乗り先行し、その後を装甲車が続く。

 街の東側の橋を渡り、街道に突き当たり、東に折れる。すぐに南に向かう間道に入り、一〇分ほど進む。街人の目を気にして、時速一五キロ程度の低速で進んだ。距離にして、二・五キロほど。
 そこに石垣に囲まれた石造りの瀟洒な二階家があった。大きさは日本の戸建と大差ないが、重厚で落ち着いた佇まいだ。
 敷地は広く、門から家まで一〇〇メートルくらいある。家は南に面していて、周囲は木立に囲まれている。庭は荒れているが、何かが散乱しているといった感じではない。単に植栽が枯れているだけだ。
 門は南側と北側にあり、南側が表門、北側が裏門の作りになっている。
 建物は北側にあり、南側が大きく開けている。東側に数件の建物がある。

 家の中は埃が溜まっているが、荒れてはおらず、家具もある。
 一階西側に八畳ほどの部屋、東側には一〇畳ほどの居間がある。
 二階は西側に一二畳ほどの部屋、東側は狭く六畳ほどだ。この部屋にはベランダがある。
 部屋にはベッドがあるが、フレームだけでマットレスはない。それでも、手足を伸ばして眠れるのはありがたい。
 ヴェルンドは一階西側、マーリン、ミシュリン、ミーナは二階西側、私は二階東側に部屋を割り振った。久々のプライベートルームだ。
 リシュリンが街まで馬を貸し馬屋に返しに行くので同行し、街に住む家主宅を訪れ、礼を言った。
 家主は雑貨を扱う壮年の商人で、将来は隠居所にしたいそうだ。気の良さそうな男で、謝礼も十分だと言ってくれた。

 街の中心から借家まで、五キロほどの距離がある。歩きながらリシュリンと話をした。いろいろな話をしたが、ある一言で前部忘れた。
 リシュリンに「心配してくれたか」と聞かれ、「一人で行かせるのではなかった」と後悔していたことを話した。
 リシュリンは「まだ死ぬつもりはない。主殿の子を四人産むまでは」
 唖然としていると、「マーリンのことは心配するな。あいつも主殿の子を四人産む。何の問題もない」
 何を勝手に決めている!
 何を二人で相談した!
 いったい何が起こっているんだ!
 絶句して、黙り込んでしまった。

 炊事場とトイレは、別棟にあった。東側に四棟あり、一番北側がトイレ、一番南側が炊事場だった。他の二棟は用途不明。
 トイレは驚いたことに水洗で、しかも機能した。生活廃水は川に流しているようだ。その瞬間、環境保護や水質汚染のことが気にかかりだし、現実と思考習慣のギャップを埋めるのに苦労する。
 炊事場には井戸があり、手押しのポンプが付いている。しばらく動かすと、濁った水が透き通ってきた。
 炊事場の隣の建物はレンガ造りの平屋で、大きな扉が付いている。雰囲気はガレージだ。この中に装甲車を入れることにした。
 マーリンがやってきて、母屋の西側裏手にワイン蔵があると教えてくれた。続けて、「風呂桶にちょうどいい大きさの木桶がある。風呂の支度をしてくれ」と言った。
 深く考えず「わかった」と答えてしまった。完全にマーリンの言いなりになり始めている。
 マーリンが去った後、ヴェルンドがやってきて、南東側に馬小屋と鍛冶場があり、使っていいかと聞かれた。特段問題はないと思ったが、何をするつもりなのかは気になった。
 とりあえず、深く考えない。風呂の支度を済ませたら、食事の準備だ。忙しいぞ、と自分を励ます。

 炊事場は広く、汚れてはいたが、炉が五つあり、巨大な鉄鍋や柄杓などもあった。ガーデンキッチン風といったところか。
 鉄鍋を洗い、炉に火をつけ、湯を沸かし始めた。この時点で、びしょびしょ、ドロドロだ。
 母屋を見ると、マーリンとリシュリンが、テラスのテーブルと椅子の埃を払い、ミーナを座らせ、自分たちも座り、談笑している。
 何か言ってやりたい衝動に駆られるが、ここは我慢しないと、どんな反撃にあうかわからない。黙々と仕事をしよう。

 マーリンが言っていたワイン蔵に行くと、確かに二人くらい入れそうな湯船にちょうどいい真円の木桶がある。
 風呂場はガレージとトイレの間の建屋にした。この建物もレンガ造りの大きい平屋で、風呂場としては大きすぎる。ただ、炊事場と同じ排水用の溝があり、水を使う作業場のようだ。屋内には木樽数個と埃以外何もない。
 ここに風呂桶を運び込むときは、マーリンとリシュリンは手伝ってくれたが、風呂桶の設置が終わると、また談笑を始めた。ミーナはロロと遊んでいる。
 風呂桶を洗い、綺麗になる頃には日が暮れ始めていた。
 ヴェルンドは鍛冶場に入ったままだ。
「お風呂沸いたぁ」とミーナが聞いてきたので、「お湯を入れれば入れるよ」と言うと、母屋内に駆けていった。
 炊事場から風呂場まで、三〇メートルくらいの距離がある。その間を何度も往復して、お湯と水を運んだ。
 ミーナが母屋から出てきたので、「お風呂入れるよ」と言うと、ニコッと笑って母屋に入っていく。
 すぐにマーリン、リシュリン、ミーナが現れ、ミーナは「マーリン、シャンプー持ったぁ」と聞いている。リシュリンはバスタオルを抱えている。
 怒りが沸々と煮えたぎる。我慢、我慢、忍耐、忍耐、そう唱えてじっと我慢した。
 もっと湯を沸かしておこう。自分が入るために。

 夕食は恐鳥のスープの残りと、街で買った果物で済ませた。ロロには恐鳥の肉の残りを食べさせた。
 フレームを拭いて、毛布を敷いただけのベッドで、マーリン、リシュリン、ミーナは日没とともに深い眠りに入った。
 ヴェルンドにも朝まで眠るように促し、一人で見張りに立った。一人で考えたかった。ロロが足元から離れず、眠りそうになると、足を甘噛みして起こした。
 これからのことを考えた。どこに行くのか。どこに行けば、安全なのか。
 この夜、その答えを得ることができた。

 翌朝、食事を済ませ、全員が落ち着いたところで、話を始めた。
「話をしておきたいことがある」
 全員が注目をする。
「ヴェルンドは、これから行きたい土地はあるか」
「ございません。故郷から連れ去られるとき、私の住んだ街は炎に包まれていました。奴隷商人が火を放ったのでしょう。
 仮にそうでなくても、海も山も越えねばなりません。数千の夜を迎えねば、故郷に戻ることはできません。
 シュン様にお従いいたします」
「ミーナは?」
「あの村は怖いから嫌。みんなと一緒がいい」
「リシュリンは?」
「私の戻る場所はない。一二のときに失った。主殿の行くところ、どこにまでも一緒だ」
「マーリンは?」
「私も……」
 私は、ここで言葉を遮った。
「マーリンの生まれた土地、アークティカは、ここから数十日の距離にある。そこに至る燃料は、ワイン樽で八本必要だ、と考えている。たいへんな量で、簡単に調達できるものではない。
 しかし、不可能ではない。
 マーリンの話では、マーリンが拉致されたとき、街はまだ無傷だった。
 国の民、街の民は少しでも生き残っている可能性はある。ならば、マーリンは故郷に戻らなければならない。
 人々を救うために」
「私は……」
 マーリンは困惑していた。
「マーリン、このことは私に従え。他は好きにしていい」
 マーリンは泣き出し、リシュリンが抱きかかえた。
「これから、アークティカに向かう。そのための準備を怠るな。
 明日のために、力を合わせ頑張ろう」
 ヴェルンドが椅子から降り、跪いて「すべて貴方様のご意思のままに」と。
 リシュリンも跪き「主殿に従います」
 ミーナは「おじちゃんと行く! ロロも一緒だよ」
 マーリンは泣いていた。いつまでも泣いていた。

 朝早く、マーリンとリシュリンはマランジュの街に向かった。
 マーリンに金貨一〇枚を与え、取り急ぎ必要なものを手に入れるように指示した。貸し馬屋があるのだから、貸し馬車もあるだろうと思い、探すように命じている。

 二人は昼前に戻ってきた。蒸気車に乗って!
 そのクルマはリアにボイラーを積んだ後輪駆動車で、前輪は一輪、大きさは軽自動車くらいだ。二人乗りで、バーハンドルで操向する。
 リシュリンが悪びれずに「いや~、借りるのに金貨一五枚の保証金を取られました」
「マーリンに与えたのは金貨一〇枚だぞ?」
 マーリンが答える。
「五枚はリシュリンが持っていた。この家を借りた残りだそうだ」
 リシュリンは「金貨は残らなかった」と言っていた。嘘を付いていた。
 そのことを咎めようとすると、マーリンが「いいではないか、そのような細かいこと。我々は、わが主の子を産むのだ。わが子の母を信じなくて、何を信じる」
 詭弁だ、詭弁だ、お前たちは嘘つきだ、と心の中で叫んだが、黙ってしまった。また、負けた。

 蒸気車は滅茶苦茶面白いクルマだ。午前中いっぱい乗り回し、マーリンとリシュリンに仕事をしろ、と怒られた。

 蒸気車には復水器がない。発生した蒸気は水として回収されることなく、大気に放出される。燃料と水を満載しても、航続距離は最大五〇キロ程度だ。燃料は灯油に似た性質の油で、発火点が低い。灯油ならば、ガソリンが手に入る可能性もある。

 午後、マーリン、リシュリン、ミーナの三人は、蒸気車に乗って街に買い物に向かった。
 私は装甲車の整備に費やし、自室の掃除もした。
 ヴェルンドは、自室だけでなく居間の掃除をしてくれた。
 三人は、一応、自分たちの部屋だけは綺麗にした。

 三人が戻った後、蒸気車を借り、一人で街に行った。
 街の中心部の広場にはクルマ止めがあり、乗り入れができない。公共駐車場のような空地に二〇台ほどの乗用車が止められている。
 街内の街道沿いには、蒸気車に燃料と水を補給する施設、ガソリンスタンドのような店が何軒もある。物資が豊富で、人々の顔は明るく、活気がある。
 給油と給水の順番に五台以上並んでいる。大型車には三〇分以上の補給時間を費やしている。
 ようやく順番となり、蒸気車に燃料と水を補給してもらう。店の隅に蒸気車を止め、店主らしき人物に「もっと、揮発性の高い燃料はないか」を尋ねてみる。
 五ガロン缶と同じくらいの大きさの一体成型の金属容器を出してきて、ソラトだと言った。
 ランタンやバーナーの燃料に使うとの説明だ。ランタンを見せてもらうと、アウトドア用のガソリンランタンに似ている。ガソリンタンクを手動ポンプで圧縮し、内部気圧を高めてノズルから噴射し、気化したガスを燃やすようだ。
 電球のフィラメントの役目をする、マントルという繊維製品の消耗品も使っている。
 店主の説明では、一回の給油で一晩燃焼し、マントルは二晩使えると言う。
 ソラトは確かに揮発性が高いらしく、蓋を開けただけで気化している。
 一缶欲しいと伝えると、容器が別途必要だそうで、容器ごと買うことにした。ただ、ソラト自体は安価だが、容器が高額で驚いた。ただ、不要になった容器は、買い取ってくれるそうだ。

 ソラトを持ち帰り、明日から燃料のテストを始めることにする。

 三人が買ってきたものは、頼んでおいたヴェルンドの服を除けば、食料だけだ。彼女たちの衣類はまったく買っていない。
 街は華やかで、着飾っている女性も多い。なのに彼女たちは、西方で用意した質素な衣類を着回している。

 夕食の後、全員を居間に集めた。そして、ミーナを含めて全員に、金貨一〇枚を与えた。
 五枚は事故や非常時に備えて保管するように、五枚は自分のためのものを買うように。
 マーリンが「そのような気遣いは必要ない。我々はわが主とともに生きる」と言った。
 ミーナはキョトンとしている。
 リシュリンがマーリンに続いた。
「この金貨一〇枚あれば、西方の庶民は一年間一家が生活できる。一年間、家族が飢えることはない。大金だ。
 主殿のためと思えば、ご不興を受けても、どのようにも使うが、自分のためには使えない」
 ヴェルンドは、「私は拝借いたします。この金子は必ずお返しいたします。シュン様のお役に立つよう使わせていただきます。
 それでよろしいでしょうか?」
 ヴェルンドには何か考えがあるらしい。そのことは、この家に来てからの行動で何となく察していた。
 食事と睡眠を除いて、ほとんどすべての時間を鍛冶場で費やしている。
 何かを作る気だ。何を作るのだろう。それが楽しみだ。
 ヴェルンドの言を受け、「マーリン、どうする?」とリシュリンが判断を求める。
 またマーリンの巧妙な詭弁が始まった。
「この金貨を散在することが、家長であるわが主の意向ならば、それに従うことは家人の道理にかなう」
 おい、散在しろとは言っていないぞ! と心の中で叫んだ瞬間、ミーナが言った。
「ミーナ、あの子が食べていたお菓子が欲しい」
 リシュリンが「なるほど、我々の散在は主殿の幸せか」
 それも言っていない!
 四人は金貨を受け取り、それぞれの使い道を考えていた。

 翌日からソラトの燃焼実験を始めた。ソラトは蒸気車用燃料の副産物で、蒸気車用燃料は植物油から精製するらしい。その植物だが、マーリンの話では畑の作物ではなく、淡水の池に生える藻のようなものらしい。
 マーリンも詳しくは知らず、推測がほとんどだが、ただ藻から石油を抽出する研究は、日本でも行われていた。荒唐無稽な話ではない。

 まず、装甲車の燃料パイプをキャブレターの直前で外し、ガソリンが燃料タンクから漏れないようにパイプを塞いだ。
 次に、キャブレターに少量の燃料を送り込むためのタンクを用意した。タンクは点滴瓶のような形と機能のガラス容器が市場で売られていたので、これを利用した。容量は四リットルくらいだ。
 これに装甲車の本来のオーナーが残してくれた予備パーツのゴムホースをつないで、キャブレターに引き込んだ。
 点滴瓶は、吸入圧力が高くならないように、燃料タンクとほぼ同じ高さの運転席側の窓に引っ掛けた。
 ここまで準備できれば、あとは燃料の調合だけだ。
 ソラトとガソリンを五〇対五〇で混合し、エンジンを始動してみる。動く!
 これは大きな一歩だ。だが、ノッキングの傾向がある。点火時期が早すぎるのか、オクタン価が低いのか、どちらかなのか、両方なのか。
 蒸留生成されたガソリンは、オクタン価が低いと聞いたことがある。アウトドア用のガソリンランタンに使うホワイトガソリンのオクタン価は、五〇程度だったはずだ。
 自動車用ガソリンエンジンのオクタン価は、八五から九二くらいだろう。
 装甲車のエンジンは、ホワイト160AX水冷直列六気筒サイドバルブだ。高級な燃料は不要だろう。必要なオクタン価は八五程度と推定した。
 問題はどうやってオクタン価を上げるかだが、無水アルコールの混入が一番簡単だ。
 内燃機関が生まれた一九世紀末、極初期の自動車用燃料はアルコールだったはずだ。
 その理由がオクタン価だったのかは知らないが、オクタン価の向上にアルコールの使用が手っ取り早いことは知っていた。
 また、アルコールはガソリンよりも同一容積あたりの熱量は少ないが、ブラジルなどでバイオエタノールが自動車に使われていることからもわかるように、相互に代替的であることはよく知られている。
 ただ、アルコールはゴムやプラスチックを溶解する性質があり、まったく対策が施されていない装甲車にそのまま使うわけにはいかない。
 この日は、ソラトにガソリンに対する代替性があることがわかり、大収穫だった。
 明日はエタノールの入手が可能かを調べに街に行く。

 翌日朝、リシュリンと二人で街に行った。エタノールを探すためだ。
 リシュリンは二人になると、急にベタベタしてくる。
 蒸気車は中央にドライバーが座り、左側が助手席、右側には座席がなく、狭い荷台になっている。
 リシュリンは、街に着くまで、私の左腿を撫で続けていた。今日も艶っぽい。
 昨日のスタンドに行き、店主にエタノールの説明をしながら、語彙の足りないところはリシュリンに補ってもらい、どうにか意思の疎通ができた。
 何かの植物から作るバイオエタノールがあるらしい。酒と混同していないか心配だったが、飲み物ではなく燃料だそうだ。期待できる。
 店にはないが、注文すれば明日には入荷するという。

 用件が済んだので、帰ろうとすると、リシュリンがドライブをしたいと言い出した。
「マーリンが心配するから帰ろう」と言うが、「どこか人目のないところで、子作りの練習をしよう」と持ちかけてきた。本気か、からかっているのか、こいつの目はわからない。
 今日はとにかく帰ることにする。ただ、帰りの途中でクルマを止め、キスだけはしておいた。甞められっぱなしでは、やってられない。効果はあったようで、リシュリンは大人しくなった。

 午後からは装甲車の装甲の補強に取りかかった。
 後部車体外板上部に対人地雷ラックと並行するようにステーを取り付ける計画だ。
 装甲板の上面には使途不明の穴が何カ所かあり、その穴を利用して、ボルトとナットで幅の狭い鉄板を固定する。
 この鉄板を上部の押さえ、対人地雷ラックを下部の押さえとして、その間に木板か鉄板を差し込み、増加装甲とする。
 グラつくが、遊びがあれば、銃弾の衝撃をまともに受けないメリットもある。ガタつきの騒々しさは仕方ない。
 その仕様を取りまとめ、街の鍛冶工に造ってもらうことにする。ヴェルンドには知らせない。彼には、彼の仕事をしてもらう。

 マーリン、リシュリン、ミーナの三人は、食料の買出しを除けば仕事がない。
 三人は頻繁に街に行き、ささやかな楽しみを満喫しているようだ。

 街では、三人のことが話題になっているらしい。私がたびたび訪れるスタンドの店員さんが、面白い話をいろいろと教えてくれる。
 この店員さんは、ワイドショーレポーターのような中年の女性で、とにかく街の噂は何でも知っていて、それらを統合して新情報を編み出す達人だった。
 アルコールを受け取りに行った日、このおばちゃんに捕まった。

 ある日、三人が屋外のテーブルでお茶を飲んでいたそうだ。屋台のカフェで……。
 そんなものがあるなんて知らなかった。
 三人はとにかく目立っており、街の貴人にも噂が届いているらしい。
 リシュリンは美しさが、マーリンは大胆な服装が。マーリンの大胆な服装が理解できなかった。マーリンは伸びきらない髪を気にして、人前ではキャップを被っている。顔はよく見えないはずだ。二人は外出の際、マントを羽織り、服装はよく見えないはず。また、マントは男性の衣類で、通常女性は使わない。
 マーリンが派手と言われるのはどうしてなのか、わからない。
 そこを尋ねると、マーリンとリシュリンは、街ではマントの前を開け、服装を見せているそうだ。リシュリンは変哲のない、この地方の一般的な男装で、しかも質素なのだという。
 質素でありながら、美しく、理知的な雰囲気に街の男たちが注目しているとか。
 それは何となくわかる。
 対するマーリンは、異常に短いズボンを穿き、足のほとんどが見えているそうだ。
 その姿は街の娼婦さえ顔を赤らめるそうで、男たちの多くが、その足ばかり見ているらしい。
 あるとき、街の貴人の召使が、三人、正確には二人に声をかけてきた。「よろしければ、主人がお茶をご一緒したいと申しております」的な誘いだったらしい。いわゆるナンパだ。ナンパするなら自分でやれ、とへんな突っ込みを心の中で入れていた。
 どっちが言ったのか知らないが、「我々は、主人の身の回りのお世話をするもの。
 主人の許しなく、他家にうかがうことはできない」
 おばちゃんの解説では、「身の回りの世話」とは、愛人の意味を含むそうだ。
 えぇぇー、と心の中で驚いた。
 その召使は引き下がらず食いつき、「では、これから、貴方様たちの御主人様にお願いをしたいのですが……」みたいなことを言ったらしい。どうやら私に、二人を一晩貸せ、みたいな頼み事をしたいらしい。
 おばちゃんの話は、ほぼ実況中継だ。
 するとどちらかが、「我々の主人は、我々を毎夜五回満足させる。二人で、ではない。一人に五回だ。
 貴殿の主人はいかがか」と尋ねたらしい。
 召使は、頭を下げ立ち去ったとか。

 そこまで話して、おばちゃんの目つきが変わった。
「お客さん、毎晩一〇回なんてすごいね。
 街中の噂だよ」
 絶句した。

 アルコールを受け取り、家に帰った。
 マーリンを呼び、どういう格好で街に言っているのかを尋ねた。
 すると、ビジネスバックの中の雑誌を持ってきて、ページ広げて見せる。
 巨乳のモデルさんが、短パンとタンクトップで大胆なポーズをとっている。そういう雑誌ではない。たまたまそういう写真が載っていたのだ。
 マーリンの顔を見ると、「何か問題か?」と聞く。「いや、何でもない」と答えた。
 会社でも女性社員の服装を注意するのは、相当な覚悟と用心、そして準備が要る。
 言わなくていいことは、言わないほうが波風は立たない。事なかれ主義は、一瞬の平和をもたらす。サラリーマンは、それでいい。

 オクテルと言う名のエタノールらしい液体は、植物繊維の布を芯にして、アルコールランプのように灯してみた。雰囲気はアルコールだ。
 街で買った料理用のガラス製軽量カップを使って、ソラトにオクテルを五パーセント刻みで混合した燃料を各二リットル作った。オクテルの最大濃度は二〇パーセントにした。
 アルコールは水和物なので、あまり混合量が増えると、燃料タンクの中で水と混和する可能性がある。
 燃料の混合で、この日は夜になった。

 夕食後、ヴェルンドは鍛冶場に戻っていった。ようやく、炉の整備が終わり、火を起こせるようになったらしい。道具の錆落しをするそうだ。

 夜の見張りは、マーリンとリシュリン、ヴェルンド、私の三組で交代で行っていた。見張りは母屋から離れた炊事場を拠点にした。
 奴隷商人や教会の襲撃はいつあるかわからず、警戒は怠れない。
 ロロの耳があっても、それに頼り切るわけにはいかない。

 すでに春の季節は過ぎ、夏の盛りが間近に迫っていた。

 燃料の調整は、結局一五パーセントで安定した。毎日、エンジンをふかし、排気ガスを撒き散らしていたが、これで移動できる。
 点火時期はやや遅らせたが、その他の調整は不要だった。ただ、ソラトの熱量はガソリンよりも高いらしく、パワーアップする可能性がある。

 すでに一〇日が過ぎている。
 早く出発したいが、燃料の補給ができない。
 四五〇リットルのソラトを注文したが、大量すぎて入荷に一〇日かかるという。オクテル一〇〇リットルは八日を要するそうだ。
 とにかく待つしかない。
 また、四五〇リットルはワイン樽換算で四樽弱になる。この分量ならば、四樽買って欲しいと言われ、そうした。オクテルも同様に一樽にした。一樽は約一二〇リットルだ。全量混合すると、総量七〇〇リットル、オクテルの混合率約一四パーセントになり、約八〇〇キロの走行が可能になる。
 樽は一体成型の金属製で、一樽あたり金六〇グラム、金貨二〇枚が必要になる。五樽で金貨一〇〇枚。大きな出費だ。
 ソラト自体は非常に安く、オクテルは驚くほど高い。それでも燃料自体の価格は、総量で金貨八〇枚だ。
 装甲車の燃料タンク容量は二三〇リットルなので、二樽分弱を装甲車に入れ、一樽分を五ガロン缶五缶に分けた。結果、三樽を返却し、三樽分の代金を返却してもらい、二樽を購入して出費を抑えた。四〇リットルほど余ったが、最初に買った金属容器を使うことにした。

 燃料の到着を待つ間、ヴェルンドが金属細工を四つ作り上げた。BARの弾倉だ。
 鉄板がやや厚く、底部が蓋になっているなど、オリジナルと同じではないが、造作はかなりいい。
 BARに取り付けてみると、着脱に問題はない。弾を装填すると、一つが二〇発、他の三つが一九発入る。スプリングの形状の問題で、弾倉内がかさばる構造になってしまったそうだ。
 それでもありがたい。どこかで試射をしたいが、川を渡って北の丘陵地まで行かないと、人目に触れてしまう。

 ヴェルンドは、続いてスミス&ウェッソンM1917リボルバー拳銃を預けて欲しいと願い出た。
 コピーを作るつもりであることは明白で、それを許可した。
 二日で部品の図面を完成させた。彼は一定の工学の知識はあるようだ。

 この頃から、携行食糧の調達と製造を始めた。燻製釜を作り、肉や魚の燻製作りに励み、ドライフルーツを買い集めた。
 また、枯渇した石鹸作りも始まった。作り方はいままでと同じで、灰を燃やして水に浸し、上澄みを濾してアルカリ水を作り、植物油と混ぜる作業だ。
 これらは、三人も手伝った。

 ある晩、寝ていた。少し疲れたのか、眠りは深かった。ベッドはクッションがなく固いが、厚手の布を引いているので、寝苦しくはない。窓は閉めていたが、涼しくはなく、薄い布をかけていた。

 いきなり誰かに押さえつけられた。一瞬、襲撃と思い枕の下に隠したガバメントに手を伸ばす。
 銃はすでに奪われていた。腹の上に跨れ、身動きができない。
 眠気は吹き飛び、声を出そうとした瞬間、唇に唇が重ねられ、舌をねじ込んでくる。声が出せない。
 同時に夜着替わりのジャージのズボンが脱がされ、下着も取られる。
 誰かに握られた。そして、暖かく湿った動くものが、分身を包み込んだ。
 フェラされている。しかも歌舞伎町の愛ちゃんより上手だ。
 腹の上に載った何者かが、着ているものを脱ぎ捨てた。青い髪、リシュリンだ。では、誰がフェラをしている。マーリンだ。そうに違いない。
「リシュリン、触ってみろ固いぞ」
 やはりマーリンの声だ。
 リシュリンが振り返る。異なる感触の手のひらで握られる。
「先にいくぞ」
 マーリンがリシュリンの肩に手をかけ、腰に跨ってきた。
 ゆっくりと暖かい湿った空間に包まれていく。うぅぅ~ん、という普段のマーリンとは異なる声音が出る。マーリンはゆっくり動き、楽しむように、速さを変える。
 リシュリンは私の手を胸に導き、愛撫を要求する。
 リシュリンの乳首は見事に立っていて、刺激すると、マーリンよりも妖艶な声を出す。
 リシュリンがマーリンに替われというが、マーリンは聞こえない様子で腰を動かし続ける。
 ようやくリシュリンがマーリンと替わり、今度はリシュリンが腰に跨ってきた。
 マーリンとは明らかに異なる感触が、全身を包み込む。マーリンは吸い付くような感触だが、リシュリンは絡みつくようだ。
 マーリンが激しくキスを求め、次に乳首を咥えさせてくる。私の右手を彼女の股間に導く。
 最も感じる部分を刺激すると、うめき声のような切ない声を出した。マーリンの体内に中指を挿れると、自分で腰を動かし始める。中指を入れたまま、親指の腹で核を刺激すると、大きくのけぞった。

 結局、最初にリシュリンの中に発射し、休むまもなくマーリンに攻め立てられ二位回目を出し、さらに各一回ずつ騎乗位だけで四回も逝かされてしまった。
 マーリンが右、リシュリンが左に添い寝し、二人のどっちが良かったか、しつこく聞いてくる。
 どっちも良かった、としか言えない。あまりにもしつこく、語彙と表現を変えて両者同じによかったと言い続けたが、最後は言葉攻めSMプレイみたいになっていた。
 最後に二人と濃厚なキスを交わし、二人とも裸のまま自室に戻っていった。
 終夜の見張りにたっている、ヴェルンドに申し訳ない。
 だが、今夜だけは、この世界に来てよかった。感涙。

 街の鍛冶工に頼んでおいた、車体上部用ステーが出来上がった。精度が心配だったが、ほぼ注文どおりで、取り付けは簡単にできた。ボルトとナットも相談の上注文した通りだ。
 街で買った油性塗料で塗装し、渇いてから取り付けた。三分割にしておいたので、個々のパーツは軽く、一人で組みつけられた。
 ここには鉄板ではなく、重量軽減のために厚さ二センチの木板を挟み込む予定だ。
 その木板は、幅七〇センチ、高さ一三〇センチで注文済みだ。
 予備の燃料は装甲車の兵員室に積むつもりで、そのため天井に装甲を施す必要があった。
 縦七〇センチ、横九〇センチ、厚さ三ミリ、重さ一五キロで、防盾の材質と同等な鋼板という条件で、鉄板を頼んでおいたのだが、計八枚が意外と大量であったらしく、なかなか出来上がってこない。その鉄板を取り付けるための鉄骨も注文した。

 それと、車体横とボンネットの大きな白い星が目立ちすぎるので、消したかった。「白い星」が我々を特定するキーワードになるからだ。
 これは、リシュリンが名案があると言うので任せた。
 結果は、右側にブドウ、左側にサクランボ、ボンネットに果物籠が油性塗料で描かれ、何となくかわいいクルマになってしまった。ミーナは大喜びだ。
 また、リシュリンは絵が上手いことがわかった。

 マランジュに来て二〇日が過ぎた。燃料が届いた。店主が品質を確認してくれ、蒸気車で届けてくれる。
 まず、装甲車の燃料タンクにオクテルを二一リットル入れた。次にソラトを一二〇リットル、つまり一樽分入れる。これでオクテルの混合率は一四・八パーセントになる。
 
 この日の夕方、南側丘陵地の人気のない場所で走行テストをした。ノッキングはなく、実に快調だ。パワーも上がったように感じる。
 翌日は周囲の丘陵地を三〇キロ以上走行し、確実性をテストした。
 この走行テストには、マーリンが蒸気車で同行してくれた。
 マーリンにも装甲車を運転させ、操作を完全に教え込んだ。前輪の駆動法、エクストラローの使い方、エンジンの始動の手順、すべてを教える。
 マーリンから、この礼として「今度は私の喜ばせ方を教えてやる」と言われた。
 自分に合掌。

 燃料に問題はない。明日は、満タンにし、オクテルを五ガロン缶に移す。これで三樽が空くはずだ。

 出発の準備は整いつつある。

 マーリンとリシュリンが見張りの夜、ヴェルンドが「お話したいことがあります」と言い、リボルバー拳銃を見せた。
 一目でM1917のコピーとわかるが、違いもある。まず、シリンダーが凹みのない円柱であること、銃身が二〇センチもあり、外形は八角形でやや太いこと。いわゆる、オクタゴンバレルだ。
 グリップが取り付けられてなく、完成品とは言えないが、強度の確認を除けば機能している。発射実験が必要だが、見かけは使えそうだ。
 この頃、私は護身用はガバメントからリボルバーに変えていた。
 マーリンとリシュリンに襲われた際、自動拳銃では、薬室に装弾してあったとしても、撃鉄を起こさなければならず、反撃に手間がかかることがわかった。M1917リボルバーならば、ダブルアクションなので引き金を引くだけで弾が出る。
 ヴェルンドの考えはわからないが、拳銃の選択は間違っていない。
 グリップの手配と、発射実験の相談をして、その夜の打ち合わせを終えた。

 また、女性陣から天井が低すぎるとの意見があり、五〇センチの嵩上げを希望された。その方法をヴェルンドに相談すると、鍛冶工に注文済みの鉄骨の仕様変更を頼んでくれる、とのことだ。

 木板が届き、あとは鉄板の納入を待つだけだ。

 準備が整いつつある、ある日の朝、突然、南麓にある農園の主が尋ねてきた。
 話を聞くと恐鳥の逸れ鳥が家畜を襲うと言う。それをヴェルンドに駆除して欲しいそうだ。

 問題はその理由だった。
 ミーナが街で、ヴェルンドが恐鳥を撃った話をしたそうだ。
 恐鳥は動きが早く、引き金を引いてから装薬に引火し弾が発射されるまでにタイムラグのあるフリントロック銃では、容易に命中させられない。
 ミーナの話では、ヴェルンドは一発で恐鳥の頭を撃ちぬいたという。
 にわかには信じがたいことで、噂は知っていたが今日まで捨て置いたとのことだ。
 ここからが本題だ。
 農園主の娘が街でお茶を楽しんでいると、そこにマーリン、リシュリン、ミーナの三人も居たそうだ。農園主の表現は違うが、実際のところマーリンの傍目にも赤面しそうな格好を娘の従者がチラチラ見ていたそうだが、そこに一人の官憲が三人の盗賊を追い詰めた。
 その場は騒然となり、人々は逃げ惑ったが、一対三で官憲が絶対的に不利。
 盗賊が逆に官憲を追い詰めたような状況になったという。
 帯剣した貴人や騎士もその場にいたが、咄嗟に助勢するものはおらず、官憲の生命は風前の灯だったとか。
 そのとき、マーリンとリシュリンが加勢したそうだ。
 マーリンは双腕に短剣を握ると、盗賊一人の右足を切り裂き、もう一方の短剣で盗賊の刀を払い落としたそうだ。
 リシュリンは長剣を抜き、斬りかかってきた盗賊と一度も剣で斬激を防がず、一突きで相手の肩を貫いたという。
 この二人の強さを目の当たりにして、恐鳥を一撃で倒した話を信じることにしたそうだ。
 そんな騒ぎは知らなかった。確かにリシュリンから盗賊が街で暴れた話は聞いたが、彼女たちが関わったとは聞いていない。
 ミーナに危険はなかったのか、と一瞬腹が立った。

 しかし、農園主の申し出は、好都合でもある。BARとヴェルンド・リボルバーの試射はしなければならない。その場所が要る。
 恐鳥駆除の役所への申請は農場主が引き受けると言うので、承諾した。
 ただ、恐鳥は危険であること。仕留め損なった場合、人命に被害が及ぶ可能性があるので、駆除中は人払いして欲しいこと、また一撃ではなく一〇撃以上するだろうことを伝えた。
 農場主は了承し、二日後の朝、駆除に向かうことを約束した。

 我々の主たる目的は恐鳥の駆除ではない。
 ヴェルンドと二人でフリントロック銃を手に蒸気車で農場に向かったが、その他に銃四挺をシートに包んで持ち込むのはいかにも不自然だった。
 恐鳥が現れそうな時間には、農場主たちは立ち退いてくれた。

 少し農場から離れた開けた地形で、M1903小銃とガーランド小銃を持ち出した。
 恐鳥は農園主の話のとおり、すぐに現れた。
距離二〇〇メートルで、ヴェルンドは二発で倒した。
 その後、BARの弾倉テストを手早く済ませた。
 ヴェルンド製のリボルバーは、手に持たずに発射できる器具を作っていたので、安全に試射できた。都合一二発を発射したが、シリンダーや銃身に異常はなく、試射は成功した。

 農場主に恐鳥の死体を見せると、たいそう喜んでいた。

 その数日後、鉄板と鉄骨が届いた。兵員室に取り付け、装甲車に屋根がついた。
 これで、ほぼ出発の準備が整った。

 私は、マーリンの故郷、アークティカとはどういう土地なのか、そこに何が待っているのか、いささか不安だった。
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