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第1章 脱出
第7話 迎撃
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すべての準備が整ったその日の夜、官憲二名とその上司と名乗る五〇歳を超えた男の来訪があった。
表向きは、マーリンとリシュリンの捕物協力に対する礼ということだ。
官憲一名が三〇歳を少し超えた男で非常に風格を感じたが、彼の上司がありきたりの挨拶をしながら、チラチラと同意を求めるように、一介の官憲を見ている。間違いなく、この三〇歳過ぎの官憲が決定権のある男だ。
これは、サラリーマンとしての直感だ。
壮年も終わりに近づいている官憲が、マーリンとリシュリンに「その節は……」と礼を言う。
それに答えてリシュリンが、「こちらこそ、この家の家主を紹介していただいて……」と返礼する。
これ以後が本題だった。
上司が「実は、お願いごとがありうかがいました」と切り出した。と同時に、上司の言葉を遮り、三〇歳過ぎの官憲が話し出した。「名は名乗らぬ。許せ。
貴殿と会い、街人の噂とはいささか異なる人物と見たので、私から話そう」
街人の噂とは、マーリンとリシュリンを相手に毎晩一〇回というあれか?
内心で赤面した。
「本日、ある男が私の屋敷を訪れた。その男は、この街に逗留する旅人の放逐を要求してきた。
私はこの街に住むものではないが、この街にはいささかの義務がある。まぁ、街人の生命と財産を守る義務とでも言っておこう。
来訪者は、奴隷商人ターラントの第二〇子、アゲシオラスと名乗った。
ターラントは子福で、噂によれば二四人の子があるそうだ。
アゲシオラス殿の言によれば、末子ジョタン殿を殺めた犯人が、この街に逃げ込んだ。
この地方の貴人の間での噂だが、西方のどこかの街で最近、奴隷商人の百騎隊を相手に戦をしたものがいたという。
百騎隊に歯向かったのは、わずかに五人。だが、百騎隊は壊滅したとか。
その百騎隊の指揮官が、ジョタン殿とするならば、アゲシオラス殿の話と辻褄が合う。
アゲシオラス殿は、ジョタン殿を卑怯な方法で殺したのが、貴殿たち五人と言っていた。 五人とは、幼子一、妙齢な婦人二、そして二人の男子だという。幼子は妖かしの化身、婦人二人は魔女、男子二人はその召使だそうだ。
聞くところによれば、貴殿たちは街人と仲よくしていたそうだ。争い事もなく、礼儀正しく、ときには盗賊捕縛にも協力してくれた。
貴殿たちに恨みはないが、この街を立ち退いてくれないか?
いまは奴隷商人と事を構える時期ではない。街人を守らねばならぬ」
「わかりました。
明日、正午までに立ち退きましょう。
どちらにしても、あと数日で出立するつもりでした。
午前中に、街人よりお借りしたものをお返しし、お世話になった方々に挨拶をいたします。
アゲシオラス殿とやらにお伝え頂けましょうか?
明日午後、川の北岸東部丘陵に行くと」
「承知した。
確かに伝えよう」
壮年の官憲が何かを言おうとしたが、上司が抑えた。
三人が席を立ち、蒸気車に乗り込む。運転手を務める壮年の官憲が深々と頭を下げ、三人は走り去った。
マーリンが「あの男は、下級官憲の制服を着ていましたが、領主か代官でしょうか?」
「そうだろうな」と答えた。
全員に「明日、一一時に出発」と告げ、今夜の見張りは、翌三時まで私が、それ以降はヴェルンドが担任し、ほかは眠るように指示した。
マーリン、リシュリン、ミーナ、ヴェルンドは、早々に寝床に入り、私は眠れない夜を眠らずに過ごした。
ヴェルンドは、二時頃に起きてきた。
「どうか、少しでも眠ってください」とヴェルンドが気遣ってくれた。
「ヴェルンドは眠れたか?」と聞くと、首を左右に振り、「いささか興奮しています。浅い眠りでした」と答えた。
ヴェルンドに見張りを任せ、自室に戻った。ヴェルンドは、名残惜しいのか鍛冶場に向かった。
自室のベッドには、図々しくもマーリンとリシュリンが寝ていた。
二人を起こさないよう壁にもたれて座り、仮眠しようとしたが、マーリンが目を覚ました。
ベッドに入るよう促す。リシュリンも目を覚ました。
服を脱ぎ下着になって、ベッドに入った。マーリンが右、リシュリンが左。
マーリンは「戦の前の男女の秘め事は、勝利を遠ざけるといいますが、本当と思うか?」と聞いてきた。
リシュリンに胸を撫でられている。
「いや、そんな話は聞いたことがない」と答えた。二人を抱きたかったし、正直なところ二人でなくてもよかった。あと数時間後に何が起こるのか、どういう運命が待っているのかを考えると、怖かった。
恐怖を忘れるため、セックスにのめり込みたかった。
リシュリンが甘えた声で言う。
「主殿に死んでもらっては困ります。戦の前の秘め事は、男子の力を削ぎまする。
なので、今夜は一度だけにしましょう」
でも、するのね。
リシュリンが続けて「我らがわが主のために全力を出すには、わが身体に注ぎ込まれた子種の神秘の力が必要です。
しかし二人同時は、わが主に無用な体力を使わせてしまいます。それでは、今日の戦いに障りが出ます。
残念ですが、今夜は一人ずつお抱きください」
計画していたのだろうか、リシュリンが覆いかぶさってきた。マーリンがベッドの隅に避ける。
リシュリンの身体を返し、彼女の上になる。夜着を胸まで引き上げ、豊満な胸を揉みながら、キスをし、続いて乳首を貪った。
リシュリンは下着をつけていた。女性と男性の下着には形状の差がなくショートパンツ形で、腰を紐で締めて止める簡単な構造になっていた。
彼女の下着の紐を解き、脱がせようとすると、顔を両手で覆った。「え! 恥ずかしいの?」と内心で驚く。
恥ずかしいようで、マーリンをチラッと見ると、彼女は驚いている様子だ。
リシュリンの足を開かせ、ヘアをかき分けながら、舌で愛撫した。
リシュリンはセックスの間、ほとんど声を出さない。息遣いが荒くなるだけだ。ただ、その呼吸自体が妖艶で、実にそそられる。
彼女を舌で刺激しながら、両手で乳首を刺激する。
リシュリンが激しくもがく。
我慢ができなかった。下着を脱ぎ捨て、リシュリンの唇を両手で広げ、正常位で挿入する。
リシュリンの息遣いが一層激しくなり、身体をくねらせ、激しく反応する。
異常なほどの快感だった。不覚にも五分ほどで、射精してしまった。
リシュリンは左横を向き、両手を耳のあたりに置き、恍惚としている。
残り少ないティッシュを彼女の股間にあて、引き抜くと精子が逆流してきた。彼女の右手を取り、ティッシュを抑えるように促した。
それでもリシュリンは、意識が明瞭ではないようだ。身体を左に転がし、うつ伏せになって、右手で股間を抑えている。エッチで可愛らしい。
マーリンに近寄る。彼女は怯えていた。身体を固くし、少し震えている。マーリンをベッドの中央にまで導く。
夜着を腰までたくし上げ、下着の紐に手をかける。
マーリンが下着に手を添え、抵抗する。構わず、下着をお尻の方から脱がす。熟した桃の皮を剥くように簡単だった。
彼女は両膝を立て、両の拳を握り、両手で下腹部を隠そうとする。
部屋は暗く、月明かりが物の輪郭を浮き出す程度だ。だが、マーリンの恥ずかしがる様子が、明瞭にわかる。
両足を開かせようとすると、抵抗し「いや」と小声で言った。少し強引に足を開かせ、太腿を舐めながら、両足の合流地点をゆっくりと時間をかけて目指した。
彼女の無毛の股間は舐めやすい。丹念に根気よく舐めると、声を出し始めた。小鳥のように可愛い、小さな声だ。
正直、今夜なら一〇回できそうな気がしてきた。マーリンもリシュリンも可愛すぎる。
我慢できなかった。
マーリンに挿入すると、彼女は激しく首を振り、苦しげに顔を歪めた。何度も腰を浮かせ、そのたびに深く突いた。
またもや五分が限界だった。不甲斐ない。
二度目なのに、射精した量が多い。まだ抜いていないが、それがわかる。
ティッシュを彼女の股間にあて、抜くとやはり逆流してきた。綺麗に拭いてやり、下着を穿かせてやった。
その様子をリシュリンが見ていた。「私にはやさしくない」と拗ね始め、彼女にも下着を穿かせてやる。
しばらくキスをしながら三人で話をして、二人は自室に戻っていった。
すでに三時を過ぎていた。
二人とのセックスが気を沈めたのか、その後は深く眠れた。
起きたのは七時を過ぎていた。
すでに四人は準備を始めており、装甲車は家の前に引き出されている。トレーラーも連結されている。
顔を洗い、服を着替え、自分の荷物をまとめ、装甲車に積み込んだ。
五人の荷物は各自ボンサック一個に限られている。この頃には、私が持参したスーツケースの中身はトラベルセットを始め、衣類や雑貨のすべてが三人の強欲女に奪われていた。かろうじて、ジーンズと下着のパンツと靴だけは確保していたが、ほかは三人のうちの誰かのものだ。
特に白の衣類に魅力を感じるらしく、下着のTシャツやワイシャツはマーリンとリシュリンが独占し、小物や文具はミーナの占有物になっている。
なお、ビジネスバックは、まだ完全に確保していた。
マランジュの街で手に入れた、質素な服を着た。それは五人とも同じだ。シャツはポロシャツのような襟のあるタイプで、胸の部分を靴紐のように結ぶ。繊維自体が茶色を帯びていて、黄土色をしている。ズボンは黒だ。
九時、ミーナと一緒に、家主の家に辞去の挨拶と代金の確認に蒸気車で向かった。ミーナは家主の奥方から菓子を貰っており、その礼がしたいとのことだった。
家主の邸宅の門をくぐると、家主と奥方が車寄せまで出迎えてくれる。一〇人ほどの使用人も集まっている。
出立の意思を話し、庭先での辞去の許しを請い、代金の確認をした。鍛冶場を使わせてもらったこと、納屋等にあった木材の一分を使ったことなどを説明し、追加代金の支払を願い出た。
家主は「必要ない」と言い、旅の無事を祈ってくれた。
女性の使用人の何人かが泣いている。事情を知っているのだろう。
唐突に奥方が問いかけた。
「あの、このお譲ちゃんも一緒に行くのですか?
できれば当家にて、お預かりしたいのですが……」
何を、どう、答えればいいのか、逡巡した。
「事情はご存知と思います。
連中はこの子も狙っているのです。
この子を殺めるか、市場で晒す以外に面目を保つことはできないでしょう。
この子が残れば、貴家と街に迷惑をかけます。
この子は我々と一緒に行きます。
また、我々にはこの子が必要なのです」
奥方は大粒の涙を浮かべ、嗚咽した。
「こんな可愛い子にどんな罪が……」
家主が手を差し出し、「旅のご無事を」と言う。差し出された手を握り、例を言った。
ミーナが「さようなら」ときちんと挨拶した。
借家に戻ると、すでに一〇時を過ぎていた。
マーリンが蒸気車に乗り先導し、その後ろを装甲車が進み、街の東の橋を目指す。
街道に出ると、大勢の街人がいた。大半は見物人だろうが、見知った顔も多い。
マーリンに貸し蒸気車屋が駆け寄り、保証金と使用料の計算書を見せ、その場で精算してくれた。
スタンドの店主や店員のおばちゃん、鍛冶屋の親父さんなど、世話になった人々が見送りに来てくれた。
官憲はリシュリンの手を強く握り、泣いている。スタンドのおばちゃんがミーナに花一輪を手渡す。死出の旅立ちのはなむけだ。
すでに一一時を過ぎている。全員に乗車を命じ、橋に向かってゆっくりと出発する。
ミーナが「さようなら」と大声で叫び、手を振る。
リシュリンが運転席の私に「昨日の来訪者は領主殿だそうです。我々を大櫓から見守っているとのこと。それと、敵の数は二〇〇と聞きました」と伝えた。
二〇〇対五の戦いだ。
橋を渡り切ると装甲車を止め、運転席で立ち上がり、街を見返した。
川の南の稜線に多くの人が集まっている。高さ四〇メートルほどの大櫓にも人影が見える。街の高い建物の屋上にも、人が集まっているようだ。
運転席と助手席ドアの上部装甲板を上げ、固定する。フロントの装甲板を下ろす。
ミーナが助手席に座り、手製のシートベルトで身体を固定する。その足元にロロが潜り込む。
マーリンはルイス軽機を兵員室最前部に置いた土嚢の上、運転席側に据える。
ヴェルンドはその右隣、助手席側にBARを同じように据える。
リシュリンはM2カービンを構えて、兵員室の最後部に陣取る。ここにも土嚢を据えてある。
マーリンとリシュリンが、羽織っていたマントを脱ぐ。
運転席から振り向くと、短パンを穿いたマーリンの美味しそうな長い足が見えた。
リシュリンが兵員室右側側面に小さな青と白のチェックの布の付いた棒を立てた。
「それは何か」と尋ねると、「我々の旗だ」と答えた。
ギンガムチェックの旗だ。
その旗を見て、なぜか異常な緊張感が遠のいていく。
再度、装甲車を発車する。ホワイト160AX水冷直列六気筒サイドバルブ・エンジンの小気味のいいエクゾーストノートが響き渡る。
畑地を抜け、丘陵地帯に入り、丘を一つ登った。
丘の頂上から東四〇〇メートルに別の丘の頂上があり、そこに横隊の騎馬兵がいた。横隊は二列、前列は丘の中腹より上に位置し、約一〇〇騎。後列は頂上にあり、右翼、中央、左翼の三隊に分かれている。
右翼と左翼は約三〇騎、中央は右翼左翼と前列の中間にあり三〇騎、その後方頂上に大将と護衛らしい騎馬が一〇。
基本は以前の戦闘時と同じ配置だ。
前回と違うのは、敵の兵力が倍。こちらの準備は万端。燃料も豊富だ。
丘と丘の頂上の距離は一〇〇〇メートル。中間地点が最も低くなっているが、標高差は一五メートル程度だ。緩やかに下り、緩やかに上る、このあたりでは最も平坦な場所と言える。
最大斜度は四度程度。後部履帯の四駆車ならどうということはない地形だ。だが、馬には相当きついはず。
双眼鏡で観察していると、敵もこちらを望遠鏡で見ていた。街のほうを見た。多くの街人が観戦しているようだ。距離があるのでよく見えないだろうが、空気は澄んでいて見通しはいい。雲もなく、視界を遮るものは一切ない。
おもむろに前列が動き出した。運転席に入り、副変速機をエクストラローに入れ、主変速機をセカンドに入れて走り出す。主変速機をサードに入れる際、ミーナがこちらを見て笑うのが見えた。ロロは腹を見せている。
どいつも普通の神経じゃない。
私はマーリンが下着を脱がされる際、どうしてあれほど恥ずかしがったのか知りたかった。そのことばかり考えていた。
装甲車の速度は、斜面を駆け下り切る以前に時速四〇キロを超えていた。馬のギャロップは二〇キロ程度なので、すでに倍。
斜面を下り切り、敵側の丘を登り始める瞬間、マーリンとヴェルンドが発砲し始めた。
眼前の騎馬兵が崩れ落ちていく。そして前線を突破し、急速に第二列中央に迫る。
リシュリンが背を向けた第一列の兵に掃射する銃声が聞こえる。
第二列中央は、速度を全く緩めず、高速で接近して来る装甲車に動揺し、一部が頂上方向に逃走し始めた。
頂上では本陣一〇騎と後退した騎馬とがもつれ合い、統率をなくしている。右翼と左翼が反対斜面に遁走し始める。
マーリンとヴェルンドの掃射は止まず、相互に弾倉を交換しながら、間断ない射撃を加える。
装甲車は敵側丘の頂上を越える。そのまま遁走する敵を追撃する。瞬く間に追いつき、後方から射撃を加え、次々に敵兵が落馬していく。
敵は逃げやすい方向に向かい、ヘトヘトの馬に鞭を入れて、敵側の丘を大きく右に迂回するように、相互の丘の最低部に戻っていった。
すでに銃撃しなくても馬は走れなくなり、敵兵は馬を失い、徒歩で走り回っている。それを、リシュリンが狙い撃つ。
敵兵の多くは銃と剣を捨て、冑も捨て、右往左往している。
わずかに残った騎馬が、徒歩の兵を踏み倒す。残存の第一列の騎馬が隊列を整えないまま突撃して来るが、この戦闘で敵はほぼ無力化した。
馬を残したものは一目散に逃げ、徒歩となってしまった兵は蜘蛛の子を散らすように、四方に逃げていく。
装甲車は止まらない。走り回り、敵を追い、追い越し、狙い撃ちした。すでにマーリンとヴェルンドは、カービンとライフルに持ち替え、斜面を四つん這いで逃げる敵兵を掃討している。
マーリンが車体側面を叩いて「止まれ」と叫び、一〇分間の戦闘が終わった。この一〇分は、一時間以上に感じた。
マーリンの様子が変だ。
荷室に移ると、ゴムの履帯に右腕を踏まれた大男が横たわっている。
ヴェルンドは掃討を続けている。ここはまだ戦場だ。
マーリンの右手には、ガバメントが握られている。マーリンは街に滞在している間に自作で新しいホルスターを誂え、両脇にガバメントを吊るせるようにしていた。右脇のホルスターにはガバメントが収まったままで、右手のガバメントは左脇のホルスターから抜かれていた。
大男が「奴隷女が!」と喚いた。マーリンの顔には、凄まじいほどの怒気が表れている。
ガバメントの銃口は相手の額を狙っている。手が振るえている。
私は腰に下げたホルスターからリボルバーを抜き、兵員室からその男の胸を撃った。この男がアゲシオラスだろう。マーリンとの因縁はともかく、もう死んだ男だ。
リシュリンが腰の背のホルスターからブローニング拳銃を抜いていた。どういう男かしらないが、女の恨みを買うような奴なのだろう。だが、もう死人だ。終わった。
丘を登り、東に向かう。街道に出られる渡渉点を探さなぬてはならない。
街道の街は四〇から五〇キロごとにあった。徒歩の移動距離が一日四〇から五〇キロ、馬や馬車では一日八〇から一〇〇キロ、貨物蒸気車は巡航時速一二キロ程度なので、一日で一二〇キロ進める。
街は、旅人に宿を提供し、替え馬を用意し、燃料や水を補給する。
街と街の間で夜になれば野営するが、動物との接触や野盗の襲撃など、危険が多い。
各街には蒸気車と乗員がともに起居できる宿があり、こういった宿なら積荷の不寝番も可能だ。
西方と東方の境界には、セムリキ川という大河が流れている。この川を渡るには、西側シロイオ、東側セロウェという街を結ぶ橋を渡らなくてはならない。
この橋を渡れば、表向きは西方教会の影響圏から脱し、西方教会との結び付きが強い奴隷商人集団の行動は無分別とはいかなくなる。
しかし、安全になるわけではなく、むしろ暗殺や喧嘩に偽装した襲撃に注意する必要が出てくる。
シロイオまでの二五〇キロは、街に泊まらず野営を続けた。各街に迷惑をかけたくなかったことと、暗殺を警戒したためだ。
しかし、この判断は裏目に出てしまった。
昼夜を問わない頻繁な銃撃、襲撃と見せかけては撤退するという行動によって、緊張が解けない状況が続く。
まず、極度の緊張感の持続からリシュリンが体調不良を訴え、ヴェルンドとミーナもひどく疲れている。
マーリンは「商人のキャラバンではよくあること」だそうで、平静を保っている。
どちらにしても休養が必要で、東側境界の街セロウェまで進んだら、数日間は休むつもりだ。
西側のシロイオを一気に通りぬけ、橋を渡り東側のセロウェに入ったのは日没の直前だった。
すぐに宿探しをしたが、川岸から離れた街の東端に、蒸気車の車庫を備えた宿があると聞いたので、そこに向かう。
セロウェの街は大きく、街外れまで一時間かかってしまった。すでに太陽が沈み、闇が街を覆っている。
宿は多いが満室ばかりで、空室の宿が見つからない。
満室/空室の表示は、高速道路のインターチェンジ付近に林立するラブホテルに似ている。
宿は高い塀に囲まれ、四方には三角屋根の高い見張り塔がある。その姿もラブホを連想させる。
ようやく空室の宿を見つけ、装甲車をガレージに入れ、リシュリン、ミーナ、ヴェルンドの三人は二階の客室に入った。
私とマーリンは、ガレージのベンチに座り、ロロに街で買った新鮮な肉を与えた。
ガレージには運転手用なのだろうか、仮眠のための三畳間ほどの個室があり、クルマを見張りながら、休憩ができる。
借りた部屋は、一階が小型蒸気牽引車と貨車一台が格納できるガレージ、二階に狭い客室四がある。ガレージは扉を閉めれば完全に閉鎖され、侵入は不可能だ。客室にも外部からの侵入はできない。防犯対策の整った施設だ。
また、宿内に食堂があり、酒も飲める。
ヴェルンドは無理をして食堂で食事をして休んだようだが、リシュリンとミーナは何も食べず同じ部屋で寝た。
私とマーリンは、食欲がなくフルーツバーを食べただけで、拳銃だけを帯びてガレージ内の個室で、靴を脱ぎ、足を伸ばして、木の床に座っていた。
何も話さずマーリンの髪を撫でていた。マーリンは、頭を私の肩に載せ、されるままにしていたが、やがて深く寝てしまった。
非常に疲れていたが、眠れなかった。あの戦いから三日間、昼夜無関係のゲリラ戦によって、完全に消耗している。
昼間に銃撃され、全員が身をかがめて装甲車に篭らねばならず、トイレ休憩もままならず、夜は突然の銃声で全員が目を覚まし、また寝入ったタイミングで銃声と、休む間を与えなかった。
これから、どうやって戦うかを考えなくてはならない。
二五〇キロを三日間で走り、燃料は六〇リットルほどを一回だけ補給したが、車体タンクはほぼ空だろう。
アゲシオラスを倒した戦いは、旅人によって各地に広まったようだ。ただ、主人公は一人で、両手で豪剣を操る使い手で、射撃の名手で、性豪なのだそうだ。野獣を子猫のように抱く大男、というのもあった。その一人の豪傑が、二〇〇騎を倒したとか。
しかし、倒されたのが奴隷商人集団の元締めの息子で、残忍な男だったという一部事実が正確に知られている。
噂の真偽はともかく、奴隷商人が誰かに大恥をかかせられた、という奴隷商人側には看過できない内容であることは事実だった。
教会の威を借り、国の内外で奴隷を調達し、教会が没収した領主や民衆の財産を独占的に処分できる奴隷商人は、誰からも恨みを買っていた。
教会は無条件に敬われ、奴隷商人は例外なく恐れられる存在でなければ、西方の秩序は保てない。
教会と奴隷商人は、反乱の芽を摘んでおきたかった。過去数百年間で初めて、公然と歯向かってきた五人の人間は、絶対に殺さねばならない。
それは理解できる。理解はできるが、殺されるつもりはない。マーリン、リシュリン、ミーナ、ヴェルンド、ロロは、必ず守る。絶対に。
三〇分ほどして、マーリンが目を覚ました。抱きついてきて、妙に甘える。甘えたいようにさせていたら、また眠ってしまった。
今度起きたら、ちゃんと寝かせるつもりだ。
だが、私も眠ってしまったようだ。
翌朝五時、マーリンが目を覚まし、抱きついているところに、リシュリンが現れた。リシュリンも抱きついてきて、二人に挟まれる。マーリンとリシュリンの胸の感触が心地いい。
一〇分ほど二人のご機嫌をとってから、あれこれと準備を始めた。
全員が起きてきたのは七時を過ぎていた。一番遅かったのはヴェルンドで、かなり恐縮していたが、無理ないことだと思う。
装甲車の前で全員に、この街には丸三日間滞在し四日目の朝に再出発すること。その間に準備を整えること、一人では出歩かないこと、ロロはリードを付けて歩かせること、を確認した。
このあたりでは、ロロのような大型ネコは「闇の獣」とは呼ばれない。ロロとは種類が違うようだが、大型ネコを連れて歩く貴人もいる。
宿の主は浮世の出来事に精通している男で、我々のことをほぼ正確に知っていた。いや、それ以上に。
ジョタンとアゲシオラスの二人を屠ったことは、奴隷商人集団の長であるターラントを烈火のごとく怒らせたようだ。
二人の子を失った悲しみではなく、奴隷商人に公然と歯向かわせたことを。
宿の主によれば、ターラントは死んだ二人の子とは、会ったことはないだろうとのことだ。父に目通りが叶うのは、本妻が生んだ五人の男子のみで、妾腹の子とは一切会わないらしい。
また、父に恥をかかせた罪により、二人の子には墓は建てられないという。
健在であったジョタンの母は、子の非を詫び、自分が産んだ他の子に罪が及ばないことを嘆願して自害したとか。
さらに、西方教会の最高位である大僧正を替え、教会支配を強めたそうだ。僧兵を解散し、奴隷商人軍団に組み入れ、軍事面での強化を図っている。
この宿泊施設内では奴隷商人に勝手はさせないが、一歩外では何が起きるかわからないから、注意しろとも警告された。
奴隷商人軍団には、他国内で暗殺や誘拐など非合法活動を行う専門の部隊がいるそうだ。
アークティカのことも聞いてみた。
アークティカが属する連合国家バルティカは、豊かな国だが、所属国ごとに独立国化していてまとまりがなく、アークティカは東方騎馬民の侵入を許し、収穫期になると略奪にあっている。その混乱に乗じて、奴隷商人が勢力を伸ばしている。
アークティカの状況はひどく、奴隷商人が一部の土地を直接支配しながら、奴隷狩りを行っている。行政府はすでになく、兵は四散し、民衆は他国に逃れるか森で獣のように暮らすかの状況に陥っている。
他国に逃れた難民の中には、逃げた先の領主が奴隷商人に通報して、捕らえさせる例もあるという。
アークティカに残った人々は、奴隷商人によって連れ去られた娘が神の力を授かって帰還し、東方騎馬民と奴隷商人を駆逐するという、街辻に立つ女占い師の予言にすがっているそうだ。
宿屋の主と話し込んでいる間、リシュリンはマーリンと一緒にいた。
リシュリンは髪結いを連れてきて、少し伸びたマーリンの髪を整えさせていた。乱雑に切られたマーリンの髪は、彼女に最後に残された外傷であった。
男の髪結いは何も聞かず、何も語らず、カットを最小限にして、彼女の赤い髪を整えていく。最後に「一年経てば、美しい髪になりましょう」といい、代金を受け取り辞去した。
マーリンの短髪は、綺麗に整えられた。
いまある機材・資材だけで、アークティカまでの旅をしなければならない。
車体側面の増加装甲用木板を外し、屋根を支える鉄骨を支柱にして横に渡し、車体側面外板を七〇センチ嵩上げした。床から一八〇センチが覆われることになり、狙撃を受けにくくした。
余った木板は、車内に持ち込み、後部座席の上に置いて、ベッドになるようにした。
移動できる荷物はトレーラーに移し、車内の有効スペースを広げる。
天井をシートなど断熱性のある荷物で覆って、日差しで天井が熱せられることを防ぐ。
昼間走り、夜は街の宿に泊まり、アークティカの国境まで進む。距離五〇〇キロ、バルティカの国境からアークティカまで、距離二五〇キロ、総走行距離七五〇キロ。七日間で走り切るつもりだ。
どこかで燃料を補給する必要がある。
二日目の夜、ヴェルンドが酒を持って、ガレージの仮眠室にやってきた。南方国の白ブドウ酒を蒸溜して熟成した酒だそうだ。
「シュン様、このような部屋でお休みになっては、お疲れが取れないでしょう。どうか、客室にお上がりください」
「いや、ここはなぜか落ち着く。それにロロが寂しがる。それと、この装甲車も寂しがるような気がする」
「ロロはともかく、機械に感情はありません」
「それはわかっているが、長く使った道具には神が宿るという。九十九神というんだがな」
「それは、シュン様の国の信仰ですか?」
「信仰、宗教というよりは、民間伝承に近いかな。
道具は大事に使おう、みたいな教えかな」
「信じておいでなのですね」
「信じている、というのではなく、身に付いているんだろう。
この装甲車は私にとっての異国が作ったもの。しかし、誰が作ろうと、そんなことは関係ない。このクルマに生命を預けている以上、大事にしなければならない。
大事にすれば、きっと応えてくれる。
それを信じているのかもしれない」
「シュン様は不思議な考えをお持ちです」
「話は変わるが、差し出たことと思うが、ヴェルンドは家族が心配ではないのか?」
ヴェルンドは一瞬、口ごもった。
「私が生まれ育った国は、西方諸国よりも文化や技術は数段優っていました。
ただ、社会制度に大きな欠陥があったのです。
優れた技術を擁し、他国を圧倒していたのですが、それが社会を歪めていったというか。 私の国にも奴隷はいました。私の家庭教師は他国の捕虜で奴隷でした。豊かな教養と博識で、とても厳しい老人でした。悪さをして、何度も鞭で打たれています。
私の国では、奴隷は一定期間働けば、自由民になれます。また、市民権も与えられます。議会の代表にもなれます。一軍の将にもなれます。
実際、遠い過去のことですが、奴隷出身者が議会の支持を受けて、国の代表者、つまり西方諸国の国王と同じ地位になったこともあります。
しかし、徐々に奴隷に労働を全面的に頼るようになり、次第に技術の振興や軍事も奴隷に任せるようになったのです。
自由民は全く働かなくなり、労働は下賎な行為とまで言われるようになり始めていました。
そこに西方諸国の奴隷制が入り、奴隷は終生奴隷のまま、家畜のように扱っていい、という風潮が芽生え始めてしまいます。実際、法を改める議論も起きていました。
父は国の状況を憂い、子には厳しく労働の尊さを教えました。
私も五歳より、午前は家庭教師に教養を教わり、午後は家業を手伝いました。
長兄は父と同意見、というよりもっと過激でした。
次兄は全く反対で、奴隷にだけに働かせて何がいけない、と反発していました。
それもあって、次兄は一六歳の時に家出し、行方はわかりません。
私の許婚者も次兄と同じ考えで、自分に使える奴隷侍女に酷いことを度々していたようです。
それが嫌で、父に親の決めた婚姻を破棄してもらいたく、願い出ていました。
私は四人兄弟で姉がいます。姉は私の許婚者を酷く嫌っていました。
母は私がまだ幼少の頃、他界しています。父は長兄に家業を譲り、隠居していました。身体を壊し、臥せっていることが多かったのです。
西方の奴隷商人が街を襲った時、長兄は商用で旅に出ていましたから、無事でしょう。
父はおそらく。ただ、父には勇猛な護衛がついておりましたから、無事に脱出した可能性もあります。
姉と許婚者は、私と一緒にいたので、奴隷商人に捕まったはずです。その後のことは全くわかりません。
心配なのは、姉と許婚者です。消息を知るには、西方にいたほうがいいのです」
ヴェルンドは泣いていた。まだ、二〇歳の若者だ。奴隷として四年間の過酷な労働に耐え、生き残った。
その後は、他愛のない話をして、日付が変わるまで飲んだ。
三日目の夜、この世界の夜は早い。二二時を過ぎれば、誰もが眠りにつく。
ミーナが完全に眠った二二時頃、マーリンとリシュリンが仮眠室にやってきた。
ヴェルンドが置いていった酒を飲み、心地よい酔いが始まっていた。
リシュリンが「主殿は逃げております。私から逃げておりますぅ」といつもの甘ったるいアニメ声を出し始めた。恐ろしい。
普段は滅茶苦茶可愛いのだが、その戦闘力は尋常ではない。リシュリンはとにかく強い。その強さを知っていると、この甘えてくる仕草がどうにも違和感がある。
マーリンが「リシュリンは剣を握っている時と、わが主の魂塊を握っている時では、人格が変わる。どっちが本性なのだ」とからかった。
リシュリンがマーリンに「それはもちろん、主殿の股間の剣を握っている時だ。
お前のように寝所で殿方を責め立てるような女は、主殿は嫌いだ」
マーリンが私を睨む。
「そんなことないよ。二人とも大好き」
二人同時に。
「その態度が許せん」
「その態度に傷つきますぅ」
その後は、互いの話になっていった。
リシュリンが身の上を話し始めた。
「私は西方王都で生まれました。王都を出たのは一七歳の時でした。
家系は代々王都の貴人で、領地はありませんが父の生業は繁盛しており、一二歳までは裕福な家庭で育ちました。
一二歳の時、父と母が宴に行き、その帰りに物取りに襲われて殺されました。
本当は、物取りではなく暗殺だったようです。
父と母の葬儀が終わるとすぐに、父の遺産はすべて親族たちが分配し、無一文となった私は僧兵を育てる目的で建立された教会に預けられました。
教会は地獄でした。強いものが弱いものを虐げ、弱いものはさらに弱いものを見つけて虐待するところでした。
一二歳の私は、すぐに身の危険に直面しました。怯えながら数日間考え抜き、その教会の最高位である僧正の愛人になりました。
僧正の愛人になれたことは幸運だったと思います。僧の中には男色や去勢した宦官もいますから。
その時の僧正は幼児愛癖の薄汚い男でしたが、私にとっては幸運だったと思います。
その後、僧正は二人代替わりしましたが、その都度、私も相続され、身の安全と、食べ物と、清潔な寝所だけは保証されていました。
教会の子らには教育が施されず、ただ殺し合いの技だけが仕込まれました。
私も剣の腕を磨き、一七歳の頃には自分だけは自分で守れるようになっていました。剣ならば、たいていの男には負けません。
教会は嫌いでした。憎んでもいました。されたこと、させられたこと、血で染まった手、何もかもが嫌でした。
絶対に逃げてやる、と自分に誓っていました。
そのために自ら願い出て、西方辺境に赴任してきたのです。
逃げ出す機会をうかがっている時に、あの岩山で主殿と会ってしまったのです。
主殿は、わたしがいままで会った男とは全く違っていました。
マーリンを見る目が優しく、私にも優しかった。かすかに記憶に残る優しい父に似ているような。
マーリンが羨ましくてならなかった。欲しいものは持ち主を殺して奪え、と教えられてきたけれど、マーリンを殺しても主殿は得られぬと悟っておりました。
そのうち、ただ主殿について行きたくなっていました。一緒にいたい。これから永遠に。自分に死が訪れるまで」
私が「俺の国では、死んでも一緒にいようね。今度生まれ返っても一緒になろうね、と言うんだけどね」と言うと、マーリンが「リシュリンとは死んでも一緒にいたいのか、復活しても一緒になりたいのか、私とはどうなのだ」と詰め寄ってきた。
「もちろん、マーリンも」と機嫌をとった。
二人が私の生い立ちを知りたがった。あまり話したくはなかったが、黙っているのも気が重かった。酔も回っていた。
「俺の親父は大きな会社の重役で、地元では柔道という格闘術の指導者であり、人格者として知られていた。
しかし、とんでもない男で、家庭では妻や子に平気で暴力を振るう人間のクズだった。女癖も悪い。
俺が五歳の時、母が突然家から追い出された。母は、何度殴られても、俺の名を呼び、親父の足にしがみついて抵抗した。
あれほど、必死な人を見たことがない。
親父は俺を平手で殴り、子供がどうなってもいいのか、と母を脅した。
かあさんは、かあさんは、泣きながら裸足で家を出た。
後に聞いたことだが、近所の人が母を助けてくれ、傷の手当と、実家に帰る交通費と、履物をくれたそうだ。
翌日、女が家に来た。その女が新しい母だと言われた。
その女を家に入れるために母を追い出したんだ。
その女は親父が浮気するたびに、幼かった俺を虐待した。食事を与えない、水を飲ませない、嘘つき呼ばわり、異常者扱い、肉体的・精神的に追い詰められていった。
親父は機嫌が悪いと俺を意味なく殴った。僅かなことで、拳が飛んできた。
だが、何とか一七歳まで生き延びた。
一七歳の夏、俺は名門の進学高校に通っていたんだが、学校近くの駅で女子高生に呼び止められた」
ここで、進学、高校、女子高生、その他用語の説明をしたが、二人とも理解半分といった感じだ。無理もない。
「その子は、俺の母について知らせたいことがある、と言い、連絡先を教えて去った。
後日、連絡をしてみた。その子の家に来いというので、行ってみた。
母は仏壇の中で微笑んでいた。仏壇の前で泣いた。母と別れて以来、初めて悲しくて泣いた。
その子の父親が、経緯を教えてくれた。母は実家に帰ったあと、俺を取り戻すために、法に訴えたそうだ。
しかし、父が雇った何人もの弁護士が親父を勝たせ、母は法でも負けてしまった。
その人は、母が少し落ち着き、生活のために働き出した頃、出会ったそうだ。
その人と母は結婚し、その人の女の子と三人で仲良く暮らしていたと聞いた。
母は仕事を続け、その収入から俺のために金を残してくれた。三〇〇万。大金だし、かあさんの魂が込められている。
その金をその人に、高校を卒業するまで預かってもらった。
その日から親父への俺の静かな抵抗が始まった。
親父からは親父が出た大学に進学するよう厳命されていたが、選んだのは地方の大学で、学部も親父の希望とは正反対だった」
ここで、用語解説を挟んで、また話し出す。
「親父は罰として学費を一切出さなかったが、母が残してくれた三〇〇万がある。
入学金や最初の授業料は何とかなった。働きながら四年間の大学生活を過ごし、二二歳で卒業した。
四年間で、少し普通の大学生と違う経験をした。住まいの近くにキックボクシングジムがあり、誘われて週に二度一回二時間のトレーングを受けた。
大した意図はなかったが、虐待に痛めつけられた虚弱な体質を何とかしたかった。
四年もやっていると、そこそこ技術は身に付くもので、健康になったし、身体に筋肉がついた。
大学卒業の際、親父と一悶着あった。親父が世話した会社ではなく、自分で選んだ外資に就職したんだ。
親父に呼び出され、四年ぶりに自宅で会った。
馬鹿親父は、いきなり殴りかかってきた。だが、拳を何回振るっても、一発も当たらない。
パンチを避けるのだけは上手いんだ。
馬鹿親父はいきり立って、無我夢中で殴ってくる。面倒くさくなって、腹に一発入れてやった。親父は両膝を突いた。俺を見上げる顔は恐怖に歪んでいた。こんなちっぽけな男が自分の父親と思うと、無性に腹が立ってきた。
馬鹿親父をサンドバックみたいにぶん殴ってやった。手加減はしたけどね。
顔の形が十分に変わった所で、抵抗する人間は怖いか、と聞いてやった。親父は幼かった俺のように部屋の隅で震えていた。
親父の女は失禁してしゃがみこんでいた。食べ物を床にぶちまけ、俺に四つん這いで食べさせた女が、その俺を恐れて小便を漏らして震えている。滑稽だったよ。
それ以来、六年間一度も会っていなかった。
が、その親父と親父の女が交通事故で死んだと、警察から連絡があった。
事故は親父の自損で、崖から落ちたとか。
親父の遺体を引き取って、火葬にし、葬式をせずに先祖代々の墓に入れた。女の遺体は、どうなったのか知らない。
親父の遺産は家以外に何もなく、それを家財ごと売った。家は取り壊され、更地にするそうだ。
親父の会社から、お別れの会をしたい、と連絡があったが、どうぞ、ただし私には関係ない、と言ってやった」
マーリンとリシュリンは黙って聞いていた。半分理解できたかどうか。ただ、私が父親を憎んでいたことは、理解したようだ。
マーリンが私の頭を抱いて、髪を優しく撫でてくれた。
マーリンが故郷のことを話し始めた。
「アークティカは実りの多い土地で、秋になれば穀物や果物がたくさん採れる。大きな内海があり、その沿岸には数カ国がある。海の幸も豊かだ。
幼い頃から食べ物に窮したことはない。
父、母、兄、姉、弟がいる。父は商人で、他国に穀物を売り、他国からその国の産物を仕入れていた。
冬の直前、父と兄が二〇〇輌もの蒸気車を連ねて、交易に向かう姿を誇らしく思っていた。
私が一二歳の秋、初めて東方騎馬民の略奪があった。収穫直後の作物がたくさん奪われ、困窮する人々が大勢いた。
行政府は兵の消耗を恐れて、積極的な防衛策を講じようとしなかった。毎年毎年、略奪が続き、土地は荒れていった。行政府は税の徴収に困るようになり、金貸しを装った奴隷商人が入り込んできた。
そして奴隷狩りが始まった。
兄は略奪者との戦いで死に、姉の夫は奴隷商人との最初の戦いで死んだ。
民衆は、農民、街人のすべてが略奪者と奴隷商人との度重なる戦いで、貧しくなり、飢えていく。
私たちは、最後の戦いに臨んだ。子どもと老人だけの、最後の戦力だった。
目的は、時間を稼いで一人でも多くの民衆を逃がすこと。
でも、それは漁師の網に飛び込む魚のようなものだった。次々に捕らえられ、怪我をしたものや老いたものは殺された。
初めて、わが主に会った時、あぁこれで死ぬんだ、と思った。
私の首には値札がかけられ、値の下には、獣の餌に、と書かれていたから、そうなるものと覚悟していた。
買われた時、わが主は私に履物を買い与えようとした。履物屋がそれを拒むと、刀に手をかけた。一回大きく息をし、自分の靴を脱ぎ、私の足の裏を素手で払って、靴を履かせてくれた。
その上で、自分の履物を買った。こんな人はいない。絶対に。そう思った。
川原で果物を食べさせてくれ、装甲車に連れて行かれたのだが、そこにロロがいた。
その時は、ロロの餌になるんだ、と覚悟した。
岩山について、身体を洗ってもらい、薬を飲まされ、薬を塗られ、痛かった。
しかし、身体の病はたった三日で治った。奇跡だった。
奴隷商人に囚われていた三カ月間の辛さは、誰にも語れぬが、わが主に出会ってからは、毎日が楽しい。家族のことは心配だが、わが主と一緒にいたい。
あの苦しみは、わが主に出会うための試練だったのだ」
二人は強引に酒を飲み始め、酔って寝てしまった。リシュリンは私の肩に頭を持たれかけて、マーリンは私の膝を枕に、出会った時のように手を握って。
未成年との飲酒、一八歳以下と知りながらの性行為、社会的に許されないことをしていた。
だが、この世界は私のいた社会ではない。
四日目の朝、五人と一匹はマーリンの故郷に向けて出発した。
私は、非常に困難な旅になることを覚悟していた。
表向きは、マーリンとリシュリンの捕物協力に対する礼ということだ。
官憲一名が三〇歳を少し超えた男で非常に風格を感じたが、彼の上司がありきたりの挨拶をしながら、チラチラと同意を求めるように、一介の官憲を見ている。間違いなく、この三〇歳過ぎの官憲が決定権のある男だ。
これは、サラリーマンとしての直感だ。
壮年も終わりに近づいている官憲が、マーリンとリシュリンに「その節は……」と礼を言う。
それに答えてリシュリンが、「こちらこそ、この家の家主を紹介していただいて……」と返礼する。
これ以後が本題だった。
上司が「実は、お願いごとがありうかがいました」と切り出した。と同時に、上司の言葉を遮り、三〇歳過ぎの官憲が話し出した。「名は名乗らぬ。許せ。
貴殿と会い、街人の噂とはいささか異なる人物と見たので、私から話そう」
街人の噂とは、マーリンとリシュリンを相手に毎晩一〇回というあれか?
内心で赤面した。
「本日、ある男が私の屋敷を訪れた。その男は、この街に逗留する旅人の放逐を要求してきた。
私はこの街に住むものではないが、この街にはいささかの義務がある。まぁ、街人の生命と財産を守る義務とでも言っておこう。
来訪者は、奴隷商人ターラントの第二〇子、アゲシオラスと名乗った。
ターラントは子福で、噂によれば二四人の子があるそうだ。
アゲシオラス殿の言によれば、末子ジョタン殿を殺めた犯人が、この街に逃げ込んだ。
この地方の貴人の間での噂だが、西方のどこかの街で最近、奴隷商人の百騎隊を相手に戦をしたものがいたという。
百騎隊に歯向かったのは、わずかに五人。だが、百騎隊は壊滅したとか。
その百騎隊の指揮官が、ジョタン殿とするならば、アゲシオラス殿の話と辻褄が合う。
アゲシオラス殿は、ジョタン殿を卑怯な方法で殺したのが、貴殿たち五人と言っていた。 五人とは、幼子一、妙齢な婦人二、そして二人の男子だという。幼子は妖かしの化身、婦人二人は魔女、男子二人はその召使だそうだ。
聞くところによれば、貴殿たちは街人と仲よくしていたそうだ。争い事もなく、礼儀正しく、ときには盗賊捕縛にも協力してくれた。
貴殿たちに恨みはないが、この街を立ち退いてくれないか?
いまは奴隷商人と事を構える時期ではない。街人を守らねばならぬ」
「わかりました。
明日、正午までに立ち退きましょう。
どちらにしても、あと数日で出立するつもりでした。
午前中に、街人よりお借りしたものをお返しし、お世話になった方々に挨拶をいたします。
アゲシオラス殿とやらにお伝え頂けましょうか?
明日午後、川の北岸東部丘陵に行くと」
「承知した。
確かに伝えよう」
壮年の官憲が何かを言おうとしたが、上司が抑えた。
三人が席を立ち、蒸気車に乗り込む。運転手を務める壮年の官憲が深々と頭を下げ、三人は走り去った。
マーリンが「あの男は、下級官憲の制服を着ていましたが、領主か代官でしょうか?」
「そうだろうな」と答えた。
全員に「明日、一一時に出発」と告げ、今夜の見張りは、翌三時まで私が、それ以降はヴェルンドが担任し、ほかは眠るように指示した。
マーリン、リシュリン、ミーナ、ヴェルンドは、早々に寝床に入り、私は眠れない夜を眠らずに過ごした。
ヴェルンドは、二時頃に起きてきた。
「どうか、少しでも眠ってください」とヴェルンドが気遣ってくれた。
「ヴェルンドは眠れたか?」と聞くと、首を左右に振り、「いささか興奮しています。浅い眠りでした」と答えた。
ヴェルンドに見張りを任せ、自室に戻った。ヴェルンドは、名残惜しいのか鍛冶場に向かった。
自室のベッドには、図々しくもマーリンとリシュリンが寝ていた。
二人を起こさないよう壁にもたれて座り、仮眠しようとしたが、マーリンが目を覚ました。
ベッドに入るよう促す。リシュリンも目を覚ました。
服を脱ぎ下着になって、ベッドに入った。マーリンが右、リシュリンが左。
マーリンは「戦の前の男女の秘め事は、勝利を遠ざけるといいますが、本当と思うか?」と聞いてきた。
リシュリンに胸を撫でられている。
「いや、そんな話は聞いたことがない」と答えた。二人を抱きたかったし、正直なところ二人でなくてもよかった。あと数時間後に何が起こるのか、どういう運命が待っているのかを考えると、怖かった。
恐怖を忘れるため、セックスにのめり込みたかった。
リシュリンが甘えた声で言う。
「主殿に死んでもらっては困ります。戦の前の秘め事は、男子の力を削ぎまする。
なので、今夜は一度だけにしましょう」
でも、するのね。
リシュリンが続けて「我らがわが主のために全力を出すには、わが身体に注ぎ込まれた子種の神秘の力が必要です。
しかし二人同時は、わが主に無用な体力を使わせてしまいます。それでは、今日の戦いに障りが出ます。
残念ですが、今夜は一人ずつお抱きください」
計画していたのだろうか、リシュリンが覆いかぶさってきた。マーリンがベッドの隅に避ける。
リシュリンの身体を返し、彼女の上になる。夜着を胸まで引き上げ、豊満な胸を揉みながら、キスをし、続いて乳首を貪った。
リシュリンは下着をつけていた。女性と男性の下着には形状の差がなくショートパンツ形で、腰を紐で締めて止める簡単な構造になっていた。
彼女の下着の紐を解き、脱がせようとすると、顔を両手で覆った。「え! 恥ずかしいの?」と内心で驚く。
恥ずかしいようで、マーリンをチラッと見ると、彼女は驚いている様子だ。
リシュリンの足を開かせ、ヘアをかき分けながら、舌で愛撫した。
リシュリンはセックスの間、ほとんど声を出さない。息遣いが荒くなるだけだ。ただ、その呼吸自体が妖艶で、実にそそられる。
彼女を舌で刺激しながら、両手で乳首を刺激する。
リシュリンが激しくもがく。
我慢ができなかった。下着を脱ぎ捨て、リシュリンの唇を両手で広げ、正常位で挿入する。
リシュリンの息遣いが一層激しくなり、身体をくねらせ、激しく反応する。
異常なほどの快感だった。不覚にも五分ほどで、射精してしまった。
リシュリンは左横を向き、両手を耳のあたりに置き、恍惚としている。
残り少ないティッシュを彼女の股間にあて、引き抜くと精子が逆流してきた。彼女の右手を取り、ティッシュを抑えるように促した。
それでもリシュリンは、意識が明瞭ではないようだ。身体を左に転がし、うつ伏せになって、右手で股間を抑えている。エッチで可愛らしい。
マーリンに近寄る。彼女は怯えていた。身体を固くし、少し震えている。マーリンをベッドの中央にまで導く。
夜着を腰までたくし上げ、下着の紐に手をかける。
マーリンが下着に手を添え、抵抗する。構わず、下着をお尻の方から脱がす。熟した桃の皮を剥くように簡単だった。
彼女は両膝を立て、両の拳を握り、両手で下腹部を隠そうとする。
部屋は暗く、月明かりが物の輪郭を浮き出す程度だ。だが、マーリンの恥ずかしがる様子が、明瞭にわかる。
両足を開かせようとすると、抵抗し「いや」と小声で言った。少し強引に足を開かせ、太腿を舐めながら、両足の合流地点をゆっくりと時間をかけて目指した。
彼女の無毛の股間は舐めやすい。丹念に根気よく舐めると、声を出し始めた。小鳥のように可愛い、小さな声だ。
正直、今夜なら一〇回できそうな気がしてきた。マーリンもリシュリンも可愛すぎる。
我慢できなかった。
マーリンに挿入すると、彼女は激しく首を振り、苦しげに顔を歪めた。何度も腰を浮かせ、そのたびに深く突いた。
またもや五分が限界だった。不甲斐ない。
二度目なのに、射精した量が多い。まだ抜いていないが、それがわかる。
ティッシュを彼女の股間にあて、抜くとやはり逆流してきた。綺麗に拭いてやり、下着を穿かせてやった。
その様子をリシュリンが見ていた。「私にはやさしくない」と拗ね始め、彼女にも下着を穿かせてやる。
しばらくキスをしながら三人で話をして、二人は自室に戻っていった。
すでに三時を過ぎていた。
二人とのセックスが気を沈めたのか、その後は深く眠れた。
起きたのは七時を過ぎていた。
すでに四人は準備を始めており、装甲車は家の前に引き出されている。トレーラーも連結されている。
顔を洗い、服を着替え、自分の荷物をまとめ、装甲車に積み込んだ。
五人の荷物は各自ボンサック一個に限られている。この頃には、私が持参したスーツケースの中身はトラベルセットを始め、衣類や雑貨のすべてが三人の強欲女に奪われていた。かろうじて、ジーンズと下着のパンツと靴だけは確保していたが、ほかは三人のうちの誰かのものだ。
特に白の衣類に魅力を感じるらしく、下着のTシャツやワイシャツはマーリンとリシュリンが独占し、小物や文具はミーナの占有物になっている。
なお、ビジネスバックは、まだ完全に確保していた。
マランジュの街で手に入れた、質素な服を着た。それは五人とも同じだ。シャツはポロシャツのような襟のあるタイプで、胸の部分を靴紐のように結ぶ。繊維自体が茶色を帯びていて、黄土色をしている。ズボンは黒だ。
九時、ミーナと一緒に、家主の家に辞去の挨拶と代金の確認に蒸気車で向かった。ミーナは家主の奥方から菓子を貰っており、その礼がしたいとのことだった。
家主の邸宅の門をくぐると、家主と奥方が車寄せまで出迎えてくれる。一〇人ほどの使用人も集まっている。
出立の意思を話し、庭先での辞去の許しを請い、代金の確認をした。鍛冶場を使わせてもらったこと、納屋等にあった木材の一分を使ったことなどを説明し、追加代金の支払を願い出た。
家主は「必要ない」と言い、旅の無事を祈ってくれた。
女性の使用人の何人かが泣いている。事情を知っているのだろう。
唐突に奥方が問いかけた。
「あの、このお譲ちゃんも一緒に行くのですか?
できれば当家にて、お預かりしたいのですが……」
何を、どう、答えればいいのか、逡巡した。
「事情はご存知と思います。
連中はこの子も狙っているのです。
この子を殺めるか、市場で晒す以外に面目を保つことはできないでしょう。
この子が残れば、貴家と街に迷惑をかけます。
この子は我々と一緒に行きます。
また、我々にはこの子が必要なのです」
奥方は大粒の涙を浮かべ、嗚咽した。
「こんな可愛い子にどんな罪が……」
家主が手を差し出し、「旅のご無事を」と言う。差し出された手を握り、例を言った。
ミーナが「さようなら」ときちんと挨拶した。
借家に戻ると、すでに一〇時を過ぎていた。
マーリンが蒸気車に乗り先導し、その後ろを装甲車が進み、街の東の橋を目指す。
街道に出ると、大勢の街人がいた。大半は見物人だろうが、見知った顔も多い。
マーリンに貸し蒸気車屋が駆け寄り、保証金と使用料の計算書を見せ、その場で精算してくれた。
スタンドの店主や店員のおばちゃん、鍛冶屋の親父さんなど、世話になった人々が見送りに来てくれた。
官憲はリシュリンの手を強く握り、泣いている。スタンドのおばちゃんがミーナに花一輪を手渡す。死出の旅立ちのはなむけだ。
すでに一一時を過ぎている。全員に乗車を命じ、橋に向かってゆっくりと出発する。
ミーナが「さようなら」と大声で叫び、手を振る。
リシュリンが運転席の私に「昨日の来訪者は領主殿だそうです。我々を大櫓から見守っているとのこと。それと、敵の数は二〇〇と聞きました」と伝えた。
二〇〇対五の戦いだ。
橋を渡り切ると装甲車を止め、運転席で立ち上がり、街を見返した。
川の南の稜線に多くの人が集まっている。高さ四〇メートルほどの大櫓にも人影が見える。街の高い建物の屋上にも、人が集まっているようだ。
運転席と助手席ドアの上部装甲板を上げ、固定する。フロントの装甲板を下ろす。
ミーナが助手席に座り、手製のシートベルトで身体を固定する。その足元にロロが潜り込む。
マーリンはルイス軽機を兵員室最前部に置いた土嚢の上、運転席側に据える。
ヴェルンドはその右隣、助手席側にBARを同じように据える。
リシュリンはM2カービンを構えて、兵員室の最後部に陣取る。ここにも土嚢を据えてある。
マーリンとリシュリンが、羽織っていたマントを脱ぐ。
運転席から振り向くと、短パンを穿いたマーリンの美味しそうな長い足が見えた。
リシュリンが兵員室右側側面に小さな青と白のチェックの布の付いた棒を立てた。
「それは何か」と尋ねると、「我々の旗だ」と答えた。
ギンガムチェックの旗だ。
その旗を見て、なぜか異常な緊張感が遠のいていく。
再度、装甲車を発車する。ホワイト160AX水冷直列六気筒サイドバルブ・エンジンの小気味のいいエクゾーストノートが響き渡る。
畑地を抜け、丘陵地帯に入り、丘を一つ登った。
丘の頂上から東四〇〇メートルに別の丘の頂上があり、そこに横隊の騎馬兵がいた。横隊は二列、前列は丘の中腹より上に位置し、約一〇〇騎。後列は頂上にあり、右翼、中央、左翼の三隊に分かれている。
右翼と左翼は約三〇騎、中央は右翼左翼と前列の中間にあり三〇騎、その後方頂上に大将と護衛らしい騎馬が一〇。
基本は以前の戦闘時と同じ配置だ。
前回と違うのは、敵の兵力が倍。こちらの準備は万端。燃料も豊富だ。
丘と丘の頂上の距離は一〇〇〇メートル。中間地点が最も低くなっているが、標高差は一五メートル程度だ。緩やかに下り、緩やかに上る、このあたりでは最も平坦な場所と言える。
最大斜度は四度程度。後部履帯の四駆車ならどうということはない地形だ。だが、馬には相当きついはず。
双眼鏡で観察していると、敵もこちらを望遠鏡で見ていた。街のほうを見た。多くの街人が観戦しているようだ。距離があるのでよく見えないだろうが、空気は澄んでいて見通しはいい。雲もなく、視界を遮るものは一切ない。
おもむろに前列が動き出した。運転席に入り、副変速機をエクストラローに入れ、主変速機をセカンドに入れて走り出す。主変速機をサードに入れる際、ミーナがこちらを見て笑うのが見えた。ロロは腹を見せている。
どいつも普通の神経じゃない。
私はマーリンが下着を脱がされる際、どうしてあれほど恥ずかしがったのか知りたかった。そのことばかり考えていた。
装甲車の速度は、斜面を駆け下り切る以前に時速四〇キロを超えていた。馬のギャロップは二〇キロ程度なので、すでに倍。
斜面を下り切り、敵側の丘を登り始める瞬間、マーリンとヴェルンドが発砲し始めた。
眼前の騎馬兵が崩れ落ちていく。そして前線を突破し、急速に第二列中央に迫る。
リシュリンが背を向けた第一列の兵に掃射する銃声が聞こえる。
第二列中央は、速度を全く緩めず、高速で接近して来る装甲車に動揺し、一部が頂上方向に逃走し始めた。
頂上では本陣一〇騎と後退した騎馬とがもつれ合い、統率をなくしている。右翼と左翼が反対斜面に遁走し始める。
マーリンとヴェルンドの掃射は止まず、相互に弾倉を交換しながら、間断ない射撃を加える。
装甲車は敵側丘の頂上を越える。そのまま遁走する敵を追撃する。瞬く間に追いつき、後方から射撃を加え、次々に敵兵が落馬していく。
敵は逃げやすい方向に向かい、ヘトヘトの馬に鞭を入れて、敵側の丘を大きく右に迂回するように、相互の丘の最低部に戻っていった。
すでに銃撃しなくても馬は走れなくなり、敵兵は馬を失い、徒歩で走り回っている。それを、リシュリンが狙い撃つ。
敵兵の多くは銃と剣を捨て、冑も捨て、右往左往している。
わずかに残った騎馬が、徒歩の兵を踏み倒す。残存の第一列の騎馬が隊列を整えないまま突撃して来るが、この戦闘で敵はほぼ無力化した。
馬を残したものは一目散に逃げ、徒歩となってしまった兵は蜘蛛の子を散らすように、四方に逃げていく。
装甲車は止まらない。走り回り、敵を追い、追い越し、狙い撃ちした。すでにマーリンとヴェルンドは、カービンとライフルに持ち替え、斜面を四つん這いで逃げる敵兵を掃討している。
マーリンが車体側面を叩いて「止まれ」と叫び、一〇分間の戦闘が終わった。この一〇分は、一時間以上に感じた。
マーリンの様子が変だ。
荷室に移ると、ゴムの履帯に右腕を踏まれた大男が横たわっている。
ヴェルンドは掃討を続けている。ここはまだ戦場だ。
マーリンの右手には、ガバメントが握られている。マーリンは街に滞在している間に自作で新しいホルスターを誂え、両脇にガバメントを吊るせるようにしていた。右脇のホルスターにはガバメントが収まったままで、右手のガバメントは左脇のホルスターから抜かれていた。
大男が「奴隷女が!」と喚いた。マーリンの顔には、凄まじいほどの怒気が表れている。
ガバメントの銃口は相手の額を狙っている。手が振るえている。
私は腰に下げたホルスターからリボルバーを抜き、兵員室からその男の胸を撃った。この男がアゲシオラスだろう。マーリンとの因縁はともかく、もう死んだ男だ。
リシュリンが腰の背のホルスターからブローニング拳銃を抜いていた。どういう男かしらないが、女の恨みを買うような奴なのだろう。だが、もう死人だ。終わった。
丘を登り、東に向かう。街道に出られる渡渉点を探さなぬてはならない。
街道の街は四〇から五〇キロごとにあった。徒歩の移動距離が一日四〇から五〇キロ、馬や馬車では一日八〇から一〇〇キロ、貨物蒸気車は巡航時速一二キロ程度なので、一日で一二〇キロ進める。
街は、旅人に宿を提供し、替え馬を用意し、燃料や水を補給する。
街と街の間で夜になれば野営するが、動物との接触や野盗の襲撃など、危険が多い。
各街には蒸気車と乗員がともに起居できる宿があり、こういった宿なら積荷の不寝番も可能だ。
西方と東方の境界には、セムリキ川という大河が流れている。この川を渡るには、西側シロイオ、東側セロウェという街を結ぶ橋を渡らなくてはならない。
この橋を渡れば、表向きは西方教会の影響圏から脱し、西方教会との結び付きが強い奴隷商人集団の行動は無分別とはいかなくなる。
しかし、安全になるわけではなく、むしろ暗殺や喧嘩に偽装した襲撃に注意する必要が出てくる。
シロイオまでの二五〇キロは、街に泊まらず野営を続けた。各街に迷惑をかけたくなかったことと、暗殺を警戒したためだ。
しかし、この判断は裏目に出てしまった。
昼夜を問わない頻繁な銃撃、襲撃と見せかけては撤退するという行動によって、緊張が解けない状況が続く。
まず、極度の緊張感の持続からリシュリンが体調不良を訴え、ヴェルンドとミーナもひどく疲れている。
マーリンは「商人のキャラバンではよくあること」だそうで、平静を保っている。
どちらにしても休養が必要で、東側境界の街セロウェまで進んだら、数日間は休むつもりだ。
西側のシロイオを一気に通りぬけ、橋を渡り東側のセロウェに入ったのは日没の直前だった。
すぐに宿探しをしたが、川岸から離れた街の東端に、蒸気車の車庫を備えた宿があると聞いたので、そこに向かう。
セロウェの街は大きく、街外れまで一時間かかってしまった。すでに太陽が沈み、闇が街を覆っている。
宿は多いが満室ばかりで、空室の宿が見つからない。
満室/空室の表示は、高速道路のインターチェンジ付近に林立するラブホテルに似ている。
宿は高い塀に囲まれ、四方には三角屋根の高い見張り塔がある。その姿もラブホを連想させる。
ようやく空室の宿を見つけ、装甲車をガレージに入れ、リシュリン、ミーナ、ヴェルンドの三人は二階の客室に入った。
私とマーリンは、ガレージのベンチに座り、ロロに街で買った新鮮な肉を与えた。
ガレージには運転手用なのだろうか、仮眠のための三畳間ほどの個室があり、クルマを見張りながら、休憩ができる。
借りた部屋は、一階が小型蒸気牽引車と貨車一台が格納できるガレージ、二階に狭い客室四がある。ガレージは扉を閉めれば完全に閉鎖され、侵入は不可能だ。客室にも外部からの侵入はできない。防犯対策の整った施設だ。
また、宿内に食堂があり、酒も飲める。
ヴェルンドは無理をして食堂で食事をして休んだようだが、リシュリンとミーナは何も食べず同じ部屋で寝た。
私とマーリンは、食欲がなくフルーツバーを食べただけで、拳銃だけを帯びてガレージ内の個室で、靴を脱ぎ、足を伸ばして、木の床に座っていた。
何も話さずマーリンの髪を撫でていた。マーリンは、頭を私の肩に載せ、されるままにしていたが、やがて深く寝てしまった。
非常に疲れていたが、眠れなかった。あの戦いから三日間、昼夜無関係のゲリラ戦によって、完全に消耗している。
昼間に銃撃され、全員が身をかがめて装甲車に篭らねばならず、トイレ休憩もままならず、夜は突然の銃声で全員が目を覚まし、また寝入ったタイミングで銃声と、休む間を与えなかった。
これから、どうやって戦うかを考えなくてはならない。
二五〇キロを三日間で走り、燃料は六〇リットルほどを一回だけ補給したが、車体タンクはほぼ空だろう。
アゲシオラスを倒した戦いは、旅人によって各地に広まったようだ。ただ、主人公は一人で、両手で豪剣を操る使い手で、射撃の名手で、性豪なのだそうだ。野獣を子猫のように抱く大男、というのもあった。その一人の豪傑が、二〇〇騎を倒したとか。
しかし、倒されたのが奴隷商人集団の元締めの息子で、残忍な男だったという一部事実が正確に知られている。
噂の真偽はともかく、奴隷商人が誰かに大恥をかかせられた、という奴隷商人側には看過できない内容であることは事実だった。
教会の威を借り、国の内外で奴隷を調達し、教会が没収した領主や民衆の財産を独占的に処分できる奴隷商人は、誰からも恨みを買っていた。
教会は無条件に敬われ、奴隷商人は例外なく恐れられる存在でなければ、西方の秩序は保てない。
教会と奴隷商人は、反乱の芽を摘んでおきたかった。過去数百年間で初めて、公然と歯向かってきた五人の人間は、絶対に殺さねばならない。
それは理解できる。理解はできるが、殺されるつもりはない。マーリン、リシュリン、ミーナ、ヴェルンド、ロロは、必ず守る。絶対に。
三〇分ほどして、マーリンが目を覚ました。抱きついてきて、妙に甘える。甘えたいようにさせていたら、また眠ってしまった。
今度起きたら、ちゃんと寝かせるつもりだ。
だが、私も眠ってしまったようだ。
翌朝五時、マーリンが目を覚まし、抱きついているところに、リシュリンが現れた。リシュリンも抱きついてきて、二人に挟まれる。マーリンとリシュリンの胸の感触が心地いい。
一〇分ほど二人のご機嫌をとってから、あれこれと準備を始めた。
全員が起きてきたのは七時を過ぎていた。一番遅かったのはヴェルンドで、かなり恐縮していたが、無理ないことだと思う。
装甲車の前で全員に、この街には丸三日間滞在し四日目の朝に再出発すること。その間に準備を整えること、一人では出歩かないこと、ロロはリードを付けて歩かせること、を確認した。
このあたりでは、ロロのような大型ネコは「闇の獣」とは呼ばれない。ロロとは種類が違うようだが、大型ネコを連れて歩く貴人もいる。
宿の主は浮世の出来事に精通している男で、我々のことをほぼ正確に知っていた。いや、それ以上に。
ジョタンとアゲシオラスの二人を屠ったことは、奴隷商人集団の長であるターラントを烈火のごとく怒らせたようだ。
二人の子を失った悲しみではなく、奴隷商人に公然と歯向かわせたことを。
宿の主によれば、ターラントは死んだ二人の子とは、会ったことはないだろうとのことだ。父に目通りが叶うのは、本妻が生んだ五人の男子のみで、妾腹の子とは一切会わないらしい。
また、父に恥をかかせた罪により、二人の子には墓は建てられないという。
健在であったジョタンの母は、子の非を詫び、自分が産んだ他の子に罪が及ばないことを嘆願して自害したとか。
さらに、西方教会の最高位である大僧正を替え、教会支配を強めたそうだ。僧兵を解散し、奴隷商人軍団に組み入れ、軍事面での強化を図っている。
この宿泊施設内では奴隷商人に勝手はさせないが、一歩外では何が起きるかわからないから、注意しろとも警告された。
奴隷商人軍団には、他国内で暗殺や誘拐など非合法活動を行う専門の部隊がいるそうだ。
アークティカのことも聞いてみた。
アークティカが属する連合国家バルティカは、豊かな国だが、所属国ごとに独立国化していてまとまりがなく、アークティカは東方騎馬民の侵入を許し、収穫期になると略奪にあっている。その混乱に乗じて、奴隷商人が勢力を伸ばしている。
アークティカの状況はひどく、奴隷商人が一部の土地を直接支配しながら、奴隷狩りを行っている。行政府はすでになく、兵は四散し、民衆は他国に逃れるか森で獣のように暮らすかの状況に陥っている。
他国に逃れた難民の中には、逃げた先の領主が奴隷商人に通報して、捕らえさせる例もあるという。
アークティカに残った人々は、奴隷商人によって連れ去られた娘が神の力を授かって帰還し、東方騎馬民と奴隷商人を駆逐するという、街辻に立つ女占い師の予言にすがっているそうだ。
宿屋の主と話し込んでいる間、リシュリンはマーリンと一緒にいた。
リシュリンは髪結いを連れてきて、少し伸びたマーリンの髪を整えさせていた。乱雑に切られたマーリンの髪は、彼女に最後に残された外傷であった。
男の髪結いは何も聞かず、何も語らず、カットを最小限にして、彼女の赤い髪を整えていく。最後に「一年経てば、美しい髪になりましょう」といい、代金を受け取り辞去した。
マーリンの短髪は、綺麗に整えられた。
いまある機材・資材だけで、アークティカまでの旅をしなければならない。
車体側面の増加装甲用木板を外し、屋根を支える鉄骨を支柱にして横に渡し、車体側面外板を七〇センチ嵩上げした。床から一八〇センチが覆われることになり、狙撃を受けにくくした。
余った木板は、車内に持ち込み、後部座席の上に置いて、ベッドになるようにした。
移動できる荷物はトレーラーに移し、車内の有効スペースを広げる。
天井をシートなど断熱性のある荷物で覆って、日差しで天井が熱せられることを防ぐ。
昼間走り、夜は街の宿に泊まり、アークティカの国境まで進む。距離五〇〇キロ、バルティカの国境からアークティカまで、距離二五〇キロ、総走行距離七五〇キロ。七日間で走り切るつもりだ。
どこかで燃料を補給する必要がある。
二日目の夜、ヴェルンドが酒を持って、ガレージの仮眠室にやってきた。南方国の白ブドウ酒を蒸溜して熟成した酒だそうだ。
「シュン様、このような部屋でお休みになっては、お疲れが取れないでしょう。どうか、客室にお上がりください」
「いや、ここはなぜか落ち着く。それにロロが寂しがる。それと、この装甲車も寂しがるような気がする」
「ロロはともかく、機械に感情はありません」
「それはわかっているが、長く使った道具には神が宿るという。九十九神というんだがな」
「それは、シュン様の国の信仰ですか?」
「信仰、宗教というよりは、民間伝承に近いかな。
道具は大事に使おう、みたいな教えかな」
「信じておいでなのですね」
「信じている、というのではなく、身に付いているんだろう。
この装甲車は私にとっての異国が作ったもの。しかし、誰が作ろうと、そんなことは関係ない。このクルマに生命を預けている以上、大事にしなければならない。
大事にすれば、きっと応えてくれる。
それを信じているのかもしれない」
「シュン様は不思議な考えをお持ちです」
「話は変わるが、差し出たことと思うが、ヴェルンドは家族が心配ではないのか?」
ヴェルンドは一瞬、口ごもった。
「私が生まれ育った国は、西方諸国よりも文化や技術は数段優っていました。
ただ、社会制度に大きな欠陥があったのです。
優れた技術を擁し、他国を圧倒していたのですが、それが社会を歪めていったというか。 私の国にも奴隷はいました。私の家庭教師は他国の捕虜で奴隷でした。豊かな教養と博識で、とても厳しい老人でした。悪さをして、何度も鞭で打たれています。
私の国では、奴隷は一定期間働けば、自由民になれます。また、市民権も与えられます。議会の代表にもなれます。一軍の将にもなれます。
実際、遠い過去のことですが、奴隷出身者が議会の支持を受けて、国の代表者、つまり西方諸国の国王と同じ地位になったこともあります。
しかし、徐々に奴隷に労働を全面的に頼るようになり、次第に技術の振興や軍事も奴隷に任せるようになったのです。
自由民は全く働かなくなり、労働は下賎な行為とまで言われるようになり始めていました。
そこに西方諸国の奴隷制が入り、奴隷は終生奴隷のまま、家畜のように扱っていい、という風潮が芽生え始めてしまいます。実際、法を改める議論も起きていました。
父は国の状況を憂い、子には厳しく労働の尊さを教えました。
私も五歳より、午前は家庭教師に教養を教わり、午後は家業を手伝いました。
長兄は父と同意見、というよりもっと過激でした。
次兄は全く反対で、奴隷にだけに働かせて何がいけない、と反発していました。
それもあって、次兄は一六歳の時に家出し、行方はわかりません。
私の許婚者も次兄と同じ考えで、自分に使える奴隷侍女に酷いことを度々していたようです。
それが嫌で、父に親の決めた婚姻を破棄してもらいたく、願い出ていました。
私は四人兄弟で姉がいます。姉は私の許婚者を酷く嫌っていました。
母は私がまだ幼少の頃、他界しています。父は長兄に家業を譲り、隠居していました。身体を壊し、臥せっていることが多かったのです。
西方の奴隷商人が街を襲った時、長兄は商用で旅に出ていましたから、無事でしょう。
父はおそらく。ただ、父には勇猛な護衛がついておりましたから、無事に脱出した可能性もあります。
姉と許婚者は、私と一緒にいたので、奴隷商人に捕まったはずです。その後のことは全くわかりません。
心配なのは、姉と許婚者です。消息を知るには、西方にいたほうがいいのです」
ヴェルンドは泣いていた。まだ、二〇歳の若者だ。奴隷として四年間の過酷な労働に耐え、生き残った。
その後は、他愛のない話をして、日付が変わるまで飲んだ。
三日目の夜、この世界の夜は早い。二二時を過ぎれば、誰もが眠りにつく。
ミーナが完全に眠った二二時頃、マーリンとリシュリンが仮眠室にやってきた。
ヴェルンドが置いていった酒を飲み、心地よい酔いが始まっていた。
リシュリンが「主殿は逃げております。私から逃げておりますぅ」といつもの甘ったるいアニメ声を出し始めた。恐ろしい。
普段は滅茶苦茶可愛いのだが、その戦闘力は尋常ではない。リシュリンはとにかく強い。その強さを知っていると、この甘えてくる仕草がどうにも違和感がある。
マーリンが「リシュリンは剣を握っている時と、わが主の魂塊を握っている時では、人格が変わる。どっちが本性なのだ」とからかった。
リシュリンがマーリンに「それはもちろん、主殿の股間の剣を握っている時だ。
お前のように寝所で殿方を責め立てるような女は、主殿は嫌いだ」
マーリンが私を睨む。
「そんなことないよ。二人とも大好き」
二人同時に。
「その態度が許せん」
「その態度に傷つきますぅ」
その後は、互いの話になっていった。
リシュリンが身の上を話し始めた。
「私は西方王都で生まれました。王都を出たのは一七歳の時でした。
家系は代々王都の貴人で、領地はありませんが父の生業は繁盛しており、一二歳までは裕福な家庭で育ちました。
一二歳の時、父と母が宴に行き、その帰りに物取りに襲われて殺されました。
本当は、物取りではなく暗殺だったようです。
父と母の葬儀が終わるとすぐに、父の遺産はすべて親族たちが分配し、無一文となった私は僧兵を育てる目的で建立された教会に預けられました。
教会は地獄でした。強いものが弱いものを虐げ、弱いものはさらに弱いものを見つけて虐待するところでした。
一二歳の私は、すぐに身の危険に直面しました。怯えながら数日間考え抜き、その教会の最高位である僧正の愛人になりました。
僧正の愛人になれたことは幸運だったと思います。僧の中には男色や去勢した宦官もいますから。
その時の僧正は幼児愛癖の薄汚い男でしたが、私にとっては幸運だったと思います。
その後、僧正は二人代替わりしましたが、その都度、私も相続され、身の安全と、食べ物と、清潔な寝所だけは保証されていました。
教会の子らには教育が施されず、ただ殺し合いの技だけが仕込まれました。
私も剣の腕を磨き、一七歳の頃には自分だけは自分で守れるようになっていました。剣ならば、たいていの男には負けません。
教会は嫌いでした。憎んでもいました。されたこと、させられたこと、血で染まった手、何もかもが嫌でした。
絶対に逃げてやる、と自分に誓っていました。
そのために自ら願い出て、西方辺境に赴任してきたのです。
逃げ出す機会をうかがっている時に、あの岩山で主殿と会ってしまったのです。
主殿は、わたしがいままで会った男とは全く違っていました。
マーリンを見る目が優しく、私にも優しかった。かすかに記憶に残る優しい父に似ているような。
マーリンが羨ましくてならなかった。欲しいものは持ち主を殺して奪え、と教えられてきたけれど、マーリンを殺しても主殿は得られぬと悟っておりました。
そのうち、ただ主殿について行きたくなっていました。一緒にいたい。これから永遠に。自分に死が訪れるまで」
私が「俺の国では、死んでも一緒にいようね。今度生まれ返っても一緒になろうね、と言うんだけどね」と言うと、マーリンが「リシュリンとは死んでも一緒にいたいのか、復活しても一緒になりたいのか、私とはどうなのだ」と詰め寄ってきた。
「もちろん、マーリンも」と機嫌をとった。
二人が私の生い立ちを知りたがった。あまり話したくはなかったが、黙っているのも気が重かった。酔も回っていた。
「俺の親父は大きな会社の重役で、地元では柔道という格闘術の指導者であり、人格者として知られていた。
しかし、とんでもない男で、家庭では妻や子に平気で暴力を振るう人間のクズだった。女癖も悪い。
俺が五歳の時、母が突然家から追い出された。母は、何度殴られても、俺の名を呼び、親父の足にしがみついて抵抗した。
あれほど、必死な人を見たことがない。
親父は俺を平手で殴り、子供がどうなってもいいのか、と母を脅した。
かあさんは、かあさんは、泣きながら裸足で家を出た。
後に聞いたことだが、近所の人が母を助けてくれ、傷の手当と、実家に帰る交通費と、履物をくれたそうだ。
翌日、女が家に来た。その女が新しい母だと言われた。
その女を家に入れるために母を追い出したんだ。
その女は親父が浮気するたびに、幼かった俺を虐待した。食事を与えない、水を飲ませない、嘘つき呼ばわり、異常者扱い、肉体的・精神的に追い詰められていった。
親父は機嫌が悪いと俺を意味なく殴った。僅かなことで、拳が飛んできた。
だが、何とか一七歳まで生き延びた。
一七歳の夏、俺は名門の進学高校に通っていたんだが、学校近くの駅で女子高生に呼び止められた」
ここで、進学、高校、女子高生、その他用語の説明をしたが、二人とも理解半分といった感じだ。無理もない。
「その子は、俺の母について知らせたいことがある、と言い、連絡先を教えて去った。
後日、連絡をしてみた。その子の家に来いというので、行ってみた。
母は仏壇の中で微笑んでいた。仏壇の前で泣いた。母と別れて以来、初めて悲しくて泣いた。
その子の父親が、経緯を教えてくれた。母は実家に帰ったあと、俺を取り戻すために、法に訴えたそうだ。
しかし、父が雇った何人もの弁護士が親父を勝たせ、母は法でも負けてしまった。
その人は、母が少し落ち着き、生活のために働き出した頃、出会ったそうだ。
その人と母は結婚し、その人の女の子と三人で仲良く暮らしていたと聞いた。
母は仕事を続け、その収入から俺のために金を残してくれた。三〇〇万。大金だし、かあさんの魂が込められている。
その金をその人に、高校を卒業するまで預かってもらった。
その日から親父への俺の静かな抵抗が始まった。
親父からは親父が出た大学に進学するよう厳命されていたが、選んだのは地方の大学で、学部も親父の希望とは正反対だった」
ここで、用語解説を挟んで、また話し出す。
「親父は罰として学費を一切出さなかったが、母が残してくれた三〇〇万がある。
入学金や最初の授業料は何とかなった。働きながら四年間の大学生活を過ごし、二二歳で卒業した。
四年間で、少し普通の大学生と違う経験をした。住まいの近くにキックボクシングジムがあり、誘われて週に二度一回二時間のトレーングを受けた。
大した意図はなかったが、虐待に痛めつけられた虚弱な体質を何とかしたかった。
四年もやっていると、そこそこ技術は身に付くもので、健康になったし、身体に筋肉がついた。
大学卒業の際、親父と一悶着あった。親父が世話した会社ではなく、自分で選んだ外資に就職したんだ。
親父に呼び出され、四年ぶりに自宅で会った。
馬鹿親父は、いきなり殴りかかってきた。だが、拳を何回振るっても、一発も当たらない。
パンチを避けるのだけは上手いんだ。
馬鹿親父はいきり立って、無我夢中で殴ってくる。面倒くさくなって、腹に一発入れてやった。親父は両膝を突いた。俺を見上げる顔は恐怖に歪んでいた。こんなちっぽけな男が自分の父親と思うと、無性に腹が立ってきた。
馬鹿親父をサンドバックみたいにぶん殴ってやった。手加減はしたけどね。
顔の形が十分に変わった所で、抵抗する人間は怖いか、と聞いてやった。親父は幼かった俺のように部屋の隅で震えていた。
親父の女は失禁してしゃがみこんでいた。食べ物を床にぶちまけ、俺に四つん這いで食べさせた女が、その俺を恐れて小便を漏らして震えている。滑稽だったよ。
それ以来、六年間一度も会っていなかった。
が、その親父と親父の女が交通事故で死んだと、警察から連絡があった。
事故は親父の自損で、崖から落ちたとか。
親父の遺体を引き取って、火葬にし、葬式をせずに先祖代々の墓に入れた。女の遺体は、どうなったのか知らない。
親父の遺産は家以外に何もなく、それを家財ごと売った。家は取り壊され、更地にするそうだ。
親父の会社から、お別れの会をしたい、と連絡があったが、どうぞ、ただし私には関係ない、と言ってやった」
マーリンとリシュリンは黙って聞いていた。半分理解できたかどうか。ただ、私が父親を憎んでいたことは、理解したようだ。
マーリンが私の頭を抱いて、髪を優しく撫でてくれた。
マーリンが故郷のことを話し始めた。
「アークティカは実りの多い土地で、秋になれば穀物や果物がたくさん採れる。大きな内海があり、その沿岸には数カ国がある。海の幸も豊かだ。
幼い頃から食べ物に窮したことはない。
父、母、兄、姉、弟がいる。父は商人で、他国に穀物を売り、他国からその国の産物を仕入れていた。
冬の直前、父と兄が二〇〇輌もの蒸気車を連ねて、交易に向かう姿を誇らしく思っていた。
私が一二歳の秋、初めて東方騎馬民の略奪があった。収穫直後の作物がたくさん奪われ、困窮する人々が大勢いた。
行政府は兵の消耗を恐れて、積極的な防衛策を講じようとしなかった。毎年毎年、略奪が続き、土地は荒れていった。行政府は税の徴収に困るようになり、金貸しを装った奴隷商人が入り込んできた。
そして奴隷狩りが始まった。
兄は略奪者との戦いで死に、姉の夫は奴隷商人との最初の戦いで死んだ。
民衆は、農民、街人のすべてが略奪者と奴隷商人との度重なる戦いで、貧しくなり、飢えていく。
私たちは、最後の戦いに臨んだ。子どもと老人だけの、最後の戦力だった。
目的は、時間を稼いで一人でも多くの民衆を逃がすこと。
でも、それは漁師の網に飛び込む魚のようなものだった。次々に捕らえられ、怪我をしたものや老いたものは殺された。
初めて、わが主に会った時、あぁこれで死ぬんだ、と思った。
私の首には値札がかけられ、値の下には、獣の餌に、と書かれていたから、そうなるものと覚悟していた。
買われた時、わが主は私に履物を買い与えようとした。履物屋がそれを拒むと、刀に手をかけた。一回大きく息をし、自分の靴を脱ぎ、私の足の裏を素手で払って、靴を履かせてくれた。
その上で、自分の履物を買った。こんな人はいない。絶対に。そう思った。
川原で果物を食べさせてくれ、装甲車に連れて行かれたのだが、そこにロロがいた。
その時は、ロロの餌になるんだ、と覚悟した。
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しかし、身体の病はたった三日で治った。奇跡だった。
奴隷商人に囚われていた三カ月間の辛さは、誰にも語れぬが、わが主に出会ってからは、毎日が楽しい。家族のことは心配だが、わが主と一緒にいたい。
あの苦しみは、わが主に出会うための試練だったのだ」
二人は強引に酒を飲み始め、酔って寝てしまった。リシュリンは私の肩に頭を持たれかけて、マーリンは私の膝を枕に、出会った時のように手を握って。
未成年との飲酒、一八歳以下と知りながらの性行為、社会的に許されないことをしていた。
だが、この世界は私のいた社会ではない。
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