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第4章 内乱

第32話 マルマ

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 私は、どうしてマルマが蹂躙されなかったのか、その理由が知りたかった。
 いろいろな情報から、アークティカに侵攻した奴隷商人軍=神聖マムルーク帝国正規軍の総兵力は、最大五万と推計している。
 これは、当時のアークティカの全人口に匹敵する。
 アークティカの軍事力が弱体であり、戦術が稚拙だったとしても、それだけの兵力がなければ一国丸ごと奴隷にはできないのだ。
 アークティカ最大の街は首都チュレンで、
人口は一万五〇〇〇。第二の街バルカナは一万。第三の街ルカナが四五〇〇だ。
 キジルは第四の街で三〇〇〇。南東の大国ガハートやシュハドに至る中継地で、富と繁栄を享受していた。
 マルマはキジルの衛星街で、主たる産業は農業と観光であった。風光明媚で温泉があり、保養地として有名だ。
 キジルの陥落は、リケルやスコルは知っていた。ルカナよりも早く落ち、奴隷商人の手から逃れられた街人はごく少数であった。
 その少数の街人や周辺の村々の人々がマルマに立て籠もったとされるが、マルマが三方を山地に囲まれているとしても、難攻不落の要害の地形ではない。
 なのになぜ、マルマは落ちなかったのか。そして、マルマの存在を知ったルカナ側から接触するまで、なぜマルマは沈黙していたのか。

 謎だ。

 私が「マルマに行く」とマーリンに告げると、リリィが同行を懇願した。
「ミーナちゃんやイリアちゃんは異国のことをたくさん知っているのに、リリィはほかの街に行ったことがない……」
 片道四〇〇キロほどの旅になるが、リリィ、ミクリン、カラカンダの四人で行くことにした。
 表向きの旅の目的は、ミクリンの商談とし、私とカラカンダは護衛、リリィはミクリンの縁戚の子供とした。
 マルマにはよい刀剣を作る刀工がいるそうで、医療器具製造の原材料にされてしまった私のステンレス刀の替わりを探す目的もある。

 マルマは、東南の諸国から産物を補給していたが、資金の枯渇から食料以外の物資が不足しているらしい。
 だが、道半ばのさらにその手前ではあるが、キジルの街の再建と街道整備に乗り出して以降、ゆっくりと活況を取り戻しつつある。

 我々四人は、全長五・五メートルに達する大型蒸気乗用車に燃水車を牽引して、マルマを目指した。
 街道沿いの村々は全て焼かれており、小さな湖沼の畔で野営することが多かったが、五日間の往路をリリィなりに楽しんでいたようだ。
 燃水は、四〇キロごとに臨時の補給所が設置され、辛うじて陸路の交通を維持している。だが、潤沢な補給があるわけではなく、蒸気車は航続距離延伸のための燃水車を牽引しなければ、往来できる状況ではない。
 リリィにとっては、少しの冒険と、新たな見聞に興奮した五日間であった。

 我々はキジルに立ち寄った。キジルは復興の最中であったが、復興というよりは旧市街を放棄し、新たに新市街を建設しようという試みだ。
 我々は旧市街に蒸気車を乗り入れ、市街戦の痕跡を探した。
 旧市街は焼失しており、煉瓦やコンクリートの壁や土台のみが残っている。
 煉瓦や石、コンクリートの建物は原形をとどめているのだが、木製の床や屋根は焼け落ちていて、廃墟となっている。
 我々は廃墟深くに侵入したのではなく、ほんの数メートル足を入れただけだった。
 カラカンダが「大砲の破口はないようですが、銃弾の弾痕は凄いですね」
 リリィが少し怯えている。ミクリンの手を離さない。
 唐突にリリィが動いた。そして、地面に落ちていたものを拾った。ミクリンにそれを渡し、ミクリンが驚いてそれを私に見せた。
 薬莢だ。潰れているが、七・七ミリ級の小銃用真鍮製薬莢だ。間違いない。
 リリィがもう一つ拾った。それをカラカンダに渡す。カラカンダは、それを私に見せた。
「小銃弾でしょうか」
 ミクリンも覗き込む。
「私たちの薬莢と少し違いますね」
 私はその薬莢の記憶をたぐった。
「断言はできないが、薬莢の底に出っ張った縁があるから、三〇三ブリティッシュ弾かもしれない。七・七×五六ミリR弾だ。
 私のいた世界では、一九世紀の終わりから二一世紀の初頭まで使われていた。二〇世紀の後半からは狩猟用としてだが……。
 あるいは、七・六二ミリのラシアン弾か?」
 ミクリンが「やはり、マルマには異界人がいるのでしょうか?」
 カラカンダが「それ以外に考えられぬ……」
 リリィが私の手を強く握る。

「そこで何をしている!」
 我々は突然誰何〈すいか〉され、全員が振り向いた。五人のマルマ兵が立っていた。手にはマスケット銃が握られている。
 だが、この光景を真っ正直に信じることはできない。なぜなら、我々もアリサカ小銃を人目に触れさせることはない。厳重に管理している。
 現在の新生ルカナ正規軍には、アリサカ小銃は一挺もないし、彼らに銃を見せたこともない。
「申し訳ございません。子の好奇心に付き合っておりました。ここは多くの方が亡くなられた神聖な場所、足を踏み入れ心ないことをいたしました。
 すぐに引き上げますので、どうかお許しを……」
 私が謝罪し、蒸気車に戻ろうとすると指揮官であろう下士官が呼び止めた。
「その手のものを返してもらおう」
 私は二つの薬莢を下士官に手渡す。
「子供は光るものが大好きなもので……」と言い訳をした。
 だが、この下士官は何かを察したようだ。「些細なことを咎め立てするつもりはないが、正規の書類を残したい。
 将校のいる部隊本部まで同行してもらう」
 我々は、大人しく従った。この場合、我々でも同じことをする。

 我々の前には百人隊長が座っている。場所は大きなテントの中。百人隊長は柔和な表情だが、眼光は鋭い。彼の後ろには副官らしい将校が立っている。
 我々を連れてきた下士官は、テントから出て行かない。
「これに興味があるようだが?」
「あのぉ、私どもはルカナの西のイファからきた商人です。交易のための試供品を積んで、マルマに向かっています。
 子供が金属の筒を見つけて、拾ってしまいました。
 どうかお許しください」
 私の説明に百人隊長は納得した素振りだが、本心は見えない。
「ルカナの方ですか。
 そうしますと、先般の合戦では、貴方も戦場に行ったのですか」
「はい。
 私は商人ですので、大した役には立ちませんでしたが、街人総出で戦いました。
 生き残ったことは、いまでも信じられません」
「ほう。
 ならば武器にも知識があるでしょうね」
「軍人さんほどではありませんが、銃の撃ち方程度は何とか……」
「そちらの方の身のこなし、武術の心得があるようだが……」
 百人隊長は唐突にカラカンダに話題を振った。
 カラカンダは、淀みなく答えた。
「私は護衛です」
「護衛殿は、なぜ剣を帯びていないのだ」
「……」
「貴方たちは、どうも辻褄が合わない。
 護衛殿は剣を帯びず、子の母親とおぼしき女性は子の年齢から逆算して若すぎる。お子は緊張はしているが怯えた様子がない。
 どう見てもただ者ではない」
 私は、この百人隊長が我々を簡単に解放することはないと確信した。
 私は宣誓するように左手を掲げ、右手をゆっくりと懐に入れた。そして、親指と人差し指で、M1917リボルバーのグリップを掴み懐から出した。
 拳銃を百人隊長の机の上に置いた。
 彼は、目を倍ほどにも見開いて、銃を見詰め、次に私を見た。

 我々はマルマの軍事施設に送られた。
 非常に広く豪華な部屋に立たされている。テーブルや椅子の類いは一切ない。リリィがしっかりとミクリンの手を握っている。
 カラカンダは、彼が通常は隠している凶暴な気を発していた。
 ミクリンは腰の背側の真横に刃渡り三〇センチほどの両刃の剣を帯びていたが、それを取り上げられてはいなかった。
 我々の五メートル真後ろには、ボルトアクション小銃を胸の前に抱えた兵士が二人立っている。

 五分ほど待つと、純白の豪華な詰め襟の軍服を着た五〇歳少し手前ほどの男が現れた。彼の後ろには副官らしい若い将校と、袱紗〈ふくさ〉の掛けられたトレーを掲げた古参を絵に描いたような下士官が従っている。
「お待たせした。
 また、非礼をお詫びする。
 貴方たちに危害を加えるつもりは、ありません。いまのところだが……。
 では、職務により質問します。キジルで何をされていたのか?」
 私はこの状況で、自分の目的を隠すつもりはなかった。
「マルマがなぜ、奴隷商人の正規軍を退けられたのか、それが知りたかった」
「そこで、これを見つけたのですね」
 そう言って、潰れた薬莢を見せた。
「我々の後ろに立っている兵隊さんは、連発小銃を持っている。リー・エンフィールド小銃ですか?」
「銃の名前までご存じとは!
 貴殿は何者!」
「ルカナの西の街、イファに住むシュンという商人です」
 カラカンダが私の左横で跪いた。
「こちらは、メハナト穀物商会の総帥シュン様。予言の娘をアークティカに導いたお方にして、ルカナの指導者のお一人です」
 純白の軍服の男は、古参下士官が掲げるトレーの袱紗を外し、私のM1917リボルバーを手にし、両手で持ち丁重に私に返した。
「貴方たちもですか。
 やはり、この武器がなければ、奴隷商人には太刀打ちできないですからね。
 我々もルカナが突然、精強になった理由を調べていました。
 条約を結んだのも、それを調べたいがため。
 しかし、精強になった理由が、我々とまったく同じとは……」
「マルマはいつから、連発銃を……」
「私がまだ生まれる前の頃のことですから、五〇年以上昔のことでしょう。
 三人の男がマルマに奇妙な車輌に乗ってやって来て、街の外れの草原に居着きました。
 三人の男は飢えていましたが、食べ物を盗んだりはしなかったそうです。
 気の毒に思った近くに住む老いた女性がパンとチーズを分け与えると、とても感謝したと伝えられています。
 数日後、その女性の家が銃を持った盗賊に襲われると、三人の男はいち早く救援に駆けつけたそうです。
 彼らは連発銃を持っており、二〇人の盗賊をあっという間に制圧したとか。
 マルマの街は彼らを軍に雇い、彼らから武器と戦術を学んだそうです。
 同時に、強力すぎる武器の存在を恐れ、それを隠して禁忌とし、しかしその研究と製造を試み続けてきました。
 東方騎馬民と奴隷商人がアークティカの地に現れたとき、マルマの行政府は禁忌を解いて、連発銃の大量生産に乗り出したのです。
 残念ながら、アークティカ全土はもちろん、マルマやキジル周辺の街や村さえ十分には守れませんでしたが、マルマだけは守り抜いたのです」 
 純白の軍服を着た男は、そこまで話すと息をついた。そして続けた。
「どうやって、ルカナは連発銃を……」
 私は偽りを言うつもりなかった。
「私は異界人です。
 私が連発銃を持ってきました。
 ただ、私がこの世界で知った範囲ですが、マルマを除いて私以外に最低二人が連発銃を持ち込んでいます。
 確かではありませんが、カフカ周辺で盗賊まがいの略奪を働いているダールの私掠隊の一部は、そちらの兵隊さんの連発銃よりも強力な銃を持っているようです。
 ご存じでしょうが、ダールの私掠隊は神聖マムルーク帝国の先兵です。
 私は、ダールの私掠隊からカフカ軍が鹵獲した連発銃の残骸を、カフカの官憲に見せられています。
 おそらく、カフカも連発銃の開発に着手しているでしょう。ならば、エリスが試みていないと断じることはできません。
 帝国は言わずもがなでしょう」
 純白の軍服を着た男は一瞬、純白の天井を眺めた。
「シュン殿。
 我がマルマの指導者に、ぜひお会いいただきたい。
 私はマルマの全軍を預かるマルテルと申します。
 それと、他人事のように話してしまいましたが、マルマの草原に居着いた異界人の一人は、私の父です。
 父は、イギリス連合王国陸軍中尉であったと聞いています。
 父の国のことは何も知らないのですが……」

 私は、軍の施設をマルテルとともに出た。カラカンダはその施設に留め置かれ、ミクリンとリリィはマルテルの自宅に向かった。
 露骨な人質ではないが、その意味はある。カラカンダを離したのは、彼の戦闘力を警戒したからだ。

 我々は分断された。

 私は豪華な蒸気乗用車に乗せられ、一〇分ほど東に走った。
 蒸気乗用車は、小さいが瀟洒な邸宅の敷地に入る。庭園の美しさは素晴らしく、マーリンの家もこのような作りであったのだろうと思うと、現在の荒れた姿に胸が痛む。
 あの庭に埋葬されていたマーリンの両親は、コルカ村の東側、マハカム川の上流の墓園に改葬されている。マーリンの兄の隣に。
 そのときのことを無意識に思い出していると、蒸気乗用車は車寄せで止まった。
 邸宅付きの執事は老人ではなく、カラカンダのような屈強な男だった。動きはしなやかではなく、鉄板が曲がるような暑苦しい動作をする。
 しかも慇懃〈いんぎん〉。彼の言い回しには、無礼な声音が含まれている。
 慇懃無礼。
 応接間に通されたが、ソファではなく、豪華なダイニングセットのような家具が部屋の真ん中にある。部屋の広さは、三〇畳はあろうか。
 三〇分以上待つと、四〇歳少し前に見える質素な服装の男が現れた。
「大変お待たせいたしました。マルマとキジルを代表します行政長官のスピノラと申します」
 私はスピノラと名乗る男が入室すると同時に席を立った。
「初めまして。私はルカナの西の街イファの商人でシュンと申します」
 私は心の中で名刺を出していた。
「わざわざのご足労、申し訳ございません。どうか、お掛けください」
 マルテルが私を紹介する。
「シュン殿は、例の予言の娘のご夫君とのことです」
「なるほど、ルカナを解放した影の指導者とは、貴方ですか。
 貴方は、帝国の総帥ターラントが最も殺したい男だそうです」
「そのようなことはないでしょう。ターラント殿は大帝国の皇帝なのですから、私など歯牙にも掛けていないはず」
「もし、そうだとしたら、帝国は恐るに足らず、でしょうが、そうではない……」
 マルテルが話を進める。
「ルカナにも連発銃があるそうです。
 我が小銃を見て、リー・エンフィールドと言い当てました」
 スピノラが目を剥いた。
「私の父がこの世界に持ってきた銃の名をご存じとは!
 マルテル様のお父上と私の父は同輩でした。ともにこの世界にやって来て、ともに飢え、ともに戦ったようです。
 なぜ銃の名を?」
 私はその質問には答えなかった。
「リー・エンフィールド小銃は、着脱可能な一〇発入り複列弾倉、ブリティッシュ三〇三、口径七・七ミリのリムド弾を使用し、ボルトの後退距離と回転角が小さく素早く装弾できる優秀なライフルです。
 我々の主力銃は、アリサカ小銃という何の変哲もない固定弾倉五連発のボルトアクション小銃です。
 ただ、部品点数が少なく量産性に優れ、故障の少ない動作確実な頼れる小銃です。
 その他、雑多な武器で戦ってきました」
 スピノラは、私の意外すぎる反応に戸惑っていた。
「なぜ、そのようなことを教えてくださるのですか?」
「いまは違いますが、我々の頼りない指導者、リケルならスピノラ殿と手を組みたいと思うだろう、と感じたからでしょうか」
「リケル殿は頼りない?」
「えぇ、弱音ばかりの男です。
 ですが、自分がしなければならないことは、文句を言いながら確実に遂行します。
 リケルがいなければ、ルカナの解放は一瞬の幻で終わっていたでしょう。リケルには、物事を継続していく力があるのです。
 継続は力です」
「リケル殿に一度会ってみたいですね」
「一度と言わず、二度三度、末永く……」
「ルカナの情勢は、どのようになっていますか?」
 スピノラは核心の疑念を口にした。
 私は私見であることを断って、答えた。
「フェデリカは、排外的な民族主義者です。彼女には建設的な思考はありません。
 彼女は、どこからともなく現れ、アークティカ国外にいた同様な思考傾向の若者を扇動して、実権を握りました。
 ただ、彼らにはスポンサー、つまり資金を出している黒幕がいます」
「ローリア王ベルナル九世」
「ご存じでしたか」
「えぇ、ルドゥ川以北の東側を欲しがっていますからね」
 マルマは実質的に鎖国状態であったが、対外情報の収集には抜かりはないようだ。
 私は話のしやすさを感じた。
「ローリア王がアークティカの領土の一部を欲するのは自由ですが、その欲望を現実にしようと画策することは、不愉快この上ないことです。
 ルドゥ川以北は、豊饒の地です。キジル、マルマ一帯と合わせて、アークティカの食料庫と言っていいでしょう。
 アークティカとしては、いかなる理由があろうとも失うわけにはいきません。
 ローリア王の祖母に当たる方は、アークティカの出身とか。この例以外にも、ローリア王家とアークティカ人との関わりは薄くないそうです。
 彼は、おそらくローリア王家にはアークティカの領土に対する権益がある、と信じているのでしょう。
 ただ、ローリアは専制君主制の国で、アークティカは共和制です。それも、街や地域が緩やかに結びついた連邦制です。
 ローリア王は、本質的に両国の政治・社会体制の違いが理解できないため、王となる者、を送り込めばアークティカ王家の再興と王政復古が実現できると考えているのでしょう。
 アークティカが王政であった時代は一〇〇年以上前と聞いていますが、その時代にいい思いをした連中、王家の縁者、貴人、政商などは、古〈いにしえ〉を回顧し、夢よもう一度、との思いで、ローリア王の巧妙に仕組んだ策略の駒として使われることになったのだと推測しています。
 フェデリカという人物が、アークティカ王家の血を引いているかなどどうでもいいことです。
 我々の目的はただ一つ。
 ローリア王ベルナル九世の野望を絶つ。
 完全かつ永遠に」
「しかし、選挙に負けたリケル殿は政権を失い、ルカナを解放した人々は、その街から放逐されていますね。
 明らかに、ローリア王の策謀の勝利」
「リケル曰く、ルカナの政権はアークティカ全土を束ねる連邦政府ではなく、ルカナという一地方の行政府に過ぎないとか。
 それと、ルカナを解放したアークティカ人の多くは、ルカナの住民ではありませんでした。
 たまたま、ルドゥ川以南の森林地帯に逃げ込んでいた人々で、出身地はざまざまです。
 また、帝国と揉め事を抱えている亡命者や移住者も多いのです。
 ですから、ルカナという街には、思い入れが薄いというか。
 リケルは今後を見据えて、アレナスに拠点を移すべきと考えていました。
 その意味では、ローリア王はちょうどいいきっかけをくれたと言えます」
「敵国の策動を利用して、自国の体制の大転換を図ったと?」
「はい」
「で、今後は?」
「待ちます」
「何を?」
「ローリア王の次の一手を」
 マルテルは、私とスピノラの会話をじっと聞いていた。
 スピノラは、深く考え込んでいた。
 そして「リケル殿が政権復帰を果たした暁には、すぐにお目にかかりたいとお伝えください」と言った。
 マルテルは「行政長官閣下、シュン様に我々の父親の持ち物を見ていただきたいと思いますが……」
「総司令官、ぜひそうしてください」
 スピノラは私を見て立ち上がり、「今後ともよしなに」と頭を垂れた。
 私は、黙して頭を垂れた。

 マルテルは、私をマルマの東部にある軍事施設に連れて行った。
 この施設はマルマでは珍しく、高い塀に囲まれ、警備は極めて厳重であった。
 この施設に入る際、私はもちろん、マルテルも徹底した身体検査がされた。私は、M4銃剣とM1917リボルバーを預けた。

 窓のない鉄筋コンクリート製の建物は、天井が開閉できるようになっており、外見の圧迫感とは異なり建屋内は太陽光が十分に差し込んで非常に明るい。天井全面は、貴重な磨りガラスでできており、太陽光が適度に拡散されて、心地よい明るさだ。
 マルテルが「これが、我が父たちの乗り物です」と左手で指し示した。
 それは、イギリス陸軍のダイムラー装甲車であった。全長四メートル、全幅二・五メートルほどの小さな車体に、オードナンスQF二ポンド砲を装備した大きな砲塔が載っている。きれいだが、もう動くことはないだろう。
 驚くべきことは、ダイムラー装甲車とよく似た車輌が他に二輌あったことだ。
「こちらは?」と私が尋ねると、マルテルは「我々が独自に開発しました。
 我々が複製に成功したのは、この車輌と砲、そしてこの銃です」といって古ぼけたリー・エンフィールド小銃を手にした。
「できなかったこともあります。
 このベサ機銃とブレン軽機関銃、それにステン短機関銃です」
「もしや、発射薬が開発できなかった?」
「よくおわかりですね?」
 マルテルは一瞬黙った。
 そして、「これは失礼なことをもうしました。
 ご推察の通り、雷管用の起爆薬は開発しましたが、発射薬は開発できませんでした。
 発射薬に黒色火薬を使用しているので、自動火器の回転が上手くいかないのです」
 マルテルと私の話に刺激されたのか、この施設内の職員が集まってきた。
 耐えきれなくなったように、一人の若い職員が私に尋ねた。
「あの、ルカナでは発射薬は開発できたのですか?」
 私は、一瞬躊躇ったが答えた。
「えぇ、開発しました。シングルベースの銃用無煙火薬を。
 しかし、マルマが開発して、我々が開発できないものもあります。
 例えば、あの砲と砲塔。特に砲塔の開発には手を焼いています」
 別の職員が、「ガソリンエンジンはどうですか!」と後ろのほうから大きな声で質問した。その声の主を職長らしい別な声が「無礼であろう!」と叱った。
「二種類開発中です。四気筒一八〇〇CCの八五馬力と六気筒六三三〇CCの一五〇馬力エンジンです。
 まだ、試作の段階ですが実車への搭載もしています」と大声で答える。
 私の答えに、その場がざわついた。
 この施設の上級職員らしい若くはない男が歩みで出た。
「お客人と総司令官閣下に非礼であることは、重々承知。
 されど、好奇心が礼節を上回っております。
 どうかお許しを。
 ルカナの状況をもっと知りたいのですが、当施設から職員を派遣すること、お許しいただけないでしょうか?」
 願ってもない申し入れだが、私は迷った。
「現在、ルカナは不穏な情勢です。
 こちらから、職員を派遣しましょう。立ち返りましたら、アレナスの行政府と相談し、イファから派遣します。
 もちろんマルマの行政府が同意していただければですが……」
 マルテルが強い口調で言った。
「私が責任を持って、マルマ行政府を説得しましょう」

 ミクリンとリリィは私たちと別れると、マルテルの私邸に招かれ、やさしい日差しが差し込む小さいが美しい庭園で、お茶の接待を受けていた。
 ミクリンは、マルテルの娘ウルリカの裕福な家庭の妻女然としたファッションにわずかな違和感を感じていた。
 服が似合わない訳ではない。むしろ、ふさわしいと思う。主張の少ない黄色を主体として、レースを多用した華やかな衣装だ。
 彼女の子レイアは、オレンジの可愛らしい服を着ている。幼い頃、ミクリンやマーリンもこういった服を着ていた。
 ミクリンは、やや茶色がかった白いシャツと黒いズボンという、いまではルカナ地方の民族衣装になってしまったような、いつもの服を着ていた。リリィも同じだ。
 お茶が運ばれ、給仕が茶をティーカップに注ぐ瞬間、ミクリンはウルリカへの違和感の源に気付いた。
 身のこなしだ。
 彼女の身のこなしは、商家や農家の婦人のものではない。リシュリンやイリア、アリアンにもある、無駄のない女性の軍人に特有の立ち居振る舞いなのだ。
 ミクリンは、ウルリカが軍人であることを確信した。
 ミクリンのわずかな緊張は、リリィにも伝播していた。
 だが、リリィは過酷な状況下で生き抜いた子。緊張はしていたが、動揺している様子は一切見せていない。
 ミクリンはリリィを見て、自分も頑張らなくてはと心に決めた。
 四人の会話は、ウルリカの子レイアから唐突に始まった。
「それ、なぁに?」
 レイアがリリィが襷掛けしている水筒を指さした。
「これ、水筒なの」
 リリィはそういって、水筒を外してテーブルに置き、水筒のカバーからペットボトルを抜き出した。
「凄くきれいでしょう?
 それから軽いの!」
 そう言って、ペットボトルをレイアに差し出した。
 ウルリカには、その容器は透明度の高いガラスに見えた。レイアの手元まで引き寄せようとペットボトルを持つと、それは驚くほど軽く、ガラスのように固くもなかった。
 生まれて初めての材質で、驚いた。
 レイアはペットボトルを持つと「本当だね。お水の重さしかないみたい。コップよりもずっと軽いのね。それにきれいね」
「おじちゃんに貰ったんだ。この水筒入れはマーリンが作ってくれたの。藁が挟んであって、冷たいお水はいつまでも冷たいままなの」
 ウルリカは、マーリンという名に反応した。
「マーリン様とは、予言の娘のことですか」
 ミクリンが答えようとしたが、リリィが一瞬早く答えた。
「予言の娘はマーリンだよ。恋占いのタクサおばちゃんが、マーリンが帰って来るって言ったの。
 でも、それはマーリンのお姉ちゃんを励ますためで、そんな占いはなかったんだって。
 タクサおばちゃんが言ってた」
 これは事実だし、ルカナやコルカの周辺の森で隠れていた人々は、予言の娘の噂は知らなかった。
 予言の娘の噂は、赤い海西岸以西や南岸諸国で広まっていたもので、当事者でもあるアークティカではあまり知られてはいなかった。
 だが、マルマは対外諜報活動の中で、予言の娘の話は市井の人々はもちろん、政府高官や軍人にまで広まっており、噂は虚実が混ざっているとの報告がされていた。
 虚実とは実があるはずで、何が真実なのかをマルマは知りたがっていた。
 リリィが話を続ける。
「マーリンは、橋のない川を何本も渡り、恐ろしい大きな鳥を仕留めて食べて、何もかも凍ってしまう寒い山を越えたんだって。
 リリィがマーリンと会ったとき、マーリンの足は痛い痛いだったよ」
 リリィは、マーリンたち、とは言わない。それは、彼女が森の中で学んだことだ。誰かが捕まったとき、自分以外の誰かを知っていれば芋づる式に見つけられてしまうからだ。
 リリィは警戒している。ミクリンはそれを確信した。
 レイアはマーリンの話には興味がないようで、彼女の視線はリリィが背負うピンクの小さなミュゼットバッグに注がれていた。
「背中の鞄かわいいね」
「これぇ」と言って、椅子に座ったままリリィがミゼットバッグを背中から外した。それをミクリンが手助けした。
「マーリンが作ってくれたの。中にね、宝物が入っているの」
 リリィは、ミュゼットバッグからポケットティッシュ、ハンドタオル、石鹸、ビスケットや干し肉などの少しの食料を出した。
「今度の旅行のために、マーリンが作ってくれたの」
 ウルリカは、リリィとマーリンの関係は母と子に似ていることを察した。
「マーリン様はリリィに優しいのですね」
「うん!」
 リリィは嬉しそうに答えた。
「リリィはね、お母さんがいないの。お父さんがね、リリィのお母さんを連れてきてくれたの。
 でも、リリィが悪い子だから、お母さんはリリィのことが嫌いなの。リリィは悪い子だから、ご飯とか食べさせてもらえなかったの。
 そうしたら、お母さんがいなくなっちゃったの」
 ミクリンは驚いた。リリィとは九カ月以上ともに暮らしたが、そのようなことは知らなかった。ミクリンは黙ってはいられなかった。
「そのようなことはない。リリィはいい子だ。私が一番知っている。森でリリィを見つけ、一緒に逃げ歩いたのだから。
 リリィはいい子だ」
 ウルリカも賛同した。
「リリィちゃんはいい子よ。マーリン様はリリィちゃんが大好きよ。
 おばちゃんにはリリィちゃんと会ってそれがわかるの」
 リリィは嬉しそうに微笑んだ。
「リリィはね。レイアちゃんとお友達になりたいの」
 レイアが「ほんと!
 レイアもお友達になりたい!」
 リリィとレイアはテーブルを離れ、美しい庭園で一時を楽しんだ。
 その隙を突くようにウルリカがミクリンに尋ねた。
「ルカナの軍はお強いのだそうですね」
「ウルリカ様は、軍人でございますか?」
 ウルリカは軽く笑った。
「なぜ、そのようにお思いなのですか」
「私の友人、リシュリンに身のこなしがよく似ているのです」
「リシュリン様?」
「リシュリンも軍人でした。剣客でもあり、剣の腕はルカナ兵随一です。
 五分の戦いができるのは、一人か二人と言われています」
「元僧兵のリシュリン様」
「何でもご存じなのですね」
「私はマルマ軍の百人隊長です。事前に申し上げず、ごめんなさい。
 リシュリン様と互角とは、イリア様とアリアン様ですか?」
「アリアン様はお強いが、お年を召しておられます。リシュリンと互角ではないでしょう。
 イリア様とクラリス様です」
「クラリス様?
 その方は存じません」
「剣の腕ならば、ジャベリン様などお強い方は数多おります」
「ジャベリン様は、ヌールドの丘を守り切ったお方」
「そうです。
 でも、帝国の陸上戦艦を仕留めたのは、フェイトです」
「フェイト様?」
「ルカナには強い武人や軍人がたくさんいますが、フェイトは別格です」
「どのように……?」
 ミクリンはフェイトを思い出し、笑い出したかった。生粋の職業軍人であるウルリカには、言葉でフェイトを理解することはできないと思ったからだ。だが、答えなくてはならないと思った。
「大空を飛び回る、正真正銘のバカ女です」
 ウルリカは、どう反応すればいいのかわからなかった。

 我々四人は夕刻になって合流し、別の軍事施設で夕食をもてなされ、そこに泊まった。
 翌朝、早々に出発し、イファへの帰路を急いだ。

 イファには、技術的に克服できていない問題が三つあった。
 一つは空気入り弾性ゴムタイヤの製法、もう一つは履帯だけで走行する全装軌車のトランスミッションとデファレンシャルギアの機構、効率のよい大口径砲の閉鎖機構だ。
 七五ミリ級の後装式鋼製砲身野砲は、アレナス造船所が試作し、一〇門が完成していた。液気圧式の駐退復座機も完成し、砲身は内径をやや小さく作り、内部に大きな圧力を加えて膨張させる自己緊縮法による軽量化も果たせていた。
 こうすることで、砲身内には元の径に戻ろうとする応力が残留し強度を補うことから、砲身の軽量化が可能になるのだ。
 この砲の閉鎖機構、つまり砲身の後方の弾込側だが、弾込した後の発射ガスの漏れを防ぐ機構が段隔螺式であった。
 早い話がねじ式で、砲弾を装填した後に尾栓を閉じ、ねじで締めてガスの漏れを防ぐ方式だ。
 これでも十分に発射速度が速いのだが、戦車の砲塔のような狭いスペースでは非効率だった。
 半自動の鎖栓式閉鎖機がどうしても欲しかった。
 タイヤの製造に至っては、皆目見当が付かず、あれこれと模索しているうちに、ゴム製履帯の開発に成功してしまった。
 履帯だけで走行する車輌を開発するには、操向システムが絶対に必要なのだが、短期間で何とかなるような状況ではない。

 ヴェルンドとアレナス造船所のシビルスは、この状況に強い不安を感じ始めていた。
 時間さえあれば自力で開発する自信はある。だが、その時間がないのだ。
 我々は少ない兵力で、桁違いの軍事力を持つ敵と対峙しなければならない。

 私はイファに戻ると、すぐにヴェルンドを伴ってアレナス造船所に向かった。ヴェルンドには事前に何も言わなかった。
 シビルスの部屋に通されると、ネストルとエルプスがいた。
 シビルスが「もうすぐ、リケルとスコルが来る。少し待ってくれ」と。
 私が「あの二人は暇だからな」と言うと、ネストルが「あぁ、チルルがそれで怒っている。彼女がアレナスとイファの行政の長だ」と応じた。
 水道係のチルルは、旧政権から比較的遠い官吏であったことから、アレナスとイファの全責任を背負わされた。
 彼女が怒るのも無理はないが、彼女はよくやっている。

 リケルとスコルが部屋に入ると、私は前置きを一切抜いて話し始めた。
「マルマだが、小口径砲を砲塔に装備した装輪装甲車を持っている」
 ネストルが「装輪装甲車?」と疑問を提示する。
「戦車のように砲塔があり、砲を積み、四輪で走行する戦闘車輌だ。
 戦車よりも高速で機動できるが、戦車ほど装甲は厚くない。
 マルマは、垂直鎖栓の尾栓を持つ戦車砲を持っている。そして、空気入りタイヤも製造している。
 我々が持っていないものを持っている」
 スコルが「照準器や駐退復座機はどう?」
「原型はダイムラー装甲車という異界の車輌で、それを五〇年近く調査研究を続けてきた。目で見る限りでは、付属機器を含めて原型に忠実に再現できている。
 ただ、彼らは、その技術を長らく禁忌としてきたことから、実戦で使用したのは、東方騎馬民や奴隷商人との戦いが最初らしい。
 実戦使用で、不具合は出ているだろうが、マルマの技術者が改良するだろう」
 ヴェルンドが核心に迫る質問をした。
「マルマから技術供与か兵器購入をするには、我々は何を出せばいいんですか」
「彼らは無煙火薬の開発ができていない。そのため、小銃や砲は開発できたが、機関銃などの自動火器は作れなかった。
 彼らの機関銃はベサ機銃という名で、弾薬はエミールの小銃と同じだ。研究開発目的で一〇〇挺以上作っているらしい。我々が弾薬を提供すれば、瞬く間に完成させるだろう。
 それと、ステン短機関銃という拳銃弾を使用する自動火器がある。
 この銃の弾だが、エミールの拳銃と同じ九ミリパラベラム弾だ。
 この短機関銃は構造が簡単で製造がしやすいから、弾薬さえあれば大量生産に入れるだろう」
 スコルが「歩兵の武器は?」
「リー・エンフィールドという一〇連発のボルトアクションの小銃だ。
 この銃の弾は、我々の弾薬とまったく違う。ブリティッシュ三〇三と呼ばれていて、この弾を撃つ軽機関銃もある。
 このブレン軽機関銃だが、原型は我々のブルーノZB26だ。
 マルマは無煙火薬を得れば、強大な軍事力を持つ」
 リケルが「砲と砲塔、それにタイヤは欲しいが……。
 どう思う?」とヴェルンドを見て尋ねた。
「マルマに学ぶことは多いでしょうね。それと、我々だけで帝国とは戦えないでしょう。
 皆さん味方が欲しいでしょ」
 シビルスが「こっちには飛行機がある。それに高速戦闘艇の完成まであと少しだ。
 技術でマルマに負けるものではない」
 エルプスが「シビルス様、勝ち負けではなく損得で考えましょう。
 私はマルマとの技術交流に賛成です」
 ヴェルンドが「私も賛成です」
 リケルが「カネが要らないなら賛成」
 リケルは、相変わらず財政の算段が頭から離れないらしい。
 スコルは「マルマの司令官と話してみたいが、原則賛成」
 ネストルが「私は、軍事や技術に疎いから何とも言えないのだが、ヴェルンド殿が言うように味方は欲しい。
 その一点において賛成かな」
 私が「全員が賛成と言うことで、では一番最後に賛成を表明したネストル殿にチルルの説得をお願いしたい」と言った。
 ネストルは「最後の賛成者は私ではない。シュン殿でしょ。シュン殿がチルルの説得役で反対の方!」
 誰も手を上げなかった。
 結果、私がチルルへの説得役となった。あまりのことで、頭痛がしてきた。寝込みそうだ。

 チルルは堅物だ。年齢は二五歳ぼど、チュレンの生まれらしい。東方騎馬民がルカナとコルカに侵攻した際、ルカナの水道係をしていた。ルカナ解放後も同職に就いていた。
 だが、選挙の結果、リケルの政権が倒れ、フェデリカが行政を担うと、いち早くルカナの官吏を辞め、アレナスに移住した。
 チルルは、フェデリカを嫌っている。
 チルルは、それを隠そうとはしない。
 現在、アレナスの街は東に延びており、イファは西に拡張している。この二つの街が一体になる日は、そう遠くない。
 現在、この二つの街の行政を担っているのは、チルルであった。二つの街の日常生活は、チルルが負っている。

 私は、朝から三時間待たされ、ようやくチルルに会うことができた。チルルは多忙を極め、睡眠と食事の時間を削って働いている。
 チルルの大変さを思えば、素浪人の私は何時間でも待つ。
「シュン様、お久しぶりです」
 私は、心の中でチルルの機嫌がいいことに安堵した。
「忙しいのにすみません」
「わざわざお運びいただいたご用件は?」
「マルマに行ってきました。
 そこで、マルマの行政長官と軍司令官にお目にかかりました」
「……」
「お願いがございます。
 イファとアレナスから、技術者をマルマに派遣したいのです。
 そのご許可を賜りたく……」
「どういうことです?」
「マルマも連発銃を持っていました。
 一〇連発のリー・エンフィールドという小銃です。
 マルマには我々が欲している技術があり、我々にはマルマが欲している技術があります。
 相互に協力すれば、帝国との戦いに役立つと思うのです」
 チルルは、少し考えた。
「最近、リケル様、スコル様、シビルス様、ネストル様とお会いになりましたか?」
「はい?」
「いま、私は眼前の敵、ローリア王とフェデリカなる人物への対処で手一杯です。
 急を要しない些事への対応は、手空きの方たちでよろしいように」
 チルルは成長していた。単なる堅物から、要領を得た賢者になっている。立場は人を成長させると言うが、まさにその通りだ。
「ありがとうございます。
 行政長官のご裁可に従います」
 私が辞去しようとすると、チルルが私の背中に言った。
「リケル様とフェイト様のこと、知ってます?」
「!」
「二人、仲がいいみたいですよ」
 チルルの奇襲攻撃で、私の心は撃沈されていた。この話、早くシビルスやネストルに教えてあげないと!

 以後、マルマの技術者集団との交渉は、シビルスに一任された。
 生粋の技術者であるシビルスは、第一次派遣隊への参加を強く希望したが、造船所の経営を放り出すわけにもいかず、泣く泣くアレナスに残ることになった。
 第一次派遣隊の任務は、マルマの技術者集団との人的交流を図り、知古を得ること。隊長はヴェルンド、副長はエルプスと決まった。我々は、イファとアレナスの精鋭技術者を派遣した。

 第一次派遣隊は、三日後にはマハカム川河口の仮設橋を渡った。海岸に沿った裏街道を南に進み、マハカム川河口と南の国境の中間付近で南東に進路を変える。
 この道はかつてはマルマ・キジルへの主要街道であったが、現在は荒れ果てている。

 第一次派遣隊は行政府主導の使節ではないので、正規軍の護衛はない。だが、アレナス行政府の官僚四人が同行している。
 彼らは、マルマとの条約締結を成功させた外交官たちであった。
 また、タルフォン交易商会が護衛兵と交易交渉員を同行させている。
 派遣に使用された車輌は、マウルティア、つまりフォードV3000Sをコピーした四輪トラックだ。
 ただしエンジンはフォードの正立V型8気筒ではなく、ホワイト160AX六気筒の四気筒タイプを搭載している。
 ボディデザインは、フォードV3000Sをやや簡素化したような形状だ。運転席には、鋼板のドアが付けられているが、天井は帆布張り。荷台は木製。前輪は駆動しない。
 試作段階だが、マルマまで十分に行き着けるだけの信頼性はある。我々は、この車輌をフィエスタと呼んでいた。車体色は、やや暗い黄色に塗られている。
 この車輌三台に三〇人と物資が詰め込まれ、マルマに向けて出発した。
 貴重な試作ガソリン車を使用する理由は、マルマに対する我々の技術力誇示が目的だ。

 マルマ側は、突然現れた三輌のガソリン・トラックに驚いた。
 また、大量の七・九二ミリマウザー弾の提供は、さらにマルマ側を驚かせた。
 マルマは、アレナス・イファ側が真に技術交流を求めていることを解し、その対応ができていない現状に慌てた。
 臨時招集されたマルマの議会は紛糾し、スピノラは答弁に苦慮し、マルテルを初めとする軍人たちは純粋に喜んだ。
 もたらされたマウザー弾を使用したベサ機銃は、わずかな調整で滑らかに回転し、停止することなく弾丸を発射した。

 マルマの技術者集団上層部の多くは、アレナス・イファの技術レベルに疑念を抱いていた。
 マルマは五〇年にわたり連綿と研究してきたが、アレナス・イファは数カ月の開発期間しかない。しかも、混乱と戦争の真っ只中での研究だ。付け焼き刃的なもののはずだ、と推測していた。
 当然、明確な技術格差があるはずだ、と信じてもいた。
 また、マルマは、異界からもたらされた兵器技術を禁忌としてきたことから、心情的に他への伝播を嫌った。
 全体的にマルマの技術者集団上層部は、アレナス・イファとの技術交流に懐疑的かつ慎重であった。
 与えるものが多く、得るものは少ない、と確信してもいた。

 その疑念をヴェルンドという名の技術者がことごとく潰していく。そして、エルプスという名の男は、驚嘆すべき知識を持っている。
 マルマの若い技術者たちは、研究の行き詰まりを実感していた。外的な刺激がなければ、研究開発が進まないことを確信してもいた。
 だから、アレナス・イファの技術者たちを歓迎した。

 政治家、軍人、商人、そして市井の人々は、アレナス・イファとの交流を歓迎したが、マルマの技術者集団上層部は保守的な考えに固執している。
 マルマの技術者集団は官吏であり、その社会的・政治的地位は高かった。五〇年の歳月の間、高邁な精神は徐々に失われ、彼らは権益を守るだけの集団になりかけていた。
 そのベクトルをアレナス・イファの技術者集団が変えようとしている。
 マルマの技術者集団は官吏だが、アレナス・イファの技術者集団は民間企業の社員だ。どちらがいいかは別にして、この違いは大きい。企業は利益を上げなければならないが、官吏は与えられた予算を滞りなく消化すればいい。
 そういった違いもマルマの技術者集団を刺激した。
 そして、マルマの技術者集団の総帥である技術保護省長官とヴェルンドが、多数の議員や官吏・軍人の前で激突する。
 それは、ヴェルンドがベサ機銃とマウザー弾の相性について説明し、発射のデモンストレーションの最中に起きた。
 技術保護省長官が「我ら単独で、必ず発射薬を開発してみせるので、アレナスやイファの手助けは無用!」と言い切った。
 ヴェルンドは「もし、いま帝国が攻めてきたらどうします?
 マウザー弾がないために、このアークティカの地に住む民が何人死にますか?
 その中には、貴方のご家族がいるかもしれない。
 死んでいった人々に何と詫びるつもりですか?
 帝国は捕らえた他国民を奴隷にします。奴隷の生活をご存じですか?
 私は見たとおりの南方人です。奴隷商人に捕らえられ、売られ、四年もの間、奴隷鍛冶として生活しました。
 貴方のお子さんが奴隷となり、貴方のお孫さんが鞭打たれてもいいのなら、貴方のプライドを守りなさい!」
 技術保護省長官は、何も言い返せなかった。だが、彼は心の中で叫んだ。
「私は自分のプライドのために反対しているのではない!
 技術保護省の職員の生活のために反対しているのだ!」
 彼はそれが正義だと信じていた。彼には、マルマという街がなくなれば、技術保護省もなくなるとは思えなかった。マルマがなくなっても、帝国が資金を出してくれる。そうすれば、職員が困ることはない。自分の身も安泰だと。
 それが彼の正義だった。

 後日、マルマの議会は紆余曲折を経て、技術保護省を解体し技術開発省を新たに設けることに決した。
 そして、アレナス・イファへ、マウザー弾の大量購入を打診した。

 マルマとアレナスは、両者の技術者集団を触媒として、急速に接近していく。
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