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第4章 内乱

第31話 予兆

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 最初の一人は、誰も気には留めなかった。赤い海西岸の街に避難していた裕福な一避難民だと、誰もが考えていた。
 二人目、三人目……。何百人目かで、何となくおかしいと感じ始めた。
 彼らは、二〇歳代、男性、まれに女性、生活に余裕のある財を持つ親族がおり、決してルカナの街人と接しようとはしなかった。

 前年の四月初旬、ローリアから一人の女性が帰還した。彼女は旧アークティカ王家の末裔で、フェデリカと名乗った。彼女も裕福であった。
 ルカナの街人は、やや茶色がかったシャツと黒いズボンを履き、あり合わせの防寒具を着ていたが、彼ら、彼女らは他国の富裕層若者と同様に着飾っている。
 その対比は異様であった。

 熾烈な防衛戦を勝ち抜いた我々は、経済的にはまだ立ち直っていない。
 今春に蒔く小麦の種をどうしようかと心配し、自国の商品が売れた売れないで一喜一憂している状態なのだ。
 リケルは国費の調達に奔走していて、街人はそんなリケルを心配して、必死に働き、少ない収入から税を払うと言っている。
 しかし、彼らは違っていた。一日中遊び呆け、貧しい我々を見下し、被害に遭った女性たちを侮辱した。

 彼らが一〇〇〇人に達したとき、フェデリカが街頭で演説をした。
 耳を疑うような内容であった。
「奴隷商人や東方騎馬民に汚された血のものはアークティカを去れ。血統の定かでない移民は去れ。
 アークティカを由緒正しいアークティカ人の手に取り戻そう」
 そんな感じだ。
 彼らは、自称、正しき血統のアークティカ人だそうだ。

 フェデリカの演説の直後、ローリア国王ベルナル九世は、宴席においてアークティカに王党派と解放派という二つの勢力が生まれたとバルティカ各国の大使に告げた。
 バルティカ構成国各国大使は唖然としたらしい。ローリア国王の教訓を得る能力の低さに……。
 各国大使は、下級兵士のように予言の娘に対する畏怖などはない。そのような迷信を信ずる人物は少ない。
 しかし、アークティカが尋常ならざる〝何か〟を持っていることは事実だ。
 驚異的な速度で弾込できる小銃、途切れることなく弾丸を発射するバリバリ砲、爆弾を落とす空飛ぶ機械、これは常なるものではない。
 魔法と言っていい。アークティカ人は魔法を操るのではなく、魔法のような機械を作る民族に変貌してしまった。
 それは、国王から兵士までが認める。だが、アークティカ人が作る機械は魔法や悪魔の兵器ではない。人間が作ったものだ。そういうものを作れる人間が、アークティカにいる事実が恐ろしいのだ。
 しかし、ローリア国王は、そのことを理解していない。
 この宴席以降、バルティカ各国は、ローリアから少し距離を置き始める。

 リケルは、ローリアの策謀に激怒した。そして、スコルに裕福な帰還者を捕らえるように命じた。だが、それができないことは、リケルも知っていた。
 彼らの存在は不愉快なだけで、現状では一切の実害がないのだ。

 種まきの季節になった。街の住民も参加して、ルドゥ川以北の実りの多い大地に小麦の種を蒔いた。
 アークティカ人は生き残りに必死であった。

 種蒔きの真っ最中、裕福な帰還者たちはフェデリカを筆頭に選挙の要求を始めた。
 裕福な帰還者は二〇〇〇人に達し、本来の人口が三〇〇〇人ほどのルカナの街は、飽和状態に達していた。
 その中に、自称・旧アークティカ軍総参謀長のタンムーズがいた。
 この頃から、アークティカに残った人々に対する裕福な帰還者たちの露骨な嫌がらせが始まる。
 まだ六歳になったばかりのミーナに向かって、二〇歳をとうに過ぎている男が「よそ者は消えろ!」と罵った。

 リケルは、私、ヴェルンド、エミール医師、タルフォン交易商会のネストル、アレナス造船所のシビルス、軍司令官のスコルを呼んだ。
 場所は行政府内の会議室。名目は、ネストルの誕生祝いだ。
 リケルは「連中の行動ですが、どういうことなのでしょうね?」と率直に疑問を提示した。
 シビルスが「排外的民族主義というか、国粋主義というか。
 まぁ、よくいるタイプですが、徒党を組まれると厄介です」
 エミールが「私が生まれた国でもありました」と言い、続けて「それが、私の生まれた国の不幸につながります。たくさんの国民が死にました」と静かに語る。
 彼の言葉の意味の重さを解するのは、私だけだろう。
 私が「ローリア王の策謀の一つだろうが、少々稚拙だね。あの王様はルドゥ川以北の東側を欲しがっている。それが目的なんだろうけど、落としどころを間違うと。王の地位も危うくなるんだけどね。
 本人は理解してはいないんだろうね。
 ところでフェデリカという王女様は、本物なの?」
 リケルが答える。
「そんなこと誰にもわかりませんよ。アークティカ王家なんて、一〇〇年も前になくなっているんですから。
 仮に王家の末裔だから、何だと言うんですか!」
 スコルが「俺も王家の末裔かも」と言うと、全員が笑った。
 ヴェルンドが「選挙はどうします?
 連中は移民には選挙権がないと騒いでいるし、マルマは実施に同意しないだろうし、ルドゥ川以北はそれどころではないし……。
 仮にルカナとアレナスだけで実施したら、人口比率で負けますよ。
 こちらは、生まれたばかりの赤子を入れても二五〇〇なんですから」
 私が「まぁ、我々は負けるね」
 リケルが「ではどうします?」
 ネストルが「ローリアの王様の策謀に乗ってみるというのはどう?
 ああいう連中はいなくならないだろうし、ローリアの王様のクレクレ攻勢も永遠に続くだろう。
 ならば、ここで一気に片を付ける」
 私が「連中が政権を取れば、我々の追い出しにかかるでしょうね。
 まずはルカナから、その次はアークティカから……。
 で、とりあえずルカナから追い出され、連中に悪さをさせる。
 そこで、犯罪者として取り締まる。徹底的に」
 リケルが「ローリア王はどうすると思います?」
 エミールが「新政権がローリア国王に支援を求め、ローリア国王が支援に乗り出す。
 国境を越えて、軍を送り込むでしょう。
 大義名分が立ちますから」
 リケルが「では、我々はどうします?」
 ヴェルンドが「ローリア軍をルカナに引き入れて、ローリア王の言う王党派と一緒に始末しましょう」
 スコルが「待ってくれ、それではルカナの街が廃墟になる!」
 リケルが「街はまた再建しましょう。それよりもアレナスに拠点を移すきっかけになります」
 スコルが「アレナスに拠点を移す?」
 リケルが「ルカナでは内陸過ぎるんだよ。アークティカが発展するには、沿岸に出なくては。
 しかし戦争はできない。そんな力は、いまのアークティカにはない。
 チュレンやバルカナが解放できないなら、アレナスを発展させればいい。
 そのほうが建設的だよ。
 スコル司令官。商人の皆さんは、そう考えているんだよ」

 スコルは頭を抱えた。

 作物の植え付けに忙しい四月中旬。
 リケルは「我々の政権に正当性があることを証明する」と宣言して、行政長官選挙と議員選挙の実施を決断した。
 マルマは呆れ、ルドゥ川北東部は「何もこんな時期にしなくても……」と怒り、ルドゥ川北西の人々は、ルカナ、コルカ、アレナスとともに参加する道を選んだ。

 リケルの選挙演説はひどいもので、人々の心を打つにはほど遠かった。
 対するフェデリカの演説は巧みで、彼らと直接関係のない裕福な帰還者たちにも急速に受け入れられていった。
 また、バルティカ五国との関係改善を約束し、会戦時に沈船を浮揚させそれを奪ったとして、アレナス造船所を非難した。
 沈船浮揚は行政府の方針であって、それらの船は一時的に行政府に帰属していた。運行もアレナス造船所ではない。従って、アレナス造船所の勝手な行為ではない。
 また、浮揚させた沈船を奪ったと言う事実もない。
 メハナト穀物商会やタルフォン交易商会は、アークティカ人が経営する企業なので、排外的な攻撃を受けにくいが、アレナス造船所は連中から見れば「移民の会社」なので標的にされた。
 一週間に及んだ選挙戦の後半では、マーリンを侮辱する言葉が並べられた。
 フェデリカは「奴隷商人に汚された予言の娘は、アークティカから追放せよ」と論を張った。

 そして、開票。結果は、明確な差がついてリケルの政権は信任されなかった。
 開票の翌日、リケルはルカナの街を去り、アレナスに転居。スコルは軍司令官を解任され、その任にはタンムーズが就任。
 行政府の官吏は幹部職員が解雇され、他の職員の大半が辞職、国軍将兵二〇〇人は全員が現役から退かされた。
 その中には、ジャベリンやミランもいた。
 そして、フェデリカを支持するものたちから、一〇〇〇人の新生アークティカ軍が編成され、タンムーズが総司令官に就いた。
 ここまでの出来事は、わずか三日で起こった。

 選挙の途中から、今次会戦を戦ったアークティカ人の多くがルカナの街を去った。
 メハナト社では、ルカナでパンの製造販売や食堂を展開していた社員がアレナスに移った。選挙の情勢がフェデリカに有利との観測が出始めると、フェデリカの支持者たちによる我々への嫌がらせが先鋭化していったのだ。
 私は嫌がらせの事実があれば、さっさとアレナスやイファに移動させた。
 この頃、マーリンはイファにいた。私の指示で、地下空間の異界物研究施設の長であるバイロンとともに、イファの西側に新しい村を建設している。
 目標建設戸数は四〇。民家は全てが同一設計の木造二階建て。五〇人が暮らせる児童館も建設している。
 この建物が最重要施設で、まさに突貫工事で造っている。
 イファの工場内には、一〇〇人が寝泊まりできる三階建ての宿舎があり、ここが仮の住まいになっている。
 マーリン、ミーナ、メグと二人の子供、イリアの家族もここにいる。
 リシュリンとリリィはコルカ村に残り、アリアンや多くの子供たちもコルカ村に残っている。
 そして、ルカナからコルカ村に対する圧力は、日に日に強くなっていく。

 ついにエミールが病院を辞めさせられた。また、彼の部下の多くも辞職を強要された。
 それだけではない。入院患者にまで、退去が強要された。
 エミールたち医療チームは、患者とともにアレナスに移った。
 アレナスの診療所は手狭なので、アレナス造船所の宿舎の一棟を借りて、臨時の病院とした。
 エミールの退去によって、ルカナはほぼ完全に王党派の街となった。
 王党派の主張は先鋭化を強め、彼らが解放派の拠点とするコルカ村に対しては、憎しみに似た感情を向け始めていた。
 アリアンは、イファの児童館が完成したら、親を失った子供たちをすぐに移動させることに決めた。
 この決定はマーリンとバイロンに伝えられ、建設の速度が速められていく。

 六月上旬、イファの児童館が完成。アリアンは昼間の移動を避け、深夜に出発させることにした。
 子供たちの総数は四四名。女性は一五歳以下、男性は一二歳以下だ。
 一三歳以上の男子はコルカ村に残ることになった。
 ルカナの街を通過するとどのような危険があるかわからず、マハカム川に沿って西進し、廃墟となっている沿岸の旧イミル村に達し、赤い海沿岸を北進してアレナスの街に至り、東に進路を変えてイファを目指すことにした。
 総走行距離一六〇キロに達する大移動だ。ルカナの街を通過すれば四〇キロほどの距離なのだが、子供たちの安全を考えれば仕方のないことだった。
 移動は航続距離の短い蒸気車では無理で、イリアが運転するマウルティアとメグのデュトロによって決行された。
 深夜、子供たちは少ない手荷物を持ち、ようやく住み慣れたと思えたコルカ村を去る。
 村を離れしばらくすると、一人の女の子が荷台に一緒に乗る大人に「泣いてもいい?」と尋ねた。
 髭面の老人が闇の中で頷くと、その女の子は声を押し殺して泣いた。そして、全ての子供が泣いた。
 髭面の老人は「なぜ、こんなひどいことをするんだ。同じアークティカ人なのに」と、荷台の最後部から見える車外の闇に向かって呟いた。

 旧イミル村には、アレナスから常時十人隊二隊が派遣されている。深夜二時にコルカ村を出発した一行は、早朝の六時にイミル村に着いた。
 イミル村の駐屯兵たちは、子供たちのために魚を釣り、貝を集めて、栄養のある美味しい食事を用意していてくれていた。
 ここまで来れば、アレナスの勢力圏なので安全だ。
 食事の後、少しの休憩をしてアレナスの街に向かう。
 この間、道は赤い海と並行している。海が見えると子供たちは大はしゃぎで、昨夜の辛さを忘れさせているようだ。

 アレナス周辺は、赤い海に沿って南側へ、またルドゥ川を遡るように東側に住宅地を拡張している。
 アレナスは、もともと五〇〇人ほどの住民が暮らす小さな街だった。産業は、小規模な船舶修理工場があるだけだ。
 ルカナとコルカの住民計二五〇〇人が住むには、あまりにも規模が小さすぎた。
 そこで、街の外周部に大規模な宅地を造成し、三種類の規格の木造住宅を集中的に建設した。
 また、街に近接する地域には、三階建ての集合住宅を建設する予定になっている。
 コルカ村の住民は、イファの西側にあるメハナト社の社有地に建設中の住居に入ることになっていたが、ルカナの住民の一部も受け入れる予定である。
 ここは、フロイ地区と名付けられた。そして、フロイ地区には一足早く、クラリスたちが移住している。
 疎林の中に小さな家々が立ち並び、羊が草を食む牧歌的な風景の街並みが生まれつつある。
 そして、地区の中心に児童館があった。児童館は洒落たチロル風の建物だ。もちろん、子供たちが大好きな電灯も付いている。
 この建物だけは、完全なオリジナル設計で、「幼児の蛮用に耐える家」がテーマだ。頑丈で壊れない家だ。

 子供たち一行がフロイ地区に到着したのは、日没間際だった。疲れ果てて寝ている子も多かったのだが、新しい家を見て大喜び。夜遅くまで、遊んでいた。

 コルカ村は、徐々に屈強な男たちだけの村になっていく。
 そして、アリアンとリシュリンは、最後まで残る覚悟を決めていた。

 この時期の赤い海沿岸諸国の情勢は、奇妙な安定を保っていた。
 赤い海北岸は北方人の国で、農耕と畜産が主要な産業だ。牛の放牧が盛んで、乳製品の生産量も多い。食料が豊富で、豊かだ。
 赤い海西岸は、ほぼマムルーク帝国が制圧した。国が残っている場合は、その国の政権は帝国の傀儡だ。
 赤い海西岸から白い海北岸までの帝国の支配下にない地域は、エリスとその影響下にある一帯、カフカの勢力圏だけになってしまった。
 白い海南岸諸国・諸都市は、まだ独立を保っている。
 赤い海南岸は、ハボルとルカーンは帝国の軍門に降っていないが、ラシュット以西は勢力圏に組み込まれた。
 南岸のさらに南、内陸部の諸都市・都市国家は、反帝国の気運が強い。だが、それは無知からくる反抗心でもある。これら諸都市・都市国家の国力・経戦能力では、とても帝国には対抗できない。
 その点は、アークティカも同じだが……。

 赤い海東岸のバルティカ五国の情勢は、混沌としている。
 北の赤い海沿岸国ウルリアは、もともとバルティカに対する帰属意識が薄い。しかも、文化・風習は北方人に近く、農耕を営むが畜産も盛んだ。工業も盛んで、特に毛織物が有名。ガラス製の工芸品にも秀でている。
 国家としては、富裕だ。
 政治体制は王制だが、中央集権化が進んでおらず、各地の領主が領地を支配している。領主は王を主君とするが、王を屠ろうとする領主は絶えたことがない。
 政権が不安定であることから、対外的な侵略行為はほとんど不可能。ただ、内乱が多く、領主間の紛争も絶えない。
 ウルリアは、国を挙げて、帝国に対しようという状況にはない。

 ウルリアの東隣の国ユンガリアは、草原の国。牛の放牧が盛んで、遊牧の民も多い。東方との交易に力を入れており、東方文化を積極的に移入している。
 東方や北方諸民族からの侵略を受けることが多く、戦上手な国としても有名。
 政治体制は、有力者による推挙方式の変速王制を採っている。この奇妙な制度は、有力者間で王権を持ち回りしようとする、支配層の勝手な都合から生まれた。
 支配層には上士と下士という明確な身分制度があり、上位支配層と下位支配層を形成する。
 そのさらに下位に鄕士という階級がある。そして、大多数を占める非支配層。
 ユンガリアの支配層は、南からやって来た。鄕士はこの地方に住んでいた人々のうち、元の支配層だった。現ユンガリアの支配層は旧支配層に対して肝要で、反抗しない限り生命と財産を保証し、一定の身分も与えた。新支配層ほど上位ではないが、非支配層ほど下位でもない。
 その替わり兵役の義務を課し、多くの場合、下級将校として最前線に送られた。捨て駒として生還する確率が低い作戦に投入され、後継を失って家名が断絶することも多い。
 そのため、鄕士の多くが自由奔放なアークティカに移住し、アークティカに最後まで留まった人々もいる。
 アークティカに対して、アークティカ人以上に郷土愛を持っている人たちでもある。
 ユンガリアの現支配層は、脱国鄕士に対して冷淡で、再入国を認めることはない。脱国鄕士は、どこに居を移すにしても故郷を完全に捨てることになる。故国を訪ねて、親類縁者と歓談することもできない。
 また、軍事的に強国であるユンガリアの怒りを恐れて、隣国が脱国鄕士を受け入れることは少ない。
 その点、アークティカは寛容で、ユンガリア脱国鄕士を何の躊躇いもなく受け入れた。ユンガリア王家はアークティカ政府に「不快である」との意思を伝えたが、アークティカ政府は意に介さなかった。
 ユンガリアは恫喝のために大量のマスケット銃を購入したが、その大半がアークティカ製で、アークティカが大いに儲けるという皮肉な結果となった。
 表立っての対立はなかったが、ユンガリアとアークティカ間には遺恨があった。

 アトリアは、バルティカ五国と一属国の盟主だ。
 だが、ヌールドの丘の戦いにおいて、属国であったアークティカに大敗。国王はアークティカに預けられ、人質となった。
 その後、アトリアは国王解放の条件であった戦時被害補償金、実質的な身代金の支払いを拒否。
 アトリア国王トゥルー三世は、アークティカにおいて虜囚の身となった。
 虜囚とはいえ、行動の多くは自由で、食い扶持さえ確保できれば武器以外は何でも入手できた。
 アトリアの新国王ヌル五世は、前国王の弟の嫡子で、前国王の直系は王家から外され、一貴族となった。
 トゥルー三世はアレナス政権から「どこにでも好きなところへ、退去せよ」と命じられ、「好きなところでよいか?」と尋ね、「その通りだ」との答えに、「ならばアレナスがよい」と言い、アレナスに居を構えた。
 トゥルー三世には正妻と複数の側室がいたが、彼を追ってきたのは商家出身の側室だけだった。
 彼女は夫と子供を養うため、アレナスで武具商を始める。この商〈あきない〉は、彼女の実家の家業で、アレナス店は彼女の実家の出店となる。
 トゥルー三世は店番をすることがあり、その目利きの高さに信頼を置く武人も多い。商人とは思えぬ上から目線の対応も、人気なようだ。
 面白い話がある。
 ミランがこの店で剣を買った。
 ミランが店番のトゥルー三世に「この剣は如何ほどか?」と尋ねる。
 トゥルー三世が「そのナマクラを買ってどうする」と客であるミランに問う。
 ミランが「貴店はナマクラを扱うのか?」と尋ねると、トゥルー三世は「良剣ばかりでは商売にならぬ。ナマクラも商品のうちだ」と答えた。
 ミランが「それほどのナマクラではないぞ」と言うと、トゥルー三世は「生命を預けるには適さぬ」と答える。
 ミランが「国王ではないので、そこそこの剣でよい」と言うと、トゥルー三世は「国王はナマクラでよい。己の喉を突ければよい」と答える。
 トゥルー三世の店とは知らないミランは、「国王は、簡単に死んではならぬ」と応じた。
 トゥルー三世は「国王は辛いぞ」と言い、ミランは「まったくだ」と答えた。
 トゥルー三世は「若造、国王になりたいか」と問い、ミランは「もうこりごりだ。妻子を守るだけで精一杯だ」と答えた。
 トゥルー三世は「若造、どこぞの王だったのか」と皮肉に笑い、ミランは「あぁ、かつて西方のタイバルという国の領主だった」と答えた。
 トゥルー三世は驚き「元国王がここで何をしているのだ」と問い、ミランは「アークティカの民として貿易を手伝っている。いまは商家の護衛士だ」と答えた。
 そして、トゥルー三世は自分で見立てた剣をミランに薦め、ミランはそれを購入した。
 これが元国王であった二人の最初の出会いで、以後二人は懇意になる。トゥルー三世にとって、ミランはアークティカにおける最初の友であった。
 なお、アトリア本国は弱体化が激しく、ヌル五世政権は実質的に帝国の傀儡となった。

 ローリアは豊穣の国であり、絶対王制による安定した政情が経済を発展させている。
 アークティカにとって厄介なのは、ローリア国王ベルナル九世が我々の国に対して領土的野心を持っていることだ。

 ローリアの西隣、赤い海に面するパノリアは、アークティカに侵攻した謝罪に使者を送ってきた。
 通常は家臣団の長が勤めるが、パノリア国王レーモン二世は妻と嫡子を使者とした。
 また、謝罪の証と称して、小麦五〇トン相当を送ってきた。
 アークティカとパノリアは交戦していない。使者の格、贈り物のいずれも破格で、アークティカとしては受け入れを拒む理由はない。
 だが、王妃がくせ者だった。この王妃はアレナスとイファをくまなく歩き、市井の人々とふれ合い、イファでは予言の娘の住居を訪ねた。
 リシュリン曰く「恐怖を感じるほど馴れ馴れしい人物」で、どんなものにも興味を示したようだ。
 嫡男はオースチン7の助手席に乗って、イファの街を走り、大いに喜んだらしい。
 そして、王妃はアークティカの武器について、無邪気を装って事細かに尋ねる。
 隣国の使者であり、王妃に対してぞんざいな扱いはできず、アークティカ側は相当に困った。
 そして、この王妃は何かをつかんだことは確実だ。

 この頃のアークティカは、隣国のパノリアとローリアを最も警戒していた。
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