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異世界編

01-006 脱走兵

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 3人の少年は、顔を川に沈めて水を飲んだ。3人の身の上は同じだった。農家に生まれ、親を手伝って農作業をし、収穫物を換金し、収入の一部を税として国王に納めた。
 収穫物や収入の大半は手元に残り、飢えることはなかった。
 ヴァロワ王家が断絶し、縁戚のダルリアダ王が新王になると、しばらくしてダルリアダの貴族が新しい領主となった。
 そこから、地獄が始まった。税は倍になり、移動を禁じられた。婚姻も制限され、初夜は領主の代理たる代官のものになった。
 そして、反乱の噂が流れると、兵士狩りが始まる。農家の男は根こそぎ狩り出され、村は老人と幼児と女性だけになる。
 兵舎の食事は粗末で、量も足りない。3人はいつも空腹だった。
「反乱は、具足様が立ったらしい」
 具足様のことは伝聞で知っていた。農民だが、戦いに長けた人たちだ、と。一領具足の領地には武装した盗賊集団がいない。理由は、具足様がいるからだ、と。
 大人たちは「具足様の土地まで逃げられたら、かくまってもらえる」と言っている。

 3人は逃げる決心をし、迷惑をかけないため生家に戻るのではなく、具足様を頼るつもりだった。
 ただ、彼らは具足様が何であるのか、ほとんど知らなかった。

 捕らえて見せしめとするため、騎士が執拗に追ってくる。
 3人は深い森を抜け、崖を這い登り、小川を歩いて犬の追跡をかわし、草原に至ると大きく迂回して、彼らが知る限りの動物の知恵を使って逃げた。
 秋が深まっていて、森の中には食べられる木の実があった。深夜以外、火を焚かず、決して煙を見られずに行動する。月齢も彼らの味方をしていた。

 翔太は、ある噂を調べに近くの山中を調べている。
 この山には閉鎖されたスキー場があり、朽ちかけたロッジの脇に雪上車が捨ててあるというのだ。
 スキー場は閉鎖されたが、スキー場の途中に湯治宿があり、めぼしいものを見つけた場合にはここで事情を聞いてみるつもりだった。

 ロッジは残っていた。十分に原形を保っていて、窓は板囲いされ、侵入の形跡もない。
 除雪用だったのだろう、中型ブルドーザーが1輌、小型ドーザーショベルが1輌、4トントラックが1輌、そして小型のキャリアダンプが1輌。キャリアダンプを雪上車と見間違えたのだ。
 キャリアダンプは、よく見ても見なくても動きそうにはないが、ドーザーは使っている感じがする。道普請用かもしれない。
 温暖化によって、この付近では安定的に雪が降ることはなくなった。降っても異常な大雨で、それで何もかもが止まる。
 数年前から、スキーもスノボもできなくなっていた。

 湯治宿は、営業していた。昔ながらの湯治宿だったのだろうが、日帰り温泉を楽しめる癒やしの湯だそうだ。
 気難しい親父が出てくることを期待したが、反して若い女将が現れた。
「いらっしゃいませ」
「つかぬ事をうかがいますが、スキー場跡にあるブルドーザーはこちらのものですか?」
「はい……。
 道が崩れたときしか使いませんが……」
「キャタピラ付きのトラックは……」
「ちょっと待ってくださいね」
 女将が玄関から奥に引っ込み、彼女に変わって若い男性が現れる。若旦那か。だが、大女将や大旦那がいるようには思えない。
「キャリアのことですか?」
「はい、キャリアダンプのことです」
「あれは、もう動きませんよ。
 10年近く動いていないと思うんです」
「売っていただくことはできませんか?」
「売る?
 廃棄するのにお金がかかりすぎるので、放置しているんです。ロッジの土地を買ったんですけど、そのときの条件が処分は飼い主がすることになっていたんで……。
 ブルドーザーは動いたんですけど、トラックとキャリアはピクリとも動かず。
 現在に至る、といったところです」
「動かなくてもかまいません。
 譲っていただけないですか?
 私が移動させるので……」
「いいですけど……」
「お値段は?」
「引き取っていただけるなら、助かります。
 お金は結構です」
「では、近々受け取りにうかがいます」
「雨がひどくなる前にお願いします」
「わかりました。
 ありがとう」

 このキャリアダンプの回収は苦労したが、重い以外の困難はなかった。車重が6トン以上あり、トラックの荷台へ積むための方法を思いつくのに時間を要した。
 結局、セルフローダートラックをレンタルしたのだが、滅多に運転しない大型トラックを動かすほうが難しかった。

 4トン積みで、上部車体が360度旋回できるキャリアダンプを入手できたのだが、これを修理するにはかなりの手間がかかる。
 さらに、車体幅は2.25メートルもあるから、分解しないと運べない。密閉ではないが、ロールバー風のフレームで囲まれたキャビンがある。
 シートはボロボロ。風雨にさらされ続けた結果だ。
 しかし、動いてくれれば、深く耕した柔らかい畑でも、余裕で走行できる。
 きっと役に立ってくれる。
 翔太は収穫までに修理することを目標にしていた。

 農場では、軽トラの増強が強く要求されていた。しかし、軽トラの廃車は少ないし、あったとしても相当に痛んでいる。軽トラよりも、1トンや2トンのほうが出物の廃車を見つけやすい。
 トラックに限らず、荷物が積める使えそうな商用車を探し出すことにした。

 レベッカたちは、複数台のトラックで車列を編制し、キャンプの周囲のパトロールを始めている。
 掌握している面積は4500ヘクタールほどだが、南に向かって、さらに3000ヘクタールの拡張を目指している。
 当然、新領主であるキュトラ伯爵の手勢と小競り合いが起こる。
 だが、トラックの威力は絶大で、騎兵を追い回し、追い散らす。軽トラでは迫力不足だが、2トン車なら騎兵を圧倒できる。
 キュトラ伯爵の傭兵は、レベッカたちとの銃撃戦を避けるようになった。雇い賃では、割が合わないのだ。
 7500ヘクタール=75平方キロなので、東京23区の大田区と目黒区を合わせた面積に匹敵する。レベッカたちは事実上、新領主から分離“独立”している。
 さらに拡大するほどの人数はいないが、キュトラ伯爵側としては容認しがたい状況であることは間違いない。
 早晩、何らかの“摩擦”が発生する。

 レベッカたちの動きは、周辺の農民に影響を与える。軍が解散となり、ヴァロワの貴族のうち騎士階級は壊滅している。領地をもたず、戦うこと以外に職能のない騎士にとって、軍の解散は失業であった。他国に移り、傭兵になる以外、職を得る方法がない。
 爵位のある上級貴族も、領地を召し上げられて、蓄えがあるうちに他国へ移った。
 しかし、農民や都市住民出身者が多い下士官や兵たちは、故郷に帰った。彼らは密かに軍の装備を持ち出していた。小銃程度だが、銃はもちろん、刃渡り50センチ以上の刃物を持てない民衆階級にとっては、帰郷兵の武器は身を守るために必須であった。

 レベッカは、キュトラ伯爵の手勢との戦闘において鹵獲した武器を周辺の農家に「オオカミやクマが出たときに使って」と寄贈した。
 しかし、銃口は、動物ではなく、キュトラ伯爵の手勢に向けられることを知っている。
 レベッカたちの行動に触発された周辺の農民たちは、銃を隠し持つのではなく、積極的な自衛を始めた。

 3人の少年兵は、人との接触を可能な限り避けていた。それでも、森が途絶え、農地に出てしまうことがあった。
 そうした場合は、原則として日没まで移動しなかった。
 しかし、疲労と空腹が判断を誤らせた。草原を突っ切ろうとして、街道に出てしまったのだ。
 運悪く、少年たちを探していたダルリアダの騎兵に見つかる。
 3人の少年は疲れ切った身体を動かし、街道を走って逃げる。街道を走るほうが、早く森の中に逃げ込めるのだ。森の中に逃げ込んだとしても追われ、間違いなく捕まる。
 それでも逃げた。
 先頭を走る少年が、前方に不思議なものを見つけ、恐ろしくなって草むらに隠れる。2人があとを追う。

 アネルマは30年落ちのピックアップトラックを気に入っていた。四輪駆動で路外も走れるし、軽トラよりも大きくて迫力があるから。ボンネットがあるのもいい。
 助手席のビルギットは、前方を凝視している。

 他領の騎士は、前方から走ってくるウマのいらない馬車に戸惑っていた。そういう乗り物があることは知っていたが、田舎者の騎士が初めて目にするものだった。

 3人の少年は、停止したトラックの車列を見ている。
 荷台から見下ろされていて、隠れる意味はなくなっていた。
 ダルリアダの騎士が3人を捕まえようとするが、トラックの荷台に乗る女性が空に向けて威嚇発射する。

 アネルマが運転席から降り、騎士に近付く。
「ここで何をしている?」
「我々はダルリアダの騎士だ。
 逃亡兵を捕らえに来た」
「誰の許しを得たんだ?」
「……。
 俺はダルリアダの!」
「ダルリアダの田舎者だと言うことはわかったよ。
 で、誰の許しを得て、我々の土地で勝手なことをしているんだ?」
「おまえ、誰にものを言っているのか、わかっているのか?」
「騎士殿こそ、誰に向かってすごんでいるのか理解しているのか?」

 1人の少年が立ち上がり叫ぶ。
「具足様だ!」
 2人が手を取り合って喜ぶ。
「具足様、お助けを!
 俺たち逃げてきたんだ。無理矢理兵隊にさせられた!」
 この地方の人はレベッカたちを“具足様”とは呼ばないが、集団に対する呼称として“具足さん”とは呼ばれる。違いに対するもので、蔑称でも敬称でもない。農民とは違う、といった程度の意味だ。

 指揮官らしい騎士が短銃に手をかける。
 アネルマのほうが圧倒的に早かった。指揮官が短銃のグリップに触る前に、アネルマは撃鉄を起こして銃口を向けていた。
「あんたの腕じゃ、私とは戦えないよ」
 アネルマは意図して挑発する。
 指揮官は凍りついていた。アネルマの手の動きが見えなかったからだ。
 イルメリが持ち帰ったノートパソコンで見た西部劇に触発されて、キャンプでは早撃ちが大流行。もちろん、アネルマよりも早撃ちの仲間がいる。
 アネルマたちは数で勝っていた。そして、騎士に対して臆したところがない。
 ダルリアダの騎士は、いったん引くことにする。賢明な判断であった。同時に、近いうちに眼前の少女を腹の下で泣き喚きさせる決意をする。
 騎士が農民風情にコケにされたのだから、彼にとっては当然のことだ。

 3人の少年は、貴重な情報をもたらした。ヴァロワの東側では。ダルリアダ軍が兵士狩りと呼ばれる強引な徴兵を始めたこと。
 一部の村では、失職したヴァロワ兵を雇って、防衛を固めていること。ヴァロワ軍が解散となった時点で、一部の部隊指揮官が武器庫と厩舎を解放したこと。
 各地で、ダルリアダ軍と住民が小競り合いを始めていること。
 一部ではあるが、ヴァロワの人々が公然とダルリアダに対して抵抗の意思を示し始めたきっかけが、キュトラ伯爵領における一領具足の反撃にあると。
 3人の脱走兵も驚いていた。頼りにしていた一領具足は、男性は早々に毒殺され、生き残っていた男性の老人や子供も殺されてしまっていることに。
 戦っているのは女性だけ。
 3人は愕然とし、同時に落胆した。

 レベッカは西と東に偵察を送る計画を立案する。隠密裡に行いたいがウマがない。結局、この問題が解決できず、東西の偵察は実行できなかった。
 王都方面の事情だけでは、ヴァロワの状況を判断できない。レベッカは、抵抗するだけでは、ダルリアダに対抗できないことを理解していた。

 王都からの情報では、王都の支配層の間で“キュトラ伯爵領の後家”が話題になっているという。単に“後家”と呼ばれることさえある。
 レベッカのことだ。
 キュトラ伯爵に抵抗し、土地を明け渡さない頑固な女性の噂が広まっていた。

 王都の状況は逐一報告されている。無線は大いに役立ち、ハンドトーキー(トランシーバー)はパトロールも所持している。
 レベッカは、通信を専門とするグループも編制する。彼女は情報の重要性と、迅速な伝達の必要性を十分に知っていた。

 日本国内では銃器はほぼ入手できない。反社会組織と接触すれば別だろうが、異世界の農場を維持するためには法を犯すことは避けたい。
 武装を強化するには、無酸素の地下空間にある旧式な武器を使うしかない。.577スナイドル弾の薬莢を作る設備をキャンプに設置すると、レベッカはすぐに製造に取りかかる。深絞り用の真鍮板は、翔太が調達する。真鍮板の入手自体は違法ではないし、薬莢の製造は日本の司法権が及ばない異世界での作業だ。
 問題は何もない。
 同時に、レベッカはミニエー銃の後装化改造を計画する。それを可能にするには、工作機械が必要だが、ポツンと一軒家のテント倉庫にある。
 本来は自動車のレストア用で、旧式だが必要な工作機械は揃っている。
 翔太は、レベッカに“命令”されて20挺分の部品を製造した。

 翔太は、手つかずの4500ヘクタール近い農地を耕したかったが、レベッカの要求を受け入れると、その時間はなかった。
 レベッカは後装銃の大量配備が、農場防衛の根幹になると判断している。
 翔太にも異存はないが、レベッカの強硬な武装計画には危うさを感じてもいた。

 2カ月経てば冬になる。秋まき小麦を早くまかないと、来年夏の収穫ができない。
 翔太は焦りを感じていた。

 アネルマが農民をキャンプに連れてきた。
「おじさんの農地に大きな岩があって、それを掘り出したいんだって。
 叔父上、できる?」
「どうだろうな、地上に出ているのは氷山の一角っていうこともあるからね。
 でも、掘ってみよう」

 翔太がミニショベルを3トンダンプに積み込み始める。アルミ製のラダーを使って、荷台まで自走して登るのだが、その曲芸的な動きにキャンプはちょっとした騒ぎになった。

 農民はヴァロワでは一般的な自営農だ。農地は50ヘクタールほどで、これも平均的。このことからすると、一領具足の500から1000ヘクタールという1戸あたりの耕作面積は、桁違いの広さなのだ。

 農家に女性はいなかった。祖父、父親、子である20歳前後の男性だけ。
 翔太は気になったので尋ねる。
「奥さんは?」
 農民は口を濁す。
「何かされたの?」
 祖父が答える。
「隠れているんだ。そのわけはわかるだろ」
「家族で、楽しく暮らせるようになればいいね」
「そうなるように神に祈っているんだが……」
 老人が空を見上げる。いるはずのない神を探しているのだ。

 岩は深く埋まっていたが、長細いだけで、心配したほどの大きさではなかった。ミニショベルで周囲を掘り進め、2時間ほどで掘り出せた。
 岩をミニショベルのドーザーブレードで押し転がして、母屋の前まで移動させる。
 子が「騎士が攻めてきたら、この岩に身を隠して戦う」と言ったが、父親が戒める。
「相手は人殺しが仕事なんだぞ。戦っても殺されるだけだ」
 子は父親の言に無言で反発を示す。
 深い穴ができたが、近くの丘陵から土を剥ぎ取ってダンプで運び、往復2回で埋め戻せた。
 農民の祖父と親子はとても感謝してくれた。彼らにとっては貴重な食料である、ナッツを翔太に渡そうとする。
 翔太は彼らの苦境を知っており、固辞した。ナッツ類は栄養価が高く、冬を乗り切るために必要だ。ダルリアダの圧政に苦しむここ数年は、ナッツ類なしでは越冬できない。

 数日後、15キロほど北に農地を持つ準男爵の親子がやって来た。貴族ではあっても、彼の領地は200ヘクタールほどで、数家族の使用人とともに農業を営んでいる。
 石造りの小さな城の主だが、生活自体は農民と大差ない。
 翔太はその城を遠望したことがあるし、当然だがレベッカたちは準男爵の存在と城のことは知っていた。
 だが、相互に交流はなかった。

 準男爵は翔太よりもかなり年上に見える。子は15歳くらいだが、元服前のようだ。
 2人はウマでやって来た。
 下馬する。馬上からでは非礼と判断したのだろう。
「北に住む準男爵のロレーヌだ」
 レベッカは落ち着いていた。
「私はレベッカ。貴族様がなぜ……」
「あなたがレイリン家のレベッカか。
 有名な」
「有名なのか?
 私は……」
「失礼ながら、王都では“後家”と言えば、貴殿のことだ。王都近郊に荘園を持っていたヴァロワ貴族の間では知られた異名だ。
 そして、ダルリアダ貴族で知らぬものはいないだろう」
「何故に?」
「知らぬはずはなかろう?
 その細腕で、夫の領地を守り抜き、家の周囲に柵を巡らせ、武器を持ち、ダルリアダのクソ貴族どもを翻弄しているのだからな。
 ヴァロワの貴族は、貴殿の勇気と手腕に感服しているのだ」
「それは違いまする。
 我らは飢えて死ぬ直前まで追い詰められていました。
 しかし、帰還されたのです。レイリン家最後の男であり、一領具足最後の当主が……」
「それが、ショウ・レイリンであろう?
 噂は聞いておる。
 飄々とした男だと。されど、侮れぬ策士だとも。
 我らと貴殿たちとは、異なるところが多く理解しがたいところもあるが、そのショウ・レイリンが貴殿たちにとって大事な人物なのだろう?」
「そうです。
 ショウ・レイリンは……」
 ロレーヌ準男爵は、レベッカの言葉を遮った。
「銃がほしい。
 譲ってはもらえぬか?
 ダルリアダの兵の持ち物以外がほしい」
「鹵獲した銃ではなく?」
「そうだ」
「ショウ・レイリンの許可を得ないと。
 ご入り用は何挺でしょう?」
「2挺。
 では、当主殿に許可を取ってくれ。
 2日後にまた来る」
「承知いたしました」

「母上ぇ~。
 父上に買ってもらったぁ~」
 土嚢横の打ち合わせテーブルで、険しい表情で書類を見ていたレベッカが、一瞬で母親の顔に戻る。
 イルメリが着たパジャマ代わりのウサギの着ぐるみを見て、あまりのかわいさに母親は相好を崩す。
 誰もが大笑いし、イルメリが話題の中心になる。
 近在の貴族が銃が欲しいとのことで、それを知らせにイルメリが無酸素の地下空間に入ったのは昨夕のことだった。
 有線の電話を敷設しているが、あえてイルメリがやって来たのだ。彼女にとって異世界は、楽しいことがたくさんある素敵な場所だった。

「この2挺でいいかな?」
「ゲーベル銃ですね。
 フリントロック式のマスケット銃。ヴァロワやダルリアダ軍が使っているものと大差ない……」
 全長1.5メートルもある長銃は迫力があるが、射程距離は種子島と同程度で、命中精度は種子島よりも悪い。
 幕末にこんな代物を使っていたのは、国際情勢に疎い幕府側の小藩だけだ。たぶん、この銃は西洋式教練の初期に導入され、以後武器蔵の肥やしになっていたのだろう。
 この2挺は、丁寧に扱われ、戦争にも使われなかったらしく、日本に入ってきた時点で、すでに中古だったのだろうが、きれいだ。

 2日後の午前中にロレーヌ準男爵がやって来た。今回はオープンの4人乗り馬車で、御者は使用人らしい男が勤めている。彼の横には御者の息子らしい15歳くらいの男の子。
 ロレーヌ準男爵の息子も同行している。

 御者がポカンと口を開ける。ロレーヌ準男爵は、笑いをこらえられなかった。
 イルメリがお気に入りのウサギパジャマを着ているからだ。
「笑ったな。失礼なおじちゃんだ!
 このような格好だが、イルメリはウサギの皮を被ったオオカミなのだぞ!」
 その言葉にその場の全員が笑い転げる。
 イルメリは、翔太から聞いた“羊の皮を被った狼”の話を自分なりにアレンジしたのだ。

 大きなターフの下で商談が始まる。まだ、笑いが止まらない。ウサギの皮を被ったオオカミがうろついているからだ。
 翔太が銃を見せる。
「準男爵殿、いかがか?」
 準男爵が空に向けて引き金を2回引き、銃口内を片目で見る。
「相場は銀貨5枚だが、いくらで売ってくれる?」
「それでは、1挺銀貨5枚で」
 準男爵がビロードの巾着袋をテーブルに置く。この場合、中身を確かめないことが礼儀だ。
「銀貨10枚、確かに受け取りました」
 翔太はそう言い、巾着袋をレベッカに渡す。

 翔太は御者にもテーブルにつくよう勧める。だが、彼は固辞する。貴族と同じテーブルには座れないのだ。
 それでも、御者は立ったままだがグラスを受け取った。
 ワインが注がれる。コスパ最高の激安ワインだが、この世界のワインよりも飲みやすい。
 準男爵が乾杯の音頭をとる。
「皆の健康を祝して」

 準男爵の息子は、ウサギの皮を被ったオオカミの隣に座ってショートケーキを食べている。御者の息子も一緒だし、キャンプの幼い子も同席している。
 御者の息子は、雇い主の息子と同じテーブルに座ることを躊躇ったが、キャンプの女性たちが強引に座らせた。
「一領具足の土地に身分はない」
 封建社会において、この考えは危険だ。
 この危険思想に、身分の違う2人の若者が同時に触れた。どうなるのか、何も起きないのか、何かが起こるのか、まったくわからない。

 数日後、物騒な体格の男が4人、キャンプを訪れた。
 一斉に緊張が走る。
 一番大柄な30歳中頃の男性がウマを降り、バリケードに近付く。
「耕していない畑があれば、貸してもらえないかと思って……」
 3人を陣地の外に残し、1人がターフに入る。
「畑を探している」
 どう見ても農民ではない。4人はヴァロワ正規軍騎兵用のカービンと短銃で武装している。腰には無反りの長剣を佩いている。
 男性はターフに入ると語り始めた。聞き手はレベッカだ。
「軍が解散になった。ヴァロワ軍はもうない。ダルリアダ軍に取って代わられた。ヴァロワの防衛はダルリアダ軍が担っている」
 ここまでは、レベッカも知っていた。男性は勧められたワインを飲む。
「俺たちの駐屯地でも、部隊の解散式が行われた。そして、司令官が言った。
 故郷に帰って家族を守れってね。
 厩舎と武器庫が解放され、ウマと銃を持ち出したんだ。
 俺はここより西の農家の出身で、兄を頼って帰ってきた。
 家族を連れているんだが、兄貴が冷たくてね。新しい領主のダルリアダ貴族は、税の徴収に厳しくて、俺たちを受け入れる余裕がないそうだ。
 街でも商売ができない。ヴァロアの元兵士は街には入域できないんだ。そういう触れが出ている。
 で、農業しかやることがない。それができなければ、生きていけない。
 耕していない土地があれば、貸して欲しいんだ。8家族38人の運命がかかっている。
 あんたたちは、すごい面積の土地を持っていると聞いた。少しでいいんだ。俺たちに貸してくれ」
 レベッカには判断できないことだった。一領具足が他者に土地を貸したことなどないし、地代を受け取ったこともない。小作人もいないし、ダルリアダのように奴隷なんていない。
「地代は前金で払うよ」
 レベッカは少し考える。
「相談してみないと」
「あんたが有名な“後家”だろ?
 あんたが親玉じゃないのか?」
 レベッカが笑う。
「後家には違いないけど、親玉じゃない。
 私たちは平等なの。
 この件は相談しないと決められない。
 2日後に来てくれる?」
「あぁ、西の小川の近くでキャンプしてもいいか?」
「2日間はいいよ」
「ありがたい。
 2日後にまた来るよ」

 翔太は男性とレベッカの会話を聞いていた。そして、彼らのキャンプを訪問すべきと考えた。今後、よき隣人となるか、悪しき隣人となるかか、そのどちらかなのか見極めないと、何も判断できない。
 レベッカは違う考えがあった。ウマだ。ウマがあれば、遠方まで偵察が出せる。
 ヴァロワ全土のことはわからなくとも、ウマで2日の行程距離までは調べておきたかった。
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