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異世界編

02-022 ルクワ川渡河

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「本気か?」
 部下10騎とともにやって来たコンウィ城城主代行ベングト・バーリは、ルクワ川渡河の準備を見て、懸念の表情を顔に出した。
「確かに、兵力は5分の1、いや8分の1ほどしかない。
 兵力で、ロイバス男爵との差は大きい。だが、勢いは我らにある。
 一気に西の国境まで押せば、中部の統一ができる」
 ロレーヌ準男爵の読みを、オリバ準男爵が肯定する。
「アリエ川沿いに侵攻するアネルマ隊、ルクワ川上流を渡河するアズサ隊もこの作戦に同意している。
 私は、アリエ川南岸全域を制圧する。
 ベングト殿は、手薄なアネルマ隊に与力して欲しい」
 ベングト・バーリは、思わぬ展開に戸惑っていた。
「時の利、地の利はわかるが……。
 ルクワ川を渡れば、ロイバス男爵の支持者は多かろう。貴族も相当数残っているはずだ」
 エイミス伯爵が否定する。
「城代殿、お初にお目にかかる。
 エイミスと申す。
 私は商人貴族だが、ロイバス男爵の評判はすこぶる悪い」
 ルパート・ケッセルが同意する。
「我が父、エルレラ子爵は軍資金の供出を強要され、要求額に満たなかったことから殺された。
 奥方様と姫たちも。
 我が父の死は時の運だが、奥方様や姫たちを殺す必要などなかった。
 許せぬ。
 申し遅れた。
 我が名はルパート・ケッセル。エルレラ子爵の落とし子」
 イェスパー・ルセンも発言。
「俺はイェスパー・ルセン。密造酒屋で、まぁ犯罪者だが、ロイバス男爵ほどの悪党じゃない。
 爺さんの代で爵位はなくなったが、俺が貴族でもあのクソ野郎には従わない。
 川の向こう側は、ロイバス男爵に味方する貴族ばかりじゃない」
 フラン曹長は別の視点から。
「ロイバス男爵は、ダルリアダ公認の貴族になりたがっている。貴族領の復活を幻想しているんだ。
 そのためなら流れる血の量を気にしない。農民の血も、貴族の血も、兵の血も。
 この付近の農民がされたことは調べてある。男爵を支持する農民はいない」
 嶺林翔太の腹は決まっていたし、他の人々も覚悟している。
「どうなるか、吉凶はわからないが、ルクワ川を渡ろう。
 一気呵成に西の国境まで押し込む。
 中部を統一できれば、ヴァロワほどではないが一定の国力になる。大陸西域の中堅国家くらいの経済力になる」
 ロレーヌ準男爵がクギを刺す。
「かといって、ダルリアダには対抗できないぞ」
 オリバ準男爵が頷く。
「その通りだ。
 逆に侵攻の口実にされかねない。それに、周辺諸国が国と認めるか、疑問だ」
 エイミス伯爵が口ひげをいじる。
「いや、貴殿らはアリエ川を制しておられる。これは無視できないから、少なくともアリエ川流域諸国は国家と承認せざるを得なかろう」
 オリバ準男爵が即座に反応する。
「伯爵殿は、外交や通商に詳しいようだ」
 エイミス伯爵が手を振る。
「いやいや、商人貴族の浅知恵」
 フラン曹長がフンと唸る。
「エイミス伯爵に与力していただこうではないか?
 おのおの方、いかがか?」
 その場の全員が頷いた。

 イェスパー・ルセンとルパート・ケッセルのグループは、ルクワ川西岸以西の反ロイバス男爵の勢力をまとめるため、密かに渡河・潜入することが決まる。

「制圧射撃は、できる?」
 フラン曹長は初めて聞く言葉には慣れていた。嶺林翔太と付き合っていれば、初めての言葉は珍しくない。
「制圧?」
「あぁ、広い面積を砲撃によって制圧したいんだ。
 通常砲撃は戦列歩兵の前進を支援するために行うが、今回は砲撃だけ。ある一定の面積に砲弾の雨を降らせてほしい」
「砲弾の雨?」
 異世界の砲撃は、照準器のない砲で目標を直射照準することが一般的。だから、砲には大きな俯仰角が必要ない。
 だが、フラン曹長の部隊は、大仰角による長距離間接射撃を多用していた。
 それを支えているのが着弾観測で、通常は少数の観測員が敵地に深く侵入するか、航空機や気球によって高所から行う。
 フラン曹長たちは着弾観測にドローンを使っており、この技術は鳥瞰魔法と呼ばれている。ドローンパイロットは若い女性が多く、彼女たちは白魔女として手厚く遇されていた。
「あぁ、ドローンの偵察では、ルクワ川西岸から6キロ西に宮殿のような城がある。その城の庭に騎兵が集結している。
 情報と合わせると、ロイバス男爵の居城だろう。
 重装と軽装の騎兵が合計1000。
 こいつを潰さないと、前進できない。
 こっちには騎兵はないし、兵は勇敢なだけの素人ばかりだ。
 騎馬突撃を食らったら、浮き足立ってしまう。
 だから、事前に排除したい」
「で、砲弾の雨か?」
「あぁ、曹長、大落射角で砲弾を雨のように降らせてほしい。
 砲弾を使いきったっていい」
「ショウ殿、砲弾だが薬莢式が1門あたり100発、薬嚢式なら200発ある。
 だが、射程はギリギリだし、命中精度もよくない」
「そいつはすごい。
 弾は庭に落ちればいい。建物は避けてくれ」
「なぜ?
 ロイバス男爵の居城を破壊すれば、士気が上がる」
「今後、使うことになる。
 壊さないでくれ」

 1輌の自走砲と4門の牽引式山砲は、5分間に250発を発射。ロイバス男爵の居城の敷地を完全に掘り返した。
 砲撃後、居城の敷地内には人とウマの死体しかなかった。
 それでも、建物自体には1発も命中しなかった。
 フラン曹長の砲兵は、大陸随一の砲術を見せつけた。

 オリバ準男爵の嫡男が司令部の近くで、間者に刺されて重傷を負う。間者がドローンパイロットを誘拐しようとしたところを、たまたま次男を尋ねていた嫡男が発見。
 間者は相当な手練れだったが、嫡男は互角の戦いをしたという。刺されはしたが、少女を救った。
 間者はその後、4人と剣で戦い、2人を倒したが、最後は銃で撃たれて死んだ。
 嫡男は翔太が応急処置をして、コルマール村に後送された。

 騎兵の壊滅は、ロイバス男爵と彼を支持するヴァロワ貴族に衝撃を与える。
 城内にいたロイバス男爵の奥方は、重度の戦闘神経症に陥った。彼の娘たちも明らかに正常ではなかった。
 生き残った貴族たちも戦える状態ではなかった。

「新兵器か?」
 コルマール村から運んできた交通事故で廃車になった街宣車を見て、ロレーヌ準男爵が目を輝かせる。
 用があるのは、左サイドが激しく損傷しているワンボックスバンではなく、ルーフに載っている拡声器だ。
 4つある拡声器を取り付け直してルクワ川西岸に向け、徴兵された農民や街の住民たちに抵抗をやめ故郷に帰るよう説得を始めた。
「我々は皆さんの敵ではない。
 食料や財産を奪ったり、殺したりしない。
 我々は皆さんの同胞だ。
 我々と皆さんが倒すべきは、ロイバス男爵だ。
 彼は、貴族が絶対権力を握る世の中に変えようとしている。
 我々と皆さんの自由を守るため、その野望を打ち砕かなければならない。
 ともに戦おう!」
 堅苦しい宣伝ばかりではなかった。各土地の歌を披露したり、吟遊詩人が古の英雄譚を語ったり、あるいは「家に帰りたい、子供に会いたい」と泣く男もいた。
 嶺林翔太は、この宣伝放送を好きなようにさせた。
 結果、数日でロイバス男爵軍内で動揺が起こる。それから数日後、反乱が勃発する。

「オリバ準男爵、浮橋を連結して、完成させてくれ。
 ロレーヌ準男爵、先遣として船で渡ってくれ。
 フラン曹長は、東岸の守備。
 私は、強硬派と一緒に西岸に渡る。
 全戦線で侵攻を開始する。
 くれぐれも、地元住民には危害を加えないように徹底してほしい。貴族にも、農民にも、村や街の住民にも」

 嶺林翔太はアリエ川合流近くを、ロレーヌ準男爵は中央を、麗林梓はルクワ川上流部を渡った。
 渡河した部隊は、略奪どころか、各地で食糧支援に謀殺された。
 ロイバス男爵が戦費を調達するために、強引な徴発を行ったからだ。小麦、大麦、ライ麦、豆類まで根こそぎ奪っていた。

 ロイバス男爵は家族を連れて、南部に逃げた。
 彼に味方した貴族の多くは、戦闘で家族を失っていた。一方、ロイバス男爵に与せず、彼らから暴行を受けた貴族もいた。
 両者の折り合いは難しく、私怨による私闘が勃発した。
 だが、この混乱は数日で終わる。
 ロイバス男爵が早々に逃亡したことから、男爵派の団結は瓦解した。そして、貴族ではあっても裕福ではなかった。多くは農民と変わりなく、その上に任意で戦費のために私財のほとんどを献上してしまっていた。
 残っている財産は、屋敷だけだった。農地はすでに、ダルリアダ貴族に奪われていた。
 この状況では、他国への逃亡もできなかった。
 ロイバス男爵が南部に私財を移動していたことと比べたら、何とも間抜けな話だが、それだけ純粋に男爵の計画を信じていたわけだ。
 中部を安定させるには、赤貧に喘ぐ在郷貴族の経済的安定が重要だった。

 カイ・クラミは、ロイバス男爵邸に緊急経済対策本部を立ち上げた。
 当面必要な食糧の確保と、医療の提供が主な任務で、同時に治安の確保も担った。

 カイ・クラミは、厄介な仕事を嶺林翔太に押し付けた。
 社会は、封建制の残滓を十分に引き継いでいた。それは“支配者”の命令が有効であることにつながった。
 カイ・クラミは、ショウ・レイリン第1号命令として、私闘を禁じた。
 つまり、表向き嶺林翔太が新たな支配者であるように振る舞ったのだ。
 だが、この地方の人々は、誰もショウ・レイリンの姿を見ていなかった。
 いや、あまりにも身近で、気付かなかった。

 翔太は村や街を回って、傷病者の診察をしている。武装した護衛が30人も同行しているから、かなり物騒な集団だった。
 貴族には“領地の拡大”を目論む輩や、小規模自営農から農地を奪おうとする豪農がいたりと社会の混乱を深める行為が横行していた。
 貴族は武力で“領地拡大”を画策し、豪農は貸金で自営農を潰そうとした。
 カイ・クラミはショウ・レイリン第2号命令として、棄捐令を出した。つまり、借金棒引き、債務の強制放棄だ。
 豪農が抵抗したが、銃口を突きつけられると黙った。数軒の豪農が命令違反として、国外追放になると、強欲な豪農たちも抵抗を諦める。
 武力で領地拡大を画策した貴族に対しては、軍事行動を起こした。騎士や勲功爵は、こういった拡張政策は採らなかった。少数の武闘派貴族の行為だった。
 鎮圧は簡単だが、説得は難しい。彼らは貴族の“権利”を信じていた。
 農民たちを守りつつ、現実を教えるために時間をかけるしかなかった。

 嶺林翔太は、異世界に居続けることはできなかった。元世界での仕事がある。翔太と麗林梓は異世界にいる間、元世界では梢が奮闘していた。
 翔太と梓が元世界に戻り、麗林梢が異世界にやってくると、コルマール村の診療所は患者で行列ができてしまう。
 この頃から梢は、元世界よりも異世界のほうが居心地がよくなっていた。
 梓と梢の姉妹は、妹は元世界で、姉は異世界で自分の存在意義を見いだし始めていた。
 翔太は相変わらず、行ったり来たりを繰り返していた。

 カイ・クラミの臨時政府樹立は、1年後と決まった。
 ヴァロワ中部住民の自由と平等を保障する初めての政権だ。
 ただ、首班に指名されたカイ・クラミが慌てている。彼は黒子に徹していたが、中部の解放を主導した有力者たちが、彼の実行力と見識を高く評価した。
 中部の代表者として、若き行政官は最適の人物だった。本人がどう思おうと……。

 若い農夫は絶望的な顔をしていた。彼の妻と2人の幼い子は、怯えていた。4人は不健康に痩せていた。
「ご主人は、兵役に応じられましたか?」
 若い農夫は、嶺林翔太の問いに怯えた。しかし、嘘は事態を悪化させる。
「男爵軍に参加しました。
 ですが、私の意志ではありません!」
「それを咎めるつもりはありません。
 ただ、今回の戦いに参加したのかな、と」
「私は、脱走兵です。
 妻と子が心配で……」
「そうですか。
 たいへんでしたね」
 ロレーヌ準男爵が軽バンのリアゲートを開ける。
「少ないが、役に立ててほしい。
 小麦と豆だ。
 魚の燻製もある」
 痩せた妻が泣き出す。
 翔太が若い農夫に尋ねる。
「この付近は、どこもこんな感じですか?」
 若い農夫が少し考える。
「いいえ。他にもあるかもしれませんが、こんな場所はここだけかもしれません。
 私はこの付近の生まれですが、こんな場所があることを知らなかったので……」
 ロレーヌ準男爵が口添えする。
「貴族の所有地だったのだから、貴殿が知らないことは無理もない。貴族は何でも秘密にする。
 で、ここの在郷貴族に欺されて……」
 若い農夫がうな垂れ、痩せた妻がまた泣く。
「はい、全財産を、持っていた農地を売って作ったお金のすべてで作物が育たない土地を買ってしまいました」
 翔太が「あなたが支払った金額と同額で、この土地を買いましょう」と言うと、ロレーヌ準男爵が「それか、同じ面積の農地と交換でもよい。ただし、もっと東だが……」と。
 若い農夫は考える。
「肥えた土地ですか?」
 ロレーヌ準男爵は、翔太が買うことを阻止したかった。
「私の農地と交換しよう。
 私は領主ではないが、農地は広い。
 私の農地なら、好きなところと交換してよい」
 だが、若い農夫は納得できなかった。
「でも、なぜ……」
 翔太は真実を告げた。
「沼や井戸から湧き出る油混じりの臭い水がほしいんだ。
 精製すれば燃料になる。
 ここに油井と精製施設を建設する」
 若い農夫には不安があった。
「私は貴族の領民にはなりたくない……」
 ロレーヌ準男爵が頷く。
「私は領主ではない。
 ただの農園貴族だ。使用人はいても、領民はいない。
 どこぞの貴族のように威張り散らしたこともない。畑を荒らす鳥を追い払い、作物を狙うイノシシを撃つ。
 実質はただの農民だ」
 翔太が「私は貴族ではない。あなたを欺そうとも思っていない。ですが、不安でしょう。あなたたちが気に入る土地がなければ、銀で支払うことにしてはどうでしょう」と提案する。
 若い農夫は頷いた。
 痩せた妻が始めて微笑んだ。

 偶然手に入れた油田は、密かに強硬派が警備することとなった。燃料の生産ができれば、さらに多くの車輌を元世界から運び込める。

 ロイバス男爵の軍は、一部の貴族出身者を除けば、士気が非常に低かった。
 ルクワ川を渡った軍は、各地で歓喜に迎えられることはなかったが、石を投げられることもなかった。
 カイ・クラミは下級行政官を集め、静かにこの地域の行政組織を再建し始める。
 中部統一はなったが、ごく短期間でのことで、それがどういう弊害をもたらすのか、まったく予想できなかった。
 ロイバス男爵の残党は、各地で暴れており、治安は安定していない。
 この状況を何とかしないと、ダルリアダ勢力だけでなく、近隣諸国の干渉を招きかねない。

 嶺林翔太は、頻繁に元世界に戻った。そして、麗林梢は異世界に居続ける。
 元世界は温暖化による気候変動と、世界各地で発生している蝗害によって、急速に食糧事情が悪くなっていた。
 政府は食料の統制を強めようとして、逆に混乱を拡大し、各地に地元政治家と結びついた食料マフィアが暗躍するようになっていた。
 嶺林翔太たちが住む地域では、市議会議長を務めたこともある地元政界の実力者の権田常臣が穀物の流通を支配していた。
 小麦価格の高騰は、うどんとパンの価格を破滅的に引き上げた。

 嶺林翔太は、小麦を一時保管するための保冷倉庫を探していた。しかし、市内の保冷倉庫は権田常臣の監視下にあった。
 借りようとすれば、翔太たちの動向は権田一派に筒抜けになる。
 それは、得策ではない。権田一派の支配を破ろうとしているのだから……。

「翔太さん、保冷倉庫どうするんですかぁ?」
 気の抜けたように梓に尋ねられた翔太には、案があった。
「保冷トラックを使うつもりだ。
 近くに廃倉庫か貸倉庫があればいいのだけど……」
 梓は軽く答えた。
「あるよ。
 裏山の反対側に……。
 そんなに大きな倉庫ではないけど、敷地は広いよ。小学生とかが、忍び込むことがあるんだ。私も入ったことがある」

 翔太はスクーターに乗って、その倉庫を見に行った。確かに廃倉庫のような古い建物だが、窓ガラスが割れている様子はないし、壁が破れている場所も見受けられない。
 所有者はすぐにわかった。
 門扉に連絡先が書かれていたからだ。連絡先は、不動産会社になっている。

 翔太は電話をした上で、不動産会社の担当者と倉庫前で待ち合わせる。
「内部を見たらがっかりしますよ」
 そう言って、若い担当者が笑う。
 通用口から内部に入り、ブレーカーを上げて、通電させる。
 翔太が驚く。2代目デリカ・スターワゴンや3代目デリカバンとトラックがびっしりと並んでいる。
「これを何とかしないと、ここは使えないんですよ。この倉庫のオーナーのお父さんが集めたらしいのですが、なぜ同じ車種ばかり集めたのか、不思議ですよね。
 ゴミ屋敷と同じかも?」
「30台以上あるね?
 この廃車を処理したら、貸してくれるの?
 格安で」
「中古車屋さんですよね?」
「あぁ」
「売るのですか?」
「30年以上前のクルマなんて売れないよ。
 特別なクルマならまだしも、ただのワンボックスワゴンだ。レストアする価値はない。
 廃車にするしかない。
 リサイクル対象以前のクルマだから、すごく金がかかるね。
 で、いくらなら貸してくれるの?」
「廃車の処分は?」
「任せてくれ。
 商売だ。何とかする。
 ただし、1年間は賃料なし。2年目から倉庫代を支払う。
 オーナーにその条件で聞いてくれ」

 翔太はショップに戻ると、すぐに梓と相談する。
「倉庫を見てきたよ。
 借り手がつかないはずだ。
 倉庫内には、3代目デリカのバン、トラック、2代目のワゴンが30台以上、ざっと数えて36台あった。すべて同型だ。
 最終生産時期から計算しても30年以上前のクルマだ。
 倉庫自体は湿度が低く、雨漏りもない。クルマの状態は悪くない。
 クルマは使えなくても、エンジンは役に立つ」
「全部運ぶの?」
「あぁ、油田を手に入れたから、燃料を気にせずクルマを動かせるようになる。
 クルマがあれば、中部の経済発展の役に立つ」
「翔太さん、お姉ちゃんは異世界のほうがいいみたい」
「確かにね。
 彼女には、異世界のほうがいいと思う。
 で、梓は?」
「私は、お店と大学があるし、こっちがいいかな。向こうも面白いけど。
 翔太さんは?」
 その問いには直接答えなかった。
「製粉会社を買収しようと思うんだが……」
 梓が驚く。
「えっ!
 また意味不明な!」
 翔太が微笑む。
「意味はあるさ。
 権田常臣という強欲なヤクザ政治家の目を避けて、小麦を売ろうとしているんだ。
 製粉会社は目隠しになる」
 梓には心当たりがあった。
「中学の時の同級生が、製粉会社でバイトしていたのだけど、解雇になったって。
 潰れそうらしい。権田に逆らっているとか……。怖い人が会社に来たとか」
 翔太が少し考える。
「その製粉会社の名は?」
「有江製粉、だったかな」

 翔太は、有江製粉に電話し、小麦の取り引きを打診する。
 有江製粉は、電話に出た営業、営業部長、仕入部長、常務取締役、そして代表取締役へと電話をつないだ。
「礼輪と申します」
「突然の電話、失礼いたします。
 メールではスルーされると思ったので……。
 私どもは小麦を持っています。貴社にご購入いただけないかと……」
「いろいろありまして、にわかには信用いたしかねます」
「そうですね。
 権田常臣の罠かもしれない……」
「事情通のようですね」
「まぁ、少しは……」
「お目にかかりましょう」
「それが賢明です。
 権田常臣に逆らって、貴社に小麦を売るなんて、生命知らずの行いですからね」
「……」

 翔太は、梓が客の応対を終えることを待った。梓の「ありがとうございました」の言葉を待って声をかける。
「梓、有江製粉に電話したよ」
「どうだった?」
「権田常臣の罠を警戒している」
「当然だよ。
 先代の社長は、ひき逃げで死んだんだけど、食料マフィアがやったという噂があるからね。
 犯人は捕まらないだろうね」
 確かに、治安の悪化が激しい。行政は機能しているが、一部の地方政治家と結びついた警察と反社会勢力が食料を独占し始めていた。
 食糧法の管理下にある米については値上がりしているが、抑制が効いている。
 だが、小麦、蕎麦、大豆は輸入が途絶えていることもあって、食料マフィアの金儲けの対象になっていた。

 異世界では、中部の統一が予想よりも早かったことから、来年の収穫では輸出先を確保しなければならない。
 しかし、ロイバス男爵を支援した南部とは対立していて、北部はダルリアダの統治下にある。東西の諸国は、軍事大国ダルリアダの顔色をうかがっているので、大きな商いはできない。
 ヴァロワ中部から農作物を買おうと思う国は、周辺にはない。
 アリエ川を下って、海まで達すれば買い手はいるだろうが、確実に足下を見られる。
 だから、輸出先を見つけなければならない。その回答が、異世界から元世界へ、だった。

 異世界で農業を続けるには、新たな一歩が必要だった。
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