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第5章
第142話 石油
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ヘリコプターで一足早くバマコに帰還したヒトたちは、吉報として「湖水地域の商人とクマン国が、石油の供給について大筋で合意した」との情報を持ち帰った。
湖水地域の市井のヒトたちは、誰もが「これで燃料が手に入る」と喜んだ。
行政機構のある東部と南部は、行政府が噂の真偽を確かめようと、バルカネルビの商館に使者を送ってきた。
そして、多くの商人が疑心暗鬼となる。問題は、“湖水地域の商人”とは誰のことなのか?
バレル家やバレル家の支家ではない。彼らは、自分たちが当事者でないことを早々に公表した。
サール家の件以来、バレル家と一族に向けられた視線は厳しく、憶測を放置すれば当主や嫡男たちに身の危険があった。
この噂にいち早く反応した商人がいる。ヨランダの父親で、東部の元老院議員であり、政商としての性格が強いソレチト家のシラーニだ。
彼の思考はある意味で直情的だ。ヒトが最もほしいものは金〈かね〉。金を得るためにヒトは生きている、と彼は考えている。
また、どんなヒトでも、金の前に膝を屈するとも……。
政治は金を得るための方便であり、政治的権力は金によって得られ、金によって保護される。政治と対をなす暴力も同じだ。
これを実践し、この思考が揺らいだことはない。信念である。
しかし、シラーニは決して揺るがなかった信念に、自信を失いかけていた。
どんな高潔なヒトでも、食わせ、抱かせ、握らせれば落ちる。
そのはずなのに、救世主にはまったく効果がない。
東部には、湖水地域において唯一、救世主の出先機関があった。実質的な大使館だ。
救世主は、いかなる供応にも応じない。飲食の誘いはすべて断られ、献上した娘は裸にされただけで送り返され、大使閣下が無類のウマ好きと聞き名馬を贈るが、首だけが戻された。
黄金の細工物を贈ったときは、使者は黄金の献上理由を尋ねられ、口ごもると首をはねられた。
シラーニは当初、救世主と対等以上の立場で商談できると疑っていなかった。しかし、救世主にとっての湖水地域は、労働力と食料の供給先でしかない。この地域の経済には興味はない。救世主から見れば、農作業に不向きなシラーニの身体は奴隷としての価値さえなかった。
湖水地域は搾取するだけの対象だ。
シラーニは自分を東部の大物だと自認していたが、救世主にとっては利用価値の低い家畜でしかない。
ヒトを見下して生きてきたシラーニは、自分が見下されていることにまったく気付いていなかった。
どうすれば、救世主に食い込めるかだけを、ひたすら考えていた。そのために金も使っていた。シラーニの周りには、救世主との裏のコネクションがあると自薦するいかがわしい情報屋が出入りしている。
シラーニは、彼らに多額の金銭を支払っていた。もちろん、彼らは救世主とは無関係だった。
シラーニが必死の裏工作を行っている最中に、西のヒトと当地の商人が燃料の供給に関して何らかの商談がまとまった、との情報が入る。
このときになって、バルカネルビに送り込んだ娘のことが気になった。
もちろん、娘の身が心配になったのではない。情報を持っているのではないか、と思い至っただけだ。その情報を土産に、救世主と接触ができるのではないか、と考えた。
ヨランダは、とんでもない額の借金をしようとしている。
エリシュカの屋敷は、ヨランダの父親の館をもしのぐ。
豪華な一室で、書類の最下行にサインをすれば、ヨランダは多額の資金を手にする。この金額と同額を、半田千早とカルロッタが用立てると……。
ヨランダは1人ではない。用心棒としてライモンが、凄腕の番頭としてエリシュカの仲間が加わる。
その上で、クレールが率いるリトリン家とヨランダが新たに立てるタフーリ家は、相互に出資し合う。
南部に移住するキアーラは、エリシュカからの出資を受け入れる。
結果、巨大な燃料商グループが誕生する。この燃料商グループと、クマンの国営石油開発公社とが、ニジェール川中流域における燃料供給の独占契約を結ぶのだ。
こうなると、他の商人が割り込む余地はなくなる。
ヨランダは眼前の書類に、震える手を必死に押さえ、自分の名を書いた。
ヨランダの父親シラーニは、あらゆる策を弄して、商敵、政敵を潰してきた。特に真義や約定を重んじるヒトは嫌いだ。
そういう偽善者ぶる輩〈やから〉は、汚い方法で潰す。それが、彼の信条だ。
1年前、ヨランダに縁談があった。中堅の穀物商タフーリ家の嫡男が、ヨランダを見初めたのだ。
縁談は進まなかったが、穀物売買の商談は進んだ。タフーリ家の嫡男は縁談を進めるため、父親の忠告に耳を貸さず、政商であるソレチト家と過大な取引をしてしまう。
この取引には瑕疵担保責任の条項があり、取引成立後、シラーニはこれを持ち出す。
コムギに大量の雑穀が混ざっていたと……。
もちろん、シラーニが仕掛けた罠だ。
賠償責任を押しつけられたタフーリ家は困窮し、家(店=たな)を閉じる。
シラーニはこの謀略で、莫大な利益を上げた。
ヨランダは、父の画策がどういうものであったのか、細部は皆目わからない。しかし、自分を見初めたがために、家を閉めなくてはならなくなったタフーリ家には、ベッドの中で何度も「ごめんなさい」と泣いて謝った。
ヨランダは父を追い詰める覚悟を決めた。
だから、タフーリの家号を使った。
中部では、慣習として女性は“家”を設立できない。つまり、起業できないのだ。
だから、エリシュカのグループは“家”ではない。
リトリン家は、西部において大手ではない。中堅の最下付近だ。
タフーリ家は、東部において代理人が設立を宣言したが、商いの実績は皆無。
南部に移住したキアーラも同じ。
4人の経営者は、それぞれに弱みがある。だが、志は高い。
そこで、手を組むことにした。
全域燃料販売組合(WFSA)を組織したのだ。
WFSAを介して、クマンとノイリンの燃料が湖水地域全域に供給される。
半田千早とカルロッタは、文字通り東奔西走している。
クマンの国営石油開発公社、ノイリン北地区の燃料班、WFSAの3者が共同で設立する燃料の精製・輸送・販売を行う会社に出資を請うためだ。
ノイリンの独占を許したくないクフラックが応じたし、ノイリンにおいて北地区の突出を好まない西地区が参加する。
シェプニノやカンガブルは北アフリカ情勢でそれどころではないが、フルギアやヴルマンには少額でも出資してもらいたかった。
2人は、形だけでも全西ユーラシアにしたい、と必死だ。
そうなれば、西ユーラシア、西アフリカ、赤道以北アフリカ内陸による、初めての共同事業となるのだから……。
半田千早とカルロッタが目指す、西ユーラシア、西アフリカ、赤道以北アフリカ内陸による共同事業体は、体制が明確になっていない。
その日、そのときによって、微妙に変化する。固まっていない体制を、湖水地域の大商人たちがつつき始めている。
関係者の焦りは尋常ではなかった。
クマンの体制は固まっている。
元首パウラが先頭に立ち、政府と議会を説得し、国営石油開発公社が契約の主体となることが決定。
湖水地域側も、東部のタフーリ家、中部のエリシュカ・グループ、西部のリトリン家、南部のファッジ燃料化学が設立する全域燃料販売組合(WFSA)が主体になることが固まっている。
揺れ動いているのが、西ユーラシア。
ノイリン北地区燃料班は、参加が決まっている。しかし、ノイリンが一丸となって参加する様子はない。
ノイリンの腰が据わらないので、クフラック以外の街が様子見を決め込んでいる。
ノイリン北地区でさえ、燃料班、農業班、醸造班は積極的だが、全体的には無関心だ。食料の輸入が順調だからだ。
ヴルマンのゲマール領領主ベアーテは、西アフリカの石油に多大な関心を持っていた。半田千早の代理として、当地を訪れたマーニの説明を聞き、多額の出資を決める。
また、ベアーテは、全部族会議において、ヴルマンの代表に選任された。
同じ頃、精霊族の賢者と面談した褐色の精霊族であるホティアは、クマンが安定した供給を約束するのなら、出資するとの言質を得ていた。
白魔族との戦いにおいて、精霊族は燃料不足に陥りつつあった。クマンと精霊族の取り引きは順調だったが、最重要戦略物資である石油の安定供給は、精霊族の継戦能力に直結する重大な問題で、長期化しつつある白魔族との戦いを勝利するには、どうしても必要なことだった。
鬼神族は石炭を液化した燃料を使用しており、白魔族との戦いが長期化していく中で、今後も精霊族に安定的に供給し続けることが不可能になりつつある。
精霊族はホティアを介して、異種であるヒトの興す企業体に出資する決意を固めた。
ヴルマンと精霊族の出資は、西ユーラシアにおける流れを決定付ける。
精霊族はバルカネルビの商館に事務所を構えていたが、新たにヴルマンも事務所を開設する。
フルギアは燃料供給元である鬼神族との関係悪化を気にして、出資には応じなかった。
だが、バマコに連絡事務所を開設すると同時に、警護として1個中隊規模の戦闘部隊を派遣する。
1年前のバマコには川と土と空しかなかったが、巨大な都市に変貌しつつある。雨が降れば泥道と化したメインストリートは、舗装された。
飲食店や雑貨店も建ち並ぶようになった。
未舗装の滑走路が1本あるだけだった飛行場は、小さいながらも空港になった。
そもそも、ノイリンが開設した街だが、バンジェル島とは異なり、ノイリンが“占有”を主張しないことから、いつしか“自由都市”と呼ばれるようになる。
赤道以北アフリカにおける水運、陸運、航空輸送の最大拠点となりつつあった。
湖水地域の商人もやってくる。程度の差はあっても湖水地域の北側は男尊女卑の傾向が強い。
その点、自由都市であるバマコは、誰もが自分の才覚を発揮できる。この街では、男尊女卑という保護政策に慣れきっていた湖水地域の男性商人が、同じ街の出の女性商人に出し抜かれることは日常茶飯事だ。
バマコは商業都市として、成功しつつある。そして、住民自治による行政機構の萌芽も見え始めている。
一方、マルカラは、地域最大の石油化学コンプレックスに成長しようとしている。
軽質ナフサ(沸点35~80℃)を原料にしたエチレンプラント、重質ナフサ(沸点80~180℃)からガソリンやベンゼンなどを生成している。
商業のバマコ、工業のマルカラが誕生しつつある。
ヨランダの父であるシラーニは、救世主の全権大使から全域燃料販売組合(WFSA)の実態を調べるよう“命令”される。
シラーニは、救世主に取り入る千載一遇のチャンスと考え、自らバルカネルビに出向いた。
WFSAの本部は、バルカネルビ商館のはす向かいにあった。このときはまだ、組合長の選出前で、本部は中堅穀物商カムヘン家店舗の2階に間借りしていた。
偶然であった。
ヨランダが組合本部にいることはほとんどなく、彼女はファラナにいることのほうが多かった。
本部にはヨランダ以外に、エリシュカが派遣した事務員が4人とヨランダの護衛であるライモンがいるだけだった。
シラーニは、バルカネルビでは中堅の上位にあるカムヘン家とは取り引きがなかった。カムヘン家はゴマの取り引きでは有名な商家で、ゴマ油の製造でも知られていた。
シラーニはゴマを扱ったことがなく、彼特有の知らない相手はとりあえず見下す態度だったが、店舗の間口の広さに少々飲まれていた。
組合本部事務所は、2階の1室にあった。大して広い部屋ではなく、一帯に燃料を供給しようという勢いは感じない。
「ごめんなさいよ」
父親が最初に見た人物は娘だったが、彼女の変貌が激しく、父親は娘を即座に認識できなかった。
2人の長い沈黙が続く。
「お父様……」
父親の手の届く距離に娘はいた。
普通の父親なら、娘を抱きしめるだろう。
シラーニは違った。
彼の指示に従わず、定期的な連絡を怠っている娘を許すはずはない。
彼は拳を振り上げた。
が……、振り上げた拳はピクリとも動かない。ライモンがシラーニの手を押さえたからだ。
「こいつ、誰だ?」
ライモンの問いにヨランダは、微笑んで答える。
「私の父よ」
すると、ライモンは一層の力を入れる。振り上げた腕は、徐々に降りていき、やがて後ろ手となり、締め上げられる。
「痛い、やめてくれ……」
事務所長はエリシュカと同じくらいの年齢で、エリシュカ以上の強面女性だった。
机を回り、シラーニの前に立つと、彼の顎を左手でつかむ。
「何しに来た、クソ野郎」
「痛い!」
ライモンが力を強めたのだ。
「クソ野郎……。
素っ裸にひん剥いて、裸踊りさせるぞ」
「ヒッ!」
シラーニが怯える。
ライモンが力を抜く。
「おっさん、消えろ。
2度と来るな」
ライモンの脅しを受け、シラーニは小走りで逃げた。
その姿をみたヨランダは、あんな情けない男にいいように扱われていたことに、愕然とした。
俺も愕然としている。
西ユーラシアから赤道以北アフリカまで、好きなように動いていたが、それができなくなった。
鉄道大好きな金沢壮一と相馬悠人が、西アフリカに行ってしまったのだ。
俺は、ノイリンに居続けなくてはならなくなった。
旧王都からファラナまでの鉄道は、大幅な改造を受けつつある。かつてあった10カ所の駅を再整備し、うち3カ所に上下線がすれ違うための引き込み線を作る工事が始まっていた。
この鉄道のためのトラック改造のディーゼル機関車は、金沢壮一がノイリンから運んだ。
相馬悠人は、貨車と燃料輸送用のタンク車をクマンで設計している。
現場の工事は、片倉幸子が指揮している。
ファラナには、次々と建物が建設され、街が生まれている。工事関係者や河川船の関係者など、あるいは商人も、とにかく大勢が押し寄せている。
当初、鉄道は貨物専用とする予定だったが、旅客輸送も必要となり、客車の設計も始まる。
ファラナは、クマンと湖水地域が出会う場所となった。
シラーニは救世主に報告しなければならなかった。報告しなければ、彼らに殺されるかもしれない。シラーニは“西のヒト”の石油がどこから来るのか、誰が救世主の計画を邪魔する元凶なのか、それを報告しなければならない。
救世主の邪魔をする一味の中に彼の娘がいることは、知られてはならない。
自分の生命にかかわる。
シラーニは、中部のエリシュカと南部のキアーラが首魁だとすることに決めた。キアーラは、東部、中部、西部の燃料供給を独占していたバレル家支家サール家の直系だからだ。
エリシュカは、シラーニから見れば得体の知れない闇商人だ。
真実味がある報告には、格好の人物だった。
救世主は、貴族の連合体だ。公爵、伯爵、子爵、男爵の黒羊(遺伝子操作と品種改良されたヒト)4家が主体だが、辺境伯と選帝侯と呼ばれる銀羊(白魔族に隷属していたヒト)の実力者もいる。
どうであろうと、彼らは新羊と呼ぶ新たな奴隷を必要としていた。
黒羊は繁殖力が弱く、後継者の総数が減り続けている。支配下にある銀羊は従順に振る舞っているが、反乱の芽は確実に伸びつつある。リーダーを捕らえて殺しても、それで収まるような状況ではない。10人殺せば、翌日には20人が反乱に加わってしまう。
辺境伯や最近勢力を伸ばしてきた選帝侯といった、貴族を真似る銀羊も厄介だ。正面から対立すれば、戦力を磨り潰してしまうし、何もしなければ地位を乗っ取られかねない。
ブリッドモア辺境伯は、兵士階級である騎士を大量に抱えていた。騎士の大量登用は、農耕を担う農奴的民衆の減少を招いている。そのため、新たな農奴、新羊が必要だった。
救世主が石油を入手したことから、ブリッドモア辺境伯は手持ちの戦車50輌のすべてを稼働させることができる。
それと、ピックアップトラックに装甲ボディを架装した装輪装甲車も大量に保有している。
総兵力は5000を超える。渡河さえできれば、湖水地域全域を制圧できると考えていた。渡河のために、木樽を使った浮橋を用意している。実験では、戦車1輌なら渡河させられた。
ブリッドモア辺境伯の先遣隊は彼の次男に率いられ、ニジェール川を遡りながら、西岸の村を制圧していく。
だが、これまでに多くの救世主が襲撃しており、ほとんどの村は無人で、ヒトがいても逃げた後だった。
ブリッドモア辺境伯はいままでの救世主とは異なり、川を遡っていけばたどり着ける北流北岸のココワを目指してはおらず、北流と南流の合流部にある、川を渡ったトンブクトゥを攻略する作戦だった。
これはトンブクトゥにいる救世主にとっては、想定外の行動だった。
この状況で、シラーニは救世主への報告をする機会を失ってしまった。
ブリッドモア辺境伯次男カリーは部隊とともに、トンブクトゥに向けて渡河し、「すべての住民は、移動の準備をせよ」と命じる。
当然だが、街の住民はそんな命令は無視する。
行政は右往左往するだけで、唯一の実力組織である国境警備隊は街内のこととして、何ら行動しなかった。
救世主の在トンブクトゥ“大使館”の一室には、大使であるウィーデン公爵家の一員であるエフレンとブリッドモア辺境伯の次男カリーがいた。
トンブクトゥの元老院議員であり、政商として暗躍していたシラーニは、エフレンとカリーの前で震えていた。
カリーはトンブクトゥの住民すべてを彼の領地に連れ帰る、と主張している。
シラーニはカリーの主張がかなりの時間、理解できないでいた。彼は、救世主と取り引きし、燃料を独占的に取り扱うための努力を重ねてきた。
しかし、救世主にとって湖水地帯は、農地を耕作する労働力の供給地でしかなかった。自分も妻子も、救世主の領地に連れていかれ、家畜として働かされることを知る。
慌てたし、恐ろしくて、口内がカラカラに乾いていた。
このままでは、何もかも失ってしまう。
瞬間、ヨランダのことを思い出した。
「救世主様。
どうか、この世をお救いください。
救世主様の世を、末永く続くことを邪魔するものたちがおります」
エフレンが鋭い眼を向ける。まだ、20歳にもならない男だが、シラーニよりも迫力がある。
カリーは狂気を宿した残忍な目でシラーニをにらみ、極悪な笑いををたたえて問うてきた。
「我ら、救世主の意向に従わぬものがいると……?」
エフレンが答える。
「この一帯で“西のヒト”と呼ばれている連中がいる。
こいつらは、礼儀を知らない。
世の中の仕組みを知らない。
野生のヒトであることは、間違いない。
しかも、過去、抜け駆けをした貴族の多くが、この野生のヒトに叩かれている」
カリーは“野生のヒト”という言葉に、内心で激しく反応していた。
辺境伯の勢力がいまよりも小さかった時代、彼らは救世主から“野生のヒト”と見下されていた。
エフレンは、1歳か2歳年下のカリーを焚きつけることを考えていた。
「辺境伯家も“西のヒト”には手出しせぬ方がよい。
野獣は、時期を見計らい我ら公爵家が狩る。
面白い狩りになるであろう。
そのときは、お招きしよう」
カリーは無表情になる。
怒りを感じているのだ。
エフレンは、内心でほくそ笑んでいた。
カリーが、シラーニをにらみつける。
「不埒ものはどこにいる?」
シラーニは腰から崩れ落ちそうなほどの恐怖を感じていた。
「西の最大の街バルカネルビにおります」
ココワにいたエリシュカは、救世主の行動が不思議だった。
「あのものたちは、なぜ何度も同じことを繰り返すのだろう?
また、北流に沿って遡ってきた。
ただ、今回は戦力が多い。
それと進撃速度も速い。
各家からの援軍は間に合わないかもしれない」
ブリッドモア辺境伯爵軍が、トンブクトゥの対岸に現れた時点で、心あるヒトたちは防衛態勢を固めた。
心ないヒトたちもいる。静観を決め込む傍観者たち……。
しかし今回、防衛戦に参加するよりも、傍観のほうが危険だった。
噂によれば、傍観を決め込むと、燃料が売ってもらえなくなる。燃料がなければ、船が動かない。地域に供給があれば、闇での入手は可能だろう。だが、値が張る。
取りあえず参戦して、様子を見る、との判断をした日和見主義者は多かった。
エリシュカは集まった戦力のどれほどが、真に戦意があるのか見当がつかない。
ヨランダ、クラーラ、キアーラが援軍を送ってくれるが、その戦力はたかがしれている。
やはり西のヒトの支援が必要だと、考えている。
バルカネルビには、クラーラだけがいた。ヨランダは数日前にファラナに向かい、キアーラはバマコ、キュッラはマルカラにいる。
半田千早とカルロッタが“西のヒト”を集めているが、間に合うはずはない。
運悪く、イロナはバンジェル島に戻っている。ディラリはクマン本国から戻らない。
最悪の条件だ。
元首パウラの窮地を救った“トモダチ”は、半分近くがバンジェル島やクマンに残っていた。
何しろ、西ユーラシアでは空気と同じように存在するドラキュロがいないのだ。確かにドラゴンが多いから、安全で快適な地とは言えない。
しかし、ドラキュロがいない。
こんな素晴らしいことはない。
だから、楽しくて残っていた。
半田千早とカルロッタの呼びかけで、バンジェル島やクマンに残っていた“トモダチ”が数時間で再結集する。
だが、彼らを運ぶ飛行機がない。バンジェル島の機体では、バマコまでしか飛べないのだ。一気にバルカネルビには達せない。
半田千早は、クマンの力を借りるしかない、と感じていた。
自由都市バマコとバルカネルビには、それぞれ1個中隊が駐屯している。
現在、商館にはクマンの軍務官僚であるブーカが妻子とともに滞在している。ファラナ攻防戦後、元首パウラの推薦があり妻子とともに半年の任期でバルカネルビの商館付駐在武官となった。
半田千早は、ブーカならばクマンの兵を動かせるのではないか、と考えていた。
ブーカは“魔法使い”とも称される須崎金吾と会い、非常にがっかりしていた。印象は、覇気のない男、だ。どこにでもいる、ただの木偶の坊だった。
しかし、ノイリンの商館長と飛行場長は、年少の彼と話すときに敬意を払っている。
ブーカは、それは実力からではなく、立場か身分が関係しているのだろう、と考えていた。
商館で騒ぎがあった。
騒いでいるのは半田千早で、必死に止めているのがカルロッタだ。
「いま動かなければ、ココワが落ちる。
ココワが落ちれば、中部も落ちる。
ようやくここまで来たのに、何もしないなんて、何もできないなんて、どうしたらそんな言葉が出てくるの!」
「チハヤ、落ち着こうよ!
誰も、何もしないなんていってないじゃん。
条件が悪い、って言ってるだけだよ」
西ユーラシア人とクマン人をかき集めても、どうにか1個大隊規模にしかならない。
戦車はあるが数が少なく、装輪装甲車は集めれば20輌ほどになる。
救世主の部隊は現在のところ、航空兵力をともなっている形跡はない。だが、バルカネルビにも対地攻撃機はない。常駐しているララのウルヴァリンは、整備のためバンジェル島に移動している。
商館長や飛行場長が言うこともわかる。
「湖水地域の人々から、要請されてもいないのに武装部隊を動かすことはできない」
その通りだと思う。その通りだとは思うが、ならば待っていればいいのか?
半田千早は、それは違うと感じる。
須崎金吾が奇妙なことを言った。
「ちーちゃん、
誰も頼んでいないのに、手助けはできないよ。余計なお世話になってしまう。
でもね、誰でもいいから、湖水地域のヒトが、助けて、って言ってくれれば動きようがあるんだ」
半田千早が噛みつく。
「お兄ちゃん、誰が、助けて、って言えばいいの!」
会議室の中は険悪だった。その険悪な空気を、須崎金吾は飄々と受け流している。
その険悪な雰囲気のためか、茶を運んでくれた女性の手が震えている。
ブーカが商館長と飛行場長に助け船を出す。「チハヤ殿、それはしかるべき立場の人物でなくては……」
須崎金吾がブーカの言葉を遮る。
「いいや、誰でもいい。
誰だかはっきりしていればそれでいい。
誰でもいい。子供でも……」
茶を配り終わった。
女性が顔を上げる。大きな長テーブルの端にいる。会議の列席者からはだいぶ離れている。
「あの。
私でもいいのでしょうか?
母がココワに住んでいます。バルカネルビに疎開を勧めていますが、頑固で……」
須崎金吾が筆記具を貸すような軽い口調で答える。
「ええ、もちろん、いいですよ。
お名前は?」
「メルヤ、です」
須崎金吾が宣言する。
「ノイリンは、バルカネルビの街人メルヤ殿の要請を受け、ココワにいる母上の救出を行う。
これより、作戦を発起する。
12時間以内に集められる戦力だけを持って、侵攻してくる救世主を迎え撃つ。
指揮は自分が執る!
これでいいですか、メルヤさん?」
全員が唖然としている。
半田千早も……。
湖水地域の制圧を目指す新たな救世主の侵攻に対して、須崎金吾は一個人から受けた母親の救出で応えようとしている。
「メルタさんの頑固なお母様をお助けするには、救世主を撃破するしかないでしょ」
須崎金吾のこの言葉を聞いた会議場の誰もが、唖然としている。
ブーカが「どのように戦われる!」と質したが、須崎金吾は何も考えていないようだった。
救世主は無人の荒野を進むように進撃している。ただ、本隊から「待て」の命令があり、ココワの東30キロ付近で、進撃を停止した。
須崎金吾には確たる戦術はなかった。
ただ、ココワ正面で戦う必要はない、と考えている。戦う時と場所を救世主に委ねる必要はないのだ。
ココワの北側は乾燥した荒野で、地面は乾いていて固い。こぶし大の石が多く、装輪車はやや走りにくい。
戦場を指定できるが、今回は待ち伏せはできない。遭遇戦になる。
北に誘い出すには、どうしたらいい。魚を釣るのと同じで、餌がいる。
救世主にとって、餌とは何か?
誇るべき戦果だ。
ココワの東側は、エリシュカの義勇隊が守っている。先遣隊の進撃が停止した理由は、ココワの義勇軍を撃破するのは、ブリッドモア辺境伯軍の主力が担うことになったからだ。
とすると、先遣隊が武勲を上げることができない。彼らが命令を守りつつ、大きな武勲を上げるための、餌を投げる。
須崎金吾は、バルカネルビにある稼働可能な戦車と装甲車のすべてと、多くのトラックやバスを動員した。
トラックの多くは幌付きで、荷台には何も積んでいない。須崎金吾は、自動車化された大部隊をでっち上げたのだ。
須崎金吾が部隊を指揮した。半田千早とカルロッタは、真っ先に参加を志願する。南部からは、キアーラが少しの義勇兵をともなってバルカネルビにやって来る。
ブーカは迷っていた。在バルカネルビの1個中隊の指揮権はないが、自分が要請すれば部隊は動くだろう。しかし、それでは将兵が無駄死にするのではないか、と感じていた。
彼は、静観することにした。
大型車35輌、この中には飛行場や商館で使用している車輌も含まれている。
その他、乗用車や1トン積み軽車輌15輌。砲塔付き装輪装甲車15輌、砲塔なし装輪装甲車4輌、戦車18輌がこの作戦に加わるが、戦うのは装甲車と戦車だけだ。
半田千早は、カルロッタ、オルカとともにバギーLで参加した。
須崎金吾は、北流沿岸を離れ、大きく北に迂回し、ブリッドモア辺境伯先遣隊の背後を突くような機動をする。しかも、戦車を含む数十輌からなる大部隊だ。
大量の軍需物資を運びながら素早い機動を行うこの部隊に対して、先遣隊指揮官カリーは極度の警戒をする。
実際には、須崎金吾が指揮する部隊のトラックは空荷で、バスには数人だけが乗っている。
須崎金吾は、ブリッドモア辺境伯先遣隊の真北に戦車と装甲車を配置する。
トラックとバスは、さらに東に向かう。
南はニジェール川、西はココワの義勇部隊、北は戦車と装甲車、西には自動車化部隊。
これでは完全に包囲される。
実際はそうではない。ブリッドモア辺境伯主力部隊が東に迫っており、自動車化部隊が東に回り込もうとすれば、派遣部隊と主力部隊によって挟撃される。
普通なら自動車化部隊が東に回り込むことはあり得ない。
だが、この部隊は、常識外の機動力を発揮している。もしや……、との不安はある。
その不安と、北に陣取る戦車部隊の存在も気になる。
ココワへの先駆けは、禁じられている。
自動車化部隊の機動は速く、救世主の戦車では捕捉は不可能。
ならば、北の戦車隊を叩く。
それが現実的だと、ブリッドモア辺境伯先遣隊指揮官カリーは判断する。
そう判断するよう、須崎金吾によって、心を操られた。
救世主の戦車については、詳細な調査がなされている。車種は3。ルノーFTに似たリベット構造の軽戦車、オチキスH35に似た溶接構造の軽戦車で、長砲身37ミリ砲搭載型と短砲身37ミリ砲搭載型がある。長砲身37ミリ砲は、一定の装甲貫徹力がある。全車種とも最大時速は25キロ程度、乗員は2。
装甲は以外と厚く、最大40ミリほどある。
西ユーラシア製戦車は、最大時速は45キロから80キロ、装甲は長砲身47ミリ砲の近距離での直撃に耐抗できる。
半田千早たちは、4輌のバギーLで救世主が自動車化部隊と誤認しているグループの護衛についていた。
部隊規模を大きく見せるために、本格的な不整地走行には不適な4輪駆動のバスまで投入しており、もし追撃されたら不測の事態も考えられた。
半田千早は、愛車バギーSの修理が終わらないことから、新規に配備されたバギーLを借りてきた。
2ドアと4ドア、ホイールベースが長いだけなのだが、走破性能はバギーSが格段に勝る。だが、車内スペースが広く、4+1の乗車定員は魅力だ。長距離の移動や長期間の作戦では、バギーSと比べて格段に勝る。
出撃の直前、バルカネルビに戻ってきたキュッラが無理矢理乗り込んだ。
彼女はまだ12歳。軍事作戦に参加できる年齢ではないし、その訓練も受けていない。
各車は無線で連絡を取り合っている。東に20キロ移動してから、5キロ南下し、Uターンして北に向かう。北上する理由は、戦闘を回避し、戦場を離脱するためだ。
この部隊は、完全な陽動なので、トラックとバスに戦闘力はない。
半田千早は、拳大の石が散らばる土漠を時速55キロで走る。
「みんな!
もしかしたら、救世主が誘出されるかもしれない。救世主は、とにかく“手柄”が大好きなんだ。殺したヒトを山のように積み上げて、その前で記念撮影したりする。
私たちとは心の構造が違うんだ。
それと、私たちを“野生のヒト”と見下している。こっちからすれば、おまえたちなんか“家畜化されたヒト”じゃないか、って言い返したいけど、この荒野の真ん中じゃ、それもできない。
戦死なんてもってのほかだけど、捕まったら何をされるか、もう知っているよね。
救世主との戦いは、絶対に負けられない。
もし、こちらの予想に反して、救世主のごく一部でも誘出されてしまったら、バギーLで迎え撃つ。
トラックとバスを逃がすまで、足止めする。絶対に逃げない!
いいね!」
キュッラは震えていた。救世主の恐ろしさはよく知っている。貴族の残忍さ、貴族以外の冷酷さ、そのどちらも見ている。
バルカネルビの大人たちが態度を決めないから、キュッラはバギーLに乗り込んだ。キュッラ以外の子供たちも、戦う覚悟を固めている。
「前方に土煙!
停止だぁ!」
隊長車が止まると、全車が停止する。
半田千早は運転席にいたが、彼方にあるという土煙がなんなのか、わかっていた。
銃塔のオルカが双眼鏡をキュッラに渡す。
「チハヤ、例のトラックだ。何も見えないけど、間違いない。
テクニカルって言うんだろ。
小型トラックの荷台に機関銃を積んでいる武装車輌のこと……。
間違いなく、あれだ」
半田千早は一瞬躊躇ったが、彼女はオルカと同意見だ。
「隊長!
千早です。
速度から推測して、救世主の武装トラックです。機関銃を搭載しています。高速移動が可能なので……」
その先を言わなかったが、数多の輸送任務を経験している隊長は、半田千早の判断を良とした。
「よし、野郎ども、逃げるぞ!
北に向かって全速退避だ!」
4輌のバギーLは、車列の東側に集まる。本隊からやや離れ、車列最後部よりも南にいる。
「救世主のピックアップトラックは、元世界のイギリス製ハンバートラックによく似ている。ノイリンに同型があるので、たぶん第1世代がこの世界に持ち込んだものを、コピーしたんだと思う。
厄介なのは原型車とほぼ同じ性能を発揮すること。つまり、性能がいいってこと。
機関銃は、カンガブルが作っているルイス軽機の弾違い。救世主は7.7ミリのビッカース弾を使っている。
47発パンマガジン以外に96発の大容量弾倉もある。
十分に注意して!」
半田千早の説明に、誰からも応答はない。ドラキュロに囲まれて生きている西ユーラシアのヒトには、油断という感性はない。もしあるなら、その個体はとうに死んでいる。
半田千早が危惧していた通り、救世主の武装トラックは徐々に接近している。
半田千早は、迎撃も考えていた。あと、2時間追跡されれば、車列の最後尾は機関銃の射程内に入る。
彼女だけでなく、誰もが対処に迷っていた。
湖水地域の市井のヒトたちは、誰もが「これで燃料が手に入る」と喜んだ。
行政機構のある東部と南部は、行政府が噂の真偽を確かめようと、バルカネルビの商館に使者を送ってきた。
そして、多くの商人が疑心暗鬼となる。問題は、“湖水地域の商人”とは誰のことなのか?
バレル家やバレル家の支家ではない。彼らは、自分たちが当事者でないことを早々に公表した。
サール家の件以来、バレル家と一族に向けられた視線は厳しく、憶測を放置すれば当主や嫡男たちに身の危険があった。
この噂にいち早く反応した商人がいる。ヨランダの父親で、東部の元老院議員であり、政商としての性格が強いソレチト家のシラーニだ。
彼の思考はある意味で直情的だ。ヒトが最もほしいものは金〈かね〉。金を得るためにヒトは生きている、と彼は考えている。
また、どんなヒトでも、金の前に膝を屈するとも……。
政治は金を得るための方便であり、政治的権力は金によって得られ、金によって保護される。政治と対をなす暴力も同じだ。
これを実践し、この思考が揺らいだことはない。信念である。
しかし、シラーニは決して揺るがなかった信念に、自信を失いかけていた。
どんな高潔なヒトでも、食わせ、抱かせ、握らせれば落ちる。
そのはずなのに、救世主にはまったく効果がない。
東部には、湖水地域において唯一、救世主の出先機関があった。実質的な大使館だ。
救世主は、いかなる供応にも応じない。飲食の誘いはすべて断られ、献上した娘は裸にされただけで送り返され、大使閣下が無類のウマ好きと聞き名馬を贈るが、首だけが戻された。
黄金の細工物を贈ったときは、使者は黄金の献上理由を尋ねられ、口ごもると首をはねられた。
シラーニは当初、救世主と対等以上の立場で商談できると疑っていなかった。しかし、救世主にとっての湖水地域は、労働力と食料の供給先でしかない。この地域の経済には興味はない。救世主から見れば、農作業に不向きなシラーニの身体は奴隷としての価値さえなかった。
湖水地域は搾取するだけの対象だ。
シラーニは自分を東部の大物だと自認していたが、救世主にとっては利用価値の低い家畜でしかない。
ヒトを見下して生きてきたシラーニは、自分が見下されていることにまったく気付いていなかった。
どうすれば、救世主に食い込めるかだけを、ひたすら考えていた。そのために金も使っていた。シラーニの周りには、救世主との裏のコネクションがあると自薦するいかがわしい情報屋が出入りしている。
シラーニは、彼らに多額の金銭を支払っていた。もちろん、彼らは救世主とは無関係だった。
シラーニが必死の裏工作を行っている最中に、西のヒトと当地の商人が燃料の供給に関して何らかの商談がまとまった、との情報が入る。
このときになって、バルカネルビに送り込んだ娘のことが気になった。
もちろん、娘の身が心配になったのではない。情報を持っているのではないか、と思い至っただけだ。その情報を土産に、救世主と接触ができるのではないか、と考えた。
ヨランダは、とんでもない額の借金をしようとしている。
エリシュカの屋敷は、ヨランダの父親の館をもしのぐ。
豪華な一室で、書類の最下行にサインをすれば、ヨランダは多額の資金を手にする。この金額と同額を、半田千早とカルロッタが用立てると……。
ヨランダは1人ではない。用心棒としてライモンが、凄腕の番頭としてエリシュカの仲間が加わる。
その上で、クレールが率いるリトリン家とヨランダが新たに立てるタフーリ家は、相互に出資し合う。
南部に移住するキアーラは、エリシュカからの出資を受け入れる。
結果、巨大な燃料商グループが誕生する。この燃料商グループと、クマンの国営石油開発公社とが、ニジェール川中流域における燃料供給の独占契約を結ぶのだ。
こうなると、他の商人が割り込む余地はなくなる。
ヨランダは眼前の書類に、震える手を必死に押さえ、自分の名を書いた。
ヨランダの父親シラーニは、あらゆる策を弄して、商敵、政敵を潰してきた。特に真義や約定を重んじるヒトは嫌いだ。
そういう偽善者ぶる輩〈やから〉は、汚い方法で潰す。それが、彼の信条だ。
1年前、ヨランダに縁談があった。中堅の穀物商タフーリ家の嫡男が、ヨランダを見初めたのだ。
縁談は進まなかったが、穀物売買の商談は進んだ。タフーリ家の嫡男は縁談を進めるため、父親の忠告に耳を貸さず、政商であるソレチト家と過大な取引をしてしまう。
この取引には瑕疵担保責任の条項があり、取引成立後、シラーニはこれを持ち出す。
コムギに大量の雑穀が混ざっていたと……。
もちろん、シラーニが仕掛けた罠だ。
賠償責任を押しつけられたタフーリ家は困窮し、家(店=たな)を閉じる。
シラーニはこの謀略で、莫大な利益を上げた。
ヨランダは、父の画策がどういうものであったのか、細部は皆目わからない。しかし、自分を見初めたがために、家を閉めなくてはならなくなったタフーリ家には、ベッドの中で何度も「ごめんなさい」と泣いて謝った。
ヨランダは父を追い詰める覚悟を決めた。
だから、タフーリの家号を使った。
中部では、慣習として女性は“家”を設立できない。つまり、起業できないのだ。
だから、エリシュカのグループは“家”ではない。
リトリン家は、西部において大手ではない。中堅の最下付近だ。
タフーリ家は、東部において代理人が設立を宣言したが、商いの実績は皆無。
南部に移住したキアーラも同じ。
4人の経営者は、それぞれに弱みがある。だが、志は高い。
そこで、手を組むことにした。
全域燃料販売組合(WFSA)を組織したのだ。
WFSAを介して、クマンとノイリンの燃料が湖水地域全域に供給される。
半田千早とカルロッタは、文字通り東奔西走している。
クマンの国営石油開発公社、ノイリン北地区の燃料班、WFSAの3者が共同で設立する燃料の精製・輸送・販売を行う会社に出資を請うためだ。
ノイリンの独占を許したくないクフラックが応じたし、ノイリンにおいて北地区の突出を好まない西地区が参加する。
シェプニノやカンガブルは北アフリカ情勢でそれどころではないが、フルギアやヴルマンには少額でも出資してもらいたかった。
2人は、形だけでも全西ユーラシアにしたい、と必死だ。
そうなれば、西ユーラシア、西アフリカ、赤道以北アフリカ内陸による、初めての共同事業となるのだから……。
半田千早とカルロッタが目指す、西ユーラシア、西アフリカ、赤道以北アフリカ内陸による共同事業体は、体制が明確になっていない。
その日、そのときによって、微妙に変化する。固まっていない体制を、湖水地域の大商人たちがつつき始めている。
関係者の焦りは尋常ではなかった。
クマンの体制は固まっている。
元首パウラが先頭に立ち、政府と議会を説得し、国営石油開発公社が契約の主体となることが決定。
湖水地域側も、東部のタフーリ家、中部のエリシュカ・グループ、西部のリトリン家、南部のファッジ燃料化学が設立する全域燃料販売組合(WFSA)が主体になることが固まっている。
揺れ動いているのが、西ユーラシア。
ノイリン北地区燃料班は、参加が決まっている。しかし、ノイリンが一丸となって参加する様子はない。
ノイリンの腰が据わらないので、クフラック以外の街が様子見を決め込んでいる。
ノイリン北地区でさえ、燃料班、農業班、醸造班は積極的だが、全体的には無関心だ。食料の輸入が順調だからだ。
ヴルマンのゲマール領領主ベアーテは、西アフリカの石油に多大な関心を持っていた。半田千早の代理として、当地を訪れたマーニの説明を聞き、多額の出資を決める。
また、ベアーテは、全部族会議において、ヴルマンの代表に選任された。
同じ頃、精霊族の賢者と面談した褐色の精霊族であるホティアは、クマンが安定した供給を約束するのなら、出資するとの言質を得ていた。
白魔族との戦いにおいて、精霊族は燃料不足に陥りつつあった。クマンと精霊族の取り引きは順調だったが、最重要戦略物資である石油の安定供給は、精霊族の継戦能力に直結する重大な問題で、長期化しつつある白魔族との戦いを勝利するには、どうしても必要なことだった。
鬼神族は石炭を液化した燃料を使用しており、白魔族との戦いが長期化していく中で、今後も精霊族に安定的に供給し続けることが不可能になりつつある。
精霊族はホティアを介して、異種であるヒトの興す企業体に出資する決意を固めた。
ヴルマンと精霊族の出資は、西ユーラシアにおける流れを決定付ける。
精霊族はバルカネルビの商館に事務所を構えていたが、新たにヴルマンも事務所を開設する。
フルギアは燃料供給元である鬼神族との関係悪化を気にして、出資には応じなかった。
だが、バマコに連絡事務所を開設すると同時に、警護として1個中隊規模の戦闘部隊を派遣する。
1年前のバマコには川と土と空しかなかったが、巨大な都市に変貌しつつある。雨が降れば泥道と化したメインストリートは、舗装された。
飲食店や雑貨店も建ち並ぶようになった。
未舗装の滑走路が1本あるだけだった飛行場は、小さいながらも空港になった。
そもそも、ノイリンが開設した街だが、バンジェル島とは異なり、ノイリンが“占有”を主張しないことから、いつしか“自由都市”と呼ばれるようになる。
赤道以北アフリカにおける水運、陸運、航空輸送の最大拠点となりつつあった。
湖水地域の商人もやってくる。程度の差はあっても湖水地域の北側は男尊女卑の傾向が強い。
その点、自由都市であるバマコは、誰もが自分の才覚を発揮できる。この街では、男尊女卑という保護政策に慣れきっていた湖水地域の男性商人が、同じ街の出の女性商人に出し抜かれることは日常茶飯事だ。
バマコは商業都市として、成功しつつある。そして、住民自治による行政機構の萌芽も見え始めている。
一方、マルカラは、地域最大の石油化学コンプレックスに成長しようとしている。
軽質ナフサ(沸点35~80℃)を原料にしたエチレンプラント、重質ナフサ(沸点80~180℃)からガソリンやベンゼンなどを生成している。
商業のバマコ、工業のマルカラが誕生しつつある。
ヨランダの父であるシラーニは、救世主の全権大使から全域燃料販売組合(WFSA)の実態を調べるよう“命令”される。
シラーニは、救世主に取り入る千載一遇のチャンスと考え、自らバルカネルビに出向いた。
WFSAの本部は、バルカネルビ商館のはす向かいにあった。このときはまだ、組合長の選出前で、本部は中堅穀物商カムヘン家店舗の2階に間借りしていた。
偶然であった。
ヨランダが組合本部にいることはほとんどなく、彼女はファラナにいることのほうが多かった。
本部にはヨランダ以外に、エリシュカが派遣した事務員が4人とヨランダの護衛であるライモンがいるだけだった。
シラーニは、バルカネルビでは中堅の上位にあるカムヘン家とは取り引きがなかった。カムヘン家はゴマの取り引きでは有名な商家で、ゴマ油の製造でも知られていた。
シラーニはゴマを扱ったことがなく、彼特有の知らない相手はとりあえず見下す態度だったが、店舗の間口の広さに少々飲まれていた。
組合本部事務所は、2階の1室にあった。大して広い部屋ではなく、一帯に燃料を供給しようという勢いは感じない。
「ごめんなさいよ」
父親が最初に見た人物は娘だったが、彼女の変貌が激しく、父親は娘を即座に認識できなかった。
2人の長い沈黙が続く。
「お父様……」
父親の手の届く距離に娘はいた。
普通の父親なら、娘を抱きしめるだろう。
シラーニは違った。
彼の指示に従わず、定期的な連絡を怠っている娘を許すはずはない。
彼は拳を振り上げた。
が……、振り上げた拳はピクリとも動かない。ライモンがシラーニの手を押さえたからだ。
「こいつ、誰だ?」
ライモンの問いにヨランダは、微笑んで答える。
「私の父よ」
すると、ライモンは一層の力を入れる。振り上げた腕は、徐々に降りていき、やがて後ろ手となり、締め上げられる。
「痛い、やめてくれ……」
事務所長はエリシュカと同じくらいの年齢で、エリシュカ以上の強面女性だった。
机を回り、シラーニの前に立つと、彼の顎を左手でつかむ。
「何しに来た、クソ野郎」
「痛い!」
ライモンが力を強めたのだ。
「クソ野郎……。
素っ裸にひん剥いて、裸踊りさせるぞ」
「ヒッ!」
シラーニが怯える。
ライモンが力を抜く。
「おっさん、消えろ。
2度と来るな」
ライモンの脅しを受け、シラーニは小走りで逃げた。
その姿をみたヨランダは、あんな情けない男にいいように扱われていたことに、愕然とした。
俺も愕然としている。
西ユーラシアから赤道以北アフリカまで、好きなように動いていたが、それができなくなった。
鉄道大好きな金沢壮一と相馬悠人が、西アフリカに行ってしまったのだ。
俺は、ノイリンに居続けなくてはならなくなった。
旧王都からファラナまでの鉄道は、大幅な改造を受けつつある。かつてあった10カ所の駅を再整備し、うち3カ所に上下線がすれ違うための引き込み線を作る工事が始まっていた。
この鉄道のためのトラック改造のディーゼル機関車は、金沢壮一がノイリンから運んだ。
相馬悠人は、貨車と燃料輸送用のタンク車をクマンで設計している。
現場の工事は、片倉幸子が指揮している。
ファラナには、次々と建物が建設され、街が生まれている。工事関係者や河川船の関係者など、あるいは商人も、とにかく大勢が押し寄せている。
当初、鉄道は貨物専用とする予定だったが、旅客輸送も必要となり、客車の設計も始まる。
ファラナは、クマンと湖水地域が出会う場所となった。
シラーニは救世主に報告しなければならなかった。報告しなければ、彼らに殺されるかもしれない。シラーニは“西のヒト”の石油がどこから来るのか、誰が救世主の計画を邪魔する元凶なのか、それを報告しなければならない。
救世主の邪魔をする一味の中に彼の娘がいることは、知られてはならない。
自分の生命にかかわる。
シラーニは、中部のエリシュカと南部のキアーラが首魁だとすることに決めた。キアーラは、東部、中部、西部の燃料供給を独占していたバレル家支家サール家の直系だからだ。
エリシュカは、シラーニから見れば得体の知れない闇商人だ。
真実味がある報告には、格好の人物だった。
救世主は、貴族の連合体だ。公爵、伯爵、子爵、男爵の黒羊(遺伝子操作と品種改良されたヒト)4家が主体だが、辺境伯と選帝侯と呼ばれる銀羊(白魔族に隷属していたヒト)の実力者もいる。
どうであろうと、彼らは新羊と呼ぶ新たな奴隷を必要としていた。
黒羊は繁殖力が弱く、後継者の総数が減り続けている。支配下にある銀羊は従順に振る舞っているが、反乱の芽は確実に伸びつつある。リーダーを捕らえて殺しても、それで収まるような状況ではない。10人殺せば、翌日には20人が反乱に加わってしまう。
辺境伯や最近勢力を伸ばしてきた選帝侯といった、貴族を真似る銀羊も厄介だ。正面から対立すれば、戦力を磨り潰してしまうし、何もしなければ地位を乗っ取られかねない。
ブリッドモア辺境伯は、兵士階級である騎士を大量に抱えていた。騎士の大量登用は、農耕を担う農奴的民衆の減少を招いている。そのため、新たな農奴、新羊が必要だった。
救世主が石油を入手したことから、ブリッドモア辺境伯は手持ちの戦車50輌のすべてを稼働させることができる。
それと、ピックアップトラックに装甲ボディを架装した装輪装甲車も大量に保有している。
総兵力は5000を超える。渡河さえできれば、湖水地域全域を制圧できると考えていた。渡河のために、木樽を使った浮橋を用意している。実験では、戦車1輌なら渡河させられた。
ブリッドモア辺境伯の先遣隊は彼の次男に率いられ、ニジェール川を遡りながら、西岸の村を制圧していく。
だが、これまでに多くの救世主が襲撃しており、ほとんどの村は無人で、ヒトがいても逃げた後だった。
ブリッドモア辺境伯はいままでの救世主とは異なり、川を遡っていけばたどり着ける北流北岸のココワを目指してはおらず、北流と南流の合流部にある、川を渡ったトンブクトゥを攻略する作戦だった。
これはトンブクトゥにいる救世主にとっては、想定外の行動だった。
この状況で、シラーニは救世主への報告をする機会を失ってしまった。
ブリッドモア辺境伯次男カリーは部隊とともに、トンブクトゥに向けて渡河し、「すべての住民は、移動の準備をせよ」と命じる。
当然だが、街の住民はそんな命令は無視する。
行政は右往左往するだけで、唯一の実力組織である国境警備隊は街内のこととして、何ら行動しなかった。
救世主の在トンブクトゥ“大使館”の一室には、大使であるウィーデン公爵家の一員であるエフレンとブリッドモア辺境伯の次男カリーがいた。
トンブクトゥの元老院議員であり、政商として暗躍していたシラーニは、エフレンとカリーの前で震えていた。
カリーはトンブクトゥの住民すべてを彼の領地に連れ帰る、と主張している。
シラーニはカリーの主張がかなりの時間、理解できないでいた。彼は、救世主と取り引きし、燃料を独占的に取り扱うための努力を重ねてきた。
しかし、救世主にとって湖水地帯は、農地を耕作する労働力の供給地でしかなかった。自分も妻子も、救世主の領地に連れていかれ、家畜として働かされることを知る。
慌てたし、恐ろしくて、口内がカラカラに乾いていた。
このままでは、何もかも失ってしまう。
瞬間、ヨランダのことを思い出した。
「救世主様。
どうか、この世をお救いください。
救世主様の世を、末永く続くことを邪魔するものたちがおります」
エフレンが鋭い眼を向ける。まだ、20歳にもならない男だが、シラーニよりも迫力がある。
カリーは狂気を宿した残忍な目でシラーニをにらみ、極悪な笑いををたたえて問うてきた。
「我ら、救世主の意向に従わぬものがいると……?」
エフレンが答える。
「この一帯で“西のヒト”と呼ばれている連中がいる。
こいつらは、礼儀を知らない。
世の中の仕組みを知らない。
野生のヒトであることは、間違いない。
しかも、過去、抜け駆けをした貴族の多くが、この野生のヒトに叩かれている」
カリーは“野生のヒト”という言葉に、内心で激しく反応していた。
辺境伯の勢力がいまよりも小さかった時代、彼らは救世主から“野生のヒト”と見下されていた。
エフレンは、1歳か2歳年下のカリーを焚きつけることを考えていた。
「辺境伯家も“西のヒト”には手出しせぬ方がよい。
野獣は、時期を見計らい我ら公爵家が狩る。
面白い狩りになるであろう。
そのときは、お招きしよう」
カリーは無表情になる。
怒りを感じているのだ。
エフレンは、内心でほくそ笑んでいた。
カリーが、シラーニをにらみつける。
「不埒ものはどこにいる?」
シラーニは腰から崩れ落ちそうなほどの恐怖を感じていた。
「西の最大の街バルカネルビにおります」
ココワにいたエリシュカは、救世主の行動が不思議だった。
「あのものたちは、なぜ何度も同じことを繰り返すのだろう?
また、北流に沿って遡ってきた。
ただ、今回は戦力が多い。
それと進撃速度も速い。
各家からの援軍は間に合わないかもしれない」
ブリッドモア辺境伯爵軍が、トンブクトゥの対岸に現れた時点で、心あるヒトたちは防衛態勢を固めた。
心ないヒトたちもいる。静観を決め込む傍観者たち……。
しかし今回、防衛戦に参加するよりも、傍観のほうが危険だった。
噂によれば、傍観を決め込むと、燃料が売ってもらえなくなる。燃料がなければ、船が動かない。地域に供給があれば、闇での入手は可能だろう。だが、値が張る。
取りあえず参戦して、様子を見る、との判断をした日和見主義者は多かった。
エリシュカは集まった戦力のどれほどが、真に戦意があるのか見当がつかない。
ヨランダ、クラーラ、キアーラが援軍を送ってくれるが、その戦力はたかがしれている。
やはり西のヒトの支援が必要だと、考えている。
バルカネルビには、クラーラだけがいた。ヨランダは数日前にファラナに向かい、キアーラはバマコ、キュッラはマルカラにいる。
半田千早とカルロッタが“西のヒト”を集めているが、間に合うはずはない。
運悪く、イロナはバンジェル島に戻っている。ディラリはクマン本国から戻らない。
最悪の条件だ。
元首パウラの窮地を救った“トモダチ”は、半分近くがバンジェル島やクマンに残っていた。
何しろ、西ユーラシアでは空気と同じように存在するドラキュロがいないのだ。確かにドラゴンが多いから、安全で快適な地とは言えない。
しかし、ドラキュロがいない。
こんな素晴らしいことはない。
だから、楽しくて残っていた。
半田千早とカルロッタの呼びかけで、バンジェル島やクマンに残っていた“トモダチ”が数時間で再結集する。
だが、彼らを運ぶ飛行機がない。バンジェル島の機体では、バマコまでしか飛べないのだ。一気にバルカネルビには達せない。
半田千早は、クマンの力を借りるしかない、と感じていた。
自由都市バマコとバルカネルビには、それぞれ1個中隊が駐屯している。
現在、商館にはクマンの軍務官僚であるブーカが妻子とともに滞在している。ファラナ攻防戦後、元首パウラの推薦があり妻子とともに半年の任期でバルカネルビの商館付駐在武官となった。
半田千早は、ブーカならばクマンの兵を動かせるのではないか、と考えていた。
ブーカは“魔法使い”とも称される須崎金吾と会い、非常にがっかりしていた。印象は、覇気のない男、だ。どこにでもいる、ただの木偶の坊だった。
しかし、ノイリンの商館長と飛行場長は、年少の彼と話すときに敬意を払っている。
ブーカは、それは実力からではなく、立場か身分が関係しているのだろう、と考えていた。
商館で騒ぎがあった。
騒いでいるのは半田千早で、必死に止めているのがカルロッタだ。
「いま動かなければ、ココワが落ちる。
ココワが落ちれば、中部も落ちる。
ようやくここまで来たのに、何もしないなんて、何もできないなんて、どうしたらそんな言葉が出てくるの!」
「チハヤ、落ち着こうよ!
誰も、何もしないなんていってないじゃん。
条件が悪い、って言ってるだけだよ」
西ユーラシア人とクマン人をかき集めても、どうにか1個大隊規模にしかならない。
戦車はあるが数が少なく、装輪装甲車は集めれば20輌ほどになる。
救世主の部隊は現在のところ、航空兵力をともなっている形跡はない。だが、バルカネルビにも対地攻撃機はない。常駐しているララのウルヴァリンは、整備のためバンジェル島に移動している。
商館長や飛行場長が言うこともわかる。
「湖水地域の人々から、要請されてもいないのに武装部隊を動かすことはできない」
その通りだと思う。その通りだとは思うが、ならば待っていればいいのか?
半田千早は、それは違うと感じる。
須崎金吾が奇妙なことを言った。
「ちーちゃん、
誰も頼んでいないのに、手助けはできないよ。余計なお世話になってしまう。
でもね、誰でもいいから、湖水地域のヒトが、助けて、って言ってくれれば動きようがあるんだ」
半田千早が噛みつく。
「お兄ちゃん、誰が、助けて、って言えばいいの!」
会議室の中は険悪だった。その険悪な空気を、須崎金吾は飄々と受け流している。
その険悪な雰囲気のためか、茶を運んでくれた女性の手が震えている。
ブーカが商館長と飛行場長に助け船を出す。「チハヤ殿、それはしかるべき立場の人物でなくては……」
須崎金吾がブーカの言葉を遮る。
「いいや、誰でもいい。
誰だかはっきりしていればそれでいい。
誰でもいい。子供でも……」
茶を配り終わった。
女性が顔を上げる。大きな長テーブルの端にいる。会議の列席者からはだいぶ離れている。
「あの。
私でもいいのでしょうか?
母がココワに住んでいます。バルカネルビに疎開を勧めていますが、頑固で……」
須崎金吾が筆記具を貸すような軽い口調で答える。
「ええ、もちろん、いいですよ。
お名前は?」
「メルヤ、です」
須崎金吾が宣言する。
「ノイリンは、バルカネルビの街人メルヤ殿の要請を受け、ココワにいる母上の救出を行う。
これより、作戦を発起する。
12時間以内に集められる戦力だけを持って、侵攻してくる救世主を迎え撃つ。
指揮は自分が執る!
これでいいですか、メルヤさん?」
全員が唖然としている。
半田千早も……。
湖水地域の制圧を目指す新たな救世主の侵攻に対して、須崎金吾は一個人から受けた母親の救出で応えようとしている。
「メルタさんの頑固なお母様をお助けするには、救世主を撃破するしかないでしょ」
須崎金吾のこの言葉を聞いた会議場の誰もが、唖然としている。
ブーカが「どのように戦われる!」と質したが、須崎金吾は何も考えていないようだった。
救世主は無人の荒野を進むように進撃している。ただ、本隊から「待て」の命令があり、ココワの東30キロ付近で、進撃を停止した。
須崎金吾には確たる戦術はなかった。
ただ、ココワ正面で戦う必要はない、と考えている。戦う時と場所を救世主に委ねる必要はないのだ。
ココワの北側は乾燥した荒野で、地面は乾いていて固い。こぶし大の石が多く、装輪車はやや走りにくい。
戦場を指定できるが、今回は待ち伏せはできない。遭遇戦になる。
北に誘い出すには、どうしたらいい。魚を釣るのと同じで、餌がいる。
救世主にとって、餌とは何か?
誇るべき戦果だ。
ココワの東側は、エリシュカの義勇隊が守っている。先遣隊の進撃が停止した理由は、ココワの義勇軍を撃破するのは、ブリッドモア辺境伯軍の主力が担うことになったからだ。
とすると、先遣隊が武勲を上げることができない。彼らが命令を守りつつ、大きな武勲を上げるための、餌を投げる。
須崎金吾は、バルカネルビにある稼働可能な戦車と装甲車のすべてと、多くのトラックやバスを動員した。
トラックの多くは幌付きで、荷台には何も積んでいない。須崎金吾は、自動車化された大部隊をでっち上げたのだ。
須崎金吾が部隊を指揮した。半田千早とカルロッタは、真っ先に参加を志願する。南部からは、キアーラが少しの義勇兵をともなってバルカネルビにやって来る。
ブーカは迷っていた。在バルカネルビの1個中隊の指揮権はないが、自分が要請すれば部隊は動くだろう。しかし、それでは将兵が無駄死にするのではないか、と感じていた。
彼は、静観することにした。
大型車35輌、この中には飛行場や商館で使用している車輌も含まれている。
その他、乗用車や1トン積み軽車輌15輌。砲塔付き装輪装甲車15輌、砲塔なし装輪装甲車4輌、戦車18輌がこの作戦に加わるが、戦うのは装甲車と戦車だけだ。
半田千早は、カルロッタ、オルカとともにバギーLで参加した。
須崎金吾は、北流沿岸を離れ、大きく北に迂回し、ブリッドモア辺境伯先遣隊の背後を突くような機動をする。しかも、戦車を含む数十輌からなる大部隊だ。
大量の軍需物資を運びながら素早い機動を行うこの部隊に対して、先遣隊指揮官カリーは極度の警戒をする。
実際には、須崎金吾が指揮する部隊のトラックは空荷で、バスには数人だけが乗っている。
須崎金吾は、ブリッドモア辺境伯先遣隊の真北に戦車と装甲車を配置する。
トラックとバスは、さらに東に向かう。
南はニジェール川、西はココワの義勇部隊、北は戦車と装甲車、西には自動車化部隊。
これでは完全に包囲される。
実際はそうではない。ブリッドモア辺境伯主力部隊が東に迫っており、自動車化部隊が東に回り込もうとすれば、派遣部隊と主力部隊によって挟撃される。
普通なら自動車化部隊が東に回り込むことはあり得ない。
だが、この部隊は、常識外の機動力を発揮している。もしや……、との不安はある。
その不安と、北に陣取る戦車部隊の存在も気になる。
ココワへの先駆けは、禁じられている。
自動車化部隊の機動は速く、救世主の戦車では捕捉は不可能。
ならば、北の戦車隊を叩く。
それが現実的だと、ブリッドモア辺境伯先遣隊指揮官カリーは判断する。
そう判断するよう、須崎金吾によって、心を操られた。
救世主の戦車については、詳細な調査がなされている。車種は3。ルノーFTに似たリベット構造の軽戦車、オチキスH35に似た溶接構造の軽戦車で、長砲身37ミリ砲搭載型と短砲身37ミリ砲搭載型がある。長砲身37ミリ砲は、一定の装甲貫徹力がある。全車種とも最大時速は25キロ程度、乗員は2。
装甲は以外と厚く、最大40ミリほどある。
西ユーラシア製戦車は、最大時速は45キロから80キロ、装甲は長砲身47ミリ砲の近距離での直撃に耐抗できる。
半田千早たちは、4輌のバギーLで救世主が自動車化部隊と誤認しているグループの護衛についていた。
部隊規模を大きく見せるために、本格的な不整地走行には不適な4輪駆動のバスまで投入しており、もし追撃されたら不測の事態も考えられた。
半田千早は、愛車バギーSの修理が終わらないことから、新規に配備されたバギーLを借りてきた。
2ドアと4ドア、ホイールベースが長いだけなのだが、走破性能はバギーSが格段に勝る。だが、車内スペースが広く、4+1の乗車定員は魅力だ。長距離の移動や長期間の作戦では、バギーSと比べて格段に勝る。
出撃の直前、バルカネルビに戻ってきたキュッラが無理矢理乗り込んだ。
彼女はまだ12歳。軍事作戦に参加できる年齢ではないし、その訓練も受けていない。
各車は無線で連絡を取り合っている。東に20キロ移動してから、5キロ南下し、Uターンして北に向かう。北上する理由は、戦闘を回避し、戦場を離脱するためだ。
この部隊は、完全な陽動なので、トラックとバスに戦闘力はない。
半田千早は、拳大の石が散らばる土漠を時速55キロで走る。
「みんな!
もしかしたら、救世主が誘出されるかもしれない。救世主は、とにかく“手柄”が大好きなんだ。殺したヒトを山のように積み上げて、その前で記念撮影したりする。
私たちとは心の構造が違うんだ。
それと、私たちを“野生のヒト”と見下している。こっちからすれば、おまえたちなんか“家畜化されたヒト”じゃないか、って言い返したいけど、この荒野の真ん中じゃ、それもできない。
戦死なんてもってのほかだけど、捕まったら何をされるか、もう知っているよね。
救世主との戦いは、絶対に負けられない。
もし、こちらの予想に反して、救世主のごく一部でも誘出されてしまったら、バギーLで迎え撃つ。
トラックとバスを逃がすまで、足止めする。絶対に逃げない!
いいね!」
キュッラは震えていた。救世主の恐ろしさはよく知っている。貴族の残忍さ、貴族以外の冷酷さ、そのどちらも見ている。
バルカネルビの大人たちが態度を決めないから、キュッラはバギーLに乗り込んだ。キュッラ以外の子供たちも、戦う覚悟を固めている。
「前方に土煙!
停止だぁ!」
隊長車が止まると、全車が停止する。
半田千早は運転席にいたが、彼方にあるという土煙がなんなのか、わかっていた。
銃塔のオルカが双眼鏡をキュッラに渡す。
「チハヤ、例のトラックだ。何も見えないけど、間違いない。
テクニカルって言うんだろ。
小型トラックの荷台に機関銃を積んでいる武装車輌のこと……。
間違いなく、あれだ」
半田千早は一瞬躊躇ったが、彼女はオルカと同意見だ。
「隊長!
千早です。
速度から推測して、救世主の武装トラックです。機関銃を搭載しています。高速移動が可能なので……」
その先を言わなかったが、数多の輸送任務を経験している隊長は、半田千早の判断を良とした。
「よし、野郎ども、逃げるぞ!
北に向かって全速退避だ!」
4輌のバギーLは、車列の東側に集まる。本隊からやや離れ、車列最後部よりも南にいる。
「救世主のピックアップトラックは、元世界のイギリス製ハンバートラックによく似ている。ノイリンに同型があるので、たぶん第1世代がこの世界に持ち込んだものを、コピーしたんだと思う。
厄介なのは原型車とほぼ同じ性能を発揮すること。つまり、性能がいいってこと。
機関銃は、カンガブルが作っているルイス軽機の弾違い。救世主は7.7ミリのビッカース弾を使っている。
47発パンマガジン以外に96発の大容量弾倉もある。
十分に注意して!」
半田千早の説明に、誰からも応答はない。ドラキュロに囲まれて生きている西ユーラシアのヒトには、油断という感性はない。もしあるなら、その個体はとうに死んでいる。
半田千早が危惧していた通り、救世主の武装トラックは徐々に接近している。
半田千早は、迎撃も考えていた。あと、2時間追跡されれば、車列の最後尾は機関銃の射程内に入る。
彼女だけでなく、誰もが対処に迷っていた。
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