148 / 213
第5章
第145話 選帝侯
しおりを挟む
辺境伯の場合、ブリッドモアやカリーの人物像はなかなかわからなかった。捕虜は両人を褒めるが、業績というか、行為を語るだけで人柄はわからない。
対して、選帝侯とその一族については、会敵する前からよくわかっていた。
誰に対しても残虐。恐怖で領地を支配する。ヒトが考え出した、ありとあらゆる非道を行う。
特に女性たちの怒りを買ったのが、初夜権だ。本来は初夜にあたっては花嫁と領主がベッドをともにするという非道な権利だが、選帝侯領では代官が領主の代わりを務めていた。
選帝侯の統治の基本は、民衆に与える屈辱と恐怖。民衆が絶望していれば、反乱は起きない。これが歴代選帝侯の考えだ。
ある花嫁は代官の屋敷から村に戻ると、彼女の夫となるべき男が串刺しにされていたとか。花婿がわずかな抵抗を顔に示したことから、国法に異議を唱えたとして、串刺し刑に処せられた。
こういったことは頻繁にあったし、代官の配下がおもしろ半分で民家を襲い妻や娘が拉致されるようなことは日常的にあった。
これも、統治の仕組みの1つだった。
軍隊は古くから、武力制圧地や戦場において、非武装の民間人に対して、略奪、暴行、殺害、強姦を組織的に行ってきた。これは、占領地を掌握する手法の1つだ。
生半可に使うと民衆の反感を買うが、徹底すれば押さえ込める。
永遠に、ではないが……。
この時点で、湖水地域、西アフリカ、西ユーラシアの各勢力は、何となく「選帝侯軍は、徹底殲滅でいい」という雰囲気ができてしまっていた。
辺境伯軍は徴兵された民衆で編制されていたが、選帝侯軍は職業軍人が主体になっていることも、この判断に影響している。
つまり、「本職の兵隊なのだから、死ぬ覚悟はできているはず」との考えだ。
ヴィルヘルム選帝侯は驚いていた。
辺境伯軍本営があるはずの場所には、何もなかったからだ。戦闘の痕跡もない。
蛻〈もぬけ〉の殻、だ。
戦闘開始は偶発的だった。北側側面に回り込もうとしていたクマンの戦車隊を、選帝侯軍戦車隊が辺境伯軍戦車隊と誤認したのだ。
誤認したまま、選帝侯側は見過ごせばよかったのだが、辺境伯軍の行方を捜していたことから、少数の車輌でクマンの戦車隊を追跡。
接近されたクマンの戦車隊が、条件反射的に迎撃。
こうして、選帝侯軍との戦闘が始まった。
選帝侯軍は、クマンの戦車隊を“有力な部隊”と誤認して、北に誘引される。
その隙を突いて、水上航行が可能な装甲車輌と歩兵を乗せた河川舟艇がニジェール川を下って、選帝侯軍の南側に上陸する。
背後をとられた選帝侯軍は、慌てて西のココワに向かう。
その間にクマンの増援が北に向かい、選帝侯軍は南北から圧迫される体勢となった。
選帝侯軍によるココワの東正面への総攻撃は、1時間ほどで頓挫する。
バルカネルビが送り込んできた、120ミリ自走迫撃砲が激しい移動弾幕射撃を加えたのだ。
81ミリ迫撃砲や現地製造の黒色火薬を推進剤とするロケット弾まで投射して、徹底的に叩く。
最後は、戦車を先頭に湖水地域の義勇兵による掃討が始まる。
ヴィルヘルム選帝侯は、何度も「こんなはずじゃない」と呆けたように呟いている。
すでに嫡男は戦死。次男は両足を失い、三男は意識不明の重体。医師によれば、次男と三男は助かる見込みがない。
彼の子で最も鋭敏な次女は、撤退を具申している。ヴィルヘルム選帝侯は、彼女が庶子でなければ、相応の処遇にできたものを、と常々残念に思っていた。同時に、切れ者である彼女が男でないことに安堵していた。
「父上!
撤退のご命令を!」
次女の言葉は聞こえているが、この状況を劇的に転換できる策が彼にはあった。
「この砲声を聞き、辺境伯軍が援軍に現れるはず。
さすれば、攻守は一瞬にして逆転となる」
次女は、迫撃砲弾の着弾音にかき消されぬよう大声で言った。
「何をバカげたことを!
辺境伯軍など、どこにもおりませぬ。
敵に下ったか、あるいは寝返ったか!」
選帝侯はジロリと次女をにらむ。絶対権力者の父親を“バカ”と呼んだのだ。
次女は殺されると思った。
瞬間、彼女は父の腹を刺していた。正確に横隔膜を斬り裂く。
そして、短剣を抜き、父親の頸動脈を斬った。
その様子を、多くの幕僚が見ている。
「父上は、壮絶な戦死を遂げられた。
世継ぎたる兄上は戦死、2人の弟は負傷している。
これより、私〈わらわ〉が全軍の指揮を執る。
よいか!」
幕僚たちに異存はない。嫡男は、砲撃に怯えて右往左往した上で戦死。両足を失った次男は、犯される女のように泣きわめき、三男は勇猛な言葉とは裏腹に、砲撃に怯えて1歩も動けなかった。
幕僚にとって、この死地から脱出させられる指揮官は次女以外にいなかった。
かつて、ヴィルヘルム選帝侯は、「アルベルティーナが男であったら、元服の前に殺している」と愛妾に語った。彼の愛妾は、次女アルベルティーナの養母である。
養母は娘に実父の言葉を伝えていた。
アルベルティーナは、東に向かって脱出すべく、全軍に命令を発した。
「戦車隊を2隊にわけ、1隊は追撃してくる敵を迎え撃ち、1隊は東への退路を啓開する。
歩兵と非装甲の自動車隊は甚大な被害を受けているが、厚い装甲に守られた戦車隊は無傷に近い。
この死地を切り抜けるぞ!」
ララは、上空の警戒にあたっていた。救世主の戦闘機を監視している。
まもなく砲撃が終わる。そうすれば、ノイリン、コーカレイ、クフラック、カラバッシュの航空部隊が対地攻撃を始める。
ララは、東70キロの地点に荷馬車が集結していることを知っていた。親友である半田千早を含む軽車輌部隊と若干の自動車化歩兵、そして少数の装甲車が荷馬車を“守って”いる。
そんな脆弱な部隊に、戦車20輌が向かっている。
半田千早はララからの無線を傍受していた。
「ララからの情報だと、撤退を始めた敵の前衛は60キロ以上離れている。
ここには、3時間から4時間はかかる。
馬車を北に移動させられるなら……」
カルロッタが遮る。
「チハヤ、あのヒトたち動かないよ。
絶対に。
家族を人質にされているんだ」
半田千早は反論できなかった。
「各車長、集まれ」
命令に従い、半田千早は1トン半トラックの前に向かう。
「説得したが、馬車のヒトたちはここに残るそうだ。
選択肢は2つ。ここに残り戦う。ここを離れる。
我々が離れても、いくら敗残の兵であっても、自国民は殺さないだろう」
クマンの隊長が異を唱える。
「ここを離れることに異存はないし、ここで戦うことにも反対はしない。
だが、俺たちが守らないと、彼らは死ぬ。
撤退に馬車は足手まといだ。
もっとも甘い見方は、馬車と荷を焼き、ヒトは見捨てる。
次は、馬車と荷を焼き、彼らを殺す。
最悪は、馬車と荷を焼き、彼らを盾にする。
どのみち、殺される」
湖水地域出身の歩兵隊長が瞑目してから、息を吐く。
「彼らはここで死ぬことを覚悟している。
家族のためにね。父親と年長の息子や娘のために……。
そんなヒトたちを見捨てたら、寝覚めが悪い。戦場での武勇を語るつもりはないが、妻子に言えぬ恥になることはしたくない」
隊長は頷いた。
「ここで戦おう。
俺たちが、選帝侯軍を叩くところを見せれば、彼らの気持ちも変わる、かもしれない。
車輌に積んでいるRPGは全部出してくれ。
それと、迫撃砲も。
塹壕掘りも手伝って欲しい。
装砲車を埋める。
砲塔だけ地面から出して戦う」
軽車輌隊は、側面や背後を突いて、攪乱する任務に就く。
戦車とは真正面から撃ち合えない装甲の薄い装輪装砲車は、砲塔より下を穴に入れ、歩兵は個人塹壕、いわゆる蛸壺を掘った。
カルロッタとキュッラは陣地に残り、歩兵として戦う。
隊長は、必死で「航空支援を乞う」とララに伝えた。
ララは必ず戻ってくると約束してくれたが、その約束ほど当てにはならないことも知っていた。
飛行場は混乱している。
全機を再度爆装し、機関銃弾を補充し、燃料を補給するのに手間取っていた。
装甲部隊も同様で、燃料と砲弾・銃弾の補給に手間取っている。
選帝侯軍に対する追撃が始まってはいるが、打撃力は小さかった。
バンジェル島から派遣された部隊は、独自の段列を持っていた。
段列は後方支援のための軍事的な組織だ。バンジェル島の戦女神、半田千早の養母である城島由加は、寄せ集めの湖水地域の部隊では、必ず補給の問題が起きると考えた。
彼女が編制した部隊は、小規模だが、独自の段列を持つ、諸兵科連合部隊だった。
他隊が補充・補給に苦悩している最中、バンジェル島から派遣された部隊だけは、補給と修理を終え、真っ先に再出撃していく。
半田千早は、双眼鏡で西から東に向かう友軍を見ていた。
「オルカ、あれはバンジェル島の部隊だね」
「チハヤのお母さんの部隊ってこと?」
「うん」
「自走迫撃砲だね」
「そうだね。
オルカ、自走砲だけじゃないよ。装甲兵員輸送車もあるから、歩兵も随伴しているんだ」
「歩兵戦闘車もいるよ」
「すごいよ。
ちょっとした装甲部隊だ」
「チハヤ、ララは来てくれるかな?」
「どうかな?
ララがそう思っても、そうはならないのが戦場だよ。
私たちはできることを頑張ろう」
半田千早たち軽車輌部隊は、北側面から一撃離脱の戦法で、何度も選帝侯軍を攻撃する。
機関銃と手榴弾が主要な武器で、徒歩で逃げる選帝侯軍歩兵にとっては、悪魔の襲撃に等しかった。
ララとコーカレイの4機は、爆弾を搭載せずに離陸した。ララのウルヴァリンは12.7ミリ機関銃2挺だけ。コーカレイのエアラコブラは、12.7ミリ機関銃2挺と20ミリ機関砲弾を補給しただけだ。
ウルヴァリンは機関銃弾がつきるまで地上攻撃を続け、エアラコブラは高初速20ミリ機関砲によって、戦車の上部装甲板を貫通させていく。
戦車が次々と擱座し、選帝侯軍の殿〈しんがり〉が瓦解していく。
半田千早は、紫の派手な軍旗を見つける。車体前部はいつものピックアップトラックだが、ライトバン風のボディが架装されている。
その車輌の最後部に軍旗がはためく。
「オルカ、あの旗を殺るよ」
ライトバンから、小銃や拳銃で反撃してくる。オルカは、ライトバンの背後に回り込み、リアウィンドウを破壊。バギーLが左に出て並走すると、オルカは車体側面に向けて、戦場にあっては長時間である30秒間、機関銃弾を撃ち込んだ。
タイヤが破壊され、エンジンも止まる。ライトバンが停止すると、軍服に飾緒を着けた女性が右側の後部ドアを開けて、逃げていく。
オルカは逃がすまいと、機関銃を発射して阻止しようとするが、運悪く弾帯が切れ、取り逃がした。
「チハヤ、惜しかったよ。あの女、絶対高級将校だよ」
「オルカ、走らせればいいよ。自分の脚で走れば、ダイエットにもなるし……」
アルベルティーナは激怒していた。
誰に対してか?
もちろん、ことの理、世の中の仕組みを解さない野蛮な“野生のヒト”に対してだ。
貴族に対する崇敬の念が欠片もない。許されることではない。ヒトの形をしているだけの醜い獣は、滅ばさねばならない。
アルベルティーナは、全軍を集結させたかったが、その方法がない。兵は東に向かって必死で走り、彼女も走っている。
殿を務めていた戦車は、歩行の兵を置き去りにしていく。
明らかに敗走状態なのだが、彼女は反撃を諦めてはいなかった。
120ミリ自走迫撃砲が砲撃を再開する。
半田千早たちは味方の砲撃から逃れるために、北に移動する。
前方を走るクマンの武装四駆は、ピックアップトラックを改造したものだ。
爆炎の中では、車体形状は見分けにくい。オルカが逃した飾緒の女性が、クマンのトラックを止めた。
そして、何と荷台に乗り込んだのだ。
独立遊撃隊12輌は、戦場の北25キロに再集結した。
半田千早とオルカのバギーLは、集結の最後になった。
隊に失った車輌はなく、負傷者は4人。重傷1人。タイヤを交換しないと、これ以上走れない武装四駆が1輌。ラジエーターに被弾した車輌が1輌。完全にフロントガラスが割れて脱落した車輌が2輌。
そして、横隊で並んだ12輌の前に、身体の前で両手を縛られた、飾緒付き焦げ茶の軍服を着た女性が座らされている。
オルカが「この子、誰?」と問うと、クマンの隊員が「おまえがブッ壊したバンに乗っていた」と答える。
半田千早が「なぜ、捕虜にしたの?」と尋ねると、別の隊員が「俺たちを味方のトラックと間違えたんだ。自分から乗ってきた。おめでたいネェーちゃんだよ」と皮肉な笑いを投げる。
女性は20歳代前半に見える。
半田千早が見下ろすと、女性は「殺せ、殺せぇ~!」と怒鳴った。
全員が大笑いする。
オルカが跪き、女性に自分の顔を近付ける。
「私たちは、あなたたちと違って、抵抗できないヒトを殺したりしない。
でもね、ぶん殴るくらいは許される!」
オルカは強烈な右フックを食らわせた。
きれいに殴り終わったあと、半田千早がオルカを羽交い締めにする。
「オルカ!
捕虜の虐待は命令違反だよ!」
くさい小芝居に隊員たちがゲラゲラと笑い出す。
隊長が「静かにしろ!」と笑いながら、オルカの肩に手を置く。おふざけは終わりだ。
「捕虜のお嬢さん。
彼女はオルカ。
あんたたちが襲った村の生き残りだ。
どういう殺し方をしたか知っているか?
オルカがおまえを殺しても、俺たちは彼女を庇う。喉をかき斬っても、頭を叩き潰してもオルカが罪に問われることはない。
オルカがそれを行っても、だれも証言はしない。ここは戦場。何でもありだ。
そして、おまえを殺しても、それを咎める精霊はいない」
「私は貴族だ。
貴族の生命は尊いもの。おまえたちの生命など、10や20集まったところで比べられるものではないのだ!」
半田千早のズボンは、右膝が裂けていた。裂け目は時間を追って大きくなり、いまでは膝小僧がむき出しになっている。
対して、捕虜の女性は、きらびやかな飾緒と左胸に勲章の略章と思われる色布を縫い付けている。色布は3段にもなる。
2人の着衣は、対照的だった。
「こいつの軍服だけど、かなり仕立てがいい。本物のウールみたいだし。
同等の軍服を着た女を、最近見たよ。
その女はブリッドモア辺境伯の娘だと名乗った」
捕虜が半田千早をにらむ。
「マーガレットを知っているのか?」
オルカが確認する。
「チハヤが斬った女だね」
「うん」
捕虜の目が泳ぐ。
「マーガレットを殺したのか?」
半田千早は動じない。
「戦場で、敵として出会えば、どちらかが死ぬことになる。
私が生き残り、ブリッドモア辺境伯の娘が死んだ。
事実はそれだけだ。
……で、おまえは何者だ」
捕虜は名もなき兵として死ぬことは嫌だった。
「私〈わらわ〉は、ヴィルヘルム選帝侯の娘アルベルティーナじゃ。
我が首級を上げ、報償を得るがよい」
隊長が諭す。
「俺たちには、ヒトの首をはねて報償を得る制度はない。そんな習慣もない。
それと、おまえは利用できそうだ。
情報の連中が喜ぶ。
だから、殺さずに連れて帰る」
クマンの兵があり合わせの紐で彼女の手を縛っていたが、隊長の命令で戒めが解かれる。
彼女は自信満々で立ち上がるが、やはり隊長の命令で、今度は結束バンドで縛られる。
「紐は解けることがある。
だが、こいつを外すことは簡単じゃない」
またまた全員が大笑いする。
アルベルティーナはなぜか、怒りよりも恥ずかしさのほうが強かった。
指揮官を失った選帝侯軍は脆かった。
手ぐすね引いて待ち構える選帝侯軍輸送隊を保護した小規模な部隊と、西から攻める戦車、自走砲、戦闘車、装甲車、歩兵を乗せたトラックの混成部隊に挟まれて、多くが武器を捨てて自ら捕虜になった。
戦闘は散発的で、選帝侯軍の戦車を含む車輌数輌が炎上し、歩兵多数が死傷して、戦闘は終結した。
選帝侯軍将兵は降伏の仕方を知らず、混乱はあったが武装解除は短時間で終わった。
半田千早たち独立遊撃隊は、戦場から大きく離れていた。
燃料と水が不足していたが、機関銃弾は当面の必要数は保有している。
12輌で26人。重傷が1人だが、生命に別状はない。野戦病院に指示を仰ぎ、モルヒネを注射して痛みを止め、静かに眠っている。
野戦病院が派遣してくれる救急車を待つため、日陰がある風通しのいい場所を探して、半田千早とオルカのバギーLを先頭に縦隊で西に向かっている。
「チハヤ、あれ何だろう?」
「廃村みたいだね」
オルカは銃座から降りて、隊内無線で「前方5キロ、廃村らしき家屋数軒を発見」と他のバギーLに伝える。
クマンの武装四駆は無線を装備していない。
村ではなかった。建物は1棟だけで、日干しレンガで造られ、焼成レンガで外壁を飾った、崩れた塔と大きな平屋がある。この平屋も崩れている。屋根はなく、梁であったのだろう、乾燥した木材が地面に転がっているだけ。屋根材は見当たらない。外壁の一部が崩れ、部屋の区画が多数の家のように見せていた。
ターフを広げて、日陰を作る。そこに負傷者を集めた。捕虜もここに置く。
救急車は2時間ほどで来てくれる。彼らは、戦闘が終わったことも知っていた。
円塔の内部には焼成レンガ製の螺旋階段が残っており、5メートルほどの高さまで登れる。
隊長は、ここに監視所を設け、隊員2人を配置する。
「北から南に向かう車輌、多数」
無線を聞いた全員が慌てた。
半田千早は浅く眠っていて、無線の声に飛び起きた。
オルカが背伸びをして、壁から頭を出そうとする。それを隊長が咎める。
女性隊員の1人が核心を突く。
「あれは、ウォーカーブルドッグだ」
半田千早も彼の判断に賛成する。
「ちょっと砲身が短いみたいだけど、間違いなくウォーカーブルドッグだね。
それと、ダスター。
ボフォースの40ミリ機関砲2連装なんて、ヤバすぎるよ」
隊長が問う。
「それじゃ、2人に聞くが、あの前輪がタイヤ、後輪が履帯の装甲車は何だ?」
女性隊員が答えた。
「ハーフトラックだよ。
sd.kfz.251によく似ている。
多分だけど、ソ連の装甲車の後輪を履帯にしたんじゃないかな。履帯は、ケグレス式だと思う」
半田千早が追認する。
「って、ことは、履帯はゴム製だね」
隊長が双眼鏡を覗きながら、質問を重ねる。
「で、やたらと詳しいお2人さん。
あれから逃げられるか?」
隊員が答える。
「無理だね。
この地形だと、70キロは出るよ。
それに、76.2ミリ砲弾よりも速くは走れない」
隊長は、冷静だ。
「連中は俺たちに気付いている。
それは間違いない。
だが、戦力は測りかねているだろう。
利口なら、迂闊に手は出してこない。
で、もし知っていたら教えてくれ。
あの連中は何者だ?」
独立遊撃隊の眼前の部隊は、明らかに装甲部隊だ。戦車、対空自走砲、装甲兵員輸送車で編制されている。戦車×4、対空自走砲×2、半装軌式装甲兵員輸送車×6だ。
隊長が無線を使う。
「正体不明の装甲部隊と接触。
TK×4、AW×2、APC×6。
救世主とは異なる装備。
TKはM41、AWはM42、APCはBTR-152に類似と思われる。
現在位置から動けない。支援を要請する」
半田千早が驚く。隊長の詳しさに……。
その場の数人が目で問う疑問に隊長が答える。
「俺は、南西地区の情報担当だったんだ。
クフラックが廃墟だった頃、そこに多数の元世界製車輌が隠されていたことはつかんでいた。
それらが行方不明になっていることも、知っている。
それと最近の北地区の見解だが、集められた時期と行方不明になった時期は、数百年前だとか。
それが本当なら、その車輌の子か孫が俺たちの眼前に現れた……、とも思えるんだが……」
半田千早が動揺する。
「それって、結構ヤバくない?」
隊長は、それには答えなかった。
「ダスターが邪魔だ。
他はどうにかなる」
クマンの兵士たちが、ガソリンとエンジンオイルを混ぜてビンに詰め、火炎瓶を作った。
RPG-7はまったくない。この火炎瓶だけが、対戦車兵器だ。
12対12のにらみ合いは、1時間を超える。
そこにMi8中型ヘリコプターが飛んで来た。
「ヘリだ。
救急隊のヘリだ!」
誰かの叫びで、全員が低空を見る。
低空から接近するヘリコプターは、爆音が聞こえにくいのだ。
ヘリは危険なほど、彼らの直近に着陸し、救急隊員1人を降ろした。
「負傷者は?」
隊長が走り寄る。
「ヘリが来るとは思わなかった!」
即製の担架に乗せた重傷者と軽傷者3人、そして捕虜が運ばれてくる。
オルカが走り寄る。
「隊長、連中が騒いでいるみたい。
ヘリを見て、驚いたんだ」
負傷者と捕虜を乗せたヘリコプターが離陸すると、戦車各車の砲塔上にヒトらしき姿が立ち上がり、双眼鏡で動きを観察している。
指差したり、両手を広げたり、身振りが激しい。
彼我の距離は800メートル。戦車砲ならば、近距離射程だ。
半田千早は、眼前のM41がオリジナルと違うことに気付く。
「隊長、M41だけど原型とは違うよ。
特に砲塔。M24に似た防盾が付いている。
砲身長は75ミリ級なら55口径くらいありそう。
それとM42のほうだけど、L60じゃなくてL70っぽい。
どっちも厄介だよ。
白魔族は、ヒトの作った道具を改良しないらしいけれど、とすれば彼らはヒト?」
例の女性隊員が同調する。
「ヒトだと思う。
でなければ、ホモ属の新種……」
隊長は、すでに決断していたし、クマンの兵を含めて、彼の意向は浸透していた。
だが、彼は改めて命じた。
「戦車をともなう正体不明の部隊は、おそらく救世主でも創造主でもない!
だが、味方でもない!
我々は明確に攻撃されない限り、反撃しない。
こちらからは撃つな!」
にらみ合いはヘリの離陸後も30分続く。
そして、戦車を含む12輌の装甲部隊は、踵を返して北に向かった。
半田千早とクマンの車長が隊長に呼ばれる。
「追えるところまででいい。
轍を追ってくれ。
接近しすぎないように。
1時間以上の時間距離を開けろ。
深追いはするな。向かった方向だけでいいから、情報を持ち帰るんだ」
半田車とクマンのランカス車の損傷が少ないことから、この2車が選ばれた。
ランカスにはトランシーバーが渡された。それと救急ヘリが持ってきた、RPG-7もある。
轍は真っ直ぐに北に向かっている。2時間走ると、北に低い丘陵が見えてきた。周囲よりも最大で100メートルほど高いだけの丘の連なりだが、東西に視界一杯に広がる。
半田千早が停止する。無線は使わない。傍受を恐れて、無線封止している。
ドアを開け、大声を出す。
「まもなく陽が沈む。
ここでキャンプしよう。
焚き火はできない。灯火管制を厳しくする。
追跡されていることが知られると、私たちが危ない」
ランカスが頷く。
この水のない土地で、大型の走行性二足歩行ドラゴンを何回も見ている。体長15メートルに達するティラノサウルス級のドラゴンがいた。知られている限り、非飛翔型では最大級だ。
草食性半二足歩行ドラゴンの群も見た。
半田千早が「植物がないのに、なんで草食が群でいるんだろう」と問うと、オルカが「塩だよ。ドラゴンは土に含まれるミネラルを求めているんだ。ここは、餌場でも狩り場でもない」
深夜、ランカスが半田千早に話しかける。
「近いな」
「そうだね。夜のほうが、相手が見えるなんて」
「盛大な焚き火だ。
ドラゴン除けだな。
ドラゴンは昼夜関係なく、捕食行動する。
だけど、俺たちは焚き火も、ドラゴン除けのガソリン撒きもなしだ。
今夜は眠れないな」
ドラゴンに対する恐怖から、5人はほとんど眠れなかった。太陽が昇り、視界が確保されると、極度の緊張が解け、危険な眠気が襲ってくる。
半田千早たちは、正体不明の装甲部隊に接近しすぎていた。
焚き火を目標にした夜間の観測では、3キロ強と推測している。
距離を広げるため、あと4時間は、ここに留まることになった。
翼を広げた巨大な生き物が、地上から5メートルの超低空で無音で滑空してくる。
最初に気付いたオルカが「ドラゴンだ。対空戦闘用意!」と叫ぶ。
地面に座り、携行食のフルーツバーを食べていた半田千早は、反射的にバギーLの車内に飛び込みエンジンを始動させる。
ランカス車が動き出し、半田車はその後を追った。
飛翔性ドラゴンに出会ったら、逃げるよりも、突進したほうがいい。徒歩では無理な作戦だが、ドラゴンは意外とビビリなので、向かってくる相手を再攻撃することは少ない。
むしろ、逃げると追う習性がある。
ランカス車は全速で北に向かう。腹の下を潜り、車載機関銃とRPG-7を発射するつもりだ。
ドラゴンは、正体不明の装甲部隊に火炎を放射している。不意を突かれたためか、対空戦車は発射していない。小火器が散発的に抵抗しているが、それではドラゴンの攻撃を阻止できない。
ドラゴンの火炎は、メタンを燃料にしている。西ユーラシアのドラゴンは、口から火炎弾、総排泄口から火炎放射するが、サブサハラ付近のドラゴンは口から火炎放射する。
射程は長く、翼を展張して10メートル超の個体だと200から250メートルに達する。
ドラゴンは接近する半田車とランカス車を警戒して、攻撃を仕掛けてきた。
ランカス車からRPG-7が発射される。半田車はオルカが銃塔からRPG-7を発射。続けて、銃塔のMG3機関銃を発射し続ける。
ランカス車のロケット弾は首筋に命中、オルカが放ったロケット弾は右の翼にあたった。
西ユーラシアのドラゴンなら、確実に落ちる。だが、サブサハラのドラゴンは、平然と飛んでいる。
幸運にも、再度の攻撃はなかった。
ランカス車が急制動をかけ、砂の乗った固い平滑の地面を真っ直ぐ滑る。
半田千早は、ゆっくりとブレーキを踏む。
正体不明の装甲部隊とは、1キロしか離れていない。
戦車の砲塔上で、大柄な男がゆっくりと挙手の礼をする。
半田千早は答礼すべきとは思ったが、車内に留まった。
オープントップのランカス車では、クマン兵2人が立ち上がり、答礼している。
半田千早はランカスに提案した。
「戻ろう。これ以上は、燃料が心配になる。頑張って走れば、ココワ北の集結地まで今日中に戻れる」
ランカスは、受け入れた。
ココワ北の集結地はたいへんな騒ぎになっていた。捕虜は3000から4000に達し、彼らに食べさせるための食糧確保だけでも、たいへんな労力になる。
そこに、保護した選帝侯領の農民が加わる。その数は1000を超えそうだ。直近は彼らが運んできた食料でまかなうが、1週間程度でなくなってしまう。
集結地の司令官はクマンの軍務官僚であるブーカで、司令部に出頭すると「チハヤ、命令が届いている」と命令書を手渡された。
その命令は彼女が所属する銃器班から出された“業務命令”で、「バルカネルビの商館に出頭せよ」だった。
翌日、半田千早たち4人は、バギーLでバルカネルビに向かった。
バルカネルビでは、ララの母親で商館の筆頭書記であるミューズが待っていた。
彼女からも命令書が渡される。その命令書には、「ノイリンに帰還せよ」とあった。
命令書はノイリン北地区行政府が発していたが、命令そのものは中央行政府から出ていた。
商館の駐車場で待つ、カルロッタ、オルカ、キュッラのもとに向かう。
「ノイリンに帰って来いって」
彼女の話に、3人は無反応だった。いままでも何度か、彼女はノイリンに帰っている。だが、今回は違った。
「中央行政府からの命令なんだ。高等教育を受けるように……って。
2年か3年は戻ってこれないよ。
銃器班の命令なら絶対無視してやるし、北地区行政府からならゴネてやる。
でも、中央行政府からじゃ、どうにも……」
カルロッタが「チャンスじゃない」と賛意を示し、オルカは「私はここで待っている」と背中を押す。
しかし、キュッラは違った。
「私も行きたい!
ノイリンの学校に行きたい。
勉強してみたい!」
翌日、半田千早はミューズと面会し、キュッラのノイリン行きを頼み込んだ。
「ミューズさん、お願い!
キュッラがノイリンに行きたがっているの。
北地区の許可を取って!」
ミューズは北地区の元出納係で、北地区選出の前中央議会議員でもある。北地区行政府と中央議会には太いコネがある。
それに、無役であっても北地区の大幹部だ。
キュッラのノイリン行きは、半田千早の出発までに許可されなかった。
何しろ、バルカネルビ帰還から、ノイリン行き輸送機搭乗まで3日しかなかったのだから……。
しかし、ミューズは、キュッラを搭乗者リストに加えさせた。
「滞在許可と就学許可は、ノイリンの飛行場でもらえばいいの」
彼女は論理と秩序を重んじる精霊族とすれば、かなり強引な性格だ。ヒトと長く暮らし、ヒトに似てしまったのだ。
輸送機の中は、いろいろなヒトが乗っている。戦場から戻る男女も少なくない。半田千早とキュッラの埃まみれの迷彩服でも、違和感はない。
しかし、ノイリンの飛行場は違った。彼女が発ったときにはなかったターミナルが完成していて、ちょっと華やかだ。
キュッラは気後れしてしまい、半田千早の手をギュッと握った。
2人を出迎えたのは、マーニの兄、チュールだった。キュッラはさわやかなイケメンで、凄腕のガンマンであるチュールに話しかけられ緊張してしまう。
この頃、家族は、居館近くのレンガ造り3階建てに住んでいた。半田・城島、金吾・珠月、金沢壮一・ルサリィの家族がワンフロアずつ使っている。
いつでも帰れるよう、遠くにいる家族の部屋はそのままにしたあった。一番幼い翔太を母親の部屋に移し、翔太の部屋をキュッラにあてた。
水口珠月がキュッラのために、女の子らしい部屋に模様替えした。
キュッラの衣服を用意し、学用品を揃え、彼女が落ち着いて、学校に行けるようになるには1週間を要した。
初日は緊張からくる不安で、元気がなかったが、3日目には「行ってきま~す」「ただいま~」が元気な声になっていた。
キュッラは同い年の健太とすぐに仲良くなり、ゲームと自転車に夢中になり始める。自転車は半田千早のマウンテンバイクだが、彼女の留守中に健太が奪っていた。
健太は右足膝十字靱帯を損傷しており、同じ足のアキレス腱も断裂している。完治はなく、回復しても歩くことには支障がないものの、速く走ることは無理。
この世界で生き残るには、厳しい身体条件になってしまった。
彼は10歳頃から須崎金吾と水口珠月にプログラミングを教わり始め、いまでは貴重な技術戦力だ。
12歳にして、特別労働許可を持つ。つまり、若年ではあるが、どうしても“働いてもらいたい要員”なのだ。
キュッラの新しい家族は、彼女にとって刺激的で破天荒なメンバーだった。
キュッラは学校の授業で、中央議会の公聴会を見学に行った。
偶然だが、半田千早が証言する場に立ち会う。
公聴会の委員長が半田千早を質す。彼女は黒のパンツスーツを着ており、それはキュッラが知らない彼女の姿だった。
「チハヤさん、あなたはサブサハラと呼ばれている北アフリカの一画で、正体不明の武装集団を見た、と報告していますが、それは確かですか?」
半田千早の声は、凛としていた。
「はい。
湖水地域の北60キロ付近で、戦車4輌、対空自走砲2輌、半装軌式装甲兵員輸送車6輌の計12輌を見ました。
傍聴席にいるキュッラは見ていませんが、彼女は私以外の目撃者の証言を聞いています」
キュッラは、自分の名が重々しい雰囲気のの議場で響いたことに驚き、慌てた。
彼女は思わず立ち上がり、「その部隊のこと、私も聞いたよ!」と言ってしまった。多くの視線が注がれ、議場がざわつく。
委員長が「静粛に。傍聴者の不規則発言を禁じます」と宣した。
キュッラは悪いことをしてしまったかと思い泣き出しそうになったが、半田千早を見ると笑っていたし、多くの議員や傍聴者もキュッラを見る目が優しかった。
「チハヤさん。
そのアンノーンは、ヒト……ですか?」
「わかりません。
ヒトかもしれないし、ヒトじゃないかもしれません。
ですが、彼らは去り際、挙手の礼をしました。軍人みたいな……。
少なくとも、当地で創造主と呼ばれている白魔族ではないと思います」
「会話は交わさなかったのですか?」
「はい。見つからないように追跡していたので……」
「見つかってしまったのですか?」
「はい。
当地には大型のドラゴン、特に走行性のドラゴンが多いのですが、そのときは飛翔性ドラゴンに襲われました。
定石通りの対応をしたところ、その装甲部隊に接近しすぎてしまいました」
「ほう、有翼のドラゴンですか?」
「はい。
翼を展張すると15メートルはありました。
首筋と翼にRPGを命中させましたが、落ちませんでした」
議場がざわつく。RPG-7の弾頭を2発命中させても、落ちないドラゴンなど西ユーラシアには存在しない。議長自身が周囲の議員と議論している。
ざわつきが収まっていない。
「チハヤさん。
それは野生のドラゴンなんですね?」
「わかりません。
鱗が宝石のように光っていました。あんな鱗のドラゴンは見たことがありません。
生物兵器である可能性は否定できません」
「アンノーンとドラゴンの関係は?」
「委員長、そして議員のみなさん。
そのドラゴンは、装甲部隊を襲いました。
口から火炎放射しました。
総排泄口からではなく……」
議論と質問は2時間以上続いたが、議長は締めに入る。
「チハヤさんの証言を加味すると……。
北アフリカ内陸には、湖水地域のヒト、救世主と呼ばれる遺伝子操作されたヒト、白魔族、謎の武装集団、ドラゴンを操る何か、現状でわかっている範囲ですが、5つの勢力がいるかもしれない、のです。
私たちは、これを前提に政策を決めていかねばなりません。
以上でハンダチハヤさんの公聴会を終わります」
議長の結論は、半田千早に衝撃を与える。
彼女は「早く北アフリカに帰りたい……」と呟いた。
第5章完
対して、選帝侯とその一族については、会敵する前からよくわかっていた。
誰に対しても残虐。恐怖で領地を支配する。ヒトが考え出した、ありとあらゆる非道を行う。
特に女性たちの怒りを買ったのが、初夜権だ。本来は初夜にあたっては花嫁と領主がベッドをともにするという非道な権利だが、選帝侯領では代官が領主の代わりを務めていた。
選帝侯の統治の基本は、民衆に与える屈辱と恐怖。民衆が絶望していれば、反乱は起きない。これが歴代選帝侯の考えだ。
ある花嫁は代官の屋敷から村に戻ると、彼女の夫となるべき男が串刺しにされていたとか。花婿がわずかな抵抗を顔に示したことから、国法に異議を唱えたとして、串刺し刑に処せられた。
こういったことは頻繁にあったし、代官の配下がおもしろ半分で民家を襲い妻や娘が拉致されるようなことは日常的にあった。
これも、統治の仕組みの1つだった。
軍隊は古くから、武力制圧地や戦場において、非武装の民間人に対して、略奪、暴行、殺害、強姦を組織的に行ってきた。これは、占領地を掌握する手法の1つだ。
生半可に使うと民衆の反感を買うが、徹底すれば押さえ込める。
永遠に、ではないが……。
この時点で、湖水地域、西アフリカ、西ユーラシアの各勢力は、何となく「選帝侯軍は、徹底殲滅でいい」という雰囲気ができてしまっていた。
辺境伯軍は徴兵された民衆で編制されていたが、選帝侯軍は職業軍人が主体になっていることも、この判断に影響している。
つまり、「本職の兵隊なのだから、死ぬ覚悟はできているはず」との考えだ。
ヴィルヘルム選帝侯は驚いていた。
辺境伯軍本営があるはずの場所には、何もなかったからだ。戦闘の痕跡もない。
蛻〈もぬけ〉の殻、だ。
戦闘開始は偶発的だった。北側側面に回り込もうとしていたクマンの戦車隊を、選帝侯軍戦車隊が辺境伯軍戦車隊と誤認したのだ。
誤認したまま、選帝侯側は見過ごせばよかったのだが、辺境伯軍の行方を捜していたことから、少数の車輌でクマンの戦車隊を追跡。
接近されたクマンの戦車隊が、条件反射的に迎撃。
こうして、選帝侯軍との戦闘が始まった。
選帝侯軍は、クマンの戦車隊を“有力な部隊”と誤認して、北に誘引される。
その隙を突いて、水上航行が可能な装甲車輌と歩兵を乗せた河川舟艇がニジェール川を下って、選帝侯軍の南側に上陸する。
背後をとられた選帝侯軍は、慌てて西のココワに向かう。
その間にクマンの増援が北に向かい、選帝侯軍は南北から圧迫される体勢となった。
選帝侯軍によるココワの東正面への総攻撃は、1時間ほどで頓挫する。
バルカネルビが送り込んできた、120ミリ自走迫撃砲が激しい移動弾幕射撃を加えたのだ。
81ミリ迫撃砲や現地製造の黒色火薬を推進剤とするロケット弾まで投射して、徹底的に叩く。
最後は、戦車を先頭に湖水地域の義勇兵による掃討が始まる。
ヴィルヘルム選帝侯は、何度も「こんなはずじゃない」と呆けたように呟いている。
すでに嫡男は戦死。次男は両足を失い、三男は意識不明の重体。医師によれば、次男と三男は助かる見込みがない。
彼の子で最も鋭敏な次女は、撤退を具申している。ヴィルヘルム選帝侯は、彼女が庶子でなければ、相応の処遇にできたものを、と常々残念に思っていた。同時に、切れ者である彼女が男でないことに安堵していた。
「父上!
撤退のご命令を!」
次女の言葉は聞こえているが、この状況を劇的に転換できる策が彼にはあった。
「この砲声を聞き、辺境伯軍が援軍に現れるはず。
さすれば、攻守は一瞬にして逆転となる」
次女は、迫撃砲弾の着弾音にかき消されぬよう大声で言った。
「何をバカげたことを!
辺境伯軍など、どこにもおりませぬ。
敵に下ったか、あるいは寝返ったか!」
選帝侯はジロリと次女をにらむ。絶対権力者の父親を“バカ”と呼んだのだ。
次女は殺されると思った。
瞬間、彼女は父の腹を刺していた。正確に横隔膜を斬り裂く。
そして、短剣を抜き、父親の頸動脈を斬った。
その様子を、多くの幕僚が見ている。
「父上は、壮絶な戦死を遂げられた。
世継ぎたる兄上は戦死、2人の弟は負傷している。
これより、私〈わらわ〉が全軍の指揮を執る。
よいか!」
幕僚たちに異存はない。嫡男は、砲撃に怯えて右往左往した上で戦死。両足を失った次男は、犯される女のように泣きわめき、三男は勇猛な言葉とは裏腹に、砲撃に怯えて1歩も動けなかった。
幕僚にとって、この死地から脱出させられる指揮官は次女以外にいなかった。
かつて、ヴィルヘルム選帝侯は、「アルベルティーナが男であったら、元服の前に殺している」と愛妾に語った。彼の愛妾は、次女アルベルティーナの養母である。
養母は娘に実父の言葉を伝えていた。
アルベルティーナは、東に向かって脱出すべく、全軍に命令を発した。
「戦車隊を2隊にわけ、1隊は追撃してくる敵を迎え撃ち、1隊は東への退路を啓開する。
歩兵と非装甲の自動車隊は甚大な被害を受けているが、厚い装甲に守られた戦車隊は無傷に近い。
この死地を切り抜けるぞ!」
ララは、上空の警戒にあたっていた。救世主の戦闘機を監視している。
まもなく砲撃が終わる。そうすれば、ノイリン、コーカレイ、クフラック、カラバッシュの航空部隊が対地攻撃を始める。
ララは、東70キロの地点に荷馬車が集結していることを知っていた。親友である半田千早を含む軽車輌部隊と若干の自動車化歩兵、そして少数の装甲車が荷馬車を“守って”いる。
そんな脆弱な部隊に、戦車20輌が向かっている。
半田千早はララからの無線を傍受していた。
「ララからの情報だと、撤退を始めた敵の前衛は60キロ以上離れている。
ここには、3時間から4時間はかかる。
馬車を北に移動させられるなら……」
カルロッタが遮る。
「チハヤ、あのヒトたち動かないよ。
絶対に。
家族を人質にされているんだ」
半田千早は反論できなかった。
「各車長、集まれ」
命令に従い、半田千早は1トン半トラックの前に向かう。
「説得したが、馬車のヒトたちはここに残るそうだ。
選択肢は2つ。ここに残り戦う。ここを離れる。
我々が離れても、いくら敗残の兵であっても、自国民は殺さないだろう」
クマンの隊長が異を唱える。
「ここを離れることに異存はないし、ここで戦うことにも反対はしない。
だが、俺たちが守らないと、彼らは死ぬ。
撤退に馬車は足手まといだ。
もっとも甘い見方は、馬車と荷を焼き、ヒトは見捨てる。
次は、馬車と荷を焼き、彼らを殺す。
最悪は、馬車と荷を焼き、彼らを盾にする。
どのみち、殺される」
湖水地域出身の歩兵隊長が瞑目してから、息を吐く。
「彼らはここで死ぬことを覚悟している。
家族のためにね。父親と年長の息子や娘のために……。
そんなヒトたちを見捨てたら、寝覚めが悪い。戦場での武勇を語るつもりはないが、妻子に言えぬ恥になることはしたくない」
隊長は頷いた。
「ここで戦おう。
俺たちが、選帝侯軍を叩くところを見せれば、彼らの気持ちも変わる、かもしれない。
車輌に積んでいるRPGは全部出してくれ。
それと、迫撃砲も。
塹壕掘りも手伝って欲しい。
装砲車を埋める。
砲塔だけ地面から出して戦う」
軽車輌隊は、側面や背後を突いて、攪乱する任務に就く。
戦車とは真正面から撃ち合えない装甲の薄い装輪装砲車は、砲塔より下を穴に入れ、歩兵は個人塹壕、いわゆる蛸壺を掘った。
カルロッタとキュッラは陣地に残り、歩兵として戦う。
隊長は、必死で「航空支援を乞う」とララに伝えた。
ララは必ず戻ってくると約束してくれたが、その約束ほど当てにはならないことも知っていた。
飛行場は混乱している。
全機を再度爆装し、機関銃弾を補充し、燃料を補給するのに手間取っていた。
装甲部隊も同様で、燃料と砲弾・銃弾の補給に手間取っている。
選帝侯軍に対する追撃が始まってはいるが、打撃力は小さかった。
バンジェル島から派遣された部隊は、独自の段列を持っていた。
段列は後方支援のための軍事的な組織だ。バンジェル島の戦女神、半田千早の養母である城島由加は、寄せ集めの湖水地域の部隊では、必ず補給の問題が起きると考えた。
彼女が編制した部隊は、小規模だが、独自の段列を持つ、諸兵科連合部隊だった。
他隊が補充・補給に苦悩している最中、バンジェル島から派遣された部隊だけは、補給と修理を終え、真っ先に再出撃していく。
半田千早は、双眼鏡で西から東に向かう友軍を見ていた。
「オルカ、あれはバンジェル島の部隊だね」
「チハヤのお母さんの部隊ってこと?」
「うん」
「自走迫撃砲だね」
「そうだね。
オルカ、自走砲だけじゃないよ。装甲兵員輸送車もあるから、歩兵も随伴しているんだ」
「歩兵戦闘車もいるよ」
「すごいよ。
ちょっとした装甲部隊だ」
「チハヤ、ララは来てくれるかな?」
「どうかな?
ララがそう思っても、そうはならないのが戦場だよ。
私たちはできることを頑張ろう」
半田千早たち軽車輌部隊は、北側面から一撃離脱の戦法で、何度も選帝侯軍を攻撃する。
機関銃と手榴弾が主要な武器で、徒歩で逃げる選帝侯軍歩兵にとっては、悪魔の襲撃に等しかった。
ララとコーカレイの4機は、爆弾を搭載せずに離陸した。ララのウルヴァリンは12.7ミリ機関銃2挺だけ。コーカレイのエアラコブラは、12.7ミリ機関銃2挺と20ミリ機関砲弾を補給しただけだ。
ウルヴァリンは機関銃弾がつきるまで地上攻撃を続け、エアラコブラは高初速20ミリ機関砲によって、戦車の上部装甲板を貫通させていく。
戦車が次々と擱座し、選帝侯軍の殿〈しんがり〉が瓦解していく。
半田千早は、紫の派手な軍旗を見つける。車体前部はいつものピックアップトラックだが、ライトバン風のボディが架装されている。
その車輌の最後部に軍旗がはためく。
「オルカ、あの旗を殺るよ」
ライトバンから、小銃や拳銃で反撃してくる。オルカは、ライトバンの背後に回り込み、リアウィンドウを破壊。バギーLが左に出て並走すると、オルカは車体側面に向けて、戦場にあっては長時間である30秒間、機関銃弾を撃ち込んだ。
タイヤが破壊され、エンジンも止まる。ライトバンが停止すると、軍服に飾緒を着けた女性が右側の後部ドアを開けて、逃げていく。
オルカは逃がすまいと、機関銃を発射して阻止しようとするが、運悪く弾帯が切れ、取り逃がした。
「チハヤ、惜しかったよ。あの女、絶対高級将校だよ」
「オルカ、走らせればいいよ。自分の脚で走れば、ダイエットにもなるし……」
アルベルティーナは激怒していた。
誰に対してか?
もちろん、ことの理、世の中の仕組みを解さない野蛮な“野生のヒト”に対してだ。
貴族に対する崇敬の念が欠片もない。許されることではない。ヒトの形をしているだけの醜い獣は、滅ばさねばならない。
アルベルティーナは、全軍を集結させたかったが、その方法がない。兵は東に向かって必死で走り、彼女も走っている。
殿を務めていた戦車は、歩行の兵を置き去りにしていく。
明らかに敗走状態なのだが、彼女は反撃を諦めてはいなかった。
120ミリ自走迫撃砲が砲撃を再開する。
半田千早たちは味方の砲撃から逃れるために、北に移動する。
前方を走るクマンの武装四駆は、ピックアップトラックを改造したものだ。
爆炎の中では、車体形状は見分けにくい。オルカが逃した飾緒の女性が、クマンのトラックを止めた。
そして、何と荷台に乗り込んだのだ。
独立遊撃隊12輌は、戦場の北25キロに再集結した。
半田千早とオルカのバギーLは、集結の最後になった。
隊に失った車輌はなく、負傷者は4人。重傷1人。タイヤを交換しないと、これ以上走れない武装四駆が1輌。ラジエーターに被弾した車輌が1輌。完全にフロントガラスが割れて脱落した車輌が2輌。
そして、横隊で並んだ12輌の前に、身体の前で両手を縛られた、飾緒付き焦げ茶の軍服を着た女性が座らされている。
オルカが「この子、誰?」と問うと、クマンの隊員が「おまえがブッ壊したバンに乗っていた」と答える。
半田千早が「なぜ、捕虜にしたの?」と尋ねると、別の隊員が「俺たちを味方のトラックと間違えたんだ。自分から乗ってきた。おめでたいネェーちゃんだよ」と皮肉な笑いを投げる。
女性は20歳代前半に見える。
半田千早が見下ろすと、女性は「殺せ、殺せぇ~!」と怒鳴った。
全員が大笑いする。
オルカが跪き、女性に自分の顔を近付ける。
「私たちは、あなたたちと違って、抵抗できないヒトを殺したりしない。
でもね、ぶん殴るくらいは許される!」
オルカは強烈な右フックを食らわせた。
きれいに殴り終わったあと、半田千早がオルカを羽交い締めにする。
「オルカ!
捕虜の虐待は命令違反だよ!」
くさい小芝居に隊員たちがゲラゲラと笑い出す。
隊長が「静かにしろ!」と笑いながら、オルカの肩に手を置く。おふざけは終わりだ。
「捕虜のお嬢さん。
彼女はオルカ。
あんたたちが襲った村の生き残りだ。
どういう殺し方をしたか知っているか?
オルカがおまえを殺しても、俺たちは彼女を庇う。喉をかき斬っても、頭を叩き潰してもオルカが罪に問われることはない。
オルカがそれを行っても、だれも証言はしない。ここは戦場。何でもありだ。
そして、おまえを殺しても、それを咎める精霊はいない」
「私は貴族だ。
貴族の生命は尊いもの。おまえたちの生命など、10や20集まったところで比べられるものではないのだ!」
半田千早のズボンは、右膝が裂けていた。裂け目は時間を追って大きくなり、いまでは膝小僧がむき出しになっている。
対して、捕虜の女性は、きらびやかな飾緒と左胸に勲章の略章と思われる色布を縫い付けている。色布は3段にもなる。
2人の着衣は、対照的だった。
「こいつの軍服だけど、かなり仕立てがいい。本物のウールみたいだし。
同等の軍服を着た女を、最近見たよ。
その女はブリッドモア辺境伯の娘だと名乗った」
捕虜が半田千早をにらむ。
「マーガレットを知っているのか?」
オルカが確認する。
「チハヤが斬った女だね」
「うん」
捕虜の目が泳ぐ。
「マーガレットを殺したのか?」
半田千早は動じない。
「戦場で、敵として出会えば、どちらかが死ぬことになる。
私が生き残り、ブリッドモア辺境伯の娘が死んだ。
事実はそれだけだ。
……で、おまえは何者だ」
捕虜は名もなき兵として死ぬことは嫌だった。
「私〈わらわ〉は、ヴィルヘルム選帝侯の娘アルベルティーナじゃ。
我が首級を上げ、報償を得るがよい」
隊長が諭す。
「俺たちには、ヒトの首をはねて報償を得る制度はない。そんな習慣もない。
それと、おまえは利用できそうだ。
情報の連中が喜ぶ。
だから、殺さずに連れて帰る」
クマンの兵があり合わせの紐で彼女の手を縛っていたが、隊長の命令で戒めが解かれる。
彼女は自信満々で立ち上がるが、やはり隊長の命令で、今度は結束バンドで縛られる。
「紐は解けることがある。
だが、こいつを外すことは簡単じゃない」
またまた全員が大笑いする。
アルベルティーナはなぜか、怒りよりも恥ずかしさのほうが強かった。
指揮官を失った選帝侯軍は脆かった。
手ぐすね引いて待ち構える選帝侯軍輸送隊を保護した小規模な部隊と、西から攻める戦車、自走砲、戦闘車、装甲車、歩兵を乗せたトラックの混成部隊に挟まれて、多くが武器を捨てて自ら捕虜になった。
戦闘は散発的で、選帝侯軍の戦車を含む車輌数輌が炎上し、歩兵多数が死傷して、戦闘は終結した。
選帝侯軍将兵は降伏の仕方を知らず、混乱はあったが武装解除は短時間で終わった。
半田千早たち独立遊撃隊は、戦場から大きく離れていた。
燃料と水が不足していたが、機関銃弾は当面の必要数は保有している。
12輌で26人。重傷が1人だが、生命に別状はない。野戦病院に指示を仰ぎ、モルヒネを注射して痛みを止め、静かに眠っている。
野戦病院が派遣してくれる救急車を待つため、日陰がある風通しのいい場所を探して、半田千早とオルカのバギーLを先頭に縦隊で西に向かっている。
「チハヤ、あれ何だろう?」
「廃村みたいだね」
オルカは銃座から降りて、隊内無線で「前方5キロ、廃村らしき家屋数軒を発見」と他のバギーLに伝える。
クマンの武装四駆は無線を装備していない。
村ではなかった。建物は1棟だけで、日干しレンガで造られ、焼成レンガで外壁を飾った、崩れた塔と大きな平屋がある。この平屋も崩れている。屋根はなく、梁であったのだろう、乾燥した木材が地面に転がっているだけ。屋根材は見当たらない。外壁の一部が崩れ、部屋の区画が多数の家のように見せていた。
ターフを広げて、日陰を作る。そこに負傷者を集めた。捕虜もここに置く。
救急車は2時間ほどで来てくれる。彼らは、戦闘が終わったことも知っていた。
円塔の内部には焼成レンガ製の螺旋階段が残っており、5メートルほどの高さまで登れる。
隊長は、ここに監視所を設け、隊員2人を配置する。
「北から南に向かう車輌、多数」
無線を聞いた全員が慌てた。
半田千早は浅く眠っていて、無線の声に飛び起きた。
オルカが背伸びをして、壁から頭を出そうとする。それを隊長が咎める。
女性隊員の1人が核心を突く。
「あれは、ウォーカーブルドッグだ」
半田千早も彼の判断に賛成する。
「ちょっと砲身が短いみたいだけど、間違いなくウォーカーブルドッグだね。
それと、ダスター。
ボフォースの40ミリ機関砲2連装なんて、ヤバすぎるよ」
隊長が問う。
「それじゃ、2人に聞くが、あの前輪がタイヤ、後輪が履帯の装甲車は何だ?」
女性隊員が答えた。
「ハーフトラックだよ。
sd.kfz.251によく似ている。
多分だけど、ソ連の装甲車の後輪を履帯にしたんじゃないかな。履帯は、ケグレス式だと思う」
半田千早が追認する。
「って、ことは、履帯はゴム製だね」
隊長が双眼鏡を覗きながら、質問を重ねる。
「で、やたらと詳しいお2人さん。
あれから逃げられるか?」
隊員が答える。
「無理だね。
この地形だと、70キロは出るよ。
それに、76.2ミリ砲弾よりも速くは走れない」
隊長は、冷静だ。
「連中は俺たちに気付いている。
それは間違いない。
だが、戦力は測りかねているだろう。
利口なら、迂闊に手は出してこない。
で、もし知っていたら教えてくれ。
あの連中は何者だ?」
独立遊撃隊の眼前の部隊は、明らかに装甲部隊だ。戦車、対空自走砲、装甲兵員輸送車で編制されている。戦車×4、対空自走砲×2、半装軌式装甲兵員輸送車×6だ。
隊長が無線を使う。
「正体不明の装甲部隊と接触。
TK×4、AW×2、APC×6。
救世主とは異なる装備。
TKはM41、AWはM42、APCはBTR-152に類似と思われる。
現在位置から動けない。支援を要請する」
半田千早が驚く。隊長の詳しさに……。
その場の数人が目で問う疑問に隊長が答える。
「俺は、南西地区の情報担当だったんだ。
クフラックが廃墟だった頃、そこに多数の元世界製車輌が隠されていたことはつかんでいた。
それらが行方不明になっていることも、知っている。
それと最近の北地区の見解だが、集められた時期と行方不明になった時期は、数百年前だとか。
それが本当なら、その車輌の子か孫が俺たちの眼前に現れた……、とも思えるんだが……」
半田千早が動揺する。
「それって、結構ヤバくない?」
隊長は、それには答えなかった。
「ダスターが邪魔だ。
他はどうにかなる」
クマンの兵士たちが、ガソリンとエンジンオイルを混ぜてビンに詰め、火炎瓶を作った。
RPG-7はまったくない。この火炎瓶だけが、対戦車兵器だ。
12対12のにらみ合いは、1時間を超える。
そこにMi8中型ヘリコプターが飛んで来た。
「ヘリだ。
救急隊のヘリだ!」
誰かの叫びで、全員が低空を見る。
低空から接近するヘリコプターは、爆音が聞こえにくいのだ。
ヘリは危険なほど、彼らの直近に着陸し、救急隊員1人を降ろした。
「負傷者は?」
隊長が走り寄る。
「ヘリが来るとは思わなかった!」
即製の担架に乗せた重傷者と軽傷者3人、そして捕虜が運ばれてくる。
オルカが走り寄る。
「隊長、連中が騒いでいるみたい。
ヘリを見て、驚いたんだ」
負傷者と捕虜を乗せたヘリコプターが離陸すると、戦車各車の砲塔上にヒトらしき姿が立ち上がり、双眼鏡で動きを観察している。
指差したり、両手を広げたり、身振りが激しい。
彼我の距離は800メートル。戦車砲ならば、近距離射程だ。
半田千早は、眼前のM41がオリジナルと違うことに気付く。
「隊長、M41だけど原型とは違うよ。
特に砲塔。M24に似た防盾が付いている。
砲身長は75ミリ級なら55口径くらいありそう。
それとM42のほうだけど、L60じゃなくてL70っぽい。
どっちも厄介だよ。
白魔族は、ヒトの作った道具を改良しないらしいけれど、とすれば彼らはヒト?」
例の女性隊員が同調する。
「ヒトだと思う。
でなければ、ホモ属の新種……」
隊長は、すでに決断していたし、クマンの兵を含めて、彼の意向は浸透していた。
だが、彼は改めて命じた。
「戦車をともなう正体不明の部隊は、おそらく救世主でも創造主でもない!
だが、味方でもない!
我々は明確に攻撃されない限り、反撃しない。
こちらからは撃つな!」
にらみ合いはヘリの離陸後も30分続く。
そして、戦車を含む12輌の装甲部隊は、踵を返して北に向かった。
半田千早とクマンの車長が隊長に呼ばれる。
「追えるところまででいい。
轍を追ってくれ。
接近しすぎないように。
1時間以上の時間距離を開けろ。
深追いはするな。向かった方向だけでいいから、情報を持ち帰るんだ」
半田車とクマンのランカス車の損傷が少ないことから、この2車が選ばれた。
ランカスにはトランシーバーが渡された。それと救急ヘリが持ってきた、RPG-7もある。
轍は真っ直ぐに北に向かっている。2時間走ると、北に低い丘陵が見えてきた。周囲よりも最大で100メートルほど高いだけの丘の連なりだが、東西に視界一杯に広がる。
半田千早が停止する。無線は使わない。傍受を恐れて、無線封止している。
ドアを開け、大声を出す。
「まもなく陽が沈む。
ここでキャンプしよう。
焚き火はできない。灯火管制を厳しくする。
追跡されていることが知られると、私たちが危ない」
ランカスが頷く。
この水のない土地で、大型の走行性二足歩行ドラゴンを何回も見ている。体長15メートルに達するティラノサウルス級のドラゴンがいた。知られている限り、非飛翔型では最大級だ。
草食性半二足歩行ドラゴンの群も見た。
半田千早が「植物がないのに、なんで草食が群でいるんだろう」と問うと、オルカが「塩だよ。ドラゴンは土に含まれるミネラルを求めているんだ。ここは、餌場でも狩り場でもない」
深夜、ランカスが半田千早に話しかける。
「近いな」
「そうだね。夜のほうが、相手が見えるなんて」
「盛大な焚き火だ。
ドラゴン除けだな。
ドラゴンは昼夜関係なく、捕食行動する。
だけど、俺たちは焚き火も、ドラゴン除けのガソリン撒きもなしだ。
今夜は眠れないな」
ドラゴンに対する恐怖から、5人はほとんど眠れなかった。太陽が昇り、視界が確保されると、極度の緊張が解け、危険な眠気が襲ってくる。
半田千早たちは、正体不明の装甲部隊に接近しすぎていた。
焚き火を目標にした夜間の観測では、3キロ強と推測している。
距離を広げるため、あと4時間は、ここに留まることになった。
翼を広げた巨大な生き物が、地上から5メートルの超低空で無音で滑空してくる。
最初に気付いたオルカが「ドラゴンだ。対空戦闘用意!」と叫ぶ。
地面に座り、携行食のフルーツバーを食べていた半田千早は、反射的にバギーLの車内に飛び込みエンジンを始動させる。
ランカス車が動き出し、半田車はその後を追った。
飛翔性ドラゴンに出会ったら、逃げるよりも、突進したほうがいい。徒歩では無理な作戦だが、ドラゴンは意外とビビリなので、向かってくる相手を再攻撃することは少ない。
むしろ、逃げると追う習性がある。
ランカス車は全速で北に向かう。腹の下を潜り、車載機関銃とRPG-7を発射するつもりだ。
ドラゴンは、正体不明の装甲部隊に火炎を放射している。不意を突かれたためか、対空戦車は発射していない。小火器が散発的に抵抗しているが、それではドラゴンの攻撃を阻止できない。
ドラゴンの火炎は、メタンを燃料にしている。西ユーラシアのドラゴンは、口から火炎弾、総排泄口から火炎放射するが、サブサハラ付近のドラゴンは口から火炎放射する。
射程は長く、翼を展張して10メートル超の個体だと200から250メートルに達する。
ドラゴンは接近する半田車とランカス車を警戒して、攻撃を仕掛けてきた。
ランカス車からRPG-7が発射される。半田車はオルカが銃塔からRPG-7を発射。続けて、銃塔のMG3機関銃を発射し続ける。
ランカス車のロケット弾は首筋に命中、オルカが放ったロケット弾は右の翼にあたった。
西ユーラシアのドラゴンなら、確実に落ちる。だが、サブサハラのドラゴンは、平然と飛んでいる。
幸運にも、再度の攻撃はなかった。
ランカス車が急制動をかけ、砂の乗った固い平滑の地面を真っ直ぐ滑る。
半田千早は、ゆっくりとブレーキを踏む。
正体不明の装甲部隊とは、1キロしか離れていない。
戦車の砲塔上で、大柄な男がゆっくりと挙手の礼をする。
半田千早は答礼すべきとは思ったが、車内に留まった。
オープントップのランカス車では、クマン兵2人が立ち上がり、答礼している。
半田千早はランカスに提案した。
「戻ろう。これ以上は、燃料が心配になる。頑張って走れば、ココワ北の集結地まで今日中に戻れる」
ランカスは、受け入れた。
ココワ北の集結地はたいへんな騒ぎになっていた。捕虜は3000から4000に達し、彼らに食べさせるための食糧確保だけでも、たいへんな労力になる。
そこに、保護した選帝侯領の農民が加わる。その数は1000を超えそうだ。直近は彼らが運んできた食料でまかなうが、1週間程度でなくなってしまう。
集結地の司令官はクマンの軍務官僚であるブーカで、司令部に出頭すると「チハヤ、命令が届いている」と命令書を手渡された。
その命令は彼女が所属する銃器班から出された“業務命令”で、「バルカネルビの商館に出頭せよ」だった。
翌日、半田千早たち4人は、バギーLでバルカネルビに向かった。
バルカネルビでは、ララの母親で商館の筆頭書記であるミューズが待っていた。
彼女からも命令書が渡される。その命令書には、「ノイリンに帰還せよ」とあった。
命令書はノイリン北地区行政府が発していたが、命令そのものは中央行政府から出ていた。
商館の駐車場で待つ、カルロッタ、オルカ、キュッラのもとに向かう。
「ノイリンに帰って来いって」
彼女の話に、3人は無反応だった。いままでも何度か、彼女はノイリンに帰っている。だが、今回は違った。
「中央行政府からの命令なんだ。高等教育を受けるように……って。
2年か3年は戻ってこれないよ。
銃器班の命令なら絶対無視してやるし、北地区行政府からならゴネてやる。
でも、中央行政府からじゃ、どうにも……」
カルロッタが「チャンスじゃない」と賛意を示し、オルカは「私はここで待っている」と背中を押す。
しかし、キュッラは違った。
「私も行きたい!
ノイリンの学校に行きたい。
勉強してみたい!」
翌日、半田千早はミューズと面会し、キュッラのノイリン行きを頼み込んだ。
「ミューズさん、お願い!
キュッラがノイリンに行きたがっているの。
北地区の許可を取って!」
ミューズは北地区の元出納係で、北地区選出の前中央議会議員でもある。北地区行政府と中央議会には太いコネがある。
それに、無役であっても北地区の大幹部だ。
キュッラのノイリン行きは、半田千早の出発までに許可されなかった。
何しろ、バルカネルビ帰還から、ノイリン行き輸送機搭乗まで3日しかなかったのだから……。
しかし、ミューズは、キュッラを搭乗者リストに加えさせた。
「滞在許可と就学許可は、ノイリンの飛行場でもらえばいいの」
彼女は論理と秩序を重んじる精霊族とすれば、かなり強引な性格だ。ヒトと長く暮らし、ヒトに似てしまったのだ。
輸送機の中は、いろいろなヒトが乗っている。戦場から戻る男女も少なくない。半田千早とキュッラの埃まみれの迷彩服でも、違和感はない。
しかし、ノイリンの飛行場は違った。彼女が発ったときにはなかったターミナルが完成していて、ちょっと華やかだ。
キュッラは気後れしてしまい、半田千早の手をギュッと握った。
2人を出迎えたのは、マーニの兄、チュールだった。キュッラはさわやかなイケメンで、凄腕のガンマンであるチュールに話しかけられ緊張してしまう。
この頃、家族は、居館近くのレンガ造り3階建てに住んでいた。半田・城島、金吾・珠月、金沢壮一・ルサリィの家族がワンフロアずつ使っている。
いつでも帰れるよう、遠くにいる家族の部屋はそのままにしたあった。一番幼い翔太を母親の部屋に移し、翔太の部屋をキュッラにあてた。
水口珠月がキュッラのために、女の子らしい部屋に模様替えした。
キュッラの衣服を用意し、学用品を揃え、彼女が落ち着いて、学校に行けるようになるには1週間を要した。
初日は緊張からくる不安で、元気がなかったが、3日目には「行ってきま~す」「ただいま~」が元気な声になっていた。
キュッラは同い年の健太とすぐに仲良くなり、ゲームと自転車に夢中になり始める。自転車は半田千早のマウンテンバイクだが、彼女の留守中に健太が奪っていた。
健太は右足膝十字靱帯を損傷しており、同じ足のアキレス腱も断裂している。完治はなく、回復しても歩くことには支障がないものの、速く走ることは無理。
この世界で生き残るには、厳しい身体条件になってしまった。
彼は10歳頃から須崎金吾と水口珠月にプログラミングを教わり始め、いまでは貴重な技術戦力だ。
12歳にして、特別労働許可を持つ。つまり、若年ではあるが、どうしても“働いてもらいたい要員”なのだ。
キュッラの新しい家族は、彼女にとって刺激的で破天荒なメンバーだった。
キュッラは学校の授業で、中央議会の公聴会を見学に行った。
偶然だが、半田千早が証言する場に立ち会う。
公聴会の委員長が半田千早を質す。彼女は黒のパンツスーツを着ており、それはキュッラが知らない彼女の姿だった。
「チハヤさん、あなたはサブサハラと呼ばれている北アフリカの一画で、正体不明の武装集団を見た、と報告していますが、それは確かですか?」
半田千早の声は、凛としていた。
「はい。
湖水地域の北60キロ付近で、戦車4輌、対空自走砲2輌、半装軌式装甲兵員輸送車6輌の計12輌を見ました。
傍聴席にいるキュッラは見ていませんが、彼女は私以外の目撃者の証言を聞いています」
キュッラは、自分の名が重々しい雰囲気のの議場で響いたことに驚き、慌てた。
彼女は思わず立ち上がり、「その部隊のこと、私も聞いたよ!」と言ってしまった。多くの視線が注がれ、議場がざわつく。
委員長が「静粛に。傍聴者の不規則発言を禁じます」と宣した。
キュッラは悪いことをしてしまったかと思い泣き出しそうになったが、半田千早を見ると笑っていたし、多くの議員や傍聴者もキュッラを見る目が優しかった。
「チハヤさん。
そのアンノーンは、ヒト……ですか?」
「わかりません。
ヒトかもしれないし、ヒトじゃないかもしれません。
ですが、彼らは去り際、挙手の礼をしました。軍人みたいな……。
少なくとも、当地で創造主と呼ばれている白魔族ではないと思います」
「会話は交わさなかったのですか?」
「はい。見つからないように追跡していたので……」
「見つかってしまったのですか?」
「はい。
当地には大型のドラゴン、特に走行性のドラゴンが多いのですが、そのときは飛翔性ドラゴンに襲われました。
定石通りの対応をしたところ、その装甲部隊に接近しすぎてしまいました」
「ほう、有翼のドラゴンですか?」
「はい。
翼を展張すると15メートルはありました。
首筋と翼にRPGを命中させましたが、落ちませんでした」
議場がざわつく。RPG-7の弾頭を2発命中させても、落ちないドラゴンなど西ユーラシアには存在しない。議長自身が周囲の議員と議論している。
ざわつきが収まっていない。
「チハヤさん。
それは野生のドラゴンなんですね?」
「わかりません。
鱗が宝石のように光っていました。あんな鱗のドラゴンは見たことがありません。
生物兵器である可能性は否定できません」
「アンノーンとドラゴンの関係は?」
「委員長、そして議員のみなさん。
そのドラゴンは、装甲部隊を襲いました。
口から火炎放射しました。
総排泄口からではなく……」
議論と質問は2時間以上続いたが、議長は締めに入る。
「チハヤさんの証言を加味すると……。
北アフリカ内陸には、湖水地域のヒト、救世主と呼ばれる遺伝子操作されたヒト、白魔族、謎の武装集団、ドラゴンを操る何か、現状でわかっている範囲ですが、5つの勢力がいるかもしれない、のです。
私たちは、これを前提に政策を決めていかねばなりません。
以上でハンダチハヤさんの公聴会を終わります」
議長の結論は、半田千早に衝撃を与える。
彼女は「早く北アフリカに帰りたい……」と呟いた。
第5章完
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
470
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる