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第6章
06-161 大西洋横断
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半田千早は最後の連絡から1週間を経ても、ヒトでない動物の襲来を警告にやって来たという日本人だとするグループから、連絡がないことを気にしていた。
しかし、セロの哨戒が厳しいカリブ海を、水上船で突破するなど、ほぼ不可能だ。
それが可能ならば、ヒトは、大西洋を渡り、パナマ海峡を抜けて、太平洋の調査に乗り出している。
半田千早と納田優奈は、パナマ海峡かカリブ海に沈んだと判断していた。
この判断は、城島由加司令官に報告され、そのように処理された。
200万年後は、200万年前の世界ほど優しくはないのだ。
半田千早が養母に「ママ、例のヒトたちカリブの海に沈んじゃったと思うよ」と正規の報告前に告げたが、養母は「この世界では、最初の1日を生き残ることが大変なんだから、仕方ないよ」と。
城島由加は「船には子供が何人も乗っていた」との報告を半田千早から受けていたが、彼女たちに何かができるわけもなかった。
仮にバルバドスに到達できたとしても、セロの飛行船に発見されずに大西洋を横断することは簡単ではない。
半田千早の興味は、船でやって来た日本人から、かねてから調査の必要を感じていた、ヌアクショット川に移っていた。
アトラス山脈に源流があり、200万年前のモーリタニア北部国境付近に注ぐ大河だ。この川の名は、モーリタニアの首都からもらった。
コーカレイが派遣した小型武装船による調査が計画されていた。
この川は、古くから知られていた。
ただ、川ではなく、深い入り江だと解されていた。海岸付近でも、10メートル弱にもなる渓谷を刻んでおり、川幅が広く、流れが緩いことから、クマンは入り江だとしていた。
西ユーラシアのヒトは、クマンの判断を受動的に是認していた。
だが、偶然、雨雲を避けて、内陸に入り込んだ輸送機が、上空から見ると川である可能性が高いと指摘していた。
それと、アトラス山脈の東側にヒトが住んでいる可能性があること。アトラス山脈東麓のヒトとヌアクショット川には関係がありそうなこともわかっていた。
ベルーガは、当初の予定よりも4日遅れて、バルバドスの入り江を抜錨した。
燃料を節約しながら、航海速力を維持する方法を加賀谷真理と長宗元親が考案し、その工事を実施していたために出発が遅れた。
ベルーガは、停泊時など主機が停止している状態でも必要な電力を供給できるように補助動力装置(APU)が取り付けられていた。
補助動力装置は380馬力のディーゼルエンジンで、発電機と接続している。だが、リチウムイオン電池とはつながっていなかった。
主機は発電機を駆動し、その電力で電動モーターを駆動してウォータージェット推進を行うディーゼル・エレクトリック方式を採用している。
電気自動車やハイブリッド車とは異なり、電力は、そのまま動力に使われる。
リチウムイオン電池は、太陽光パネルによって充電され、一切の機関が停止した状態でも電力を供給できる。照明と一部の電子機器だけなら終夜稼働できるし、航海速力なら2時間程度は航行可能だ。
だが、リチウムイオン電池には、太陽光がなければ充電できなかった。
加賀谷と長宗は、補助動力装置の発電機とリチウムイオン電池を接続して充電可能とし、4基の主機のうち2基とリチウムイオン電池からの電力で推進器を稼働させるバイパス工事を提案した。
そもそも、太陽光パネルは長宗の造船所で工事した後付けだし、太陽光パネルの設置によって、補助動力装置は不要になるという判断があった。だが、補助動力装置を撤去する時間はなく、工事が大がかりになることから単なる死重として積んでいた。
太陽光が長期間ない場合のバックアップになるという判断もあったが、主機でも船内用電力の発電ができるので必要性は高くなかった。
昼間は主機2基と太陽光パネル、夜間は主機2基と補助動力装置を稼働させて、航海速力を維持しようとする計画だ。
補助動力装置にはリチウムイオン電池への十分な発電能力はないが、夜明けまで電池量ゼロにならない程度の役には立つ。
主機からの電力は、すべてウォータージェット推進に使う。
最高速度を出せるほどのパワーはないが、航海速力ならどうにかなる。
行き先に明確なあてがあるわけではないが、工事終了後、ベルーガは抜錨し、モーリタニア沖を目指す。
ベルーガの航海速力は30ノット。時速に換算すると55キロ。モーリタニア沖までの4600キロを、84時間、3日と12時間で到達できる。
大西洋上において、飛行船を何度か見たが、ベルーガを追ってくることはなかった。飛行船も燃料の残量を気にしながら航海しているからだ。
対して、水上船は一切の目撃がなかった。すべての飛行船がヒトと無関係とすれば、ヒトが劣勢であることは明白だった。
香野木恵一郎は、ヒトが地球の支配者、食物連鎖の頂点立つ存在でないことを前提に、今後の行動計画を立案すべきだと考えていた。
彼の心は重く、そして子供がいることに後悔を感じ始めていた。
2日と17時間でカーボベルデの北400キロ沖に達する。
夜、船が発する灯火を頻繁に見るようになる。船種や船の形と大きさは、暗くて判然としないが、カーボベルデ沖を通過する航路であることは、間違いないようだ。
北に向かう船と南に向かう船の数は、相半ばする。
香野木は判断に迷っていた。
船橋には、ほぼ全員がいる。年齢に関係なく、とても眠れるような状況じゃない。
ベルーガは推進器を止めている。
花山真弓の目が泳いでいる。暗がりでも、彼女の動揺がわかる。
「香野木さん……。
おかしいでしょ。
ヒトが200万年後に移住してから、短くて2年、長くて13年。最大2万人。
そのはずでしょ。
だけど、4時間の間に20隻も通過したよ」
そう問われた香野木にもわけがわからない。
「ヒトの船なのかな……」
香野木の深く考えない言葉に、花山が絶句する。
「また別の生き物ってこと?
前のはニホンザルから進化したんでしょ?」
来栖早希医官が間髪を入れず否定する。
「確定じゃないけど……、ミトコンドリアDNAはヒヒに近い……かな」
来栖医官の普段とは異なる重い声音に、誰もが沈黙する。
里崎杏船長は、夜間の航路横断を危険だと判断していた。
「夜間に多くの船が行き交うわけだから、明確な航路があるのでしょう。
きっと、要所には灯台もあると思う……。
夜間にこの混み合う航路を突っ切ることは、危険ね。太陽が出てから、東に進みましょう。
それまでは、見張りを厳にして警戒を続けます」
夜明けの直後、ベルーガはアフリカ西海岸沖の航路を横断し、16時間航行して陸から100キロまで迫った。
横断する際、間違いなく何隻かに目撃された。1隻からは汽笛を鳴らされた。至近に接近したわけではないので、衝突の危険はなかったが、何かの警告だったようだ。
緊張の2夜目は交代で寝たが、誰もが深くは眠れない。灯火管制をしたので、子供たちは闇を怖がった。大人の緊張は、子供にも伝播している。
アフリカ西岸を北上しつつ、隠れ場所を探す。
海面から10メートルにもなる断崖に囲まれた入り江があり、十分な水深があることから、入り込んでいく。
入り江は深く、10キロ進むと、周囲の断崖は5メートルほどまで低くなった。
海岸はやや“砂漠化”していたが、数キロ内陸は豊かな緑だった。
ベルーガは、海岸から12キロの穏やかな水面に錨を降ろす。
だが、ここでも驚きの発見があった。
上空を通過する飛行機を頻繁に目撃するのだ。どうも飛行航路の真下に錨を降ろしたらしい。
飛行船対策で、上空からでも発見されにくい場所に停泊しているが、飛行機となると、どのように対応するかが問題になる。
飛行機が飛んでいる=行く先にヒトがいる、という方程式が成り立たない。その飛行機は、ヒトが作ったものとは結論できないのだ。
この入り江はフィヨルドのような景色だが、実際は川が大地を浸食した結果だ。絶壁を形成しているのは砂岩で、見た目よりも脆い。
かつてのサハラ砂漠に、こんな大河があるなんて、香野木には信じられなかった。これも200万年という時間のなせる技だ。
精霊族のララは、クフラックの新型戦闘機を見分するためにバンジェル島からカナリア諸島に同僚とともに輸送機で飛んだ。
新型戦闘機の情報は事前に受け取っており、プロペラのない単発機であることを知っていた。クフラックは、ターボジェットまたはターボファンを動力とする飛行機を複数機種保有しており、その存在は以前から航空機関係者はよく知っていた。
だが、カナリア諸島に配備された機体は、まったくの新造だった。
その機は、アエロL-39アルバトロスのコピーで、イーウチェンコAI-25TLターボファンエンジンのコピーを装備する。タンデム複座機だが、通常は単座で運用される。1960年代に開発が始まった古い設計の飛行機だが、ドロップタンクを装備すれば1800キロの航続距離を確保できることと、製造と整備のしやすさから選ばれた。
実際、機体の製造そのものは、スーパーツカノよりも簡単だとされる。
200万年後では、1980年代以降に設計された
飛行機の製造は現実的でない。複合素材や特殊な合金を使っていると、技術が追いついておらず模倣できない。
戦闘機開発でのノイリンの遅れは決定的で、コーカレイも追従できていない。
今回は見分後、航空機の発着が少ないベルデ岬諸島に移動して、アルバトロスの操縦訓練を受ける。
半田千早は、200万年前からやって来た船のことは忘れかけていた。直接の交渉担当ではないし、船で来たという胡散臭さもあって、急速に興味を失っていった。
次の任務であるヌアクショット川探検に意識が向いていて、その準備に忙殺されている。
納田優奈は少し違った。声だけだが直接接触したこともあり、カリブ海に沈んだであろう船のことは気にしていた。
彼女は南欧系移住第1世代の男性と結婚したのだが、すぐに離婚していた。
自称、城島由加の“一番弟子”で、実際、長らく秘書のような立場にいた。
彼女は、ヌアクショット川探検隊の指揮官を務めることになっていた。
香野木は、今後の行動を迷っていた。ヒトとの接触が必要だが、接触の仕方が問題になる。
高速輸送船や飛行機で乗り込むことは、どう考えても下策。密かに接触したい。だが、言葉がわからない。
香野木は、言葉がわからない、という事態をまったく想定していなかった。日本語はともかく、英語なら理解するヒトはいるはず、と安易に確信していた。
同時に、英語に似たこの世界の共通語の成立過程が理解できないでいた。
5年、10年程度の期間で、言語が大きく変化するはずがないのだ。
わからないことが多すぎるが、入り江に留まっていてもわからないままだ。
かといって、幼い子供もいるのだから、リスクの高い行動は避けたい。
香野木の悩みは深かった。
ベルーガのメンバーは、できることから始めることにする。
まずは、この入り江の探検から。
上陸用舟艇は内陸側、テンダーボートは海側、複合艇(船底を硬質素材としたゴムボート)はベルーガ周辺の警戒と調査を受け持つことにする。
初日は、10時間以内で往復できる距離までの調査と定めた。
入り江の周辺は複雑な地形らしく、複数の滝が流れ落ちる。
ベルーガが停泊している近くにも滝があり、水が垂直に流れ落ちている。雄大な自然の中で、その滝は小さな流れ落ちのように見えるのだが、水量が多く、落差は10メートルほどあり、近付くとかなりの迫力がある。
入り江の動物相は、不思議だ。大型の水棲哺乳類がたくさんいる。最初はカバだと思ったが、四肢が水中生活に適応するよう特殊化しており、鰭脚にはなっていないが、陸上で身体を支えることは不可能なようだ。
絶滅動物であるデスモスチルスやパレオパラドキシアに似ている。
この動物は草食か雑食のようだが、結構凶暴でヒトを襲うような行動をする。そして、ワニはこの入り江にいない。
明確な肉食性の動物は、マイルカによく似た鯨類がいる。獲物が豊富なようで、この入り江は子育ての場らしい。
魚種は豊富。ナマズ、雷魚、肺魚、ナイルパーチに似た大型魚もいる。
大量の真水が流れ込むためか、ベルーガの周辺には淡水魚しかいない。
テンダーボートは外洋に向かった。
百瀬未咲から報告がもたらされる。
「海岸までは、何事もなく進めます。入り江内は穏やかなので……。
計画通りに、海岸線に沿って南に進みました。約40キロ。4つの入り江を見つけています。等間隔、10キロごとにこの入り江に似た、フィヨルドっぽい地形があります。
ですけど、フィヨルドのはずはないですよね。こんな低緯度地帯に氷河の発達なんてあるわけないし……。
それから、クジラの仲間ではなく……、ジュゴンのような海牛に似た海棲哺乳類がいました。動きが速くて、大きい、10メートル以上あったかな」
内陸に向かったのは、葉村正哉たち。
「3キロ内陸に、海面と陸地の高低差が小さい場所があります。
川岸のような地形です。
が……、この入り江は、海ではなくて川かもしれません。
サハラ砂漠に川なんて、信じられないのですが、上流の風景は緑であふれていました。森は熱帯のジャングルではなく、温帯雨林といった感じかな。
屋久島っぽい……。
草原がありました。まるで、寂れたゴルフ場のような風景です」
里崎杏船長が少し考える。
「葉村くん、その“川岸”にビーチングできそう?」
「たぶん大丈夫です」
「水深は?」
「川岸はわかりませんが、真ん中付近は釣り糸ではかった限りでは10メートル以上あります」
「幅は?」
「ここと大差ないです。
200メートルくらい……」
里崎船長が全員を見渡す。
「そこまで、この船を進めましょう。
そして上陸します」
香野木が慌てる。
「で!
正哉、動物は?」
「いやぁ~、香野木さん、びっくりですよ。
巨大なアンテロープを見ちゃいました。キリン並のでかさです!
ガゼルも多いです。種が違うのか、いろいろな大きさがいて……。
肉食性の動物は、ロバくらいの大きさのハイエナがいました。リカオンも。リカオンはタイリクオオカミくらいかな。
古代の地上性ナマケモノみたいな、ぶっ飛んだヤツもいました。ホッキョクグマよりもでかいと思います。
巨大アンテロープを一撃で倒したので、間違いなく肉食です」
里崎船長の目が泳ぐ。
「花山さん、どうする?」
「杏ちゃん、上陸しようよ。
地面を歩きたい……」
花山真弓の意見に、加賀谷真理、夏見智子、畠野史子が賛成する。
彼女たちの意見に抗うほどの見識は、香野木にはなかった。
来栖早希の「上陸、上陸!」との声に、子供たちが大喜びする。
誰もが長期間の船暮らしで、ストレスフルだった。
200万年後のモーリタニアは、水と緑の豊かな大地だ。乾燥の気配など、欠片もない。大小の川が流れるが、そのすべてが入り江につながるらしい。
百瀬たちが海岸で見つけた入り江も、この川の河口の一部らしい。
広い草原がある北岸に上陸する。装甲貨物輸送車を上陸させ、ごく近距離を偵察する。
南アメリカのような大型の爬虫類はおらず、哺乳類が多い。
ヒトを知っているのか、動物の多くは近付いてこない。
短時間だが、子供たちも上陸した。すぐにサッカーを始め、大きな声を出して遊ぶ。動物は逃げてしまうが、それは歓迎すべきことだ。
香野木と奥宮要介は小銃を持って見張りをしたが、その他の上陸組は久々の土を楽しむ。
加賀谷真梨と夏見智子は、地面にシートを敷いて、ピクニックを始める。
結城光二と笹原大和は、キャッチボール。
極度の緊張がドッと抜けた瞬間、想像だにしていない物体が水面に現れる。
全長50メートルの砲塔がある船。
武装船だ。
半田千早は、ヌアクショット川に浮かぶ巨大な船に呆然としていた。
とっさに「アトラス人の船だ!」と叫んでいた。見たことのない双胴船。西ユーラシアと西アフリカには、こんな船はない。
とすれば、白魔族かアトラス人だ。
西ユーラシアと西アフリカでは、アトラス山脈東麓にある巨大湖周辺のヒトたちを“アトラス人”と呼んでいた。
彼らの由来はわかっていないし、何らかの接触があるわけでもない。わかっていることは、そこにヒトが住んでいるという事実だけだ。
長宗宗親と井澤貞之は、車輌甲板最後部に楽器を出しているところだった。
2人は慌てて銃をつかむと、銃口を灰色に塗装された船に向ける。
大砲に小銃で立ち向かう。
井澤加奈子が父を止める。大砲に小銃では勝ち目はない。
香野木は、自身の迂闊を恥じた。
井澤加奈子は英語で呼びかけたが、反応がない。やはり通じないのだ。
だが、船の舳先に彼女より年上の女性が立った。
納田優奈は、この世界の標準語、フルギアの言葉、ヴルマンの言葉、クマンの言葉、湖水地域の言葉で「あなたたちは誰?」と問いかけたが、答えはない。
だが、顔の造作は、彼女や半田千早に似ている。
「あなたたちは誰?
どこから来たの?」
井澤加奈子は、想定外の日本語に驚いた。そして、一瞬躊躇った。
その間隙を突いて、風邪気味であったことから上陸を許されなかった花山千夏が叫ぶ。
「私は、チーちゃん!
高知から来たんだよ!」
半田千早は、弾帯を外し丸腰で舳先に向かった納田優奈を心配して、あとを追った。彼女も弾帯を外したが、背側のベルトに拳銃を挟んでいる。
厚着で鼻水をすする女の子が「チーちゃん」と名乗った。
半田千早はすかさず応答した。
「ワタシモ、ちーちゃん!」
井澤加奈子は、脚の震えが止まらない。突然、200万年後のモーリタニアで、日本語が通じた。
奇跡を感じた。
香野木はどうすべきか思案したが、彼自身は名乗らず、しばらく様子を見ることにする。
北岸の岸辺から少し離れた乾地で、半田千早と名乗った女性と井澤加奈子が会談している。
香野木たちは少し離れて立ち、半田千早の仲間も遠巻きにしている。
半田千早と井澤加奈子の1対1の話し合いだ。
半田千早は、この時点でもアトラス人と出会ったと考えていた。
「コウチトハ、ドコニアルノダ?」
井澤加奈子は、片言の日本語の問いにどう答えるべきか迷った。
「ずっと、西。
大西洋を渡り、太平洋も渡り、日本列島の四国という島にある」
「ソコカラ、キタノカ?」
「そうだ」
「アノフネデ?」
井澤加奈子が頷く。
半田千早は半信半疑だ。
「ユーラシアノ、ヒガシノハテダゾ。
ソレヲ、シンジロ、ト?
ホントウハ、アトラスサンミャクノ、ヒガシカラダロウ?
チガウカ?」
井澤加奈子は、迷っていた。
「私たちは、オークというヒトに似た動物を追ってきた」
半田千早は、非常に警戒した。オークの支配下にいるヒトは相当数いると推測されていたからだ。
「オーク?
シロマゾクノコトダナ。
オマエタチハ、シロマゾクノナンダ?」
そう問われると答えにくい。
「オークは、ヒトを食べる。
この世界にオークがやって来たことを知らせに……」
半田千早は井澤加奈子の言葉を遮った。
「シロマゾクノコトハ、ヨクシッテイル。
コノセカイ、トハ、ドウイウイミダ。
ベツノ、セカイカラ、キタノカ?」
井澤加奈子は、自分と同年齢の相手に気圧されている。しかし、それを表情に出すほど、弱くはない。
「200万年前の世界からやって来た。
オークが時渡りをしたことを、この時代のヒトに知らせるためだ」
半田千早は驚いている。オークは200万年の間に進化した動物だと考えていたからだ。
「シロマゾクモ200マンネンマエカラ、ヒトト、オナジヨウニ、トキヲ、コエタトイウノカ?
ソレハ、イツノコトカ?」
「いまから、5カ月前、私たちが時渡りをする4カ月前」
「トイウコトハ、5000カゲツマエカ。
416ネンモ、マエノコト……。
ショキノ、イジュウシャハ、シロマゾクヲ、ミテイナイ。
ツジツマハ、アウ……」
「5000カ月?
どういうこと?」
「ゲートヲヌケルト、ジカンハ、1000バイニナルンダ。
シロマゾクハ、500ネンホドマエカラ、ソンザイヲシラレテイル。
アナタタチガ、オッテキタノハ、ダイ2ジンカ、ダイ3ジンダロウ。
ジジツナラバ、ダケド……」
「1000倍……」
井澤加奈子は、香野木の元に走った。
ベルーガの誰もが、ゲートに入った時間の差と、ゲートから出る時間の差が1000倍になるという事実に接し、ひどく動揺している。
5カ月前にゲートに入ったオークは、416年前にゲートから出ていた。
では、彼らは何をしにこの世界に来たというのか?
時渡りをした同胞に危険を知らせようと、やって来たのに、話を聞けば何年も前から戦っているという。
それでは、200万年後に危険を冒してやって来た意味がない。
香野木は、納田優奈と対峙していた。
「驚いたな。カリブに沈まなかったとは?
魔法でも使ったのか?」
納田優奈の言葉に香野木は少しイラつくが、それは表に出さない。
「日本人に会うとは思わなかったよ」
納田優奈もイラついていた。
「カリブを突破したのに、なぜ連絡しなかった?」
香野木は、心中を隠すつもりがなかった。
「あなたを、味方と判断する材料がなかった。
しかし、なぜここに来たのか?
我々を探していたのか?」
納田優奈にとっても偶然だった。
「ヌアクショット川は、アトラス山脈東麓に源を発する。
サハラ森林帯を流れる多くの流れを集め、大西洋に達する。
ヌアクショット川源流のやや北に、大きな湖がある。内海と呼んでいいほどの巨大湖だ。この湖岸にヒトが住んでいる。
我々は彼らをアトラス人と呼んでいるが、いままで、接触したことがない。
接触を試みるため、この川を調査に来たんだ。あなたたちとは無関係だ」
香野木は、この世界のヒトが好戦的でないことを願ったが、砲を装備する船を持っている以上、200万年前のヒトの気質に変化はないのかもしれない、と不安を感じていた。
「武器を持っているんだな」
納田優奈は、香野木の不安を理解していた。
「ヒトは、200万年後の世界では食物連鎖の頂点にいないんだ。
ヒトが生きていくことは、かなり厳しい。白魔族と戦っているし、手長族とも戦っている。
しかも、苦戦している。
ヒトは団結しなければならないが、そうはなっていない。
アトラス人の力を借りられないかと思い、調査を始めたんだが……」
香野木は、納田優奈の率直な説明に驚いた。
「なぜ、戦うんだ?
平和を求めないのか?」
納田優奈は、現状につながるヒトの歴史を話すことにする。
「200万年前、1年2カ月にわたる時渡りが行われた。
その結果は、200万年後では1万4000カ月、つまり1166年間の歴史となった。
200万年後におけるヒトの歴史は、1166年前に始まるんだ。
移住するまで、200万年後にヒトはいなかった。ヒトは滅びていた。だが、ヒトに代わる覇者が、各地域にいた。
アルプス北麓の黒魔族。この種は自分たちをギガスと呼ぶ。ヒト以前に時渡りしたらしい。もっと古い時代に時渡りした種は、半龍族と呼んでいる。彼らは自分たちをトーカと呼ぶ。
北アフリカとチャド湖北岸に拠点がある白魔族は、自身をオークと呼ぶ。
彼らは、ヒトを捕らえ食う。ヒトを捕らえ、遺伝子操作や品種改良を行い、食用のヒトや労働用のヒトを作った。
恐ろしい生き物だ。
ヒトにとっては絶対的な敵だよ。
手長族は自分たちをセロと呼び、拠点は北アメリカにある。
南アメリカには、ヒトのような動物はいない、とされている。
ユーラシアでヒトが住める場所は、ライン川以西しかない。かつてはヴィスワ川以西なら住めたらしいが、もう無理だ。
ユーラシアのほとんどは、ヒト食いや噛みつきと呼ばれる、生物のルールから外れた恐ろしい生き物の世界になっている」
納田優奈は、空を見上げる。
「西ユーラシアは、寒いんだ。
200万年前のパリの北あたりまで、氷床が迫っている。
極寒期が過ぎ、暖かくなり始めてはいるけれど、暖かくなればヒト食いの活動が活発になる。
暖かくなっても、アフリカのようにはならない。
200万年前のフランスとイタリア北部、そしてアルプス周辺だけがヒトのテリトリーだけれど、そこに手長族が攻めてきた。
彼らには、ヒトを絶滅させる“使命”があるらしい。
手長族はヒトとニッチが重なるので、競争排除則が働くのだと聞いている。
ガウゼの法則。
そんなもののために、ヒトが殺されていく。西ユーラシアと西アフリカから手長族を追い出さないといけないのに、そんな力はヒトにはない。
この世界では、ヒトの敵はヒトじゃない。ヒトは食物連鎖の上位にいるが、頂点にはいないんだ。
戦争と平和じゃない。
生と死だ」
香野木は、オークだけでなく、ギガスがいることに身震いする。それだけじゃない。セロという動物もいる。この動物は飛行船を操り、ベルーガに向けて爆弾を落としている。
さらに、この3種よりも恐ろしい“ヒト食い”がいるという。
香野木は、内心で「とんでもない世界にやって来てしまった」と後悔をし始めていた。
しかし、セロの哨戒が厳しいカリブ海を、水上船で突破するなど、ほぼ不可能だ。
それが可能ならば、ヒトは、大西洋を渡り、パナマ海峡を抜けて、太平洋の調査に乗り出している。
半田千早と納田優奈は、パナマ海峡かカリブ海に沈んだと判断していた。
この判断は、城島由加司令官に報告され、そのように処理された。
200万年後は、200万年前の世界ほど優しくはないのだ。
半田千早が養母に「ママ、例のヒトたちカリブの海に沈んじゃったと思うよ」と正規の報告前に告げたが、養母は「この世界では、最初の1日を生き残ることが大変なんだから、仕方ないよ」と。
城島由加は「船には子供が何人も乗っていた」との報告を半田千早から受けていたが、彼女たちに何かができるわけもなかった。
仮にバルバドスに到達できたとしても、セロの飛行船に発見されずに大西洋を横断することは簡単ではない。
半田千早の興味は、船でやって来た日本人から、かねてから調査の必要を感じていた、ヌアクショット川に移っていた。
アトラス山脈に源流があり、200万年前のモーリタニア北部国境付近に注ぐ大河だ。この川の名は、モーリタニアの首都からもらった。
コーカレイが派遣した小型武装船による調査が計画されていた。
この川は、古くから知られていた。
ただ、川ではなく、深い入り江だと解されていた。海岸付近でも、10メートル弱にもなる渓谷を刻んでおり、川幅が広く、流れが緩いことから、クマンは入り江だとしていた。
西ユーラシアのヒトは、クマンの判断を受動的に是認していた。
だが、偶然、雨雲を避けて、内陸に入り込んだ輸送機が、上空から見ると川である可能性が高いと指摘していた。
それと、アトラス山脈の東側にヒトが住んでいる可能性があること。アトラス山脈東麓のヒトとヌアクショット川には関係がありそうなこともわかっていた。
ベルーガは、当初の予定よりも4日遅れて、バルバドスの入り江を抜錨した。
燃料を節約しながら、航海速力を維持する方法を加賀谷真理と長宗元親が考案し、その工事を実施していたために出発が遅れた。
ベルーガは、停泊時など主機が停止している状態でも必要な電力を供給できるように補助動力装置(APU)が取り付けられていた。
補助動力装置は380馬力のディーゼルエンジンで、発電機と接続している。だが、リチウムイオン電池とはつながっていなかった。
主機は発電機を駆動し、その電力で電動モーターを駆動してウォータージェット推進を行うディーゼル・エレクトリック方式を採用している。
電気自動車やハイブリッド車とは異なり、電力は、そのまま動力に使われる。
リチウムイオン電池は、太陽光パネルによって充電され、一切の機関が停止した状態でも電力を供給できる。照明と一部の電子機器だけなら終夜稼働できるし、航海速力なら2時間程度は航行可能だ。
だが、リチウムイオン電池には、太陽光がなければ充電できなかった。
加賀谷と長宗は、補助動力装置の発電機とリチウムイオン電池を接続して充電可能とし、4基の主機のうち2基とリチウムイオン電池からの電力で推進器を稼働させるバイパス工事を提案した。
そもそも、太陽光パネルは長宗の造船所で工事した後付けだし、太陽光パネルの設置によって、補助動力装置は不要になるという判断があった。だが、補助動力装置を撤去する時間はなく、工事が大がかりになることから単なる死重として積んでいた。
太陽光が長期間ない場合のバックアップになるという判断もあったが、主機でも船内用電力の発電ができるので必要性は高くなかった。
昼間は主機2基と太陽光パネル、夜間は主機2基と補助動力装置を稼働させて、航海速力を維持しようとする計画だ。
補助動力装置にはリチウムイオン電池への十分な発電能力はないが、夜明けまで電池量ゼロにならない程度の役には立つ。
主機からの電力は、すべてウォータージェット推進に使う。
最高速度を出せるほどのパワーはないが、航海速力ならどうにかなる。
行き先に明確なあてがあるわけではないが、工事終了後、ベルーガは抜錨し、モーリタニア沖を目指す。
ベルーガの航海速力は30ノット。時速に換算すると55キロ。モーリタニア沖までの4600キロを、84時間、3日と12時間で到達できる。
大西洋上において、飛行船を何度か見たが、ベルーガを追ってくることはなかった。飛行船も燃料の残量を気にしながら航海しているからだ。
対して、水上船は一切の目撃がなかった。すべての飛行船がヒトと無関係とすれば、ヒトが劣勢であることは明白だった。
香野木恵一郎は、ヒトが地球の支配者、食物連鎖の頂点立つ存在でないことを前提に、今後の行動計画を立案すべきだと考えていた。
彼の心は重く、そして子供がいることに後悔を感じ始めていた。
2日と17時間でカーボベルデの北400キロ沖に達する。
夜、船が発する灯火を頻繁に見るようになる。船種や船の形と大きさは、暗くて判然としないが、カーボベルデ沖を通過する航路であることは、間違いないようだ。
北に向かう船と南に向かう船の数は、相半ばする。
香野木は判断に迷っていた。
船橋には、ほぼ全員がいる。年齢に関係なく、とても眠れるような状況じゃない。
ベルーガは推進器を止めている。
花山真弓の目が泳いでいる。暗がりでも、彼女の動揺がわかる。
「香野木さん……。
おかしいでしょ。
ヒトが200万年後に移住してから、短くて2年、長くて13年。最大2万人。
そのはずでしょ。
だけど、4時間の間に20隻も通過したよ」
そう問われた香野木にもわけがわからない。
「ヒトの船なのかな……」
香野木の深く考えない言葉に、花山が絶句する。
「また別の生き物ってこと?
前のはニホンザルから進化したんでしょ?」
来栖早希医官が間髪を入れず否定する。
「確定じゃないけど……、ミトコンドリアDNAはヒヒに近い……かな」
来栖医官の普段とは異なる重い声音に、誰もが沈黙する。
里崎杏船長は、夜間の航路横断を危険だと判断していた。
「夜間に多くの船が行き交うわけだから、明確な航路があるのでしょう。
きっと、要所には灯台もあると思う……。
夜間にこの混み合う航路を突っ切ることは、危険ね。太陽が出てから、東に進みましょう。
それまでは、見張りを厳にして警戒を続けます」
夜明けの直後、ベルーガはアフリカ西海岸沖の航路を横断し、16時間航行して陸から100キロまで迫った。
横断する際、間違いなく何隻かに目撃された。1隻からは汽笛を鳴らされた。至近に接近したわけではないので、衝突の危険はなかったが、何かの警告だったようだ。
緊張の2夜目は交代で寝たが、誰もが深くは眠れない。灯火管制をしたので、子供たちは闇を怖がった。大人の緊張は、子供にも伝播している。
アフリカ西岸を北上しつつ、隠れ場所を探す。
海面から10メートルにもなる断崖に囲まれた入り江があり、十分な水深があることから、入り込んでいく。
入り江は深く、10キロ進むと、周囲の断崖は5メートルほどまで低くなった。
海岸はやや“砂漠化”していたが、数キロ内陸は豊かな緑だった。
ベルーガは、海岸から12キロの穏やかな水面に錨を降ろす。
だが、ここでも驚きの発見があった。
上空を通過する飛行機を頻繁に目撃するのだ。どうも飛行航路の真下に錨を降ろしたらしい。
飛行船対策で、上空からでも発見されにくい場所に停泊しているが、飛行機となると、どのように対応するかが問題になる。
飛行機が飛んでいる=行く先にヒトがいる、という方程式が成り立たない。その飛行機は、ヒトが作ったものとは結論できないのだ。
この入り江はフィヨルドのような景色だが、実際は川が大地を浸食した結果だ。絶壁を形成しているのは砂岩で、見た目よりも脆い。
かつてのサハラ砂漠に、こんな大河があるなんて、香野木には信じられなかった。これも200万年という時間のなせる技だ。
精霊族のララは、クフラックの新型戦闘機を見分するためにバンジェル島からカナリア諸島に同僚とともに輸送機で飛んだ。
新型戦闘機の情報は事前に受け取っており、プロペラのない単発機であることを知っていた。クフラックは、ターボジェットまたはターボファンを動力とする飛行機を複数機種保有しており、その存在は以前から航空機関係者はよく知っていた。
だが、カナリア諸島に配備された機体は、まったくの新造だった。
その機は、アエロL-39アルバトロスのコピーで、イーウチェンコAI-25TLターボファンエンジンのコピーを装備する。タンデム複座機だが、通常は単座で運用される。1960年代に開発が始まった古い設計の飛行機だが、ドロップタンクを装備すれば1800キロの航続距離を確保できることと、製造と整備のしやすさから選ばれた。
実際、機体の製造そのものは、スーパーツカノよりも簡単だとされる。
200万年後では、1980年代以降に設計された
飛行機の製造は現実的でない。複合素材や特殊な合金を使っていると、技術が追いついておらず模倣できない。
戦闘機開発でのノイリンの遅れは決定的で、コーカレイも追従できていない。
今回は見分後、航空機の発着が少ないベルデ岬諸島に移動して、アルバトロスの操縦訓練を受ける。
半田千早は、200万年前からやって来た船のことは忘れかけていた。直接の交渉担当ではないし、船で来たという胡散臭さもあって、急速に興味を失っていった。
次の任務であるヌアクショット川探検に意識が向いていて、その準備に忙殺されている。
納田優奈は少し違った。声だけだが直接接触したこともあり、カリブ海に沈んだであろう船のことは気にしていた。
彼女は南欧系移住第1世代の男性と結婚したのだが、すぐに離婚していた。
自称、城島由加の“一番弟子”で、実際、長らく秘書のような立場にいた。
彼女は、ヌアクショット川探検隊の指揮官を務めることになっていた。
香野木は、今後の行動を迷っていた。ヒトとの接触が必要だが、接触の仕方が問題になる。
高速輸送船や飛行機で乗り込むことは、どう考えても下策。密かに接触したい。だが、言葉がわからない。
香野木は、言葉がわからない、という事態をまったく想定していなかった。日本語はともかく、英語なら理解するヒトはいるはず、と安易に確信していた。
同時に、英語に似たこの世界の共通語の成立過程が理解できないでいた。
5年、10年程度の期間で、言語が大きく変化するはずがないのだ。
わからないことが多すぎるが、入り江に留まっていてもわからないままだ。
かといって、幼い子供もいるのだから、リスクの高い行動は避けたい。
香野木の悩みは深かった。
ベルーガのメンバーは、できることから始めることにする。
まずは、この入り江の探検から。
上陸用舟艇は内陸側、テンダーボートは海側、複合艇(船底を硬質素材としたゴムボート)はベルーガ周辺の警戒と調査を受け持つことにする。
初日は、10時間以内で往復できる距離までの調査と定めた。
入り江の周辺は複雑な地形らしく、複数の滝が流れ落ちる。
ベルーガが停泊している近くにも滝があり、水が垂直に流れ落ちている。雄大な自然の中で、その滝は小さな流れ落ちのように見えるのだが、水量が多く、落差は10メートルほどあり、近付くとかなりの迫力がある。
入り江の動物相は、不思議だ。大型の水棲哺乳類がたくさんいる。最初はカバだと思ったが、四肢が水中生活に適応するよう特殊化しており、鰭脚にはなっていないが、陸上で身体を支えることは不可能なようだ。
絶滅動物であるデスモスチルスやパレオパラドキシアに似ている。
この動物は草食か雑食のようだが、結構凶暴でヒトを襲うような行動をする。そして、ワニはこの入り江にいない。
明確な肉食性の動物は、マイルカによく似た鯨類がいる。獲物が豊富なようで、この入り江は子育ての場らしい。
魚種は豊富。ナマズ、雷魚、肺魚、ナイルパーチに似た大型魚もいる。
大量の真水が流れ込むためか、ベルーガの周辺には淡水魚しかいない。
テンダーボートは外洋に向かった。
百瀬未咲から報告がもたらされる。
「海岸までは、何事もなく進めます。入り江内は穏やかなので……。
計画通りに、海岸線に沿って南に進みました。約40キロ。4つの入り江を見つけています。等間隔、10キロごとにこの入り江に似た、フィヨルドっぽい地形があります。
ですけど、フィヨルドのはずはないですよね。こんな低緯度地帯に氷河の発達なんてあるわけないし……。
それから、クジラの仲間ではなく……、ジュゴンのような海牛に似た海棲哺乳類がいました。動きが速くて、大きい、10メートル以上あったかな」
内陸に向かったのは、葉村正哉たち。
「3キロ内陸に、海面と陸地の高低差が小さい場所があります。
川岸のような地形です。
が……、この入り江は、海ではなくて川かもしれません。
サハラ砂漠に川なんて、信じられないのですが、上流の風景は緑であふれていました。森は熱帯のジャングルではなく、温帯雨林といった感じかな。
屋久島っぽい……。
草原がありました。まるで、寂れたゴルフ場のような風景です」
里崎杏船長が少し考える。
「葉村くん、その“川岸”にビーチングできそう?」
「たぶん大丈夫です」
「水深は?」
「川岸はわかりませんが、真ん中付近は釣り糸ではかった限りでは10メートル以上あります」
「幅は?」
「ここと大差ないです。
200メートルくらい……」
里崎船長が全員を見渡す。
「そこまで、この船を進めましょう。
そして上陸します」
香野木が慌てる。
「で!
正哉、動物は?」
「いやぁ~、香野木さん、びっくりですよ。
巨大なアンテロープを見ちゃいました。キリン並のでかさです!
ガゼルも多いです。種が違うのか、いろいろな大きさがいて……。
肉食性の動物は、ロバくらいの大きさのハイエナがいました。リカオンも。リカオンはタイリクオオカミくらいかな。
古代の地上性ナマケモノみたいな、ぶっ飛んだヤツもいました。ホッキョクグマよりもでかいと思います。
巨大アンテロープを一撃で倒したので、間違いなく肉食です」
里崎船長の目が泳ぐ。
「花山さん、どうする?」
「杏ちゃん、上陸しようよ。
地面を歩きたい……」
花山真弓の意見に、加賀谷真理、夏見智子、畠野史子が賛成する。
彼女たちの意見に抗うほどの見識は、香野木にはなかった。
来栖早希の「上陸、上陸!」との声に、子供たちが大喜びする。
誰もが長期間の船暮らしで、ストレスフルだった。
200万年後のモーリタニアは、水と緑の豊かな大地だ。乾燥の気配など、欠片もない。大小の川が流れるが、そのすべてが入り江につながるらしい。
百瀬たちが海岸で見つけた入り江も、この川の河口の一部らしい。
広い草原がある北岸に上陸する。装甲貨物輸送車を上陸させ、ごく近距離を偵察する。
南アメリカのような大型の爬虫類はおらず、哺乳類が多い。
ヒトを知っているのか、動物の多くは近付いてこない。
短時間だが、子供たちも上陸した。すぐにサッカーを始め、大きな声を出して遊ぶ。動物は逃げてしまうが、それは歓迎すべきことだ。
香野木と奥宮要介は小銃を持って見張りをしたが、その他の上陸組は久々の土を楽しむ。
加賀谷真梨と夏見智子は、地面にシートを敷いて、ピクニックを始める。
結城光二と笹原大和は、キャッチボール。
極度の緊張がドッと抜けた瞬間、想像だにしていない物体が水面に現れる。
全長50メートルの砲塔がある船。
武装船だ。
半田千早は、ヌアクショット川に浮かぶ巨大な船に呆然としていた。
とっさに「アトラス人の船だ!」と叫んでいた。見たことのない双胴船。西ユーラシアと西アフリカには、こんな船はない。
とすれば、白魔族かアトラス人だ。
西ユーラシアと西アフリカでは、アトラス山脈東麓にある巨大湖周辺のヒトたちを“アトラス人”と呼んでいた。
彼らの由来はわかっていないし、何らかの接触があるわけでもない。わかっていることは、そこにヒトが住んでいるという事実だけだ。
長宗宗親と井澤貞之は、車輌甲板最後部に楽器を出しているところだった。
2人は慌てて銃をつかむと、銃口を灰色に塗装された船に向ける。
大砲に小銃で立ち向かう。
井澤加奈子が父を止める。大砲に小銃では勝ち目はない。
香野木は、自身の迂闊を恥じた。
井澤加奈子は英語で呼びかけたが、反応がない。やはり通じないのだ。
だが、船の舳先に彼女より年上の女性が立った。
納田優奈は、この世界の標準語、フルギアの言葉、ヴルマンの言葉、クマンの言葉、湖水地域の言葉で「あなたたちは誰?」と問いかけたが、答えはない。
だが、顔の造作は、彼女や半田千早に似ている。
「あなたたちは誰?
どこから来たの?」
井澤加奈子は、想定外の日本語に驚いた。そして、一瞬躊躇った。
その間隙を突いて、風邪気味であったことから上陸を許されなかった花山千夏が叫ぶ。
「私は、チーちゃん!
高知から来たんだよ!」
半田千早は、弾帯を外し丸腰で舳先に向かった納田優奈を心配して、あとを追った。彼女も弾帯を外したが、背側のベルトに拳銃を挟んでいる。
厚着で鼻水をすする女の子が「チーちゃん」と名乗った。
半田千早はすかさず応答した。
「ワタシモ、ちーちゃん!」
井澤加奈子は、脚の震えが止まらない。突然、200万年後のモーリタニアで、日本語が通じた。
奇跡を感じた。
香野木はどうすべきか思案したが、彼自身は名乗らず、しばらく様子を見ることにする。
北岸の岸辺から少し離れた乾地で、半田千早と名乗った女性と井澤加奈子が会談している。
香野木たちは少し離れて立ち、半田千早の仲間も遠巻きにしている。
半田千早と井澤加奈子の1対1の話し合いだ。
半田千早は、この時点でもアトラス人と出会ったと考えていた。
「コウチトハ、ドコニアルノダ?」
井澤加奈子は、片言の日本語の問いにどう答えるべきか迷った。
「ずっと、西。
大西洋を渡り、太平洋も渡り、日本列島の四国という島にある」
「ソコカラ、キタノカ?」
「そうだ」
「アノフネデ?」
井澤加奈子が頷く。
半田千早は半信半疑だ。
「ユーラシアノ、ヒガシノハテダゾ。
ソレヲ、シンジロ、ト?
ホントウハ、アトラスサンミャクノ、ヒガシカラダロウ?
チガウカ?」
井澤加奈子は、迷っていた。
「私たちは、オークというヒトに似た動物を追ってきた」
半田千早は、非常に警戒した。オークの支配下にいるヒトは相当数いると推測されていたからだ。
「オーク?
シロマゾクノコトダナ。
オマエタチハ、シロマゾクノナンダ?」
そう問われると答えにくい。
「オークは、ヒトを食べる。
この世界にオークがやって来たことを知らせに……」
半田千早は井澤加奈子の言葉を遮った。
「シロマゾクノコトハ、ヨクシッテイル。
コノセカイ、トハ、ドウイウイミダ。
ベツノ、セカイカラ、キタノカ?」
井澤加奈子は、自分と同年齢の相手に気圧されている。しかし、それを表情に出すほど、弱くはない。
「200万年前の世界からやって来た。
オークが時渡りをしたことを、この時代のヒトに知らせるためだ」
半田千早は驚いている。オークは200万年の間に進化した動物だと考えていたからだ。
「シロマゾクモ200マンネンマエカラ、ヒトト、オナジヨウニ、トキヲ、コエタトイウノカ?
ソレハ、イツノコトカ?」
「いまから、5カ月前、私たちが時渡りをする4カ月前」
「トイウコトハ、5000カゲツマエカ。
416ネンモ、マエノコト……。
ショキノ、イジュウシャハ、シロマゾクヲ、ミテイナイ。
ツジツマハ、アウ……」
「5000カ月?
どういうこと?」
「ゲートヲヌケルト、ジカンハ、1000バイニナルンダ。
シロマゾクハ、500ネンホドマエカラ、ソンザイヲシラレテイル。
アナタタチガ、オッテキタノハ、ダイ2ジンカ、ダイ3ジンダロウ。
ジジツナラバ、ダケド……」
「1000倍……」
井澤加奈子は、香野木の元に走った。
ベルーガの誰もが、ゲートに入った時間の差と、ゲートから出る時間の差が1000倍になるという事実に接し、ひどく動揺している。
5カ月前にゲートに入ったオークは、416年前にゲートから出ていた。
では、彼らは何をしにこの世界に来たというのか?
時渡りをした同胞に危険を知らせようと、やって来たのに、話を聞けば何年も前から戦っているという。
それでは、200万年後に危険を冒してやって来た意味がない。
香野木は、納田優奈と対峙していた。
「驚いたな。カリブに沈まなかったとは?
魔法でも使ったのか?」
納田優奈の言葉に香野木は少しイラつくが、それは表に出さない。
「日本人に会うとは思わなかったよ」
納田優奈もイラついていた。
「カリブを突破したのに、なぜ連絡しなかった?」
香野木は、心中を隠すつもりがなかった。
「あなたを、味方と判断する材料がなかった。
しかし、なぜここに来たのか?
我々を探していたのか?」
納田優奈にとっても偶然だった。
「ヌアクショット川は、アトラス山脈東麓に源を発する。
サハラ森林帯を流れる多くの流れを集め、大西洋に達する。
ヌアクショット川源流のやや北に、大きな湖がある。内海と呼んでいいほどの巨大湖だ。この湖岸にヒトが住んでいる。
我々は彼らをアトラス人と呼んでいるが、いままで、接触したことがない。
接触を試みるため、この川を調査に来たんだ。あなたたちとは無関係だ」
香野木は、この世界のヒトが好戦的でないことを願ったが、砲を装備する船を持っている以上、200万年前のヒトの気質に変化はないのかもしれない、と不安を感じていた。
「武器を持っているんだな」
納田優奈は、香野木の不安を理解していた。
「ヒトは、200万年後の世界では食物連鎖の頂点にいないんだ。
ヒトが生きていくことは、かなり厳しい。白魔族と戦っているし、手長族とも戦っている。
しかも、苦戦している。
ヒトは団結しなければならないが、そうはなっていない。
アトラス人の力を借りられないかと思い、調査を始めたんだが……」
香野木は、納田優奈の率直な説明に驚いた。
「なぜ、戦うんだ?
平和を求めないのか?」
納田優奈は、現状につながるヒトの歴史を話すことにする。
「200万年前、1年2カ月にわたる時渡りが行われた。
その結果は、200万年後では1万4000カ月、つまり1166年間の歴史となった。
200万年後におけるヒトの歴史は、1166年前に始まるんだ。
移住するまで、200万年後にヒトはいなかった。ヒトは滅びていた。だが、ヒトに代わる覇者が、各地域にいた。
アルプス北麓の黒魔族。この種は自分たちをギガスと呼ぶ。ヒト以前に時渡りしたらしい。もっと古い時代に時渡りした種は、半龍族と呼んでいる。彼らは自分たちをトーカと呼ぶ。
北アフリカとチャド湖北岸に拠点がある白魔族は、自身をオークと呼ぶ。
彼らは、ヒトを捕らえ食う。ヒトを捕らえ、遺伝子操作や品種改良を行い、食用のヒトや労働用のヒトを作った。
恐ろしい生き物だ。
ヒトにとっては絶対的な敵だよ。
手長族は自分たちをセロと呼び、拠点は北アメリカにある。
南アメリカには、ヒトのような動物はいない、とされている。
ユーラシアでヒトが住める場所は、ライン川以西しかない。かつてはヴィスワ川以西なら住めたらしいが、もう無理だ。
ユーラシアのほとんどは、ヒト食いや噛みつきと呼ばれる、生物のルールから外れた恐ろしい生き物の世界になっている」
納田優奈は、空を見上げる。
「西ユーラシアは、寒いんだ。
200万年前のパリの北あたりまで、氷床が迫っている。
極寒期が過ぎ、暖かくなり始めてはいるけれど、暖かくなればヒト食いの活動が活発になる。
暖かくなっても、アフリカのようにはならない。
200万年前のフランスとイタリア北部、そしてアルプス周辺だけがヒトのテリトリーだけれど、そこに手長族が攻めてきた。
彼らには、ヒトを絶滅させる“使命”があるらしい。
手長族はヒトとニッチが重なるので、競争排除則が働くのだと聞いている。
ガウゼの法則。
そんなもののために、ヒトが殺されていく。西ユーラシアと西アフリカから手長族を追い出さないといけないのに、そんな力はヒトにはない。
この世界では、ヒトの敵はヒトじゃない。ヒトは食物連鎖の上位にいるが、頂点にはいないんだ。
戦争と平和じゃない。
生と死だ」
香野木は、オークだけでなく、ギガスがいることに身震いする。それだけじゃない。セロという動物もいる。この動物は飛行船を操り、ベルーガに向けて爆弾を落としている。
さらに、この3種よりも恐ろしい“ヒト食い”がいるという。
香野木は、内心で「とんでもない世界にやって来てしまった」と後悔をし始めていた。
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