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第6章

06-162 悪魔の思想

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 城島由加は悲壮な思いでいた。彼女にとって“最後の希望”であった半田隼人は、死んでしまった。
 曲がりなりにもヒトをまとめ、黒魔族との“講和”を実現寸前まで持っていった半田隼人の手腕は、他者が引き継げるものではない。
 彼女は「これからどうなるの?」と何度も自分に問うが、悲観的な答えしかなかった。
 できることは、限られる。
 家族を守る。
 それ以上のことはできない。

 そんな状況で、納田優奈からの「カリブで沈んだはずの日本人が、ヌアクショット川にいた」という情報は、厄介ごとが増えたとしか思えないものだった。
 疲れ切った移住者なんて、何の役にも立たない。支援しない、という判断はしないが、許容できないほど世話が焼けるなら容赦なく追い出すつもりだ。

 井澤貞之は、草原に滑走路を作り始める。 平坦になるよう、地面を剥ぎ取るだけなのだが、それだけでも大がかりな工事になる。
 滑走路の長さは、1000メートルだ。
 ドーザーショベルとミニショベルで、3日で工事を終わらせる予定。

 奥宮要介陸士長と加賀谷真理は、場合によっては武装船と撃ち合う覚悟を固めていた。自走75ミリ高射砲を車輌甲板最後部に引き出して、武装船に発射する態勢にしている。

 香野木は、納田優奈が申し入れた「バンジェル島に同行して欲しい」という提案を拒否する。
 子供がいるし、船を含めて、すべてを奪われる可能性だってある。
 そんな危険は冒せない。

 納田優奈は、香野木恵一郎と名乗った男が、お人好しではないことを強く認識させられていた。
 彼は「大西洋横断で燃料を使い果たしたので、一歩も動けない」と説明しているが、それは明確に偽りだ。
 巨大なクレーン車を陸に揚げ、上部甲板に繋止されている巨大な積み荷を降ろそうとしている。
 その積み荷を覆う防水シートが外されると、納田優奈が見たことのある飛行機が現れる。
 機種名は知らない。だが、200万年前の日本で見たことがある。西日本からの避難民を羽田や成田、厚木や横田に輸送していた。
 ニュースで見たし、調布では着陸するところを見た。
 自衛隊の飛行機だ。
 日の丸が描かれている。
 納田優奈は、大災厄以後の混乱した状況を思い出し、息を呑んでいた。
「こんなものを持ち込むって、このヒトたち、いったい何者なの?」
 半田千早の問いに納田優奈は直接答えたくなかったが、感情と言葉は乖離していた。
「ヤバイ連中かもしれない」
 飛行機を北岸に降ろす作業を眺めながら、納田優奈は香野木たちに対して強い警戒心を抱き始めていた。
「ちーちゃん、あの飛行機に乗って、バンジェル島に向かってくれる?」
「優奈、私、怖いよ。
 マジで」
「普通の移住者でないことは確かだし、本当に過去からの使者なのかもしれないけれど、だからといって私たちの味方とは限らないよ。
 過去には、この世界のヒトを皆殺しにするための軍が送り込まれたことだってあったんだ。
 あの人たちが味方と判断することは危険だよ。
 だから、あの飛行機のクルーだけを、離陸させるわけにはいかない。もし、強力な爆弾を積んでいたら……。
 200万年前には、街を一瞬で消し去るほどの威力がある爆弾があったんだ。
 あのヒトたちだけでは離陸させない。
 絶対に!」
 半田千早は、納田優奈の命令に頷いた。

 城島由加は、納田優奈からの報告に大きな不安を感じてはいなかった。
 優奈の説明によれば、彼女が危惧している“核を積んでいるかもしれない飛行機”は航空自衛隊のC-1輸送機のようだし、C-1では核の運用はできない。
 そもそも自衛隊には核を運用できる航空機はないし、核兵器そのものもない。大災厄後に他国軍から偶然入手した可能性はあるが、使う気も、使う必要もないだろう。
 そもそも“ヒト殺し”は、子供を伴って移住したりしない。子供を伴っている理由は、未来を求めているからだ。
 城島由加は、船のほうが気になっていた。船体の幅が30メートルくらいある双胴船だと報告されている。
 その報告を聞いた瞬間、彼女は「まさか、ナッチャンWorldのはずないよね」と呟いていた。
 インキャット社製ウェーブピアサー船のナッチャンWorldは、九州各地からの避難民を静岡の清水港まで輸送する任務に就いていたが、巨大火山弾の直撃を受けて大破し、宮崎に残置されたはず。
 可能性としては、台湾にあるナッチャンReraと日本海側にあったあかねの2隻。
 どちらにしても、インキャット社製ウェーブピアサー船ならば時速60キロ以上という条件を満たすし、ディーゼルエンジンだから電子機器をOFFにできれば時渡りは可能だ。
 城島由加は半田隼人の死を悲しむ時間を与えられない現状を歓迎していた。
 いったん悲しみ始めたら、暗い世界に落ちそうだった。

 船橋に全員が集まっている。
 井澤貞之の説明から始まる。
「インチキ滑走路は、明日の午前中には完成する」
 土井将馬が手を上げる。
「くじらちゃんは、準備が整っています」
 ヘリコプター甲板に繋止されているC-1輸送機を、子供たちは“くじらちゃん”と呼んでいた。
 車輌甲板にあるT-4練習機の愛称は、“いるかちゃん”だ。
 香野木が提案する。
「操縦は土井さん。
 それと井澤さん、私の3人で行く」
 花山真弓が反対する。昨夜、この件は2人で話し合ったが、花山真弓は同意していたし、反対もしなかった。
「香野木さんはダメ。相手が何者なのかわからないし、千早という女性は戦い慣れしている。
 私が行く。
 か弱い男3人じゃ、いざというとき何もできない。
 そして、香野木さんは、他に代えられない。
 里崎さん、長宗さん、加賀谷さんはこの船に必要。
 敵地かもしれないバンジェル島に行く適任者は私」
 花山の脳には香野木に対する“取説”があった。香野木は反対意見を予測し、それを押さえ込む能力がある。だが、反対意見を予測していない場合、彼の脳はフリーズする。
 花山は香野木の虚を突き、自分の意見を押し通した。
 花山と香野木は、花山の実子である健昭と、高梨由衣、花山千夏の保護者となっていた。
 花山千夏が発言する。
「私、ママと行く!」
 高梨由衣が諭す。
「チーちゃん、我が儘はダメ」
「我が儘じゃないよ。
 ちーちゃんも一緒に行くんでしょ。
 私が一緒なら、悪いヒトじゃないよ、ってわかってもらえるよ」
 納田優奈は香野木たちを警戒しているが、香野木たちも納田たちを信じていない。
 花山千夏が同行すれば、便乗するという半田千早という女性戦士の警戒を少しだけ緩めることができるかもしれない。
 花山が肯定する。
「いい案ね。
 チーちゃん、一緒に行こう」
 花山千夏が頷く。
 香野木は反対したかったが、花山真弓との議論は避けたかった。
 絶対に負けるから……。
 香野木恵一郎は、負ける戦いはしない主義だ。

 ノイリン北地区は、ブロウス・コーネインを始祖とする似非科学である“優生学”とそれを根拠とする邪悪な理論“優生思想”が、深く根を張っていた。
 優生学は科学ではない。もっともらしい理屈を並べ立てただけのものだ。
 200万年後の世界には、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などアブラハムの宗教の影響がほとんどない。
 この過酷な世界では、唯一神では足りない。多数の神が必要で、神は精霊と名を変えている。
 これが、精霊信仰だ。宗教的な施設や儀式、経典は一切ない。自然界の事物には精霊が宿っていて、ヒトには守護精霊が必ずいる、という考えだ。
 シャーマンはいるが、職業としての“神に仕えるもの”はいない。
 精霊信仰は西ユーラシアだけでなく、西アフリカにもある。不思議だが湖水地域でも通用する。
 この信仰は、原初的な“神”の形態なのかもしれない。
 優生思想は精霊信仰と競合しない。優生学は、科学の“匂い”があるからだ。しかし、実態は宗教に近い。
 優生思想を濃縮すれば、優れた社会を築くには劣ったヒトを排除しなければならない、となる。
 これにラマルキズムが結びつく。個体が獲得した形質は次代に引き継がれる、とする考え方は受け入れやすい。親の努力が子に引き継がれるとするならば、それはヒトの願いだからだ。
 だが、獲得形質は遺伝しない。
 優生思想とラマルキズムが結びつき、優秀な親から優秀な子が生まれ、劣った親からは劣った子しか生まれない、となり、劣ったヒトを排除すれば、優秀なヒトだけの社会が築ける、という結論が導かれる。
 また、優秀なヒトの集団は劣ったヒトの集団を支配できる、との考えにも結びつく。

 だが、救世主の存在が、優生思想に冒されたヒトたちを追い詰めた。
 遺伝子操作され、さらに品種改良までされたヒトの存在が現実にあり、彼らは国まで作っている。
 優秀な男と女の交配の結果とは、つまりは品種改良された子ということになる。
 優生思想は、救世主に直結してしまう。数百年前に遺伝子操作され、以後、品種改良され続けたヒトの集団である救世主は、優生思想の結果と同じだ。
 ノイリンから見て、彼らが幸せとは思えない。
 支配者側も、被支配者側も。
 強固な優生思想は、救世主という実例の前で、勢いを減じていた。
 だが、優生思想に冒されたヒトたちの憎しみが、ノイリン北地区の初期メンバーに向けられている。
 相馬悠人は、自身が北地区区長を退くことは問題だとは思っていない。
 最大の政敵はオルレア・ユボーだが、彼女には政策がない。北地区をどうしたいか、というビジョンがない。
 優生思想を否定したヒトに対する憎しみだけだ。そして、優生思想に基づいた政策を、実施するという幻想に取り憑かれていた。
 優生思想の代替となる“理論”を編み出していた。編み出したのではなく、どこからか拾ってきた。
 インテリジェント・デザインだ。
 精霊を含むすべての上位にある“存在”を定義し、その“存在”がすべてを設計した、とする考え方だ。ヒトは偶然生まれたのではなく、自然をも定義する“存在”が意図的に生み出した、と唱える、
 その“存在”は神ではなく、神よりも上位にある。その“存在”が設計し、下位にある別の何かが製造した生き物には、時折、不良品が生まれる。
 その不良品を排除すれば、より優れた社会が築ける、と説いた。
 こうすれば、白魔族=創造主を排除できる。
 進化論や遺伝学に対抗する新たな仮説であり、並列に論じるべきだと。
 生命が長大な時間の中で変化し続ける現象は偶然ではなく、定められた方向に向かっているのだから、そこから外れた個体を“処分”することは正当なのだと主張する。
 結局は、誰かを殺したいのだ。
 そして、ここだけは隠す。
 何を基準に良・不良を定めるのかという閾値が重要になるが、これは主観。
 為政者は、権力側の都合・不都合で閾値を変えられる。独裁、専制につながっていく。
 ノイリン5地区は、それぞれに問題を抱えている。
 だが、北地区ほど深刻で、陰鬱なものではない。
 相馬悠人はどうすべきか考え続けているが、答えは出なかった。家族の安全のために、コーカレイかバンジェル島に移ることまで考えている。

 急造の転圧滑走路には、ターボファンエンジンが異物を吸い込まないように、泥濘まない程度に水を撒いた。
 土井将馬、井澤貞之、花山真弓と千夏、そして案内役の名目で半田千早が乗り込む。
 ランプドアが閉まる。エンジンの推力が上昇し、滑走が始まるとわずか600メートルで離陸する。
 バンジェル島まで1100キロ、1時間40分の空の旅が始まった。

 C-1輸送機は、エンジンを低バイパスのターボファンエンジンであるプラット・アンド・ホイットニーJT8Dから高バイパスのJT9Dに換装している。このエンジンは、ボーイング747、マクドネルダグラスDC-10、エアバスA300などで採用されていて、高い運用実績がある。
 大災厄の際、輸送機が足りず、退役を始めていたC-1を復帰させたが、航続距離の短さが問題となり、燃料タンクの増設と燃費向上を狙ったエンジン換装が計画された。
 くじらちゃんは、航続距離延長型の試作機だった。
 高度1万1000メートルまで上昇し、時速650キロで巡航する。
 チーちゃんは空の旅を楽しんでおり、半田千早とたくさんおしゃべりしている。
 手榴弾をポケットに入れた半田千早は、悲壮な覚悟で乗り込んだのだが、チーちゃんのペースに巻き込まれ、外を見たり、歌を歌ったりと、落ち着いた旅になった。
 それに、荷室には爆弾らしきものがない。荷室を眺める限り、手榴弾より大型の爆弾は絶対にない。
 これも彼女に安心感を与えていた。

 バンジェル島まで300キロに迫ると、高度を4000メートルまで下げる。
 半田千早は機長を務める土井将馬から操縦室に来るよう要求され、それに従う。
 チーちゃんもついてきた。

 この世界の飛行機は、所属を示す国籍標識はなく、機長を表すパーソナルマークが描かれることが多い。
「半田さん、もう少しすると、前方に飛行機が見えてきます。
 敵・味方を判別してください」
「土井機長、飛行機を使う敵はいませんよ」
「あれだ」
 前方にやや上空を双発双胴のフェニックス輸送機が飛んでいる。
 すぐに追い付き、一気に抜き去る。フェニックス輸送機の巡航速度は時速350キロ。
 くじらちゃんは300キロも速いのだから、当然だ。
 半田千早には、追い越したフェニックスが誰の機かすぐにわかった。
 機首に獅子の紋章、垂直尾翼が黄色。
 ミエリキが機長を務める輸送機だ。
「土井機長、無線、使っても、いいですか?」
 ここ数日で、確実に思い出し始めた日本語を、どうにか使っている。
 土井からヘッドセットを受け取る。
「ミエリキ、聞こえる?
 千早だよ」
「チハヤ!
 何だよそれ!
 ノイリンの新型なの!
 全然追い付けないよ」
「バンジェル島で待ってるよ!」
 土井にヘッドセットを返す。
「友だちなんだ。
 ミエリキ。
 彼女は、ヴルマンで最初のパイロットだよ」
 土井将馬は、納田優奈よりも半田千早のほうがフレンドリーだと感じている。
 だが、花山真弓に言わせると、半田千早は戦慣れした歴戦の兵士だそうだ。
 にわかには信じられない。

 バンジェル島飛行場の管制からの指示は、半田千早が受け、翻訳して土井将馬に伝える。
 そして、無事に着陸した。

 城島由加は、C-1の着陸を複雑な気持ちで見ている。
 周囲は見慣れない輸送機の登場に大騒ぎで、クマンの連絡員からは「ノイリンの新型か?」などと、質問を浴びせられていた。

 ランプドアが開いていく。
 そして、7歳くらいの女の子と手をつなぐ、迷彩服3型を着て、88式鉄帽を被る女性と遠距離で目が合う。

 城島由加は花山真弓に同業の匂いを感じた。
 挙手の礼をして「元陸自の城島です」と挨拶すると、女性は微笑み「私も元陸自の花山です」と答礼する。
 2人に面識はなかった。
「C-1ですか?
 まだ、飛べる機があったのですね」
「えぇ、200万年前の世界はすごいことになっていますが、C-1に関しては何機か飛べるように修理しています」
「これに乗って、何度も空挺降下しています」
「習志野ですか?」
「一時期」
「そうですか」
「花山さん、司令部に案内します。
 コーヒーを入れましょう」
「本物ですか?」
「もちろん」

 チーちゃんは、驚いていた。
 テーブルには、果物がたくさん用意されていた。果物は記憶にある限り、高知の民家の庭になっていた夏みかんを食べたことがあるだけ。
 テーブルには、バナナ、オレンジ、パイナップル、メロンなどが籠に大量に盛られている。
 さらに、フルーツケーキと砂糖を入れた紅茶も。
 半田千早が相手をしてくれ、経験のない食事を楽しんだ。

「城島司令官……。
 ここは、どういう施設なんですか?」
 城島由加は、花山真弓の質問に答えなかった。会議室にいる彼女の幕僚に、花山を紹介する。
「私と同じ“軍”にいた……。
 花山さん、階級は?」
「1尉です」
「花山真弓大尉です」
 会議室がざわつく。当然だ。城島由加と同じ階級なのだから。
 幕僚長が城島に通訳を頼む。
「司令官、兵科を尋ねてください」
「花山さん、職種は?」
「はい?
 機甲科ですが……」
「幕僚長、機甲科だそうです」
 髭面の男がニヤつき、幕僚たちが何やら話し合っている。
 城島は花山の怪訝な顔を見て、説明する。
「ここはギニアビザウの沖あたりなんですけど、海岸に沿って300キロ南下すると、そこは最前線なんです」
「最前線?」
「えぇ、セロ、手長族との戦いの……。
 昨年あたりから、セロ側で攻勢の準備が始まっていて、こちらも準備はしているんですが……」
「そのセロですが、ヒトよりも腕が長い……」
「そうです。
 なぜ……?」
「……知っているかですか?
 太平洋で飛行船を撃墜したんです。
 乗組員らしい死体を収容したんですが……」
「そのときに、知ったのですね」
「えぇ、まぁ」
「セロは装甲車輌を一切持っていませんでした。
 ですが、白魔族が与えたんです」
「白魔族、オークのことですね?」
「オークも知っている?」
「200万年前の地球は、オークに破壊されたんです」
「えっ?」
「オークとギガスが戦争を始め、地球は地上から何もかもなくなってしまったんです。
 草木1本、石ころ1つなくなってしまって……」
「どういうことです?」
「地下と水中にいたヒト以外、ほとんど生き残らなかった……。
 文明は滅びました。
 一部のヒトが団結し、頑張っていますが……。
 私たちは、オークが時渡りをしたことを察知して、それを知らせるために200万年後に来たんです」
「そう……だったのですか?
 驚きました。
 そのオークなんですが、捕らえているヒトに戦車を作らせ、それをセロに供与したんです。
 1年前まではヒトが優勢でしたが、戦車を得たセロとどう戦えばいいのか、迷っています」
「オークが戦車を……」
「それだけでなく……。
 本国であるノイリンではゴタゴタが続いていて……。
 とても戦争ができる状況ではないのです。
 もしセロに攻め込まれたら、どこまで後退することになるのか……」
「……」
 花山には答えようがなかった。

 チーちゃんは、半田千早に連れられてマーケットに行った。北方人のクマの毛皮から、クマンの森の恵みまで、何でも売られている。
 チーちゃんは、日差しを避けるのに最適な麦わら帽子と、やや厚手のチョッキを買ってもらった。
 買い物を楽しむことは、大災厄後にはなかったことなので、彼女にとっては初めての経験だった。

 花山真弓は、司令官室で何杯目かの本物のコーヒーを味わっていた。
「花山さん、失礼とは思うのですが……。
 この世界で生きていく術はありますか?」
 城島の問いに、花山は口ごもる。
 返答のしようがない。
「私たちも苦労したんです。
 銃の修理と、中古銃の販売で生計を立てていたんです。
 その仕事は、今でもやっていますが……」
 花山は、確かに生活の術が必要だと感じていた。
 発達した貨幣経済があるのだから、お金を稼がなければ生きてはいけない。
 花山は、予想外の事態に困惑していた。

 くじらちゃんが着陸した45分後、C-1と比較しても遜色のない大きさの双発双胴輸送機が着陸した。
 その機は管制が指示した駐機場に停止する。
 それは偶然、くじらちゃんの隣だった。
 土井はすべての乗降口をロックしていた。荷室をチェックしていた井澤貞之はランプドアを何度も叩く音に気付き、土井の許可を得て開ける。
 ランプドアが降り始め、完全に降りきる前に、パイロットスーツを着た若い女性が跳び乗ってきた。
 制止しようとした井澤は床に投げ飛ばされ、女性はコックピット(操縦室)に駆け込んだ。
 井澤の声を聞き、操縦手席で半分腰を浮かしていた土井将馬は、女性を見て慌てた。
 女性は副操縦手席に座ると、操縦桿をいとおしそうに触り、土井に話しかけた。
 明らかに質問なのだが、言葉がわからず、答えようがない。
 非友好的ではない、と感じた土井は、離陸に至る手順を説明し始める。
 日本語では少しもわからないと思い、英語で説明する。それでも、理解できるはずはなかった。
「ジブラルタルの言葉なら、少しわかる」
 土井は、驚いた。
「英語、わかるの?」
「少しだけ。
 フェニックスの操縦教官がジブラルタル人だったから……」
「英語を話すヒトもいるの?」
「とても少ない」
「この世界の言葉、教えてくれる?」
「すぐ覚える。
 みんな、すぐ覚えた」
「きみは、パイロットなの?」
「フェニックスのパイロット」
「この飛行機、凄いスピード!
 バンジェル島にいつまでいるの?」
「わからない……」
「明日、友だちと来るから……」

 土井と井澤は、飛行場の発着便数を数えているが、その多さはまったくの想定外だ。
 移住1200年の歴史は、本当のようだ。
 輸送機は3機種。近距離用の双発小型、中距離用の双発中型、遠距離用の双発大型。
 大型・小型の分類は、3機種の相対的な大きさを基準にしている。大型でも、200万年前なら中型に分類される。
 発着は、日の出から日没まで。夜間の発着はない。
 この日の最終便は、小型双発輸送機だった。

 ミエリキはララの到着を待った。
 2人で、プロペラのない大型輸送機を見に行くためだ。

 土井と井澤は驚き、声が出ない。
 昨日、コックピットに押し入った女性と一緒にやって来たのは、ヒトではなかった。
 ヒトによく似た美しい女性だが、ヒトではない。
「ドイ、彼女はララ。
 精霊族だ」
 ララが握手を求めた。
「よろしく」
 土井は少し躊躇った。
「あ、あぁ、よろしく」
 井澤は何も感じないようで、ララと会話している。ララは“ジブラルタルの言葉”を解さず、井澤とこの世界の共通語で話している。意味はほとんど通じていないが、2人とも楽しそうだ。

「ララ、この輸送機、(時速)800キロも出るんだって!」
「ミエリキには魅力だろうけど、私は単発機がいいなぁ」
「ドイ、ララは単発機がいいって!」
「う~ん、単発機はないけど、双発の小型機ならあるよ。
 こいつはくじらちゃん、小さいほうはいるかちゃんだ」
 ララが何か言った。
「ドイ、ララがね、それも輸送機なの、って」
「いやぁ、言っちゃいけないんだよ」
「大丈夫、誰にも言わないから!」
 井澤が大笑いする。
「練習機だよ」
 土井が井澤を凝視する。
「井澤さん、ダメですよ」
 ミエリキとララが長い会話をしている。
「ドイ、ドイはパイロットなんだよね?」
「操縦はできるけど、職業パイロットじゃないんだ」
「ふ~ん、じゃぁ、本職は?」
「飛行機の設計者だ」
 ララが何か言った。
「ララがね。
 その飛行機を見に行こうって!」

 土井将馬と井澤貞之は、顔を見合わせた。2人の若い女性の明るさは、この世界の印象を変え始めていた。
 しかも1人は、ヒトじゃない。
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