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第6章
06-163 分裂の危機
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花山真弓は、城島由加の司令官室で若い女性と会っていた。
「花山さん、クマン国の元首パウラさん」
20歳前後の若い女性が“元首”だと紹介されても、にわかには信じられない。
クマンは活気のある国で、500年以上の歴史を持つが、一定の科学技術を維持している。
「ハナヤマさん、初めまして、パウラです」
「花山真弓です」
通訳は帯剣しており、パウラの護衛を兼ねているようだが、クマン人のようだ。クマンにも英語を解する人物がいることに、驚きを感じている。
「花山さん、パウラは、あなたたちをクマンに迎え入れたいと……」
「どういう意味ですか?」
「ハナヤマさん、クマンは手長族に攻められ、国土の3分の1を失いました。
また、クマン旧領の北辺に国が生まれ、ここでも3分の1を失っています。
ですが、クマンはヒトが住まない東に向かって開拓を進め、掌握している面積だけならば、旧領と同じ程度は回復しています。
北の新国家は友好的でなく、南の手長族は言うに及ばず、東では創造主との接触が日々増しています」
「創造主?」
城島由加が説明する。
「創造主とはチャド湖北岸に拠点を置く、白魔族、つまりオークのこと」
「城島さん、つまり、アフリカ内陸にオークがいる……」
「その通り」
困惑する花山を無視するように、パウラが説明を再開する。
「我らは、手長族と創造主から領土、財産、ヒトの生命を守らねばなりません。
ですが、力不足なんです。
ご助力を賜りたい……」
コーヒーが運ばれ、城島司令官が勧める。
「ここバンジェル島、クマン、ヴルマン、コーカレイの4国で、北大西洋同盟を締結するつもりなの。
他に加盟の意思があるのは、北方人部族連合とジブラルタル」
「城島さん、それは……」
「表向きは自由貿易圏なんだけど、実際は軍事同盟になる。
この同盟が成立すると、ヒトの団結が瓦解するの」
「どういうこと?」
「ヒトは、緩い同盟を続けてきた。
互いの文化を認め合い、干渉しない、排除しないことで、うまくやってきた。
でもね、それが終わろうとしている。
半田隼人が死んでしまったから」
「半田さん……」
パウラが英語を使った。
「偉大な精霊に守護されたヒト全体の指導者です。
ハンダチハヤの養父であり、ジョウジマ司令官のご主人……」
城島由加が釉薬が塗られた白い寸胴の壺を指さす。その壺は、書棚に無造作に置かれていた。
「ノイリン中央議会議事堂の駐車場で、何者かに刺され死んでしまった。
犯人は捕まっていないし、捕まったところで、国際情勢がどうにかなるわけではない。
半田隼人の死は、すでに発表された。
同時に世界は動き始めた。
ヒトはライン川以西ユーラシアと赤道以北アフリカだけに住んでいる。
かつては、クレタ島、ソコトラ島、ニュージーランド、マダガスカルにも住んでいたらしいけど、いまはいないようね。
飢饉、疫病、寒冷、火山の噴火、異種の襲撃。
ヒトを滅ぼす要因なんて、この世界では指の数では足りないくらいあるから……。
ヒトの世界がバラバラになろうとしている。
完全にバラける前に、同心してくれる、国、地域、街が同盟を結ぼうと……。
その1つが、北大西洋同盟なの。
だけど、もし北大西洋同盟が成立すれば、それに対抗する軍事同盟が生まれる。
冷戦時の北大西洋条約機構とワルシャワ条約機構のように……。
北大西洋同盟は次善の策で、半田隼人に代わる新たな指導者が現れることを期待している。
だけどね……。
都合よく、代わりが現れるとは思えない。
ヒトは、最大でも150万人いない。ライン川以西に30万、アルプスの南に15万、西アフリカ全体で40万、湖水地域に30万、アトラス山脈の東側にも数万から数十万人いる。
救世主や金羊・銀羊を加えても、120万から150万。これがヒトのすべて。
対立している余裕なんてない」
パウラが目を伏せながら話し始める。
「ハナヤマさん、クマンには、ユーラシア諸都市ほどの科学技術がないのです。
もし、ヒトの世界が対立の時代を迎えたなら、クマンは西ユーラシアの植民地になってしまいます。
それは、湖水地域も同じですが、クマンのほうが切実です。
どうか、お力添えを……」
花山真弓は、判断を保留したかったが、それは得策でないと考えた。個人的な見解と断った上で、その後のことは香野木恵一郎に丸投げすればいいと思っている。
「個人的な意見だけど……。
城島さん、パウラさん。
クマンの港に入港しましょう。
私たちはオークの襲来を知らせるために、時渡りをしたんです。
その目的は果たしたのかもしれないけど、オークを叩く前にすべきことが別にあるようですね。
私たちの船、ベルーガをここに呼びます。
その上で、私たちのリーダーと話し合って欲しい……」
パウラが驚く。
「ハナヤマさんが、指揮官ではないのですか?」
「違います。
私たちのリーダーは、別にいます」
城島由加は、本質的な問題ではないが、どうしても尋ねたいことがあった。
「その船なんだけど……」
城島司令官が画像をタブレットに表示し、テーブルに置く。半田千早が撮影し、持ち帰ったものだ。
「インキャットのウェーブピアサーだよね。
もしかして、ナッチャンWold?」
花山はナッチャンWoldの最後を知っていた。「あの船は宮崎で阿蘇の火山弾の直撃を受けた。航行不能になった後、しばらくは浮いていたけれど、さらに被弾して、宮崎港外に着底してしまったの。
私たちの船は、同じインキャット製だけど、一回り小さい。佐渡汽船のあかねと同型で、フィリピンの高速フェリーだった。
改装のために高知港の造船所に移送されていて、それを使わせてもらった」
パウラが興味を示す。
「知らない言葉がたくさん。
どういう意味なのです?」
城島司令官が微笑む。
「全長100メートルの大型船だけど、35ノット以上出る高速貨物船なの」
花山真弓が捕捉する。
「全長90メートル、公式の最大速度は40ノットだけど、相模湾での公試では42ノットを発揮したの」
パウラが笑みを漏らす。その顔は元首のものでも、良家の子女のものでもなく、獲物を見つけたオオカミのようだった。
この瞬間、花山はパウラが飾りの元首ではないことを悟った。
翌日、花山真弓はクマン国元首私邸に招かれた。
元首私邸は美しい庭園のある古い邸宅で、貴族の館のようにも感じた。
だが、違っていた。
クマン旧王家の遺産のすべてを投じた大事業、旧王都からバマコに到る鉄道を建設する西アフリカ鉄道会社の本社であった。
小さな部屋がパウラの居室で、それ以外はすべて鉄道会社が使っている。
「すみません。
会議室をすべて使っていて……」
パウラの居室には、眼光の鋭い年配の男性とメイドのような格好の20歳代後半の女性がいた。それと護衛兼通訳。
「紹介します。
総務担当のブーカ、それと経理・会計担当のトゥーリアです。
旧王都からバマコへの鉄道が開通すれば、クマンと湖水地域の貿易は、いま以上に活発になるでしょう。
それと、工事全般を担当するカナザワは、トウキョウから来たそうです」
この日、花山真弓は、クマン新首都を案内された。パウラ自ら、議事堂の建設現場、車輌工場、飛行場、軍の練兵場を案内する。
花山真弓、井澤貞之、土井将馬の3人は、クマンの新首都港入港に気持ちが傾いている。
疑えばキリないが、誰もが友好的に接してくれる。
それと、C-1輸送機の燃料補給は、桜金貨での支払いで可能だった。バンジェル島飛行場の駐機料金も、きっちり請求されている。
特別視されていないのだ。
この点を井澤貞之が高く評価している。
この夜、花山は「里崎船長宛。ギニアビザウ沖に移動せよ」と無線を送る。
もし、「里崎艦長宛」とした場合は、捕らえられたことを意味していた。
「燃料がなく、一歩も動けない」はずのベルーガは、数日前から節電を実施、昼間は太陽光パネルを展張して、充電を開始していた。
里崎杏船長が抜錨を命じ、船体幅26メートルに達する巨体の船首を河口側に向け始めると、監視していたデアフリンガーは慌てて巡航用ディーゼルエンジンを稼働させた。
納田優奈の呼びかけに、里崎船長は「バンジェル島沖に向かう」とだけ答えた。
河口までは8ノットで進むが、外洋に出るとベルーガは航海速力30ノットで進む。
小型武装船デアフリンガーは、巡航用ディーゼルエンジン1基では追従できず、ガスタービンエンジンを稼働。
だが、それでは燃料の消費が過大なため、結局は引き離されてしまった。
西アフロユーラシア最速船デアフリンガーの乗員は、衝撃を受ける。同船の最高速度は44ノットを誇るが、航海速力は18ノットに過ぎない。
デアフリンガーはベルーガを追跡し続けられるが、そのためには燃費を無視しなければならない。
ベルーガはデアフリンガーに「バンジェル島沖に向かう」と無線を送ったが、それを信じる根拠がデアフリンガー側にはない。
ピタリと追従して監視を続けたいが、300キロ追って諦めた。
デアフリンガーは、18ノットで3700キロの航海距離があるが、ヌアクショット川への往路で1000キロを航海しており、残り2700キロ分の燃料が残っているとしても、30ノットを発揮した場合、バンジェル島にたどり着く前に燃料切れとなる可能性が高かった。
デアフリンガーは、ベルーガがいくら高速でも30ノットは維持できないと考えていたが、その予測は完全に外れていた。
船長のゴッドフリートは、納田優奈に「船乗りならば、誰でもあの船の船長になりたいはずだ。小職も同じだ」と、消えゆくベルーガを眺めながら羨望の眼差しを向けていた。
ベルーガは、ヌアクショット川河口からバンジェル島大西洋側沖まで18時間で航行し、夜明けを待っていた。
花山真弓の指示では、バンジェル島ではなく、クマンの港に入る予定になっている。
里崎杏船長はセロの飛行船を警戒し、ヘリコプター甲板に、自走75ミリ高射砲と自走35ミリ高射機関砲2輌を配置していた。
だが、入港時に装甲車輌を目撃されると、バンジェル島やクマンに余計な警戒心を抱かせる可能性があり、至近に迫ったところで、ヘリコプター甲板上の車輌をシートで覆うよう命じている。
車輌甲板最後部には、自走40ミリ連装機関砲を配置していたが、シャッターの奥に引き込んだ。
ヘリコプター甲板には、各務原の航空機製造工場でキラーエッグに改造した、MD500が繋止されている。
クマンの水先案内人と通訳を乗船させることになり、2人が「船で向かう」との連絡を固辞して、結城光二がキラーエッグで出迎えに向かう。
通訳は武人らしく帯剣しており、眼光も鋭い。クマンの民族衣装なのか、襟の立ったコートを着ている。
水先案内人は、ロングジャケットを羽織っている。
2人は航空機に乗ることが初めてで、結城が乗るように促すと、少し躊躇った。
意地もあったのだろうが恐れる様子を見せずに後席に座る。だが、キラーエッグが浮き上がると騒ぎ出す。
さらに、航行中のベルーガに着船すると、2人の興奮は最高潮に達する。
通訳はヘリコプター甲板上の装甲車輌に注目する。シート越しでははっきりしないが、クマンには存在しないタイプで、ノイリンの歩兵戦闘車に似ている、と判断する。
船体の形状は特徴的だが、船橋の雰囲気も在来船とは大きく異なっていた。
それに、船長が女性だ。女性の船長はいない。女性ならば、船を選ばず、歴史の浅い飛行機を選ぶ。女性機長は一定数いるが、女性船長は皆無だ。
この女性船長は軍籍にあるらしく、階級は大尉=キャプテンだと紹介された。
通訳の驚きは大きく、船長がキャプテンの場合、その上位には船団指揮官=提督=アドミラルしかいない。
水先案内人は、船の加速力と減速力に感銘を受けていた。さらに、旋回中に速度がほとんど落ちていないことにも驚く。
全長90メートル、全幅26メートルという肥満型なのに機動性が高い。
水先案内人が通訳に「最高速度と航海速度を聞いてくれ」と頼むと、里崎船長は「計画での最大速度は40ノットだが、過去に42ノットを発揮したことがある。航海速力は30ノット」と聞き、通訳を介さなくても意味を解した。
水先案内人の質問に、里崎船長が驚く。
「戦車は積めるか?
荷役のためのジブクレーンの吊り下げ能力は、どれくらいか?」
答えるべきか否か、一瞬迷う。
水先案内人と通訳は、車輌甲板を見ていない。ヘリコプター甲板から直接船橋に入った。
里崎船長は嘘は言わなかった。
「戦車を積むことは可能だ。
荷役用のジブクレーンは、備えていない。クレーンが必要な場合は、港湾設備を頼るしかない」
水先案内人が何かを言った。
それを通訳は、伝えなかった。
しかし、里崎船長には意味がわかった。船速は高いが、貨物船としての使い勝手が悪いことを指摘したのだ。
ベルーガは、入り江なのか、河口なのか判然としない地形を内陸に向かって進み、焼成レンガを積んで造った岸壁に接岸した。
珍しい形状の船を見ようと、人集りができ、見物人を目当てに、物売りが現れている。
ベルーガは、車輌の乗降用ランプドアを下げているが、これは自走40ミリ連装機関砲の射界を確保するためだった。現在はすべての装甲車輌をヒトの目に触れないようにしている。右舷最後部ランプドアと船尾側ランプドアのどちらも、岸壁とは接していない。
ベルーガのランプドア下端と岸壁では、ベルーガ側が1メートルほど高く、岸からは2メートル近く離れている。
飛び移ることは可能だろうが、かなりの勇気がいる。それと、車輌甲板のシャッターは閉じられていて、船内を伺い知ることはできない。
自走40ミリ連装機関砲は、車輌甲板シャッターの内側にある。
里崎船長は水先案内人と通訳を、船内を通して陸に降ろすことを嫌った。
車輌甲板を見られたくなかったし、船の構造を知られたくなかった。
そこで、2人を強引にキラーエッグに乗せ、港近くの空き地に降ろす。
見物人は、夕暮れが迫っても減る気配がない。ちょっとした観光名所になったのか、物売りだけでなく、大道芸人まで現れる。
軍か警察らしい制服の一団が現れて、ベルーガの警備を始める。見物人に暴力を振るいはしないが、ちょっと物々しい雰囲気が漂う。
百瀬未咲と井澤加奈子は、車輌甲板から芸人が奏でるバイオリンとチェロの音色を楽しんでいた。
そこに、制服の一団が現れる。
緊張が走る。
高梨由衣と吉良愛美が少し怖がる。
有村沙織が「私たちも何かしようよ」と提案し、5人は長宗元親のギター、ベース、ドラム、キーボードを持ち出すことにする。
もちろん、長宗には無断だ。長宗と井澤貞之が始めたバンドに、彼女たちが後から加わったのだが、2人のおじさんはやや邪魔者になっていた。
ライトを付け、電源コードを引き伸ばし、スピーカーを設置して、準備が整うまでに1時間を要した。
まだ、大道芸人たちは去っていないが、制服の男たちの登場で、ちょっと白けている。
そこに、1トン積みトラックを改造したような、黒塗りのワゴンが到着する。
女性が降りる前に、水先案内人の通訳が降り、後部ドアを開ける。
井澤加奈子と大差ない年齢の女性が降りる。
そして、船を見上げる。
制服の一団は、この女性のために現れた警備であることは明かだった。
誰かが「パウラ!」と叫ぶと、見物人と物売りや大道芸人も加わって、「パウラ!」の大合唱となった。
この女性がこの地域で、支持された人物であることは明白だ。
服装は華美ではなく、むしろ質素だ。しかし、20人近い警備がつくのだから、相応の人物なのだろう。
通訳が「乗船の許可を求める!」と声をかけるが、「パウラ!」の歓声にかき消されてしまう。
高梨由衣が船橋に走り、里崎船長を伴って戻る。
歓声は止んでおり、里崎船長は通訳の要求を聞き取っている。
ベルーガには乗船用のラッタルがない。簡易な乗下船用に長さ3メートルのアルミ製スロープを使っていた。
この船用ではなく、トラックに軽車輌などを積むための荷台と地面との渡り板だ。
里崎船長は、演奏の準備が整っていた百瀬未咲たちに指示して、このタラップを岸壁に降ろさせる。
岸壁側では警備の男性たちが、作業を助ける。
架け終わると、パウラと呼ばれた女性は、幅70センチほどの渡り板をいとも簡単に渡った。
護衛兼通訳のほうがもたついている。里崎船長は女性の身のこなしから、相当に訓練されていると感じた。
どことなく、半田千早に通じるものがある。端整な顔立ちで、清楚な服装なのに、硝煙と血の臭いがするのだ。
通訳は水先案内人と一緒に来た男だ。ただの通訳ではなかったということだ。
通訳は「パウラ様は、船内の案内を所望されている」と伝えてきたが、里崎船長は「船内には危険なものが多いので、船橋に案内する」と応じた。
百瀬未咲たちは、大災厄以前のJ-POPを3曲披露すると、にわか観客たちは大いに喜び、さらに2曲を奏でる。
22時を過ぎ、観客たちが帰り始めても、パウラと里崎船長との会話は終わらなかった。
香野木は船員の1人であるかのように、気を消して、聞き耳を立てている。
話題のほとんどは、北の隣国バルマドゥ多民族国について。
同国は多民族を標榜しているが、実際はクマン人しかいない。クマンのいろいろな地域からヒトが集まって建国されたので、多民族国としているらしい。
指導者マルクスは、独裁者だ。彼には私兵がおり、彼個人の武装親衛隊でありながら、国家予算を重点配分されて装備を調えている。
武装親衛隊は、ダスライヒと呼ばれている。
バルマドゥでは国防を名目に、農民は搾取され、街在住の知識人は弾圧されている。内陸の農民は巨大ワニがいるガンビア川を小舟を使って決死の覚悟で渡り、南の隣国であるクマンに逃げ込んでくる。
沿岸の農民や漁民は海路から越境し、街の住民は逃亡を手助けする業者の手を借りる。農村の住民が全員逃亡する逃散の例も多い。
クマンに流入する難民は、月間1000人に達することもある。同国の人口は10万ほどなので、1000人は総人口の1パーセントにもなる。
クマンは彼らを受け入れ、開拓が進んでいないカザマンス川北岸に入植させている。開拓に必要な種苗や農具・農機、作物が収穫できるまでの食糧支援も行っており、クマンの対応が手厚ければ、それだけ難民の数も増える。
バルマドゥ政府はクマン政府に対して、何度も「国民の誘拐をすぐにやめよ」と警告している。
クマンは共和制をとっているが、封建的な側面も多く残している。王家、貴族、豪族・土豪、民衆の階級も完全には消えていない。
一部の貴族は、特権剥奪に激しく抵抗しているし、一部の豪商は貴族的傾向を見せている。
新国家の制度と旧来の社会秩序がせめぎ合う、社会改革の途上ではよく見られる現象だ。
ただ、クマンは一度崩壊した国家であることから、社会改革は比較的順調に進んでいる。
クマン王国が滅びクマン国が誕生した当時、クマン王国から分離独立したバルマドゥ多民族国は、クマン国よりも軍事的に優位にあった。
しかし、セロと直接対峙するクマンは、軍備増強を急ぐ必要があり、結果として数年でバルマドゥ多民族国よりも軍事的および経済的に強大となった。
バルマドゥ多民族国は対抗して、西ユーラシアから戦車を導入するのだが、動かすだけで精一杯。運用方法や戦術を編み出すまでには到っていない。
戦車は機動兵器ではなく、歩兵に直協する移動砲台程度の扱いだ。
それでも、武装親衛隊ダスライヒが装備する30輌の戦車は、クマンにとって脅威であった。
そういった状況の説明をパウラは、里崎船長に続けていた。現状を知ってもらうことから始めることが、遠回りではあるが必要だと考えたからだ。
「キャプテン・サトザキ、この船はとても速いと聞きました。
戦車を積むことはできますか?」
「積めます。
50輌ほど積めるでしょう」
「船には、クレーンがないと聞きましたが、荷の積み卸しはどのようにするのですか?」
「……」
里崎船長は、答えなかった。
港に停泊している貨物船は、ジブクレーンを備えていることが多い。クレーンで船倉から貨物を引き上げ、陸に揚げている。
車輌も同じで、クレーンで吊り上げて揚陸させている。コンテナはもちろん、パレットが使われることも少ない。多くがモッコ(荷揚げ用の網)を使う。
ベルーガは高速フェリーとして民間航路で使われていたが、もともとは軍用輸送艦で、その時代から大きな改造を受けていない。フェリーとして本格的な改造を高知市で行うはずだったが、その直前に大災厄が起こり、中断したままだった。
また、軍用輸送艦時代はフェリーよりは、RO-RO船のほうが運用的に近かった。
里崎船長は戦車50輌の輸送が可能と答えたが、これはレオパルト2の場合であって、この世界の標準的戦車ならば70から80輌は余裕で積み込める。
さらに、兵員も一緒に輸送でき、必要であれば整備兵と整備器材だって同時に運べる。
しかも、すべての車輌は自走で積載できる。
「パウラさん、私たちはヒトと争うためにこの世界にやって来たのではないのです。
私たちはオークとは戦いますが、ヒトと争いたくはない……」
「キャプテン・サトザキ、それは私も同じ。
具体的な話をします。
ガンビア川河口南側に油田があります。この油田は、我がクマンの生命線です。
クマンとバルマドゥの間には、クマンがカザマンス川北岸に軍を移動させる場合は、バルマドゥの了解を必要とする、という協定があります。
もちろん、バルマドゥは了解なんてしません。
ですから、油田は“警備員”が守っています。
バルマドゥからの難民は、同国と我がクマンの間に緊張を生んでいます。誘拐された自国民の奪還を名目に、バルマドゥの武装親衛隊がガンビア川を渡河して、南下する兆しがあります。
その場合、私は油田の技術者、労働者、警備員の全員に、即座に逃げ出すよう指示しています。
ですが、誰も逃げないでしょう。
油田がクマンの生命線であること、そしてすべてのヒトに重要であることを知っているから……。
もし、クマンがバルマドゥの南進を防げなかったなら、これがヒトの分裂のきっかけになってしまうかもしれません。
ハンダの理想が潰えてしまう!」
香野木は、パウラが嘘をついている、あるいは誰かに騙されている、この国の黒幕の傀儡である、とは思えなかった。
花山真弓によれば、城島由加は百戦錬磨の政治家で、海千山千の策士らしい。
パウラは若い分、穏やかに見えるが、実際はいくつもの死線を越えている。間違いなく、世渡りの手練れだ。
迂闊な行動をとれば、痛い思いをする。
だが、ここは話に乗ってみることも、ありかな、と思い始めていた。
その論理的根拠はない。単なる直感だ。
里崎船長が、香野木を見る。
「香野木さん、どうする?」
香野木は薄暗い一画に身を隠し、気を消していた。
顔だけを里崎船長に向ける。
「パウラさん、お申し出は理解しました。
お話は、本船の全クルーと相談します。
1つお願いがあるんですが……」
「失礼ですが……」
里崎船長が慌てる。
「私たちのリーダー。
香野木恵一郎です」
「え!
キャプテン・サトザキがリーダーではないのですか?」
「はい。
私も、花山もリーダーではありません」
気が付くと船橋にラダ・ムーが上がっている。彼は、長宗元親から譲られた刃渡り120センチもある野太刀の錆を落とし、刃を研ぎ直して愛用している。
長大な刀を見たパウラの護衛兼通訳が、無意識に柄に手を置く。
一瞬で、凍り付くような殺気が漂う。
ラダ・ムーの落ち着いた声が船橋に響く。
「香野木、争いの芽は早く摘むべきだ」
通訳は、来栖早希が務めていた。
「香野木さん、私も賛成。
何だか、楽しいわぁ~。
話によると、遺伝子操作されたヒトもいるんでしょぉ~」
長宗がLEDライトを点けたり消したりして、遊んでいる。
「こっちの力を見せつければ、相手はビビるかもしれん」
香野木がパウラを見る。
「明日答えをお伝えします。
次は私たちから出向きます。
どこに行けばいいですか?」
通訳兼護衛が答える。
「明日、10時に私が参上し、道案内をいたす」
香野木が微笑む。
「承知した。
通訳殿、よしなに」
香野木は、話し合いが物別れになった場合の退路をどうするか、必死に考えていた。
「花山さん、クマン国の元首パウラさん」
20歳前後の若い女性が“元首”だと紹介されても、にわかには信じられない。
クマンは活気のある国で、500年以上の歴史を持つが、一定の科学技術を維持している。
「ハナヤマさん、初めまして、パウラです」
「花山真弓です」
通訳は帯剣しており、パウラの護衛を兼ねているようだが、クマン人のようだ。クマンにも英語を解する人物がいることに、驚きを感じている。
「花山さん、パウラは、あなたたちをクマンに迎え入れたいと……」
「どういう意味ですか?」
「ハナヤマさん、クマンは手長族に攻められ、国土の3分の1を失いました。
また、クマン旧領の北辺に国が生まれ、ここでも3分の1を失っています。
ですが、クマンはヒトが住まない東に向かって開拓を進め、掌握している面積だけならば、旧領と同じ程度は回復しています。
北の新国家は友好的でなく、南の手長族は言うに及ばず、東では創造主との接触が日々増しています」
「創造主?」
城島由加が説明する。
「創造主とはチャド湖北岸に拠点を置く、白魔族、つまりオークのこと」
「城島さん、つまり、アフリカ内陸にオークがいる……」
「その通り」
困惑する花山を無視するように、パウラが説明を再開する。
「我らは、手長族と創造主から領土、財産、ヒトの生命を守らねばなりません。
ですが、力不足なんです。
ご助力を賜りたい……」
コーヒーが運ばれ、城島司令官が勧める。
「ここバンジェル島、クマン、ヴルマン、コーカレイの4国で、北大西洋同盟を締結するつもりなの。
他に加盟の意思があるのは、北方人部族連合とジブラルタル」
「城島さん、それは……」
「表向きは自由貿易圏なんだけど、実際は軍事同盟になる。
この同盟が成立すると、ヒトの団結が瓦解するの」
「どういうこと?」
「ヒトは、緩い同盟を続けてきた。
互いの文化を認め合い、干渉しない、排除しないことで、うまくやってきた。
でもね、それが終わろうとしている。
半田隼人が死んでしまったから」
「半田さん……」
パウラが英語を使った。
「偉大な精霊に守護されたヒト全体の指導者です。
ハンダチハヤの養父であり、ジョウジマ司令官のご主人……」
城島由加が釉薬が塗られた白い寸胴の壺を指さす。その壺は、書棚に無造作に置かれていた。
「ノイリン中央議会議事堂の駐車場で、何者かに刺され死んでしまった。
犯人は捕まっていないし、捕まったところで、国際情勢がどうにかなるわけではない。
半田隼人の死は、すでに発表された。
同時に世界は動き始めた。
ヒトはライン川以西ユーラシアと赤道以北アフリカだけに住んでいる。
かつては、クレタ島、ソコトラ島、ニュージーランド、マダガスカルにも住んでいたらしいけど、いまはいないようね。
飢饉、疫病、寒冷、火山の噴火、異種の襲撃。
ヒトを滅ぼす要因なんて、この世界では指の数では足りないくらいあるから……。
ヒトの世界がバラバラになろうとしている。
完全にバラける前に、同心してくれる、国、地域、街が同盟を結ぼうと……。
その1つが、北大西洋同盟なの。
だけど、もし北大西洋同盟が成立すれば、それに対抗する軍事同盟が生まれる。
冷戦時の北大西洋条約機構とワルシャワ条約機構のように……。
北大西洋同盟は次善の策で、半田隼人に代わる新たな指導者が現れることを期待している。
だけどね……。
都合よく、代わりが現れるとは思えない。
ヒトは、最大でも150万人いない。ライン川以西に30万、アルプスの南に15万、西アフリカ全体で40万、湖水地域に30万、アトラス山脈の東側にも数万から数十万人いる。
救世主や金羊・銀羊を加えても、120万から150万。これがヒトのすべて。
対立している余裕なんてない」
パウラが目を伏せながら話し始める。
「ハナヤマさん、クマンには、ユーラシア諸都市ほどの科学技術がないのです。
もし、ヒトの世界が対立の時代を迎えたなら、クマンは西ユーラシアの植民地になってしまいます。
それは、湖水地域も同じですが、クマンのほうが切実です。
どうか、お力添えを……」
花山真弓は、判断を保留したかったが、それは得策でないと考えた。個人的な見解と断った上で、その後のことは香野木恵一郎に丸投げすればいいと思っている。
「個人的な意見だけど……。
城島さん、パウラさん。
クマンの港に入港しましょう。
私たちはオークの襲来を知らせるために、時渡りをしたんです。
その目的は果たしたのかもしれないけど、オークを叩く前にすべきことが別にあるようですね。
私たちの船、ベルーガをここに呼びます。
その上で、私たちのリーダーと話し合って欲しい……」
パウラが驚く。
「ハナヤマさんが、指揮官ではないのですか?」
「違います。
私たちのリーダーは、別にいます」
城島由加は、本質的な問題ではないが、どうしても尋ねたいことがあった。
「その船なんだけど……」
城島司令官が画像をタブレットに表示し、テーブルに置く。半田千早が撮影し、持ち帰ったものだ。
「インキャットのウェーブピアサーだよね。
もしかして、ナッチャンWold?」
花山はナッチャンWoldの最後を知っていた。「あの船は宮崎で阿蘇の火山弾の直撃を受けた。航行不能になった後、しばらくは浮いていたけれど、さらに被弾して、宮崎港外に着底してしまったの。
私たちの船は、同じインキャット製だけど、一回り小さい。佐渡汽船のあかねと同型で、フィリピンの高速フェリーだった。
改装のために高知港の造船所に移送されていて、それを使わせてもらった」
パウラが興味を示す。
「知らない言葉がたくさん。
どういう意味なのです?」
城島司令官が微笑む。
「全長100メートルの大型船だけど、35ノット以上出る高速貨物船なの」
花山真弓が捕捉する。
「全長90メートル、公式の最大速度は40ノットだけど、相模湾での公試では42ノットを発揮したの」
パウラが笑みを漏らす。その顔は元首のものでも、良家の子女のものでもなく、獲物を見つけたオオカミのようだった。
この瞬間、花山はパウラが飾りの元首ではないことを悟った。
翌日、花山真弓はクマン国元首私邸に招かれた。
元首私邸は美しい庭園のある古い邸宅で、貴族の館のようにも感じた。
だが、違っていた。
クマン旧王家の遺産のすべてを投じた大事業、旧王都からバマコに到る鉄道を建設する西アフリカ鉄道会社の本社であった。
小さな部屋がパウラの居室で、それ以外はすべて鉄道会社が使っている。
「すみません。
会議室をすべて使っていて……」
パウラの居室には、眼光の鋭い年配の男性とメイドのような格好の20歳代後半の女性がいた。それと護衛兼通訳。
「紹介します。
総務担当のブーカ、それと経理・会計担当のトゥーリアです。
旧王都からバマコへの鉄道が開通すれば、クマンと湖水地域の貿易は、いま以上に活発になるでしょう。
それと、工事全般を担当するカナザワは、トウキョウから来たそうです」
この日、花山真弓は、クマン新首都を案内された。パウラ自ら、議事堂の建設現場、車輌工場、飛行場、軍の練兵場を案内する。
花山真弓、井澤貞之、土井将馬の3人は、クマンの新首都港入港に気持ちが傾いている。
疑えばキリないが、誰もが友好的に接してくれる。
それと、C-1輸送機の燃料補給は、桜金貨での支払いで可能だった。バンジェル島飛行場の駐機料金も、きっちり請求されている。
特別視されていないのだ。
この点を井澤貞之が高く評価している。
この夜、花山は「里崎船長宛。ギニアビザウ沖に移動せよ」と無線を送る。
もし、「里崎艦長宛」とした場合は、捕らえられたことを意味していた。
「燃料がなく、一歩も動けない」はずのベルーガは、数日前から節電を実施、昼間は太陽光パネルを展張して、充電を開始していた。
里崎杏船長が抜錨を命じ、船体幅26メートルに達する巨体の船首を河口側に向け始めると、監視していたデアフリンガーは慌てて巡航用ディーゼルエンジンを稼働させた。
納田優奈の呼びかけに、里崎船長は「バンジェル島沖に向かう」とだけ答えた。
河口までは8ノットで進むが、外洋に出るとベルーガは航海速力30ノットで進む。
小型武装船デアフリンガーは、巡航用ディーゼルエンジン1基では追従できず、ガスタービンエンジンを稼働。
だが、それでは燃料の消費が過大なため、結局は引き離されてしまった。
西アフロユーラシア最速船デアフリンガーの乗員は、衝撃を受ける。同船の最高速度は44ノットを誇るが、航海速力は18ノットに過ぎない。
デアフリンガーはベルーガを追跡し続けられるが、そのためには燃費を無視しなければならない。
ベルーガはデアフリンガーに「バンジェル島沖に向かう」と無線を送ったが、それを信じる根拠がデアフリンガー側にはない。
ピタリと追従して監視を続けたいが、300キロ追って諦めた。
デアフリンガーは、18ノットで3700キロの航海距離があるが、ヌアクショット川への往路で1000キロを航海しており、残り2700キロ分の燃料が残っているとしても、30ノットを発揮した場合、バンジェル島にたどり着く前に燃料切れとなる可能性が高かった。
デアフリンガーは、ベルーガがいくら高速でも30ノットは維持できないと考えていたが、その予測は完全に外れていた。
船長のゴッドフリートは、納田優奈に「船乗りならば、誰でもあの船の船長になりたいはずだ。小職も同じだ」と、消えゆくベルーガを眺めながら羨望の眼差しを向けていた。
ベルーガは、ヌアクショット川河口からバンジェル島大西洋側沖まで18時間で航行し、夜明けを待っていた。
花山真弓の指示では、バンジェル島ではなく、クマンの港に入る予定になっている。
里崎杏船長はセロの飛行船を警戒し、ヘリコプター甲板に、自走75ミリ高射砲と自走35ミリ高射機関砲2輌を配置していた。
だが、入港時に装甲車輌を目撃されると、バンジェル島やクマンに余計な警戒心を抱かせる可能性があり、至近に迫ったところで、ヘリコプター甲板上の車輌をシートで覆うよう命じている。
車輌甲板最後部には、自走40ミリ連装機関砲を配置していたが、シャッターの奥に引き込んだ。
ヘリコプター甲板には、各務原の航空機製造工場でキラーエッグに改造した、MD500が繋止されている。
クマンの水先案内人と通訳を乗船させることになり、2人が「船で向かう」との連絡を固辞して、結城光二がキラーエッグで出迎えに向かう。
通訳は武人らしく帯剣しており、眼光も鋭い。クマンの民族衣装なのか、襟の立ったコートを着ている。
水先案内人は、ロングジャケットを羽織っている。
2人は航空機に乗ることが初めてで、結城が乗るように促すと、少し躊躇った。
意地もあったのだろうが恐れる様子を見せずに後席に座る。だが、キラーエッグが浮き上がると騒ぎ出す。
さらに、航行中のベルーガに着船すると、2人の興奮は最高潮に達する。
通訳はヘリコプター甲板上の装甲車輌に注目する。シート越しでははっきりしないが、クマンには存在しないタイプで、ノイリンの歩兵戦闘車に似ている、と判断する。
船体の形状は特徴的だが、船橋の雰囲気も在来船とは大きく異なっていた。
それに、船長が女性だ。女性の船長はいない。女性ならば、船を選ばず、歴史の浅い飛行機を選ぶ。女性機長は一定数いるが、女性船長は皆無だ。
この女性船長は軍籍にあるらしく、階級は大尉=キャプテンだと紹介された。
通訳の驚きは大きく、船長がキャプテンの場合、その上位には船団指揮官=提督=アドミラルしかいない。
水先案内人は、船の加速力と減速力に感銘を受けていた。さらに、旋回中に速度がほとんど落ちていないことにも驚く。
全長90メートル、全幅26メートルという肥満型なのに機動性が高い。
水先案内人が通訳に「最高速度と航海速度を聞いてくれ」と頼むと、里崎船長は「計画での最大速度は40ノットだが、過去に42ノットを発揮したことがある。航海速力は30ノット」と聞き、通訳を介さなくても意味を解した。
水先案内人の質問に、里崎船長が驚く。
「戦車は積めるか?
荷役のためのジブクレーンの吊り下げ能力は、どれくらいか?」
答えるべきか否か、一瞬迷う。
水先案内人と通訳は、車輌甲板を見ていない。ヘリコプター甲板から直接船橋に入った。
里崎船長は嘘は言わなかった。
「戦車を積むことは可能だ。
荷役用のジブクレーンは、備えていない。クレーンが必要な場合は、港湾設備を頼るしかない」
水先案内人が何かを言った。
それを通訳は、伝えなかった。
しかし、里崎船長には意味がわかった。船速は高いが、貨物船としての使い勝手が悪いことを指摘したのだ。
ベルーガは、入り江なのか、河口なのか判然としない地形を内陸に向かって進み、焼成レンガを積んで造った岸壁に接岸した。
珍しい形状の船を見ようと、人集りができ、見物人を目当てに、物売りが現れている。
ベルーガは、車輌の乗降用ランプドアを下げているが、これは自走40ミリ連装機関砲の射界を確保するためだった。現在はすべての装甲車輌をヒトの目に触れないようにしている。右舷最後部ランプドアと船尾側ランプドアのどちらも、岸壁とは接していない。
ベルーガのランプドア下端と岸壁では、ベルーガ側が1メートルほど高く、岸からは2メートル近く離れている。
飛び移ることは可能だろうが、かなりの勇気がいる。それと、車輌甲板のシャッターは閉じられていて、船内を伺い知ることはできない。
自走40ミリ連装機関砲は、車輌甲板シャッターの内側にある。
里崎船長は水先案内人と通訳を、船内を通して陸に降ろすことを嫌った。
車輌甲板を見られたくなかったし、船の構造を知られたくなかった。
そこで、2人を強引にキラーエッグに乗せ、港近くの空き地に降ろす。
見物人は、夕暮れが迫っても減る気配がない。ちょっとした観光名所になったのか、物売りだけでなく、大道芸人まで現れる。
軍か警察らしい制服の一団が現れて、ベルーガの警備を始める。見物人に暴力を振るいはしないが、ちょっと物々しい雰囲気が漂う。
百瀬未咲と井澤加奈子は、車輌甲板から芸人が奏でるバイオリンとチェロの音色を楽しんでいた。
そこに、制服の一団が現れる。
緊張が走る。
高梨由衣と吉良愛美が少し怖がる。
有村沙織が「私たちも何かしようよ」と提案し、5人は長宗元親のギター、ベース、ドラム、キーボードを持ち出すことにする。
もちろん、長宗には無断だ。長宗と井澤貞之が始めたバンドに、彼女たちが後から加わったのだが、2人のおじさんはやや邪魔者になっていた。
ライトを付け、電源コードを引き伸ばし、スピーカーを設置して、準備が整うまでに1時間を要した。
まだ、大道芸人たちは去っていないが、制服の男たちの登場で、ちょっと白けている。
そこに、1トン積みトラックを改造したような、黒塗りのワゴンが到着する。
女性が降りる前に、水先案内人の通訳が降り、後部ドアを開ける。
井澤加奈子と大差ない年齢の女性が降りる。
そして、船を見上げる。
制服の一団は、この女性のために現れた警備であることは明かだった。
誰かが「パウラ!」と叫ぶと、見物人と物売りや大道芸人も加わって、「パウラ!」の大合唱となった。
この女性がこの地域で、支持された人物であることは明白だ。
服装は華美ではなく、むしろ質素だ。しかし、20人近い警備がつくのだから、相応の人物なのだろう。
通訳が「乗船の許可を求める!」と声をかけるが、「パウラ!」の歓声にかき消されてしまう。
高梨由衣が船橋に走り、里崎船長を伴って戻る。
歓声は止んでおり、里崎船長は通訳の要求を聞き取っている。
ベルーガには乗船用のラッタルがない。簡易な乗下船用に長さ3メートルのアルミ製スロープを使っていた。
この船用ではなく、トラックに軽車輌などを積むための荷台と地面との渡り板だ。
里崎船長は、演奏の準備が整っていた百瀬未咲たちに指示して、このタラップを岸壁に降ろさせる。
岸壁側では警備の男性たちが、作業を助ける。
架け終わると、パウラと呼ばれた女性は、幅70センチほどの渡り板をいとも簡単に渡った。
護衛兼通訳のほうがもたついている。里崎船長は女性の身のこなしから、相当に訓練されていると感じた。
どことなく、半田千早に通じるものがある。端整な顔立ちで、清楚な服装なのに、硝煙と血の臭いがするのだ。
通訳は水先案内人と一緒に来た男だ。ただの通訳ではなかったということだ。
通訳は「パウラ様は、船内の案内を所望されている」と伝えてきたが、里崎船長は「船内には危険なものが多いので、船橋に案内する」と応じた。
百瀬未咲たちは、大災厄以前のJ-POPを3曲披露すると、にわか観客たちは大いに喜び、さらに2曲を奏でる。
22時を過ぎ、観客たちが帰り始めても、パウラと里崎船長との会話は終わらなかった。
香野木は船員の1人であるかのように、気を消して、聞き耳を立てている。
話題のほとんどは、北の隣国バルマドゥ多民族国について。
同国は多民族を標榜しているが、実際はクマン人しかいない。クマンのいろいろな地域からヒトが集まって建国されたので、多民族国としているらしい。
指導者マルクスは、独裁者だ。彼には私兵がおり、彼個人の武装親衛隊でありながら、国家予算を重点配分されて装備を調えている。
武装親衛隊は、ダスライヒと呼ばれている。
バルマドゥでは国防を名目に、農民は搾取され、街在住の知識人は弾圧されている。内陸の農民は巨大ワニがいるガンビア川を小舟を使って決死の覚悟で渡り、南の隣国であるクマンに逃げ込んでくる。
沿岸の農民や漁民は海路から越境し、街の住民は逃亡を手助けする業者の手を借りる。農村の住民が全員逃亡する逃散の例も多い。
クマンに流入する難民は、月間1000人に達することもある。同国の人口は10万ほどなので、1000人は総人口の1パーセントにもなる。
クマンは彼らを受け入れ、開拓が進んでいないカザマンス川北岸に入植させている。開拓に必要な種苗や農具・農機、作物が収穫できるまでの食糧支援も行っており、クマンの対応が手厚ければ、それだけ難民の数も増える。
バルマドゥ政府はクマン政府に対して、何度も「国民の誘拐をすぐにやめよ」と警告している。
クマンは共和制をとっているが、封建的な側面も多く残している。王家、貴族、豪族・土豪、民衆の階級も完全には消えていない。
一部の貴族は、特権剥奪に激しく抵抗しているし、一部の豪商は貴族的傾向を見せている。
新国家の制度と旧来の社会秩序がせめぎ合う、社会改革の途上ではよく見られる現象だ。
ただ、クマンは一度崩壊した国家であることから、社会改革は比較的順調に進んでいる。
クマン王国が滅びクマン国が誕生した当時、クマン王国から分離独立したバルマドゥ多民族国は、クマン国よりも軍事的に優位にあった。
しかし、セロと直接対峙するクマンは、軍備増強を急ぐ必要があり、結果として数年でバルマドゥ多民族国よりも軍事的および経済的に強大となった。
バルマドゥ多民族国は対抗して、西ユーラシアから戦車を導入するのだが、動かすだけで精一杯。運用方法や戦術を編み出すまでには到っていない。
戦車は機動兵器ではなく、歩兵に直協する移動砲台程度の扱いだ。
それでも、武装親衛隊ダスライヒが装備する30輌の戦車は、クマンにとって脅威であった。
そういった状況の説明をパウラは、里崎船長に続けていた。現状を知ってもらうことから始めることが、遠回りではあるが必要だと考えたからだ。
「キャプテン・サトザキ、この船はとても速いと聞きました。
戦車を積むことはできますか?」
「積めます。
50輌ほど積めるでしょう」
「船には、クレーンがないと聞きましたが、荷の積み卸しはどのようにするのですか?」
「……」
里崎船長は、答えなかった。
港に停泊している貨物船は、ジブクレーンを備えていることが多い。クレーンで船倉から貨物を引き上げ、陸に揚げている。
車輌も同じで、クレーンで吊り上げて揚陸させている。コンテナはもちろん、パレットが使われることも少ない。多くがモッコ(荷揚げ用の網)を使う。
ベルーガは高速フェリーとして民間航路で使われていたが、もともとは軍用輸送艦で、その時代から大きな改造を受けていない。フェリーとして本格的な改造を高知市で行うはずだったが、その直前に大災厄が起こり、中断したままだった。
また、軍用輸送艦時代はフェリーよりは、RO-RO船のほうが運用的に近かった。
里崎船長は戦車50輌の輸送が可能と答えたが、これはレオパルト2の場合であって、この世界の標準的戦車ならば70から80輌は余裕で積み込める。
さらに、兵員も一緒に輸送でき、必要であれば整備兵と整備器材だって同時に運べる。
しかも、すべての車輌は自走で積載できる。
「パウラさん、私たちはヒトと争うためにこの世界にやって来たのではないのです。
私たちはオークとは戦いますが、ヒトと争いたくはない……」
「キャプテン・サトザキ、それは私も同じ。
具体的な話をします。
ガンビア川河口南側に油田があります。この油田は、我がクマンの生命線です。
クマンとバルマドゥの間には、クマンがカザマンス川北岸に軍を移動させる場合は、バルマドゥの了解を必要とする、という協定があります。
もちろん、バルマドゥは了解なんてしません。
ですから、油田は“警備員”が守っています。
バルマドゥからの難民は、同国と我がクマンの間に緊張を生んでいます。誘拐された自国民の奪還を名目に、バルマドゥの武装親衛隊がガンビア川を渡河して、南下する兆しがあります。
その場合、私は油田の技術者、労働者、警備員の全員に、即座に逃げ出すよう指示しています。
ですが、誰も逃げないでしょう。
油田がクマンの生命線であること、そしてすべてのヒトに重要であることを知っているから……。
もし、クマンがバルマドゥの南進を防げなかったなら、これがヒトの分裂のきっかけになってしまうかもしれません。
ハンダの理想が潰えてしまう!」
香野木は、パウラが嘘をついている、あるいは誰かに騙されている、この国の黒幕の傀儡である、とは思えなかった。
花山真弓によれば、城島由加は百戦錬磨の政治家で、海千山千の策士らしい。
パウラは若い分、穏やかに見えるが、実際はいくつもの死線を越えている。間違いなく、世渡りの手練れだ。
迂闊な行動をとれば、痛い思いをする。
だが、ここは話に乗ってみることも、ありかな、と思い始めていた。
その論理的根拠はない。単なる直感だ。
里崎船長が、香野木を見る。
「香野木さん、どうする?」
香野木は薄暗い一画に身を隠し、気を消していた。
顔だけを里崎船長に向ける。
「パウラさん、お申し出は理解しました。
お話は、本船の全クルーと相談します。
1つお願いがあるんですが……」
「失礼ですが……」
里崎船長が慌てる。
「私たちのリーダー。
香野木恵一郎です」
「え!
キャプテン・サトザキがリーダーではないのですか?」
「はい。
私も、花山もリーダーではありません」
気が付くと船橋にラダ・ムーが上がっている。彼は、長宗元親から譲られた刃渡り120センチもある野太刀の錆を落とし、刃を研ぎ直して愛用している。
長大な刀を見たパウラの護衛兼通訳が、無意識に柄に手を置く。
一瞬で、凍り付くような殺気が漂う。
ラダ・ムーの落ち着いた声が船橋に響く。
「香野木、争いの芽は早く摘むべきだ」
通訳は、来栖早希が務めていた。
「香野木さん、私も賛成。
何だか、楽しいわぁ~。
話によると、遺伝子操作されたヒトもいるんでしょぉ~」
長宗がLEDライトを点けたり消したりして、遊んでいる。
「こっちの力を見せつければ、相手はビビるかもしれん」
香野木がパウラを見る。
「明日答えをお伝えします。
次は私たちから出向きます。
どこに行けばいいですか?」
通訳兼護衛が答える。
「明日、10時に私が参上し、道案内をいたす」
香野木が微笑む。
「承知した。
通訳殿、よしなに」
香野木は、話し合いが物別れになった場合の退路をどうするか、必死に考えていた。
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