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第1章
第一話 未来
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俺たちは、長い車列の最前部に近い位置にいる。車列の前方に並ぶには、車体の前面面積を小さくする必要がある。
車幅・車高とも二メートル以内の車輌は、前部に並ぶことができる。自衛隊の軽装甲機動車五輌が最前で、次に民間の小型車輌が続く。
俺たちはその後だ。
行き先は、二億年後の地球上のどこか。
何ともアバウトな旅だ。
現在の地球で生き残るには二つの道がある。氷河が日々発達していく極寒の高緯度帯に向かうか、訳のわからぬ時空のトンネルに飛び込むか。
今日は七月七日。七夕だ。小雪が舞い、正午の気温は五度。函館は氷点下らしい。オホーツク海沿岸まで北上すれば、放射能と大陸から偏西風によって運ばれる有害物質から逃れられる。偏西風は南に大きく移動したから、北海道の北側は安全だと噂されている。
しかし、真冬になれば氷点下四〇度に達する土地で、どうやって生きていけばいいのか、俺には自信がなかった。昨冬の稚内の最低気温は氷点下六五度だった。
知床付近は急速な気温低下によって、植物は枯れ、農作物は育たない。
ヒグマと争って鮭でも捕るか?
雑食性が強い北海道のヒグマは絶滅したし、鮭もいない。エゾシカも絶滅したらしい。
だが、ニホンカモシカが北進して北海道に上陸し、カリブーやタイリクオオカミがサハリン経由で北海道に渡ってきて、函館付近まで南進している。
オホーツク海は完全な氷結と海退によって、大陸→サハリン→北海道は陸続きだと聞いた。水が陸上に氷として封じられているので、海面が急速に低下している。数年で津軽海峡と本州が陸続きになる可能性がある。
ヒグマは北海道において、食物連鎖の頂点に君臨する捕食者だったが、その役割はいまではシベリアトラが担っている。
この車列に並ぶには、条件を満たさなければならない。三カ月分の食料の携帯。一人あたり米か麦を三〇キロと、容器込みの重量で副食二〇キロが必須条件。
俺たち六人は、かろうじて三〇〇キロの食糧を確保していた。大人は二日前から何も食べていない。車列に並ぶ前日に食料のチェックがあり、重量が未達ならば車列には並べない。いったん車列に並べば、食料の増減は頻繁にチェックされる。
子供たちにも数日前から米は食べさせていない。
もう一つは、ノンコンピュートのディーゼルエンジン搭載車を用意すること。その理由は不明だが、噂によれば時空トンネル内ではガソリンエンジン車のイグニッションコイルが作動しないらしい。
ディーゼルエンジンは圧縮爆発なので、始動してしまえば電装品は重要ではない。
その点、スパークプラグによる点火が必要なガソリンエンジンは電装品の作動は絶対条件だ。
ディーゼル車に限定する理由としては、なり立つ。
俺たちは、二輌に分乗している。一輌は標準幅キャビンの二トンダンプ。食料一五〇キロ、軽油を入れたドラム缶二本、ガソリン入りのジェリカン五缶、小型発電機、武器と弾薬、そして寝具やテントと日用品を車高二メートル限界まで積んでいる。キャビンにも運転に支障のないギリギリまで、荷物を詰め込んでいる。
このダンプは、トレッカーで軽トラックを牽引している。こちらの荷台とキャビンにも物資を満載した。
もう一輌はダブルキャブの六人乗り。標準幅のキャビンで、標準車体長。荷台のリアゲートは、油圧の垂直リフトだ。こちらも、荷台・キャビンともに満載で、一トン積みの低床トレーラーを牽引している。
シングルキャブを一号車、ダブルキャブを二号車と呼んでいる。一号車、二号車とも電子燃料噴射装置を機械式に交換した以外の改造を施してはいないが、マッドタイヤを装着して新世界での行動に備えていた。また、一組だけだが、タイヤと交換して装着するおむすび型の履帯=ゴム製クローラーを用意している。
俺たちは、民間の小グループとしてはかなりの重装備だ。これだけの装備を手に入れるには、とても善人といえる生き方はしてこなかった。
一号車には、半田隼人(俺、三二歳)、舞浜千早(六歳)、須崎金吾(一八歳)が乗る。
二号車には、城島由加(三二歳)、城島健太(四歳)、水口珠月(一六歳)が乗る。
この六人で協力し合いながら、二年間を生き抜いてきた。
しかし、もう限界に達していた。北に向かうか、人類最後の国際プロジェクト〝二億年後移住計画〟に参加するか、二つに一つしか選択肢は残されていない。
俺たちは〝二億年後移住計画〟への参加を決めた。
俺は大学時代、地質学の一分野である古生物学を学んでいた。当然、就職には役立たないので、二年前まで中堅IT企業の営業をしていた。
どうやって二億年の未来に行くのかは詳しくは知らない。
ヨーロッパの研究機関が見つけた時空のトンネルの終着点が、二億年後の地球のどこかだ。
各国の政治家と軍人のバカどもが、二億年後なら現在の事態が収束していると考えた。
そして〝人類文明の存続〟を名目に、一大移住計画を発足させた。
しかし、地質学者や地球物理学者、生物学者たちが反対した。
二億年後の地球において、人類が生存できる可能性などほぼ存在しないからだ。
そんな地味な学問の研究者の警告など、政治家や軍人には一切通じなかった。
ある国の軍人出身の国防大臣は、「恐竜のような巨大生物が現れたら、戦車の主砲で追い払えばいい」といった。高名な生物学者が、「極小の生物が脅威だったら……」と発言すると、彼の言葉を遮って、「殺虫剤を使えば……」とバカにしたように応じた。
大多数の政治家と軍人は、人類は特別なもの、と考えていた。それは宗教とは関係なく、彼らの精神構造の奥深くに刻み込まれた変えようのない非論理的思考であった。
最初に各国の大物政治家とその家族、そして護衛という名の軍人たちが二億年後に向かった。片道切符だ。戻ることはできない。どうなったかもわからない。
まぁ、連中は、真っ先に逃げ出したかったのだろう。真実は、そんなものだ。
二億年前の地球は、地質年代の中生代三畳紀の終わり頃だ。古生代末のペルム紀に生物の大量絶滅が起きている。マントルが上昇し、スーパープルームという火山活動が起こり、生物種の九〇パーセントが絶滅した。アンモナイトが滅びたのがこの時代。
ペルム紀後の中生代三畳紀には恐竜が繁栄を始め、哺乳類も生まれた。
三畳紀の次のジュラ紀になって、恐竜が陸上を支配し、その次の白亜紀末六五〇〇万年前に絶滅する。
三畳紀の地球には、すべての大陸が合体した超大陸パンゲアが存在していた。
酸素濃度は、ペルム紀末は三〇パーセントもあったが、三畳紀からジュラ紀が終わるまでの一億年間は一〇パーセントしかなかった。現在は二一パーセントほど。
現在の地球は、古生代ペルム紀末の状況に非常に似ている。
そして、生物の大量絶滅が起きている。その対象には人類も含まれている。
二億年後の地球は、南極とオーストラリアが合体した大陸とその北に他の大陸すべてが合体した巨大な大陸が存在しているらしい。
大気の酸素濃度は不明。ペルム紀末と同様に寒冷化している可能性もある。
政治家や軍人の頭の中では、大陸は移動しないし、地球の大気成分は変化しない。
だから、引っ越し荷物をトラックに積んで、平然と移住できるのだ。
だが、人間はそんなおバカさんばかりじゃない。普通に考えれば、二億年後の地球は人類が生きていける可能性が低いことが想像できる。
第一、二億年後に哺乳動物が存在する可能性だって疑わしい。生き残れたとしても、動物界においては現在の爬虫類と同等の立場だろう。
人類は特別?
いや、人間もただの生物。二億年後には霊長類はおろか哺乳類が一種もいない可能性だってある。しかも、その可能性はかなり高い。地球の生物史を概観しただけで、誰もが理解できるほど明確なことだ。
しかし、政治家と軍人の多くは、人類はアンモナイト、三葉虫、恐竜とは根本的に違う、と考えている。
根本的に、どこも違わないのだが……。
この事態に対応するため、いろいろな人たちが抜け道を考えた。
それが、トンネルの分岐だ。時空のトンネルには、分岐するトンネルがあるらしい。この分岐道に入ると、どうも途中下車が可能なようだ。
ただ、どんな時代に出てしまうのかはわからない。未来であることは確かだが、何万年未来かは不明。
時間軸上で孤立すれば、死あるのみ。
政府・自衛隊の説明では、時空トンネル内を時速六〇キロで一二分間走ると、二億年の未来への出口に達する。六〇キロ以下では、トンネルから出られないそうだ。
理由は知らない。
トンネル内の時間経過を一定とするならば、約五秒で約一六〇万年となる。
政府・自衛隊の説明では、時空トンネルは左に緩くカーブしていて、トンネル進入後五秒ほどで直進する分岐があるそうだ。この分岐を避けて、左方向の本道を進むように注意を受けていた。
俺のカンが正しければ、この分岐に入れば一五〇万年から二〇〇万年の未来で途中下車できる。
二〇〇万年後ならば、現在の災厄が収束しているだろうし、少なくとも放射能汚染は収まっている。
プルトニウム239の半減期は約八万年、二〇〇万年あれば、ほぼ安全だろう。ウラン235は二三億年、同238が一五〇億年。これは無視するしかない。地球の歴史は四七億年しかないのだから……。
寒冷化は、数千年からせいぜい四万年が限度。温暖化した地球になっている可能性がある。もちろん、再寒冷化の可能性もあるが……。
大陸移動は少しだから、二〇〇万年後の地球の環境は激変していないことが期待できる。大気の酸素濃度の心配も不要だ。
さらに、この災厄を乗り越えた人類の子孫に出会うこともない。
二〇〇万年前の人類は、まだ猿人の段階にあった。最初のヒト属であるホモ・ハビリスは、二三〇万年前から一四〇万年前の種だが、その容姿は我々とはかけ離れている。
また、ホモ・ハビリスが我々の直接の祖先ではないらしい。
少なくとも、生物分類上の哺乳綱、真獣下綱、真主齧上目、真主獣大目、霊長目、直鼻猿亜目、真猿亜目、狭鼻下目、ヒト上科、ヒト科、ヒト亜科、ヒト族、ヒト亜族、ヒト属、ヒトはいるはずがない。
つまり、地球生物史上最も攻撃的で、殺戮好きな大型動物がいないのだ。
こんな安全な世界はない。
俺たちと同じ事を考えている連中は、相当多いらしい。
俺たちは〝必ず二億年の未来に向かいます〟という誓約書を書かされていた。
もっともそんな誓約書は最初から反故だが……。
すべての始まりは、イエローストーン火山の破局噴火だった。イエローストーンの地下には、四・六万立方キロのマグマ溜まりがあり、そのマグマは地球の核から直接供給されていたらしい。
北米の太平洋岸から遠くないイエローストーン火山は、二一〇万年前、一三〇万年前、六四万年前の三回巨大噴火しており、今回が四回目だった。
前回の六四万年前が比較的小規模、といっても一九八〇年のセントへレンズ火山の噴火の一〇〇〇倍ものマグマを噴出している。このときの火山爆発指数はカテゴリー8で、破局噴火であった。
四回目の噴火は、三回目の爆発をはるかに凌ぐ規模であった。
その規模は、二億五〇〇〇万年前のシベリア大地玄武岩を形成させたスーパープルームに匹敵した。
二億五〇〇〇万年前とは、古生代ペルム紀の終わり、中生代三畳紀の始まりの時代だ。マントルが直接地表に達した巨大噴火〝スーパープルーム〟により、生物種の九〇パーセントが絶滅している。
今回のイエローストーン火山の噴火では、地球の核から直接、マグマが供給された可能性が指摘されている。
この噴火は地球生物史上、最悪の大量絶滅のトリガーになった。
だが、これで終わらなかった。
インドネシアのスマトラ島にトバ湖という高級リゾートがある。
このトバ湖は、巨大火山のカルデラだ。
トバ火山は、七万年前頃破局噴火した。そして地球の環境を激変させ、人類進化の上で最大級の事件となった。
このときの噴火はトバ事変と呼ばれている。火山爆発指数カテゴリー8(最大)の噴火によって、約一〇〇〇立方キロメートルの噴出物を吐き出し、大気中の火山灰が太陽光を遮り、急速に寒冷化した。平均気温が五度下がり、この気温低下は六〇〇〇年間も続く。そして、断続的な寒冷化が起こり、やがてヴュルム氷期へと突入することになる。
トバ事変以前は、ホモ・サピエンス以外の人類種がいた。だが、トバ事変以後まで生き残れたのは、ホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルタールレンシスだけだった。
ホモ・エレクトゥスやホモ・エルガステルは絶滅した。
この大災厄を生き延びたホモ・ネアンデルタールレンシスは、二万数千年前に滅びた。だが、我々現世人類の遺伝子の中に、彼らの遺伝子がわずかに残されている。
ホモ・エレクトゥスは、ごく一部が生き残った可能性がある。インドネシアのフローレンス島にいたフローレンス人は一万二〇〇〇年頃まで生息していた。彼らは、ホモ・エレクトゥスの亜種だったとされている。
確認だが、ホモ・エレクトゥスは我々の祖先ではない。彼らは、進化の途上で分岐した別種の人類だ。ホモ・ネアンデルタールレンシスも現世人類の祖先ではない。
日本の縄文時代は、一万六五〇〇年前から三〇〇〇年前までだ。つまり、縄文時代の初め頃まで、ホモ・サピエンスとは異なる人類が生息していたのだ。
トバ事変によって、ホモ・サピエンスの人口は急減し、我々は一〇〇〇組から一万組程度の夫婦から現在に至ったとされている。
わずかそれだけの人々から、人類の地球制覇が始まった。二年前の世界人口は七〇億人を超えていた。
人類はいま、生物大量絶滅を経験している。その渦中に、俺たち六人がいる。
未来でも一万年から五万年程度なら、想像も想定もできる。しかし、二〇〇万年では不確定要素が多すぎる。それでも、二億年よりはマシだ。
ミトコンドリア・イブ。
現世人類は〝母方の家系を遡ると、約一六万年前±四万年前にアフリカに生存していた一人の女性にたどりつく〟とされる。
この女性がミトコンドリア・イブだ。
全人類の母親。
ミトコンドリアDNAは、女性からしか伝わらない。女性から男性の子供にも伝わるが、男性は自分の子にミトコンドリアDNAを伝えることができない。
ヒトのY染色体は、男性から男性に伝わる。Y染色体の系譜をたどると、六万年前の一人の男性にたどり着く。
この男性が〝現世人類共通の男系の祖先〟となる。
この男性が、Y染色体・アダム。
全人類の父親。
人類はアフリカを起源とし、現世人類もアフリカで生まれた。起源は単一だ。ホモ・ネアンデルタールレンシスもアフリカで生まれ、出アフリカを果たした人類であり、我々ホモ・サピエンスもアフリカで誕生し、出アフリカを成し遂げた。
そして、二つの人類は、おそらく中東で出会った。そして混血し、我々の中に別種の人類の遺伝子が残った。
ホモ・エレクトゥスもアフリカを起源とし、人類で最初に出アフリカを果たし、ユーラシア大陸に進出した。
ホモ・サピエンスは、二五万年前に誕生した。ホモ・ネアンデルタールレンシスは、二〇万年前に出現し、二万数千年前に絶滅した。ホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルタールレンシスは、共通の祖先から分岐した。
これは、二〇万年前とか二五万年前の出来事。現世人類とホモ・エレクトゥスの分岐は五〇万年前。
ホモ・サピエンス、ホモ・ネアンデルタールレンシス、ホモ・エレクトゥスは、数万年間にわたって同時期に生息していた。
種の異なる三種類の人類が、同時期に地球上にいたのだ。
だが、二〇〇万年後の地球において、人類は遺伝子の欠片も残っていないだろう。
だから、安全だ。
俺は、二〇〇万年後の地球が安全な地であることを、何度も反芻して俺自身に信じ込ませようとしている。
二億年後の未来に向かうトンネルの入口〝ゲート〟は、意外なほど簡単な造りの機械だ。素人目には、直径一〇メートルの金属製の輪にしか見えない。
動作には大電力が必要で、一年前までは毎日動いていたが、いまは一週間に一度、一時間程度になった。
茨城の〝ゲート〟は、電力不足で直径三・五メートルしか開かないそうだ。
俺たちのいる福島県相馬も怪しくなり始めている。
半年前までは、政府の主導で組織的に二億年後に人々と機材を送り込んでいた。
現在は、場当たり的に送り込める人々を選抜している。
最も、二億年後に行きたい人は限られていて、大半は関東以北での生き残りに賭けている。
火力発電所の燃料が極度に不足しているが、その理由は残留派が武力で確保しているからだ。
移住派は寒冷化は数千年続くと予想し、残留派は極度の寒冷は数年で終わると判断している。
おそらく、後者が正しい。だが、放射能汚染はどうする?
放射能で汚染された塵は、西からやって来る。その防御方法はない。
だが、これにもいろいろな説がある。甚大な健康被害を及ぼすとするものから、人体にはまったく影響ないとするものまで。
アジアの某大国は、新天地での覇権主義に反対して、戦車一〇〇〇輌を二億年後に送ったらしい。
何を考えているんだ!
統制のある二億年後への移住は、あと数回で終わる。〝ゲート〟を守る自衛隊は、二億年後への撤収準備を始めた。
俺たちは、何度も話し合った。二億年は真っ暗な未来、二〇〇万年後は霧中の未来、この時代には希望のない未来しかない。
日本の首相はヘンな人物だった。この災厄が発生する以前は、かなりの〝武闘派〟ぶりだったが、事態が人間の手には負えない大災害だとわかると、支離滅裂な言動・行動をとった。
二億年後への移住を寒冷化が著しい高緯度帯の国が実行し始めると、彼もそれに追従した。国内に心配や反対意見が渦巻くと、国民を安心させるためと称して自分の家族を二億年後に送った。
そんな右往左往の最中、鹿児島湾北部最奥の姶良カルデラが大噴火する。火山噴火指数カテゴリー7の大噴火で、薩摩半島の反対側にある川内原発が消滅した。大地ごと吹き飛んだのだ。
そして、数日後には薩摩半島の南五〇キロの大隅海峡海底にある鬼界カルデラが爆発的噴火。これもカテゴリー7。
阿蘇山も同規模で噴火。最大の火砕流は、大分県の宇佐で瀬戸内海を渡り、山口県を直撃した後、日本海まで達した。
別の噴火口からは、北西に向かう火砕流が発生。こちらは、佐賀と長崎を壊滅させた。
稼働中であった佐賀県の玄海原発は瓦礫となった。
鬼界カルデラは七三〇〇年前にも噴火しているが、このときは九州南部の縄文文化が滅びている。
阿蘇山は九万年前の四回目の噴火が最大だが、このときは六〇〇立方キロメートルもの噴出物を吐き出している。この量は富士山の山体の大きさに匹敵するが、今回の噴火はこれを上回ったらしい。
多数の巨大な噴出物が九州全土に降り注ぎ、西日本は壊滅した。
その後のことは何もわからない。
九州全土および山口県と四国の西部から、一切の生物が消えた。
そして、日本国内閣総理大臣も消えていた。
あとは残留派と移住派の物資の確保戦争が勃発。重火器を用いた戦闘に至ったが、いまは膠着状態にある。
移住派を送り出す政府や自治体の職員や警察・消防・自衛隊にも残留派がいる。移住派を追い出せば、それだけ生存可能性が高まるからだ。
いまでは、日本の人口がどれだけなのかもわからない。
何度も話し合った結果は、俺たちは二〇〇万年後を目指す、が結論だった。
二〇〇万年後には、現代文明の痕跡さえ残っていない。
それは確実。
人類が滅亡すれば、数百年で文明の痕跡を探すことが難しくなる。一万年あればどんな建造物でも土に帰る。
二〇〇万年あれば、人類が生存し続けたとしても別の人類種に進化している可能性が高い。種の上位の属のレベルで別な動物になっている可能性だってある。ヒト属でないなら、完全にヒトではない。
しかし、二〇〇万年後ならば、まだ哺乳類が地上を支配しているだろう。
たった六人でも、何とか生き残れる可能性はある。
それと二〇〇万年後を目指すグループは、かなり多いらしい。二億年後への移住を了承していても、最初の分岐で下りるつもりの移住者はかなりいる、と推測している。
だが、その割合は不明。一パーセント以下かもしれない。
それと、二億年後なら全世界で数億人規模の移住が計画されているのだから、あえて二〇〇万年後を目指す危険を冒す必要はない、と判断する移住者も多い。
だが、二億年あれば何かから進化した別の脊椎動物のグループが現れていても不思議ではない。魚類、両生類、爬虫類、恐竜類・鳥類、哺乳類に続く新たなグループだ。
その可能性は高く、二億年後の環境に最適応した動物群と互して人類が生存競争を勝ち抜けるとは思えない。
我々は爬虫類を旧型生物だと潜在的に思っているが、我々が旧型になるのだ。
二〇〇万年後に向かうのは、俺たち六人だけかもしれない。
その不安は消えなかった。
しかし、残留派が考えるほど寒冷化期間は短くない。トバ事変の例では六〇〇〇年続き、その後は氷期に突入したのだ。
今回の事変のほうが規模が大きいのだから、五年や一〇年で温暖化するなどあり得ない。
今回は低緯度地域と南半球でも破局噴火している。寒冷化は全地球規模に及んでいる。
全球凍結だってあり得る。実際、ヒューロニアン氷河時代(約二四億五〇〇〇万年前から約二二億年前)の最終期とスターチアン氷河時代(約七億三〇〇〇万年前)からマリノニアン氷河時代(約六億三五〇〇万年前)には、赤道付近を含めて全地球が氷結している。
スノーボールアースだ。
この時代に留まったほうが、二億年後に行くよりも生存の可能性があるだろうが、二〇〇万年後ならばこの時代に留まるよりも生存の可能性が高い。
これが俺たちが出した結論だ。
日本政府は事変発生から一年間は正常に機能していた。西日本の人たちを東に移動させ、食料や燃料をどうにか供給できていた。
だが、首相が出奔。
この出来事に多くの日本人は笑った。
だが、食料と燃料の供給が滞り、寒冷化が進むと、腕力の強いものが弱いものを駆逐し始める。老夫婦の住む一軒家を、壮年の家族が奪うなどの暴虐が常態化する。
食料や燃料の強奪も起こる。
俺は、事変の三カ月後には拳銃を持っていた。
秋葉原の路地で死んでいた警察官のホルスターから拝借したものだ。
それ以前は、サバイバルナイフやマチェテで武装していた。この頃が、一番厳しい時期だった。
以後、車輌を確保し、銃を手に入れ、六人が互いを守ってきた。
そして、二年間を生き抜いた。
間もなく〝ゲート〟が開く。
車幅・車高とも二メートル以内の車輌は、前部に並ぶことができる。自衛隊の軽装甲機動車五輌が最前で、次に民間の小型車輌が続く。
俺たちはその後だ。
行き先は、二億年後の地球上のどこか。
何ともアバウトな旅だ。
現在の地球で生き残るには二つの道がある。氷河が日々発達していく極寒の高緯度帯に向かうか、訳のわからぬ時空のトンネルに飛び込むか。
今日は七月七日。七夕だ。小雪が舞い、正午の気温は五度。函館は氷点下らしい。オホーツク海沿岸まで北上すれば、放射能と大陸から偏西風によって運ばれる有害物質から逃れられる。偏西風は南に大きく移動したから、北海道の北側は安全だと噂されている。
しかし、真冬になれば氷点下四〇度に達する土地で、どうやって生きていけばいいのか、俺には自信がなかった。昨冬の稚内の最低気温は氷点下六五度だった。
知床付近は急速な気温低下によって、植物は枯れ、農作物は育たない。
ヒグマと争って鮭でも捕るか?
雑食性が強い北海道のヒグマは絶滅したし、鮭もいない。エゾシカも絶滅したらしい。
だが、ニホンカモシカが北進して北海道に上陸し、カリブーやタイリクオオカミがサハリン経由で北海道に渡ってきて、函館付近まで南進している。
オホーツク海は完全な氷結と海退によって、大陸→サハリン→北海道は陸続きだと聞いた。水が陸上に氷として封じられているので、海面が急速に低下している。数年で津軽海峡と本州が陸続きになる可能性がある。
ヒグマは北海道において、食物連鎖の頂点に君臨する捕食者だったが、その役割はいまではシベリアトラが担っている。
この車列に並ぶには、条件を満たさなければならない。三カ月分の食料の携帯。一人あたり米か麦を三〇キロと、容器込みの重量で副食二〇キロが必須条件。
俺たち六人は、かろうじて三〇〇キロの食糧を確保していた。大人は二日前から何も食べていない。車列に並ぶ前日に食料のチェックがあり、重量が未達ならば車列には並べない。いったん車列に並べば、食料の増減は頻繁にチェックされる。
子供たちにも数日前から米は食べさせていない。
もう一つは、ノンコンピュートのディーゼルエンジン搭載車を用意すること。その理由は不明だが、噂によれば時空トンネル内ではガソリンエンジン車のイグニッションコイルが作動しないらしい。
ディーゼルエンジンは圧縮爆発なので、始動してしまえば電装品は重要ではない。
その点、スパークプラグによる点火が必要なガソリンエンジンは電装品の作動は絶対条件だ。
ディーゼル車に限定する理由としては、なり立つ。
俺たちは、二輌に分乗している。一輌は標準幅キャビンの二トンダンプ。食料一五〇キロ、軽油を入れたドラム缶二本、ガソリン入りのジェリカン五缶、小型発電機、武器と弾薬、そして寝具やテントと日用品を車高二メートル限界まで積んでいる。キャビンにも運転に支障のないギリギリまで、荷物を詰め込んでいる。
このダンプは、トレッカーで軽トラックを牽引している。こちらの荷台とキャビンにも物資を満載した。
もう一輌はダブルキャブの六人乗り。標準幅のキャビンで、標準車体長。荷台のリアゲートは、油圧の垂直リフトだ。こちらも、荷台・キャビンともに満載で、一トン積みの低床トレーラーを牽引している。
シングルキャブを一号車、ダブルキャブを二号車と呼んでいる。一号車、二号車とも電子燃料噴射装置を機械式に交換した以外の改造を施してはいないが、マッドタイヤを装着して新世界での行動に備えていた。また、一組だけだが、タイヤと交換して装着するおむすび型の履帯=ゴム製クローラーを用意している。
俺たちは、民間の小グループとしてはかなりの重装備だ。これだけの装備を手に入れるには、とても善人といえる生き方はしてこなかった。
一号車には、半田隼人(俺、三二歳)、舞浜千早(六歳)、須崎金吾(一八歳)が乗る。
二号車には、城島由加(三二歳)、城島健太(四歳)、水口珠月(一六歳)が乗る。
この六人で協力し合いながら、二年間を生き抜いてきた。
しかし、もう限界に達していた。北に向かうか、人類最後の国際プロジェクト〝二億年後移住計画〟に参加するか、二つに一つしか選択肢は残されていない。
俺たちは〝二億年後移住計画〟への参加を決めた。
俺は大学時代、地質学の一分野である古生物学を学んでいた。当然、就職には役立たないので、二年前まで中堅IT企業の営業をしていた。
どうやって二億年の未来に行くのかは詳しくは知らない。
ヨーロッパの研究機関が見つけた時空のトンネルの終着点が、二億年後の地球のどこかだ。
各国の政治家と軍人のバカどもが、二億年後なら現在の事態が収束していると考えた。
そして〝人類文明の存続〟を名目に、一大移住計画を発足させた。
しかし、地質学者や地球物理学者、生物学者たちが反対した。
二億年後の地球において、人類が生存できる可能性などほぼ存在しないからだ。
そんな地味な学問の研究者の警告など、政治家や軍人には一切通じなかった。
ある国の軍人出身の国防大臣は、「恐竜のような巨大生物が現れたら、戦車の主砲で追い払えばいい」といった。高名な生物学者が、「極小の生物が脅威だったら……」と発言すると、彼の言葉を遮って、「殺虫剤を使えば……」とバカにしたように応じた。
大多数の政治家と軍人は、人類は特別なもの、と考えていた。それは宗教とは関係なく、彼らの精神構造の奥深くに刻み込まれた変えようのない非論理的思考であった。
最初に各国の大物政治家とその家族、そして護衛という名の軍人たちが二億年後に向かった。片道切符だ。戻ることはできない。どうなったかもわからない。
まぁ、連中は、真っ先に逃げ出したかったのだろう。真実は、そんなものだ。
二億年前の地球は、地質年代の中生代三畳紀の終わり頃だ。古生代末のペルム紀に生物の大量絶滅が起きている。マントルが上昇し、スーパープルームという火山活動が起こり、生物種の九〇パーセントが絶滅した。アンモナイトが滅びたのがこの時代。
ペルム紀後の中生代三畳紀には恐竜が繁栄を始め、哺乳類も生まれた。
三畳紀の次のジュラ紀になって、恐竜が陸上を支配し、その次の白亜紀末六五〇〇万年前に絶滅する。
三畳紀の地球には、すべての大陸が合体した超大陸パンゲアが存在していた。
酸素濃度は、ペルム紀末は三〇パーセントもあったが、三畳紀からジュラ紀が終わるまでの一億年間は一〇パーセントしかなかった。現在は二一パーセントほど。
現在の地球は、古生代ペルム紀末の状況に非常に似ている。
そして、生物の大量絶滅が起きている。その対象には人類も含まれている。
二億年後の地球は、南極とオーストラリアが合体した大陸とその北に他の大陸すべてが合体した巨大な大陸が存在しているらしい。
大気の酸素濃度は不明。ペルム紀末と同様に寒冷化している可能性もある。
政治家や軍人の頭の中では、大陸は移動しないし、地球の大気成分は変化しない。
だから、引っ越し荷物をトラックに積んで、平然と移住できるのだ。
だが、人間はそんなおバカさんばかりじゃない。普通に考えれば、二億年後の地球は人類が生きていける可能性が低いことが想像できる。
第一、二億年後に哺乳動物が存在する可能性だって疑わしい。生き残れたとしても、動物界においては現在の爬虫類と同等の立場だろう。
人類は特別?
いや、人間もただの生物。二億年後には霊長類はおろか哺乳類が一種もいない可能性だってある。しかも、その可能性はかなり高い。地球の生物史を概観しただけで、誰もが理解できるほど明確なことだ。
しかし、政治家と軍人の多くは、人類はアンモナイト、三葉虫、恐竜とは根本的に違う、と考えている。
根本的に、どこも違わないのだが……。
この事態に対応するため、いろいろな人たちが抜け道を考えた。
それが、トンネルの分岐だ。時空のトンネルには、分岐するトンネルがあるらしい。この分岐道に入ると、どうも途中下車が可能なようだ。
ただ、どんな時代に出てしまうのかはわからない。未来であることは確かだが、何万年未来かは不明。
時間軸上で孤立すれば、死あるのみ。
政府・自衛隊の説明では、時空トンネル内を時速六〇キロで一二分間走ると、二億年の未来への出口に達する。六〇キロ以下では、トンネルから出られないそうだ。
理由は知らない。
トンネル内の時間経過を一定とするならば、約五秒で約一六〇万年となる。
政府・自衛隊の説明では、時空トンネルは左に緩くカーブしていて、トンネル進入後五秒ほどで直進する分岐があるそうだ。この分岐を避けて、左方向の本道を進むように注意を受けていた。
俺のカンが正しければ、この分岐に入れば一五〇万年から二〇〇万年の未来で途中下車できる。
二〇〇万年後ならば、現在の災厄が収束しているだろうし、少なくとも放射能汚染は収まっている。
プルトニウム239の半減期は約八万年、二〇〇万年あれば、ほぼ安全だろう。ウラン235は二三億年、同238が一五〇億年。これは無視するしかない。地球の歴史は四七億年しかないのだから……。
寒冷化は、数千年からせいぜい四万年が限度。温暖化した地球になっている可能性がある。もちろん、再寒冷化の可能性もあるが……。
大陸移動は少しだから、二〇〇万年後の地球の環境は激変していないことが期待できる。大気の酸素濃度の心配も不要だ。
さらに、この災厄を乗り越えた人類の子孫に出会うこともない。
二〇〇万年前の人類は、まだ猿人の段階にあった。最初のヒト属であるホモ・ハビリスは、二三〇万年前から一四〇万年前の種だが、その容姿は我々とはかけ離れている。
また、ホモ・ハビリスが我々の直接の祖先ではないらしい。
少なくとも、生物分類上の哺乳綱、真獣下綱、真主齧上目、真主獣大目、霊長目、直鼻猿亜目、真猿亜目、狭鼻下目、ヒト上科、ヒト科、ヒト亜科、ヒト族、ヒト亜族、ヒト属、ヒトはいるはずがない。
つまり、地球生物史上最も攻撃的で、殺戮好きな大型動物がいないのだ。
こんな安全な世界はない。
俺たちと同じ事を考えている連中は、相当多いらしい。
俺たちは〝必ず二億年の未来に向かいます〟という誓約書を書かされていた。
もっともそんな誓約書は最初から反故だが……。
すべての始まりは、イエローストーン火山の破局噴火だった。イエローストーンの地下には、四・六万立方キロのマグマ溜まりがあり、そのマグマは地球の核から直接供給されていたらしい。
北米の太平洋岸から遠くないイエローストーン火山は、二一〇万年前、一三〇万年前、六四万年前の三回巨大噴火しており、今回が四回目だった。
前回の六四万年前が比較的小規模、といっても一九八〇年のセントへレンズ火山の噴火の一〇〇〇倍ものマグマを噴出している。このときの火山爆発指数はカテゴリー8で、破局噴火であった。
四回目の噴火は、三回目の爆発をはるかに凌ぐ規模であった。
その規模は、二億五〇〇〇万年前のシベリア大地玄武岩を形成させたスーパープルームに匹敵した。
二億五〇〇〇万年前とは、古生代ペルム紀の終わり、中生代三畳紀の始まりの時代だ。マントルが直接地表に達した巨大噴火〝スーパープルーム〟により、生物種の九〇パーセントが絶滅している。
今回のイエローストーン火山の噴火では、地球の核から直接、マグマが供給された可能性が指摘されている。
この噴火は地球生物史上、最悪の大量絶滅のトリガーになった。
だが、これで終わらなかった。
インドネシアのスマトラ島にトバ湖という高級リゾートがある。
このトバ湖は、巨大火山のカルデラだ。
トバ火山は、七万年前頃破局噴火した。そして地球の環境を激変させ、人類進化の上で最大級の事件となった。
このときの噴火はトバ事変と呼ばれている。火山爆発指数カテゴリー8(最大)の噴火によって、約一〇〇〇立方キロメートルの噴出物を吐き出し、大気中の火山灰が太陽光を遮り、急速に寒冷化した。平均気温が五度下がり、この気温低下は六〇〇〇年間も続く。そして、断続的な寒冷化が起こり、やがてヴュルム氷期へと突入することになる。
トバ事変以前は、ホモ・サピエンス以外の人類種がいた。だが、トバ事変以後まで生き残れたのは、ホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルタールレンシスだけだった。
ホモ・エレクトゥスやホモ・エルガステルは絶滅した。
この大災厄を生き延びたホモ・ネアンデルタールレンシスは、二万数千年前に滅びた。だが、我々現世人類の遺伝子の中に、彼らの遺伝子がわずかに残されている。
ホモ・エレクトゥスは、ごく一部が生き残った可能性がある。インドネシアのフローレンス島にいたフローレンス人は一万二〇〇〇年頃まで生息していた。彼らは、ホモ・エレクトゥスの亜種だったとされている。
確認だが、ホモ・エレクトゥスは我々の祖先ではない。彼らは、進化の途上で分岐した別種の人類だ。ホモ・ネアンデルタールレンシスも現世人類の祖先ではない。
日本の縄文時代は、一万六五〇〇年前から三〇〇〇年前までだ。つまり、縄文時代の初め頃まで、ホモ・サピエンスとは異なる人類が生息していたのだ。
トバ事変によって、ホモ・サピエンスの人口は急減し、我々は一〇〇〇組から一万組程度の夫婦から現在に至ったとされている。
わずかそれだけの人々から、人類の地球制覇が始まった。二年前の世界人口は七〇億人を超えていた。
人類はいま、生物大量絶滅を経験している。その渦中に、俺たち六人がいる。
未来でも一万年から五万年程度なら、想像も想定もできる。しかし、二〇〇万年では不確定要素が多すぎる。それでも、二億年よりはマシだ。
ミトコンドリア・イブ。
現世人類は〝母方の家系を遡ると、約一六万年前±四万年前にアフリカに生存していた一人の女性にたどりつく〟とされる。
この女性がミトコンドリア・イブだ。
全人類の母親。
ミトコンドリアDNAは、女性からしか伝わらない。女性から男性の子供にも伝わるが、男性は自分の子にミトコンドリアDNAを伝えることができない。
ヒトのY染色体は、男性から男性に伝わる。Y染色体の系譜をたどると、六万年前の一人の男性にたどり着く。
この男性が〝現世人類共通の男系の祖先〟となる。
この男性が、Y染色体・アダム。
全人類の父親。
人類はアフリカを起源とし、現世人類もアフリカで生まれた。起源は単一だ。ホモ・ネアンデルタールレンシスもアフリカで生まれ、出アフリカを果たした人類であり、我々ホモ・サピエンスもアフリカで誕生し、出アフリカを成し遂げた。
そして、二つの人類は、おそらく中東で出会った。そして混血し、我々の中に別種の人類の遺伝子が残った。
ホモ・エレクトゥスもアフリカを起源とし、人類で最初に出アフリカを果たし、ユーラシア大陸に進出した。
ホモ・サピエンスは、二五万年前に誕生した。ホモ・ネアンデルタールレンシスは、二〇万年前に出現し、二万数千年前に絶滅した。ホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルタールレンシスは、共通の祖先から分岐した。
これは、二〇万年前とか二五万年前の出来事。現世人類とホモ・エレクトゥスの分岐は五〇万年前。
ホモ・サピエンス、ホモ・ネアンデルタールレンシス、ホモ・エレクトゥスは、数万年間にわたって同時期に生息していた。
種の異なる三種類の人類が、同時期に地球上にいたのだ。
だが、二〇〇万年後の地球において、人類は遺伝子の欠片も残っていないだろう。
だから、安全だ。
俺は、二〇〇万年後の地球が安全な地であることを、何度も反芻して俺自身に信じ込ませようとしている。
二億年後の未来に向かうトンネルの入口〝ゲート〟は、意外なほど簡単な造りの機械だ。素人目には、直径一〇メートルの金属製の輪にしか見えない。
動作には大電力が必要で、一年前までは毎日動いていたが、いまは一週間に一度、一時間程度になった。
茨城の〝ゲート〟は、電力不足で直径三・五メートルしか開かないそうだ。
俺たちのいる福島県相馬も怪しくなり始めている。
半年前までは、政府の主導で組織的に二億年後に人々と機材を送り込んでいた。
現在は、場当たり的に送り込める人々を選抜している。
最も、二億年後に行きたい人は限られていて、大半は関東以北での生き残りに賭けている。
火力発電所の燃料が極度に不足しているが、その理由は残留派が武力で確保しているからだ。
移住派は寒冷化は数千年続くと予想し、残留派は極度の寒冷は数年で終わると判断している。
おそらく、後者が正しい。だが、放射能汚染はどうする?
放射能で汚染された塵は、西からやって来る。その防御方法はない。
だが、これにもいろいろな説がある。甚大な健康被害を及ぼすとするものから、人体にはまったく影響ないとするものまで。
アジアの某大国は、新天地での覇権主義に反対して、戦車一〇〇〇輌を二億年後に送ったらしい。
何を考えているんだ!
統制のある二億年後への移住は、あと数回で終わる。〝ゲート〟を守る自衛隊は、二億年後への撤収準備を始めた。
俺たちは、何度も話し合った。二億年は真っ暗な未来、二〇〇万年後は霧中の未来、この時代には希望のない未来しかない。
日本の首相はヘンな人物だった。この災厄が発生する以前は、かなりの〝武闘派〟ぶりだったが、事態が人間の手には負えない大災害だとわかると、支離滅裂な言動・行動をとった。
二億年後への移住を寒冷化が著しい高緯度帯の国が実行し始めると、彼もそれに追従した。国内に心配や反対意見が渦巻くと、国民を安心させるためと称して自分の家族を二億年後に送った。
そんな右往左往の最中、鹿児島湾北部最奥の姶良カルデラが大噴火する。火山噴火指数カテゴリー7の大噴火で、薩摩半島の反対側にある川内原発が消滅した。大地ごと吹き飛んだのだ。
そして、数日後には薩摩半島の南五〇キロの大隅海峡海底にある鬼界カルデラが爆発的噴火。これもカテゴリー7。
阿蘇山も同規模で噴火。最大の火砕流は、大分県の宇佐で瀬戸内海を渡り、山口県を直撃した後、日本海まで達した。
別の噴火口からは、北西に向かう火砕流が発生。こちらは、佐賀と長崎を壊滅させた。
稼働中であった佐賀県の玄海原発は瓦礫となった。
鬼界カルデラは七三〇〇年前にも噴火しているが、このときは九州南部の縄文文化が滅びている。
阿蘇山は九万年前の四回目の噴火が最大だが、このときは六〇〇立方キロメートルもの噴出物を吐き出している。この量は富士山の山体の大きさに匹敵するが、今回の噴火はこれを上回ったらしい。
多数の巨大な噴出物が九州全土に降り注ぎ、西日本は壊滅した。
その後のことは何もわからない。
九州全土および山口県と四国の西部から、一切の生物が消えた。
そして、日本国内閣総理大臣も消えていた。
あとは残留派と移住派の物資の確保戦争が勃発。重火器を用いた戦闘に至ったが、いまは膠着状態にある。
移住派を送り出す政府や自治体の職員や警察・消防・自衛隊にも残留派がいる。移住派を追い出せば、それだけ生存可能性が高まるからだ。
いまでは、日本の人口がどれだけなのかもわからない。
何度も話し合った結果は、俺たちは二〇〇万年後を目指す、が結論だった。
二〇〇万年後には、現代文明の痕跡さえ残っていない。
それは確実。
人類が滅亡すれば、数百年で文明の痕跡を探すことが難しくなる。一万年あればどんな建造物でも土に帰る。
二〇〇万年あれば、人類が生存し続けたとしても別の人類種に進化している可能性が高い。種の上位の属のレベルで別な動物になっている可能性だってある。ヒト属でないなら、完全にヒトではない。
しかし、二〇〇万年後ならば、まだ哺乳類が地上を支配しているだろう。
たった六人でも、何とか生き残れる可能性はある。
それと二〇〇万年後を目指すグループは、かなり多いらしい。二億年後への移住を了承していても、最初の分岐で下りるつもりの移住者はかなりいる、と推測している。
だが、その割合は不明。一パーセント以下かもしれない。
それと、二億年後なら全世界で数億人規模の移住が計画されているのだから、あえて二〇〇万年後を目指す危険を冒す必要はない、と判断する移住者も多い。
だが、二億年あれば何かから進化した別の脊椎動物のグループが現れていても不思議ではない。魚類、両生類、爬虫類、恐竜類・鳥類、哺乳類に続く新たなグループだ。
その可能性は高く、二億年後の環境に最適応した動物群と互して人類が生存競争を勝ち抜けるとは思えない。
我々は爬虫類を旧型生物だと潜在的に思っているが、我々が旧型になるのだ。
二〇〇万年後に向かうのは、俺たち六人だけかもしれない。
その不安は消えなかった。
しかし、残留派が考えるほど寒冷化期間は短くない。トバ事変の例では六〇〇〇年続き、その後は氷期に突入したのだ。
今回の事変のほうが規模が大きいのだから、五年や一〇年で温暖化するなどあり得ない。
今回は低緯度地域と南半球でも破局噴火している。寒冷化は全地球規模に及んでいる。
全球凍結だってあり得る。実際、ヒューロニアン氷河時代(約二四億五〇〇〇万年前から約二二億年前)の最終期とスターチアン氷河時代(約七億三〇〇〇万年前)からマリノニアン氷河時代(約六億三五〇〇万年前)には、赤道付近を含めて全地球が氷結している。
スノーボールアースだ。
この時代に留まったほうが、二億年後に行くよりも生存の可能性があるだろうが、二〇〇万年後ならばこの時代に留まるよりも生存の可能性が高い。
これが俺たちが出した結論だ。
日本政府は事変発生から一年間は正常に機能していた。西日本の人たちを東に移動させ、食料や燃料をどうにか供給できていた。
だが、首相が出奔。
この出来事に多くの日本人は笑った。
だが、食料と燃料の供給が滞り、寒冷化が進むと、腕力の強いものが弱いものを駆逐し始める。老夫婦の住む一軒家を、壮年の家族が奪うなどの暴虐が常態化する。
食料や燃料の強奪も起こる。
俺は、事変の三カ月後には拳銃を持っていた。
秋葉原の路地で死んでいた警察官のホルスターから拝借したものだ。
それ以前は、サバイバルナイフやマチェテで武装していた。この頃が、一番厳しい時期だった。
以後、車輌を確保し、銃を手に入れ、六人が互いを守ってきた。
そして、二年間を生き抜いた。
間もなく〝ゲート〟が開く。
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