200万年後 軽トラで未来にやってきた勇者たち

半道海豚

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第10章

10-232 時渡り事故Part.1

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「お姉ちゃん!
 誰か歩いているよ!」
 賀村胡桃は、姉の言い付け通りにヒトを発見するとすぐに知らせる。
「胡桃!
 こっちに来て」
 姉の小声に刺激されて、胡桃が身をかがめて走る。
 姉妹は、岩に隠れる。

 佐竹太志は、右足首を痛めていた。痛みがひどく、歩行は限界に達していた。
 腰掛けにちょうどいい石があり、それに座る。地図を読み間違っていなければ、彼はダート川を下っている。
 熱を持った足首を川の水に浸けたいが、靴を脱げばしばらく履けない。その間、どうやって移動すればいいのか?
 急ぐ旅ではないし、あてがあるわけでもないし、行き先が決まってもいない。
 だが、数日とどまれば誰かに知られ、そして襲われる。動いている限り、比較的安全。
 1年前、体調不良で3日間疎林にとどまったが、2人に襲われて物資のすべてを奪われた。このとき、頭を殴られて、かなり出血した。
 今回は銃を突き付けられて、食糧をすべて奪われた。食糧以外は、見逃してくれた。
 4輪の引き車も無事。
 争い事は避け、無抵抗主義で生きてきたが、それでは生き残れない。危険を察知したら、迷わず逃げる。それが、彼の生き残り術だ。

 我慢できない。
 右足の靴紐をすべて解き、ゆっくりと足を靴から抜く。綿の靴下は大きめなので、簡単に脱げた。
 足首からつま先まで、見事なほどの紫色。
 その足を川の本流から外れた、小さな流れに入れる。切られるほどの冷たさのはずだが、なぜか心地いい。しばらくすると、耐えがたい痛みが襲ってきた。
 麻痺が解け、痛みを知覚できるようになったからだ。

「お姉ちゃん、あのヒト、何しているの?」
「わからない。
 休んでいるだけなのかな?
 でも、ちょっとヘンだよね」
「ヘンだよ。
 お爺さんみたい」
「お婆さんかも……。
 だけど、ヒトは危険よ。ニュージーランドで、一番危険な動物」

 ひどい痛みが感覚を刺激したのか、太志は何かに見られているように感じる。
 ニュージーランドには、クマやオオカミはいない。ヒツジやウマなど、ヒトが連れてきた哺乳類は、大消滅によって滅んだ。
 ネズミさえいない。
 ヒト由来ではない哺乳類はコウモリだけ。
 鳥はいる。猛禽にでも見られているのか?
「違う。
 ヒトだ」
 太志は明確にヒトの視線を感じた。
 太志にとってのヒトとは、捕食者でしかない。数年前までは、誰かの役に立ちたいと考えていた。しかし、いまはその気持ちはない。
 ことごとく裏切られてきたから。
 可能な限り、他者とは関わらないようにしている。

 胡桃は姉に促され、草が茂る灌木林に入る。そして、気配を消した。

「消えた?
 いや消したのか?
 何者だ」
 太志はヒトの気配の消失に驚く。

 太志は、ワカティブ湖の北端に近いブランケットベイを目指していた。
 そこにフロート付きの単発水上機があると聞いたからだ。

 愛機を失ってから2年が経っていた。

「河口まで、14キロか。
 ここにはいられない。
 動くしかない」
 靴を履けない太志は、右足にかなり汚れたバスタオルを巻いた。
 そして、乾いた草地を歩き始める。

 この付近には高木がない。
 胡桃と姉の桃華は、低木に身を隠しながら太志を追う。正確には追っているわけではない。向かう方向が同じなだけ。
「声を出しちゃダメ」
 桃華の注意に胡桃が頷く。

 本来なら河原のほうが歩きやすいのだが、太志は足の痛みがひどく、心理的に草の上を選んでいた。
 大消滅以来、道はなくなった。人道だけでなく、獣道さえない。

「今夜の寝床を何とかしないと」
 太志は最近、独り言が増えている。言葉を出さないと、言葉自体を忘れてしまいそうだった。
 ヒトの弱い視線は断続的に感じたが、それ以外にヒトの気配はない。
 だから、自分のペースで歩んでいた。
 太志が足を止める。
 そして、河原を凝視する。
「石が積まれている」
 一気に警戒感が高まる。
 どうでもいいような河原の石積みだが、それは近くにヒトがいる可能性を示していた。

 桃華の視力は優れていた。
 河原の近くを歩く人物の動きが止まり、その視線の先を追う。
「胡桃!」
「ごめんなさい。
 すぐに崩れると思ったの」
 叱責しても遅い。

 太志は、咄嗟に周囲を見回そうと、右足を動かした。それがいけなかった。
 バランスを崩して倒れ、右肩を強く打ってしまった。
 右腕を押さえてのたうち回る。

「ここにいて」
「どうするの?
 お姉ちゃん」
「殺すしかない」
 胡桃が泣き出す。

 太志は起き上がれないので、寒さと雨除けのポンチョを脱ぐ。厚手のシート製だが、袖がないので脱ぎやすい。
 どうにかしてザックから左腕を抜き、痛む右腕に取りかかる。
 そのとき、急速に近付く足音に気付く。
 右腕と右足が動かぬまま、ザックの側面にくくり付けてある小刀を引き抜く。

「ごめんね!」
 見知らぬ人物の頭に手製の矛を振り下ろす瞬間、桃華は謝った。その言葉とは裏腹に、彼女の行動には一切の躊躇いがなく、渾身の一撃だった。

 太志は無抵抗主義で平和主義だが、それとは裏腹に逃走主義でもある。だが、いまは足の怪我がひどく、逃げられない。
 生き残るには、抗うしかなかった。

 太志は初太刀をかわし、左手で相手の足を狙う。威嚇ではなかった。一撃で逆転を狙った一閃であった。
 桃華が片足だけをずらして、その斬激を避け、矛を横薙ぎする。
 太志は転がって避ける。
 心の中で「ここが死に場所か」と呟き覚悟を決める。

 戦いが始まって数秒が過ぎ、太志はあることに気付く。
「待て、待て、待て、待ってくれ!
 あんた日本人か!」
 桃華が驚く。
 過去2年、胡桃以外から日本語を聞いていないからだ。

「あなた、日本人なの?」
「親父とお袋は……」
「私もよ。
 ここで何をしているの?」
 太志は仰向けの状態。上体を少し持ち上げた体勢で答える。
「飛行機を探している。ブランケットベイにあると聞いた」
「あるよ。
 沈没しているけど」
「そうかぁ。
 何百キロも歩いてきたのに、無駄足かぁ」

 胡桃が桃華にしがみつく。
「胡桃離れていて」
「あんたの娘か?」
「妹よ」
「顔をペイントしているから……」
「あなたもでしょ。
 迷彩のポンチョ、顔にはペイント」
「あまり姿を見られたくないんだ」
「それは、お互い様。
 歩ける?」
「手助けがあれば」
「石室に連れていってあげる。
 そこで、自分で何とかして」

 畳4枚分ほどの広さがある、石を積んで土を被せた洞窟状の穴に連れていかれる。
「ここなら、雨が降っても濡れない。
 水は近くに小川がある。
 食糧は分けない」
「礼を言うよ。
 何も奪われないだけで、感謝だ」

 4輪の引き車は、葉のついた枝を被せて石室の近くに隠した。

 太志はまったく歩けなかった。利き腕である右手も使えない。
 食糧はある。
 50センチ級レインボートラウトの燻製を8尾持っている。

 翌朝、7時頃、胡桃が覗きに来た。
 遠くから見ているだけ。
 礼のつもりはないが、香草に漬けてから燻製にしたレインボートラウトの半身を胡桃に見せる。
 石室から這い出し、草の上に置いてから、石室の奥まで戻る。
 胡桃は走り寄って半身を拾い上げ、ダッシュで走り去る。

 午後の早い時間、桃華と胡桃が石室の前にやって来た。
 桃華は警戒していて、25メートル以内には近付かない。
「お魚、ありがとう」
「ここに連れてきてくれた礼だ」
「日本人なのに、どうして、ニュージーランドにいるの?」
「詳しくは知らない。
 親父とお袋は、オークランドで出会ったらしい。日本に帰れなくなったのか、帰らなかったのかもはっきりしない。
 で、あんたたちは?」
「幼かったから、記憶はないけど、ウェリントンにいたみたい。両親は。
 その後、ギズボーンに移ったとか……」

 大消滅後は、誰もが身動きできなくなった。
 クルマを確保できたのは、ごく少数の生き残りの、ごく少数に過ぎなかった。

 太志は、足を冷やす以外の治療はできなかった。薬品の類は、消毒用の自家製エタノールしかない。
 それでも、3日目にはどうにか歩けるようになる。右肩は痛むが、骨折や脱臼はしていなかった。

 7日目朝、靴を履いてみる。
 歩けそうなので、ここを立ち去ることにする。手紙を書いて、石室の中に置いたが、姉妹が字を読めるかは知らない。
 だから、ひらがなだけで書いた。

 太志は5時間歩いて、ワカティブ湖ブランケットベイにたどり着く。
 すぐに1機目を見つける。
「見事な残骸だな」
 フロートが外れ、胴体が折れ曲がり、右主翼がちぎれていた。
 2機目は水中にあった。
「全没か」
 湖岸からだいぶ先に垂直尾翼の先端が湖面から突き出ていた。
 湖面に目を凝らすと、3機目が見えた。
「転覆か」
 2本のフロートが下面を見せて、湖面に浮いている。実際は、主翼上面が着底しているのかもしれない。

「情報では、4機あるはず」
 デジタル双眼鏡をザックから出し、沖の島を見る。
「あった。
 情報通りだが、飛べるとは思えないな」
 原形は保っているのだが、遠目からでも破損箇所が多いことがわかる。エンジンも水を被っているだろうし、直せたとしても燃料が手に入るかわからない。

「静かだな。
 ここなら、ゆっくりと修理できるかもしれない」
 双眼鏡を覗きながら、独り言ちる。

「ねぇ、何をゆっくりするの?」
 太志が驚き振り返る。
「桃華さん……。
 俺を追ってきたの?」
「まぁ。
 あの足じゃ、行き倒れているんじゃないかなって……」
「大丈夫。
 そこそこ歩けるよ。
 だけど、心配、ありがとう」
「で、ゆっくり何をするの?」
「飛行機の修理だ」
「飛ばせるの?」
「あぁ、飛ばす基本は親父から習った。
 国際線旅客機のパイロットだったんだ。
 お袋は別の航空会社の地上スタッフ、整備士だった。
 直す基本は、お袋が教えてくれた」
「そうなの」
「あぁ」
 桃華は自分の情報を出さないが、胡桃は違う。警戒心が緩いのだ。
「あのね。
 ママは双発プロペラ旅客機のパイロットだったの。パパは自衛隊で飛行機の整備をしていたんだよ。
 旅行でニュージーランドに来たんだ」
「なるほど、俺んちとは逆ってことか」
 これには桃華が答えた。
「そう、みたいね」
 胡桃は肝心なことを伝えない。桃華も飛行機を飛ばせる。まだ12歳だが、そのくらいの分別はある。

 桃華は明確に警戒している。
「なぜ、飛行機を直すの?」
「あぁ、ダーウィンに行く」
「ダーウィン?」
「オーストラリアのダーウィンだ」
「ノーザンテリトリーの?」
「詳しいな。
 そうだ」
「どうして?」
「ノーザンテリトリーの一部は大消滅の影響を受けなかった」
「ヒトがいる?」
「そうだ」
「ヒトは危険よ」
「だが、いつまでもニュージーランドにはいられない。
 年々寒くなっている」
「それなのに、南に向かっている?」
「一時的にね」
「ダーウィンに何かあてがあるの?」
「いいや。
 高知にヒトが集まっているらしい。
 高知に行くための中継地だ」
「直線で5000キロ以上あるけど」
「ダーウィンまでね。
 ダーウィンから高知までも5000キロだ」
「1万キロを飛ぶ?」
「燃料はどうするの?
 非現実的でしょ」
「アブガスは。
 だけど、ターボプロップなら、油なら何でも動く」
「その油が手に入らないでしょ」
「あぁ、親父もお袋もそう言っていたよ。
 日本に帰ることを諦めたんだ。
 だけど、俺は違う」
「ご両親は?」
「お袋は、病気で死んだ。
 何の病気なのかもわからなかった。
 親父は殺された。物資泥棒に」
「あなたは?」
「俺か?
 何度か襲われた。
 ビーバーを燃やされた」
「ビーバー?」
「飛行機の名前だよ。
 親父とお袋が手に入れたんだ。
 危なくなると、空に逃げた」
「それで、ビーバーを探しているの?」
「あぁ」
「単発機では、タスマン海は渡れないでしょ」
「……」
 太志は、単純で明確な質問に回答できない。
「ノーフォーク島を中継すれば……」
「島に何か、残っている?」
「いや、わからない」
「じゃぁ、ビーバーじゃオーストラリアには渡れないね」
「いや、方法はある。
 フロートの一部を増加燃料タンクにすれば、1500キロは飛べるようになるさ」
「そんな作業をここでするの?」
「あぁ、俺ならできる」
「時間、かかるよ」
「時間をかけても、やりきるさ」

 ワカティブ湖はL字形をしている。L字の横線部分の北岸にあるクィーンズタウンは、ほぼ無傷で残っている。
 当然、ヒトが集まる。ヒトが集まれば権力が生まれ、支配者が誕生する。指導者ではない。支配者だ。
 そして、社会階層が生まれる。支配者、支配者の取り巻き、被支配者の3階層は確実。被支配者が複数回層に分かれることがある。

 安物の王だ。

 胡桃が「どこに住むの?」と尋ね、太志が「あれに」とDHC-2ビーバーの残骸を指差す。
「雨露はしのげるさ。
 俺には十分だ」

 胡桃はもう少しとどまりたい素振りだったが、桃華に促されてブランケットベイを立ち去った。
 2人は徒歩だった。

 太志は機体から外れて転がっていたフロート2本を平行に連結して、筏を作る。
 オールはアルミのパイプと、木板を材料にする。この付近は、所々だが大消滅の影響を受けなかったようで、わずかながらヒトが存在した形跡が残っている。
 筏作りに1日を費やし、翌早朝に島を目指す。遠目だが、原形をとどめている上翼単発水上機を調べるためだ。

 確かに原形はとどめている。
「こいつを直すのは、年の単位になる。
 何年かかるかわからないぞ……」
 空冷星型エンジンは、何度も水を被ったようだ。たぶん、電装系は使えない。エンジン内部に水が入っていなければ、修理できるかもしれないが、そう思える状態ではない。
 左翼のフラップとエルロンが失われている。陸上の残骸や水没機から融通できるが、垂直安定板が微妙に曲がっているように見えることが不安をかき立てる。
「ダメか……?」
 諦めの気持ちがわき上がる。しかし、過去2年間で、これほど状態のいい飛行機を見ていない。
 だが、再び飛ぶことは無理なように感じる。
 太志側の問題もある。ターボプロップの整備経験はあるが、航空機用レシプロエンジンは自信がない。クルマかバイクならどうにか……。
 それと、アブガス(航空機用有鉛ガソリン)の入手は現実として不可能に近い。
 ターボビーバーなら詳細な調査に迷わず着手するが、レシプロ機だから大いに迷う。

 太志は、それから3日間、今後の計画を考えつつ、食糧確保のためにトラウト釣りに全力を挙げた。食べることができる植物も採集する。
 クマラというイモ類を補充できたことは、今後の生存には大きかった。

 用心して、完全な日没にならなければ、焚き火をしなかった。
 火はヒトを呼び、ヒトは危険と同義だからだ。
 トラウトの燻製作りも日没後に行った。

 ブランケットベイに滞在してから6日目朝、前日に拠点を島に移すことに決めていた。危険を避けるためだ。
 太志は、焚き火の跡などは巧妙に隠している。それでも、滞在が長くなればすべてを隠すことができなくなる。
 だから、島に移ることにした。

 ビーバーのキャビンにいると、動物の気配がした。
 その感覚に驚き、窓から湖畔側を見る。
 慌てて、すぐに首を引っ込める。
 ウマに乗ったヒト。ウマが4頭、ヒトが4人。
 急いではいない。ゆっくりとした歩み。
 全員が男性。

 4人がウマを止め、1人がウマから降り、湖面に放尿を始めた。
 1人が馬上から声をかける。
「早くしろよ。
 閣下が女を待っているんだぞ」
 下馬した男が答える。
「噂では、日本人だって?」
「アジア人であることは確かだ。
 閣下は、アジア人を食ってみたいらしい」
 ここで、下卑た笑いが漏れる。

 太志は、すぐに準備を始める。
 4騎が桃華と胡桃を狙っていることは確実。
 太志は無抵抗主義だが、それは自身に対してのみ。他者の危機に際しては、これを適応しない。
 かなり、好戦的。
 迷わずボウガンを組み立てる。
「ウマがいるとは。
 ヒト以外の哺乳類を見るのは、初めてだ。
 ヒトよりも歩行速度は速いはず。
 急がないと」

 太志の肩は快癒していたが、足については完治とはいいがたい状態だった。だから、ボウガンと矢筒だけを持って、騎馬を追った。

 胡桃は姉と2人だけの生活に疲れている。ヒトが怖いことは理解しているが、彼女の中では「いいヒトだっているはず」との考えが消えない。
 胡桃は太志が「いいヒト」に思えてならなかった。
 姉に声をかけたいが、川岸に長くとどまってしまっていた。
 川風の冷たさに耐えかねて、小走りで住まいに戻ろうとしていた。
 河原から段丘に上がり、草原を走っていると、背後から音がする。
 胡桃は振り向き、驚きのあまり、足が止まる。だが、即座に全力で走り出す。
 4騎に追われたからだ。

 胡桃は姉だけでも逃がそうと叫ぶ。
「お姉ちゃん!
 悪いヒトたち!」

 桃華の悩みは、日々伸びる雑木と雑草。放っておくと、彼女たちにとって最重要の道具が移動できなくなってしまう。
 だから、草刈りは重要な仕事だった。

「胡桃?」
 桃華は山刀を握りしめ、胡桃の声に向かって走る。

 胡桃はすぐに追い付かれ、襟首を捕まれて、子イヌのように持ち上げられた。
 馬上に引き上げられる直前、男の右肺に背側から矢が刺さる。
 男は呼吸の苦しさから、胡桃を離す。
 胡桃は転がりながら、走ってくる桃華を見つける。いったん、俯せで止まり、身体の痛みを堪えて立ち上がり、姉に向かって走る。

 桃華は眼前に迫る騎馬を恐れていなかった。騎馬の進行軸から胡桃がいる右によせ、騎馬が振り下ろす棍棒の下をかいくぐり、その瞬間に馬上の男の右足を斬り裂く。

 クロスボウは、再装填に時間がかかる。太志の2射目は、逃げていく2騎の背に向けられた。
 そして、1騎を射落とす。
 桃華は、胡桃を捕らえ損ねた男を馬上から引きずり下ろし、頭上に山刀を振り下ろす。

 足を斬られた男が仰向けで這い、命乞いをする。
「助けてくれ。
 俺はただ、町長閣下に命じられて来ただけなんだ。
 殺さないで」
 桃華の形相は、鬼そのものだった。上衣と顔にわずかだが返り血が着く。肩で激しく息をしている。

 太志は躊躇わなかった。
 生かしておけば、桃華と胡桃に害が及ぶからだ。軽くトリガーを引く。
 側頭部から脳を貫く。
 即死だ。

「すぐに逃げたほうがいい。
 俺も戻って荷物をまとめたらすぐに姿を消す。
 2人もそうして」
 桃華の目が泳ぐ。
「簡単には、できない。
 大切なものがあるから……」
「何言ってるんだ!
 生命が一番大切だろう。
 連中に捕まったらどうなると思っているんだ?
 死ぬまで犯されるんだぞ。
 きみだけじゃない。
 妹ちゃんもだ」
「でも……」
 姉の躊躇を、胡桃が打ち消す。
「あのね!
 飛行機があるの!
 それを置いてはいけないの!」

「驚いたな。
 プッシャー式の単発飛行艇か?」
 一見すると倒壊しかけている木造小屋だが、巧妙な補強がされている。その中に、胴体から支柱で支えられたエンジンが載る単発機が格納されていた。
「6人乗りの飛行艇。
 レイク・レネゲード」
「燃料は?」
「あまりないの。
 せいぜい250キロ、上手く飛んで280キロ」
「それだけ飛べれば十分だ。
 ここからは逃げられる」
「だけど、草を刈らないと離陸が……」
「水陸両用?」
「そうなの」
「川までは、人力では押していけないし……」
 太志が滑走路代わりの草地を見る。
「あの藪と、あっちの雑木を払えば離陸できるんじゃないかな?
 乗せてくれるなら、手伝う」
 桃華は即答しない。レネゲードを太志に奪われる心配をしている。
 胡桃が姉の背を押す。
「お姉ちゃん、手伝ってもらおうよ。
 私たちだけじゃ、どうにもならないよ」

 桃華と胡桃は藪払いを、太志は雑木の切り倒しにかかる。

 2時間奮闘し、どうにか滑走の邪魔は取り除く。

「胡桃、食糧、衣類、毛布だけ。
 できるだけ軽くしたいから」
 荷物を積むと、滑走路の一番北まで3人で押し、胡桃が後席、桃華が前席左に乗る。
「エンジンを始動して」
 太志に促されて、桃華が始動手順を開始する。
 タービンが甲高い音をたてて、始動する。回転が安定するまで、5分ほどかける。
「大丈夫だ。
 エンジンの調子は上々。
 さぁ、行こう」
 太志が前席右に乗り込む。

 小型の水陸両用飛行艇がゴトゴトと滑走を始め、滑走路として想定している500メートルギリギリで離陸する。

「飛んだ!
 飛んだ!
 お姉ちゃん、飛んだよ!」
 胡桃がはしゃいでいる。
 太志は、久々の浮遊感に奇妙な自失感に陥っていた。
 桃華は、久々の飛行で必死だった。
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