26 / 68
夏の宵編
第25話
しおりを挟む
「茅雪」
家に着いてすぐ刹那は茅雪の部屋を訪ねる。茅雪は椅子のキャスターを転がした勢いのままに襖から顔を出した。兄の帰宅を茅雪は笑顔で出迎える。
「なに?」
「母ちゃんたちまだ帰ってねえ?」
「うん」
「ならちょっとこっちさ来て」
「? うん」
声を潜めて手招きする刹那を見て茅雪は何かを勘付いたらしい。音を立てないように椅子から立ち上がると、さらに忍足で刹那に着いていく。
キッチンに二人で立つと以前のようにアイスをそれぞれ手に極秘の会話を始める。
「やっぱ行くわ……松永のおばちゃんのところ」
「下宿?」
「おう。今日父ちゃんと母ちゃんに話す。盛谷んところは俺一人で言いにいく。進学先の件も婚約しねえって言った件もブチギレてるんだろうけど、なんとかしてみる」
刹那の顔に迷いはなかった。それを見て茅雪は目を輝かせる。だがその頭の中には、今までとは違う不安が生まれていた。
茅雪は手を自分の前で組み、刹那の顔を見上げた。
「お、お父さんに一緒に行ってもらったほうが……」
「それで家族丸ごと盛谷の信用失うほうがやべえだろ。バカ息子の勝手って体の方がずっと穏便に済む」
「……流生さんみたいに、お兄ちゃんもなるの?」
茅雪の声が震えている。
二人のいる向かいの窓で風鈴がちりんと鳴った。風が一斉に吹き込んで、刹那の髪を揺らした。
「ならねえよ。俺、あいつより要領いいもん。あのばあさまの扱いだって心得てる」
「……うん」
頷く茅雪の頭を撫でる。まだ小さな妹を愛おしく思った。自分のことで面倒をかけることを申し訳ないと、それを伝えるように何度も髪を梳く。
茅雪はすっかり黙り込んで、兄の手に呼応するように繰り返し頷いた。刹那が思うようにすればいいと、茅雪は一番に願っている。
それはひとえに刹那の自己犠牲をその目で追い続けてきたせいだった。
***
柏葉の家では忙しい両親に変わって刹那が五人の弟妹の面倒を見ていた。料理も洗濯も名前のつかないものもの含めて家事をこなしており、学校に持っていく弁当すらも刹那自ら用意している。
それは刹那が中学で生徒会に入って忙しくなった後も、ずっと変わらなかった。
だが茅雪は兄が家の外で忙しくするのを不満に思っている時期があった。何も分かっていなかった茅雪は生徒会で帰宅が遅くなった刹那に家族を蔑ろにするなと訴えたことがあった。
――ごめんな。兄ちゃん家族のこと大好きだけど、学校のことも大好きだから、両方頑張りたいんだ
茅雪にとってはそれが衝撃的だった。家族よりも大切なものはないと、大人の意見を茅雪は間に受けていた。
だが兄はそうではなかった、自分たちと同等かそれ以上に大切にしているものがあると知ったのは、ついこの前の冬だった。
受験目前になって刹那が家事を終えた後に自室に篭るようになったころ、茅雪は寂しさから刹那の部屋の扉で聞き耳を立てていた。
「……っ」
「……お兄ちゃん?」
物音に気付きそっと耳を扉に近付ける。だがすぐに後悔した。向こうから聞こえてきたのは、刹那が泣いている音だった。食卓でよく話題に聞く親友の名前を涙ぐんだ声で呼んでいる声だった。
刹那が進路を変えたのはそれからすぐのことだった。兄に本当に何があったのか茅雪に知る術はない。ただ漠然と刹那が辛い現状に置かれていることだけは理解してしまった。
「私は、お兄ちゃんが辛い思いをしないことを選んでほしいよ……」
気持ちを吐露するのと同時に茅雪は泣き出す。自分が泣いている場合ではないと奮い立たせても、刹那に涙を掬い取られてしまう。それが茅雪を何より悔しくさせた。
***
「決めたわ俺、下宿する」
夏休み前最後の昼休みの時間、刹那はいつもの四人の前でそう宣言した。
「どこ? 寮に入んの?」
「いや親戚がアパートやっててさ。部屋余ってんだって。ここから歩いて二十分くらいんとこ」
「山男からいきなり都会っ子じゃんね」
「……俺だけ遠くなっちゃうなぁ」
刹那はハッとして怜史を見る。
怜史の登下校が一人きりになってしまうことは、刹那の中で数少ない懸念点だった。中学の奴らに駅で出くわして絡まれたりしないか、通学路の途中で具合が悪くなったら誰が面倒を見てくれるのか。考えだせば自分の決意が揺らぐくらいには怜史への心配が尽きなくなる。
けれども当の本人はけろっとした様子で、口に咥えたストローでミルクティーをちゅ、と吸い上げている。
そして机に伏せるような姿勢になって、下から刹那をじっと見つめた。
「俺も刹那のところに住んじゃおっかなー」
隠しきれていないにやけた顔はその言葉が冗談だと物語っている。
それなのに刹那の脳裏をよぎったのは怜史と朝も昼も晩も、一緒に過ごす絵空事だった。あの町を離れてなんのしがらみもなくなった場所で二人だけで過ごせたら。
この下宿にその下心がないと言えば嘘になる。元を辿れば怜史がいなければ刹那は町の外になど出ようととも思わなかった。そういう意味で言えば下心由来と言っても過言ではない。
だが、
(浮かれてんなよ。これは、あの人達と戦うための一歩に過ぎねえんだ)
見つめてくる怜史の額にデコピンを打ち、声を張って「ばか」と言った。
「お前も自立したかったらまずは親を交渉するんだな」
「えー俺の親過保護なんだもん。絶対許してくれない。刹那が一緒なら許してくれる気がする」
「……当てにすんなっての」
肩を揺さぶってわがままを言われることに満更でもない刹那は少し笑ってしまう。
(もっと大人になって本当に自立できるようになった時に、同じこと言ってくれりゃあ良いのにな)
切に願う気持ちをそっと閉じ込めて、今は親友としての立場でやり過ごした。
家に着いてすぐ刹那は茅雪の部屋を訪ねる。茅雪は椅子のキャスターを転がした勢いのままに襖から顔を出した。兄の帰宅を茅雪は笑顔で出迎える。
「なに?」
「母ちゃんたちまだ帰ってねえ?」
「うん」
「ならちょっとこっちさ来て」
「? うん」
声を潜めて手招きする刹那を見て茅雪は何かを勘付いたらしい。音を立てないように椅子から立ち上がると、さらに忍足で刹那に着いていく。
キッチンに二人で立つと以前のようにアイスをそれぞれ手に極秘の会話を始める。
「やっぱ行くわ……松永のおばちゃんのところ」
「下宿?」
「おう。今日父ちゃんと母ちゃんに話す。盛谷んところは俺一人で言いにいく。進学先の件も婚約しねえって言った件もブチギレてるんだろうけど、なんとかしてみる」
刹那の顔に迷いはなかった。それを見て茅雪は目を輝かせる。だがその頭の中には、今までとは違う不安が生まれていた。
茅雪は手を自分の前で組み、刹那の顔を見上げた。
「お、お父さんに一緒に行ってもらったほうが……」
「それで家族丸ごと盛谷の信用失うほうがやべえだろ。バカ息子の勝手って体の方がずっと穏便に済む」
「……流生さんみたいに、お兄ちゃんもなるの?」
茅雪の声が震えている。
二人のいる向かいの窓で風鈴がちりんと鳴った。風が一斉に吹き込んで、刹那の髪を揺らした。
「ならねえよ。俺、あいつより要領いいもん。あのばあさまの扱いだって心得てる」
「……うん」
頷く茅雪の頭を撫でる。まだ小さな妹を愛おしく思った。自分のことで面倒をかけることを申し訳ないと、それを伝えるように何度も髪を梳く。
茅雪はすっかり黙り込んで、兄の手に呼応するように繰り返し頷いた。刹那が思うようにすればいいと、茅雪は一番に願っている。
それはひとえに刹那の自己犠牲をその目で追い続けてきたせいだった。
***
柏葉の家では忙しい両親に変わって刹那が五人の弟妹の面倒を見ていた。料理も洗濯も名前のつかないものもの含めて家事をこなしており、学校に持っていく弁当すらも刹那自ら用意している。
それは刹那が中学で生徒会に入って忙しくなった後も、ずっと変わらなかった。
だが茅雪は兄が家の外で忙しくするのを不満に思っている時期があった。何も分かっていなかった茅雪は生徒会で帰宅が遅くなった刹那に家族を蔑ろにするなと訴えたことがあった。
――ごめんな。兄ちゃん家族のこと大好きだけど、学校のことも大好きだから、両方頑張りたいんだ
茅雪にとってはそれが衝撃的だった。家族よりも大切なものはないと、大人の意見を茅雪は間に受けていた。
だが兄はそうではなかった、自分たちと同等かそれ以上に大切にしているものがあると知ったのは、ついこの前の冬だった。
受験目前になって刹那が家事を終えた後に自室に篭るようになったころ、茅雪は寂しさから刹那の部屋の扉で聞き耳を立てていた。
「……っ」
「……お兄ちゃん?」
物音に気付きそっと耳を扉に近付ける。だがすぐに後悔した。向こうから聞こえてきたのは、刹那が泣いている音だった。食卓でよく話題に聞く親友の名前を涙ぐんだ声で呼んでいる声だった。
刹那が進路を変えたのはそれからすぐのことだった。兄に本当に何があったのか茅雪に知る術はない。ただ漠然と刹那が辛い現状に置かれていることだけは理解してしまった。
「私は、お兄ちゃんが辛い思いをしないことを選んでほしいよ……」
気持ちを吐露するのと同時に茅雪は泣き出す。自分が泣いている場合ではないと奮い立たせても、刹那に涙を掬い取られてしまう。それが茅雪を何より悔しくさせた。
***
「決めたわ俺、下宿する」
夏休み前最後の昼休みの時間、刹那はいつもの四人の前でそう宣言した。
「どこ? 寮に入んの?」
「いや親戚がアパートやっててさ。部屋余ってんだって。ここから歩いて二十分くらいんとこ」
「山男からいきなり都会っ子じゃんね」
「……俺だけ遠くなっちゃうなぁ」
刹那はハッとして怜史を見る。
怜史の登下校が一人きりになってしまうことは、刹那の中で数少ない懸念点だった。中学の奴らに駅で出くわして絡まれたりしないか、通学路の途中で具合が悪くなったら誰が面倒を見てくれるのか。考えだせば自分の決意が揺らぐくらいには怜史への心配が尽きなくなる。
けれども当の本人はけろっとした様子で、口に咥えたストローでミルクティーをちゅ、と吸い上げている。
そして机に伏せるような姿勢になって、下から刹那をじっと見つめた。
「俺も刹那のところに住んじゃおっかなー」
隠しきれていないにやけた顔はその言葉が冗談だと物語っている。
それなのに刹那の脳裏をよぎったのは怜史と朝も昼も晩も、一緒に過ごす絵空事だった。あの町を離れてなんのしがらみもなくなった場所で二人だけで過ごせたら。
この下宿にその下心がないと言えば嘘になる。元を辿れば怜史がいなければ刹那は町の外になど出ようととも思わなかった。そういう意味で言えば下心由来と言っても過言ではない。
だが、
(浮かれてんなよ。これは、あの人達と戦うための一歩に過ぎねえんだ)
見つめてくる怜史の額にデコピンを打ち、声を張って「ばか」と言った。
「お前も自立したかったらまずは親を交渉するんだな」
「えー俺の親過保護なんだもん。絶対許してくれない。刹那が一緒なら許してくれる気がする」
「……当てにすんなっての」
肩を揺さぶってわがままを言われることに満更でもない刹那は少し笑ってしまう。
(もっと大人になって本当に自立できるようになった時に、同じこと言ってくれりゃあ良いのにな)
切に願う気持ちをそっと閉じ込めて、今は親友としての立場でやり過ごした。
1
あなたにおすすめの小説
僕の幸せは
春夏
BL
【完結しました】
【エールいただきました。ありがとうございます】
【たくさんの“いいね”ありがとうございます】
【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】
恋人に捨てられた悠の心情。
話は別れから始まります。全編が悠の視点です。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
【完】君に届かない声
未希かずは(Miki)
BL
内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。
ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。
すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。
執着囲い込み☓健気。ハピエンです。
【完結】恋した君は別の誰かが好きだから
海月 ぴけ
BL
本編は完結しました。後日、おまけ&アフターストーリー随筆予定。
青春BLカップ31位。
BETありがとうございました。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
俺が好きになった人は、別の誰かが好きだからーー。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
二つの視点から見た、片思い恋愛模様。
じれきゅん
ギャップ攻め
キミがいる
hosimure
BL
ボクは学校でイジメを受けていた。
何が原因でイジメられていたかなんて分からない。
けれどずっと続いているイジメ。
だけどボクには親友の彼がいた。
明るく、優しい彼がいたからこそ、ボクは学校へ行けた。
彼のことを心から信じていたけれど…。
ハルとアキ
花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』
双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。
しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!?
「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。
だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。
〝俺〟を愛してーー
どうか気づいて。お願い、気づかないで」
----------------------------------------
【目次】
・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉
・各キャラクターの今後について
・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉
・リクエスト編
・番外編
・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉
・番外編
----------------------------------------
*表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) *
※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。
※心理描写を大切に書いてます。
※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪
《完結》僕が天使になるまで
MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。
それは翔太の未来を守るため――。
料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。
遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。
涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる