【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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夏の宵編

第27話

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「タイムマシン試乗チケット抽選会?」

「そう、そうなの! 世紀の大チャンスなの!」

 放課後、神妙な顔をした花音が刹那達に見せたのはパンメーカーが実施しているとある広告だった。

 タイムマシン。この春からアメリカにて正式な「旅客機」として採用され、時代が一つ進んだとして今世界中の話題となっていることは、刹那達も当たり前に知っていた。

 だが技術的に一歩遅れた日本で且つ、辺境の田舎に住まう彼らにとってはまだまだフィクションの出来事と大差がない話だった。

 そんな夢物語がほんの少し、キャンペーンという形をとって現実に迫ってきた。花音はそれに興奮を隠しきれない様子だった。

「『抽選で三組にタイムマシン試乗チケットをプレゼント。応募シートに対象商品に付いているシールを五十ポイント分貼って応募してください。一人当たり何口でも応募可能。対象商品はパン・サンドイッチ・一部スナック商品。締切は八月三日』……三組ってほぼ当たらなくないかぁ?」

「もう悠は夢がなさすぎる! 応募してみなきゃ当たるものも当たんないでしょ? どんなに遠くのエトワールだとしても、必死に手を伸ばす努力をしてみなさい!」

「んでも八月三日だよ? 今からパン五十個は間に合わなくない? うち米派なんだけど」

「もーこのカップルどもは……みんなで行こうよ時間旅行。絶対生涯の思い出になるよ?」

 むくれた花音がちらりと怜史を一瞥する。怜史は花音から送られたキャンペーンのサイトを凝視して動かない。花音は怜史に向かっておどろおどろしい手つきで懇願する。

「怜史君……怜史君は興味、ないかな……?」

 一拍置いて怜史はいつにない満面の笑みで、それを見た花音が悲鳴を上げるより早く答えた。

「俺、タイムマシン乗りたい」

「……え、乗りたい? 今乗りたいって言った?」

「マジ? 怜史、意外だわ」

「一番興味なさそうだと思ってた。タイムマシンとか」

「そう?」

「怜史君が花音サイドということはこれはもう決定事項ということで良いんじゃないですかねえ!?」

 いつもの熱意に拍車がかかり炎を激らせた目をする花音を、怜史は笑ってスルーする。その間ずっと黙り込んでいた刹那の机をこんこんと叩き、その顔を自分の方に向けさせる。

「ね、刹那もいいでしょ?」

「……あ、ああ。んだな」

「もー。刹那は相変わらず怜史派なんだからぁ。しょうがないからウチらも手伝うけど。ね、悠」

「おー。その代わり秋フェスの申し込み手伝えよ花音」

「もちろん! このお礼はいくらでも!」

 全員が合意に乗り出す中、刹那はずっと怜史が真っ先に花音の提案に乗っかった理由を考えていた。

(怜史はきっと、過去に行きたいんだ)

 それは流生がいた過去。出琉がいた過去。怜史の思考を想像するのは容易かった。そういう理由で怜史がタイムマシンに乗りたがるのは納得できる。失ってしまった幸せがあるのなら取り戻したい、もう一度繰り返したいと思うのは人間に後悔がある限り当たり前にする妄想だと、刹那は考える。

 だが怜史のそんな願いが、刹那は嫌だった。もしも抽選が当たってみんなでタイムマシンに乗ることになれば、どこへ行くかを考えるだろう。その時に想定通りに怜史が過去にいくことを望んだ時、怜史にとって自分や悠達のいる高校生活がいちばんの幸せではないことを理解させられてしまう。そんな日を刹那は笑顔で迎え入れる自信がなかった。

(とっくに分かってるはずなのに、俺はいちばんになれないって。それでもまた過去の『あいつら』に俺が負けてるって思わされるのが、嫌だ)

「ーー刹那」

 そんな刹那の思考も怜史が名前を呼ぶだけで、あっという間に現実に戻されてしまう。はっとして顔を上げた先では怜史がじっと視線を向けながら口元を緩ませていた。

 優しく、穏やかに、だが一目見たものを決して離さない、吸い込まれるような瞳。そこに映し出されるや否や、刹那は自分が考えていたこと全てを、まるで夢だったかのように忘れてしまった。

***

 放課後、刹那は一人教室に残っていた。中学に引き続き生徒会役員入りすることを目指している刹那は、現在はクラス委員の役職を請け負っている。担任は少し頼りなく、何かあるとすぐに刹那を頼ってくる。今日も雑用を押し付けられたがために、怜史を教室で見送って一人居残り作業に勤しむ羽目になった。

 机には担任に任された雑書類と、日中に話をしていたタイムマシン試乗抽選の応募用紙が置いてある。本心では気が進まないものの、刹那は律儀に空き時間に近所のコンビニに行って応募用紙を取りに行った。

 まだまっさらな応募用紙にシールの枠が五十個分ずらりと並んでいる。果ては長そうだがやろうと思えばできてしまう。今週末は自宅でいつものバーベキューパーティーがあるし、軽食用にパンを買えばざっと三十はこなせる。

 そんな柏葉の家の人脈が今は憎い。怜史達には悪いが、週末の件は黙っておきたい。だが油断をすればあっさりと怜史に口を割ってしまいそうだと思った。

 頭を抱えて机に向かって大きなため息を吐く。

「だるい……このジレンマがよ……」

「なーに一人でくっちゃべってんの?」

「ーーっ、美紗季」

 誰にも聞かせる気のない本音に返事が返ってきたことに驚いて顔を見上げる。ラクロスのクロスケースを抱えた美紗季が立っていた。教室中に広がっていると錯覚するほどの、濃い甘さの制汗剤の香りを放っている。

「部活お疲れ」

「おっす。あんたは? またヤスセンのパシリ?」

「パシリじゃねー。クラス委員の仕事」

「真面目だねぇほんと。まだ帰れないの?」

「んーもうちょい」

 刹那が書類に視線を向け直すと、美紗季は机に置いていた応募用紙に気付いて、それを手に取った。

「これも早速持ってきてて、仕事が早いね」

「別に……さっき飲み物買いに行って見かけたからたまたま」

「そう?」

「なあ、美紗季」

「んー?」

 直前まで美紗季に何か聞くつもりはなかった。だが頭の中に何かが浮かぶより早く勝手に口が動いた。刹那の中で無性に誰かに本音を打ち明けたいという欲求が動いたのだ。
 花音がタイムマシンの話をし始めた時、美紗季はそこまで乗り気には見えなかった。話をするのに、丁度良い相手だと頭の中が打算的に働く。

「タイムマシンてさ、乗って過去に行ったら……未来が変わったりすると思うか?」

「何、急に」

「いやだってさ、もし今の俺らが変わったりしたらって思ったら……」

「あーね?」

 美紗季は自分の髪の毛を人差し指に絡ませて遊ぶ。指先を見つめていた目は少しピントがずれて窓際の、悠の机を捉えていた。

「ま、怖いよね。ちょっとは」

「……だよな」

「けど、あたしはもしも本当にタイムマシンに乗るってなって、それで変わるものがあるんだったら、それも含めて最初から決まってたんじゃないかって思うかな」

「それってどういう意味?」

「過去に戻ってやり直しが効いたとして、それは最初っからやり直せるものだったってコト。そうじゃなかったらそういう未来が正しいんだってコト」

「ほぉ……?」

 美紗季の口から出てきたのは、予想だにしない哲学じみた回答で刹那は思わず首を傾げる。意外に思っていることが美紗季にも通じたのか「まっそうなるよね!」と笑い飛ばした。

「あたしはさ、今が楽しければ良いと思う。みんなでタイムマシン乗る思い出ができるんだったらそれで良い。馬鹿みたいにパン食べまくった結果当選しませんでした、って笑い合う思い出ができるのでも良い。あたしあいつらと一緒にいる時間好きだから」

「なんか……美紗季って意外と芯が強いんだな」

「意外ってなんだよ」

「いや……なあ、そのあいつらの中で悠が占めてる割合ってどれくらいなの?」

 刹那の質問に美紗季が硬直する。慌てた様子で口をぱくぱくとする余裕のない表情を、刹那は初めて見たような気がした。いつも涼しい顔をしているカップルの片割れに突然初心な姿を見せられて、逆に刹那が面食らってしまう。

「んなこと聞くな、バカ」

「良いだろ? 仲良しグループのよしみでさあ」

「デリカシーなくね? 怜史にチクるよ」

「なんで怜史なんだよ。あいつも聞きたがる側だっての」

 感情が昂ったあまりか、美紗季の手元の拳が震えている。刹那が思わず身構える姿勢をとると美紗季は拳を解いて、顔の半分を隠すように自分の前髪を触った。

「……ひゃく」

「は?」

「悠一人で百パーセント! あんたら全員入れて二百パーセント! これで満足?」

 やけになった美紗季の表情は清々しかった。照れながらもまっすぐに誰かへの、自分たちへの愛情を打ち開かせる彼女がとてつもなく眩しく見えた。

「……明日みんなに言って良いか?」

「言ったら絞める」

「……冗談だって」

 慌てて訂正を入れると美紗季はじ、と刹那を睨んで「絶対言わないでね」と釘を刺してきた。刹那は必死になって何度も頷く。これはもっと遠い未来、悠と美紗季が将来を誓い合った時にでも皆に打ち明けることにしようと、そっと胸に蓋をする。

「ありがとな、美紗季」

「え、お礼言われる流れじゃなくね……? あ、タイムマシンの話の方か」

「そうだよ。まあ、タイムマシンが怖くなくなったわけじゃねーけんど、美紗季の言うシール集めも思い出になるっていうのは、なんか良いと思ったわ」

「そ? ま……あんたはもうちょっと、本音言っても良いと思うけどね」

 美紗季の言葉に刹那は自分が見透かされていたと知って、乾いた笑いを浮かべる。自分も美紗季と同じくらい芯があって、同じくらいに好意をぶつけられるようになれたらと憧れる。

 教室の窓から風が入り込んで、応募用紙が煽られる。シールはゼロ枚。それでも刹那を未来へと呼び込もうと手を振っているような気がした。
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