【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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夏の宵編

第30話

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 祭囃子と揺れる踊る人影。熱気を帯びた夜風。立ち込めるソースの匂い。
 いつものを景色を塗りかえる祭りの空気に、そこにいる誰もが胸を弾ませていた。もちろん刹那と怜史も例外ではない。

「ひっろ……うちの町じゃ比べもんになんねえな」

「当たり前だよ。この辺じゃ一番大きいお祭りだし……刹那来たことなかった?」

「日付も毎年被ってるからなぁ。今日が初めて」

 すれ違う誰の顔も知らない祭りが刹那は新鮮だった。見知った顔に囲まれて、あちらこちらに挨拶して回るのが刹那にとっての祭りだった。隣にいる怜史以外、誰も刹那を見ていない。だが不思議と寂しくはなかった。怜史以外を視界に捉える必要がないことに、むしろ有頂天にすらなれた。

「早く行こ。売り切れちゃう」

「売り切れねえよ」

「売り切れなくても、途中で品切れになったら待たされるし」

「お前見た目の割に食い意地張ってるよな」

「この顔でご飯が好きで何が悪い」

「悪かねえっての。その方がいいだろ」

 軽口を叩き合って露店の通りを進む。向かいから来る人波に押し寄せられそうになると、刹那は逸れないようにそっと怜史との距離を詰めた。刹那の腕に怜史の肩が当たる。ふと怜史が刹那を見上げてくる。

「……なんか刹那、背が伸びてる」

「ん? そう?」

「うん……いいなぁ」

 言われてみれば以前よりも怜史を上から見下ろしているような気がする。意識をすれば怜史の羨ましげな上目遣いが、いつもより小動物じみて見えてくる。

「……そのうち伸びんだろ」

「駄目。俺の家系、男も160センチ台で止まる」

「お前何センチ?」

「170センチ」

「おーじゃあ無理だな。家系の最高記録で打ち止め」

「なんだとー」

「ははっ、ほら行くぞ」

 無意識に怜史の手を掴み、人混みをかき分けて周りより早いスピードで前へ前へと進む。触れている手に気がついてからも刹那は離せなかった。
 刹那の胸の中には、未だ盛谷の家に行った時の緊張感が残っている。一刻も早く忘れてしまいたいと、今は怜史にほんの僅かでも縋り付きたかった。

***

「買い忘れないか?」

「うん、大丈夫。満足」

 いつになく快活な返事をする怜史の両手は露店で買い込んだ食べ物でいっぱいだった。怜史が袋に収まるものを持つ代わりに、刹那がチョコバナナやフルーツ飴の串に刺さったものを二人分持っていた。

 歩きながらお腹が空いたとごねる怜史に手元の串から餌付けする。自分の手からいちご飴を頬張って、頬を緩める怜史を見て、これは役満だと刹那は内心で悦に入った。

「んじゃ食う場所探すか」

「花火見れる席あるかな」

「んー……この混み具合だとなぁ」

 周囲を眺めながら刹那は目を細めた。花火が打ち上がる方へと人波が移動し始めている。初めてこの祭りに参加する刹那にも怜史にも、おそらく一番見えやすい場所はとっくに満席になっていることが予想できた。

「穴場とか……知らないもんね俺たち」

「んだな……とりあえず適当に食う場所だけでも、」

 言いかけて立ち止まる。人々の向かう方向を見て、一つの可能性が胸をよぎる。

「刹那?」

「あるかも。穴場」

 怜史は刹那の言葉を聞いてきょとんとしながら瞬きを繰り返す。思い付いていないその顔がどう変わってくれるのか、刹那は続く未来を予感して思わず笑みをこぼす。

 そのまま人の流れとは逆流する方向に怜史を連れて走り出した。

***

 やってきたのは刹那のアパートだった。
 外階段を駆け上がって、二人分の駆け足を鉄骨に響かせる。二人の息はすっかり上がっていたが足を止めることはなかった。遠くから打ち上げ花火の開始を知らせるアナウンスがくぐもった音で聞こえてき始めているからだ。

「間に合った!」

 やってきたのは刹那の下宿アパートだった。大急ぎで家の鍵を開け、靴も揃えぬままに部屋の中に入る。

 慌ててカーテンと窓を開ける。その瞬間にどん、と大きな音が上空に鳴り響いた。紫の閃光が放射線上に広がって煌めく。刹那の予想通り、その窓はテレビの中継さながらの角度で、花火が鮮明に見える場所にあった。

「すご……超穴場じゃん……」

「穴場っていうか最早特等席だな……予想以上」

 二人揃って目を奪われる。最初の何発かをそのまま立ち尽くして眺めていた。

 故郷を離れ、この街の人混みからも離れ、たった二人きりの祭り。刹那は到底平常心ではいられなかった。

 胸の高鳴りがずっと続いている。走っている間からずっと流れている汗もまだ収まらない。

 その時、突然怜史が刹那に向かって手を伸ばしてきた。思わず肩を跳ね上がらせて怜史の手を見ると、いつの間にかハンカチを持っている。

「汗やばい」

「……わり、」

 怜史はそのまま刹那の鼻の頭をハンカチで拭った。ハンカチを持った指先が少しだけ刹那の頬に触れる。僅かな感触に刹那の身体は硬直させられてしまう。

「ハンカチ汚れるぞ」

「いつも刹那が俺にやるじゃん」

「良いんだよそれは……タオル、持ってくっから。お前のも。そんで飯食お。花火見ながら」

「うん」

 怜史が手を下ろすと刹那は慌てて脱衣所に置いてあるタオルと制汗剤を取りに行った。ふと目に入った鏡を向いて、怜史に拭われた肌を撫でる。そこに映る自分の頬がにやついているのに気付いて、恥ずかしくなって唇を噛んだ。

 部屋に戻ると二人で花火の鑑賞を再開した。電気はつけないまま、窓を背にしたソファの上に二人で向かい合わせに座る。

 膝を立てて座る刹那の横に、怜史は遠慮なく足を伸ばしてくる。サイドテーブルに露店で買ってきたものを並べて、飲み食いしながらくつろぐ怜史の姿を、刹那はドギマギしながらも微笑ましく思って見つめた。

 花火よりも花火を見る怜史を見ている時間の方が長かったとすら思えるほどに。

 あれだけ買った食べ物も、いつの間にか二人で平らげてしまった。
 次々と花火が上がる。永遠とも思えるその時間を言葉少なに二人で過ごす。無数の光が暗闇の部屋の中の二人を照らしてくれている。

(いつまでも、怜史とこうしていられたらいいのに)

 もしもタイムマシンに乗ることができたら、刹那はこの時間を繰り返す。そこに留まり続けてそれで一生を終えてしまってもいい。募りすぎて重たくなった感情が、いつの間にかそんな願望に化けていた。

 だがこれは現実の一角に過ぎない。刹那の背後には昼の蔦江との約束がしがみついているし、時計の針は進む。

 もういくつ花火が打ち上げられたか分からなくなる頃、怜史のスマートフォンからアラーム音が鳴り響いた。

 十九時五十分。地元へ向かう最終電車は八時三十分。ここから乗り継ぐための電車に乗るにはもう間も無くこの家を出る必要がある。そのためのアラームだと刹那にも予想が付いた。

「刹那、俺もうすぐ電車が……」

 タイムリミットを告げようとする怜史の手を、刹那は無意識のうちに掴んでいた。驚いた怜史が途端に口をつぐむ。

「帰んないで」

「……刹那?」

「……」

 口を出て行った言葉は返ってこない。言ってしまった、と後悔しながらも怜史の手を離すことができなかった。
 そんな刹那を怜史は不審がることもなく、心配そうに顔を覗き込んだ。

「……今日だけでいいから、ここに居てくれないか」

 どうせ一つこぼしてしまったのならいくつ口に出しても一緒だ。刹那は情けを乞うように静かに唇を動かした。
 怜史は少し考えるように黙り込んで、やがて目を細めると首を縦に振った。

「俺が居ていいなら、いるよ。いつまででも」

 掴まれた手を怜史の方から結び直す。それと同時に二人の目があった。どちらの目にも、この瞬間に打ち上げ花火は映らない。

 刹那の中で独占欲が疼いた。世間と隔絶されたこの空間でだけ、怜史は自分のものにできると思った。

 思い込みたかった。「いつまでも」と言ったたったその一言が、刹那の頭の歯車を軋ませる。間違った方に回転していく。

「――好きなんだ、お前のこと」

 抑えられなかった衝動が刹那の背中を押し、すぐ目の前にあった最愛の親友の唇を奪った。

 窓の向こうの花火が見えない互いの背中を静かに照らした。
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